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作品批評で評価されるもの

映画や小説などの作品について批評したブログや日記はよくみかける。
とりあげられた作品について、ブログ主の評価が書かれてあるわけだが、じつはこうしたブログで評価されているのは、対象作品だけではない。ブログ主の鑑賞眼・作品分析力も同時に問われていたりする。

作品の好みは人それぞれで、作品の出来(完成度)とは別に鑑賞する側の個人的基準(好き嫌い)で評価が別れる事も多い。
ブログ主の批評が「作品そのものをきちんと評価」したものか、それとも単にブログ主の「個人的好み」を語っただけのものか──この差は大きい。
これを恋愛に例えるならば、前者は相手をよく理解した上で「その人の人間性」を好きになるタイプで、後者は「自分の求める好み」に符合する相手をさがし一目惚れするタイプ……といったところだろうか。
「好き(評価)」の度合いは、必ずしも相手(作品)への理解度に比例しないし、また、相手(作品)の人間性(完成度)と一致するとは限らない。

もちろん、個人が鑑賞した作品を自分の好みで評価することは悪いことではない。それは自然なことで、それ自体を否定するつもりはない。
ただ、作品を見て好きか嫌いかの度合いを決めるだけならサルでもできる。
ブログなどで作品を論じるのであれば、それなりにブログ主の見識のようなものを示してほしい──と閲覧者が望むのも無理からぬことだと思う。

僕は小説も映画も鑑賞量は低い方だが、知り合いの中には信じがたい読書量(多)の持ち主・たくさんの映画を見ている人がいる。
多くの作品を鑑賞している人はそれだけ鑑賞眼も磨かれているのだろう──と当初は思っていたが、意外なことにそれらの人の中には作品分析力が幼稚と言えるレベルの人も少なからずいることがわかって驚いたことがあった。

小説ファンや映画マニアが自腹を切り人生を削ってまで作品をたくさん鑑賞しようとするのは【作品に対する感受性が高い】ためだろう──と昔は思っていたが、そうした人たちと話すうちに、「この人たちは【作品に対するハードルが低い】ので、どんな作品でも(低レベルの作品でも)満足することができるのではないか」などと疑問を持つようになった。

ファンやマニアの中には、コレクター意識というのか……「欠番(見落とし)があることが許せない」という感覚で作品をチェックし続けているのではないか……と思えるような人もいる。内容についてはほとんど触れず(語れず?)、一定期間に何本見たと視聴作品数の多さを誇らしげに記して映画ファンぶりをアピールしている人もいる。単にスタンプラリーのように「鑑賞済み」スタンプをそろえるために作品を見ているのだとしたら、ちょっと寂しい。

個人的には小説を読んだり映画を見ただけでは、「鑑賞した」とはいえない気がする(その時点では、単に「読んだ」「見た」だけに過ぎない)。みた作品について、感動があればそれはどこから生まれてきたのか、ダメと感じたなら、それは何が悪かったのか……構造的な分析を含め、納得できるまで検証し(個人的な好き嫌いでなく)「作品としての評価」を定める作業を経て、初めて「鑑賞した」といえるのではないかと僕は考えている。

*総括なき多鑑賞

https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-229.html

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コメント

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又、ゆっくりおじゃまします。

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