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2020年09月の記事 (1/1)

昭和世代のインターネット雑感

インターネット革命!? 昭和世代の雑感
少し前に【昆虫画像:ブログからテレビへ】の中で、インターネット時代に入って、昆虫写真家が商売として成立しにくくなったのではないか……ということを記したが、こうした変化は、昆虫写真家に限ったことではないだろう。
インターネットの登場&普及によって、世界は大きく変わった気がする。
ブログやSNSなどの個人発信ツールがなかった時代──人々はマスメディアが発信する情報を一方的に受け取るしかできなかった。それが〝あたりまえ〟だった昭和世代からすると、個人が大衆に向けて(不特定多数の人たちがアクセスできる場に)情報発信できるツールを〝あたりまえ〟のように使いこなす今の世界は、まるで《おとぎばなし》のような気さえする。
インターネットの以前と以後では、育った世代の世界観にも格差があるのではあるまいか……。

テレビ(元締め)と視聴者(消費者)
昔──インターネット以前は、一般の人たち(消費者)がアクセスできる共有情報といえば、一部の商業メディアが発信するコンテンツに限られていた。だからそこに需要が集中し、商売が成立した……。
テレビがいい例だろう。家庭で視聴できる映像コンテンツは数局のテレビ局が放送している番組だけ。選択肢(チャンネル)が限られていたから視聴者が集中する。だから宣伝効果も高く、そこに利益も集中する。

かつては一般の視聴者が目にすることができる映像作品はテレビ局や映画会社などの大手メディアが制作した商品ばかりだった。そんな時代に、アマチュアが作った映像作品を紹介するテレビ番組──平成名物TV《三宅裕司のえびぞり巨匠天国》というのがあった。僕もひょんなことから出たことが1度だけあったのだが、当時はYouTubeなどまだ存在しておらず、自主制作作品を視聴できるというのが、なんだか珍しく、新鮮だった。
01えびぞり巨匠天国出演
一般向けに映像を記録する機材としては以前から8ミリフィルムやホームビデオなどがあったのだが、利用目的の多くは子どもの成長や家族内イベントを記録するプライベートなものだったように思う。こうした機材を使って自主制作映画を撮るサークルもあるにはあったが、小規模の上映会で集まるのは同じ趣味を持つ関係者がほとんどだったのではなかろうか。
《えび天》で採用された僕の【ミラクル☆スター】も実は数人の友人に見せることを想定して試作した内輪ウケ狙いのビデオ作品だった。この編集をしていたとき、たまたま《えびぞり巨匠天国》の第1回放送を目にし、気まぐれに投稿してみたところ、意外にもあっけなく採用の連絡がきたので驚いた。本来なら人手がかかりがちな実写ヒーロー・アクションを〝1人で撮った〟というチープなつくりが面白いと評価されたのだろう。一部の知人らに見せるつもりで作った映像がテレビ番組で放送されたのは、我ながら思わぬ展開だった。

今なら個人やアマチュアサークルが制作した映像作品であってもYouTubeなどで配信(公開)できるし、それを視聴することもできる。YouTubeには無数の動画があふれ返っている。個人が簡単に動画を公開でき、それを簡単に視聴できるのが〝あたりまえ〟となった昨今──今の世代で育った人には《えびぞり巨匠天国》の新鮮さは、ピンとこないだろう……。
インターネットが普及し、YouTubeなど動画サイトの登場によって、映像市場は、もはや大手メディアの独擅場ではなくなった。今や一人一人が放送局!?──テレビ局が広告収入やペイパービューで経営しているように、個人発信のユーチューバーが、広告収入や有料チャンネルによって商売として成立しうる世の中になった。これは昭和世代からすると驚くべきことだ。

文芸作品と出版業界
映像作品ばかりではなく、文芸作品についても似たようなことが言えるだろう。
物語を「書く(創作する)」のは紙(原稿用紙)とペンがあれば誰にでもできる──資本もかからず独りでできる、とっつきやすい芸術活動といえるだろう。だから多くの人が趣味として「書く」ことをしていた。
しかし、アマチュアが書いた作品を不特定多数の人たちに向けて発表する場となると、昔(インターネット以前)は、ほとんどなかった。一般の人がアクセスできる文芸作品は書籍や雑誌・新聞などのマスメディア商品に限られていたからだ。
とは言っても、書きあげた作品が読まれることを望むのはプロもアマチュアも同じ。読者を想定して(読まれることを前提に)書かれるのが文芸作品である。今ではブログなどで気軽に作品を公開できるが、その手段がなかった頃は、同人誌を作ったり自費出版に夢を託すというのが常套(じょうとう)だった。もちろんその発行部数などたかが知れている。知人や同じ趣味を持つ一部の関係者の手に渡るていどで、アマチュアの作品が不特定多数の読者の目に触れる機会は皆無に等しかった。

そこで、アマチュア作家は出版社や新聞社が公募するコンテストに挑戦することになる。狙いは賞金よりも書籍化あるいは雑誌や新聞などに掲載されること──そう考えていた応募者も多かったはずだ。賞金や印税などいらないから──逆に金を払ってでも商業出版したいという人も少なからずいた。
このニーズ──「出費してでも自分の本を流通ルートに載せたい」というアマチュア作家の憧れにつけ込んだ自費出版トラブルが社会問題になったこともある。

本来であれば出版社が出資して作品を商品(書籍)化&販売し、原稿料なり印税などの報酬を著者に支払う。出版社は商売になると判断した作品に投資をすることになるわけだから、書店に並ぶ(流通に乗る)作品は、それなりの価値が認められたものだということができるだろう。
問題(トラブル)になったのは、「共同出版」と呼ばれる形態の自費出版で、本の制作費を著者が払えば、全国の書店への宣伝・販売を出版社が行うというもの。自分の書いた作品が本になり〝全国の書店に並ぶ〟ことに魅力を感じて契約した著者が、実態はそうではなかったことに気づき、集団提訴したことがテレビでもくり返し報道されていたことがあった。
その内容は確かにひどく、出版社が仕掛けた文学賞コンテストの応募者に片っ端から電話をかけ、(原稿などろくに読みもせずに)マニュアル化されたセールストークで、作品を褒めそやし「共同出版」をもちかけるということをしていたらしい。そして「全国の書店に自分の本が並ぶ」ことを期待している著者に〝そう誤解させて契約を結ぶ〟という営業を展開してきたという。
こういう詐欺的手法が横行するほど「全国の書店に自分の本が並ぶ」というのはアマチュア作家にとって《あこがれ》だったのだ。個人で作品を世間に広く発信(発表)するツール(場)が無かった時代だっただけに、《広く一般に向けて発表(発信)できる場》を多くのアマチュア作家は渇望していた。
アマチュア作家の同人誌活動は悲喜こもごも……僕にも経験があるし、『文学賞殺人事件 大いなる助走』なんて邦画を思い出したりする……。

同人誌や自費出版にはもちろんそれなりの意味があるはずだが、そこが目指す最終地点だと考える書き手はまずいないだろう。自分の本が書店に並ぶことに憧れるアマチュア作家たちは、新人賞などの公募にチャレンジする……しかし苦労して作品を書き上げ応募しても、入賞のハードルは高い。数からいえば、ほとんどの者は落選することになる。
たとえ狭き門をくぐり抜けて出版がかなったとしても、それで安泰というわけにはいかない。発行部数からいっても、全国の書店すべてに本がいきわたるわけではないし、また書店に並べられたとしても、そこで売れるまで書棚スペースを確保できるわけでもない。雑誌に掲載された作品なら、次の号が出るまでの命(掲載誌が店頭に置かれている期間は短い)だし、書籍であっても買い手がつく前に返品されることも多い。

書店としては書棚には新刊や売れ筋の本を揃えておかなくては商売が成り立たない。書店は取次店(問屋/流通機構)から本を入荷し、売れなかった本は返品できるシステム(再販制度)をとっている。新刊や売れ筋本を置くための棚スペースや入荷資金を確保するには返品が不可欠で、入荷した本の何割かは読者の手に渡ることなく返品されてしまうというのが実態だ。2020年7月の書籍の返品率は40.2%(@出版状況クロニクル)だったそうだ。
そんなわけで自分の作品を商業出版することが、たとえかなったとしても、「全国の書店に並ぶ」のはほんの一時期にすぎない。あとで「あなたが書いた作品を読んでみたい」という奇特な人が現われても、その時には在庫が無かったりする。著名な作家の作品でさえ、絶版となっているタイトルは少なくない。書籍化は《いつでもアクセスできるツール》ではないのだ。

ところが、今はブログなどで公開しておけば、「作品を読んでみたい」という人が現われた場合、URLを伝えるだけで、いつでもどこからでも容易く無料で(設定にもよるのだろうが)読んでもらうことができる。なんとも便利な世の中になったものである。
「金儲け目的で書いているのではないアマチュア作家」にとって《公開の場》をたやすく手に入れることができる状況は歓迎できるものだろう。昔の同人誌活動を経験している者からすれば《夢のような時代》といってもいいだろう。

もちろん注目の集まる文学賞にチャレンジするアマチュア作家は今でも多いのだろうが、インターネット以前のような〝渇望感〟はないのではないか?
商業出版の発行部数は昔に比べてだいぶ減っているようだし、ネット上に作品を置いておく方が閲覧数を稼げる(読者の目にとまる機会が増える)といったケースだってあるだろう。
YouTubeで稼げるようになったユーチューバーと同じように、ブログでも収入を得られる仕組みができているようだ。電子出版という選択肢もあるらしい。
誰でも簡単に個人発信ができる時代になり、それが商売として成立しうるようになったというのは《(作品の)発表やアクセスの選択肢が増えた》という意味では好ましいことだろう。しかしその一方で、文芸の世界でもマスメディアの独擅場がくずれたことで、既存の版元や職業作家の商売が成り立ちにくくなっているような気もする。

虫屋気質とインターネット!?
ちょっと次元の違う話かもしれないが……おそらく虫屋さんらの業界(?)でもインターネット以降、変化があるのではあるまいか?

虫屋でない僕は『月刊むし』という雑誌があることを長い間知らなかった。しかし虫屋さんの多くが購読しているらしく、これを「虫屋の納税」に例える人もいる。インターネットが無かった時代に個人で活動している虫屋さんが昆虫情報を得ようとすれば、おのずと『月刊むし』や昆虫機関誌にたどり着く──こうした昆虫メディアに引き寄せられた虫屋さんたちは、そこで情報交換し、同じ認識を共有するようになる。そして『月刊むし』や昆虫機関誌を同郷とする同胞意識のようなものが芽生え《虫屋気質》を形勢していったのではないか……そんなふうに僕は想像している。

僕が某昆虫フォーラムに出入りするようになって虫屋さんたちと知り合った頃、僕は虫屋さんとの間には高い敷居──境界線のようなものがあると感じ、その感覚は現在も続いている。僕は「こちら側」の人間だが、虫屋さんは「あちら側」という感覚である(あくまでも僕の個人的イメージ)。昆虫に対して興味を抱くところは一緒だし、共感する部分も多いのだが、どこか本質的に違うところがある……この差──いってみれば《虫屋気質》の有無は、ひとつには『月刊むし』や昆虫機関誌などで育ったか否か──育ちの差(?)が関係しているのかも知れないと考えるようになった。
僕は納税義務を果たしている虫屋ではないので、「こちら側」の人間として虫見をし、感じたり考えたり観察したことを「こちら側」の人にわかるようにまとめていこうというのが、当初からの《虫見スタンス》だった。これができたのはインターネットが存在し、SNSやブログなどのツールが利用できたからだ。僕が虫見を始めたのはインターネットが普及し始めた頃で、だから正体不明の虫について某昆虫フォーラムで尋ねることができ、インターネットで昆虫のことを調べたり、観察した内容をブログにまとめることもできたわけだ。

もし《虫屋気質》──虫屋の境界線が『月刊むし』や学会機関誌などの昆虫メディアに由来するものであったとしたなら……インターネットで昆虫情報を収集したり個人の知見を発信(発表)できるようになった昨今、若い虫好き世代の〝昆虫メディアへの凝集力〟は弱まってきていることも考えられる。であるなら、《虫屋の境界線》は弱まり、《虫屋気質》も変わってきているのかもしれない……というのは虫屋ではない僕の根拠の無い想像なのだが、はたして実態はどうなのであろうか……。



昆虫画像:ブログからテレビへ
『三宅裕司のえびぞり巨匠天国』と出演覚書
ミラクル☆スター〜実写版〜 ※ひとりで撮ったスーパーヒーロー・アクション
同人誌回顧録
久しぶりの『文学賞殺人事件 大いなる助走』
Yahoo!ブログの可能性 ※Yahoo!ブログ時代に記したブログ観
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ツチノコの正体!?

01ツチノコ図

ツチノコ・フィーバーをふり返って
昔、ツチノコというUMA(未確認生物)がブームになったことがあった。
実際に遭遇したことがあるという矢口高雄氏の漫画『幻の怪蛇バチヘビ』(バチヘビ=ツチノコ)が、ツチノコブームの火付け役となったとされている。僕もこの作品は夢中になって読んだ記憶がある。
世の中の関心が高まるなか、ツチノコに賞金をかけツチノコ探しのイベントで地域おこしをはかる自治体が現れ、それがブームにさらに拍車をかけた。ツチノコにかけられた懸賞金の最高額は2億円。実在しない生物の発見や捕獲に多額の賞金をかけて集客するのは、当たりのないクジを売るようなもの──賞金は最初から支払われることがない(ことを見越した)見せ金で、ブームに便乗したあざといPRイベントではないのかといぶかしく思ったものだ。
ツチノコ探検隊には多くの参加者が集まり盛況だったらしいが、当然のことながら、肝心のツチノコは確認されていない。
ツチノコの存在を確かめることが真の目的であるならば、発見がかなわなかったのだから催しは《失敗》ということになるはずだが、実際は集客に成功し地域PRのもくろみが当ったことで、企画者たちは《成功》とほくそ笑んでいたことだろう。
けっきょくツチノコは地域PRのアイテムとして利用されただけ。未知の生物に対する関心など見せかけで、実際に欲しかったのはツチノコによる集客利益だったのではなかったか……そう考えると、なんだかさもしい印象がなくもない。

ツチノコの目撃情報──イタチ誤認説!?
ツチノコの存在を裏付けるものは何もみつかっていないが、目撃情報だけはたくさんある。おそらく全てが何かの見間違い──誤認情報だったのだろう。
ツチノコの正体(誤認された別の生物)については諸説あるようだが、僕は目撃情報の中にはイタチを見間違えたケースも何割か含まれているのではないかと秘かに思っている。《イタチ誤認説》はあまりメジャーではないようなので、一応記しておくことにした。

ツチノコの正体については、僕も既存の在来ヘビ(捕食後や卵を抱えて胴がふくらんだ個体)や輸入物資に紛れ込んできたデスアダーのような外来ヘビの可能性を考えていた。そんな僕が《イタチ誤認説》を持ち出すのは、以前飼っていたフェレット(家畜化されたイタチ科動物)が散歩中にヘビと間違えられたことが何度かあったからだ。
「白蛇」と誤認された個体がこれ⬇。
02フェレット切株A
一見、フェレット(イタチ)とツチノコは全く別物だ。だから最初ヘビに間違えられた時は僕も意外だった。
フェレットは通常、背中を丸めているが、警戒しているときなどは、地面に貼り付いた姿勢で匍匐前進(ほふくぜんしん)することがある。見通しの良い浅い草原のようなところ(身を隠す場所が無い所)では、天敵の猛禽を警戒する習性からか、よく地面にへばりついた匍匐前進スタイルで移動する。すると脚が見えず、草の上をズンドウで尾が細いヘビが滑るように移動しているようにも見える。その姿勢で頭を持ち上げると、鎌首を持ち上げたツチノコのできあがりである⬇。
03フェレット匍匐A
水を張った容器に体をつけて涼むフェレット(別個体)⬇。
04フェレット水浴
こうして見るとフェレットの細長い体はズンドウのヘビに見えなくもない。
フェレットは家畜化された動物だが、日本のイタチも同様に匍匐前進することがあるなら、これを見てズンドウで尾が細いヘビ=ツチノコと誤認する人がいてもおかしくない──そう考えたしだい。
ツチノコの目撃情報の中には、まばたきをする(ヘビは眼が透明なウロコでおおわれており、まばたきはしない)とか、ジャンプする、体表面には毛がはえていたというようなものもあるというが、これらはイタチを誤認したものではないかという気がする。中には角が生えていたという話もあるが、これはイタチの耳介が角に見えたのかもしれない。
矢口高雄氏は『幻の怪蛇バチヘビ』の中で彼がヤマメ釣りで遭遇したバチヘビ(ツチノコ)について《色は黒褐色で背中に斑点あり》と記しているが、イタチはよく川にもぐってエサをとり、水からあがったときの姿は水を含んでくっつきあった毛先(黒っぽい)が細かくまとまり黒っぽい斑点もようになる(髪を細かく編み込むコーンロウで頭に模様ができるように)──。ツチノコの模様については、イタチが川から上がってまだ被毛が濡れているときにできる模様のことではないかという気もする。
ツチノコの目撃情報のうち、イタチを誤認したケースがどれだけあるのかわからないが……フェレットがヘビに間違えられるのを目の当たりにしている僕としては、一定の割合で《イタチを誤認した目撃情報》が含まれているのではないかと思えてならない。

白蛇と間違えられたフェレットは、こんな動物⬇


実在しない生物を追うより、実在する生物に関心を!
ツチノコ・ブームのときは、〝未知なる存在〟への憧れ──ツチノコ探しがロマンを追うことのように世間では捉えられていたフシがある。しかし、ツチノコ探しに情熱を傾ける人たちを見ていると、既存のヘビに対する基本知識が欠如していたり、ヘビに対する関心が無いばかりか、ヘビ嫌いの人も含まれていたようで、僕には違和感があった。ツチノコを新種のヘビだと考えている人が多かったようだが、既存のヘビについて語ることができない人たちが、どうして未知のヘビについて語ることができるのか。ヘビについて無知だからこそ、ヤマカガシやマムシをツチノコだと誤認するようなことが起こり得たのだろう。
ツチノコ探しに賞金をかけたり、〝ロマンを感じて〟探検隊に加わった人たちの〝本気度〟がどこにあったのか、僕によくわからない。自治体のPRや功名心、あわよくば賞金稼ぎ……そんなところに真意があったのではないか?
《ロマンは欺瞞》と言いたくなる。

僕としては……《実在しない生物にロマンを求めるのではなく、実在する生物に求めたらどうなんだ!》という気持ちがある。
《まぼろしの生物ツチノコ》はユニークではあるけれど、その想像図とよく似たヘビ(デスアダーやヒメハブなど)は実在する。ツチノコが実在していたとしてもさほど奇異なことでもないだろう。あるいは、そのビミョ〜なリアリティが「もしかしたらいるかも?/見つかるかも?」という幻想(?)を後押しすることにつながったのかもしれないが……。
しかし、《奇異な存在》《ふしぎな生物》という点でツチノコ以上という存在は、既存の生物の中にもたくさんいる。どうして不確かな《未知の生物》ばかりに関心を向け、既存の生物に着目しようとしないのか──僕には不思議でならない。
たとえば先日、人気番組の中でとりあげられたシャチホコガの幼虫なんぞは、ツチノコよりもはるかにインパクトのある生物だと僕は思っている。
05シャチホコガ幼虫TV
幻想にロマンを求めるのではなく、身のまわりに実在している不思議を再発見することに、もっと関心を向けてもよいのではないか……僕はそう思うのである。



散歩派フェレット・プチアルバム
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鳥山プールの思ひ出

01鳥山プールにて

幻の鳥山プール!?のおもひで
僕は長いことプールには行っていない。最後に利用したのは、多摩湖(村山貯水池)南側──狭山丘陵の雑木林に囲まれた『貯水池 鳥山』のプールで、おそらく30年以上前だったように思う。日本料理店の鳥山には昔、プールがあったのである。
鳥山プールのことは検索してもあまり情報がでてこない。西武園のプールとさほど離れていないところにありながら、〝まぼろしのプール〟という印象がなくもない?

子どもの頃、僕の中では、プールと言えば西武園──夏になると行くのが楽しみだった。当時はまだウォーター・スライダーのような施設はなく、ただ水に入って遊ぶだけ──それでも、西武園のプールは、けっこう賑わっていた。
あるとき更衣室で小銭を落とした友人がいて、拾うために床に敷かれたすのこを持ち上げたところ──なんと、落とした衝撃で硬貨が小額に「くずれて」いた!?──かと思いきや、そこには小銭が散在していて、持参した金額以上を回収をした──なんてこともあった。それだけ西武園のプールは利用客が多かったということなのだろう。

高校3年の頃だったろうか……友人たちと初めて鳥山のプールに行った。それまで僕はそんなところにプールがあるとは知らなかった。西武園からさほど離れていないのだが、交通の便が悪く、自転車か車がなければ利用は難しい。狭山丘陵の雑木林の中なので目につきにくい穴場のプールだった。
当時まだめずらしかった滑り台(ウォータースライダーの走り?)つきの浅いプールもあって、僕らは「大滝滑り」と呼んで、滑走姿勢を工夫しながら水面を滑る距離を競ったりしていた。
そのうち誰かが「ボブスレーをやろう」と言い出し、3人連なって滑ることになった。ところが、先頭が入水した時点で水圧ブレーキがかかり、そのため最後尾の者は行く手をふさがれる形で推進力が下へ向かい、低い水底に尾てい骨をしたたか打ちつけるという貴重な経験をすることとなって、大笑いした思い出がある。
ひとしきり「大滝滑り」を楽しんだあと、僕らは「泳げる(普通の)プール」へ移動して遊んだのだが……約1名だけ滑り台が大いに気に入った者がおり、子どもにまじって、いつまでも飽きることなく滑っては昇るということをくり返していた。
帰りに「お前の遊び方はお子さまなみだ」とからかうと、その友人は真顔で「そのプールの特徴を活かした利用をしないと失礼にあたるんだぜ」などと威張っていた。

余談だが鳥山プールの大滝滑りで体験したエピソード──ボブスレー式アトミック・ドロップ(尾てい骨砕き)は、内輪ウケを狙ってジョークで書いたスーパーヒーロー小説のミラクル☆スター・シリーズ第1弾でも出てくる。大滝滑りばかりやっていた悪島という男(仮名)が、正義のヒーローに対して放った最後の必殺技《死のボブスレー落とし》がこれである。

    *    *    *    *    *    *


02CF9MS激闘篇より
(※個人誌【チャンネルF】Vol.9『ミラクル☆スター《激闘篇》』より)

 ミラクル・スターは、間一髪、悪島の頭突きをミラクル・チョップで受け、そのふところに体を反転させながらとび込んだ。
「飛龍天空落とし!」
 ミラクル・スターは、悪島の百キロはあろう巨体を軽々と抱え上げ、ジャンプした。
 天空で1回転半し、相手を脳天から地面に叩きつける必殺技である。
 しかし、ミラクル・スターは、悪島を地面に叩きつけることはしなかった。彼は、あえて、ショックの少ない川の中に飛龍天空落としを見舞うことで、悪島の命を救おうと考えたのであった。
 ドシャッ!
 激しい水柱を上げ、ふたりの体は、荒川の水中に没した。
 大量の泡とともに、ミラクル・スターの姿が、つづいて悪島の顔が水面に浮かび上がった。
「観念しろ悪島! 勝負はついた。水の中ではジャンピング・ヘッドバットは撃てまい」
 ミラクル・スターが言った。「それに、おまえは泳ぎが達者ではなかったはずだ」
 悪島はかつて、鳥山プールに出かけたさい、水泳用のプールにはほとんど入ろうとせず子供用の滑り台《大滝滑り》ばかりしていたのである。
「わ、わかった! たすけてくれ! お、おぼれ……ガボガホ……ビ、ビート板……」
 流されていく悪島の体を追って、ミラクル・スターは手をのばした。
 ところが──、ミラクル・スターの手をとった瞬間、悪島は背中をぶつけるようにしてミラクル・スターの両腕を自分の両脇に抱え込んだ。
「ど、どういうつもりだ!?」
「甘い。甘いぜ、ミラクル・スターよ。俺の必殺技は、頭突きだけじゃねぇんだよ」
 ミラクル・スターは、両腕をとられたまま、悪島におぶさる格好で、川の中を流されていった。
(この体勢では、攻撃できん……しかし、悪島にしても私の腕を抱えたままでは、攻撃できないはずだ……。いったい、こいつは何を考えているのか?)
 しかし、ミラクル・スターは、流されていく先に、滝があるのを知って、悪島の恐ろしいたくらみに気がついた。
「うっ!? ま、まさか──死のボブスレー落とし!!」
 鳥山プールの大滝滑りで、複数の人間が連なってボブスレーのように滑ったさい、先頭の人間が入水したときのブレーキ力で推進力が失われ、最後部に位置した人間が、したたか尾てい骨を水底に打ちつける──そして、尾てい骨を打ちつけた者は、あまりの痛さに笑いながらもだえ死ぬというエピソードがあったことを、ミラクル・スターは思い出した。
 その恐ろしい滑り方──《ボブスレー》を、悪島は今、この滝壺で再現しようとしていたのだ!
 たとえ、バトル・スーツ──強化戦闘服を身につけていても、《ボブスレー》で尾てい骨をしたたか打ちつけられたのでは、助かる見込みはないだろう。
 ミラクル・スターは激しく身をよじったが、悪島はかかえた腕を放さなかった。
「ミラクル・スター。てめえを地獄の入口まで案内してやるぜ」
 地獄への水先案内人・悪島を先頭に、2人の体が滝の斜面に吸い込まれていった。
「死ねっ! ミラクル・スター!!」
 強烈な加速度をつけ、滝を滑り落ち、2人の体は、激しい水しぶきをあげて、滝壺に突っ込んだ。
 一瞬、あたりを滝の音だけが支配した──次の瞬間、尾てい骨を砕いた者の、狂ったような笑い声が、葛飾のジャングルにこだました……。
 おお──天は、正義を見放したのか!?
 しかし──滝壺の水底で尾てい骨を砕いたのは、ミラクル・スターではなく、先頭の悪島であった。
 悪島は愚かにも、ミラクル・スターに比べ座高があまりにも高すぎたことに気がつかなかったのだ。後ろに位置したミラクル・スターよりも、先頭の悪島の尻が水底に届く方が早かったのである。

    *    *    *    *    *    *

さて、2度目に鳥山のプールを訪れたのは、当時幼稚園生の甥っ子を連れて行ったときで、これが僕のプール利用の最後となった。西武園のプールは混んでいるはずだが、鳥山のプールなら空いているだろう──そう考えて、自転車で行ってみると、予想以上にがらんとしていた。確か、プールについた時は、僕と甥っ子だけしかいなかった気がする。利用客より監視員の方が多いという状況。同じ時刻、おそらく西武園プールはごった返していただろうに、鳥山プールはゴーストタウン……異次元の世界に迷い込んだかのようである。その後別のグループが1組か2組入ってきたが、ほとんど貸し切りのような状態だった。このとき、プールの中で、シマゲンゴロウ(コシマゲンゴロウだったかもしれない)が泳いでいたのを覚えている。周囲は雑木林に囲まれているので、虫も来る。多摩湖(村山貯水池)のすぐ近くだから水生昆虫がいても、ちっともおかしくない。
訪れるのはヒトより虫が多かったかもしれない。こんな状況でプールの運営ができるものだろうかといぶかったものだが……やはり、いつの間にか鳥山からプールはなくなったようだ。僕にとっては2回しか行ったことがない〝まぼろしのプール〟となった!?

それから、もう30年程プールには行っていない。僕の中ではプール遊びは「夏休みとセットになった子どものイベント」というイメージが、なんとなく出来上がっていた。遠い昔のことである。
しかし最近、子どもの頃に遊んだプールの記憶が、ちょくちょく脳裏によみがえる。【記憶層と忘却の浸食】で記したような理由(遠ざかる過去の記憶に、かえって近づいているように感じる現象)もあるのだろうが、それとは別に、近年、自分の体が重く感じられるようになったためである。筋力の低下が原因なのだろうが、まるで地球の重力が増したかのようである。昔は、体がずっと軽く、気軽にどこでも宙返りが跳べたし、時速50キロのトラックに正面から当ってもほとんど無傷でさばけるだろうという妙な自信もあった。実際に250ccのバイクで走行中、路地から飛び出してきた乗用車にブレーキをかける間もなく激突──飛ばされたものの1回転して着地し、急加速して逃去る車のナンバーを覚えたなんてこともあった(♧)。今ではとてもそんなコトは、できそうにない。
昨今感じる体の重さ……この感覚が子どもの頃の記憶を呼び覚ますのである。
子どもの頃、プールでしこまた遊んだ帰り──浮力に慣れた体が重く感じられることがあったが、あの感覚によく似ている。あるいは、トランポリンをしばらく跳び続け、浮遊感に慣れたあとに床に降りると、やけに重力を実感することがあったが、あの感覚とも似ている。
そんなわけで、長い間プールに行ってないのに、子どもの頃のプールへ行ったことを思い出すことが多い昨今なのである。



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昆虫画像:ブログからテレビへ

昆虫画像雑感:ブログからテレビへ
先日放送の『ザ!鉄腕!DASH!!』(@日本テレビ)で僕が撮影した昆虫画像(シャチホコガ幼虫)が使われたようだ。もちろん僕は昆虫写真家ではないのだが、拙ブログの昆虫画像が番組制作スタッフの目にとまり、使わせてほしい旨の連絡をいただいて、こういうことになった(経緯)。
僕が撮影した映像や写真がテレビ番組や書籍・雑誌で使われたことは、これまで何度かあったのだが──、
01Ferretカメレオン
個人ブログにあげていた昆虫画像が、大手メディアのテレビ番組で使われるという展開は、ちょっとフシギな気がする……昔は考えられないことだった。

インターネットがまだなかった時代──テレビ番組や書籍などのメディアが昆虫の写真を必要とするときには、プロの昆虫写真家から調達するのが一般的だったろう。業界で実績のある一握りの昆虫写真家に〝需要〟が集中し、昆虫写真の対価もそれなりに高額だったろうと想像する。

それが今ではカメラの性能が格段に進歩し、素人でもクオリティの高い昆虫写真が撮れるようになった。そして素人が撮った画像や動画はインターネットで気軽に公開(発信)されている。
ネット上にはアマチュアカメラマンが撮った昆虫画像・動画があふれかえっており、誰でも──もちろんテレビ番組制作スタッフや出版社の編集者も、お目当ての昆虫を簡単に検索できるようになった。ネット上に無数にあげられたアマチュアカメラマンたちの作品も、メディアの〝素材〟候補となりうるようになったということだ。
必要とする〝素材〟をインターネットで見つけ、使用許諾をとりつけて利用できれば手っ取り早い──アマチュアが公開している写真で用が足りるなら、経費の節減にもなるので都合も良い。かつて一部の昆虫写真家の独占市場だった「昆虫の写真・動画」の使用料は値崩れをおこしているのではあるまいか?

カメラの進化とインターネットの普及で、アマチュア昆虫写真家は激増した。しかしメディアの〝需要〟に対して〝供給〟が拡大したことで、逆に昆虫写真で商売するプロの昆虫写真家は、育ちにくくなっているような気もする。
昆虫写真家として名を残すのは、インターネット以前から活躍していて既に地位を確立している一握りの方たちだけではないか……そんな気がしないでもない。
もっとも、これは昆虫写真に限ったことではないのかも知れないが……。



ザ!鉄腕!DASH!!にシャチホコガ幼虫
擬態の達人コノハムシ〜TV番組
散歩派フェレット・プチアルバム
カメレオン〜捕食・体色変化&観察動画〜
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ザ!鉄腕!DASH!!にシャチホコガ幼虫

01シャチホコガ幼虫TV
※これはフィギュア⬆イモコレ!2のシャチホコガ幼虫

怪獣ならぬ怪虫!?シャチホコガ幼虫がテレビ番組に!?
先日、テレビ番組を制作をしているという方からブログ経由で連絡があった。番組内でシャチホコガについて取り上げることになったそうで、僕のブログ記事(シャチホコガ幼虫の威嚇ギミック!?)に掲載しているシャチホコガ幼虫の画像を使用できないかというお話だった。
僕としては、拙ブログ記事が何かの役に立てれば本望なので、快諾。
シャチホコガを取り上げるという奇特な番組は、日本テレビの「ザ!鉄腕!DASH!!」──その中の「新宿DASH」という企画でのことらしい。放送予定日は9月6日(日)、19:00〜だそうだ。

僕は地デジ化を機にテレビから離脱しているので、現在のテレビ事情はさっぱりなのだが……検索してみると「ザ!鉄腕!DASH!!」は、日曜日19:00〜19:58放送のTOKIOが出演するバラエティ番組らしい。
どういう形で提供したシャチホコガ幼虫画像が使われるかわからないが……こんな奇妙な生き物がいることを多くの人に知ってもらえる機会が増えるのは喜ばしいことだ。
初めてこの虫を目にしたときは、「よくぞまぁ、こんなデザインが実現したものだ」とたまげたものだが……この衝撃は、とても独りの胸にとどめておけるものではない。「王様の耳はロバの耳!」と誰かに教えたくなるように、「この虫、すんげぇ〜ゾ!」と世間に知らしめたくなる。
ちなみに、このキモかっこいい幼虫を僕は「シャッチー」と呼んでいる。

チョウや蛾の幼虫──イモムシの中にはけっこう奇抜なものがいたりするのだが……おもしろい割に、あまり知られていないというのが、もどかしい。
そこでこの機会に、僕が見た中で、おもしろいと感じたイモムシを、さらに3つほどプチ紹介しておくことにする。

造形や空目模様、ギミックがユニークなイモムシたち

ウコンカギバ⬆葉上のドラゴン:ウコンカギバ幼虫より


ホソバシャチホコ⬆スーパーヒロイン模様の虫より



ウラギンシジミ⬆紫のピカチュウ!?ウラギンシジミ幼虫の線香花火より

昆虫は摩訶不思議でおもしろい。

※追記(2020.09.05):番組サイトの次回(9月6日)予告の【見どころ】によると、放送内容は、国分太一(TOKIO)、二宮和也(嵐)、岸優太(King & Prince)による「東京23区内でカブトムシ見つけられるか?」という恒例企画の虫探しらしい。



シャチホコガ幼虫の威嚇ギミック!?
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