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葬儀嫌い

僕は神も霊魂も信じていない。宗教的には完全に無色だ。だから宗教色のある儀式──葬式には強い違和感がある。若い頃は、そうしょっちゅうあることではないし、義理もあるから形式的な行事だと割り切って参列していたが、会場では彼らに混じって教徒のフリをしなければならないのが苦痛だった。だから、どうしてもぎこちなくなる。中にはそれを指摘す人もいて、さらに気が重くなる。義理だと我慢して出席しているのに、とやかく言われるのなら、もう行かない。宗教的儀式は違和感無く受け入れられる人たちだけでやってくれ。信仰心を持たない異教徒が行くところではないと考えるようになった。

僕が最後に参列したのは光瀬龍先生の葬儀だ。棺桶に収められた先生の顔を見おろしたとき、とてもいたたまれない気持ちになった。というのは、光瀬先生なら、きっと自分の死んだ姿を親しい人たちにさらすのを嫌うだろうと思ったからだ。自分の身に置き換えて考えてみれば、僕だって死んだ姿を知人たちにジロジロ見られるのは嫌だ。自分が(そしておそらく光瀬先生も)してほしくないことを他者にしてしまった……という罪悪感にも似た気持ちにさいなまれた。
そんなトラウマがあって、以降、葬儀には参列していない。

死んだ姿を見られたくない・見たくないという感覚は──排便する姿を見られたくない・見たくないという感覚に近い。排便は誰でもしていることだが、他人に見られたくはない。死も誰もが迎えることだが、死んだ姿をさらしたくはない……。

例えば癌などの病気で、切除された病変や切断された部位は廃棄される。部分か全体かの違いはあるが、死体も病変と同じ。僕の感覚では目立たぬように破棄されるべきものであって、さらすものでははない。
(脳死の場合は、活かせる器官は移植で再利用する道もある♧)
切除・切断された器官が破棄されるのに違和感が無いのは、分離された器官に〝魂は宿っていない〟と感じるからだろう。生きている限り、一部を切除しても、本体に〝魂は宿っている〟と感じるから〝魂は宿っていない〟部分を破棄することに抵抗は少ない。この〝魂〟と感じるのは〝その人の本質:人柄や感性など生前の活動時にかもされるその人らしさ〟であり、生体活動が停止すれば消失するものだ。死んだ肉体は、切除された病変と同じ──そこに〝魂は宿っていない〟ととらえるのが妥当だ。よく、死ぬと肉体から魂が離脱すると言うが、遺体には〝その人の本質:人柄や感性など生前の活動時にかもされるその人らしさ〟が感じられなくなることから、魂が離脱したという観念が生まれたのだろう。

しかし、葬式では便宜的に〝魂〟がまだ遺体に宿っていることにして、残された者たちが「お別れ」をする──これは霊魂を信じる(あるいは信じたい)残された人たちのための《お別れの儀式》という気もする。
死んでいく者からすれば……自分の遺骸をさらすよりも、生前の活動──〝その人〟が残した軌跡──功績や成果などに目を向けてほしいのではあるまいか。それが、〝その人〟を偲ぶことになるのだと僕は思うのだが……こんなふうに感じる人は少ないのかもしれない。

僕は小学校に上がるか上がらないかの頃に、いちど価値観・世界観が崩壊した時期があって、ものの見方・考え方の物差しをゼロから再構築したようなところがある(*①)。また、同じ頃からヒトの死についても考え続けてきた(*②)
それ以来、自分で考えて納得できることは認めるが、懐疑的なことは認めることができない。信じていない霊魂を存在するかのように扱うのは、偽りのふるまいをしているようで、自己同一性を保つ上でのストレスになる。
ただし、僕も、霊魂は物理的には存在しないものの主観的(心理的)には存在しうると考えている(*③)。だから、他の人が霊魂を信じていたり、神様を信じることは認められるし、信仰心も尊重できる。それゆえに幽霊を素材にした創作作品なども描いたりできるのである。



*①:僕は宇宙の常識人!?
*②:昆虫を見る意義!?〜人はなぜ死を恐れるのか?
*③:人はなぜ《霊》を感じるのか
因果応報(※脳死移植をテーマとしたショートショート)
異教徒ならぬ無教徒の死生観
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コメント

No title
星谷さんほどではないかもしれませんが、私もお葬式とか苦手ですし(結婚式も苦手です…意味合いが全然違いますが…)
遺体を見られたくないのはまったく同感です。
葬儀に来る人数は多ければ多いほうがいいのだ、という人が(地方だととくに)けっこういますよね。びっくりしましたし意味が分かりません。
コロナの影響で小規模なのが主流になっていてそれが定着するとよいですが。
Re: No title
葬儀嫌いなんて言うとヒンシュクを買いそうだなぁ……と思いつつ正直なところを投稿してみました。
とりあえず義理で参列してるけど、実は苦手……と感じている人も、意外に多かったりして?

僕もやっぱり結婚式も苦手だったりします。
盛り上がらなくちゃいけないんだろうなぁと思いつつ、冷めていくことでギャップが広がっていくみたいな……。

冠婚葬祭もインターネット上で済ませられるようになるとラクかもしれませんね。
メッセージを選択して、「焼香」をクリック──みたいな。
No title
ウチは先祖代々真言宗ですね。
子どもの頃は、
長い説法がキツくて仕方なかった。

今となっては、
それも含めて死生観として、
人生の肥やしになってますね。
葬式でも、その人を偲ぶ意味で、楽しく懐かしみ会話しますね。


けど、葬式が苦手な人もいますし、家族葬で済ませる人も多くなりましたよね。時代の流れですね。

Re: No title
死んだ人のためというより、残された人たちの気持ちを整理する儀式という気がします。

僕には子供の頃から培ってきた死生観があって、信者でもないのにアーメンを言わなくてはいけないのが辛いように、宗教的な作法が辛いと感じるようになりました。

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