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読書感想文の解答マニュアルに疑問

読書感想文の解答マニュアルに疑問

小学校は夏休みまっただ中のようだが……読書感想文の解答マニュアルを配布した小学校があるというニュースを知ってビックリ! 激しく違和感を覚えた。

■小学校が読書感想文の解答マニュアル配布 「基礎教えるのに良い」「個性育たない」と賛否
http://news.ameba.jp/20160808-1149/

この記事によれば、問題の読書感想文の解答マニュアルには──、

書き出しでは小説の一部を抜き出し、自分の考えを書く。次いで本を選んだきっかけや読み始めたときの感想を書き、自分の体験を書く。最後に書き出しの部分に戻り自分がどう変わったかを書く、といった流れが説明されている。

──とのことだ。「これに従順にならえば恐ろしく画一的な感想文がいっせいに提出される」との懸念を紹介する一方、「例え従順に習ったとしても感じたことは千差万別になる」と、マニュアル解答を容認する意見も紹介されていた。
批判もあるが、解答マニュアルを支持する意見も意外に多いようで驚いた。
こうしたことに違和感を覚えたので、僕の意見を記しておくことにする。

読書感想文を書く本来の意義は、本を読んで自分がどう感じたかをまとめ文章に記すことだろう。つまり「自分の考えを《自分の頭で》整理する」ことに意味がある──僕はそう考える。
本を読む前から、模範解答の雛形を意識すれば、当然マニュアルに沿った読み方をするようになってしまう。つまり雛形の「穴埋め部分」を探すような方向に意識が誘導され、「定型化したまとめやすい作為的な感想」に流れやすくなるだろう。これでは「自由に感じ・考える」ことが阻害され、さらに「自分の頭で論脈を組み立てる」能力も育たない。

本を読む前から用意されている定型の枠組みをたよりに読書をし、雛形の穴埋めをするようにして書かれた「感想文」に、どれだけの価値があるのだろう?
これは例えて言えば絵画の時間に、塗り絵(枠)を配って「色はおのおの塗ってください」と言っているようなものだ。

このニュースに対して「定型文を教えるのは悪いことではない」「基礎を教えるのに良い」というような好意的なコメントも多いようだが、読書感想文を書く意義は、「要領よく書くノウハウ」を学習することではないだろう。くり返しになるが「自分の考えを《自分の頭で》整理する」ことにあるはずだ。

このニュースに対する所感を某SNSで記したところ、一つの見方として《日本では文章の書き方(ひいては論文の書き方)や手紙文の書き方と作法、ノートの取り方などを教えてこなかった。それが理由で非効率的な我流蔓延となりロス率が高いという議論もある》というようなコメントを頂いた。

「読書感想文」にせよ「手紙」にせよ……「自分の考えを《自分の頭で》整理する」能力が身についていれば、手本などなくてもきちんとしたものが書けるはずだ。「定型文の書き方」としてマニュアルを教えれば、それなりに体裁の整った(ように見える)ものが手っ取り早く書けるようになるかもしれないが、最初から既存の枠組みを利用していたのでは「自分の考えを《自分の頭で》整理する」能力は育たない。《非効率的な我流蔓延》があるとすれば、その原因は「定型文の書き方(効率的な書き方)」を教えてこなかったことではなく、「自分の考えを《自分の頭で》整理する」能力を育ててこなかったことにあるのではないか。
自分の考えをきちんと論脈を組み立てて説明できる能力を身につけていれば、読書感想文であろうが手紙であろうがレポートであろうが、「理路整然とした《効率的》なもの」が書けるはずだ。むしろ、雛形にたよらずとも自力で考えを整理する能力を育てることが大事なのだと僕は思う。

ああでもない・こうでもないと思いを廻らせながら「考える」能力を身につけるのは、その時点では《非効率》かもしれない。しかし、それは自力で《適切》な判断を身につけるために必要なプロセスのはずだ。「自分で考え・まとめる」訓練をすべき子どもの頃から、(脳味噌に楽をさせる)マニュアル(定型雛形)だよりの思考を推奨してどうするのだ──このニュースを読んで、そう感じた。


インターネットが普及し、SNSやブログ、Twitterなどで、色々な意見や批判に接する機会が増えたが、「自分の頭できちんと論脈を組み立てて考えているのか?」と疑問に思うことがとても多い。
誰かが提唱した(?)短絡的でわかりやすい構図(マニュアル)に洗脳され、その構図に物事を当てはめて「考えた」つもりになっていると思われる人が少なくない。本来なら個々の事象について、そのつど、問題の本質がどこにあるのか考え・見極め・整理し・論脈を組み立てて主張すべきなのに、論脈なき主張&批判が多すぎる。
定型化した雛形構図にあてはめて物事を判断する「思考の短絡化」──これはもはや「思考」というより、雛形構図の(既成解釈の)「選択」にすぎない。その選択が、とんちんかんな意見も散見されるが、「自分の考えを《自分の頭で》整理する」ことができない人にはそれが的外れであることが自覚できない(その雛形構図をあてはめた時点で、その判断が妥当だと思い込んでしまう──「形」が問題なのに「色」を見ていたり、「重さ」を量らなくてはならないのに「長さ」を問題にしていることに気がつかない)。

小学校側が配布した読書感想文の解答マニュアルは、こうした「既成マニュアル(定型雛形)だよりの思考能力の低い人間(自力で論脈を組み立てることができない人)」をつくることを後押ししているように感じられてならない。こうしたマニュアルを配布したということは、その学校も、やはりマニュアルに則した評価しかできないのだろう。
こうしたことを考えると、学校で(教育課題として)読書感想文を書かせることに意味があるのだろうかと懐疑的にもなってしまうが……学校での採否の是非とは別に「読書感想文」の意義について、思うところを記してみたしだい。

他人が用意したお手軽な雛形に頼って効率的に課題を消化するノウハウを学習するよりも、手探りで「自分の考えを《自分の頭で》整理する」訓練をすることの方がはるかに重要だ──読書感想文を書く(書かせる)教育的本質はそこにあると僕は思う。



●こども心にひっかかった《ひろすけ童話》の【善意】
(『泣いた赤おに』ほか感想)

https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-370.html

■エッセイ・雑記 ~メニュー~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

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コメント

No title
驚きました・・・
今や、ここまで(人はマニュアル化してきましたか!愚かしい事です)
記事を拝読しながら、(センター試験)が頭をかすめました。
あのマークシートを利用した試験も、用は、如何に多くを記憶し要領よく応えて(線を引いて行くか!)が問題に成ってきますよね!
笑えるわ~~~!
そこには、大学の個性も何もない!
只、ひたすら記憶し要領よく線を引いていくだけ!
「そんなことしてて、思考力は育ちますか?」(まあ、二次もあるのでしょうけれど)
感想文、文章の構成を指導したければ、子供達にひたすら読書を促し、独自の感想を書かせ、教師が丁寧に添削し、「文章の構成を一人一人に丁寧に、或いは一人の感想文を例にとって丁寧に指導すべきですよ」・・・
少しは、要領の良い生き方ではなく、思考を育てる教育をして頂きたいものですね!!
No title
自力で論脈を組み立てることもできないし、かといって与えられたマニュアルに沿って文章を組み立てる能力もない私のような人間は。。もう場外ですね。

解答マニュアルはおそらく。。審査をする上での効率を一番に考えての配布なのかなあ。。なんて気がしてます。(ー。ー)R
No title
> 今日も、こっそり自然観察!さん

学校側がわざわざ解答マニュアルを配布したということに驚きました。
これを支持する人が多いことにまたビックリ。

以前も記した事がありますが、じっくり「考える」べきところをお手軽に「選択」で済ませようとする風潮(?)に危機感を覚えます。
自分の考えをまとめる事ができない人は、それが正しいのか否か検証することもできません。
特に子どもの教育では、手っ取り早く課題をこなす事より、じっくり「自分の頭で考える」ことが、もっと大切にされ評価されるべきだという気がします。
No title
> 名もない小島さん

学校側が解答マニュアルを配布した理由は、あるいは「見かけ上の成績を上げるため」(生徒に模範的な感想文を書かせることで教師や学校の評価を上げるため)──つまり(教育効果よりも)学校側のメンツのためなのだろうかと疑いたくもなります。

読書感想文は、本を読み、感じたこと・考えたことを書くのが本来のあるべき形のはずなのに、本を読む前に模範の鋳型を準備しておくなど、ちょっとアンフェアな印象もないではありません。
No title
そういえば、読書感想文の書き方を学んだことはないですね。戦前の話しなら少しはうなづけますが・・
読書感想文が画一的になり、個性のないものになってしまわないか心配です。
夏休み、感想文を書かなければならないプレッシャーに押しつぶされながら本を読んだ記憶がよみがえりました。自由に読書の方が楽しいです。でもよほどの感動を受けた場合は、自ずとスラスラ文章が出てきたことも思い出しました。
No title
読書感想文というのは、《その本を読んでどう感じたか、どんなことを考えたか》を自分なりにまとめる──本来、そういうものだと思います。読書をして感じたことが先ずあって、それをどのように意識化し整理して文章に記せばいいのか──という順序で作文作業が行われます。
それが読む前から他人が作った鋳型(マニュアル)を用意し、それに感想を流し込む方式(?)──という発想にあきれました。このマニュアルには、作成した人(教師?)が《読書感想文に求めているもの》がうかがえますが、浅はかで、本来の《読書感想文》のあり方から脱線しているように思えてなりません。

「読書感想文のために本を読む」というのは、本末転倒のような気もしますね。僕は本来、「《読書》は《遊び》であるべきだ」と考えています。

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