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プチ読字障害!?読むわずらわしさ

01読字障害

同じことをしていても、人によって脳味噌の使い方に違いがあるらしい。僕の場合、読み書きに関する感覚が、どうも他の人たちとは違うのではないか……と思うことがある。
僕は基本的には〝読む〟のがおっくうだ──2つに分ければ読書嫌いの部類だろう。しかし面白いハナシを鑑賞したり創作しするのは好きなので、それを実行するためには読んだり書いたりしなくてはならない。だから、しかたなくしているところがある。
「面白い内容を楽しむために、おっくうな読書をする」というのは例えてみれば、「欲しいものを得るために、面倒だけど出かける」といった感覚に近い。満足できるものが手に入れば少々遠いところまで出かけても「その価値があった」と納得できるが、読んだ内容が期待はずれだと、近場でも(短い読書でも)「無駄足だった」という不満と徒労感が残る。
インターネットの動画ニュースでは、動画で語られるナレーションがそのまま文章でも掲載されているが、文章を読むよりナレーションを聞く方が、はるかに楽で、すんなり頭に入る。同じ内容でも文章で読むのはわずらわしく感じる。

これに対し、読むこと自体を好む人がいる。活字中毒を自認する人は、手近にある活字は広告の隅々まで読まないと気が済まないらしい。読むものが無くなってしまうと渇望感すら覚えるという。
僕の知人には読書家が多いが、そんな1人と一緒に本屋に入ったときのこと。彼女は小説の書架の前に立つと、「この棚では、これとあれとそれと──」と数冊を指差して「読んだことがある」と言うのかと思いきや、「それ意外は全部読んだ」と言うのでたまげたこともあった。その人は学生時代、図書室にある小説を全部読破してやろうとおそろしいことを企てたことがあったそうな……。
〝読む〟ことをわずらわしく感じる僕には想像もできないことである。

小説というのは、読んでみないと内容が(おもしろいかどうかが)判らない。僕の場合「苦労して読んだのにおもしろくなかった」という無駄足感にイラつくことが少なくない──わざわざ遠くからやって来たのにお店が休みだった──みたいな感覚である。内容の価値は読んでみないとわからない──これは仕方が無い「リスク」として割り切って本を買うのだが、期待ハズレだと、やはり損した気分になる。せっかく買った本を最初の頁を読んで〝積ん読〟に回すことも多い。買った本を読まないというのはムダのようだが、面白くない本を最後まで読むのは、さらなる時間と労力のムダ──徒労の上塗りになる。そんな時間と労力があるのなら、次の「面白いかもしれない本」に回すべきだという判断が当然のように働く。
そんなだからガッカリするリスクの高い未読本に挑戦するより、かつて読んで面白かった本を読み返すことが多くなり、読書量は増えていかない……。
おそらく、普通の(?)読むこと自体に苦痛を感じない人・読むことが好きな人は、面白くない本を読んでも、さしてダメージは受けず、だからどんどん新作が読めるのではなかろうか。

〝書く〟方に関して他の人と違うと感じたのは──僕は学生時代、英語を書くときには決まって活字体を使っていた。他の生徒は筆記体で書いていて、その方が書きやすいのだろうとは思っていたが、僕は筆記体で書いた記憶が無い。教科書に掲載されている〝覚えるべき英単語〟は〝活字体〟で表示されているのだから、英単語を覚えるときは、紙面の(活字体の)〝字づら〟で記憶する。だから、書く時も当然覚えた〝字づら〟を再現するのだから活字体になる──といった感覚。活字体の字づらで覚えた単語を筆記体に変換するのが面倒なので、書くのに若干時間はかかっても活字体で書いた方が楽という感覚があった。

読書中の内なる声!?】の中でも記したが、僕は文章を読んでいるとき、頭の中に音声は再生されない(黙読で頭の中に文章を読み上げる「声」が聞こえる人は8割以上いるらしい)。僕の場合、文章の中に出て来る「高山」は「たかやま」でも「こうざん」でもなく「高山」という字面のまま読んでいる。
昆虫の標準和名もカタカナの字面で覚えているので、その虫を見た時、すぐに言葉に出てこず、頭の中にカタカナの文字列を思い浮かべて、それを読んでやっと音声を思い出すといったことも少なくない。

これと関係がありそうな気もするのだが……パソコンの入力も、僕はワープロ時代から今に至るまでずっとカナ入力をしていてる。ローマ字入力を覚えればタイプも早くなるだろう──と思うものの、頭の中で日本語の音をローマ字に変換するのがわずらわしいために、ずっと敬遠し続けてきた。

《読字障害》という言葉を知ったのは、しばらく前に見たテレビ番組だった。聞いたり話したりすることは普通にできるのに読み書きだけがうまくできない障害のことだ。読むことに労力を要す──という意味では、(程度は深刻ではないが)僕にもそのケがあるのではなかろうか……などと思った記憶がある。
《読字障害》で検索するとWikipedia では【ディスレクシア】として取り上げられていた(今は《ディスレクシア(dyslexia)》の方が通りが良い?)。その記事によると、顕著な例として数字の「7」と「seven」を同一のものとして理解が出来ないことが挙げられていた。これは僕が学生時代に「活字体」と「筆記体」を紐付けることにわずらわしさを感じていたということと、若干似ている……。

僕が《読字障害》を知った番組は録画してあったので久しぶりに見てみた。2008年10月12日に放送された『NHKスペシャル 病の起源 第4集「読字障害~文字が生んだ病~」』という番組だった。
《読字障害》は、アメリカでは10人に1人、日本では20人に1人いるという。
ヒトの脳には話したり聞いたりするための専門領域(言語野=ウェルニッケ野+ブローカ野)は備わっているが、書いたり読んだりするための専門領域というのは無く、読み書きの情報処理は既存の機能を代替利用してなんとか運用しているのだという。

具体的には言葉を処理しているのは左脳で、音声の場合、耳から入った音情報は聴覚野に届き、ウェルニッケ野からブローカ野に送られて言葉の意味が理解される(ウェルニッケ野とブローカ野が言語野と呼ばれる領域)。
文字の場合は、目から入った文字情報は視覚野で形が識別され、39野・40野で音の情報へと変換されて、ブローカ野に届くと初めて言葉の意味が理解されるのだという。39野・40野というのは視覚情報・聴覚情報・体性感覚情報を統合する高度な情報処理領域らしい。読字障害の人は、この39野・40野が充分に機能しておらず、文字を音にうまく変換できないために言葉の理解が困難になるということが起こるらしい。

僕の場合は「高山」という文字を見て「たかやま」あるいは「こうざん」という音に変換しないで認識しているから、39野・40野の「音に変換する」役割りは(普通の人のようには)機能していないのかもしれない。しかし「音に変換する」プロセスをショートカットして意味は理解できているのだから、深刻な読字障害の人ともまた違う情報処理の仕方をしているのかもしれない。

ところで読字障害の人は読み書きでは苦労するが、立体的な把握をする能力には長けている傾向があるという。39野・40野の活動が低いのを補うためか、右脳の活性が普通の人より高いことが確かめられているそうだ。図形の認識や空間の把握、芸術性・創造性をつかさどる右脳の活性が高まることで、そうした能力を発揮する人も少なくないという。
パブロ・ピカソ、トーマス・エジソン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタインなども読字障害だったらしい。

読み書きは不得手だが、空間認識の能力は高い──プチ読字障害っぽい(?)僕にも、ちょっと思い当たることがある。
以前、『たけしのコマネチ大学数学科』という数学バラエティー番組があって、よく視聴していた。冒頭で出題される数学の問題を北野武と現役東大生チーム(2人)とたけし軍団が競って解くという番組。僕は数学が得意なわけではないが、数学の問題というのは解き方を教わったことが無くても、考えれば解けることもある。もちろん解けない問題も多く、ときには問題を理解することすらできないこともあったが、まれに北野武や現役東大生チームより早く、あるいは彼らが解けなかった正解に到達することができることがあった。それらは立体的な図形に関する問題であったり、解き方のプロセスで図形に置き換え空間的イメージで考えたものだった。図形や空間に関連して解くことができる問題であったことを考えると、僕もやはりそのケ(読字障害?)があるのかもしれない。

このブログでは、たびたび空目ネタをとりあげているが、視覚的な類似ポイントに反応してしまうというのは、これもプチ読字障害による右脳の活性化と関係があるのかもしれない?
ぷち地蔵アカシマサシガメQuiz】あたりは、もしかしたら読字障害の人の方が理解しやすい問題だったかも?──なんて気もしている。


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コメント

No title
ピカソやアインシュタインと同じなんて天才肌でいいですね。
星谷さんは文字量に対して誤字脱字が少ない(ない?)ように思いますがそれも関係あるのでしょうかね?
イモムシ、よくできてますよね~。わたしは答えを考えるので精いっぱいですが、答えを見てスッキリする「きちっとした問題」だなと思います。
Re: No title
読字障害タイプの脳味噌の(使い方をする)人は一定量いるようですから、ピカソやアインシュタインは、その中でも出来の良い部類だったのでしょうね。
左脳の39野・40野がうまく文字対応できないので右脳を使うのか、右脳が処理しようとするから39野・40野とのコンフリクトが起こるのか……いずれにしても人によってストレスの程度がかなり違うことから考えると、文字の処理についてはいくつかのやり方(回路?)があるのかも?

僕の記事ではタイプミスや変換ミス、校正ミスがけっこう多く、加齢とともに増えてきたような……。投稿する前に読み返してチェクしているのですが、投稿後にミスが見つかって校正していることが多いです……。

僕は文字を視覚的な記号として感じるのですが、文字列で単語を認識しているためか(?)文字列空目も起こりやすいような……「ウコン茶」は今でもカナの並びが似ている別のモノに誤認しがちなので油断ができません。

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