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絶滅危惧!?消えゆく本屋と雑木林

僕が学生の頃──今から半世紀ほど前、本屋は今よりずっと多かった。僕がよく利用する駅の出口付近には多い時で4軒の本屋が立ち並び、家から駅へ行く途中にもさらに2軒の本屋があった。
当時、友人と外で会うときの待ち合わせ場所は、たいてい本屋だった。喫茶店でお金を使って退屈な時間つぶしをするより、書店で本や雑誌を物色していた方が有意義だ。僕は決して本をよく読む方ではなかったが、本屋で「なにか面白いもの」を探すのは好きだった。
当時はインターネットもまだ無く、娯楽メディアといえば、テレビや書籍・レコードなど限られていた。テレビはチャンネル数が少なく、いつでも見たい番組が観られるわけではない(家庭用ビデオデッキもまだ普及していなかったからお気に入りの番組も放送時にしか観ることができない)。いつでも楽しめる個人の娯楽といえば読書やレコード鑑賞が一般的だった。それで書店やレコード店が今よりずっと多かったわけだ。

本は今より売れていたが、書籍情報はあまり多くなく、新聞の広告欄で新刊を知る程度。実際にどんな本が出ているかは書店に行ってみないとわからない。本屋に通い書架をながめて気になる本を探す。気になるタイトルを見つけたら手に取ってパラパラめくってみて購入の可否を決める。書店は《本との出会いの場》であった。とはいっても書架スペースには限りがあるから出版された書籍が全て本屋にならぶわけではない。本屋によって若干品揃え(在庫)が違う。当時本屋はあちこちに点在していたから書店開拓や本屋のハシゴをすることも多かった。
本屋めぐりをして気に入った本を見つけ、手に入れたたときのゲット感は──小学生の頃、雑木林めぐりをしてカブトムシやクワガタを見つけたときの気分の高まりに似ていなくもない。本屋の書架にすまして並んでいた嫁入り前の本が、見初めた自分の所有物になる──これは樹液を吸っていたカブトムシやクワガタを発見しゲットしたときの高揚感に通じるものがある。

お気に入り作家の新作や注目しているシリーズの新刊など、待ちわびた本との出会いも「!」感があるが、自分でも全く予想していなかったたぐいの本との思いがけない出会いというものもあった。これは本屋通いをしていなければかなわなかった《本との出会い》である。運命的な出会いが本屋にはあったりする。

もちろんいつでも気に入った本が見つかるわけではないし、予算も限られていたけれど、購入に至らなかったとしても、書店で色々な本を眺めるのは、それだけで楽しい。タイトルを見ているうちに「こんな話だったら、おもしろそうだな」などと想像がふくらんだり、インスピレーションが刺激されたりする。書店は脳味噌を活性化する想像空間でもあった。だから、実際に本を買う・買わないにかかわらず、本屋をのぞくことが好きだった。これはもしかすると(?)女性が好むウィンドウショッピングに近い感覚なのかもしれない。
当時は駅周辺には、たいてい何軒か本屋があったので、ときには自転車で鉄道沿いに走り、駅ごとに点在する群島ならぬ群書店めぐりをした。日に20軒近く本屋をハシゴすることもあった。

余談だが……学生の頃、本屋でよく待ち合わせをした友人が、その後移り住んだ別の地で、パチンコ屋ばかり多くて本屋が少ないと嘆いていたことがある。「パチンコ屋に対して書店がどれだけあるかで、その地域の文化度がわかる」などと彼はぼやいていた。冗談まじりではあったが、ちょっと説得力を感じないでもない。

さて、そんなわけで僕の学生時分は、あちこちにあった本屋をめぐり歩くのが楽しみの1つだった。しかし、本屋のサービスに関して不満が無いわけではなかった。何か欲しい本があって注文しても、届くまでにずいぶん待たされてしまう。本の価格は、かなりの割合が流通コストに当てられているが、そのわりに客のリクエストにすばやく対応できる体制はできていないのが不満だった。
また、品揃えの点では在庫に面白い本が少ない……おもしろそうな本が売れて、書棚にはつまらない本が売れ残っているのではないか……と感じることも少なからず。本の宣伝は出版社まかせ、配本は流通機構まかせで、本屋自体が努力している姿勢が、あまり感じられない。「客商売なのに、これで良いのだろうか?」と思うこともしばしばあった。しかし読書が娯楽のある程度を占めていた当時は、本の販売を独占的に行っていた書店は、ただ店を構えているだけで経営が成り立っていたのだろう。

それが今では便利になって、本屋にでかけなくてもインターネットで本を探したり注文することができるようになった。本屋に行かずとも本が自宅に届く。本屋を利用する場合は営業時間が限られているが、インターネットを利用すれば24時間いつでも注文できるし、おまけに本屋よりも早く入手できる。本屋を通さずとも本が買えるようになったことで、独占市場の上にあぐらをかいてきた(?)本屋が衰退するのは致し方ない状況である。
また、昔にくらべて娯楽が多様化した昨今、人が本を読む時間そのものも減少しているのだろう。そうした状況も、書店の経営が難しくなっている理由の1つに違いない。
僕の学生時代に4軒あった駅前の本屋は、今では小ぶりな1軒を残すのみとなってしまっている。《本との出会いの場》であった本屋はずいぶん減って、今や絶滅危惧種ならぬ絶滅危惧職状態!? レコード店に至っては地元ではとうに絶滅している……。
本屋めぐりが楽しみだった僕としては、本屋には消えてほしくないという思いがある。それで保全活動のつもりもかねて、なるべく書店へ出向いて本を買うようにしている。本屋を《本との出会いの場》と考えるのは望郷的感傷なのかもしれないが、僕としてはやはり本屋文化はあり続けて欲しい。

きっと今では、本屋めぐりをせずともインターネット上での《本との出会い》があって、書店めぐりをするより早く確実に本を入手できるようになっているのだろうが……個人的には、やはり本屋で実際に本を手にとってみて買うか否かを決めるスタイルが好ましい。その方が《ゲット感》があるような気がする。

例えば……昆虫が欲しいとき、時間をかけ交通費を使って生息地に出かけても、捕れるかどうかの保証は無い。今ならインターネットを利用して購入すれば、手っ取り早く確実に手もとに届くだろう。ネットを利用した方が便利だと解っていても、僕なら、やはりフィールドに出て手間ひまかかる不確実な虫探しを選択したくなる。
同様に本の入手も、便利なネットを利用するより本屋で探したくなる。虫さがしと本さがしは本質的には全然違うものだが……感覚的にちょっと似たところがあるような気がする。

虫屋さんは、標本を見ると採集した時の状況が脳裏に浮かぶというが、僕は自分の本棚に収まった本を見ると、どこの書店でその本を見つけたか……手にとった第一印象から買うことを決断した経緯、実際に読んでみてどう感じたかなど、《本との出会い》の状況がよみがえったりする。
昔、そんな《本との出会い》があった本屋が、ひとつ・またひとつと姿を消していくのは寂しい。子どもの頃に虫とりをした雑木林が開発でなくなっていくような喪失感がある……そんな気がするのは僕だけであろうか?


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