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2021年04月の記事 (1/1)

幻の東京産オオクワガタを捕った思い出

幻の東京産オオクワガタを捕った思い出
〜東京の北多摩北部エリアにもオオクワガタがいた話〜

僕は小学生だったとき、一度だけオオクワガタを捕ったことがある。それも東京都の北多摩北部エリアでのこと。1968年前後のことだったと思う。

僕は虫屋ではないけれど、小学生の頃は夏の遊びとしてカブトムシやクワガタを捕るのが楽しみの1つだった。当時は雑木林があちこちにあって、自転車で虫とりに出かけていた。その頃は今とは違って、クワガタの方がカブトムシより多かった。僕の中では体も大きく立派な角を持つカブトムシが昆虫の王様で、オス1匹がノコギリクワガタ♂3匹分に相当するくらいの価値があったように思う。とはいっても、カブトムシには無い大アゴを持つクワガタ♂も充分魅力的で、ノコギリクワガタやヒラタクワガタのオスは捕れると嬉しかった。
オオクワガタについては昆虫図鑑を見て知っている程度。図鑑では実際のボリューム感がいまひとつイメージできなかったためか、特段の関心は無かった。形だけを見比べた場合、オオクワガタよりもヒラタクワガタやノコギリクワガタの方がカッコイイ──カッコイイ種類が捕れるかどうかが関心事で、あえてオオクワガタを探してやろうという気持ちは起きなかった。だから〝遭遇〟は思いがけない出来事だった。

僕が通う小学校は、校庭の西側に西武線が斜めにかすめるように走っていて、校庭ぞいの細い道と線路にはさまれた狭い三角地帯──ここにわずかに雑木林が残っていた。しかしながら、ここにはいい木──樹液にあふれた大きなクヌギはなく、貧相なコナラがあるくらいで、ふだんはシロテンハナムグリかカナブンくらいしか見られない。わざわざ虫とりに訪れるようなポイントではなかった。
夏休みの直前だったろうか──僕はふとした気まぐれで、下校時にふだんは相手にしていなかった学校裏の三角地帯──〝しょぼい雑木林〟をのぞいてみることにした。
「コクワガタでもいたらめっけもん」くらいの軽い気持ちで立ち寄ってみたものの、わずかに樹液がにじむ貧相なコナラの幹には獲物はおらず、(いなくても)「まあ、そうだろうな」と落胆もしなかった。それでも来たついでに、コナラの根っこを掘ってみることにした。カブトムシやクワガタは日中、木の根元に潜っていることも多い。落ちていた棒切れをひろって根元の土を引っ掻いてみたところ──〝想定外の広い範囲で土が動いた〟のでギョッとした。土の下に何かいる──それはコクワガタよりずっと大きなもの……ノコギリクワガタやヒラタクワガタよりもデカい。何が該当するだろうと脳内検索したが思い当たらない。おそるおそる棒切れで〝それ〟をほじり出して、初めてオオクワガタのオスであったことを知った。
「図鑑に載っていたヤツ(オオクワガタ)だ!」「デカい!」「頭部の幅がやけに広い!」「なるほど、これがオオクワガタか!」と、とにかくそのボリューム・存在感に圧倒された。いったい実際には何センチあったのか……【ゴマダラカミキリに思う…】でも触れたが、子どもの頃に見た昆虫は、やたらとデカく感じられるものである。
今であればその巨大さから、外国産の種類、あるいは放虫(飼育個体)である可能性を考えてしまうところだが、当時は外国産のクワガタは植物防疫法で生体の輸入が禁止されていたからいるはずなどなく、今のようにオオクワガタの飼育は一般的ではなかった(飼育ノウハウがまだ完成されていなかった?)。1968年前後のことだから、野生の(東京都産の)オオクワガタであることに間違いはないだろう。
「すごいものが捕れた!」という興奮はあったが、嬉しいというより、思いがけない大物の収穫に戸惑ったのを覚えている。虫捕りの準備をしてきたわけではないので虫かごなどは用意しておらず、書道セットの木箱から硯などをとり出して、そこに入れて持ち帰った。
夏の間、オオクワガタはリンゴ箱に金網を張った容器に入れて飼っていた。その立派な姿を眺めながら、こんな大物が、よくあんなしょぼい場所(狭い林)で見つかったものだと、我ながら信じがたい思いだった。
オオクワガタと遭遇したのは、後にも先にもそれっきりだった。

そのしょぼい雑木林は緑地保護地域となって(台形となっているが)今でも残っている。電車に乗って母校の小学校が見えるところにさしかかると、ちっぽけな雑木林がちらりと視界を横切って行く。
「こんなところにオオクワガタがいたなんて……」と、小学生だったときのことを思いだし、なんとも不思議な気分に引き戻される。
しかし考えてみると、そこはもとからしょぼいスポットだったわけではなく、元々はもっと大きな雑木林だったのかもしれない。小学校の周辺には他にも民家の隙間にささやかな雑木林が点在していた。どれも本格的に虫とりに行く時はスルーするような小規模なものだったが……民家が建ち並ぶ以前は点在する雑木林は繋がっていて一帯は大きな雑木林だったのかもしれない。オオクワガタを見つけた三角地帯も、線路の反対側には雑木林が広がっていたから、線路や民家で分断される以前は、それなりのキャパシティーをもつ雑木林だったと考えられる。そんな環境ならオオクワガタが根付いていてもおかしくはないだろう。僕が遭遇したオオクワガタは、宅地開発で分断された〝しょぼいエリア〟に取り残されていた最後の末裔だったのかもしれない。

僕が虫屋だったら貴重な地元のオオクワガタ末裔(?)を標本にしたのだろうが……残念ながら、そうではないので標本は無い。
物的な証拠はないが、1968年前後には東京都の北多摩北部エリアにもオオクワガタがいたという証言を残しておいてもいいだろうと思い立って、こんな記事を投稿してみたしだい。


ゴマダラカミキリに思う…
《カブトムシの角は矛盾だった》のか?
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プチ読字障害!?読むわずらわしさ

01読字障害

同じことをしていても、人によって脳味噌の使い方に違いがあるらしい。僕の場合、読み書きに関する感覚が、どうも他の人たちとは違うのではないか……と思うことがある。
僕は基本的には〝読む〟のがおっくうだ──2つに分ければ読書嫌いの部類だろう。しかし面白いハナシを鑑賞したり創作しするのは好きなので、それを実行するためには読んだり書いたりしなくてはならない。だから、しかたなくしているところがある。
「面白い内容を楽しむために、おっくうな読書をする」というのは例えてみれば、「欲しいものを得るために、面倒だけど出かける」といった感覚に近い。満足できるものが手に入れば少々遠いところまで出かけても「その価値があった」と納得できるが、読んだ内容が期待はずれだと、近場でも(短い読書でも)「無駄足だった」という不満と徒労感が残る。
インターネットの動画ニュースでは、動画で語られるナレーションがそのまま文章でも掲載されているが、文章を読むよりナレーションを聞く方が、はるかに楽で、すんなり頭に入る。同じ内容でも文章で読むのはわずらわしく感じる。

これに対し、読むこと自体を好む人がいる。活字中毒を自認する人は、手近にある活字は広告の隅々まで読まないと気が済まないらしい。読むものが無くなってしまうと渇望感すら覚えるという。
僕の知人には読書家が多いが、そんな1人と一緒に本屋に入ったときのこと。彼女は小説の書架の前に立つと、「この棚では、これとあれとそれと──」と数冊を指差して「読んだことがある」と言うのかと思いきや、「それ意外は全部読んだ」と言うのでたまげたこともあった。その人は学生時代、図書室にある小説を全部読破してやろうとおそろしいことを企てたことがあったそうな……。
〝読む〟ことをわずらわしく感じる僕には想像もできないことである。

小説というのは、読んでみないと内容が(おもしろいかどうかが)判らない。僕の場合「苦労して読んだのにおもしろくなかった」という無駄足感にイラつくことが少なくない──わざわざ遠くからやって来たのにお店が休みだった──みたいな感覚である。内容の価値は読んでみないとわからない──これは仕方が無い「リスク」として割り切って本を買うのだが、期待ハズレだと、やはり損した気分になる。せっかく買った本を最初の頁を読んで〝積ん読〟に回すことも多い。買った本を読まないというのはムダのようだが、面白くない本を最後まで読むのは、さらなる時間と労力のムダ──徒労の上塗りになる。そんな時間と労力があるのなら、次の「面白いかもしれない本」に回すべきだという判断が当然のように働く。
そんなだからガッカリするリスクの高い未読本に挑戦するより、かつて読んで面白かった本を読み返すことが多くなり、読書量は増えていかない……。
おそらく、普通の(?)読むこと自体に苦痛を感じない人・読むことが好きな人は、面白くない本を読んでも、さしてダメージは受けず、だからどんどん新作が読めるのではなかろうか。

〝書く〟方に関して他の人と違うと感じたのは──僕は学生時代、英語を書くときには決まって活字体を使っていた。他の生徒は筆記体で書いていて、その方が書きやすいのだろうとは思っていたが、僕は筆記体で書いた記憶が無い。教科書に掲載されている〝覚えるべき英単語〟は〝活字体〟で表示されているのだから、英単語を覚えるときは、紙面の(活字体の)〝字づら〟で記憶する。だから、書く時も当然覚えた〝字づら〟を再現するのだから活字体になる──といった感覚。活字体の字づらで覚えた単語を筆記体に変換するのが面倒なので、書くのに若干時間はかかっても活字体で書いた方が楽という感覚があった。

読書中の内なる声!?】の中でも記したが、僕は文章を読んでいるとき、頭の中に音声は再生されない(黙読で頭の中に文章を読み上げる「声」が聞こえる人は8割以上いるらしい)。僕の場合、文章の中に出て来る「高山」は「たかやま」でも「こうざん」でもなく「高山」という字面のまま読んでいる。
昆虫の標準和名もカタカナの字面で覚えているので、その虫を見た時、すぐに言葉に出てこず、頭の中にカタカナの文字列を思い浮かべて、それを読んでやっと音声を思い出すといったことも少なくない。

これと関係がありそうな気もするのだが……パソコンの入力も、僕はワープロ時代から今に至るまでずっとカナ入力をしていてる。ローマ字入力を覚えればタイプも早くなるだろう──と思うものの、頭の中で日本語の音をローマ字に変換するのがわずらわしいために、ずっと敬遠し続けてきた。

《読字障害》という言葉を知ったのは、しばらく前に見たテレビ番組だった。聞いたり話したりすることは普通にできるのに読み書きだけがうまくできない障害のことだ。読むことに労力を要す──という意味では、(程度は深刻ではないが)僕にもそのケがあるのではなかろうか……などと思った記憶がある。
《読字障害》で検索するとWikipedia では【ディスレクシア】として取り上げられていた(今は《ディスレクシア(dyslexia)》の方が通りが良い?)。その記事によると、顕著な例として数字の「7」と「seven」を同一のものとして理解が出来ないことが挙げられていた。これは僕が学生時代に「活字体」と「筆記体」を紐付けることにわずらわしさを感じていたということと、若干似ている……。

僕が《読字障害》を知った番組は録画してあったので久しぶりに見てみた。2008年10月12日に放送された『NHKスペシャル 病の起源 第4集「読字障害~文字が生んだ病~」』という番組だった。
《読字障害》は、アメリカでは10人に1人、日本では20人に1人いるという。
ヒトの脳には話したり聞いたりするための専門領域(言語野=ウェルニッケ野+ブローカ野)は備わっているが、書いたり読んだりするための専門領域というのは無く、読み書きの情報処理は既存の機能を代替利用してなんとか運用しているのだという。

具体的には言葉を処理しているのは左脳で、音声の場合、耳から入った音情報は聴覚野に届き、ウェルニッケ野からブローカ野に送られて言葉の意味が理解される(ウェルニッケ野とブローカ野が言語野と呼ばれる領域)。
文字の場合は、目から入った文字情報は視覚野で形が識別され、39野・40野で音の情報へと変換されて、ブローカ野に届くと初めて言葉の意味が理解されるのだという。39野・40野というのは視覚情報・聴覚情報・体性感覚情報を統合する高度な情報処理領域らしい。読字障害の人は、この39野・40野が充分に機能しておらず、文字を音にうまく変換できないために言葉の理解が困難になるということが起こるらしい。

僕の場合は「高山」という文字を見て「たかやま」あるいは「こうざん」という音に変換しないで認識しているから、39野・40野の「音に変換する」役割りは(普通の人のようには)機能していないのかもしれない。しかし「音に変換する」プロセスをショートカットして意味は理解できているのだから、深刻な読字障害の人ともまた違う情報処理の仕方をしているのかもしれない。

ところで読字障害の人は読み書きでは苦労するが、立体的な把握をする能力には長けている傾向があるという。39野・40野の活動が低いのを補うためか、右脳の活性が普通の人より高いことが確かめられているそうだ。図形の認識や空間の把握、芸術性・創造性をつかさどる右脳の活性が高まることで、そうした能力を発揮する人も少なくないという。
パブロ・ピカソ、トーマス・エジソン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタインなども読字障害だったらしい。

読み書きは不得手だが、空間認識の能力は高い──プチ読字障害っぽい(?)僕にも、ちょっと思い当たることがある。
以前、『たけしのコマネチ大学数学科』という数学バラエティー番組があって、よく視聴していた。冒頭で出題される数学の問題を北野武と現役東大生チーム(2人)とたけし軍団が競って解くという番組。僕は数学が得意なわけではないが、数学の問題というのは解き方を教わったことが無くても、考えれば解けることもある。もちろん解けない問題も多く、ときには問題を理解することすらできないこともあったが、まれに北野武や現役東大生チームより早く、あるいは彼らが解けなかった正解に到達することができることがあった。それらは立体的な図形に関する問題であったり、解き方のプロセスで図形に置き換え空間的イメージで考えたものだった。図形や空間に関連して解くことができる問題であったことを考えると、僕もやはりそのケ(読字障害?)があるのかもしれない。

このブログでは、たびたび空目ネタをとりあげているが、視覚的な類似ポイントに反応してしまうというのは、これもプチ読字障害による右脳の活性化と関係があるのかもしれない?
ぷち地蔵アカシマサシガメQuiz】あたりは、もしかしたら読字障害の人の方が理解しやすい問題だったかも?──なんて気もしている。


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佐藤さとる『てのひら島はどこにある』復刊版

てのひら島表紙新旧
※佐藤さとる・作/池田仙三郎・絵『てのひら島はどこにある』(理論社)の復刊版(2016年版/左)とオリジナル版(1965年版/右)の表紙。この作品に対する感想は以前記しているが、復刊版(復刻版)を入手したのであらためて記事にしてみる。

『てのひら島はどこにある』は僕が小学生の時に出会った感動の1作。佐藤さとるといえば『だれも知らない小さな国』が有名だが、その原型となったのが当時未完成だった『てのひら島はどこにある』の構想といえる。
『だれも知らない小さな国』は素晴らしいファンタジー作品だが、この作品を生み出すに至った本質的な作者の動機はむしろ『てのひら島はどこにある』で色濃く感じられる。小学生だった僕はそこに心を打たれた。

『てのひら島はどこにある』の構想は『だれも知らない小さな国』よりも前からあって、作者が若い頃から育んでいた愛着のあるものだった。しかし書いては頓挫するということをくり返し、なかなか完成に至らなかったという。そこで心機一転、設定を変えてあらたに構築し直したのが『だれも知らない小さな国』だった。『だれも知らない小さな国』は素晴らしい作品としてみごとに昇華をはたし、多くの人に愛された。僕も好きな作品である。しかし、設定を新たにしたことで、作品は微妙に(?)変質し(『だれも知らない小さな国』はファンタジーだが『てのひら島はどこにある』はファンタジーではなかった)、『だれも知らない小さな国』では掬い上げることができなかった大事なものが、じつは旧構想の中に取り残されていた……。

『だれも知らない小さな国』(1959年)を書き上げた後、旧構想の中に置き忘れてきた大事なものがあったことに佐藤さとるは気づき、その強い未練から旧構想を捨てることができず、「これはこれでまとめておかなくてはならない」と考えて『てのひら島はどこにある』(1965年)を完成させたのだろう。
理論社・刊の『てのひら島はどこにある』には僕が出会ったオリジナル版(1965年)と今回入手した復刊版(2016年)の間に林静一の挿絵による愛蔵版(1981年)が出版されているのだが、そのあとがきで佐藤さとるは次のように記している。

ほとんど十年を経て、私はこの物語の構成を捨て、あらためて長編を1つ書きました。「だれも知らない小さな国」(講談社)で、基本的には同根の作品だと、私も思います。しかし、私にはまだ渇きに似た思いが残りました。〝てのひら島〟にまつわる物語は、私の心の中から消えていなかったのでした。

名作『だれも知らない小さな国』では影が薄くなってしまった〝当初の本当に描きたかったもの〟が『てのひら島はどこにある』では良い感じで描かれている──当時小学生だった僕はそこに深く感銘を受けたのである。
具体的にそれがどういうものかは【佐藤さとる『てのひら島はどこにある』の思い出】で詳しく述べているのでここでは割愛。

僕にとって感動の一冊となった『てのひら島はどこにある』──当時定価480円だったハードカバーは、大事に保管していて、読み返し用には講談社文庫版などを揃えていた。手軽に読めていた文庫版も、最近では老眼が進んで小さな字を読むのがしんどくなってきた。そんなこともあって、きれいで見やすい復刊版(本体価格1400円)が欲しくなった。挿絵は池田仙三郎──僕が初めて読んだ当時のもので懐かしい。池田仙三郎は佐藤さとるの同人誌「豆の木」時代からの仲間で、旧制中学の同窓(池田が3年先輩)という間柄だったそうだ。
2016年の復刊版も市場では品薄になっているようで、入手できるうちに手もとに置いておかねばと購入した。
この素敵な作品が増刷され、さらに多くの人たちに読まれる機会が増えることを願って、改めて記事にしてみたしだい。

余談だが……物語の中では〝ハナアブに似た女の子〟という設定のおこり虫・プンだが(表紙の右側に描かれているのがプン)、挿絵では(池田仙三郎の絵や、講談社版の村上勉の絵でも)翅が4枚描かれている(アブは双翅目なので翅は2枚)。画家のお二方とも〝昆虫の翅は4枚〟という認識で描かれていたのだろう。


佐藤さとる『てのひら島はどこにある』の思い出
作品評・感想など(映画・本)〜目次〜
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