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『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』感想


『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』
Third Edition(1993共同テレビ/フジテレビジョン)

脚本・監督:岩井俊二
CAST:山崎裕太・奥菜 恵・反田孝幸 他

岩井俊二作品で『Love Letter』と並んで好印象の作品。『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』はもともとTVドラマ・シリーズの1本として製作されたものだそうだが(1993年8月26日放送)、高く評価され、テレビドラマとしては異例の日本映画監督協会新人賞を受賞している。その後、劇場用に再編集されたものが公開され、さらに未公開シーンを加えたバージョンが作られたというから、それがこの「Third Edition」(本編50分)なのだろう。
当時WOWOWで放送されたものを観て「こんな瑞々しい作品を撮る監督がいるのか」と感心した。この作品は8mmビデオに録画し、何度も観ていた。
しかし【うつろう記憶媒体~失われし記憶ハ痛イ~】で記したように、今では再生できるビデオデッキがなく鑑賞できない状態が続いていた……ということで、DVDを購入。何度も観て内容は頭に入っているのに、やはり魅入ってしまった。
久しぶりに鑑賞してみて、その感想を記してみることにする(ネタバレ有り)。

少年期の雑然とした日常の中を吹き抜けた一筋の風のきらめき──それを瑞々しく描いた作品という印象がある。
この作品の魅力を文章で説明するのは難しい。映像&音楽の表現・演出によるセンスの良さによるところが大きいからだ。
僕が思うに……岩井俊二監督にとってストーリー(あらすじ)は、描きたいものを盛りつける器のようなもので、ストーリーをいくら詳細に説明したところで、この作品の本質(魅力)は伝わらないだろう。
そのことをふまえて上で、いちおう作品の概要を記してみる。

ストーリーの1つの主軸は「打ち上げ花火を横から見るために灯台を目指す少年たち」の話。夏休み中の登校日──花火大会がある日に小学校に登校した少年グループの間で「打ち上げ花火を横から見ると、平たいか・丸いか」を巡って意見が対立。夏休みの宿題を賭けて真相を確かめるために花火を横から見ることができる灯台へ出かけようということになる。

物語を構成するもう1つの軸が、少年達の中で付き合いの深い典道(山崎裕太)と祐介(反田孝幸)──それぞれが想いを寄せていたクラスメイトなずな(奥菜恵)とのドラマだ。なずなは両親の離婚にともない夏休みの間に転校することになり、彼女はこれに反発して「かけおち」を企てる──独りで「家出」をするのは心もとなかったのだろう、そのあたりが子どもらしい。プール掃除当番になったなずなは、典道・祐介のクロール対決で勝った方を「かけおち」相手に選ぼうと思い立つ。

結果は──本命だった典道がターンで失敗し祐介が勝つ。なずなは計画通り祐介を花火大会に誘う。ませた祐介は以前から典道に「なずなに告白したい」と話していたのだが、逆に告白されると戸惑ってしまう。怖気づいた祐介はなずなとの約束をすっぽかして少年仲間たちと「打ち上げ花火を横から見るために灯台を目指す」ことにする。そのため、なずなの「かけおち」計画は失敗に終わり、少年達の目の前で、彼女は泣きながら母親に強引に連れ去られる。

なずなの「かけおち」計画を知った典道はクロール対決で負けた事を悔やみ、「もし、あの時、俺が勝っていたら」と強く思う──そこでストーリーが巻き戻り、物語は「典道が勝った話」にシフトする。
なずなに誘われた典道は、それが「かけおち」と知らずになずなに連れ出される。だが大きなカバンを持参し、あてのない旅を示唆するなずなに典道も不信を抱く。「家出してきたのか?」と問い詰める典道になずなは「家出じゃないわよ! 駆け落ち」。そこで自分が駆け落ち相手に選ばれたことを初めて知らされた典道は「ふたりで……死ぬの?」──「それは心中でしょ」というなずなの受け答えにウケ、切なさとユーモアの絶妙さに感心してしまった。
この作品で心に響くのはセンチメンタルな部分だが、随所にこうしたユーモアが配されていて相乗効果をあげている。

バスで駅まで乗りつけると、電車が来るまでの間になずなは「歳をごまかして働き、典道を養う」と服を着替え化粧をして変身。しかしいざ電車が来ると怖じ気づいて、結局バスで引き返す。なずなの気まぐれで始まった「かけおち」は、なずなの気まぐれで破棄された。2人は夜の学校に忍び込み、プールに入って遊ぶ。このシーンで使われた『Forever Friends』という曲がとても効果的で印象に残る。
「祐介の勝ち話」の最後では「泣きながら母親に強引に連れ去られる」なずなだったが、「典道の勝ち話」では最後に満面の笑みを浮かべる。ただ、典道はなずなが夏休みの間に転校してしまう事を知らない。そんな典道になずなは「つぎ会えるのは2学期だね。楽しみだね」と言って背を向ける──なずなの最後のシーンが心に残る。
当然なずなは、もう典道と会えないだろうことを知った上で言っている。このセリフに岩井俊二氏の感性を感じ感心した。
なずなは、もう会えないと知っていながらどうして、また会える2学期が楽しみだと言ったのだろう──観ていた人は皆そう考えるだろう。
「転校」という現実を受け入れたくない思いがそう言わせたのか。それとも、典道とすごした最後の楽しい時間(気分)・きらめいた時を壊したくなくて、あえて本当の事を隠しウソを言ったのか。あるいは、なずな本人もよくわからずに口をついてでた言葉だったのか──。
シナリオを書く側から考えれば、「もう会えない」ことを、どこでどう告げるか、あるいは告げずに別れるか──そうした選択で最後のセリフを考えがちだと思うが、ここで、あえてこのセリフを持ってきたのはサスガだと感じた。「たしかに、この子(なずな)なら言いそうだ」と納得できる。このセリフによって(視聴者になずなの真意を想像させることで)このシーンは余韻をより深めた。

なずなと別れた典道は花火が終わった会場にでかけ、そこで予定外に打ち上げられる花火で「打ち上げ花火を横から見ると平たいか丸いか」を下から見ることで確かめることになる──その同じ花火を灯台にたどり着いた(その時にはすでに花火が終了していてガッカリしていた)少年グループ達は横から見る──という結末。

列挙はしないが『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は短い作品(Third Editionで50分)ながら、印象に残るシーンが実に多い。
子ども時代の未分化で混沌とした感情──繊細さと大胆さが入り交じったつかみどころのない感覚をうまく捉え表現した作品だと思う。

ふと思い浮かんだのが洋画の『スタンド・バイ・ミー』(1986年アメリカ)。「打ち上げ花火を横から見るために灯台を目指す少年たち」の話が、ちょっと『スタンド・バイ・ミー』の「死体探しに出かける少年たち」に重なった。冒険の規模こそ違うが、『スタンド・バイ・ミー』も少年達のデリケートな心情を描いた作品で、ちょっと共通するところがあるように感じた。

また、子どもなのに「駆け落ち」を企てるあたりは、長崎源之助の児童文学『東京からきた女の子』(1972年/偕成社)を連想した。ストーリーや味わいは全く別物だが、『東京からきた女の子』では、地方の小学校に通う少年(マサル)が、東京から転校してきた女の子(ユカ)にほんろうされ「新婚旅行」につき合わされることになる。ほんの思いつき・成り行きでの遊びだったのだが……マサルとユカは家から140kmも離れた所で迷子になり、大騒動になってしまう。その騒動の中でユカは初めてマサルに内面を吐露するが、騒動後、急に転校していってしまう。

少年期の当事者にしかわからない──彼ら自身にもそれが何だったのかよくわからない──しかし心に残る出来事。そんなことは誰もが体験し、記憶の奥に埋もれているのではないか? 『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は、視聴者のそんな普段忘れていた少年期の感情を呼び起こし、共感・郷愁をさそう作品ではないかという気がする。

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