FC2ブログ

時はどんどん加速する

時はどんどん加速する

気がつけば7月も下旬。ちまたでは小学校など夏休みに入ったようだ。
小学生だった頃、「40日《も》ある」夏休みは長かった。1学期が終わり夏休みに突入した時は開放感でウキウキし、この長い長い休みにやがて終わりがくるなどとは、とても想像できなかった。夏休みの課題(宿題)があったかどうか覚えていないが、学校が再開する2学期のことなど遠い未来の果てことのように思われ、そんな先のことまで心配する気にはなれなかった!? 夏休みが終わる頃になると、夏休み前に課題(宿題)が出されたのかどうか……そんな遠い昔のことなど思い出せるわけもなく……当時の「40日」はそれほど長かったわけである。
ところが昨今の「40日」はあっという間だ。《歳をとると時間の経過が早くなる(ように感じる)》というのは誰もが経験することだろう。この《時間の加速感》については以前記したことがあった(*)。

例えば5歳児にとっての1年はそれまで生きてきた人生の5分の1に相当する。しかし50歳の人にとっては人生の50分の1に過ぎない。歳をとると、それまで生きてきた《人生時間》が増えることで、それに比較して単位時間が短く感じられるようになる──ということはあるだろう。「分子」の単位時間は同じでも、「分母」の《人生時間》が増えることで、値が《目減りする》という構図だ。

さらに言えば、「分子」が【単位時間】ではなく、【余命時間】であると考えると、《目減り》率──《時間の加速感》はぐっと増す。余命時間とそれまで生きてきた人生時間の比率は、読み始めた本の未読ページ数と既読ページ数の割合のようなものだ。
読書をしていると、読み始めは既読部分に対して未読部分が圧倒的に多いのに、半分を過ぎた頃から、残り頁の割合がどんどん加速的に減っていく感じがする。
例えば400ページの本の場合、最初の10ページを読んだ時点で、そこは全体の40分の1。まだ既読部分の39倍が残されている。しかし残すところ10ページまで読み進めば、残りは既読部分のわずか2%半ほど。同じ10ページでも読み始めと読み終わりで既読量との比率には大きな格差が生じる。ヒトの人生もこれと同じように、子どもの時の10年と晩年の10年では人生比率に大きな格差を感じる──そういうことなのだ考えると納得できなくもない。

最近はとみに早く感じられるようになった時間……。「あれっ!? 今年はクリスマスが来るのが去年より1ヶ月半くらい早いんでないか?」とか「今年は去年より2ヶ月くらい短かかった気がする……」などと首をかしげたくなることもしばしば。油断もスキもあったものではない。

物理的には均一に流れているはずの時間だが、歳をとるにつれてその比較から目減りして感じる──そうしたことは、あるだろう。さらこれとは別に、記憶力の低下による《主観的な時間》の加速感もあるに違いない。つまり1年の間に蓄積される記憶総量(覚えているイベントのボリューム)が、歳をとってくると記憶の低下によって目減りしてくる。そして記憶の欠けた分だけ少なく→早く過ぎたと感じるわけである。
また、若い時に比べて新陳代謝が落ちたことで(時間を計る化学反応が緩やかになったことで)《主観的な時間》が短く感じられるようになった──なんてこともあるかもしれない。

さて、この《主観時間》が、こんな調子でどんどん加速していったら、この先いったいどうなるのだろう……。
「去年は一昨年より1ヶ月半くらい短かった」「今年は去年より2ヶ月くらい短い」という感覚がエスカレートして、「《主観時間》が年々削られていって、前の年の半分に感じる」ようになったとする。
1年目に対して、2年目は半年・3年目は3ヶ月・4年目は1ヶ月半……という割合で《主観時間》が目減りしていったとすれば、2年目以降は、どんなに長生きしても──たとえ1億年生きたところで、その累計《主観時間》は「1年」を越えることはない。
もちろん、これは単に数学的なお遊びだが……《主観時間》が年50%になれば、たとえ物理的に(数学的に?)無限に生き続けたとしても《主観的》にはトータルで(2年目以降は)1年を越えられないのである。

ところで、《主観時間》側から見て《客観的(物理的)時間》が加速して感じられるということは、逆に《客観的(物理的)な時間》の側からみれば、《主観時間》の進み方がスローダウンしていることになる。
脳みその処理速度が遅くなり半分になれば、それまで1年かかって処理(実感)してきたものが、その半年分しか処理できなくなる。《主観時間》側からすると「かつての1年が今の半年!」的ボリュームで、時間の経過が倍速化して感じられるが、これは客観的に見れば《主観時間》を計る【時計】が遅れ、針の進み方が半分にスローダウンしたことになるわけだ。

《主観時間》で感じる(客観)時間の加速感は、《主観【時計】》の遅れに他ならない。《主観時間》がどんどん加速を続け、やがて無限に到達すれば……《主観【時計】》は超スローになり、やがて停止する──これが「死」と言えるのかもしれない……。

例えば老衰で死を迎える直前──もうろうとしている状態は客観的には思考速度はかなりスローモーにみえるが、これは《主観【時計】》が超スローモーになった状態で、《主観時間》はかなり加速しているのかも知れない。この《主観時間》のスピードがさらに加速をきわめて無限に到達したとき──すなわち《主観【時計】》が限りなくスローモーになって完全に停止した時──これが「死」だと考えることもできなくはない?
ついでに言えば、ヒトは自分の死の瞬間を《主観的》に知ることは決してできない(死んだ時にはそれを確認する脳は活動していないのだから)。そういった意味では《主観的には、自分の死は存在しない》わけで、《主観的》には時間のスピードが超加速し無限に達すると感じたまま逝くのかもしれない……。
《主観【時計】》が停止した時が「死」だという解釈は、なんとなく納得できる気がしないでもない。

漠然と、そんな想像が展開した。例によって脳内シミュレーション──頭の体操をしてみたしだい。

●時間の加速感

https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-124.html

■エッセイ・雑記 ~メニュー~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

スポンサーサイト



コメント

No title
なるほどね~。関係ないかもしれませんが、好きなことをやっているとあっという間に時間が進みます。きらいな事やっているとなかなか時間がすすみません。
あれも似たような現象?ナイス!
No title
こんばんは・・・
年々、月日の経過が加速してるとは感じてました!
科学的にも、そう感じる事への証明がなされてると聴いた事があります。

記事内の後半部分の「主観時間で感じる客観時間の加速感は、主観時計の遅れに他ならない」辺りから、私の脳内が散漫に成って来ました・・・
(先日、黙読の際、声が聴こえるが云々の話題がでましたね、何度も、主観時間で感じる・・・を、星谷さんの声(想像)で、繰り返しリピートしてみましたが)・・・
私の脳がスロウに回転し、なかなか把握してくれません(涙)

只、記事を読み進めて行くうちに、(死)に対する恐怖感が、和らいできたことは確かです・・・☆
No title
> 四季の風さん

好きなことに熱中しているときは時間が経つのを忘れますね。その時は短いと感じるけれど、後になってふりかえると充実した(ボリュームのある)記憶が残っていたり……逆に嫌いなことをしているときは時間が経つのが遅く感じるのにあとになるとほとんど記憶が残っていなかったり。
時間感覚は心理的なものも含めて、今回記したこと意外にも色々な要素が関係していそうですね。
No title
> 今日も、こっそり自然観察!さん

子どもの頃に比べると、月日の経過の加速感──感じますよね。

後半はちょっとややこしくて判りにくい記述になってしまったかも……。
「1年経つのが早くなった!」と感じるのは、「自分の時計の針の進み方が遅くなった(例えば24時間を12時間とカウントしてしまう)」から──というような意味だったのですが。こんな解釈もできるのではないか……という頭の体操ということで。
No title
子供の頃は、見るもの、聞くもの、感じるもの(食べ物も含め)全てが初めての事ばかりなので、一日は時間的ではなく、感覚の毎日なのですが、大人になるにつれ、目新しいことは少なくなって、感情的にイヤな物、自分の好みのもの、そして…時間に追われる毎日(仕事や約束・期日)なので、毎日を時間で感じるからなのでしょう。
No title
> カメレオンーアームスさん

子どもにも年寄りにも時間感覚はあって、経年変化・格差のようなものはあると思います。
その感じ方については、きっと色々な要素が関係しているのでしょうが、目新しい新鮮な体験か慣れた惰性的体験かで違いが出てくるということもあるでしょうね。
No title
私も幼少期と老年期とに時間の長短の差があることは感じていましたが、ここまで具体的に詳細にしかも死についてまで考えたことはありませんでした。超納得です。
No title
> 佛生山孝恩寺さん

子どもの頃に比べ、大人になってからは時間が経つのがやけに早く感じる──20代くらいから、そんことをこぼしていた気がするのですが、年配の方曰く、「30代、40代になったら、もっと早くなるよ」。はたして「なるほど……」と確認し、多くの人が同じように感じている現象なのだろうと確信しました。
歴然とした現象であれば、そう感じる理由があるはずだということで、思い当たる解釈を考えてみたしだいです。
No title
歳をとってくると、加速するばかりの残り時間が。。切実になってきました。
「分子」と「分母」の関係なんですね。。
過去記事の中の、本を読む時の「未読ページ/既読ページ」の加速感は、
とても分かりやすい例えですね。。。。
後半部分から..私も落ちこぼれたみたいです(泣)、

人生の残り時間を気にする時期を通り過ぎてしまって
記憶と思考の後退の極みで、何も感じなくなれたら
その時が死の時。。だとしたら、老衰は理想的なことでしょうね。。
あ、逸れました、すみません。。R
No title
> 名もない小島さん

20代の頃から時間の加速感を覚えてきたのですが、歳を重ね予想の上をいく加速感にとまどいつつ、その状況を表すのにふさわしい解釈を考え「未読ページ/既読ページ」の例えに到達しました。

後半はちょっと判りづらかったですね……。
人生(生存時間)は有限で、はたから見れば終わりが確認できますが、本人は(主観的には)その有限の終着点を越えることができない(到達することが無い)というようなニュアンスもイメージしていました。
No title
本当に年々時間のすぎるのが早くかんじますよね。。。
本のページの加速度と同じ原理というのはなるほど!と思いました。
環境が変わったり、たとえば転職したり、引っ越ししたり
未経験のことをしはじめると一週間が異常に長くかんじることもありますが
それは、新しい本を読み始めた状態のようなことかもしれませんね。

最後のほうの主観時間と客観時間、
学生時代に本で読んだブラックホールに近づいた場合に起きる現象とすごくかぶっていて
驚いてしまい、そっちが頭にちらついてしまいました。。。
No title
> noriさん

ホントに最近は時が経つのが早くて……昨夏エゴヒゲナガゾウムシを撮るのにねばってヘロヘロになったのがついこないだのようです(笑)。

新しい事を始める時は新たに覚えなくてはいけないことも多いし体験も新鮮だから、その時期の記憶密度が増して……記憶ボリュームが多くなることで長く感じるということもあるかもしれませんね。

最後の「死」の瞬間に主観時計が停止するというイメージは、ブラックホールのシュワルツシルトの壁、特殊相対性理論では光速の壁に突入するときのイメージに近いかも。

管理者のみに表示

トラックバック