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中学[作文]で書いた『六番目の感覚』

中学時代の科目【作文】で書いた掌篇の思い出
僕が通っていた中学校では【国語】とは別に【作文】の科目が週に1回あった。【国語】の授業は嫌いだったが【作文】はわりと楽しかった記憶がある。書くことが好きだとか得意だということではなかったのだが、何を書こうかと、あれこれ自由に考えをめぐらせるのが楽しかった気がする。
【作文】では、中学1年の初め頃に、いきなり(?)小説を書かされたことが印象に残っている。たしか「冬・海辺・犬」の3つの要素を入れるのが課題で、僕はクールを気取りながら哀愁漂う(?)野良犬の一人称で『オレは野良犬』という2枚弱の掌篇を書いた。中学2年のときにはユーモア小説のつもりで『ハム・スタ子と芳男』という5枚ほどの作品を書いている。当時飼っていたゴールデンハムスターを素材にしたものだった。そして中学3年のときには、SFジュブナイルのイメージで、テレパシー(超能力)を素材に『六番目の感覚』という、やはり5枚弱の掌篇小説を書いている。
いずれも中学校の【作文】の授業で書いた、劣等中学生の稚拙な作品なのだが、ふり返ってみると、なつかしい部分や後に書くことになるファンタジーの片鱗のようなものが感じられたりして「へえ!?」と思うところがある。
そこで、中3のときに書いた『六番目の感覚』を載せてみることにする。おかしなところもあるし、たあいもない話だが、《当時の作文》ということで、手を入れずに掲載する。

01六番目の感覚
02六番目の感覚
03六番目の感覚
04六番目の感覚
05六番目の感覚

『六番目の感覚』は五感を越えた感覚──テレパシー(超能力)を素材にしたSFのつもりで書いた作品。しかし、作中では、それが本当にテレパシーなのか単なる主人公の想像(思い込み)なのか明確にしてない。超能力へのあこがれを抱いた少年の平凡な日常の一場面のようにも読める。この、現実なのか幻想(SF)なのか、にわかにわからない微妙な現象を僕は好む傾向にあるようだ。その後も《日常の中にまぎれこんだあわい幻想》のような作品をいくつか描いている。
『六番目の感覚』では、《主人公の心の声(テレパシー)》は相手に届くことなく終わっている。この《主人公の心の声》が不思議な現象を介して《相手に届く》という発展型バージョン(?)が、『雨の日の通信』という見方もできる──ということに最近、気がついた。『雨の日の通信』は日常を舞台とするファンタジーとして創作しており、執筆時には『六番目の感覚』のこともSFも頭にはなかったのだが、日常の中の非日常現象として《ふしぎな交信》を描いているところは両作品に共通するイメージが感じられる。『雨の日の通信』では『六番目の感覚』で成立しなかった《ふしぎな交信》がいっとき成立するが、ただ、それだけのたあいもない話である。当時はまだ携帯電話など普及しておらず、移動中に《通話》することなどできなかったから、そういった意味でも《ふしぎな交信》には新鮮味・ある種の開放感のようなものがあったように思う。
そして、こうした《ふしぎな交信》が成立したさいに、さらにそのことに付加価値を持たせることを──《ふしぎな交信》によってもたらされる重要な役割り(交通事故の回避)を考えて創作したのが、先日投稿した『ポストの電話』だった──と、そんな見方もできなくはない。これも最近、気がついたことだ。ただ、『ポストの電話』では《ふしぎな交信》に附加する意義付けに凝るあまり(?)現象が少々ややこしくて読者にはわかりづらかったのではないか……という反省がある。
いずれにしても執筆当時には気づかなかったが、『六番目の感覚』の発展型が『雨の日の通信』で、さらにその発展型が『ポストの電話』につながっているとみることもできる。
さらにいえば──『ポストの電話』は、みくに出版が主催するコンクールで、運良く入賞することができたために、その縁で、コンクール・協賛の日能研から依頼を受けて『とどけられたポケッチ』という作品を書いている──これは小3国語のオープンテストの設問用ということで、かなり細かい条件のもとで作った《仕様》なので、この依頼がなければけっして書くことがなかった作品だといえる。【国語】嫌いだった僕が、国語のテスト用の作品を書くことになろうとは……妙なめぐり合わせだが、そういう意味では『とどけられたポケッチ』も『ポストの電話』〝つながり〟で誕生した作品だった。


06雨ポストぽけっち
雨の日の通信(掌篇ファンタジー)
ポストの電話(読み切り童話)
とどけられたポケッチ(読み切り童話)

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