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《学力》と《賢さ》

《学力》と《かしこさ》
子どもの頃、学力が高い──つまり、勉強ができる成績優秀な生徒というのは頭が良い(かしこい)のだろうと思っていた。テストで良い点をとる子は、授業内容を良く理解し習ったことをよく覚えている──理解力もしくは集中力があって記憶力にすぐれているのだろうという解釈。もちろん、成績を上げるには努力も必要だろうが、「元々かしこい子」はテストの点も高めになりがちだから勉強を「得意分野」と自覚して熱心になるのだろう。スポーツにしろ趣味にしろ、誰でも自分が「得意」と感じるものに熱心になるのは自然なことだ。勉強が得意だと先生や親から褒められるし進学・就職にも有利になる。趣味やスポーツよりも実益がともなうのだから、打ち込み甲斐だってあるだろう。成績の良い子は、ますます勉強に精進し「賢さ」に磨きをかけることになる……優等生から遠いところにいた僕は、そんなふうに考えていた。

だから、かつて怪しげなカルト教団が起こしたテロ事件に、高学歴の信者が数多くかかわっていたことを知ったときはとても驚いた。特に論理的な思考をしているはずの科学畑のエリートが、どうしてそんな胡散臭い教義を信じて道理を外れた行為に走ってしまったのか、とても不思議だった。「賢い人」なら「ちょっと考えれば、それが正しいことかどうか解りそうなものだろう?」という気がしてならず、当時しばらくは理解できなかった。

しかしその後、高学歴の人書いたものを読み、発信した意見などを見聞きしているうちに、「高学歴」ということと「頭が良い(賢い)」ということは必ずしも一致しない──むしろ逆のケースも少なくないのではないかと考えるようになった。科学畑の人が、必ずしも論理的な思考をするわけではないと感じることも、しばしばあった。

学力優秀な人というのは、教師が教えたことをすんなり受け入れられる人──ある意味、洗脳されやすい人ということもできなくはない。教わった知識・ロジック・考え方を、疑問をさしはさむことなく、すみやかに取り込むことが学力向上の近道ならば、「自分の頭で考える」ことをやめ、「人の頭で考えたこと」をなぞる──実質「脳内コピペ」で、手っ取り早く必要情報(設問に対応する正解)を学習する方が効率的ということになる。そうした効率性を優先する学習スタイルをとり続けていれば脳もそうした使い方に適応していき、「自分の頭で考える」能力が低下していくことになるのではないか。

以前、読書感想文の解答マニュアルを配布した小学校があるというニュースを知って驚いたことがある。このマニュアルによると──《書き出しでは小説の一部を抜き出し、自分の考えを書く。次いで本を選んだきっかけや読み始めたときの感想を書き、自分の体験を書く。最後に書き出しの部分に戻り自分がどう変わったかを書く》といった流れなどが説明されていたらしい。本来なら本を読んで自分で感じたことを意識化し、それをどうまとめれば他者に伝わる形になるのか、考えを整理して文章の構成や表現を考える──というのが読書感想文であり、自分の頭で考えて論脈を構築するという「考えをまとめる訓練」に意味があると僕は考えていた。だから、最初から「自力で考えをまとめる」ことを放棄し「雛形にあてはめて考える」という安易な方法を教える小学校があることにあきれた。

確かにマニュアルに従って感想文を作成すれば、効率よく無難に読書感想文という課題をクリアするノウハウを得られるかもしれない。見かけ上の「学力」はこうした指導で短期的に向上するのかもしれないが、「自力で考えをまとめる」努力を放棄するのだから「賢さ」は育たない。こうした指導で学力を高めたマニュアル頼りの生徒が将来、短絡的な雛形構図でしか物事をとらえられないリテラシー(情報をうのみにせず主体的な判断に基づいて読み解く能力)の欠如した人に育っていくのではないかという危惧を感じずにはいられない。

こうした人は、時間をかけ自力で論脈を組み立てて考えることをせず、「他人の頭で考えたロジック」にあてはめて解釈することで自分で「考えた」気になるのだろう。脳内コピペした雛形ロジックにあてはめることで「正しい判断ができた」と錯覚しているふしがある。本人の自覚としては学習した多くの知識を活用して判断しているのだから「自分は賢い」と思っているのかもしれないが……形を見なければいけないとき色をみていたり、重さを測らなければいけないときに物差しを持ち出すような、トンチンカンな捉え方をしていることに気がつかないでいたりする。
「脳内コピペ」で得た知識に当てはめてものごとを判断するのは、もはや「思考」とは呼べない気がする。「他人が考えた構図ににあてはめる作業」でしかない。「思考」を《絵画》に例えるならば、「他人が考えた構図ににあてはめる作業」は《塗り絵》のようなものだろう──他者が作った枠に合わせて色を塗っていくだけ。それでは自分で絵を描いたことにならない。同様に「他人が考えた構図ににあてはめる作業」は自分で考えたことにはならない。

件のカルト宗教にハマってしまった高学歴者は、世の中への不安や疑問を感じながら自力で考えを整理・解決することができずにいるリテラシーの低い人たちだったのではないか。教団内では地位を設け、教祖の教えにどれだけ従順かを信者間で競わせることで「自分の頭で考える」余地を破棄させ、教義への親和性を高める修行を行っていたのかもしれない。そのために高学歴の人が「他者の(教祖の)ロジック(教え)にあてはめて解釈する」ことしかできなくなり犯罪に加担することになってしまったのではないか……今ではそんなふうに考えている。

本来なら物事をきちんと理解し納得するには時間がかかるものだ。しかし面倒な「自分の頭で考えること」をサボって効率化に走り、「脳内コピペしたロジックに当てはめて判断する」という短絡的な学習スタイルを身につけてしまうと、「学力は高まるが、賢くない」という人ができてしまうのではなかろうか?

個人の意見が世間に向けて発信できるようになった(インターネット時代の)昨今──マトはずれな短絡コメントを見かけることは少なくない。未熟な思考をする人たちの中には意外にも高学歴者が含まれているのではないか……と感じることがあるが、《高学歴》が必ずしも《賢さ》を示すものではないと考えると、合点がいくのである。



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コメント

No title
高学歴=賢い人 ではないという意見には大いに賛成しますが、ある程度マニュアル化した方がうまく書けるし、やはりどういうふうに読書感想文を書けばいいか指導があってうまく書けるようになるというのも事実だと思いますよ。それを全部否定するということはないと思います。別にマニュアル通りしなくても大体の流れがあると書きやすいです。もっとも皆が同じようにその流れで書いても変ですけどね。
私の体験ではそのような指導は特になかったですが、読書感想文というとあらすじだけ書いて終わってる子がよくいましたからね。
Re: No title
読書感想文マニュアルについては賛否が分かれるようですね。指導はあって良いと思いますが、最初から書きやすい雛形を準備して、その枠に合わせて考えさせるようなやり方は不適切だと僕は考えています。
本を読んでその子が何を感じたか──それを他者に伝えるためにはどのようにまとめ・表現したらよいのか──その模索をすることに意味があるからだと考えているからです。

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