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『絵本玉虫厨子の物語』と平塚武二

01玉虫厨子の物語
▲『絵本玉虫厨子の物語』表紙とタマムシ

『絵本玉虫厨子の物語』と平塚武二
佐藤さとるや長崎源之助が師事していた平塚武二の作品に『玉虫厨子(たまむしのずし)の物語』というのがあると知って読んでみたくなった。この作品は小学5年生の国語の教科書にも載っていた時期があったようだ。近くの図書館に『絵本玉虫厨子の物語』(平塚武二・作/太田大八・絵/童心社/1980年)という〝絵本〟があったので借りて読んでみた。
まずは作品の概要と感想から──。

『絵本玉虫厨子の物語』のあらすじ
国宝にも指定されている法隆寺の《玉虫厨子(たまむしのずし)》──仏像をおさめる厨子を作った若い仏師の話。名前は知られておらず、作品の中では「若麻呂」という仮称で語られていく。若麻呂は《美しいもの》を作ることにあこがれて仏師になった。美しい許嫁がいて、若麻呂がひとかどの仏師として成功することを条件に結婚が許されることになっていた。若い仏師は仕事を成功させるためにも美しい嫁をめとるためにも《美しいもの》の探求に邁進する。
そして若麻呂が素晴らしい厨子を制作しているという噂が流れる。じっさい、みごとな作品を完成まぎわというところまで仕上げていたのだが、美の探求にどん欲な若麻呂には、まだ何か足りないものがあるように思われ、満足できずにいた。そんなとき、虫とりをしていた男の子が持っていたタマムシが若麻呂の目にとまり、その美しさに「これだ」とひらめく──輝きを放つ美しいタマムシの翅鞘(前翅)を厨子の装飾に使うことを思い立ったのだ。
それからの若麻呂は、タマムシ集めに奔走する。そのようすが人々には奇異にうつり、「名をあげなければ結婚が許されない」というプレッシャーから「気がふれた」のではないかという噂が立つ。許嫁の話は解消することになるが、若麻呂の関心はタマムシをどうしたらたくさん集められるかということに向けられていた。
タマムシを探し続けるうちに、必然的に目に入る他の虫たちの生態についても関心を向けるようになった若麻呂は、それまで「虫けら」として気にもとめなかった存在の中に不思議さと美しさを見いだすようになり、厨子を完成させたあと、誰にも告げずに姿を消してしまった。その後、こじきのような姿で子どもたちと楽しげに虫とりをしている姿を見たという噂もあったが、会った者はいない。
タマムシの装飾をほどこした厨子が多くの人を驚かせ、法隆寺金堂におさめられたのはだいぶ後のことだった。

『絵本玉虫厨子の物語』の感想
なんだかパッとしない話だな……というのが一読しての印象。その大きな原因は、作品のほとんどが語り手による〝説明〟で進行しているためだろう。若麻呂を含む登場人物が、物語の語り手のうしろに隠れて〝生身〟感がない(影が薄い)。若麻呂の心情を描く箇所でも、それを語っているのは語り手であって若麻呂自身ではない。唯一、登場人物が動いているシーンとして描かれていたのは、若麻呂がセミとりをしていた男の子とであい、タマムシを見て「これだ」とインスピレーションを得る場面だけ。他の部分は昔話のような語り手の説明口調で描かれている──これが登場人物と読者の間に語り手が割り込んでワンクッション置く形となって、描かれた人物の気持ちがストレートに伝わってこない。そのぶん感情移入もしにくく、それが「パッとしない話」という印象につながったのだろう。

作者が描こうとした作品の意図は理解できる。美しさを求める若い仏師が、厨子づくりをしているうちに、素材として出会ったタマムシの美しさに魅かれ、昆虫の持つ不思議な美しさにのめりこんでいく……《真の美しさとは何か》を探求する若者の顛末が描きたかったのだろう。
ただ、僕には響くものがなかった。作品の中での虫への賛美(?)は、作者が本当にそう感じて描かれたものではなく、若麻呂の〝役の上での感動〟を描くために、にわか勉強で仕入れた〝卓上の知識〟で描いたものだったのではないか……そんな違和感がなくもない。
例えば、作中ではタマムシが樹液に集まるカブトムシやクワガタと同じように描かれ、夜更けの森林を松明を手にタマムシ採集に徘徊する若麻呂が人々には怪しげに映ったということになっている。これはタマムシのことをよく知らない人が想像で考えたシーンだろう。

それでは、この作品の優れた点はどこにあるのだろう? 佐藤さとるは文章を賞讃している。はたして平塚武二の文章はいかほどのものなのか……男児が捕まえたタマムシにインスピレーションを得て、その輝く翅鞘を厨子の装飾に使ってみた若麻呂の心情を描いた核心の部分を引用すると──、


 おお、いままでとらえることができなかった、美しいもののまことのすがたが、玉虫のはねをはりつけたとたんに、ありありとあらわれました。どんな貴い宝より貴い、貴い、命ある宝の光、人の力にとどかぬ美しいもののかがやき。それが、ただひとひらの玉虫のはねにこもっていようとは、おどろくばかりでございます。
 いまこそ若麻呂は、美しさをとらえることができました。美しさが、目の前にあるということも知りました。美しいものは、天上にあるのではなく、あてのないあこがれのなかにただよっているのでもなく、わが目の前にあったのでございます。美しいものは、なまじ美しいものをつくろうと思うものの手にはとらえられずに、無心の子どもの手にとらえられるのでございます。

(『絵本玉虫厨子の物語』P.32)

わかりやすく簡潔で〝文章は上手い〟のかもしれないが……感動しているのは語り手(作者)であり、若麻呂ではない気がする。

また、『玉虫厨子の物語』というタイトルからイメージする内容と実際の内容にギャップがあるようにも感じた。
タイトルにひかれてこの本を手に取った読者が想像・期待するのは、国宝にもなった《玉虫厨子》がどんなものか・どのようにして作られたのかということだろう。しかし、玉虫厨子やその制作過程についての情報は少ない。ユニークな装飾にいったい何匹のタマムシが使われたのかとか、制作に必要な膨大なタマムシを(何千匹も)いったいどうやって集めることができたのかなど、基本的な興味や疑問に対する情報も記されていない。そういった意味では、玉虫厨子に興味を持って読んだ読者には、物足りなさが残る作品であったかもしれない。
逆の言い方をすれば、作者は(昆虫同様に)玉虫厨子そのものには(も?)あまり関心が無かったのだろう。平塚武二が描きたかったのは《美の探求をする若者の姿》だったのだ。

読んでみようと思った動機
「平塚武二」という作家がいる(いた)ことは、佐藤さとる作品を読みあさっていた頃からその略歴(平塚武二に師事)などで知っていた。当時はさして関心も無かったのだが、先日【佐藤さとる『てのひら島はどこにある』の思い出】を投稿するにあたって関連エッセイなどを読み直しているうちに、再三登場する「平塚武二」とは、いったいどんな師匠だったのか、にわかに興味が湧いてきた。
弟子であった佐藤さとるや長崎源之助によれば『玉虫厨子の物語』という作品が平塚武二の代表作らしい。
《玉虫厨子》については僕もいささか関心がある。国宝にもなって世に知られている玉虫厨子(たまむしのずし)──これが野口雨情の童謡『こがねむし』のモチーフになったのではないかと僕は考えている。雨情の故郷周辺ではコガネムシはタマムシの俗称で、歌詞にでてくるコガネムシもタマムシのことだと思われる。歌詞に出てくるコガネムシ(タマムシ)が建てた《金蔵》というのは、実はタマムシを装飾に使った《玉虫厨子》のこと──《玉虫厨子》を《コガネムシ(タマムシ)の金蔵》に見立てるという着想を得て、雨情は童謡『こがねむし』を書いたのではないかと僕は思っている(※)。
そんなタマムシつながりの興味もあって、『玉虫厨子の物語』を読んでみたくなったというしだい。
そして実は《佐藤さとるらへの平塚武二の指導方法》に対する驚きが、今回この作家に対する興味のきっかけだった。
平塚武二は、弟子の原稿を初見で1行目から添削していくという指導法をとっていたというのである。

添削で作品が面白くなるとは思えない
創作作品に対しての添削による指導──原稿に手を入れていく(文章を手直ししていく)という指導には疑問がある。
まずい文章の問題点を明確にするための具体例として挙げることはあっても良いと思うが、作品の頭からいちいち文章を直していくのはナンセンスだと思う。ある場面を表現する文章に〝正解〟が1つしかないわけではないだろう。同じシーンを描くにしても書き手によって文章はそれぞれ違ったものになってしかるべきだ。師匠が手本を示してこれに習えという指導はおかしい。文章表現についてのアドバイスは問題点を指摘して(「わかりやすく」とか「簡潔に」等)、あとは作者が自分で考えて推敲すればよいことだ。
平塚武二は弟子の原稿を初見でいきなり頭から添削していたらしいが、本来であればまず終わりまで読んで、作品のテーマや構造について把握した上で、構成やそれぞれのパートが適切であったかどうかの批評(指導)がされるべきだろう。構成に問題があった場合、不要なシーンのカットや変更が求められることもあるだろう。その部分の添削はムダになる。また、作品全体の中でその部分がはたす役割りを把握していなければ適切な添削はできないはずである。
全体を見ずに1行目から文章に手を入れていくという平塚流指導法には首を傾げざるをえない。

物語を創作するにあたって、重要なのは、「おもしろい作品を書くにはどうすればよいか」ということだろう。つまらない原稿(素材)をいくら添削でつつきまわしたところで、おもしろい作品になるとは思えない。
おもしろい作品になりうる素材ををどうやって見つけるかということが肝心だ。単に作品化しうる着想ならば意識的にいくらでも作る方法はある。しかし重要なのは、それがおもしろいかどうか。おもしろい着想限定となると、つかまえるのは難しい。個人的には着想の技術というのは、ふだん関心のあることについて深く考え、インスピレーションが得やすい心理状態をいかに作るか──にあると思っている。
おもしろい着想を得ることができたら、それをどう描けば読者に最も効果的なかたちで演出できるかを考える──作品の分析(批評)や指導はこの段階に対して行われるものだろう。テーマ・構成・設定・舞台・人物・ストーリーなどが有効に機能しているか──いなければどこに問題があったのか、解決には何が必要かなどをアドバイスすることになるのだろうと思う。
師匠が弟子に指導するなら、そういったアプローチになりそうなものだが……作品の構造(本質)を無視して原稿の頭から添削していくという平塚流は理解しがたい。

佐藤さとるの代表作であり評価の高い『だれも知らない小さな国』は、講談社から出版される前に私家版で発行されている。私家版を作る前、この原稿も平塚流の洗礼を受けていたそうだ。これについて佐藤さとる自身が記した文章がある。


 十数年前、私は『だれも知らない小さな国』の第一稿を書き上げて、平塚さんの手もとへ持っていった。自分で書いたものが、いったいどんなものなのか、平塚さんに判断してもらおうと思ったからだ。自分では何ができあがったのか、皆目わからなかった。
 しばらくたったある日曜日、とつぜん平塚さんが、辺鄙なところにある拙宅を訪れた。駅から歩いて20分、バスもタクシーもないわかりにくい道を、探し探し出向いてくださったのだ。おみやげのバナナまで抱えて。あとにも先にも、こんなことはたった一度しかない。
 平塚さんは、いきなり、私の原稿をとりだしていった。
「これはいいです。ただし、文章はまずいね。」
 それから、私をかたわらに座らせておいて、私の原稿に手を入れはじめた。3時間もかかったろうか。冒頭の30枚ばかりが、めちゃめゃに直された。さすがに平塚さんも疲れたとみえて、あとはこの調子で書きあらためるように、といった。
 これが平塚流の流儀だ。もっとも、元祖は鈴木三重吉先生だそうだが、とにかく、じっと横についていて、一字一句文句をいわれながら、自分の文章を正されるということは楽でなかった。
 ところが私は、その平塚さんの手のはいった原稿を、思いきって捨ててしまった。置いてあると、どうしても平塚さんの文章にひかれて、自分の文章にならない。といって、直されたまま書きうつすだけでは、いかにもだらしがなさすぎる(とその時は思った。)
 私は、もう一度はじめからすっかり書き直して、今度はだれにも見せずにタイプ印刷へまわした。
 あとになって、私は平塚さんに叱られやしないかとひやひやした。平塚さんが、いつか私を呼びつけて「なぜおれの直したとおりに書かなかったか」と、いうような気がした。わざわざ出向いてまで直してもらったものを、捨ててしまったとは、平塚さんも思っていなかったにちがいない。
 それで私は、いまでもまだ平塚さんがコワイ。一目見れば、私が平塚さんのいうとおりには書かなかったことが、わかったにちがいない。それなのに平塚さんは、とうとう、そのことでは一度も何もいわなかった。

(「ひろば」/昭和47年 より)

これ⬆は『佐藤さとるファンタジー全集16佐藤さとるの世界』(講談社)の「私の出会った人々」>『平塚さんのこと──「平塚武二童話全集」完結にあたって──』からの引用。
『佐藤さとるファンタジー全集15ファンタジーの世界』に収録された佐藤さとると長崎源之助の対談の中では、やはり平塚流の指導を受けた長崎源之助が、こんなことを言っている⬇。


 だから直されたものがいいわけじゃないのね。平塚さんが直してくれた通りに清書してみると、味もそっけもない文章になっちゃう。じょうずに直してくれたんじゃなくて、文章というのはこういうふうに直せるんだということ。これだけ簡潔に直せるんだということを教えてもらったわけね。それまでは、毎日のように傑作が書けたのに、それからは書けなくなっちゃってね。(笑)
(「ファンタジーの周辺」対談=佐藤さとる・長崎源之助/昭和52年12月 より)

佐藤さとるも長崎源之助も、平塚流の添削にはとまどったようだが、それをまともに受け入れず(?)、自分なりの解釈を持ち込んで、かわしながら(?)自分が納得できる道を選択したのが良かったと思う。2人とも平塚武二と出会えたことを良かったと言っているから、学ぶこと・刺激を受けることも多かったのだろう。しかし、添削主体の指導に関しては、僕は懐疑的だ。


タマムシとコガネムシ 童謡『こがねむし』のタマムシ説
メタリックな美麗昆虫10種 美しい虫はタマムシだけではない
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コメント

確かにタイトル詐欺だった
 こちらの記事にて興味を持ち、『絵本玉虫厨子の物語』、図書館にて予約。読了いたしました。

 面白くなくはないけど薄味だなー。『まんが日本昔ばなし』にすればいいんじゃないかなー。というのが私の感想です。
 市原悦子が語り手やおとめらを、常田富士男が若麻呂を、情感たっぷりに演じてくれる15分アニメなら、きっと濃くなることでしょう。
Re: 確かにタイトル詐欺だった
物語としては(ストーリーは)成立しているので、書きようによっては、もう少し味がでたのではないか……という印象は、ありますね。
平塚武二の文章は、わかりやすいのでしょうが、語り手が前に出過ぎて、説明的でなだらかすぎる気がします。

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