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読書中の内なる声!?

読書中の内なる声!?

「読書中に文章を読み上げる声が頭の中で聞こえるかどうか」──そんな話題が少し前にあった。

■本を読むときに頭の中で「声」が聞こえる人と聞こえない人がいることが判明
http://gigazine.net/news/20160225-read-voice-in-head/

この記事によると、なんと8割以上の人が「《声》が聞こえる」そうで、これには大いに驚いた。というのも僕は《読書中の内なる声》など聞いたことがない──それが当然だと思っていたからだ。
さらに、ふだん物事を考える時にも頭の中で《声》が聞こえている人がいるらしく、これにもビックリ。

考えてみれば、読書や思考など「頭の中で行っている作業」は、その人本人しかわからない。だから、他の人も(自分と)同じだろうと思い込みがちだが……人によって脳みその使い方(?)には違いがあるのかも知れない。

僕の場合、読書している時は人名・地名・生物名などの固有名詞は字面──文字列が視覚的な記号として認識されていて、いちいち音声には変換されない。漢字の固有名詞は音読み・訓読みの識別をせずに字面のまま読んでいる。「高山」は「たかやま」でも「こうざん」でもなく「高山」のまま処理される。読み=音に変換されることなく読み進めていくのだから、当然《読み上げる声》などは発生しない。

「声に出して読む《音読》」と「声に出さずに読む《黙読》」──この違いは単に発音運動の回路がONかOFFかということにとどまらず、《文字を音と対応させる回路》がショートカットされているか否かも関わっているような気がする。黙読の際に《文字を音と対応させる回路》をショートカットしている人は《声》が聞こえず、その回路をONにしている人に《声》が聞こえる──ということなのかもしれない。

僕の場合、会話中に昆虫の名前など固有名詞がなかなか出てこず、「ほれ、あれ、えーっと」状態に陥ることがよくあるが、そんなとき頭の中では、該当する「文字列」を思い浮かべ、それを「音声」に置き換える作業でてこずっている感じがする。
「文字列」という視覚的なブロックで「読み込み」が行われることで文字列空目(*)なんてことも起こるのだろう。

思考についても、僕の頭の中では《声》は聞こえない。もちろん、音声を伴うシーンを回想すれば《声》も脳内再生されるが、基本的には思考中に《声》などしないし、そもそも言葉で考えているわけでもない。個人的には、むしろ言語回路(?)の活性を抑えて(言語化せずに)概念のままイメージを展開させた方が自由度の高い思考ができると考えている。

話すにしろ聞くにしろ読み書きするにしろ……言葉(文章)では情報をひとつひとつ直列的に配置しなければならない。
例えば視覚では目に映った状況──そこがどこで誰と誰がいて何をしているか、その位置関係などの複数の情報が瞬時に、並列的に認識できる。しかしその状況を文章化(言葉で表現)するとなると、一語一語直列的に構築し直して出力(書いたり話したり)しなければならないし、入力(読んだり聞いたり)についても一語一語たどっていかねばならない。
視覚情報を文章に置き換えるのに手間がかかるように、複雑な思考を文章に変換するのも手間がかかる。感じたり考えたことを文章に翻訳するのは、けっこう面倒くさい作業だという認識が僕にはあるのだが……他者に伝えたり記録に残すためには避けて通れないので、やむなくしているといったところ。

僕にとってはストレスとも言える文章化だが……世の中には(文章化が前提の)話し好きな人もけっこう多いようで、のべつまくなしに喋り続けている人もいる。
こうしたオシャベリストにとってはおしゃべりはストレスではなくストレス解消なのだろう。
こういう人は《「考えたこと」を「文章」に変換する》作業をしているというより、そもそも思考自体を《文章フォーマット》で──いってみれば《言葉で考える》ことをしているのではないか思う時がある。それならば、頭に浮かぶことを次から次へと話し続けることもできるし、《内なる声》が聞こえても、さほど不思議はないのかもしれない。

ただ、たやすく文章化できる領域での思考は、自由度も制限される。多次元的並列的な複雑な思考はできないだろう。
饒舌な人は頭の回転が速いのではなく、(言葉にしやすい)自由度の低い思考パターンで物事を捉えていがちで、逆に話がもたつく人は、頭が鈍いわけではなく、自由度の高い(複雑な)思考を展開していて、適切な表現(文章化)にてこずっている──なんてこともあるかもしれない。

僕は読書の際も考える時も《内なる声》は「聞こえない」ので、「聞こえる」というのがどういう状況で起こるのか、いまひとつよくわからないのだが……少しばかり思うところを記してみたしだい。


*視力が衰えることで見えてくる世界!?~文字列空目

https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-474.html

■エッセイ・雑記 ~メニュー~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

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コメント

No title
こんばんは、
頭の中で《声》が聞こえる人、多いのに驚きました。
自分は何を読むにも視覚だけを使う人間ですから、
《声》も聞こえたことはありませんです。。。

「話がもたつく人は、頭が鈍いわけではなく、自由度の高い。。。」の行は、
適切な表現にいつもてこずっている私としましては、
ちっとも複雑な思考を展開できる頭脳じゃないのは分かっていても
『大大絶賛!!』でございます(^^

星谷さんにとって文章化がストレス。。とはとても思えない圧倒的な筆力をお持ちです。^^R
No title
うーん、私も聞こえません。
そして虫の名前も出てきません…

蛾を見ると名前は出てこないけど、講談社のあの辺のプレートに出てる、とか学研のあそこのプレートにのってるとか。
そんな感じでしか答えられなくて。

なので図鑑と一緒でないと何も答えられません(^^;)
No title
> 名もない小島さん

《声》が聞こえる人がいる──ということに驚きましたが、しかもそれが8割以上というので仰天しました。
《声》を聞いたことが無い側からすると、「聞こえる」というのは摩訶不思議に感じますね。いったい、どんな感じなのやら……。

頭の中のイメージを適切な言葉にするのは難しいし、やっかいですね。僕も面倒くさいと感じながら、「しかたなしに」文章に翻訳しています(笑)。
No title
> ともっくさん

ともっくさんも聞こえない側でしたか。

昆虫の名前は調べて(その時は)覚えたつもりでも、次のシーズンになると思い出せないものが少なくありません……。
姿には見覚えがあって、タイプした記憶があるのは……「音」ではなく「字面(昆虫名の場合はカタカナの文字列)」を思い浮かべて思い出せることがあります。
No title
ありますね。名前が出てこないときには声を出して順番に思い出そうとしますが、やはり声をだすということで物事に集中できると言うことでしょう。
本を読んでいると違う思いをするのは何なんでしょう。
No title
> 四季の風さん

声に出す・出さないで、脳の中で使われる回路に差があるのでしょうね。
よく駅員さんが声を出して「確認」していますが、あれもやはり黙ってやるより「声を出す」ことで、より集中力を高められる──ということなのかもしれませんね。
No title
・・・
(内なる声)の捉え方が、違ってるのかもしれませんが・・・

私は、話し相手が少ないせいもあるのでしょうが(?)
常に、脳内で誰かと会話してるようなところがあります・・・
「えッ?これって、病気ですかね?」
誰かと言いましても、結局は、自分と自分が会話してるのですけど・・・
本を黙読する際も、常に自分と会話しながら読んでるんですけど・・・(こういった場合は、内なる声とは言わないのでしょうか?これを内なる声というのでしょうか?・・・解らない(涙))
・・・(内なる声)とは、どの様な声なのでしょう?
No title
私の場合は、ゆっくり読むときは聞こえますが・・・
速読する時は聞こえないです。頭の中で回路が切り替わっているような気がします。
興味深いです。
No title
> 今日も、こっそり自然観察!さん

脳内の会話……ヒメとジイのような感じでしょうか?(笑)
脳内対話(?)は経験が無いのですが、理屈(?)としてはなんとなくわかるような気がしないでもありません。
たとえば、自分の中で検察役と弁護役に分かれて対話をすることによって、抱えている問題を掘り下げたり折り合いをつけるなんてこともできそうですから……脳内対話は心の全体性を保つ機能としてあってもよさそうな気がします。

読書の時に聞こえる《内なる声》は、僕には経験が無いのでどんなものかよくわかりませんが……「聞こえる人」には朗読のように音声で認識されるみたいです。
No title
> ヒヨドリさん

ヒヨドリさんはゆっくり読む時は聞こえていますか。それが速読時には聞こえないというのは興味深いです。
「頭の中で回路が切り替わっている」というのはきっとその通りだと思います。音声変換する回路をショートカットすることで脳内処理の負担を軽くし、読み込み速度を上げているのだろうと想像しています。
No title
私は多数派の聞こえる派です。
本を読むとき、頭の中で声に出して理解しますが、これとは反対に実際に声に出して本を読むと、ほとんどの内容は理解できていません。以前から、なんで音読すると理解できないのだろう?と不思議に思っていたのですが、こちらの記事を読んでなるほどと思いました。

あと、星谷さんは速読がおできになるのではないでしょうか?
速読できる人は文字を写真の撮影のようにとらえて記憶する、と何かの本で読んだことがあるのですが、星谷さんの文字処理のくだりを読んでそんなふうに思いました。
No title
> 佛生山孝恩寺さん

佛生山孝恩寺さんは「聞こえる派」ですか。別のところで、やはり「聞こえる」という人が「脳内音読派」と記していましたが、なるほどと思いました。僕は「脳内黙読派」ということになりますね。

「脳内音読」より実際に音読する方が理解しにくいというのは、ちょっと意外な気がしました。発音運動の方に気をとられてしまうということなのかもしれませんね。

僕は速読できません。「速読」というやたら早く読む技術があるということは知っていましたが、原理(?)などは知りません。
ただ「文字を写真の撮影のようにとらえて記憶する」というあたりから想像すると、直列的に並べられた文章を(普通は1つずつ拾って読み進んで行くところを)、視野の中の複数の文字列を視覚的に同時に(並列的に)読み込んでいくのかもしれませんね。ふつう聴覚に近い所で処理される「言葉」「文章」を視覚的なところで処理する技術なのかもしれないと感じました。

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