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映画『ゼブラーマン』感想

映画『ゼブラーマン』を観て感じたこと
※ネタバレ含む

邦画『ゼブラーマン』(2004年)は何度か観ており、個人的には楽しめた作品だった。

ヒーローに憧れるさえない小学校教諭がこっそり自作したヒーローが主役になってしまう──という所が面白い。
(なんで普通の人に突然超人的能力が宿ったのか──そのあたりは釈然としないけれど)

完成した変身姿で自販機までジュースを買いにいこうかどうか葛藤するシーンや、TV版ゼブラーマンのファンである生徒の家を調べ「ビミョ~な距離だよなぁ」とつぶやくシーンは共感を伴う(?)笑いをさそう。

ゼブラナース登場のシーンやカニ怪人と戦った後カニを食いながら大笑いし目覚めるシーンは何度観ても爆笑してしまう。

かつてのTVヒーローを彷彿とさせる要素が随所に盛り込まれていて、そういった遊び心が感じられる所も楽しい。

ということで「面白く楽しい映画」ではあったのだが……、

ただ、作品として観た場合、残念ながら完成度は高いとは言いがたかったりする。
設定やストーリーに不備が目立ち、まとまりが悪い。そういった点から脚本力はむしろ低いとみざるをえない。
ちょっとインディーズ臭がするところが好きなのだが、これだけのキャスト・スタッフ・制作費を使えるのなら、もうちょと違ったものが作れなかったか……とつい考えてしまう。

設定やストーリーの部分で腑に落ちないのが──、

かつて放送されていたTV版ゼブラーマンが、「宇宙人の侵略を地球人に知らせるための警告」だったという点。

どうしてわざわざ、裏切り者の宇宙人がTV番組の脚本家になって、ヒーロー物の形を借りて将来起こるエピソードを知らせる──などという手の込んだコトをする必要があったのか。「警告」なら、他にもっと直接的あるいは有効な手だてがありそうなものだが……手間ひまかけてわざわざ判りにくくしている印象が否めない。

だいたい何故、教頭は未来に起こる事件を知ってシナリオを書くことができたのか?
将来何が起きるのか判っていたなら、テレビドラマにするなどという面倒なことなどせずに、危機を回避するための適切な手段がとれたはずではないのか?
もし予知した未来の通りにしかならないというのなら(改変が不可能ならば)「警告」そのものが無意味ということになる。

映画ではゼブラーマンが「飛ぶ」ことをヤマにもってこようとしている。そのアイディア自体は悪くない。ただその理由付けが、(ゼブラーマン風に言えば)なっちゃいない。
「ゼブラーマンが飛べないために宇宙人に敗れる」という最終回シナリオ(予知)を知ったゼブラーマンが、シナリオに反して「飛べるように練習する」というのがとっぴすぎる。「飛べないことが敗因」ならば、「飛ばねばならない状況を回避する戦法」を考えるのが自然だろう。「飛べずに負けた」ということは「飛べたら勝てた」ということにはつながらない。「敗北のシナリオ」を変更する為に少しでも可能性の大きな選択をしなければならない状況で、見通しの無い(可能性の無い)「飛ぶ練習」を選び漫然と続けているというのは大いに説得力に欠ける。

ストーリー上、強引にでも飛ばしたかったのであれば、それなりの仕掛けが必要なのだが……残念ながらこの作品ではそこがかなりいい加減だった。
「信じれば夢は叶う」という安易なところに逃げてしまったな……という印象が強い。


あと、気になったのが宇宙人に寄生された人間の扱い。ゼブラーマンが戦う相手だが……「人間に化けた宇宙人」を退治するのであれば判る。ただ「宇宙人に寄生された(あやつられた)人間」を簡単に殺してしまって良いものか……そのあたりの処理もひっかかる。
宇宙人に寄生された子どもたちが駄菓子屋を衝撃するシーンでは、ゼブラーマンは自分の息子だけを救出している。それまで他の相手は当然のように殺してきたのに自分の息子は特別扱いなのか?
救出した息子は宇宙人を吐き出し正気に戻る──ということは、それまで殺してきた相手も、宇宙人を離脱させれば元の人間に戻り生きていられたことになる。

とりあえず息子は正気に戻ったが、息子と一緒に駄菓子屋を襲撃した他の子どもたちはどうなったのか? 緑色の赤ん坊と母親の運命は?
このあたりの処理にも疑問が残る。

他にも色々感じるところはあったのだが……とりあえず以上の点が大まかにいって不備を感じた部分。
「楽しめる(部分のある)作品ではあるのだけれど……残念ながら、作品の完成度としては低い」というのが僕の評価だ。

作品は面白い要素を盛り込めば観客は喜ぶ。しかし盛り込んだ要素が作品として(整合性を持って)きちんと消化(昇華?)されているかどうかが、作品の善し悪し(完成度)というものだろう。

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