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子どもはなぜヒーローが好きか

子どもはなぜヒーローが好きか

強くてカッコ良いヒーローやヒロイン。
いつの時代も子どもたちはヒーロー・ヒロインに憧れる。
ではナゼ子どもたちはヒーローが好きなのか?
それは子どもが弱者だからだ──と僕は考えている。社会的にも肉体的にも精神的にも未熟な子どもは、潜在的にいつも様々な不安や怖れを抱えている。
不安や怖れに脅かされやすい弱い存在だからこそ、それらを払拭する強いヒーローに憧れるのだろう。

「怪人」は昔で言う「お化け」や「幽霊」のようなものに似ている。子どもの心に巣食う不安や怖れを投影する存在。
ご存知のように子どもは「お化け」「幽霊」の話が好きである。
怖がる。なのに聞きたがる。
ちょっと矛盾した反応のようにもみえるが、この心理というのはおおよそ次のようなものだろう。

子どもは、(潜在的に抱いている)不安や怖れを「お化け」や「幽霊」というイメージに託し、「お話」を介してそれらと対峙し、乗り越えるべく決着をはかろうとする──「お話」の中でお化けを退治したり・時には仲良くなったりすることで、不安を解消し安心を得ようとするわけだ。
つまり「お化け」「幽霊」のハナシは不安を乗り越える為の疑似体験・代償行為のようなものと言えるかも知れない。

「怪人」も、こうした「お化け」「幽霊」同様、子どもが抱える<不安>や<怖れ>を投影する対象なのだろう。
<不安>や<怖れ>の象徴であるところの「怪人」──これを、子どもに代わってやっつけてくれるのが「ヒーロー」である。
こうした潜在的構図を背景に「ヒーロー」が「怪人」を打ち負かすことで子ども達はカタルシスを得る。
そして、自分がヒーローになったつもりで怪人をやっつける遊びを模倣し、安心感・充足感を得ようとするのである。

ところで、「怪人」の意味するものは「<不安>や<怖れ>の象徴」だけではないだろう。
子どもは怪人を怖れる反面、未分化な自分を投影したり、社会のルールにとらわれず自由奔放にふるまう怪人に、憧れや共感のようなものを感じている部分もあるのではないかと思う。

子どもが住む世界──親や大人によって構築された社会・秩序は子ども達を守り育むものだが、その反面、子どもたちを抑え縛るものでもある。
その中に身をおいていれば安心だと判っていても、ときには規制・管理されることが窮屈になり、自分を縛るものから開放され、勝手気ままに振る舞ってみたくなる──そんな潜在的な願望もあるはずである。

子ども達の力では太刀打ちできない、彼らを縛る社会の秩序──それらを打ち砕く「怪人」の奔放さには、ある種のカタルシスがあるに違いない。「怪人」は安全を脅かす危険な存在・不安の象徴であると同時に、子どもを拘束する秩序を破壊し解放をもたらすあこがれ的存在でもあるともいえる。

「怪人」にもファンが多いのはこうした心理があるためだろう。

「怪人」のように、社会の窮屈なルールに縛られず自由奔放に振る舞ってみたい──そんな潜在的なあこがれを持ちつつ、「怪人」の破壊的な暴走に対しては不安や怖れを抱く──こうした二律背反的な葛藤が子どもの潜在意識の中には存在し、その《葛藤》の構図が「ヒーローと怪人の《闘い》」の中にも投影されている気がする。
だから、ヒーローの活躍に心を揺さぶられる。

「子どもはヒーロー好き」──その理由はこうしたとにあるのだろうと僕は考えている。


※HTMLモードのテストを兼ねて最収録

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