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身近な自然:里山








甥っ子が小さいとき、デパートで売られているカブトムシやアメリカザリガニを見て興味を示した。
僕はいわゆる虫屋ではないが、子どもの頃には定番の遊び──カブトムシやクワガタとりに夢中になった時期がある。
だから、子どもが昆虫に興味を持つ感覚は理解できる。
案の定、甥っ子はカブトムシやアメリカザリガニを欲しがり、買ってくれとせがんだ。
欲しがる気持ちはよ~く判る。しかし、カブトムシやアメリカザリガニを買い与えることには抵抗があった。
売っているものを買ってしまえば、それは「商品」という扱いになってしまう。
カブトムシやアメリカザリガニは「買うもの」ではなく「とるもの」──生息フィールドへ赴いてどんなところで暮らしているのか実感しつつ自分で探し見つけることに醍醐味がある──そんな思いがあったのだ。

というわけで、甥っ子をつれて里山に通うようになった。カブトムシやクワガタ、アメリカザリガニはもちろん、さまざまなな生き物たちと遭遇するたびに甥っ子はテンションを上げた。
それは僕が子どもの頃、里山で生きものをみつけては喜んだり驚いたりしたのと同じだった。
里山の自然は万人の心に浸透する魅力を持っている──そう強く感じた。

里山は人が作った環境だ。田畑に植えられた農作物は自然種ではないし、雑木林も人間の都合で管理されている。人が自分たちの都合で作り変えた世界なのだが、しかしそこには人が意図していなかった様々な生きものが入り込んで暮らしている。人工的に管理された環境でありながら、自然の活気に満ちた世界でもある。

里山で出会うちっぽけな虫1匹をとっても、じっくり見ると実によくできていることに感心する。繊細な体の作りも理にかなった生態もみごとに完成されている。昆虫は人間たちより遥かに長く多くの世代を生き抜いてきた──そうした進化の中できたえあげられてきた「結果」なのだろう。
地球環境を大規模に改変し、巨大な都市を作り上げ、他の惑星へ宇宙船を飛ばす人類だが、その科学力をもってしても、虫けら1匹つくりあげることはできない。そんなスゴイ存在が里山にはそこらじゅうにごろごろしている。そう考えると、小さな「生命」を育み育てる「自然」に驚異を感じずにはいられない。

僕ら人間が作った世界のすぐとなりに、人の意図とは全く関係なく、生命が躍動する未知なる世界が広がっている──小さな生命を通してその背景にある「自然」の驚異をかいま見る──里山はそんな場所だった。

自然を感じる事で、僕らは人間の構築した世界がローカルなものだということを逆に再認識できたりする。人間の常識は自然界の非常識──なんてことも多い。人工物に囲まれ、人の作ったルールの中で生きている我々だからこそ、ときには自然物に触れ、世界観をリフレッシュさせることが必要なのだと思う。

それができるフィールド──里山を保全しようという運動が各地で起きている。
身近に自然の豊かさを実感できる貴重な環境として、僕も存在し続けてほしいと思う。

「里山は人が作ったもので、本当の自然ではない」と言う向きもあるが、人手が入らず荒廃した山奥より、むしろ管理された里山の方がそこにくらす生き物の種類は豊富で生態系は充実しているように感じる。個人的には里山の凝縮した生態系は「自然の箱庭」という印象がなくもない。
「自然かどうか」という議論は「人の手が加わらない事を自然と呼ぶ」のか「人の活動も含めて自然と捉える」のか──そうした前提によってもずいぶん変わってくるだろう。
大事なのは「自然かどうか」ということより「自然が豊かかどうか(多様な生物たちが有機的に機能し合って豊かな生態系を構築しているかどうか)」ではないだろうか。
里山は人が作ったものだが、「自然の豊かさ」を実感できる身近な環境であり、その点が貴重なのだ。

また「里山を保全しようというのは個人的な郷愁を保全しようとしているに過ぎない」という指摘もある。「郷愁の保全」という指摘は当たっていると思う。ただ、里山への郷愁は単に個人的な次元のものではなく、万人が共有し得るものだと僕は考えている。「身近に自然を実感できる環境」というのは人間なら誰にとっても価値のあるものだと考えるからである。

ただ、昨今の里山保全の動きを見ていて違和感を覚えるのは……かつては「人間の意志にかかわらず自然に存在していた生きものたち」が今では保護の対象となり、人間たちの意識下に置かれてしまったことだ。
かつての里山においてカブトムシやクワガタは人間の生産目的外のどうでもよい存在であり、そんなものは勝手にとっても誰も文句を言わなかった。ところが、今は保全フィールドでガガンボ一匹とろうして、とがめられたりすることがあるという。

昔は人間の思惑とはかかわりのないところで、自力でたくましく生きていた生きものたちが、いつのまにか人間の加護の対象となり管理されるようになってしまった……なんだがそれではデパートの屋上で「商品」として管理されているカブトムシやアメリカザリガニみたいだ……そんな寂しい思いがしないでもないのである。


ところで、先日、『「自然との共生」というウソ』(高橋敬一/祥伝社新書/2009年)という本を新宿紀伊國屋書店で買ってきた。
この本はOhrwurmさんのブログ【自然観察者の日常】で知り、読んでみたいと思っていたものだ。
実はあちこちの書店をのぞくたびに探していたのだが、なかなか見つからなかった。注文してしまえば確実に手に入ると判っていても、つい「本は本屋でみつけたい」と思ってしまう。それは「カブトムシは雑木林で見つけたい」という感覚とちょっと似ていなくもない。本質的には全然違う話なのだが……。

ということで、この日記は『「自然との共生」というウソ』を読んでの感想の序章のようなつもりで作成した。
この本を読んで色々な感想を持ったのが……一度にまとめて書くのは大変なので、どんな形で書くか思案中なのである。

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コメント

No title
こんにちは。
私の大好きな生き物の写真をたくさん見せていただきました。
ありがとうございます。
私の住んでいるところも町のようで、山が近いので色々な生き物がいます。
「自然との共生」というウソ という本ですが、次の記事の内容を見ると、実際に里山に済んでいる方なのかな、と思いました。
子供の本で、申し訳ないのですが、今本屋さんに売っている、月刊「たくさんのふしぎ」の4月号「野生動物の反乱」をご覧になって下さい。
わたしも「ミツバチ」で書いていた内容と近いので、読んでみましたが、絵もきれいで生活している人の目で書いてあるなあ、と思います。
No title
>>みつばちさん

コメントありがとうございます。「たくさんのふしぎ」は何度か買ったことがあります。テーマごとにわかりやすく、内容が充実していていい本ですね。
ちょっと検索してみたら、4月号は里山がきちんと管理されなくなったことで起きている問題もとりあげているみたいですね。
野生動物が農作物をあらすというニュースはよく目にしますが、こうした事とも関係しているようですね。

自然はふくざつにからみあって成り立っているのだということを改めて感じます。

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