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標本箱がコワイ!?~虫の知らせ




昆虫の標本箱がコワイ…!?

虫屋さんのスゴイところは色々あるが、採集の苦労もさることながら……得た昆虫をひとつひとつ手間をかけて標本にし、きちんと管理しているところだ。怠惰な僕にはとてもマネできない。ラベルのつけ方には学術資料としてのルールがあるようだが、ポージングについてはそれぞれの虫屋さんの好みや考え方で色々な流派(?)があるらしい。また標本の並べ方などにも見映えやスペースの効率性など、虫屋さんによって選抜・配置には工夫がほどこされているようで、虫屋さんの個性や美意識が反映している。オフィシャルな学術的価値とはまた別に、それぞれの虫屋さんの技術の粋を結集した「作品」という芸術的側面もあって、標本および標本箱はおごそかなオーラを放っている。

僕は虫屋ではないので標本は作らないし持ってもいない。それでも昆虫に興味はあるので生体に触れたりすることもあるのだが……実は標本には怖くて触れることができない。昆虫標本を目の当たりにする機会があっても、ビビッてしまい手を触れたことは1度も無い。というのも、触れた瞬間にポロッと脚や触角が落ちてしまったら、どうしよう……という不安があるからだ。虫屋さんが情熱と技術の粋を結集した貴重な「作品」を壊してしまったら一大事だ。

一般民間人の僕の感覚でいえば……昆虫が死んだ後、何年も何十年もその原型をキープし続けているというのが、そもそも信じがたい。野山には毎年たくさんの昆虫が発生し、死んでいるはずだが、虫の死骸だらけにはならない。死骸は順次分解されてしまうからなのだろう。野外ではほどなく分解される虫の死骸が、標本箱の中では何年も何十年も原型をとどめている──というのがフシギでならない。甲虫類などの固い装甲は残りやすそうな気もするが、関節などの可動部分でポロッと脱落してバラバラになっても、ちっともおかしくない。生体でも脚が取れたり触角が切れたりすることがよくあるのだから、死骸ともなれば、たやすくポロッといきそうな気がする。

実際に展示されている標本箱の中で、体の一部が欠けたり、針から外れて箱の底に落ちている標本を見たこともある。展示してあるだけで壊れることがあるのだから、触れたりすればそのわずかな振動で脚がポロッと落ちたりすることは大いにありそうでコワイ。標本箱をのぞき込む時はつい息を殺してまいがちになる。奇跡的に形を保っている標本は壊れる機会を今か今かとうかがっている気配すらしないでもない。不用意に屁でもひったら、その音でポロッといきかねない気もして、とても油断ができない……。

死骸なのに長い間原型をとどめているなんて、とても尋常ではない──これを実現しているのは「永遠にこの姿を定めておくべし」という虫屋の神通力が標本作りで込められているからではあるまいか? その(略して)「永・定(えーてー)フィールド(特殊バリア)」のような神通力が死んだ昆虫を保全しているとしか思えない!? 考えてみれば、虫屋の研ぎすまされた精神集中の中で行なわれる標本制作作業──その亡骸に展翅・展足の整形針を1つ1つ立てていく作業は黒魔術(?)の儀式のようでもある。虫屋は意識せずともこの怪しげな(?)儀式を経てA.T.魔術を実践しているのではあるまいか……? そんな妄想がわき上がる。

今回は標本ネタということで冒頭には標本っぽい(?)画像を並べてみた。マルスゾウカブトは標本ではなくレプリカ(『世界の昆虫 DATA BOOK』4号付録)。ホウセキゾウムシの一種はアクリル樹脂標本のキーホルダー(インセクトフェアで購入)。シャチホコガの幼虫はイモムシストラップコレクション(*)のフィギュアを使って撮影したもの──これならば「ポロッ」の心配は無いし、面倒なメンテナンスの必要もないので安心して持っていられる。

さて──、《昆虫標本は虫屋の神通力(永・定フィールド)によってキープされているのではあるまいか》という着想から展開した妄想イメージの概要を掌編風に記しておく。一人称で記すが「私」は想像上の人物で、僕ではない。



虫の知らせ

仕事上必要な資料が見つからず家捜ししていると、棚の奥から昆虫の標本がでできた。昔、虫屋の友人Aからもらったものだった。私は虫屋ではないので贈られた時は内心当惑した。しかし「彼にとって大事な物を譲ろうとしている」というAの気持ちに友情の深さを感じて、ありがたく受けたものだった。
標本箱はほこりを被っていたが、収められている昆虫は、もらっときと同じ姿でいる。放置しておいたのに死んだ昆虫が「当時のまま」でいることに驚きがあった。頻繁に会っていた頃、Aの部屋でたくさんの針を立てられた昆虫を見たことを思い出した。標本作りの過程で、昆虫の姿勢を整えるための針だと言う。私が手にしている標本も、彼が丁寧に一本一本針をさして形を整えたのだろう。Aがおごそかにその作業をしている姿が思い浮かび、手入れもせずに放置していたのにきれいな姿を保っているのは、彼の神通力がこめられていたからではないか……などと考えたりする。そんな標本をぞんざいに扱っていたことにいささか罪悪感を覚えた。
本来であれば標本はきちんと管理していなければならないのだろろうが……メンテナンス方法については聞いていなかった──いや、聞いていたが忘れていたのかもしれない。近いうちに標本管理のことも含め、久しぶりにAと連絡してみようと思い、発掘した標本を机の上に置いて、資料発掘に戻った。資料は30分後に発掘された。
翌日、机の上の標本を見ると、なんと虫の脚が1本脱落していた。棚の奥で放置されている間は変化が無かったのに、机の上に移動して温度や湿度が変わったせいだろうか……一晩で壊れてしまったことが意外だった。
修復の方法があるのか──メンテナンスの方法とあわせてAに聞いてみようと、久しぶりに電話をかけると、Aの家族が出てAは昨夜、急死したという。Aの標本が壊れたのとAが逝ったタイミングの一致に鳥肌が立った。虫の脚がとれたのは不吉な予兆ととれなくもない。これを「虫の知らせ」というのだろうか。
この標本にはやはり彼の神通力が込められいたのではないか……彼の死でその神通力が効力を失い標本がくずれたのではないか……私には、そんなふうに思えてならなかった。


*怪虫シャッチー(シャチホコガ幼虫)イモコレ!2に!

https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-353.html

■ぷちホラーな幻想(妄想)を記した記事
・キリギリス幻想

https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-212.html

・フォト怪奇譚『樹に宿る眼』
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-320.html

・巻貝が描く《幻の地図》
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-564.html

●昆虫など~メニュー~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-902.html

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コメント

No title
不思議な出来事があるもんですネッ!

お友達に合掌!
No title
> 森のゴンズイさん

あ……最後の『虫の知らせ』はフィクション(妄想イメージ)です。
昆虫は、その生態も想像力を刺激しますが、標本になっても妄想力(?)を刺激するということで……。
No title
「私は」想像上の人物で、僕ではない・・・

この一文に、妄想物語を想いました・・・
が、現実を想わせる物語に、背筋がゾクッと(それでなくとも冷たい時期の上に)冷たく成りました!
想えば、(虫)の言葉は、(はらの虫)などにも使用される様、人間社会と密接な関係がありますね!

虫の知らせ・・・
私は、それって、確かに(ある!)様な気が致します。
虫には、それだけの・・・只ならぬ力が潜んでるように思えてなりません・・・☆
No title
> 今日も、こっそり自然観察!さん

最後の『虫の知らせ』は、「こんな話があってもいいんじゃないか……」という妄想イメージを簡単にまとめたものです。
虫の少ないこの時期、フユシャク・ネタが続いていたので、ちょっと目先を変えたものも……ということで、標本ネタを投稿してみました。

「虫の居所が悪い」もそうですが、「虫」はちょっと面白い使われ方をすることがありますね。

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