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ブログ以前~個人誌的ブログ:チャンネルF

ブログが無かった頃…個人の発表(発信)の場は少なかった

小学6年生~中学生の頃、4コマ漫画を描いていたことがあった。「趣味」というほどのものではなく、ラクガキ程度のもの。無地のノートにざっと下敷きで線を引いて(コマ割り)、いきなりボールペンや万年筆で描き込んでいた。「おもしろいハナシ(コント)を考える」のが楽しかったのだろう。今思うと、ショートコントを連発するテレビ番組の『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』の影響もあったのではないか……という気がしないでもない。
ノートに4コマ漫画がたまってくると、気に入ったものを見つくろって他人にも披露したくなる。今ならインターネットを利用して不特定多数の人に発信する手段があるし、ブログなど他者が閲覧できる《場》への投稿も容易だが、当時はパソコンもインターネットもなかった。素人が個人で作品を披露できる《手段》も《場》も、ほとんどなかった。そんな時代だったので、僕が考えたことといえば……学校のプリント等で使われていたガリ版(謄写版)でマンガを刷ってみようということだった。今では知らない人が多いと思うので、ざっくり説明するとガリ版(謄写版)というのはロウをコーティングした原紙に、鉄筆と呼ばれる先端が尖ったペンで字や絵を描き、これを原版とする印刷。セットした原紙の下に紙を敷き、原紙ごしにインクを含ませたローラーを転がす。すると原紙の鉄筆でひっかいた部分(ロウが剥がれた部分)だけからイングが染み、原紙下の紙に字や絵が転写されるというもの。
ロウ原紙に鉄筆で描くさいにはヤスリの下敷きを使うのだが、これが慣れないと描きにくい。筆圧が弱いと印刷した時にかすれてしまうし、強いと原紙に孔をあけてしまい、インクがボタ漏れして汚くなってしまう。
当時、慣れない鉄筆にてこずりながらも原紙にマンガを描いたのだが……刷ってみると、そのできばえは思い描いていたものとはほど遠く……あまりのヒサンさにガッカリ。「4コマ漫画ガリ版計画」は即行で頓挫したのだった。
今から思えば、ブログのようなことがやりたかった気がしないでもないが……その頃は、素人が自分の作品を多くの人に向けて発信することは簡単なことではなかったのだ……。

初めてのメディア掲載

そんな僕のマンガが初めてメディアに載ったのは高校2年生のときだった。購読していた学研の月刊誌《高2コース》の読者投稿欄には漫画コーナーがあって、気まぐれに投稿したハガキ漫画が採用されたのだ。採用の通知と図書券が届いたのは発売日の後で、それを知らずに発売日に同誌を購入した僕は、読者投稿欄を開いて驚いた。トップに一番大きく見覚えのある絵が……自分の作品が載っているではないか! ポストに投函したあと、連絡も無いのでボツったとあきらめていたラクガキが、作者も知らぬ間に誌面を飾っていたとは……「(よく知った身内が)ちょっと見ない間に、ずいぶん立派になったもんだなぁ」的な感慨があった。


分厚い月刊誌のほんの片隅ではあったが、自分の作品が多くの人が目にするメディアに載ったことは嬉しかった。この感慨はインターネット以降の人にはちょっとわからりづらいかもしれない。
掲載に気を良くしたものの、僕は真面目にマンガを描いていたわけではなかった。当時本気で取り組んでいたのは児童文学(ファンタジー)の創作で、自分の作品を発表できる《場》を模索していた。
高校3年生で文芸系の同人誌に初参加。高校を卒業してから働いてオフセット印刷機と製版機を買い込み、1978年に同人誌《窓》を立ち上げたのだった。

同人誌の時代



僕が主宰した《窓》は、本文の文字も含め、全ページ手書きだった。当時はパソコンもワープロもなく、原稿用紙にペンで書いていた時代。自分の文章を活字にしたいという「憧れ」は強くあったものの、それにはお金がかかる──素人が自分の文章を活字にするというのは簡単なことではなかったのだ……。
《窓》は創刊準備号・創刊号・第2号の3冊で活動中止となったが、第2号(1979年7月)に一挙掲載した長編『クロカニ号の冒険』が、その後出版されるという驚くべき展開があった。金の星社が行っている公募に『クロカニ号の冒険』を応募していたのだが、その「第10回創作童話作品募集」に入選(1979年)──初めて書いた長編(230枚程度)&初めてのコンテスト応募&初めての入賞であり、もちろん出版(1984年)も初めてのことだった。


これ以降も児童文芸の研究会や同人誌で勉強を続け、朝日カルチャーセンターの「大衆文芸の書き方(講師:光瀬 龍)」(通称・光瀬教室)の受講生らで同人誌を作ることになった。こうして誕生した同人誌《MON48》の創刊号(1985年3月)に掲載した『ねこにかかったでんわ』も、岩崎書店から単行本として出版することができた(1985年10月)。


出版で、多くの人の目にとまる《場》で作品を発表することができ、「活字化」への憧れがかなったのは我ながら驚嘆すべきことだった。が、この頃、もう1つ画期的なことが起こる。
日本語ワードプロセッサ専用機の導入だ。
それまでは、そうするしかないため原稿用紙に書いていたわけだが、「書く」という作業はわずらわしい。物語の創作は「作品を考える」ことと、「考えたことを書く」という作業を併行して行わなければならないわけだが、作者としては「書く」方の労力をできるだけ軽減して「考える」ことに集中したい。「考え」のスピードに追いつくために走り書きのように書き進めると、後に清書しなければならないし、推敲の際に下書きの汚い字を見ると内容も雑に思えてきたりして気分もよくない。なんとか下書きを完成しても(その時点で原稿用紙はゴチャゴチャしているので)、清書しなければならない……。時間をかけて清書した後、読み返して直したい箇所がでてくると、修正もやっかいで、新たに書き直したり切り貼りをするなど、かなり面倒な思いをしていて、こうした作業が大きな負担だった。
なので、原稿用紙(に書く作業)から解放されるということは画期的であった。文章を加えたり削ったり入れ替えたりの変更(推敲)が自由自在に行えるのでストレスがかなり軽減した。ワープロは自分の文章を「あこがれの活字」にして表示、出力してくれるのも気持ちもよかった。
夢の機械・ワープロを使えば簡単な版下を作ることもできる──そう考えて、同人誌ならぬ個人誌を不定期で気ままに作り始めた。

個人誌《チャンネルF》



出力した版下をコピーし、ホチキスで綴じただけの簡易個人誌《チャンネルF》(Vol.1は1987年12月1日発行)↑。《チャンネルF》の《F》は、《Fantasy》《Fusion(現実と幻想の「融合」という意味で)》《FUSHIGI》の《F》。「心のチャンネルを《F》にチューニングする」──という意味で、第1号の表紙には(ラジオの)チューナーを模した図案を描いている。冊子形式の個人誌《チャンネルF》とは別に瓦版的な──版下をコピーしただけの個人紙《チャンネル☆F通信》↓も作っていた。


当初は童話・小説・ショートショート・エッセイ等の文芸色が強かった個人誌《チャンネルF》だが、その時々に興味のあることについて記したり、今のブログに近い形になってきた。といってもブログに比べれば手間もかかるし、できることも限られていたが……。
その気ままさからラクガキ的要素が一気に強まったのが、第9号のパロディー・ヒーロー対決だ。友人・某が同人誌時代に楽屋落ち満載のヒーローもの──当時の同人仲間達を揶揄し引き立て役にして自分が正義のヒーローとして活躍する小説シリーズを書いていたのがきっかけだった。これに対抗して僕が書いたのがミラクル☆スターだった。


ミラクル☆スターのネーミングは、元祖・某のヒーローが「スーパースター」を名乗っていたので、「スーパー」に対抗するスターにしようと考えたもの。アメニ『天才バカボン』で、バカボンのパパがミラクルマンに変身(したつもりになる)──という回があって、これにならって(?)「ミラクル」を採用、《チャンネルF》第9号に初登場させた(当時の表紙はモノクロ。色は後にパソコンでつけたもの)。
この楽屋落ちヒーローものにさらに参戦する友人が現れ、三つ巴の小説対決合戦となり、《チャンネルF》第10号で『ミラクル☆スター 復活篇』を書くに至ったしだい。
ラクガキ小説として誕生したミラクル☆スターだったが……あろうことか、実写版へとエスカレート。当時、里山の小動物や昆虫等を撮っていたビデオカメラを使ってパロディヒーローものが作れないか──と考えた。試作として1人でロケを敢行。三脚に固定したビデオカメラの前で、変身ヒーローと怪人(某)の二役を演じ、編集で闘っているようにみせようというもの。今ならパソコンで合成などもできるのだろうが、当時はビデオ機器を繋げてのダビング編集で、カットのタイミングを合わせるのに苦労した。


こうして作った実写版ミラクル☆スターは、当初、内輪のネタがわかる同人仲間ら数人~十数人程度に見せるつもりでいたのだが……ひょんなコトから、TBSテレビの映像作家発掘番組『三宅裕司のえびぞり巨匠天国』(通称『えび天』)で紹介され、多くの人が見る《場》で披露されることとなったのであった。


この『三宅裕司のえびぞり巨匠天国』は自主制作映像作品をテレビで紹介するは番組だった。今でこそYouTubeなどで個人が撮った映像を投稿したり他の人たちの作品をいくらでも見ることができるが、当時、一般の視聴者が見ることができる映像作品はテレビや映画等の限られた商業メディアにほぼ限られ、アマチュアが作った映像作品を視聴できる機会は皆無に等しかった。ビデオカメラは普及していたが、子どもの成長を記録するとかプライペートな利用がほとんどだったろう。そういった時代に、アマチュア映像作品を見せるテレビ番組『えび天』は新鮮だった。
『えび天』出演を果たしたことで、個人誌《チャンネルF》でも実写版ミラクルスターを紹介したいところだが、映像作品を紙媒体に載せることはできない。ということで、かわりに(?)別冊・臨時増刊号で『ミラクル☆スター秘密大百科』という特集を組んでパロディ・ヒーロー対決にダメ押し。番外編の実写版ミラクル☆キッドを撮って、『ミラクル☆シリーズ秘密大百科』に至った。


というふうに暴走した個人誌《チャンネルF》だったが、その後は飼育中のフェレットを取り上げるようになる。


ペット雑誌の取材を受けたり、フェレットの記事を書いたり、フェレットの飼育書のイラストコラムを描かせてもらったこともあった。


14号・15号・16号とフェレット漫画が続くが、14号の『フェレットinジャケット』と15号の『ふぇレッツ・ゴー』は、ペット漫画雑誌《ハムスター倶楽部スペシャル》の新人まんが大賞に応募していた。『フェレットinジャケット』は《第6回》の回し車賞+編集部期待賞受賞を、『ふぇレッツ・ゴー』は《第7回》のハムスター賞を受賞。ともに《ハムスター倶楽部スペシャル》に掲載された。


ハムスター賞を受賞した『ふぇレッツ・ゴー』は、不定期連載されることになった。昔は4コマ漫画などをラクガキていどに描いていたことがあったが……フェレット漫画に関しては「マンガとしての面白さ」の追求をするというスタンスではなく、あくまでも「フェレットの面白さ」を描く実録漫画としてとらえていた。
このフェレットの散歩中に出会う昆虫たちを調べるようになったのがきっかけで、昆虫に関心を持つようになっていく。

個人誌《チャンネルF》からブログ《チャンネルF》へ…

やがてワープロ専用機が絶滅し、パソコンにとって変わられる頃には、《チャンネルF》は休止状態になっていた。電子会議室に出入りするようになり、その後Yahoo!ブログを始めるようになって、個人誌ではできなかった実写版ミラクル☆スターの動画を載せたり、カラーイラスト・写真などをふんだんに盛り込んだりして利用してきた。個人の「情報発信の《場》」として、ブログというツールはとても優れており、個人誌とは比べ物にならない。このあたりのことは【Yahoo!ブログの可能性】という記事でも記している。また、関連記事をリンクでまとめ、すぐに開けるようにセットできることもブログの便利な点だ。
そんなわけで(個人誌《チャンネルF》に代えて?)Yahoo!ブログで10年近く記事を投稿して来たわけだが……Yahoo!ブログは今年12月に終了するという。他のブログへの移行ツールを準備中ということだが、どんな形でこれまでに蓄積してきた記事が引っ越しできるのか気になるところ。便利なので多用してきたリンクが引っ越しでURLが変わることで切れてしまうとすると大事た。全て修復しようとすれば膨大な時間がかかるだろう……。
ブログというのは便利なツールだが、こうなると、なかなか厄介だ……。

移行先ブログを探す過程ではてなブログを試しているところだが、長らく中断していた《チャンネルF》のブログ版──新たな発信の《場》として使えるかどうか……思案中。

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コメント

No title
星谷仁讃江

やっとこの歳
70歳になって
この世は面白い
と、
その入り口に立った感慨ですよ( ^ω^)・・・
星谷仁さんの今回の読み物を
読ませてもらい
技術は宝
技は才能
そして、勝利に必要なのは
志と努力と運
なのだと
実感致しました・・・(;´Д`)
人間・男に必要なのは
運、これは環境とでも・・・
仕方がない面もありますね
・・・(^_-)-☆

にがお絵和尚より
No title
> にがお絵和尚のチープディープ日記さん

恐縮デス……。
とりあえず、自分がおもしろいと思ったことを色々やってみよう──という感じで来たような。
これを使って何か面白いことができないかな……というコトは。よく考えています。
No title
あー!痛い!(りんご!!)

そう考えると「聖書を石版で印刷して世の中に広めよう!」と思った信者は相当ですね。
No title
> はにわ☆ぽちさん

ちゃんとリンゴには命中しているんだけど……こうしたブラックユーモア的なオチがけっこう好きだったりします。

昔は、他者に伝えること・発信することが大変だったように思います。
今では誰でも簡単に発信できるので、バカげた炎上が頻発していますが、インターネット以降の人は、発信できることが当たり前の感覚なのでしょうね。
No title
返信ありがとうございます。
多分ですが、人間はものぐさなあまりにそのうちテレパシーが使えるようになるのです。
その時、殺伐した感じにならないよう、今試験してるってことなんだと思います。
炎上を引き起こしてしまうのは、人間の脳がこの新しいツールにまだ慣れていないからなんだとか。
第二次世界大戦以降人間はとにかく何かに急かされていますので、そのうち何が間に合ってないんだか間に合ってるんだか判らなくなるのかもしれません。
シットコムなんかでシュールでブラックな笑いがよく使われてますよね。
発作を起こしてる人に「大丈夫?」って聞くと
「死にかけてるからね」って返ってくる・・・
No title
> はにわ☆ぽちさん

技術の進歩のスピードにヒトの脳味噌がなかなか追いつかない感じはありますね。
新しいツールをきちんと使いこなすまでには時間がかかる……ネット文化のリテラシーも確立・浸透するにはまだ時間がかかるのかも……。

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