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人気作品の映像化について思うこと

少し前に『ゼロの焦点』についての感想を記した。映画(監督:野村芳太郎/脚本:橋本忍・山田洋次/松竹/1961年)と原作となった小説(作:松本清張/新潮文庫)の両方を鑑賞してみたわけだが、1961年松竹版の映画はよくできていたように思う。

人気が高い小説や漫画を映画化・テレビドラマ化することはよく行われている。原作のファンも多いし話題にもなるから、観客導引力があるとか視聴率がとりやすいという理由から映像化がはかられるのだろう。しかし、それが成功している例は意外に少ないように思う。「観てガッカリした」と感じた経験を持つ原作ファン決して少なくないはずだ。制作側は、そこそこ観客が入り視聴率がとれれば(評判はどうあれ)「成功」と考えているのかもしれないが、純粋に作品としてみた場合、「原作(小説・漫画)に匹敵するかそれ以上の作品(映画・ドラマ)になったか」といえば「残念な出来」に終わるものが大半ではないだろうか?

最近、人気作家の原作によるドラマ(旧作)をいくつか観たが、「失敗例」に共通する要因を感じた。これは昔から度々感じていたことなのだが、あらためて記してみる。具体的な作品や内容には触れないが、それぞれの視聴体験に照らしてみれば「そうそう」と思い当たる点があるのではなかろうか……。


脚本家の自己顕示欲(?)が作品の足を引っ張る!?
脚本で「よけいな演出を加えて作品を台無しにしている」と感じることが少なくない。小説や漫画を映像化するにあたって、ある程度の改編はしかたない。しかし、脚本家(あるいは監督の意向?)は改編するにあたって、原作にはなかったアイディアを盛り込んで映像版に付加価値をつけようとしたがる(?)きらいがあるように感じる。「ただ原作をなぞるだけでは物足りない(創作意欲が満たされない)」という感覚があるのだろうか。せっかく映像化するのだから(?)オプションとして独自のアイディアを盛り込みたいという欲求──脚本家の自己顕示欲のようなもが働くのかもしれない。それ自体を否定するつもりは無いが……新たに導入するアイディアが、視聴者の関心を本来のテーマとは別のところに向けてしまうようなものであれば、興味の焦点が分散し、キレの悪い印象を残すことにもなりかねない。
脚本家としては工夫を凝らし、新たな価値を上乗せしたつもりなのかもしれないが、オプション・アイディアが原作の足を引っぱっている作品はめずらしくない。不純物が混じることで完成度(純度)が落ちるといったらいいのか……例えてみれば、クラシックを聴きに行ったのに、毛色の違うタンバリンが演奏に飛び入り参加してきた……みたいな「台無し感」である。

映像化に向けての新たな解釈・アイディアがあるとすれば、その作品の核心を明確化するためのものであるべきだ。コンセプトがブレたり分裂するようなものであってはならない。視聴者の関心・興味をどのように誘導して効果的な印象に昇華させるか──が大切なことであって、視聴者心理の動線を乱すような付加価値は持ち込むべきではない。

また、脚本家がその作品を通して言いたいことを安易に渦中の登場人物に語らせてしまうというのも、ありがちなガッカリ・ポイントだ。クライマックスのシーンで登場人物の口からでた言葉に唐突感・違和感を覚えてシラケてしまうことがままある。「そのセリフは、登場人物の言葉ではなく、脚本家が言いたかったことだろう」というパターン。
本来なら「説明」によってではなく、脚本の巧みな心理誘導によって視聴者が感じるべき核心テーマ(感銘部分)を、登場人物のセリフで「説明」してしまうというのは、かなりヤボで押しつけがましい。
作品の中で「浮いたセリフ」「違和感のあるシーン」は原作に無い映像版の演出であることが多い。とってつけたような人生観・哲学的テーマの説明は、深いことを語らせたつもり(?)で、むしろ軽薄さを感じさせる。これもよくある「台無し感」の典型という気がする。

ところで、「台無し」にされてしまうことが多い映像化について、原作者はどのように感じているのだろう。
自分が描いた作品がテレビドラマや映画化になれば、原作に対する注目度も上がり、原作が多くの人に読まれる機会が増える──原作が売れるのは喜ばしいことのはずだ。しかし映像作品の出来が「残念」だった場合、原作のイメージが毀損されることにもなりかねない。原作を読む前に映像化された作品を見て「読む気がしなくなった」という人だっているかもしれない。
もっとも、総合的には映像化による宣伝効果の方が勝って、原作の売り上げは伸びることになるのだろうが……手放しで歓迎できることでもないような気がする。
原作ファンは好きな作品が映像化で「なげかわしい」姿にされるとガッカリするものだ。映像化で多くのファンがガッカリすることになれば、原作者としても喜んでばかりはいられないだろう。

以前、(生前の)光瀬龍先生に、そんなことを尋ねてみたことがあったのだが、映像化によってもたらされる収益について「あれは迷惑料みたいなもんだよ」と笑っておられた。
「作品は世に出た時点で作者の手を離れている」とか「原作と映像化作品は別物」といった割り切り方はしているだろうと思っていたが、《迷惑料》という言葉は予想していなかった。
具体的な例についての言葉なのか一般的な話としての言葉なのかわからないが、《迷惑料》という言葉には妙に納得したのを覚えている。


松本清張『ゼロの焦点』感想:小説と映画の比較

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