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ヒトはどうして眠るのか?~ロボットの反乱&自意識の覚醒




●ヒトはどうして眠るのか?

《夢》は面白いのでしばしば考えるテーマだが(*)、その舞台となる《眠り》についても長いあいだ不思議に感じていた。
夢を見ない(記憶していない)人はいるらしいが、眠らない人はいない。ヒトだけに限らず動物たちもみな眠る。

「ヒト(や動物)は、どうして眠るのだろう?」──誰でも1度は考えたことがあるのではないか。
睡眠のために活動時間がとられるのは、もったいない──1日24時間を全て覚醒していられたら、どれだけ人生を有効に謳歌できるだろう──そんなことを夢想したことがある人は少なくないはずだ。

しかし、望まなくても《眠り》はやってくる。逃れるすべは無い。意志に反しておとずれる《眠気》は魔物に例えられ《睡魔》なんて呼ばれたりもする。
この《睡魔》に抗って強制的に《睡眠》を阻害し続けると、色々障害が発生するという。どうやらヒトを含めた動物にとって、《睡眠》は切っても切れないものらしい……。

それでは《覚醒》を強制終了させてまで発動する《睡眠》には、どんな役割り・必要性があるというのだろう?
心身の休息・自然治癒・記憶の再構築などが睡眠と関わっているという話は聞いた事があるが、これらはたまたま睡眠時に活性化するということなのではないのか? 積極的に《睡眠》を必要とする理由としては今ひとつ弱いような……腑に落ちない感があって納得できないでいた。

我々が自覚できる実質的な人生は《覚醒》側にある。それを浸食する《睡眠》の呪縛……こんなものが、いったいなぜ存在するのか、幼い頃から長い間、僕にとっては謎だった。
他に「《ヒト》とは何か?・自分の存在を自覚している《心》とは何か?」といったテーマについても物心つく頃から不思議に思い考え続けていたのだが……これらの一連のテーマについて自分なりの解釈ができるようになった頃に、ふと気がついた。

それまでずっと「《睡眠》の役割り・必要性」がどこにあるのかを考えていたが、本来は「《覚醒》の役割り・必要性」がどこにあるのかを考えるのがこのテーマの本質だったのではないか。

我々はヒトである前に生物である。生物全体を見回してみれば《覚醒》していない(?)ものも多い。原始的な生物や植物など、《覚醒》がなくてもりっぱに繁栄している。《覚醒》は生物の一部が進化の途上で獲得した機能だろう。生物活動全般からみれば一機能にすぎない。
そうした視点に立って《覚醒》の役割りについて考えれば、ことはシンプルに理解できそうな気がする。

動物は《覚醒》している間にエネルギー源の摂取や交配など生命活動に重要なことを効率的に行なう事ができる。つまり生命活動に有効な機能として《覚醒》を考えるとその必要性は解りやすい。ただし《覚醒》モードではエネルギー消費も激しい。生命活動に必要なぶん(時間)だけ《覚醒》していれば良いわけで、あとは《覚醒》モードはオフに──《睡眠》モード(省エネモード)でいた方が生物としては効率的だ。そう考えるのが理にかなっており、実際そうなっているのではないか?
負荷の高い《覚醒》モードを必要最小限に止めるのが理想型であるとすれば、これをオフにするスイッチ・《睡眠》モードがあるのは当然で、それがあって健康が維持される(強制的に眠りを阻害し続ければ故障しやすくなる)というのも理解できる。

こう悟ったとき、なんでこんな当たり前の事に気がつかなかったのだろうと不思議に感じたものだ。そして「あたりまえのことに気づかなかった」こと自体にも何やら意味があるのではないかと考えるようになった。



●《天動説》的視点

ヒト(や動物)の活動を生物活動として俯瞰してみれば《覚醒と睡眠》の意味もすんなり解釈できてしかるべきなのに、意外に思考が迷走したのは……思考作業をつかさどる《意識》を基点に《覚醒》側から《睡眠》を解釈しようとしたためではなかったのか? そのために正しい理解から遠ざかってしまった気がしないでもない。
そう考えたとき、これは我々がいる地球を基点に天空の星の動きを理解しようとして迷走した《天動説》の発想とよく似ている──と感じた。

宇宙全体からすれば、地球は数ある銀河のひとつ──銀河系のさらに外れに位置している。にもかかわらず、そこに棲む我々は自分たちが宇宙の中心だと思い込んでしまった……。
地球を宇宙の中心すえて星の動きを説明しようとすると(天動説)、ややこしいことになり正しい理解が得られない。自分たちが基軸であるという発想を離れ、《地動説》の視点に立つことで、初めて正しい理解が得られたわけだ……。
これが、《覚醒》側から《睡眠》の意味を求めても真理は得られず、《覚醒》を含めて俯瞰する視点に立つことで、初めてその意味が理解できた──ということと似ていると感じたのだ。

「銀河の外れに位置しながら自分たちが宇宙の中心だと思い込みがち」なことと、
「生命活動の一機能でありながら、《覚醒》を主体と認識しがち」なこと──よく似ているが、これは《覚醒》側でしか物事を認知・理解する事ができない我々の主観がおちいりやすい欠陥なのかも知れない。
今では《天動説》を信じる人はいないだろう。だれでも《地動説》を認識しているし、われわれの棲む地球が銀河の外れに位置していることも知っている。しかし、ヒトの《意識》はまだまだ自分を中心に物事を認知しようとする──《天動説》的なものに偏りがちなのかもしれない。
銀河の外れに存在しながら、ヒトの《意識》はいつも「宇宙の中心」にある。



●《ロボットの反乱》と《自意識の覚醒》

自己や周囲の状況を認識したり理解している我々の《自意識》は生命活動としての《覚醒》の中で生まれてきたものだろう。他の覚醒動物がどれだけ《自意識》といえるものを持っているのかは判らないが、《自意識》は、おそらく進化のかなり進んだ(末端の)段階でヒトという生物が獲得したシステム(機能)だったろう──これによって文化が格段に進歩したことは想像にがたくない。

「言葉」を発明し(あるいは「言葉」の誕生による言語フォーマット化が自意識の覚醒につながったのかもしれないという気もする)、「文字」を発明し──科学を発達させ、ヒトの活動は生物の中でも驚異的な発展をとげたのは《自意識》の獲得と決して無縁ではなかったはずだ。

ところで、テレビもすごい発明だと思うが、僕は幼少期に日本初の国産テレビアニメ『鉄腕アトム』も見て育った世代だ。アニメに登場するロボットを見ながら「人間が作り出した機械(ロボット)に心が芽生えることはあるのだろうか? もし人が作ったものが人とは違った価値観に目覚め、人間たちに対して反乱を起こしたら……」という漠然とした不安を抱いた記憶がある。「《ヒト》とは何か?・《心》とは何か?」と考えるようになったのは、その頃からだと思う。
「ヒトが生活を豊かにするために作り出したシステムがヒトにとって代わり世界を支配する(しようとする)」というテーマのSF作品はけっこうありそうな気がする。

「《ヒト》とは何か?・《心》とは何か?」と考え始めた子ども時代、「ロボットの反乱」という、ありもしないシチュエーションにわけもなく不安を抱いたわけだが……今にしてふり返ると、この不安には背景があったのではないか……という気がしないでもない。「ロボットの反乱」を危惧しながら、じつは我々のアイデンティティーは同様のルーツに立脚している──そんなジレンマを漠然と感じていたからではないか?

「人間が生み出した《ロボット》に心が目覚め、人間を支配するようになる」ことは、
「肉体(生物)の中に生まれた《覚醒》に自意識が芽生え、肉体をコントロールするようになった」
ことと似ている。つまり──、
《ロボットの反乱》と《自意識の覚醒》は同じ構図とみることができる。

ありもしないロボットのクーデターに不安を感じたのは、本来生物としての主体をもつ我々自身が《自意識》によるクーデターで、「《肉体(行動)》を《意識》の配下に治めるという下剋上(げこくじょう)をはたした」という《原罪》を内包しているからではないのか?
──そんな見方もできなくはない。

「ヒトはどうして眠るのか?」という、とんちんかんな(?)疑問を抱くこと自体、生物としての主体の中心から外れたところにある《自意識》ならではの天動説的発想なのではないか──そんな気がしないでもないのである。



*つれづれに夢の話
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-227.html

*金縛り考
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-215.html

◎チョウのみた夢~善意の報酬~(※夢をモチーフにした掌篇)
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-82.html

■エッセイ・雑記 ~メニュー~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

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コメント

No title
こんばんは・・・
子供の頃から、随分、問題意識の高い方だった?のだと・・・
ため息つきつつ、読ませて頂きました・・・

物事に対して疑問に思う考える結論に導く(自分なりのお考えで・・・)
お小さいころからの、その作業の癖?が、今の生物観察への考察に結びついてるのかと?・・・
「凄いわ~」と記事を読み進めながら、ため息ため息・・・

人とは?とか、心とは?とか、まして(人(生物)は何故眠るのか?とか・・・
そんなことを考えた事は、一度も?(多分?)ありませんでした・・・
只、私は、体の疲れをとるための睡眠に、現実を忘れる(逃避)のための睡眠に・・・ひたすら感謝しています・・・

ロボットの反乱と自意識の覚醒の記事を読みながら・・・
「人造人間キャシャ○○」を思い浮かべてしまいました・・・

とても面白く読ませて頂きました!!!☆・・・
No title
> 今日も、こっそり自然観察!さん

僕も眠るのは好きです(笑)。別の記事にも書きましたが、夢の中でクイズや数学の問題を解いたり物語を作ったこともあります。
そんな経験もあるので、《夢》や《眠り》には興味があり、あれこれ考えることも多かったように思います。

興味を感じないものはほとんどスルーですが、不思議だとか面白いと感じる事はあれこれ考えてしまいがちです(笑)。

最近では昆虫ネタが多くなっていますが、僕の場合は昆虫学的なアプローチではなく、「身のまわりのおもしろいものを探していると、たまたま虫が面白さの宝庫だった」という感じです。
だから専門的な基本知識は無いのですが、「見つけた不思議をどう考えるか?」というアプローチで勝手な想像を展開して楽しんでいるしだいです。
No title
「睡眠&自意識」大変面白く読ませて頂きました。私などは単純で身体のなすがままで考えたことがありません(笑)しかし今ビッグデータと言われる膨大な量の知識は星谷さんのような「何故?」をほっておけない人達によって蓄積され、豊かな今があると思いました。
No title
> skittoさん

学術的なことはよく判りませんが、とりあえず自分が感じた「ナゼ?」には自分なりの解釈を求める──というのが、子どもの頃からの基本姿勢でした。
最近は昆虫ネタが多くなっていますが、身近なナゼ?──をさがすと昆虫に行き当たることが多い──ということなのでしょう。
No title
睡眠側から覚醒側を見る天動説的発想、壮大なテーマですね。
確かに最近でこそ眠ることの大切さが言われるようになりましたけど、以前は眠り=怠惰という考えが主流でしたもんね。むかしカレー粉のCMに「カレーは冷えるときに旨味が増す」というのがあったかと記憶していますが、どんなものにでも意味があるように、当然睡眠にも意味があるのでしょうね。
ところで、仏教の中には無機物にもそれなりの心(識)がそなわっていて、その心は人間の心とは認識レベルが異なるためにわれわれは無機物の心を知覚できない、とする考え方もあります。ロボットの反乱(覚醒)とはちょっと意識の意味合いが異なりますけど。
No title
> 佛生山孝恩寺さん

僕は無信仰ですが、《自分はなぜ生まれて来たのか》《ヒトはなぜ死ぬのか》というテーマに関しても小学校に上がる以前から強い関心を持っていました。
求める答えは宗教的なものでも哲学的なものでもなく、自然科学ともまた違うものでしたが……長い間自分なりに考えて、納得できる解釈に到達することができたつもりでいます。
《自分はなぜ生まれて来たのか》や《ヒトはなぜ死ぬのか》といった問いは《ヒトはどうして眠るのか》という問いと同次元の着想だったのではないかという気もします。このあたりをトータルで語ると長くなるので、今回は《眠り》の切り口でまとめてみたしだいです。

ヒト以外の《心》についても色々思うところはあって、これに関連する記事も書いたことがありました↓。

●人はなぜ《霊》を感じるのか
http://blogs.yahoo.co.jp/ho4ta214/25709128.html
No title
天動説的な視点というのは、何かを考えるときには
常に持っていたほうがいいのかもしれませんね。
視点を変えるというか。
どうしても固定された考えになってしまうので。。。
眠っている状態のほうが、じつは本来の姿かも、というのは
なるほどーと思いました。
生命活動をするために仕方なく覚醒してるのかもしれないですね。
ネコとか、よく眠ってますよね。うらやましくなります。
No title
> noriさん

人は何かを理解しようとするとき、既に自分の中に構築された基準・物差しで判断しようとしがちです。しかし、それで合理的な解釈が得られなければ、基準・物差し自体に問題がある──はずなので、新たな視点に立って理解を組み立て直そうとすることも時に必要な気がします。

眠りに誘発されるインスピレーションも、意識下にあった既成観念が緩むことで、通常思考とは違った視点が得られ、斬新な着想に結びつく──という部分があるのかも?

ネコやフェレットなどは、活動している(覚醒している)ときの遊び好きなところが魅力ですが、無防備なかっこうで爆睡している姿がまた魅力だったりします(笑)。

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