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Twitterと短絡思考化?

■140字思考が短絡思考を助長する?
僕はツイッター(Twitter:140字以内の短文ブログを投稿できるコミュニケーション・サービス)をやっていない。
ツイッターには(ツイッターの利用者には)あまり良いイメージが無いからだ。

もちろんツイッターは道具に過ぎず、これ自体が良い悪いという事はない。
適切な使われ方をしていれば役に立つツールだろうという事は理解できる。
また利用者についても、賢い人は適切に利用するだろうし、アホはアホなりの使い方をするだけ──ツイッターを利用している者を1つにくくって悪く言うつもりはない。
これはツイッターに限らず、ブログやSNSでも一緒だろう。ツールはツールであり、利用者の人格(人間的価値)とは関係ない──そうしたことを踏まえた上で、ツイッターには問題のある書き込みが集中しやすいのではないか……もっと踏み込んで言えば「ツイッター思考」とでもいうような短絡思考を助長する危険があるのではないか──という漠然とした危惧を抱いている。

今どこで何が起きているのか──その時々の情報をいち早く伝達する手段としてはツイッターは便利なのだろう。
しかし、140字以内という少ない字数制限は、しっかりと「考え」を伝える手段としては言葉足らずになりがちで向いていない──「議論」には不向きなツールだと思う。
それなのに、このツールに入り浸っていると(?)、ツイッターの中で、つい「意見」を語ろうとする者が出てくる(のではないか?)。多くの人が注目しているテーマ・デリケートなテーマについての「(言葉足らずな)意見」は、波紋を広げやすいだろうし、議論に不向きなツイッターで議論(?)が白熱すれば、トラブルに発展する可能性も高い──そんな印象がなくもない。

扱われるテーマに対して読み手側と共通認識があり、論点がハッキリしていれば、短文でも「判る」ツイートというのも成立しうるとは思うが、基本的に「論証」の必要がある「意見」を短文(140字以内)で表現するのは困難だ。

にもかかわらずツイッター依存者(?)は、字数制限に合わせるため、元情報を脳フィルターを通して単純構図に加工して意見しようとする。その結果、自分が勝手に簡略化した改ざん情報に対して自分が文句をつけるというようなひとりよがりなツイート文に陥りがちな気がしないでもない。
この「単純構図化」に問題があり、ピントのズレた勝手な「見なし議論」が一人歩きして暴走、炎上に繋がるといったケースも少なくはないのではないだろうか。

少し前に、某日本人俳優がツイッターでフジテレビと韓流を批判したとして騒動になった事があった。
騒動を報じたニュース記事ではこの俳優がいったい何をどう批判しているのか「原因」がわからなかったが、続報によると、本人は韓流を批判してはいないと発言しているそうだから、この役者のツイートに「反韓流派(?)」が乗っかり「見なし議論(論点がズレた韓流批判)」が一人歩きして炎上・騒動に至ったのだろう。

ピントのズレた「見なし議論」については論評するに値しないが……騒動元の某日本人俳優が何を批判したかったのかについては興味があったので、本人が騒動後に開設したというブログ(騒動について本人が語ったという記事)を読んでみた。しかしテレビ業界に対する漠然とした不信・不満が語られているものの、フジテレビの(あるいは韓流の?)何がどう問題なのか、どうあるべきなのかについて「自身の考え」を読み取る事はできなかった。
彼の論点が整理されていない「不満」ツイートに読者が自分の不満を重ね合わせ、別の論点でツイートが展開し加速し炎上に至った──ということは充分起こり得ただろう。

Wikipediaによれば、「twitter」には「さえずり・興奮」「無駄話」の他に「なじる人・嘲る(あざける)人」の意味もあるというが、無責任に他者をなじったり嘲るには(も)都合の良いツールなのかもしれない。

ツイッターで「意見」めいたことを書き込む人は、他者が考えた意見(記事やブログ)をなぞって読む事で、自分の頭で考えたような気になり、自分の理解が正しいのかどうか充分な検証もせずに、その時点で反射的に(好き嫌いの次元で)自分の感覚に馴染まない点があると反応──その違和感を説明するための短文ロジック(屁理屈)をみつけ、書き込んでいるだけに過ぎない──そんな「つぶやき」が多い気がする。

問題の本質をきちんと理解・検証しようとせず、生理的な違和感を覚える部分についてのみ拾い上げ、それを埋める理屈をみつける事で「自分なりの意見(考え)を持った」と錯覚し満足している人が少なからずいるのではないか──そんな気がしてならない。

本来なら、ある意見に対し、批判・あるいは賛同でもよいが……自分の意見を述べる場合、元意見と自分の意見をそれぞれ検証できる形で提示するのがフェアだろうと思う。
自分が他者を批判するように、自分が提示した意見に対しても反対意見が出るかもしれないし、それを受けて立つ覚悟も当然必要だろう。その覚悟が無ければ、他者の意見を(不特定多数の人が閲覧できる場所で)批判などすべきではない──僕はそう思うのだが、そうした覚悟もなしに感情論(おそらく本人はそれが感情論とは気づいていない)だけで気軽に何かを批判して、「自分の考え方を持っている」と錯覚しているツイッター利用者が多いのではないか……。

ツイッターのコメントを読んでイラッとくるのは「批判」しているのは判るが、その批判が本当に妥当なのか否かを検証できる情報が示されていないときである。
140字以内の総括(?)では論証プロセスが抜け落ちており、投稿者自身がきちんと自負分の頭で必要な検証プロセスを確かめた上での「意見」なのか怪しい事も多い。
自らの考えをきちんと構築しまとめあげて説明する努力をせず、他者の記事に乗っかる形でお手軽に短文で片付けたがるだけの人は、思考も短文(短絡)仕様になっているのではないか──と疑いたくもなる。
「自分の考え(批判の論拠)を示さずに、他者の考え(記事)をああだこうだ言うのは失礼だしアンフェアだよなぁ」と感じる事がしばしばある。

そんなことがあって、ツイッターには「お手軽で無責任なプチクレイマーのツール」的なイメージが(僕には)あり、これがツイッターを好きになれない原因の1つだったりする。

最初に述べた通り、ツイッターは道具に過ぎず、問題はそれを使う人間次第だということは僕も承知している。実際「ちゃんとした」ツイッター利用者がたくさんいることも知っている。
しかしその一方で、ツイッターの140字思考になれてしまう事で短絡思考が助長されることはあるのではないか……といった危惧も捨てきれずにいる。
また、そんな疑いを感じさせるツイートを乱発する投稿者には「短絡思考」におちいっている自覚が無いばかりか、むしろTwitterで色んな意見に接する事で知見を広めたつもりになっているフシがうかがえたりして、これも気がかりだ。
自分の頭で考えきちんと検証する習慣を忘れ、感覚的な「短絡思考」で物事を判断する人たちが(も)ツイッター利用者の中には多いのではないかと心配になる。

さらに言えば、短絡思考で結論づけた「意見」ツイートに同調する人たち同士がつながりを作る事によって、「自分と同じ意見の人たちが、たくさんいる」→「賛同者が多いのだから自分の意見は正しい」という気になってしまい、「自分の頭で考え、論理的に検証する」という面倒なプロセスを怠って、共感や感情論をものさしに物事を判断する人が、ますます増えるのではないか……という懸念もある。

冒頭で書いた通り僕自身はツイッターをやっておらず、ツイッターについてよく知っているとはいえない。だからこの(僕が抱いている)イメージが当たっているのかどうかは判らない。
ただ、ネット上で僕が触れた範囲で感じている「よくない印象」をあくまでも個人的感想として記しておくしだい。

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コメント

No title
こんばんは^^

私は、ツィッターの意味がよく解りませんが、星谷さんの個人的感想をお聞きした事で、私なりに理解は出来たような気がします。

つぶやく利用者とつぶやきを受け止める者の解釈は非常に難しいですよね、それはよく感じます。
数年前にTV局の元女子アナウンサーがつぶやいたことが問題になり、マスコミもネタに騒ぎ出したお騒がせな報道があったことを、思い出しました。確かにツィッターの怖さを感じましたね。

私は、イメージは良く思えませんね。
無責任に、相手を非難、批評するには便利かも…((+_+))

利用する者、覗く者の責任を持って貰いたいものですね。
基本、私は利用しないし、覗き見ることもないでしょう、この先も。

『短絡思考を助長する?』「よくない印象」「個人的感想」には
賛成します^^私が上手く言えないことを的確に述べていますね。
No title
ツイッターの炎上騒動はちょくちょくありますね。
そういうことを含めて、ちょっと問題をはらんだ「場」だという気がしています。

もちろん、適切に有効利用している人も多いですし、使い方次第なのでしょうが、不適切な利用者も少なくないと感じています。

また「つぶやく」というとプライベートな感じがしますが、不特定多数の人が閲覧できる場に投稿するわけですから、実質「公の場で語る」のと変わりがありません。それなのにプライベートでつぶやくようなつもりでツイートする人が少なくなく、それがトラブルの一因になっているような気がしないでもありません。
No title
こんにちは^^

昨年、某TV局で番組の中で、コメンテイターが『ツイッターを利用してつぶやくのは、大衆の前で、拡声器を持って言うのと同じだから、
責任ある言動に注意しないと いけませんね』ってコメントしていたことも思い出しましたよ^^

私も、ウンウンて、頷きながら聞いてました。
確かに、トラブルの一因になっている気がして成りません。
気を付けないとね…((+_+))
No title
ツイートの中にはどうでもいいような「つぶやき」も多くて、そんな情報をいったい誰が欲しているのか? わざわざネットにあげる意味があるのか──と首を傾げたくなるような(うっとうしてだけの)実質スパムとかわりないような書き込みも目にします。

プライベートな無駄話になれてくると、つぶやいているのが「大衆の前」という意識が薄れてしまいがちなのかもしれませんね。
No title
あの場は、偏向していて妄信的な吐き気がするほど辟易する発信も滅茶苦茶多いです。
自分で調べた結果の情報でもないのに、「〇大学の△さんが言っていたので間違いないとか」バンバン出てきますね。
が、そこはフィルタに掛けてしまうと、内部告発的な未知な情報が取れたり面白いコミュニュケーションが取れたりしますので微妙なところ。
あとの普段の流れはお前がテキサスバーガーを食おうが、どこに居ようが関係ないって感じですが、それもTwitter。
#そしてバカ発見器はある意味機能していますwww。

私は、ごく浅く上澄みだけをすくっているところです。
No title
有益な情報交換もあるのでしょうが、ゴミ同然のコメントも多いですね。
始めれば色々フラストレーションを感じる事になりそうなので、僕は今のところツイッターに手を出す気にはなれずにいます。

「偏向」は同じような連中がつながりをもつことによってより増幅しているのではないかという感じもしますね。
No title
そしてFaceBookにも手(キーボード)が出せません。
No title
日本には昔から俳句というツィッターがあります。
五七五しか受け付けないようにしたら少しは頭が冷えるかもですね。
No title
>>124090 560TEさん

FaceBookはまだのぞいたことがないので、あまりイメージがわかないのですが……現時点では特に必要性も感じていないので、始めるつもりはありません。

>>isannkmwさん

俳句は制限(文字数)の中で、どう多様なイメージを表現するかという「作品」ですから、詠む人はいろいろ考え推敲もするし、美意識が反映されますね。

Twitterに書き込みをする人も、そんな美意識をもって文章を考えればツイートの品格レベルはだいぶ違ってくるのかもしれませんね。

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