FC2ブログ

STAP細胞捏造事件の禍根


STAP細胞論文捏造事件は科学史に残る最悪のスキャンダルだったのではないか。
《分化した体細胞を簡単な方法で初期化して効率的に作ることができる質の高い新たな万能(多能性)細胞》として世界的に脚光を浴びた【STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)】。しかし発表直後から次々と疑義が噴出。さんざん遠回りした末にようやく明らかにされた《科学的事実》はといえば《もともとそんなものは存在せず、「STAP細胞とされたもの」の正体はすり替えられた既存の「ES細胞(胚性幹細胞)」だった》というもの。

《ES細胞混入疑惑》は早い時期からささやかれており、「STAP細胞とされるものから作られた証拠(残存試料)」を確かめるべきだという指摘も当然あった。なのに理研はなかなか調査しようとしなかった。最終的には3つの機関がそれぞれ別の方法で「証拠(残存試料)」の解析を行ない、それがES細胞から作られたものであることを──いつ誰が作ったES細胞が使われたのかという「株」までをつきとめて《疑惑》は《科学的事実》として決着した。
しかしながら──《「STAP細胞とされたもの」の正体は「ES細胞」だった》という《科学的事実》は明らかにされたものの、それでは誰がすり替えを行なったのかなどの「研究不正事件」としての《真相》は未だに解明されておらず「不明」のままだ。

研究不正としてはかなり悪質で、《重大な不正事件を起こしてしまったこと(未然に防げなかったこと)》自体とても不名誉な事だが……さらに重大でもっとも恥ずべきことは、《起きてしまった不正事件の真相解明を果たせずにいる》ということだ。
残念なことだが、研究不正を完全に防ぐことは事実上できないだろう。しかし、起きてしまった不正に対しては真相の徹底解明と厳罰処分──これは、今後の不正予防・抑止の意味でも最低果たさねばならない責務といえる。それがなされることが信頼回復の大前提だ。不正が起こったさいに最低果たさねばならない真相解明すらできず、すり替えを行なった犯人が「おとがめ無し」で済まされたのでは「日本は研究不正に甘い」という不名誉なイメージを世界に向けて発信してしまうことになる。
今後日本人がすぐれた研究を発表するさい、あるいはどこかの国で研究不正が起こるたびに、必ず「STAP事件」の記憶が呼び起こされたり引き合いに出される事になるだろう。これだけ大きな研究不正事件を起こしながら、その真相解明の責務すら果たさずに幕を引けば日本科学史上に大きな禍根を残すことは間違いない。

《ありもしない【STAP細胞】をすり替え等によって捏造した》などというとんでもない不正がなぜ起こったのかということもさることながら、一連の報道を見ていて不思議でならなかったのが、《科学的な疑問が生じているのに、どうして理研は「STAP細胞と呼ばれたものから作られた証拠(残存試料)」をきちんと調べようとしないのか?》ということだった。
理研は科学者集団のはずだ。ならば、浮上した疑惑に対して科学的検証で応え研究不正の実態を明らかにするのが理にかなった対応だったはずだ。なのに疑惑をもたれた「STAP細胞」の正体を調べようとはせず、研究不正の真相解明を棚上げして、STAP細胞再現の検証実験に舵をきったのが何とも不可解だった。
「1人の科学者の研究不正」は、(あってはならないが)起こり得ないことではない。しかし「優秀な科学者集団がこれをきちんと正す事ができずにいる」というのが僕には理解しがたかった。

《ES細胞混入疑惑》が浮上したとき、「残存試料の分析をすべきだ」というしごくまともな指摘を受けるまでもなく、理研は率先してそれを行なうべきだった。もしすみやかに分析がなされていれば、《科学的事実》にいちはやくたどり着けただろうし、無駄な予算や時間を投じて不毛な検証実験などせずに済んだはずだ。その時点で正しい対応をし不正事件の真相に迫れていれば、笹井氏だって自殺せずにすんだだろう。
STAP問題は一義的には悪質な捏造をした研究者に責任があるのはもちろんだが、この問題を更に悪化させ、日本の科学界の信頼を貶めたのはむしろ不正発覚後の理研の不誠実な対応にあったと思う。

どうして理研の対応がこのような不可解なものになったのかなど──経緯の詳細が知りたくて、『日経サイエンス』2015年03月号(特集:STAPの全貌)と『捏造の科学者』(須田桃子/文芸春秋)を読んでみた。
『日経サイエンス』3月号にはSTAP論文に関する不正調査を行ってきた調査会が2014年12にまとめた最終報告についても詳しく解説してあった。『捏造の科学者』の方はその最終報告がでる以前の段階で書き上げられたものなので不正調査会がまとめた「科学的結論」を含めた総括はなかったが、STAP細胞の発表会見から疑惑の浮上、それに対する関係者の対応などが克明に記されており、「理研側が疑義についてまともに取り合わなかった理由」がいくらかわかったような気もする。
色々と思うところも多かったが、一連の報道や『日経サイエンス』『捏造の科学者』を読み、僕が感じたことを少し記してみたいと思う。あくまでも一個人の感想・覚え書きである。

STAP論文への疑義が浮上してからも、理研は《「論文の作法」に不備はあったが、「STAP細胞の存在」に揺らぎは無い》と考えており、そのために対応を誤った──ということだったように思う。
STAP論文共著者の笹井芳樹CDB副センター長や丹羽仁史CDBプロジェクトリーダーは「STAP細胞への疑惑」に対して、まともに取り合おうとはしなかった。
「ES細胞混入疑惑」が浮上し、「STAP細胞とされるもの」が何だったのかを確かめるべき(残存試料の解析をすべき)という意見がでたときも、笹井氏や丹羽氏らは「STAP細胞が存在すると考えないと説明がつかない事がある」としてそれを一蹴している。

理研は、なぜ残存試料の分析に消極的だったのか?──CDB竹市雅俊センター長や理化学研究所の一連の対応を主導してきた川合真紀理事は《残存試料を解析したところで確定的な結論(ES細胞ではないかという疑問に対する答)は得られない》と「判断」していたという。しかし、実際には理研側が必要ないと却下していた残存試料の解析&発表によって「STAP細胞」の正体が「ES細胞」であることが突き止められたわけで、彼らの主張をそのまま信じることはできない。当時仮説の域を出ていなかった「ES細胞混入説」が確定的になれば批判が強まることは目に見えていたから、この「判断」には「くさいものにフタ」的な意図があったのではないかと勘ぐりたくもなってしまう。

また理研が《「論文の作法」に不備はあったものの、「STAP細胞の存在」に揺らぎは無い》との立場をとっていたことからすると、「ES細胞混入説」を確かめるようなプロセスなど必要ないとも考えていたのかもしれない。
《「論文の作法」上の問題が明らかになったデータをいくら洗い直したところで「STAP細胞の存在を揺るがす事実は出てくることはあっても、立証することはできない」──非生産的だ》という考えもあったのではないかと思う。《STAP細胞は存在するのだから、検証実験で再現すれば、それでカタがつく──それが生産的な解決だ。次々にあがってくるイチャモンにいちいちつきあっていても埒があかない》という判断によって不正の実態解明より検証実験を優先させたのではないか。
彼らの意識としては《本来賞賛されてしかるべき大発見をしたというのに、「論文の作法」上のことでケチをつれられ、不当な扱いを受けている》という不満もあったように感じられる。疑義や批判に対して真摯に向き合う気持ちにはなれなかったのかもしれない。
問題となった《「論文の作法」上の不備》については「未熟な研究者の責任」として小保方氏に負わせて《論文の撤回》で幕を引き、STAP細胞の有無については検証実験で改めて証明すれば良い──そうタカをくくっていたようにも見える。

そうして理研が「証拠(残存試料)の解析」に消極的だったのに対し、STAP論文共著者でありSTAP細胞(とされるもの)由来のキメラマウスの作製を手がけた若山照彦山梨大学教授(実験当時はCDBチームリーダー)は科学的疑問と真摯に向き合っていたように思う。
若山氏は小保方氏の不正を見抜けなかったとして監督責任がとわれ「出勤停止相当」という処分を受けたが、個人的には気の毒に感じている。処分の判断はしかたないとは思うが……通常ではあり得ない悪質な手口のペテンにひっかかってしまった被害者ともいえるからだ。そして笹井氏や丹羽氏はじめ理研が「残存試料の解析」に消極的だった中で若山氏は《科学的事実》を解き明かそうとして、その糸口をつかんだ。その意味では立派だったと思う。不正発覚後「STAP論文関係者で科学者としての良心を失わずにいたのは若山氏だけだ」という印象を僕は持っている。

若山氏は小保方氏からわたされたSTAP細胞(とされるもの)から樹立したSTAP幹細胞の解析を行い、実験に使われたはずのマウスとは別系統のマウスにすり替わっていたという結果を得た。そして残存試料を詳しく調べるべきだと主張したが、この若山氏の解析結果について笹井氏は「若山氏の理解が正しくて、小保方氏は間違っているという断定的な構図はナンセンス。その逆もあり得る」「作為的な決めつけや断定で(小保方氏を)ヒールにしたてようとしている」という内容の反論をし、残存試料を調べる事には反対だったらしい。
「すり替え」が疑われる解析結果がでたとなれば、あわてて真偽を確かめるべく詳しく調べ直すのが本来の対応ではないかと思うが……そんな状況でも笹井氏は小保方氏を信頼し擁護していたのかと驚いた。

若山氏の疑惑の発端となったのはSTAP論文に使われていたテラトーマ画像の捏造発覚だったというが、これについても笹井氏は「意図的な捏造ではなく、小保方氏の単純ミスであった可能性がある」として若山氏を説得していたという。本来なら小保方氏に直接どうなっているのかを問いただすのがスジだろうに、笹井氏の《「単なるミスである可能性がある」という「解釈」》で処理しようとしていたというのも不可解だ。
「科学的判断」よりも「小保方さんが意図的な捏造などするはずがない」という「心情的判断」が優先され、それに基づいたつじつま合わせの「解釈」だったように思えてならない。
もしかすると、笹井氏が小保方氏を「問いただす」のではなく無条件に「擁護してまわった」ために小保方氏は「捏造を告白する機会」を逃し、(笹井氏の「解釈」に沿う形で)「嘘を突き通さざるを得ない」状況に追いやられた……という側面もあったのかもしれない。早い時点で「STAP細胞とされるもの」の正体を確かめ、その《科学的事実》を示して小保方氏を追及していればこの問題がここまでこじれる事は防げたのではないかと思ってしまう。

笹井氏も丹羽氏も「STAP細胞は存在する」という「方針」に沿って発言していた印象が強い。「存在」を主張する根拠についていくつか上げていたが、客観的なデータは示せずにおり、実際にSTAP細胞とされるものは解析の結果ES細胞だったことが後に判明する。
彼らが「STAP細胞は存在する」と信じていた本音のところは「科学的判断」ではなく「ES細胞混入説が正しかったとすれば、小保方氏が意図的に捏造をはかったことになる。いくらなんでも、そんなことはありえない」という思いこみ──科学的根拠ではなく心情的な判断だったのではないかという気がしてならない。

じっさい丹羽氏は「小保方氏のデータ管理能力には疑問がある。しかし、彼女がテータを取り違えることはあっても、個別の実験に都合の良い《変な細胞》にすり替えたとは考えられない」という発言をしている。
だが《科学的事実》が明らかになってみれば、個別の実験にそのつど論文の主張に符合する《都合の良い偶然の混入》があったなどとは到底考えられず、意図的なすり替えがあったとしか考えられない──ということになる。

丹羽氏は《「簡単に作れる」ことが売りだったはずのSTAP細胞なのに「再現性が確認できない」》という批判に対して、プロトコル(STAP細胞の詳しい作り方)を書いて応えた人物だ。しかし、実はその時点では彼自身はSTAP細胞を作った経験はなかったという。さらに後の検証実験では「論文通りの分量で塩酸を希釈しても、論文と同じ濃度の弱酸性溶液を作ることができなかった」と丹羽氏自身が語っていたというのだから呆れてしまう。そんなことも確かめずにプロトコルを発表したのかと驚いたが、これは丹羽氏が「小保方氏のデータを疑うことなく信じていた」ということなのだろう。小保方氏のデータに基づけば、疑義の方が間違っている──という判断になる。
丹羽氏も笹井氏も不正が疑われている小保方氏のデータを根拠に疑義への反論を展開していたわけだが……本来ならば不正疑惑が発覚すれば、根拠となるデータの真偽を確かめるべきだろう。なのに両氏は小保方氏のデータを信じ、生データや実験ノートまでさかのぼっての確認はしていなかったという。

ちなみに、笹井氏や丹羽氏が「STAP細胞は存在する」と主張する大きな根拠の1つが「STAP細胞から作られたキメラマウス」だった。「ES細胞では分化しない胎盤にまで分化した」というもので、論文には「ES細胞から作られたキメラマウス」と「STAP細胞から作られたキメラマウス」の比較画像が載せられていた。万能細胞から分化した細胞は蛍光するよう処理されたもので、「ES細胞から作られたキメラマウス」では胎児だけが光り胎盤は影になっており、「STAP細胞から作られたキメラマウス」では胎児だけでなく胎盤もうっすらと光っているように見える。
この「胎盤までが光っている画像」が「胎盤にも分化した→ES細胞では説明がつかない→STAP細胞は存在する」ことを示す証拠だというのが笹井氏や丹羽氏の主張だった。
しかし「光って見えるのは胎盤を流れる胎児の血液ではないか」とか「ES細胞でも胎盤に分化することはある」という話も出てきて、比較画像は「ES細胞では説明がつかない」ことを証明するものではなかった。論文では「STAP細胞が胎盤に分化したこと示す確かなデータ」は示されていなかったという。
そしてこの「ES細胞由来(胎盤は光っていない)」と「STAP細胞由来(胎盤まで光っている)」の違いを示す比較画像は、実は同じ被写体を撮ったものだということが判明する。
同じものを撮影条件を変えたり加工して、あたかも違うものであるかのように並べたのであれば、トリックといわれてもしかたがない──これが比較画像の正体だった。

STAP細胞は嘘を重ねて捏造された虚構の産物だった。「いくらなんでも、そんなバカげた捏造をする科学者などいるはずがない」という思い込みが笹井氏や丹羽氏などの著名な科学者たちの判断を誤らせ「片棒を担がされる」ことに至ったのではないかと思う。

昔読んだ本に、サイキック(超能力者を自称するマジシャン)が一番騙しやすいのは実は科学者だというような事が書かれていたのを思い出した。科学者は理屈にはたけているようでも、ウソを見抜く能力は案外貧弱なのかもしれない。

自殺した笹井氏も、小保方氏のデータを疑うことなくSTAP細胞を信じ、検証実験であらためてその存在を立証すれば巻き返しがはかれる──そう考えていたようだ。当初、検証実験には自信を持っていたことがうかがえる。しかし徐々に明らかになってくる新事実を受けて、真相に気づき、取り返しのつかないミスを犯した事を理解した……それで検証実験の結果を待たずに自殺したのではないか。当初の期待(STAP細胞再現)が見込めないことを確信し、針のむしろとなる前に世を去ることを決意したのではないかという気がする。STAP細胞が存在すると考えていたのであれば検証実験で再現に成功すると考えていたはずであり、だとすれば笹井氏らの主張は立証され事態は好転することになる──だから検証実験の途上で自殺する必要など無かったはずだ。
しかし、というべきか、やはりといべきか……検証実験ではSTAP細胞を再現することはできなかった。「STAP細胞はあります」「200回以上作製に成功している」と公言していた小保方氏ですら不正が行えない環境下ではSTAP細胞を作製することができなかった。

笹井氏が小保方氏にあてた遺書には「絶対にSTAP細胞を再現してください」「実験を成功させ、新しい人生を歩んでください」と記されていたというが、これには「自分はSTAP細胞の存在を信じている→捏造を知らなかった・捏造とは無関係」という立場をアピールする意図もあったのではないかと思う。また、家族宛の遺書には自殺の理由として「マスコミなどからの不当なバッシング、理研やラボへの責任から疲れ切ってしまった」という内容も記されていたというから、自分が尽力して作りあげた組織CDB(解体論が出ていた)を批判から守ろうという意図もあったと思う。報道の風潮として、自殺した者は「被害者」扱いされ同情が集まり「加害者」に批判が向きやすくなる。「笹井氏を自殺に追い込んだマスコミのバッシング」という構図を作れば批判の矛先はマスコミに向かい、理研に対する風当たりを弱められるという計算はあったのではないかと思う。事実、マスコミの不正事件の追求の勢いは(第二の笹井氏が生まれることを恐れて?)弱まった印象がある。笹井氏の遺書は内容が公開される事を想定して書かれたものだと判断するのが妥当だろう。

笹井氏が自殺に職場を選んだことについて色々憶測もあったようだが、僕はリークされることを想定して書いた「遺書」が遺族ではない第三者によって発見されることを望んだためでもあったのではないかと想像している。自宅で自殺すれば遺書はそのまま身内から関係者に渡り内容が公開されない可能性がある。第三者が発見すれば「遺書の存在」が明らかにされ(事件性の有無を判断する材料としても「遺書」は注目されるはず)、内容についてもリークがあるだろう。特に「小保方氏に当てた遺書」や「自殺の動機」に関しては関心が高いだけに必ず内容が表に漏れるはずだ。笹井氏はそれを見越してメッセージを書いた。必ずしも本心であるとは限らない(笹井氏は4月の会見ではSTAP現象を「最も有力な仮説」としていたが、残存試料の解析等で致命的な解析結果が出た後、7月上旬には「STAP現象全体の整合性を疑念無く語る事は現在困難だと言える」とコメントしている──自殺した時点ではSTAP現象が虚構の産物だと認識していたはずだ)。
笹井氏がもし本当に純粋に当人にあてた本心を伝えたかったのであれば、メールや親書で直接相手に送れたはずた。なのにそうせず、わざわざ文書を紙に出力して第三者に発見させたということには「遺書という形での外部へのメッセージ・アピール」という意味があったはずだ。

『捏造の科学者』で印象に残ったのが、華々しいSTAP細胞の発表会見での小保方氏が語っていた「嘘」だった。
小保方氏はそれまでの研究の苦労話として、当初「STAP細胞」はなかなか信じてもらえず、論文掲載に至らなかった最初のネイチャーへの投稿では、査読者から「あなたは過去百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄している」と酷評されたと話していた。あの発言で《辛苦のヒロインが、それでもあきらめず頑張ってつかんだ栄光》感が演出された。
しかし実際にはボツになったその投稿論文にそんな査読コメントなどなかったという。
小保方氏は、自分が注目を浴びるために、平気ででまかせを言う──そんな気質の人なのかと妙に納得するものがあった。

『日経サイエンス』3月号では調査委員会が新たに認定した捏造も解説されており、小保方氏が存在しないデータを(論文の主旨に沿うような都合の良い形に)手作業で作り上げていた事も記されていた。この捏造データの作製に関しては小保方氏も認めるような発言をし「反省」を口にしているらしいが、《自分が信じるSTAP細胞を証明するためには捏造をいとわない》という姿勢がうかがえる。

小保方氏は本当に《STAP細胞はある》と信じていたのかもしれない。酸などの刺激で細胞が死ぬ時に光る「自家蛍光現象」を「STAP(刺激惹起性多能性獲得)現象」だと誤認していた可能性がある。4月の記者会見では「自家蛍光ではないことを確認している」と主張していたが調査委員会の聴取では、自家蛍光の可能性について思い至らず確認をしていなかったと証言していたという(丹羽氏も検証実験で細胞の蛍光は確認したが自家蛍光だったとしている)。
「自家蛍光現象」を見て「STAP(刺激惹起性多能性獲得)現象」だと確信(誤認)した小保方氏は、その(彼女にとっての)《真実》が認められずに埋もれてしまうことが我慢ならなかった……それで《真実》を実証するために、ちょっとだけズルイ近道を選んだ──それが捏造の始まりだったのではないか……。科学的に踏むべき手順を(捏造で)スキップして先へ進め《STAP細胞はある》ことを証明すれば、研究は軌道に乗り、やがてスキップした部分に関しても実験結果が追いついてくるだろうと楽観的に(都合よく)考えていたのかもしれない……そんな気もしないではないが、もちろんこれは憶測。このあたりのことは彼女が真実を語らない限り判らない。小保方氏は「すり替え」については否定しているというが、関与していないのであれば疑惑を晴らすべく会見を開いて、不自然な状況(すりかえられたES細胞と同じものをどういう経緯で小保方氏が所持していたのか等)をきちんと説明すべぎたろう。これだけの問題を引き起こしたSTAP論文の筆頭著者なのだから説明責任はあるはずだ。すでに理研を離れているのだし説明の機会はいくらでもつくれるはずだ。

残念なことに研究不正は起こってしまったわけだが……理研は事後処理を誤り真相究明を怠った。当初STAP細胞の正体や研究不正の実態について明らかにせず「論文の撤回」で幕を引こうとしていたふしがうかがえる。しかし日本の科学者の中には「科学者としての良心」をもった人もいて、そうした人たちや科学記者らの追及で「STAP細胞(とされたもの)」の正体が科学的に明らかになった──というのはせめてもの救いという気がする。
ただ、研究不正の実態についても、きちんと明らかにされるべきで、《不明》のまま終わって良いわけがない。

《最悪の研究不正》を働いたのは「ES細胞」混入犯だが、《それを迷宮入りさせた》という恥の上塗りをしたのは理研──事件の真相が解明されない限り、そう言われても仕方がない状況はずっと続くだろう。理研としては早くこの問題から手を切りたいとろこだろうが、この先ずっと《未解明不正事件》の呪縛を引きずり続けなくてはならなくなるとすれば、その長期的なダメージははかりしれない。真面目に働いている理研職員や日本の科学者たちが気の毒でならない。

なげかわしいことだが日本科学界にこれ以上の追及ができないというのであれば、捜査権のある司法に場を移してでも事件の真相解明はなされるべきだ。
STAP事件以前の世界二大不正事件では論文検証や真相究明がしっかりなされているという。
当初《日本発の新たな夢の万能細胞》というイメージで世界に発信されたSTAP細胞だが、このままでは《日本発の「真相解明の責務すら果たせなかった」最悪の不正事件》として科学史に消す事のできない大きな汚点を残すことになってしまうのではないか──。

     *     *     *     *     *

※理研・野依良治理事長の記者会見が報じられていた↓
■理化学研究所:野依理事長「不正防げなかったのが問題」

http://mainichi.jp/select/news/20150324k0000m040098000c.html
(毎日新聞 2015.03.23)

記事によれば野依理事長は「(責任著者の)小保方晴子・元研究員は責任重大だが、研究チームが(不正を)防ぐことができなかったことが大きな問題」と総括し、今後の調査の必要性については否定したという。

これを読んで激しく違和感を覚えたので、今回の記事をYaoo!ブログに投稿することにした。
小保方晴子・元研究員の責任は重大だし、研究チームが不正を防ぐことができなかったことも大きな問題だろう。しかし一連の騒動で僕が最も問題だと感じたのは一研究者の不正問題よりも、むしろ理研という日本最先端の組織の不正発覚後の対応──真相究明をせず「論文撤回」で幕を引こうとした無責任さだ。
野依理事長は「研究が虚構だったというのが大事な結論。真相は解明できたと思っている」と述べたというが、理研の横槍を押し切って残存試料の解析をした科学者がいたからこそ「研究が虚構だった」ことが証明されたわけで、それがなければSTAP細胞とされたものの正体は不明のままだったはずだ。
起こしてしまった研究不正について、その実態が解明されていないのに今後の調査の必要性はないとする考えには大いに疑問を感じる。
科学的には「研究が虚構だった」ことが判明して決着したが、理研の「無責任な体質」は解決せずに継続している──と感じた。
研究不正の実態解明もできず、またする気もない──そんな「研究不正に甘い体質」の組織が、今後の研究不正を防げるものだろうか。

一連のSTAP細胞をめぐる騒動には、色々な人が様々なことを感じただろう。
野依理事長の説明では納得できないと感じた者の一意見として、個人的な感想ながら投稿しておくことにした。

スポンサーサイト