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昆虫の何に魅かれるのか?

昆虫ブログのつもりで始めたわけではないのだが、昆虫に関する記事がだいぶ貯まってきた。昆虫は姿や生態それ自体もおもしろいが……それをどうして面白いと感じるか──という自分の認知についても興味がある。そのあたりのことを少し記してみよう思う。

昆虫の何に魅かれるのか?
~好きな理由・嫌いな理由~Part1~

僕は虫屋ではないが、子どもの頃には夏になるとよくカブトムシを捕りに行った。見つけたときの「!」感も忘れられないが、早起きをして雑木林でゲットしたカブトムシやクワガタを、部屋の中でじっくり眺めるのも好きだった。お目当てだった虫をのぞきこんでいると、それを探し歩いたことが夢のように脳内に再生される。明け方の雑木林・甘酸っぱい樹液のニオイ……樹液がしみ出すクヌギ幹に目的のモノがしがみついている姿を見つけたときの感動と興奮──そんな光景を思い返しては不思議な気持ちにひたったものだ。
虫とりから帰還した《僕の住む世界》──部屋という人工空間でながめるカブトムシは、《全く違う世界からやってきた存在》感をかもしだしていた。

ヒトは人工物に囲まれ──いってみれば、《ヒトの言語》で描かれた世界の中で暮らしている。慣れ親しんだ部屋は直線や平面で構成され、置かれたもの──人工物も単純な形でデザインされがちだ。曲線や曲面があっても曲率が一定であったり変化率が一定であったり、やはり単純な形になりやすい。しかし、捕ってきたカブトムシは《全く違う様式》でデザインされている。とても複雑な形をしている……しかし複雑でありながら決して無秩序なわけではない──不思議な調和を感じさせるデザインで独特のカッコ良さがある。「よくこんな形が実現したものだ」と感心せずにはいられない。しかも、これがまるで意志をもっているかのように動く──何のために作られたのか知らないが、ちゃんと自己活動の機能を備えている。これはもちろんヒトが作ったものではないし、ヒトが作れるものでもない──製造者も製造目的もわからない人智を超えた精巧な自家繁殖型ロボット!? いったいどうして、こんなものが誕生したのか……自然の創造物(《自然界を構築している言語》によって描かれたもの)に対する神秘性・畏敬のようなものを子どもながら漠然と感じていた。
人工物(《ヒトの言語》で描かれたもの)とは全く異なる様式の存在──《自然界を構築している言語》のようなものの存在を理屈ではなく、うっすらとながら実感していたように思う。

ヒトは自分たちが住みやすいように環境を改変してきた。自然環境を構築してきたフォーマットを全く別の《ヒトの言語》に書き換え、人の支配下に置いて制御しようとしてきたとも言える。人工環境の中で生活していると、《ヒトの言語》以前に《自然界を構築している言語》があったことを忘れてしまいがちになる。しかし、生物としてのヒトを創ったのは《自然界を構築している言語》に他ならない。ヒトは生物として進化し脳を発達させ、その末に自意識に目覚め、《ヒトの言語》を獲得した。そして《ヒトの言語》で世界を見る(認識する)ようになった──構図としては《ヒトの言語》は《自然界を構築している言語》の下位末端に派生したローカルなフォーマットにすぎない。
進化の末端で生まれたローカルな《ヒトの言語》は、例えてみれば、銀河の中心から外れた小さな星(地球)に生まれた我々と同じ。そこは《全体》からすれば辺境の地なのだが、そこで覚醒したヒトは、そこが中心・基盤であるかのように認識してしまいがちになる……これは《天動説》的視点なわけだが、自然物を見、その背景に《自然界を構築している言語》を感じること、《上位の根幹的言語》の存在を再確認することで、《天動説》的世界観を《地動説》的世界観に修正することができるのではないかと思う。

《ヒトの言語》で構築された世界の中どっぷりつかって《ヒトの言語》至上主義に染まってしまうと、《自然界を構築している言語》を忘れ・拒絶するようにもなりかねない……その端的な現象の一つが、虫を見て「コワイ」「キモイ」と拒否感を示すことではないか……という気もする。そうならないうちに──子どもの頃から昆虫などの自然物に接すること──《上位の根幹的言語》の存在を感じることは大切なのではないかと僕は思っている。

昆虫に対する興味や好奇心の本質は、「《ヒトの言語》ではない《自然界を構築している言語(フォーマット)》をかいま見ること」に起因しているような気がする。単純な言い方をすれば「自然が創りだしたものはスゴイなぁ」と感じること。昆虫の姿(生態も含めて)は、複雑系の中で生まれた均衡の結果──《自然の言語》の結晶ともいえる。
小さな昆虫を通してその背景に、この世界を構築した(《ヒトの言語》よりも上位の根源的な)《自然界を構築している言語》を感じること……これは自然物でもあるヒトにとって大きな意味があると僕は考えている。


*虫はなぜ毛嫌いされるのか?

https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-709.html

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コメント

No title
こんにちは・・・
星谷さんの、熱い想いがこもったエッセイを拝読させて頂きながら・・・
「と言うことは、私が、小学生時代に持った(擬態する昆虫の姿への熱い想い)も、あながち、間違ってはいなかったのかな!?」と感じました。
幼い子、小学生などに、昆虫の魅力を分かってもらうには、先ずは、影響する、取り巻く環境、大人(教師・親)の感性が大きいと想います。
今や、教師自体が「虫は気持ちが悪い生き物」・・・ですからね・・・
いやはや・・・嘆かわしいかぎりです・・・☆
No title
> 今日も、こっそり自然観察!さん

「擬態」も自然がうみだした神秘の一つですね。しかしながら、そんな昆虫も人によって好き嫌いが大きく分かれる存在。
昆虫自体にも興味はありますが、その感じ方が人によってずいぶん違うということも、僕にとって不思議なことで、あれこれ考えてしまいます。
今回はそのPart1ということで。
No title
星谷仁 讃江

ブログに書かれた通りでしょうね
和尚の昆虫採集マニアとの遭遇は
18の時
岐阜市の名和昆虫館を訪ねた・・・
そこにあった展翅された膨大な昆虫もさることながら
そこで出会った三代目?の名和氏と
親しく話込んでいた若い客人の会話に
ほーと、
郡上山奥の人らしく
この前ニューギニアでと・・・(@_@)
すっごい事を話していた。
羨ましいを飛び越えて
愉しかったのを覚えています。

らく画きにがお絵和尚より
No title
> らく画きにがお絵和尚の日記さん

名和昆虫館ですか。カブトムシが樹液に集まるがごとく(?)、虫屋さんが集まるスポットもあるのでしょうね。
虫屋密度が高い場所では、互いに影響しあって「虫屋度」がより熟成(?)していくのではないか……なんて気もします。

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