FC2ブログ

仁義なき虫撮り

昆虫の姿や行動を見て色々考えるように、昆虫ブログを見て思うことも多い。
共感を覚えることもあれば、逆に違和感や疑問を感じることもある。
一口に昆虫ブログといっても個性は様々。ブログにはそのブロガーさんの好みや性格が反影している。昆虫をみるのと同じように、昆虫ブログ(ブロガー)も見ている──と言ったら失礼だろうか。
「この虫はどうして、こんな行動をとるのだろう?」と考察するように「この人(ブロガー)はどうして、こんなことをするのだろう?」と疑問に感じたり考えたりすることもある。
今回は昆虫そのものではなく、ある昆虫ブロガーについて色々と感じていることを雑感という形で記すことにする。

ある虫撮り屋…

昆虫ブログを頻繁に更新している某氏について、当初は「熱心な人」という印象で好感を持っていた。この人が僕のフィールドにも脚を運んでいると知り、どうもそれらしいと思える人と出会ったので声をかけると、やはり某氏だった。
他県からわざわざ来た「熱心さ」に感服し、僕の虫見コースを案内し、昆虫がよく見られるポイントとなど僕が経験的に蓄積した情報を提供した。

僕が撮影したフユシャクの場所へ案内し、某氏が撮影するといったこともあった。フユシャクは夜行性の種類が多いので昼間はあまり動かず、いじらずに撮影すれば、その後もその場にとどまっていることが多い。同じ個体が数日間同じ場所にとどまり産卵するところまで観察できることもある。同じ個体を複数のブロガーさんが別々に撮ってブログ記事にしていることもあるし、フィールドで出会ったギボッチャー(擬木ウォッチャー)の間で、どこに何がいたという情報交換が行われ、被写体を共有することもある。
特に擬木のような目立つ所にいるフユシャクは、他のギボッチャーの目にもとまりやすい。撮りやすいところにいるフユシャクは「そのまま」にしておけば次に来た人も撮ることができるわけだが、逆に動かしたり持ち去ってしまえば、それっきり。夜行性のフユシャクは動かしたり持ち去ってしまうと、昼の間は新たに供給されることは期待できない。
某氏も僕が案内した「そのまま」にしておいたフユシャクをいくつか撮影をしており、「そのまま撮影すれば、次の人が見られる」ということを身をもって知っている。

ちなみにマイフィールドで出会った某氏にコースを案内し昆虫情報を提供したのは、某氏が地元のフィールドでも、ここで得た知識を活かせるだろうと思ってのことだ。彼は地元のフィールド中心に昆虫探しをするものだろうと思っていた。
ところが、某氏は地元にもいるはずの普通種を探すことより、僕が教えたポイントで手っ取り早く虫探しをしたいのか、頻繁に僕が教えた虫見コースを訪れるようになった。
しかも僕が巡回する時間を知った上で、それより前にコースを回り、フユシャクなどを、動かしたり持ち去ったりしている。
こうした某氏の行動が、僕には意外で、彼のスタイルに「違和感」を覚えるようになった。
どうして彼は自分のフィールドで昆虫の発生を確かめようとしたり発生ポイントを探しだそうとしないのだろう? 他者がすでに観察しているよそのフィールドに乗り込んできて同じ普通種を撮ることに、いったいどんな意味があるのだろう?

念のために記しておくが──撮影のため、あるいは観察のため、もしくは標本にしたり解剖したりなど研究のために必要があって持ち去ることをとがめるつもりは毛頭ない。そうしたことも大事にされるべきだという考えをむしろ僕は持っている。僕が某氏に抱いた「違和感」は別の所にある。

ここで撮影のために昆虫を動かすことについて、僕なりの考えを記しておく。僕は、その昆虫が、どういう場所にどんな姿勢でとまっているか──そしてそれがどんな風に見えるか、なるべく「そのまま」の姿を記録したいと思っている。擬木など背景が人工物だと写真としての見映えは良くないが、そこにいたのだから、それを撮るのが「正直」というものだろう。写真としての見映えを良くするために枝や葉に移して撮ることが悪いというつもりはないが、「そんなところに、そんな不自然な姿勢でとまっていたりはしない」というヤラセ感満載の画像はみっともない。自然物背景のナチュラルな生態写真が撮りたいのであれば、そういうシーンを探して撮るべきだろう。そうした努力を怠り、てっとり早く見つけやすい人工物を探して、都合の良い背景に移して捏造生態写真を撮ってよしとする感覚は、自然相手に撮るという意味ではもいささか品位を欠くものではないかという気もしないではない。

ただ、虫がいるのが撮りづらい位置であったり、撮りたい部位が「そのまま」ではうまく撮れない場合など、やむなく移動したり捕まえたりする事はある。
しばしば指にとまらせて撮ることもあるが、これは意図するアングルを得るためや光線と撮影角度を模索するため、あるいは指や爪との比較で大きさを表現するためなどの明確な理由があって「やむなく」していることだ。決して好んで「かわいいから指に乗せている」わけではない。動かして撮ることが生態写真的には「みっともない」ことだという自覚はあるが、必要なカットを撮るために、やむなくやっているだけ。「そのまま」を撮って済ませられれば、それが一番良いと考えている。

話を某氏に戻して──彼の目的は虫撮りのはずなのに「そのまま」撮るだけでは満足できないらしい。前述の通り、僕が案内したコースを僕より先に回って、フユシャクなども動かしたり(採取屋ではないのに)持ち去ったりしている。たまに僕が早く出かけた時など某氏に追いつくことがあって、彼のブログには「偶然」僕に会ったなどと記されている事があるが、これにも「違和感」を覚える。僕が案内した巡回コースに頻繁にやって来るのだから、ときに出くわすのはむしろ「当然」だ。彼がブログで「偶然」会ったと記しているよりも実際はずっと多くフィールドで顔を合わせている。
また、彼のブログでは擬木巡りで彼の虫友と「偶然」に会ったなどと記されている事もあるが、これも「僕が案内したポイント」を彼が虫友に拡散した結果であって、彼が招致した場所で呼んだ相手に会うのも「当然」といえる。

いて良いはずのフユシャクなどがみつからない時は「また某氏が来たか」と感じる事があり、後に彼のブログを見て「やっぱりな」となることも度々だ。某氏が動かしたり持ち去ったりしたことで、同日、巡回した僕が「見ることができなかった」昆虫がいることは、僕のブログを閲覧している某氏自身もちゃんと知っている。
フィールドで某氏と会った時、彼がすでに見つけたフユシャクを持ち歩いてたこともあり、某氏の行為が他者の観察の機会を奪っていることを彼氏自身が知らないはずはない。

某氏自身は他者が「そのまま」にしておいてくれたおかげて撮影できたという恩恵に何度もあずかっていながら、自分はその恩恵を他者につなげるつもりはないらしい──しかもそのポイントを教えた地元の僕や他のギボッチャーが、その後そこを見にくる可能性を充分認識しながら……(そしてそれが後から来た者の観察の機会を奪うことだと知った上で)フユシャクを動かしたり持ち去ることを平気でしている。この感覚に当初は当惑した。

某氏は自分のフィールドで越冬するトンボやチョウの写真を撮っているようだが、これは「そのまま」撮っている。
仮にもし某氏が、この越冬トンボ&チョウのポイントを知人に教え──その知人がしょっちゅう某氏を先回りして現場を訪れて、このトンボやチョウを動かしたり持ち去ったりしたら、某氏はどう感じるのだろう。それと同じ事を他者のフィールドでやっているという自覚は無いのだろうか。

某氏は他の者への配慮ができない人なのだろうか──最初はそんな可能性も考えてみたが、彼は虫友には積極的に昆虫情報を提供している。仲間に対してはちゃんと配慮はあるわけだ。僕と会った時も(当初は)自分が見つけた虫の居場所を積極的に教えたがる印象があった。これは一見「親切」に見える。「後からくる観察者」には不親切(配慮が無い)なのに、虫友にはむしろ過剰に親切(配慮がある)なのは、どうしてなのだろう?
某氏のブログや言動を色々考察した結果、彼の行動心理は、おおよそ次のようなものだろうと推察している。

某氏が得た昆虫情報を、彼が他の者へ提供すれば、それは彼の「手柄」になる。教えた相手には感謝され彼の評価が高められるという「見返り」がある。また、恩を売っておくことでの昆虫情報の見返りも期待できるだろう。某氏が見つけた虫についても、彼が他者に知らせれば彼の「手柄」になるが、彼がいないところで他人が自力で見つければ、それは彼の「手柄」にはならない。僕のフィールドで出会った某氏が見つけた虫の場所を教えたがるのは、僕が勝手に見つけてしまったのでは彼の「手柄」にならないので、僕が見つける前に自分から教えて「手柄」にしようとする心理が働いていたとも考えられないではない。

もし本当の気遣いや親切心があるのなら、「そのまま」撮れるはずのものをわざわざ動かしたり持ち去ったりはしないだろう。彼が見つけた昆虫を持ち去ったり動かしたりするのは、自分がせっかく見つけた「手柄」素材を他者に譲りたくない──という心理が働くためだろうか。あるいは、自分が撮ったものと同じものを他の昆虫ブロガーが記事にすると、相対的に自分の記事の価値が下がる(自分だけの独占記事の方が価値が上がる)と考えて「そのまま」残しておこことができないのか。
撮影マニアの中には、自分が撮った景観を後から来たライバル(?)が撮れないように現場破壊をして行く者があるというが、あるいはそれに近い感覚もあるのかもしれない──そんな疑いも否定できない。
こうした解釈の上にたてば、「虫友には親切で、自分の後にくるギボッチャーには不親切」という一見不可解な彼の行動も説明できる。

虫好き?実は乱暴/ブログとのギャップ

某氏は虫のことをよく「かわいい」と記している、しかし実際に彼と虫見をして驚いたのは「昆虫に対する扱いがひどく乱暴」なことだった。

フィールドで会った某氏と初めてギボッチコースを歩いた日、擬木に交尾中のフユシャクがいたのだが、彼はいきなり♂の翅をめくり上げ、せっかくの自然な状態を台無しにしまうということをして僕を驚かせた。後にわかったことだが、止まっているフユシャク♂をみつけると、その翅の下に♀が隠れていないか(交尾していないか)確認するために「翅めくり」をしていたらしい。そんな乱暴なことをしなくても、よく見れば単独の♂かペアかはわかると、やんわりたしなめた事もあったのだが、彼は自分のスタイルを変えるつもりはないようだった。
やはり初めて会った日だったと思うが、某氏は不注意から撮影しようとしていたフユシャク♂を潰してしまうなどという酷いこともしでかしている。また、撮影しようとしたフユシャク♀が落下してしまったときには、それを探そうとやっきになって「♀がいたら傷つくような乱暴な探し方」をしたことにも驚いた(このときは見つからなかった)。
某氏の行動は「傷をつけてでも見つけたい/見つからないのだったら傷つけてもかまわない」という感覚の持ち主であることを物語っている。実際に彼のブログには傷ついた昆虫が登場するし、撮影中に傷つけたことが判る個体も確認できる。

別の日に会った時には、飛び立ったフユシャク♂を捕まえようと帽子をネット代わりに乱暴にふりまわしはじめた。これではキャッチしても傷つけることは必至と思い、注意をくり返したが某氏は聞き入れず、帽子を振り回して追い続けた。このとき♂は逃げ切ったが、正直僕はホッとしたものだ。
僕の感覚では、被写体を傷つけてまで撮りたいとは思わない。撮れる時に無理せずに撮れば良いだろう──そう考える。しかし某氏は「撮れないよりは、傷つけても撮りたい/撮れないのだったら傷つけても構わない」という感覚なのだと再確認した。

某氏のブログでは、しばしば(動き回る昆虫を)「なだめて」「てなずけて」と称して撮影した昆虫画像が登場するが、これは「弱らせて」というのが適切と思われるものもあり、これも乱暴な彼のスタイルのなせる技だろうという気がする。なだめる前にはあった脚がとれていたり、なかったシミがついていたり、翅が欠けていたり……ちょっと酷いな、と思う事がある。

「かわいい」などと記しているが、某氏ほど乱暴に昆虫を扱う人を僕は他に見たことがない。彼のブログに投稿されている昆虫の画像もよく見れば、「実は無意味に乱暴な扱いを受けている」と判ることがある。

交尾中のフユシャクを撮影するために、止まっている♂をみつけると片っ端から翅をめくる乱暴なスタイルには驚いたが、某氏が来たあとには翅を痛めた♂が多数みつかることもあった。
僕は傷ついたた昆虫は痛々しいのであまり撮らないのだが、あまりの惨状に何枚か撮っておいたものがこれ↓。




あくまでも、これは一部。前日にはいなかった「不自然な外力をくわえられたことによる損傷が明らかな♂」が突然多数現れたことに驚いた。
発生時期の終わりには翅を痛めた♂を目にすることはあるが、それとは違う。これはあまりに不自然だ。
原因として考えられるのは某氏の「翅めくり」──それ以外に思いつかない。
交尾していれば♂の翅は♀が隠れているため浮き上がっているから、めくりやすいのだろうが、♀がおらず♂の翅が擬木に密着していれば、めくるのに余計力がかかる。その結果翅を傷つけることになるのだろう。
「某氏が来たな」と確信したが、後にそれが確認できた。
某氏はブログで、交尾中のペアを見つけるために♂をみつければ翅をめくりまくっているというようなコメントを楽しそうに記していたが、これには呆れた。

「四ツ葉のクローバーをみつけるために、三つ葉のクローバーを踏みにじることは何とも思わない」──そういう人なのだろう。
自分が撮りたいシーンを撮ることだけに関心がある。それ以外は目に入らない……「熱心」なことは確かだが、はた迷惑な熱心さだ。

「はた迷惑な熱心さ」といえば……某氏があろうことか車道に出て三脚を立てて、往来するトラックにクラクションを鳴らされるという場面を目撃したこともある。それが迷惑な行為であることは言われなくてもわかることだ。自分の目的のためなら他者への迷惑もいとわないというあたりに問題を感じる。「わかっていてやっている」人は人から注意されても、そのスタイルを変えない傾向が強い。
写真マニアの一部のマナーの悪さが話題になることがしばしばあるが、こういう人がいると昆虫写真を撮る人たちが一緒くたに白い眼で見られるようになりはしないかと心配になってしまう。

知ったかぶりはなぜなのか?

それから、気になるのが……某氏はしばしばブログで間違ったウンチク・怪しげな事を記すことだ。間違いは誰にだってあるものだが、彼のガセネタは「記載ミス」や「勘違い」といった類いのものではなく、よく確かめもせずに知識を披露したがる「知ったかぶり」に類するものだろう。これは勘違い(過失)というより虚言に近い性質のものだ。
彼のブログの閲覧者経由で誤った知識が拡散されることを懸念して、コメントをすることもあったのだが、その対応は不誠実で、「知ったかぶり」も改まらないので、今はもうコメントもしない。

「知ったかぶり」は、博識を装うことだ。「閲覧者に自分の昆虫ウンチクを披露することで昆虫ブロガーとしての評価を高めたい」──そんな心理があって、つい背伸びをして「知ったかぶり」に走りがちなのではないか──そんな気もしている。
さらに言えば、某氏のブログでは「昆虫観察」をアピールする記事が見受けられるが、これにも疑問を感じている。詳細は長くなるので割愛するが……某氏は「実は観察のような面倒なことは嫌いな人」で、長い時間をかけて観察を継続する集中力・好奇心を持ち合わせていないと僕は見ている。
「昆虫好き」「博識」「観察好き」を装うのは、虫友やブログ閲覧者を意識してのことだろう──自分を良く見せたいという見栄のようなものが働くのかもしれない。

ブログの価値観

それでは某氏はいったいどんな価値観で虫撮りをし昆虫ブログを更新し続けているのだろう?
ブログの内容をみると、昆虫そのものに対する関心や写真に対するこだわりはあまり感じられず、それよりも「更新頻度」や「攻略(撮影)種の数」を増やすことに価値(優越感?)を見いだし執着しているように感じられる。
彼にとって「昆虫」は、単なる収集アイテム──コレクションすべき「記号」と化しているのではないか。彼はよく「1種類でも多く撮りたい」と記しているが、「昆虫そのもの」よりも「制覇した種類の数」を増やすことに余念がないように思えてならない。それはコレクション数をとにかく増やしたいという、えせコレクター(本当のコレクターはコレクションそれぞれに対する思い入れが強いはず)の感覚なのではないか?

彼の昆虫ブログを見ていて思い出されるのが、以前出会った(自称)映画好きの○□氏の映画ブログだ。
○□氏の映画ブログも薄い内容の記事を頻繁に更新するスタイルだった。某氏が「少しでも多くの昆虫を撮る」ことに執着しているように○□氏は「たくさんの映画を観る」ことに執着していた。今週は何本観た・今月は何本観た──というように制覇(鑑賞)した「数」をいつも誇っていた。しかし鑑賞したという映画について、彼はまともに語ることはできなかった。「観た」という実積を増やすことばかりにやっきになり、内容には感心が薄い──なんのための映画鑑賞かと思ってしまうが、○□氏にとっては制覇した数──「実績づくり」が目的と化していたようだ。ブログの内容も「今回はこれを観た」という程度のもので、ネット上にあるその映画に対する情報をつまんできてチョロっと載せているだけ。とても真の映画好きとは思えない。
ブログ記事の内容はすこぶる手抜きなのに、彼は他者への訪問には熱心で、内容の薄いコメントをあちこちに付けまくっているようだった。大して意味の無いコメントを他者の所に付けて回る時間があるなら、ブログ記事そのものをもう少し充実させることに力を注いだらどうかといつも思っていたが、これが○□氏のスタイルだった。要するに足跡(閲覧履歴)やコメントをたくさん付けて回ることで「お返し訪問・お返しコメント」を期待する──閲覧数・コメント数を稼ぐための営業活動だったのだろう。閲覧数・コメント数が増える→自分の評価が高まる──と考えていたようだ。
ブログの内容を充実させることで閲覧数が増える──というのが本来の形だと思うのだが……○□氏は「実績づくり」と「営業活動」にばかり熱心だった。

こうした○□氏のスタイルに対しては大いに疑問があって、かつて批判的な記事を記したことがある→【総括なき多鑑賞】。
批判の内容についてはここではくり返さないが、《作品をおざなりに「観た作品の数を増やす」ことばかりに執着していた○□氏》と、《昆虫をおざなりに「撮影した種類の数を増やす」ことに熱心な某氏》は似ているように思えてならない。

昆虫を素材にしたブログはたくさんあるが、同じようなことをしているようで、大きく違和感を覚えることもある──そう感じた一例を記してみたしだい。

今回添付した画像の翅を痛めたフユシャク♂はいずれもシロフフユエダシャク。昨シーズンのものだが、今年もシロフフユエダシャクが現れ始め、1年前の惨状が脳裏に蘇ってきた。某氏のスタイルは相変わらずのようで……今年はあんな光景はみたくないという思いも込めて投稿してみた。


スポンサーサイト



コメント

No title
こんばんは・・・
私は、ブログを始めて6年目に入ります。始めた当初は、進め方が解らず先輩ブロガーさんのやり方を見よう見まねな所がありました。(ブログとは、ブログのしきたりとは?について試行錯誤してました)
・・・お付き合いして頂いてる方々は、虫ブロガーさんだけではありませんので(虫ブロガーさん限定)ではありませんが!
昨年あたりから、お付き合い頂いてますブログをお書きに成ってらっしゃる方のタイプ?が、僅かばかりですが観えてきたように想います。私は、PCの扱いが苦手なものですから、チョクチョク変わるブログ形式に戸惑い、あれやこれやと確認していくうちに、ひょんな事に気付いたのが昨年の事!泣けました・・・
私は、虫が好き!好きな方だと想います!
けれど、虫が好きではない(むしろ虫が大嫌いと公表されてる女性ブロガーさんとも交流があり、虫以外の話題で楽しくお話させて頂いてます)その女性ブログ友さんが・・・「何故、虫のお写真しかお載せに成ってらっしゃらない方と?(あっ私もですが!(笑))」と異常に(非常に)不信感を抱いたことがあります。
No title
↑の続き
・・・(笑)
その瞬間から・・・
「あ~~~あの(ナイス!)って何の意味もないものなんだ~」と想う様に成りました。(全く価値が無い!)
ブログを始めた当初は、ナイスの欄がある事さえ知りませんでした!
知った後、(この数が増えると皆様に認めてもらえた記事!)と言う事なのか・・・と思って一喜一憂してましたが・・・
今では、非常に虚しい想いもあります。
No title
> 今日も、こっそり自然観察!さん

ブログの捉え方は、人によってずいぶん違う感じはしますね。

「ナイス」の扱いについては僕もきちんとした基準を決めかねているのですが……とりあえず、今の所は「ナイス」と思ったときにポチる──くらいの感覚で使っています。

本来なら、「ナイス」の表示(数)は、その記事を評価する指標して記されるべきだという気がするのですが、実際は「既読」程度に使われていることが多いので、本来あるべき機能を果たしていないと感じています。

本当に評価の指標として「ナイス」を設けるなら「NG」のようなボタンもセットで設けるべきでしょう。しかしネカティブな評価はユーザーには喜ばれない。「ナイス」だけにすれば、閲覧者同士で「既読」程度に使われ、「ナイス」が欲しい人は「お返しナイス」を期待してたくさん訪問し「ナイス」しまくることが期待できる──そうなればYahoo!ブログ全体の閲覧数が増えるので運営側も都合が良いということで今のシステムになっているのだろうと想像しています。
No title
虫見の世界も後先(自然とは)を考えない人、マナーやモラルの欠落者がいるんですね。写真の世界でも“記述”があるように、姿のいい花などの場面を撮影後に踏みつけているところを目撃したことがあり、写友からも「蓮の花を撮った後に三脚で折って行ったよ!」と聞いたことがあります。このような行動を取る方は「写し方」を理解できていないか出来ない人です。目の前の花や虫・風景でも、一人一人違った絵になるから面白いのであって、感性の違いが出て味わいがあると思います。作為的な撮影スタイルでは無く、あるがまま・自然のままの姿を感動的に捉えたいと心がけています。
No title
> skittoさん

花を撮った後に踏みつけたり折ったりするというのもヒドイ話ですね。「好き」だから撮っているはずなのに、よくそんなことができるものだ──と、驚き、呆れ、憤りを感じますが、どの世界でも「自分だけ良ければいい」と考える身勝手な人がいるものですね。
他者への迷惑を気づかずにしている人は、「気づけば」直すことが期待できますが、わかった上で行っている人は質が悪いです。
No title
いろいろな他の分野でもありえる事例ですね。
内容の薄い論文を量産する学者さんと数は少ないけど濃い内容の論文を書くタイプの学者さんと、みたいな。それにしてもほかの人に迷惑をかけるのはよくないですね。自分がそうならないように気をつけようと思います。
No title
> 佛生山孝恩寺さん

「昆虫が好きで撮っている」──と思っていた人だっただけに、「実態」がわかってくるにつれ、ガッカリしました。
「論文」もそうなのかもしれませんね。本来「質」を大切にすべきなのに「数」を稼いで実績づくりをしたがる人はいそうな気がします。
世の中、色々な価値観の人が存在しますが……他者への迷惑を自覚した上でやっている身勝手な人は、たちが悪いです。
No title
はじめまして。

私は詳しくありませんが昆虫好きの女です。
拝見していて、昆虫を傷つけてまで自分のお手柄にしようとする行為にとてもひどい話だと思いました。

昆虫だけでなく、様々な趣味でそういうケースには出くわしてきました。

花撮影に行くと、写真としてその花が良い角度になるように花の首をつまんで好きな向きにして撮るべきだと、どこかの写真クラブの先生(男性)に余計なおせっかいを言われたことがよくあります。

また私は鉄道も少し撮っていて、鉄道マニアにその某氏そっくりな人があまりにも多くて、不信感を覚えているくらいです。
鉄道撮影では、車両を綺麗に撮るために邪魔だと言って平気で私有地の枝などを剪定ばさみで切ってしまう人も良くみます。

初コメントなのに、暗いお話を失礼しました。
No title
> ニコさん

同じ「虫撮り」をしていても、人によってずいぶん「感覚」が違うものだと色々考えさせられました。
被写体に対する捉え方の根本が違っているのでしょうね。
また、撮影姿勢には、その人の本質のようなものが如実にでるものだと感じました。
写真は被写体のみならず、撮影者をも写しているような気がします。
No title
私も高い位置にいるよーな個体は移動させたりしますが、サザナミのよーに(^^;)
基本的にはままを撮ってますね、動かすと大体不自然な脚になったり…

私はそっち系の研究室を出ているので採集の大事さも分かりますし、否定する気も全くありませんが、過度な採集やただ傷つけるだけなのはいかがなものかと思いますね。
最近は撮るばかりで採らなくなったんですが、先日見かけたフユナミシャク♀は分からなくて採集してくれば良かったと悔やんでます。
カバシタを見つけたら迷わず採るでしょーけどね(^^)
採る→撮ると移行している私は採られてしまうと困るのでポイントを話すことも分かるよーな撮り方もしないつもりでいます。まぁ、分かる人には分かっちゃうと思いますけどね(笑)
幸にして私の行く所では人為的な傷つき方をした個体は見かけたことはないです。
No title
> ともっくさん

僕も虫採りが大事なことはよく判るし、昆虫採取を良くないことのように言う風潮(?)にはむしろ批判的な考えを持っています。昆虫の生態の解明や分類については虫屋さんたちの功績が大きい。採取した昆虫を標本にして管理したり時に解剖したり──そうした面倒なことを地道にやっている人たちを尊敬もしています。
「見映えのいいところ」だけ撮って、面倒なコトはせず、虫屋さんたちが苦労して蓄積して来た知見をネットで手軽に利用する「虫撮り」は、ちょっとズルイな──と思うこともあって、「虫採り」をせずに「虫撮り」で済ませることに若干うしろめたさのようなものを感じていたりもします。
ですから虫採りを批判するつもりは全くないのですが、観察目的以外で必要もないのに持ち去ったり傷つけたりするのは全く別次元の行為だと考えています。

カミキリの発生木そのものの場所が分かるような撮り方は控えた方が良いだろうと僕も思っています。ただ、どの地域のどんなところにいたのか──という環境は記録する意味があると考えています。

管理者のみに表示

トラックバック