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ムダの意義を再発見!?『働かないアリに意義がある』


奇をてらったようなタイトルにはちょっと胡散臭さを感じないでもなかったが、少し前にOhrwurmさんのブログで書評*を読んでいたので(「本書はアリなどの社会性昆虫の生態を一般の人向けに易しく解説したものである」とのこと)買ってみた。
*長谷川英祐著『働かないアリに意義がある』:自然観察者の日常
http://ohrwurm.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d3e4.html

読みやすく、素人でもわかるように丁寧に書かれた、真面目で興味深い内容だった。

さて、表題の『働かないアリに意義がある』とはどういうことか。
アリといえば『アリとキリギリス』の寓話ではないが「働き者」のイメージがある。
しかし、ふだん我々が目にする「(地表に出て)働いているアリ」は全体からみれば一部に過ぎず、実際は「7割のアリは休んでいる」(第1章)らしい。
その「休んでいるアリ」すなわち待機中の「働かないアリ」を置くシステムがアリ社会をうまく機能させている──というのがタイトルの意味するところである。

それではなぜ「働かないアリ」(待機アリ)がいて、それがどういう意義を持っているのか。これをうまく説明したのが【反応閾値(いきち)モデル】という考え方である。
【反応閾値(いきち)】という言葉を僕はこの本で初めて知ったのだが、「刺激に対して行動を起こすのに必要な刺激量の限界値」のことだそうだ。本書では「仕事に対する腰の軽さの個体差」と説明されており「腰の軽さ(重さ)」として記されている。

例えば、ある働きアリが1匹では運びきれないエサを見つけたとする。処理するには仲間の応援が必要なわけだが、応援要請の刺激に対して、全員が(同じように腰が軽くて)駆けつけてしまったのでは、1ヶ所に必要以上の労働力が集中し、作業効率がかえって落ちてしまう。そればかりか、他の仕事が手薄になって、緊急事態が生じた時など社会全体に損害を与えることにもなりかねない。

しかし実際には、同じ巣の中の働きアリには「腰が軽い」ものから「腰が重い」ものまでいて(反応閾値にバラつきがあることで)、「腰が軽い」ものから順次応援に応じ「腰が重い」が待機する事によって必要な仕事量に応じた労働力が投入できるようコントロールされているのだという──これが【反応閾値モデル】の考え方だ。

東日本大震災では一時期、全国から駆けつけたボランティアが被災地に過剰に集中して混乱を招いたことがあった。アリの社会ではこうした事態が起こらないように、必要に応じた労働力が過不足無く充てられるよう、シンプルにして効率的な仕組みができあがっていたわけだ。

人間とアリは、高度な社会を築いているという点で、よく比較されたりする。しかし人間のような大きな脳(情報処理器官)を持たないアリが社会を営むにはヒトとは全く違うシンプルなシステムが採用されているはずだ。僕は漠然とそう思っていたのだが、【反応閾値モデル】という概念には「なるほど!」と納得。新鮮な驚きを感銘を覚えた。

この本には他にも社会性昆虫にまつわる興味深い話を中心に色々と面白い昆虫ネタが紹介されている。僕が概要を説明するより本書を読む方が、解りやすくて面白いだろう。
また、紹介されている社会性昆虫のシステムもスゴイが、それを解き明かしてきた(解き明かしつつある)研究者の努力や洞察にも感心してしまった。

昆虫の多様性には感心する事が多いが、それにしても巨大な脳(情報処理器官)を持ち得ない昆虫がシンプルなシステムで高度な社会性を築くに至ったのはスゴイことだと思う。
進化の歴史の長さや世代交替の回数、一度に産まれる子どもの数などから見れば、人間よりはるかに進化を極めた昆虫ならではのことだろう。

逆の見方をするなら、人間よりはるかに進化を極めた昆虫が獲得した社会性──これに劣らない(?)社会性を、人間は全く別のシステムながら、(昆虫に比べれば)わずかな進化の中で(?)獲得できたというのもフシギな気がする。
人間になぜそんなことができたのだろう──と、本書を読みながらそんな事をあにためて考えてしまった。

ヒトは「概念」を理解し共有することで、昆虫とは全く違うシステムで複雑な社会を構築し営んでいる。そうとうざっくり言って──これを可能にしたのは、膨大な情報を処理する器官=脳の発達だろう。
他の動物と比べ過剰に増えた脳細胞──おそらく増殖時点では無駄に発達した脳細胞の余剰分──いってみれば脳の「空き容量(?)」が増えたことで、ヒトは意識や言語を獲得し「概念」の理解ができるようになった……と僕は理解している。

考えてみれば、ヒトの「脳細胞の余剰」は「働かないアリ」とちょっと似ている。
その時点では役に立っていないムダに見えるが、実はこれが大変重要な意味(意義)を持っていたわけだ。

無駄が無く効率よく機能しているシステムは一見理想のように見えるが、そこには創造性や次なるステップアップが生まれる余地はない。

そう考えると、せわしなく効率化を求め、無駄を排除したがる現代の風潮に対して、あらためて色々思わないでもない。
「ムダに意義がある」──そんなことは人生においても言えるそうな気がする。

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コメント

No title
ご無沙汰ですー。
なるほどー。興味深く記事を読ませていただきましたー。
そうそう・・必要悪って言う言葉もありますし、何もしないにも
意味がある。
組織だって全員が働いているわけじゃなく遊んでいる(あまり仕事が
できない)人が8割だと言われています。
遊んでいる8割を優秀な2割の働きによって維持させている。

でも虫がもっと巨大化して脳が大きく
なったら・・人間は確実に滅ぼされるでしょうね・・
そんな気がします。巨大昆虫って想像しただけでも恐ろしいです。
No title
「8:2の法則」「パレートの法則」については、この本の中でも触れている箇所がありました。
人間とは全く別のシステムで構築された社会性昆虫でも(では?)こうした現象が確かめられているそうで、おもしろいですね。

昆虫は構造上(物理的に)巨大化はできないハズですから、賢い巨大昆虫が現れて人間を滅ぼすという事は実際はないでしょうが……1匹1匹は小さなアリの大集団が人をも襲う『黒い絨毯』という昔の映画を思い出しました。
あれはなかなか怖かったです。

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