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舟崎靖子『魔法の時間です』感想

01魔法の時間です
図書館で借りた『魔法の時間です』(舟崎靖子・作/上野紀子・絵)ポプラ文庫版。『魔法の時間です』と『「メリーさんのひつじ」がきこえる』の2作品が収録されている。

先日の記事で間接的に触れた『魔法の時間です』という児童文学。僕は未読だったのだが、どんな内容だったのか気になって検索してみたところ、近くの図書館に蔵書があることがわかり、借りて読んでみた。おもしろい作品だったので、ネタバレを含む感想を少し記してみたい。
一言で言うなら〝こどものノスタルジーをくすぐるファンタジー童話〟だろうか。ノスタルジーというと、ある程度歳を重ねた大人のものというイメージがあるが、小学生(主人公)にもその感情はあって子どもたち(読者)と共有しうるものであることを示した作品だと感じた。
主人公は小学4年生のマツモトミチコという女の子。物語は4つのエピソードで構成されている。以下、順を追って記していこう。

①イケノヤムシとどくのある赤い毛虫どちらがつよい
ミチコのクラスには〝わすれっぽいくせに《忘れもの係》をしているイケノヤくん〟という男子がいて、ミチコはいつも意地悪をされる。腹を立てるも乱暴者のイケノヤくんには太刀打ちできないので、悔しい思いをし続けていた。あるとき、イケノヤくんに凄まれた瞬間──その言葉をきっかけに、以前にも同じようなことがあったという記憶が呼び覚まされる。3歳のときに遊んでいたネコに凄まれて、ミチコは〝魔法を使って〟ネコをカバンに変え、カバンにしたネコを元のネコに戻したことがあったのだ。当時の記憶と重なる状況下で、ミチコはとっさに〝魔法を使って〟イケノヤくんをイモムシ(教室で飼われていた教材)に変えてしまう──ことができた! そして自らも毛虫に変身して、イモムシになったイケノヤくんと対峙。ふだんかなわなかったイケノヤくんを屈服させて、もう乱暴や嫌がらせをしないと約束させる。第1話の最後は次のような文章で結ばれている。


 わたしは、あの〝カバン(ネコのこと)〟をカバンにかえたむかしのおそろしいぐらいすてきなできごとを思いだしたことと、力でかなわなかったイケノヤくんを、あやまらせたことがうれしくて、うきうきとしていた。
 このことを、だれかにしゃべりたくてしかたなかったけど、しゃべってしまうと、せっかく思いだしたものを、またわすれてしまいそうで、だまっていた。


小さかった時に魔法が使えたことを思いだし、その能力を今でも使えるという発見をしたミチコ。〝忘れていたすてきな秘密の扉が再び開く〟──そんな不思議でワクワクする導入のエピソードとなっている。

②やたらにとびたがるモンシロチョウのサッチャンと毛のぬけたハブラシのようなネコ
1時間目は理科のテスト(チョウについてのテスト/第1話で教室で飼われていたイモムシが緩やかな伏線になっている)。その直前、ミチコはトイレで泣きそうになっているクラスメイトのサッチャンをみつける。家から飼い猫がついてきてしまい、家まで連れ帰る時間も無く、学校が終わるまで隠しておくこともできそうにないので途方に暮れていたのだ。ミチコは自分の身に置き換えて考え、愛犬シロが家から着いてきて帰れなくなってしまったら……と想像して、サッチャンを助けてやりたくなる。そこでミチコはサッチャンにはネコを家においてくるように言って送り出すと、そこにいたモンシロチョウを捕まえて、魔法でサッチャンに変身させる。この〝モンシロチョウのサッチャン〟を授業には出席させようという〝魔法を使った替え玉作戦〟である。
ミチコは〝モンシロチョウのサッチャン〟と教室に戻り、一緒にテストを受けるが、替え玉であることがバレやしないかと気が気ではない。〝モンシロチョウのサッチャン〟はミチコの心配をよそに、あっさりと一番でテストをしあげるが、回答を提出したあと、チョウの癖が出て(?)宙を飛び始めてしまい、先生やクラスメイトたちを驚かせる。ミチコは大あわてで〝モンシロチョウのサッチャン〟をつかまえ保健室に連れて行く。そしてサッチャンの家へ電話をかけ、本物のサッチャンに誰にも見つからないように保健室に来るように告げる。本物のサッチャンが戻ってきたところで〝モンシロチョウのサッチャン〟をモンシロチョウに戻せば、替え玉作戦は終了できる。保健室にはイトウ先生が詰めていたのだが、奥のベッドで寝ているはずのサッチャンが保健室のドアから入ってきたので驚く。寝ているはずのサッチャンは消えていて、そのかわりにモンシロチョウが飛んで行ったのだった。
第1話では漠然と魔法の力は秘密にしておこうと考えていたミチコだったが、第2話では、魔法による替え玉作戦がバレてはいけないという状況のもと《秘密》にする必然性が増し、そのぶん緊迫感もスケールアップ。アクシデントをごまかしながら、ひとり秘密を守ろうとするミチコのハラハラ・ドキドキぶりがスリリングに描かれている。

③石どうろうがカエルになりシャクトリムシのわたしがウルトラCをやる
登校前に愛犬シロ(第2話で、ちょっと出てきた)が行方不明になっていることが発覚。前回は、魔法で変身させた〝モンシロチョウのサッチャン〟をヒヤヒヤしながら見守る立場のミチコだったが、第3話では自らがスズメに変身して事件解決のために飛び回る(より積極的な内容となっている)。スズメになって学校を離れている間、学校には替え玉として《魔法でミチコに変身させたシャクトリムシ》を残してくる。スズメとなって空から捜索していたミチコは、イケノヤくんの家の庭で木につながれていたシロを発見。ミチコはシロを解放し、仕返しに(イケノヤくんを驚かすため)石灯籠を魔法でカエルに変えてつないでおく。シロが自宅へ向かうのを確認して学校に戻ると、ちょうど〝シャクトリムシのミチコ〟が跳び箱を跳ぼうとしているところだった。シャクトリムシではどうせ醜態をさらすだろうと落胆したミチコだったが、意外にも〝シャクトリムシのミチコ〟はウルトラCを決めて先生やクラスメイトのド肝を抜く。
魔法によってシロの問題は解決することができたが、予期せぬところでミチコは話題の人になってしまった。しかし、ミチコが注目されていたのは次の体育の授業まで。本物のミチコは跳び箱がうまく跳べず、忘れ物係のイケノヤくんに「マツモトミチコは、ウルトラCをわすれました。本日のミチコのわすれもの、ひとーつ!!」とからかわれてしまう。

④ひきだしつきのカシの木ともも色のクジラ
先生に言われて教卓の重い引き出しを開けようとしたミチコは、以前にもこんな引き出しを開けたことがあったように感じる。しかし、それが何だったのかが、なかなか思い出せない。視聴覚室で「木の一生」というテレビを見ていたとき、映像に映し出されたカシの木の幹に一瞬〝ひきだし〟が見えたような気がする──と、次の瞬間、思い出せずにいた〝ひきだし〟の記憶が蘇ってきた。引き出しのあるカシの木──それは魔法を使えていた頃の幼かったミチコがよく行く場所だった。思い出したとたん、ミチコを乗せたイスは浮き上がり視聴覚室のカーテンをすり抜けて空を飛んでいた。かつて引き出しのあるカシの木へ行くときは、こうして空を飛んで行ったのだ。カシの木の引き出しにはに大切なものがしまってある。その引き出しはひとつではなく、たくさんあって、それぞれにクラスメイトの名前が記されていて──イケノヤくんの引き出しもあった。ここへ空を飛んでやってくるのはミチコだけでなかった。みんながミチコと同じように空を飛んで来ていたのだ。魔法を使えたのはミチコだけの秘密ではなかった。幼い頃には誰もが魔法が使えていたのだ──全てを思い出したミチコに懐かしい思いが押し寄せる。イケノヤくんの引き出しには未来のことまでわかってしまう赤い帽子が入っていて、昔、彼に遠い先のことを尋ねたら「ここで、みんなと遊んでらあ」と答えたのだった。ミチコの引き出しを開けると本物そっくりに描けるクレヨンとスケッチブックが入っていた。ミチコが隣の席のユリちゃんを描くと、絵の中のユリちゃんが「視聴覚室のテレビの時間が終わったよ」と教えてくれる。するとミチコは視聴覚室のユリちゃんの隣の席に戻っていた。
ミチコはみんなが忘れてしまっているカシの木のことや魔法が使えたことを思い出してもらうために、魔法を披露しようとする。が、どうしたことか魔法は全然かからない。
視聴覚室の黒いカーテンが開けられていくと、晴れた空に雲がひとつ浮かんでいる──ミチコにはそれが桃色のクジラに見えた。昔、ミチコがネコをカバンに変えたように、どこかで誰かが雲を桃色のクジラに変えたのだと思った。
ミチコはお腹が痛くなりトイレに行き……保健室の先生に「おめでとう。あなたも、おとなになったのよ」と告げられる。

着想は《ミッシング・タイム》への興味か?
僕は昨今、物忘れが増えて「子どもの頃は記憶力もしっかりしていたのに」──なんてよく思うのだが、考えてみれば幼い頃の記憶というのは昔から残っていなかった。これは10歳そこそこの子ども(ミチコの年頃)にしてみれば、〝たった数年前のことなのに記憶が無い〟ことは不思議なことだろう。そして、この不思議なことを誰もが不思議とは思っていないことが、また不思議である。その〝誰も覚えていない不可思議な《ミッシング・タイム(?)》〟への興味と回顧が、『魔法の時間です』の着想に繋がったのではないか。
《思い出すことができない謎めいた時間》なのだから、その中で《謎めいた不可思議な出来事》が起こっていたとしても不思議ではない!?──そんな発想から《幼い頃には魔法が使えていた》という設定を創作したのではなかろうか?
ふとしたきっかけで《幼い頃には魔法が使えていた》ことを思い出したミチコは再び魔法を使えるようになる。ミチコは当初、この素敵な秘密を自分ひとりのものとして心にしまっておくが、あるとき(第4話で)、それが自分ひとりの特殊なものではなく、他の子もみんなが持っていた普通の能力であることを思い出す。「《悟り》がひらけた」かのような「《引き出しのあるカシの木》の記憶の復活」。《ミッシング・タイム(?)》の全貌を鮮明に思い出したところで、魔法が無効化する──邂逅と喪失の展開が劇的だ。ショックではあるが、同時に、そういうものかもしれない……という納得感が漂う。
魔法が使えなくなるのと時を同じくしてミチコが初潮を迎えるラストは、大人へのシフトにともなう喪失を示唆している。
《幼い頃には誰もが魔法を使えていた》という発見。その《自分たちがもう帰ることができなくなってしまった世界》は、今もどこかにあって、雲を桃色のクジラに変えている子が遊んでいる──そんな感慨が、子どものノスタルジーとして巧みに描かれているように感じた。

読み終えた後に、『さよなら魔法の時間』というタイトルが頭に浮かんだ。僕なら、そんなタイトルがイメージに合っているように感じられた。しかしよく考えてみれば「さよなら」をつけてしまうと魔法が使えなくなってしまうという重要な結末が読者に予想できてしまう。それではマズいので『魔法の時間です』としたのかなぁ……などと想像してみたが、もちろん実際のところは作者に聞いてみないとわからない。

《魔法の時間》は《ねこの森》!?
『魔法の時間です』を読んで、この懐かしく切ない雰囲気をどう説明すれば(本編を読んでいない人に)伝わるだろうかと考えていた時、ふと思い浮かんだのが、谷山浩子・作詞作曲『ねこの森には帰れない』という歌。「この曲と雰囲気が似ているところがある」といえば、知ってる人にはわかりやすいかもしれない。

《魔法の時間》は《クチブトゾウムシの牙》!?
余談ながら……《ほんの一時期、期間限定で備わっていたふしぎなアイテム》──という意味では《魔法の(使える)時間》は《クチブトゾウムシの牙》とも似ている気がした。これはごくごく個人的な感想。
ゾウムシは長い口吻がゾウの鼻を連想させることからその名がつけられたのだろうが、中には短吻類と呼ばれる口吻が短いものも存在する。クチブトゾウムシの仲間は羽化して間もない新成虫には牙のような突起があって、ほどなく脱落してしまう。僕がこのことを知ったのは虫見を初めてだいぶたった頃だった。《ゾウムシの知られざる(?)牙(状突起)》は、なんだか不思議な話のように思われ、《魔法の時間》とつながるものがある……ような気がしてしまった。
02クチブト象虫
クチブトゾウムシの通常の容姿⬆と、ずいぶん印象が異なる牙付き個体⬇

03牙象虫A
04牙象虫B
牙付きクチブトゾウムシ&ヨツボシチビヒラタカミキリより


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コメント

No title
とても良いお話だなと感じました。何となくそういう体験あるような気がします。
結構現実的な子供だったですが、夢の中で空を飛んで空中を自在に飛んでいた記憶があります。
Re: No title
どういう作品なのか、読んだことが無い人にもイメージできるように、概要をまとめて紹介しましたが、ストーリーだけでなく文章もなかなか魅力的です。
最後のエピソードの主人公の心の高揚の描かれ方も見事で、女性作家の〝感性〟のようなものを感じました。

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