タマムシとコガネムシ

01玉虫と黄金虫

美麗度も知名度も抜群なタマムシ
メタリックにきらめくタマムシ(ヤマトタマムシ)は美麗昆虫の代表といえるだろう。その美しさから国宝「玉虫厨子(たまむしのずし)」の装飾にも使われたことは周知のことで知名度も高い。インドや中国では、この仲間が宝石商で取り扱われていたりもするらしい。また「タマムシ」は漢字で【吉丁虫】とも書く。縁起の良い虫としても知られ、「長持(タンス)に入れておくと衣裳が増える」とか「財布の中に入れておくとお金が貯まる」などという伝承もある。
02ヤマトタマムシFC2
俗称でタマムシを「カネムシ」「コガネムシ」と呼ぶ地域もあって、童謡の『黄金虫(こがねむし)』(野口雨情・作詞/中山晋平・作曲)もタマムシを歌ったものだとする説がある(『月刊むし』2010年6月号/枝 重夫・著【童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?】)。
03黄金虫歌詞再
僕が子供の頃、この童謡を聞いてイメージしたのは黄金色(ゴールド)に輝くコガネムシだった。歌われているのが文字通りコガネムシであっても違和感はないが、これが縁起の良い虫「タマムシ」のことだとすれば、さらにピッタリくる。金運の伝承とも合致するので「金蔵立てた 蔵立てた」という展開も合点がいく。輝くゴーヂャスなルックスからしても、タマムシのイメージにふさわしい。

僕にはすんなりと納得できた枝氏の《タマムシ説》だが、これは、それ以前にあった《ゴキブリ説》への反論として打ち出されたものだったらしい。
「よく知られた童謡『黄金虫(こがねむし)』で唱われているコガネムシは、なんとゴキブリ(チャバネゴキブリ)のことだった」などという説が、衝撃をもって(!?)色々なメディアで紹介されており、かなり拡散&浸透しているようだ。僕の手元にある本でも4冊にそうした記述が見られる。

04黄金虫ゴキブリ説本A
05黄金虫ゴキブリ説本B
 『読んで楽しい日本の童謡』(中村幸弘/右文書院/2008年)
 『童謡の風景2』(合田道人/中日新聞社/2009年)
 『害虫の誕生──虫からみた日本史』(瀬戸口明久/ちくま新書/2009年)
 『少しかしこくなれる昆虫の話』(矢島稔・監修/笠倉出版社/2015年)

童謡『黄金虫』はタマムシなのかゴキブリなのか!?
『月刊むし』2010年6月号(472号)に掲載された「童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?」(枝 重夫)によると、《ゴキブリ説》の発端は石原保博士が1979年に打ち出したもの(コガネムシは金持ちではない話@『虫・鳥・花と』築地書館・刊)だったらしい。
石原氏の《ゴキブリ説》を要約すると──《群馬県高崎地方では、屋内にいるチャバネゴキブリをコガネムシとよび、この虫がふえると財産家になれるといわれていた》という伝承を紹介し、《茨城県磯原町に生まれ育った野口雨情も、北関東という同地方なのだから、雨情の作詞した「コガネムシ」もチャバネゴキブリのことである》と説いたものだったという。しかし、群馬県と茨城県は、栃木県を挟んでかなり離れており、高崎市と磯原町は直線距離で170kmほど隔てられている──これを《北関東》というくくりで《同地方》とみなすのは、いささか強引だ。群馬県高崎地方の方言や伝承を茨城県磯原町に当てはめることには無理がある。
《タマムシ説》で反論した枝重夫氏は雨情と同じ茨城県に生まれ育ったそうで、この地方ではタマムシのことを俗に「コガネムシ」と呼んでいたという。枝氏が磯原町(正確には、茨城県多賀郡北中郷村磯原で、現在の北茨城市)周辺の方言について調べてみたところ、《タマムシをコガネムシと呼ぶ》《(この虫を)財布の中に入れておくとお金が貯まる/箪笥の中に入れておくと虫がつかないなどといわれていた》という内容が記された資料は見つかったものの、《ゴキブリをコガネムシと呼ぶ》という記述は見つけることができなかったという。また、枝氏は野口雨情の孫と実際に会ってゴキブリ説のことについて話す機会があり、彼から「生家では昔にはゴキブリはまったく見られなかったので、黄金虫はゴキブリではないと思う」という証言を得たとも記している。枝氏も少年時代に自宅の室内や周辺でゴキブリを見たことがなく、当時の冬は寒も厳しく室温も低かったのでゴキブリは生息していなかったのではないかと考えているという。

理屈から考えれば枝氏の《タマムシ説》に説得力があり、石原保氏の《ゴキブリ説》には不備が感じられる。しかし、石原保博士という権威のある人の発信だったためか、《ゴキブリ説》自体にインパクトがあったためか、これまでに色々な人が色々なメディアで《ゴキブリ説》を拡散させている。
具体的な一例をあげると──瀬戸口明久・著『害虫の誕生──虫からみた日本史』(ちくま新書/2009年)では、プロローグにこう記されている⬇。


群馬県高崎地方では、チャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたという。「コガネムシは金持ちだ」という野口雨情の童謡で歌われているのは、この虫のことなのだ。(P.8)

《群馬県高崎地方》の例をあげて、いきなり童謡『黄金虫』のコガネムシはゴキブリのことなのだと決めつけているが、《群馬県高崎地方》の話を野口雨情の童謡に結びつける根拠は何も記されていない。
もし、本当に野口雨情の地方でもチャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたのであれば、《群馬県高崎地方》の例を持ち出すまでもなく、《野口雨情の出身地・茨城県磯原町では──》と説明できたはずである。それができなかったのは、野口雨情のふるさとではチャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたという実態が確認できなかった(なかった)からだろう。
野口雨情と同県人であった枝氏の調べでは、雨情の生家近辺でゴキブリをコガネムシとよぶ習慣はなく、タマムシをコガネムシと呼んでいたという。
にもかかわらず《群馬県高崎地方》の例をもって童謡『黄金虫』で歌われているのはチャバネゴキブリのことだと断定してしまったのは思い込みによるミスリードだろう。しかし、こうした形で《ゴキブリ説》は、まことしやかに拡散され続けている。

子どもの頃にこの童謡に親しんだ人は多かったはずだ。雨情ファンも決して少なくはないだろう。そうした人たちが《ゴキブリ説》を知ったとき、どう感じるだろう? 僕はファンではないけれど、いささかショック受け、なんだかガッカリした気分になったのを覚えている。
枝氏が初めて《タマムシ説》を打ち出したのは1980年(昆虫と自然)だったそうだが(『月刊むし』の記事は2度目)、その後も《ゴキブリ説》は拡散され続けている……。
孫引きで拡散するうちに、《ゴキブリ説》の不備部分──《群馬県高崎地方》と《茨城県磯原町》を《同じ北関東》ということで《同地方》とみなしてしまったいう根本的な間違いが、《同地方(群馬県高崎地方と茨城県磯原町)》→《茨城県》とすり替わってしまっている情報も目にするようになってきた。
出版物や報道記事などで《ゴキブリ説》に触れるたびに、もう少し《タマムシ説》を後押しする発言があってもよいのではなかろうか……と思ってしまう。

コガネムシの金蔵は玉虫厨子(たまむしのずし)!?
枝氏の《タマムシ説》は充分に説得力のあるものだったが、これに加えて僕には「きっとこうだったのだろう」と思うことがある。それは《童謡『黄金虫』は、おそらく玉虫厨子をモチーフに創作された》──ということだ。

冒頭でも触れた玉虫厨子──タマムシの翅を装飾に用いた国宝の存在は多くの人が知っている。この「知名度の高い国宝《玉虫厨子》を《コガネムシ(タマムシ)の金蔵》に見立てる」という着想を得て野口雨情はこの作品を書いたのではないか。そう考えると、実にしっくりくる。「コガネムシが架空の金蔵を建てる」という発想よりも「なるほど!」と思える意外性があって、創作をする者にとっては、はるかに「手応えのある着想」である。
《玉虫厨子》がモチーフであったとするなら、それを建てたコガネムシは、もちろんタマムシ(の俗称)ということになる。「財布の中に入れておくとお金が貯まる」という金運のよい伝承とも合致する。

《コガネムシの金蔵》=《玉虫厨子》と考えるとイメージがピッタリはまる──僕にはそう思えてならないのだが、この着想に気づいたのは僕ではない。某所で《タマムシ説》について記した時に「子どもの頃から、(『黄金虫』に歌われているのは)タマムシのことだと思い込んでいた」という人がいて「社会の時間で玉虫厨子の写真を見たとき、これこそ黄金虫の金蔵だと思った」そうである。これには「なるほど!」と膝を叩いた。野口雨情も、玉虫厨子を見て「コガネムシ(タマムシ)の金蔵だ!」とひらめいて創作イメージをふくらませ、童謡『黄金虫(こがねむし)』を書いたのではなかったか……。

玉虫厨子と水飴の関係!?
さて、童謡『黄金虫』で描かれた歌詞の、コガネムシが金持ちで金蔵を建てた──という展開は《タマムシ説》で説明できる。ただ、よくわからないのが、前半(1番)と後半(2番)のそれぞれ最後の行に出てくる「水飴」のくだりである。
これについては、以前【童謡『黄金虫』の謎】で、《玉虫厨子》と《水飴》を結びつける強引な解釈を考えたことがあった。
「玉虫厨子は現存する最古の漆絵」という情報から、「漆絵」に使われる「蒔絵」と呼ばれる技法の中に「水飴を用いる技法(消粉蒔絵)がある」という情報にたどり着き、ここに《玉虫厨子》と《水飴》とのつながりの可能性を考えてみたものである。
玉虫厨子に実際に水飴が使われていたのかどうか僕にはわからないが、もし野口雨情が、玉虫厨子の制作過程で水飴が使われていると考えていたとするなら──歌詞の意味はいちおう説明できる。

金蔵を建てるための水飴を買ってきた(伏線)➡その水飴を子供にも与えた(小道具の再利用:創作的工夫)というダブルミーニングでまとめたという解釈が成立する。
06黄金虫歌詞構造
つまり童謡『黄金虫』はダブルミーニングを意図した構造で、金蔵を建てるために買ってきた水飴(伏線)を子供への土産としても利用したという「もうひとつの意味」でオチをつけた(まとめた)作品だという見方もできる。

──というのは、あくまで解釈シミュレーションの1つ。伝統工芸に水飴を使う技法があるということが周知のことであれば、このダブルミーニングは成立するが、リスナーが知らなければ、なんのことか判らない(だからほとんどの人に水飴の意味がわからなかったという解釈もできるかもしれないが……)。

法隆寺と水飴の関係!?
そして、最近ふと思ったことなのだが……、
《玉虫厨子》といえば《法隆寺》──《法隆寺》と《飴屋》のつながりというセンはどうなのだろう?
《法隆寺》などを観光した人が《飴屋》で土産を買って帰るということが定番になっていて、野口雨情にも、そんな経験があったのだとすると、そこに《玉虫厨子(コガネムシの金蔵)》と《飴屋で買ってきた飴》のつながりが想像できなくもない。
ちなみに、法隆寺があるのは奈良県生駒郡だが、野口雨情は奈良県大和高田市と縁があったらしく『高田小唄』を書いている。大和を訪ね高田寺内に滞在していたこともあったそうで専立寺(高田御坊)に歌碑が残されている。

奈良・京都には歴史の長い飴屋があるようだし京都には飴屋町という地名もあるそうだから、ひょっとしたら野口雨情が活躍していた時期には、法隆寺などを観光するさいに飴屋で土産を買って帰るというような習慣があったのではないか? それで『黄金虫』の中に出てくる金蔵が玉虫厨子(法隆寺)であることを示唆するアイテムとして「飴屋で水飴を買う」というヒントが盛り込まれた……という解釈はできないだろうか?
もちろん、これも強引な解釈シミュレーションのひとつ。確証はない。

童謡『黄金虫』については、描かれているのはタマムシで、おそらく《玉虫厨子》を《コガネムシ(タマムシ)の金蔵》に見立てる着想を得て書かれたものだろうと僕は考えているのだが、「水飴」については……解釈シミュレーションはしてみたものの、果たして本当にそうなのか……よくわからないというのが正直なところだ。
童謡なのだから、もう少しわかりやすく作ってくれても良さそうな気もするが……野口雨情は、そのあたりにはあまり頓着しない人だったのだろうか?

以前【《イタチの魔かけ》と《鼬の目陰》】という記事の中でも野口雨情(作詞)&中山晋平(作曲)コンビの『霜夜の鼬』という童謡について触れたが、この作品にも判りにくいところがあった。
「寒い霜夜(しもよ)のしのやぶでイタチがアズキをといで赤飯をたく」という変わった内容で、なんでイタチがアズキを研ぐのか、歌詞からは、さっぱりわからない。おそらく「霜夜(しもよ)のしのやぶ(篠竹のやぶ)」は語呂合わせの言葉遊び(「こがねむしは金持ちだ」というのと同じ──韻を踏んだ語呂合わせの言葉遊び)で、寒い夜に霜柱を踏む音がアズキをとぐ音に似ている(「玉虫厨子」が「金蔵」に似ているというのと同じ《みたて》)という着想があったのではないか。ここで妖怪「あずきとぎ」を連想し、この妖怪の正体はイタチだという説からの発想で、イタチがアズキをとぐという筋立を考えたのだろう──僕はそう解釈したのだが、妖怪あずきとぎやその正体をイタチだとする伝承があることを知らない者には見当がつかないだろう。こういう「判りづらい話」を何の説明もなく歌詞にしてしまう人なのだから、『黄金虫』も同じように聞く人の解釈には頓着せずに書かれたものなのかもしれない。

これまで何度か《タマムシ説》を後押しする記事を書いてきたが、もっとそうした意見があっていいのではないかと言う思いもあって、最近思いついた水飴の解釈(かなりあやふやだが……)を加えて、あらためて記してみたしだい。



宝石昆虫タマムシ/玉虫の金蔵とは!?
黄金色のコガネムシ
セミとタマムシ
童謡『黄金虫』の謎
童謡『黄金虫』の解釈をめぐって
童謡『黄金虫』ゴキブリではなくタマムシ
メタリックな美麗昆虫10種
《イタチの魔かけ》と《鼬の目陰》
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