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2020年07月の記事 (1/1)

珍虫ハリサシガメの観察❲総集編❳

2016年7月、雑木林のふちにある石垣で初めてハリサシガメをみつけ、こんな風変わりな昆虫がいるのかと驚いた。好奇心から調べてみると、局所的に生息するまれな種類らしく、その情報は少ない……。わからないなら自分で確かめてみようと、この場所でハリサシガメの活動を観察し続け、そのつど記事にしてきた。しかし、この場所では2019年に幼虫を2度(おそらく同じ個体)確認したのを最後に、2020年は1度も見ることができていない。そこで、とりあえずこれまでの観察をまとめて総集編を作成してしておくことにした(2016年と2017年にぷちまとめ記事を投稿しているが、今回は現時点での総まとめ)。

ハリサシガメの「ハ」──を背負った成虫

雑木林のふちにある石垣に現われた《「ハ」の字模様》の昆虫──珍虫ハリサシガメの成虫は、アリを狩って体液を吸う捕食性カメムシだった。

「ハリサシガメ」の「ハリ」は背中(小楯板)から突き出したトゲ状突起に由来してのものだろうか?

前胸の両側につきだした前胸背側角も勇ましい。

ハリサシガメは翅多型で、個体によって翅の長さに変異がある。


前胸背後葉の横に並ぶ紋模様にも個体差があって無紋のものもある。
成虫のオスとメスでは腹の形に違いが見られる。


成虫の体長は15mm前後。ハリサシガメ属は世界に100種以上いるらしいが、日本には1種のみが知られているとのこと(@『日本原色カメムシ図鑑 第3巻』/全国農村教育協会)。


土粒をまといアリの死骸などで擬装する幼虫

土粒を全身にまとい、ガラクタで擬装するユニークなハリサシガメ幼虫(画面右を向いており、触角の付け根近くに眼がのぞいている)。初めてこの姿を見た時は、こんなことをするカメムシがいるのかと驚いた。手間をかけて擬装するのにはきっとそれなりの意味があるはずだ。ハリサシガメは成虫も幼虫もアリを狩る。多くの昆虫や小動物が避けたがるアリをあえてエサにしているという生態と無関係ではないだろう。詳しくは後述するが、ハリサシガメ幼虫の擬装は、(まともに闘うには)危険なアリに近づくためのものだと僕は考えている。
理由はともあれ、このユニークな習性のため、ハリサシガメ幼虫は個体ごとにデコレーション素材&レイアウトが異なり、それぞれのオリジナル・ファッション(?)が個性的に見える。








ハリサシガメ幼虫は自分が狩ったアリをデコレーションするが、それ以外の装飾コレクションは、アリの巣から廃棄されたものではないかと想像している。というのも、ハリサシガメ幼虫のデコ素材の中にはアリの繭(抜け殻)と思われる物がしばしば混じっているからだ。


ハリサシガメ幼虫の擬装の意味
僕の見たところ、ハリサシガメ幼虫の擬装は大きく2つに分けられる──《体全体を覆う(土粒の)コーティング》と《背中に盛りつける(異物の)デコレーション》である。デコレーションは更に《自力で狩ったアリの死骸》と《それ以外の拾い物》の2つに分けられる。それぞれの擬装の意味については次のように考えている。
①土粒による全身コーティング……ハリサシガメは幼虫時代からアリをエサにしているが、危険な昆虫であるアリに気づかれること無く近づくための擬装。ニオイで相手を認識するアリの触角タッチをブロックするための体表面隠し(対アリ用嗅覚的隠蔽工作)という意味合いである。また、アリ以外の捕食者にはボディラインの隠蔽擬装(視覚的隠蔽)の効果もありそうだ。
②自力で狩ったアリの死骸デコレーション……同巣のアリをニオイで確認するアリの警戒を解くためのアイテムとして利用。または偵察に来たアリの注意をハリサシガメ幼虫本体からデコったアリにそらす陽動効果もある(デコ素材に気をとられた偵察アリに不意打ちをかけてしとめる)。また、アリを背負っていることで捕食者から敬遠される効果もありそうだ。
③拾い物デコレーション……おそらくアリのゴミ捨場などで調達したもので、アリに「用済みのゴミ」と誤認させて警戒を解除させる擬装。
アリは生き物の死骸などを集める一方、食べ残しや仲間の死骸、ゴミ(繭殻など)を廃棄する。廃棄したガラクタを仲間がまた拾って来るようでは困るわけだから、不要になった廃棄物には何らかのスルー・サインが記されているのではないだろうか? であるなら、ハリサシガメ幼虫がこのスルー・サインのある廃棄物をデコっていれば、廃棄物とみなされスルーされる──そんな《隠れ蓑》的な効果があるように思われる。
ハリサシガメ幼虫のコーティング行動⬇。


土粒コーティングの隠蔽効果。土の上では存在に気づきにくい⬇。

土の上では、まとった土粒が幼虫のボディーラインを隠してしまう⬆。背負っているデコレーションがゴミのかたまりにしか見えず、昆虫食のハンターに対しては視覚的隠蔽効果がありそうだ。しかし擬装の核心はアリに対する《隠れ蓑(かくれみの)効果》だろう。
アリの行列のすぐそばで狩りをするハリサシガメ幼虫にアリは全く気づかない!?





もしアリに気づかれ、集団で反撃されたらハリサシガメ幼虫に勝ち目は無いだろう。アリに気づかれること無く近づき、不意打ちでしとめる。それを悟られること無く実行するのに擬装は大きな役割りをはたしていると思われる。
スルーのケースばかりではなく、アリがデコったアリを調べにくることもあるが、ハリサシガメ幼虫の存在には気がつかない。偵察アリはデコられた仲間に気をとられているところを不意打ちでしとめられてしまった⬇。





ハリサシガメが観察できる石垣ではヒガシニホントカゲもたくさん見られ、このどん欲な昆虫ハンターとハリサシガメ幼虫が接近したり、ときに接触することもあったが、ヒガシニホントカゲはまったく無反応だった。


ヒガシニホントカゲにはハリサシガメ幼虫が「獲物(昆虫)と認識されない(気づかない)」のか「食えないものと認識されている」のか……?
あるいは「アリを<食えない>」と忌避する本能があって、そのアリをまとっていることで、食えないものとして認識され、獲物から除外されているのかもしれない。

ハリサシガメの狩りとレガース
幼虫の重要な擬装アイテム(デコ素材)にもなるアリをハリサシガメは、どのように狩って、幼虫はどうやって背中に盛りつけるのか──。
ハリサシガメはターゲットが間合いに入ると素早くアリに襲いかかり、前脚と中脚の4本の脚を使って押さえ込み、鋭い口吻を突き立てる。するとアリはすぐに動けなくなってしまう。アリを押さえ込むときに使われる前脚と中脚の脛節(けいせつ:ヒトでいえば膝から足首にかけての部分)の内側にはレガース(すね当て)のようなものがついているのに気がついた。これはアリを抑えるさいに接触面積を増やしてグリップ力を高める《獲物の保定器官》──滑り止めのような効果を持っているのではないかと僕は見ている。アリをしとめる口吻の一撃を、素早く適切な部位に打ち込むには、しっかり獲物をおさえておく必要があるはずだ。
ハリサシガメ幼虫のレガース⬇。

羽化殻(終齢幼虫の抜け殻)のレガース⬇。


ハリサシガメ成虫のレガース⬇。


中脚と後脚のクローズアップは別成虫♂の死骸を撮ったもの。
同様の器官はアカシマサシガメでも確認している。
レガース付きの前脚と中脚は、アリを襲撃するときと、口吻を刺し直すときにアリをコントローするのに使われている。
捕えた獲物を石垣の隙間に運んで体液を吸うハリサシガメ成虫⬇。










捕えたアリの体液を吸うハリサシガメ幼虫⬇。




ハリサシガメの狩りとデコレーション
こうして狩ったアリの吸汁後の死骸をハリサシガメ幼虫は背中にデコレーションする。捕食には前脚と中脚(4本)が使われるが、背中に盛り着けるときに使われるのは(僕の観察では)決まって後脚である。
ちなみに昆虫学者で生態学の権威・岩田久二雄氏の著書『昆虫を見つめて五十年(II)』(朝日新聞社/1978年)にはハリサシガメの記載がある(ハリサシガメに出会ったのは1度きりで、初めて見た幼虫に驚き、持ち帰って飼育観察したことが記されている)。これによると、「捕食のさいに使われるのは《二本の前肢》」で、「(死骸を)背中に押し上げるのに使われたのも《前肢》」という観察が記されているが、これは間違いだと思う。
ハリサシガメ幼虫が狩ったアリをデコレーションするようす⬇。




体液を吸い終えたアリは腹の下をくぐって後脚にわたされ、背中に盛りつけられる。背中にデコるときに後脚を使うようすを尻の側(右斜め後方)から撮った画像↓。





背中のデコレーションに新素材(アリの死骸)を押し込んだあとも、後脚を使って荷を整えるような動作を繰り返す。
別の個体の食事〜デコレーション行動⬇。

捕らえたアリの体液を吸い終えると、アリの死骸は股をくぐって後脚に渡され、両後脚で腹端側から背中に押し込まれる↓。

可動範囲が広い後脚(青矢印)でアリをぐいぐい押し込もうとする……。


脱皮でデコ素材だけを引き継ぎ(後述)、まだ土粒コーティングが不完全な状態でアリを捕食していた幼虫⬇。

石垣の上で食事中のハリサシガメ幼虫。前脚と中脚でアリをおさえ口吻を刺して体液を吸っている。おそらく脱皮してあまり経っていない個体なのだろう──まだ新たな土粒コーティングがほどこされていない。背中には脱皮のさいに引き継いだデコレーションを羽織っているものの、側面は隠れておらず、幼虫の腹部(若い幼虫では腹が白い)がむき出しになっている。

体液を吸い終えたアリの死骸は、移行素材と腹部背面の隙間に押し込まれた。

新たに加えられるデコ素材は、後脚を使って腹の背面と既存デコ素材の間に押し込まれる。このくり返しで、脚が届かない高さまでコレクションが積み上げられることになる。

デコ・コレクションは脱皮のさいどうするのか?
ここで、ハリサシガメ幼虫の擬装解除した姿を紹介しておこう。
脱皮前と思われる幼虫の死骸をみつけたので異物を取り除いてみたものが⬇。

岩田久二雄・著『昆虫を見つめて五十年(II)』(朝日新聞社/1978年)には、《デコ素材の付着は「糊着」ではなく「ひっかかっているだけ」》という趣旨のことが記されているが、土粒を含め剥がした素材同士が「糊着」しており、「糊のようなもの(分泌物や排泄物?)で貼り付けられていた」ことがわかった。


腹部背面には極細の毛束が生えている。擬装素材を貼りつけるときに接着面積を広げて安定させるのに役立っているのかもしれない。
アリに対しての《隠れ蓑》ともいえる擬装を解除した素のハリサシガメ幼虫は、こんな姿をしているわけだが……この丸裸な状態でアリを狩るのは危険だろう。
ならば、脱皮をしたばかりの丸裸の幼虫は、狩りができないことになりはしないか?──そんな疑問が浮上した。
脱皮した新幼虫は狩りの前に新たな《隠れ蓑》を調達するのだろうか?
また、幼虫が脱皮や羽化(カメムシの仲間は不完全変態で、蛹を経ずに幼虫から成虫が羽化する)をするさいには、背中に貼り付けたデコ素材がジャマになりはしないだろうか?──という疑問もわいてくる……。
そのあたりの謎を説くカギの1つとなったのが、石垣の上に残されていたハリサシガメの脱皮殻だった。

なんと、背中に盛られていたはずのデコ素材が、ごっそり剥ぎ取られている。おそらく、脱皮した新幼虫が消えたデコ素材を引き継いでいったのだろう。この脱皮殻を見つけたときは、脱皮のさいにジャマになるデコ素材を外してから脱皮が行われ、脱皮を完了した後に新幼虫がこれを再利用するのではないかと考えた。
しかし、その後、脱皮のシーンを観察する機会があって、驚愕の〝技〟を目にすることとなる──。

石垣の隙間でみつけた脱皮直前の幼虫⬆。画像は90度回転させたもので、実際は鉛直面に頭を下にとまっている(画面左が下側)。これが、この後……⬇。

なんと、脱皮をしながら古い殻のデコ素材をひきつぐという信じられないような芸当を披露した。約30分後⬇。

脱皮する新しい体とデコ素材の間には古い殻があって隔てられていたはずなのに、デコ素材を引き継ばながら古い殻だけを脱いでいくというのは予想もできなかった。まるで、ズボンを脱ぐことなくズボン下だけを脱ぎ捨てるようなもの!?──これには大いに驚かされた。
この個体は無事に抜け殻を離脱したが、ときには引き継いだデコ素材にくっついて脱皮殻を背負ってしまうことも起きるようだ。

新幼虫が引き継いだデコ素材にくっついてきてしまった脱皮殻は、腹端側から巻き上げられるような形で逆立ち姿勢になりがち。
脱皮殻を嫌って分離した幼虫⬇。



脱皮殻を引き剥がすときにも(デコる時同様)後脚が使われる。


ハリサシガメ幼虫がアリとの接触で(ニオイで)バレないように体表面を土粒でおおい隠しているのだとすれば、自身の(ニオイのついた)抜け殻を擬装コレクションから外したがるのは理にかなった行動だといえる。

成虫は擬装しないので羽化殻にはデコ素材が残されている。石垣の上でみつけた羽化殻⬇。


頭部の土粒コーティングが浮き上がっているが《土粒同士がくっついたまま形をを保っている》のがわかる。擬装素材は岩田氏が記したように「ひっかかって、もつれあって巧くとまっている」のではなく、糊のようなもの(分泌物?)で糊着したものであることがわかる。
ところで……ハリサシガメは幼虫・成虫ともにアリをエサとしているわけだが、幼虫時代の秘技(擬装)を成虫になって棄てるのは、なぜだろう?
非力な幼虫時代にはアリのテリトリーで活動するには擬装は必要なアイテムだったのだろう。成虫になれば体格的にも機敏さもアリに対応できるようになること、そして何より成虫には繁殖活動という大きな役目が課せられている──すみやかに相手をみつけ交尾を成功させるための効率性などから擬装解除が成立しているのではないかと僕は想像している。

──というのが、これまでに僕が観察したハリサシガメについての総集編。いろいろ面白いこともわかったが、わからないこともまだまだ多い。
今回使用した画像は過去に投稿した記事に添付したものから抜粋した。少ない画像で的確に伝えたい部分を表現できれば良いのだが、被写体が動いたり隠れたりするので不明瞭な画像での冗漫な画像構成となってしまった感は否めない……。
最後に雑感も交えて総括するつもりでいたが、思いのほか長くなってしまったので割愛。とりあえず、今回はこんなところで──。


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夢の無銭飲食三昧?

夢の中でグルメ三昧は!?
先日、投稿した【夢の中のエラー現象】の中で《夢の中では安心して放尿できるマトモなトイレが見つからない》ということに触れたが(オネショ回避のため?)、〝出す〟ことがNGなら〝入れる〟こと──飲食についてはどうなのだろう……と、ふと思った。夢の中で気持ちよく自由に飲食はできるのだろうか? 夢の中で食事したところで布団を汚すような不具合は起こりえない。普段なかなかありつけない高級料理や高級ワインなどの飲み食いが制限なしで、しかも実際にはタダでかなうのであれば、美食家たちにはまさに〝夢のような話〟ではないか。味についての記憶は脳内にあるのだから、食べたことのある料理は脳内再生できるはずだ。現実では一度に食える量に制限があるが、夢の中ならいくらでも──しかもカロリーを気にせず食い続けられる。美食家たちにとって、夢を利用したグルメ三昧は〝おいしい話〟のはずだ。おとがめなしの高級料理無銭飲食!?

それとも空腹感が満たされなかったり満腹感が得られないことで、やっぱり夢の中では物足りなさのような感覚がついてまわるのだろうか?
僕はグルメではないので……というより、食べ物にあまり関心が無いので、夢の中で何か食ったという記憶はない(本当に無かったのか、単に覚えていないのか不明)。
小学6年生の修学旅行で、寝ている級友にかっぱえびせんを食わせた奴がいて、食わされた某君が目覚めてから、「人魂を食う夢を見た。しょっぱかった」と言っていた記憶はある。
僕自身のことで言えば……昔、十二指腸潰瘍で入院し3日間絶食したときは、さすがに飢えて、夢にスイカと酢豚が出てきたことがあった。ただ、その夢の中で食ったかどうかは覚えていない……。

《食》への関心が薄い僕は、食事の時も、たいてい他のことを考えている。箸をつけていた小皿が空になったところで、なくなったことに気づき「はて、この小皿には何が入っていたんだっけ?」「俺、今、なに食った?」と首を傾げることも少なからず。「今日は腹が減らないな」──と思っていたら30分前に食事をしていたとか、食おうと買ってきた物がみつからず、「あれ、もう食っちゃったんだっけ?」と思いなおした後に出てきたり……なんてこともある。
急にそんな症状(?)が出ればボケを疑うところなのだろうが、若い頃から「考え事をしていると」そうだった。入浴中に「あれ? 頭は洗ったんだっけ?」と髪をさわって確かめたり、物思いに耽っているときに、手に持った花粉症の薬箱に目を落とし、「あれ、これを飲もうとしていたんだっけ? それとも、飲み終わってしまうところなんだっけ?」と悩むことも、昔から日常茶飯事だった。
そんなこともあって、昨今の記憶力の衰えに気づくのが遅れた感もある。

食べ物のことに話を戻して……《食》にこだわりが無い僕は、遠くまで食べに出かけようと思ったことは無い。どんなに美味しい料理であっても、どんなに高い料理であっても……「しょせん、ウ○コの原材料だしなぁ……手間や金はかけたくないなぁ」という感覚が働いて、あまりありがたみを感じることができない。今は安くても美味しい物はたくさんあるのだから、なにもわざわざ高価な〝原材料〟を食うこともあるまい……という貧しい気持ちが働いてしまう。
そんなわけで、夢の中でのグルメ三昧は可能なのか……という疑問に対して、僕自身は応えられるような夢の記憶を持ち合わせていない。

夢の中での飲み食いなら、タダだしカロリーも気にせず、良いことずくめではないか──と思い、過去に『暗示効果』というショートショートを書いていたことを思い出した。過食に悩む女性が暗示でダイエットを試みる話である。



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珍しいナナフシのオスと過密!?

5歳児が〝珍しいオスのナナフシモドキ〟を発見したというニュースが報じられていた(「色が違う」5歳児、珍しいオスのナナフシモドキ発見)。
ナナフシモドキ(ナナフシ)は枝に擬態した昆虫で単位生殖することで知られている。オスが見つかるのは稀で、記事によると〝2019年までに全国でも12例ほどしか見つかっていない〟そうだ。
ナナフシの仲間には単為生殖をするものが多く、オスが極めて珍しかったり未知のものもあるらしい。

今回みつかったオスは、採集飼育していた5匹の幼虫の1匹で、脱皮を2回したところで体色が違うことに気がついたのだという。
飼育下でめずらしいオスが出現したという状況から、頭に浮かんだのが「飼育下ではオスが出やすいのではないかか?」という可能性。
『ナナフシのすべて』(岡田正哉・著/トンボ出版/1999年)でも、タイワントビナナフシのオスについて「日本では,オスは飼育下での1例しか知られていません」と記されている。
飼育下の──おそらく〝過密〟がオスの出現を促す条件になったのではなかろうか?

フィールドでは見つかることのほとんどないナナフシモドキのオスが、わずか5匹の飼育個体の中からみつかったという……これは「偶然」なのだろうか? タイワントビナナフシの例(飼育下でしか見つかっていなかった)もあわせて考えると、「飼育下の過密」がオスの出現をうながした可能性もなきにしもあらず……という気がする。

というのも、僕も〝本州では珍しいニホントビナナフシのオス〟を、東京で見たことがあり、その年はこの虫が大発生して擬木に過密状態になっていたからだ。


『ナナフシのすべて』によればニホントビナナフシは《九州以北ではおもに単為生殖、屋久島以南では両性生殖をすると思われる》とのことだが、僕は交尾も確認している。



ナナフシの仲間は本来は南方性の昆虫らしいが、ニホントビナナフシが11月から12月にかけて擬木上に異様に大発生し、フユシャク(冬に出現する蛾)と一緒にいるのが不思議な光景だった。


また、珍しいということで言えば、ニホントビナナフシが大発生した年には、オスとメスが混在する雌雄モザイクの個体も2匹確認している。


左右で♂と♀が別れた個体↑と、部位によって♂♀が交互に別れた個体↓。


ニホントビナナフシが大発生した年には、黄色のニホントビナナフシ♀(本来は緑色)も何匹か見つかっていた。



〝珍しいオスの出現〟に関しては──魚の中には環境によって性転換するものがいるし、爬虫類の中では孵化温度でオスとメスが決まるものもいるわけだから、ナナフシの仲間でも性比が育成環境の影響を受けることだってあっても不思議はない気がする。
雌雄モザイクや体色の変異などの出現現象も、もしかすると〝過密〟が影響しているのかもしれない?
枝に擬態したナナフシや葉に擬態したコノハムシの仲間は、ルックスも生態もミステリアスな味わいをかもしている。


ニホントビナナフシ東京でも両性生殖(2013年12月)
ニホントビナナフシの雌雄モザイク(2013年11月)
半♂半♀のトビナナフシ(2014年11月)
黄色いトビナナフシ(2013年11月)
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夢の中のエラー現象

指先の運動・輪ゴムの貫通マジック
01輪ゴム貫通マジック
視力や記憶力の衰えを自覚することの多い昨今。指先の感覚も鈍ってきている気がしないでもない……。買い物の会計で畳んだ紙幣を広げるのにてこずったり小銭をつかみ損ねたり……視力の低下(老眼)による影響もあるのだろうが、どうも指先の感覚自体も鈍ってきているような?
昔は「書く」という繊細な作業を日常的に行っていたが、ワープロの登場以降、「書く」作業は「タイピング」に取って代わられている。そんなことも指先のデリケートな運動機能の低下を許す原因になっているのかもしれない。
ということで、指先の繊細な感覚を取り戻すべくプチ・トレーニングとして、簡単な輪ゴムを使った貫通マジックを覚えてみた。交差させて指先にかけた輪ゴムを貫通させるというもの──YouTubeで解説されていたのをみつけて練習してみた。これなら指先のデリケートな運動になる。


老化による運動能力の低下で、以前できていたこと(宙返りなど)ができなくなっていくのは嘆かわしい実態だが、逆に何か、これまでできなかった(したことがなかった)ことができるようになるというのは楽しい。輪ゴムの貫通マジックは、比較的最近おぼえたもので、人様に披露するようなレベルではないが、指先のトレーニングとして、ちょくちょく行っている。

《輪ゴムの貫通マジック》が夢の中ではできない!?
ところが……この最近覚えた《輪ゴムの貫通マジック》が急にできなくなってしまう──という夢を見た。
気をとりなおしてリトライしてみるが、輪ゴムが指から外れてしまったり、からんでしまったりと、失敗の連続。何度くり返しても成功しない。これまでできていたことが、どうして突然できなくなってしまったのかと戸惑っているうちに目が覚めた。
このマジックを夢の中で行ったのは今回が初めてだったが、《実際はできるのに(マスターしている技術なのに)、夢の中ではうまくできない》──という似た体験をした記憶はある。若い頃に《ロンダートという運動を夢の中で行うと、決まって流れる(バランスを崩す)》という経験を何度かしていて、夢の中で「できるはずの技術がどうしてできないのか!?」と戸惑っていた記憶がよみがえった。
《ロンダート》というのは体操競技の床運動でよく見られる、(前向きの)助走から、体の向きを変えて後方系の運動につなげる回転技で、《側転跳び(側方倒立回転跳び)¼ひねり後ろ向き立ち》と呼ばれるものだ。前向きの助走から¼ひねって側転に入り、さらに¼ひねって(計½ひねることで)向きを180度変えて(進行方向に対して)後ろ向きになる──後転跳び(バック転)や後方宙返りなどにつなげる技である。
若い頃は我流でアクロバット系の技を体得していたが、たまに夢の中で《ロンダートから後方宙返り》を跳ぼうとすると、必ずロンダートが流れて(バランスを崩して)後方宙返りの踏切ができなくなるのだ。

夢の中のエラー現象:ロンダートができなくなるのは…
夢の中では、ときに空を飛んだり、窒息すること無く長時間潜水していられるなど、現実ではできないことができたりする。なのに現実にできていることができなくなるというのは、どうしたことか!?
ロンダートがエラーになる夢は、何度か見ており、目覚めた後に、どうしてなのか気になって考えてみたことがある。夢の中で運動をした時に感じる《「体感イメージ」の違和感》がエラーの原因なのではないかと思い至った。

夢の中で《「体感イメージ」の違和感》を感じる現象としては、《走ろうとするのに体がなかなか前に進まない》という例がありがちな気がする。まるでプールの中を走ろうとしているような感覚。浮力で足に体重がのらないので力強く地面を蹴ることができない感じに似ている。水の抵抗を受けているかのように体がスムーズに前に進まない……。これは眠っている本体と夢の中の自分(意識)との感覚のギャップから生み出される現象にちがいない。
つまり、ダッシュをかけるさいに足の裏にかかるはずの重さが(夢の中では)体感できずに、力強く地面を蹴り返すことができなかったり、仰向けに寝ていて重心が前にかからないことで、走るさいに必要な重心の前への移動が(夢の中では)体感できないことで《走ろうとするのに体がなかなか前に進まない》という感覚が生まれ、プールの中を走っているような奇妙な体感の夢になるのだろう。
睡眠中に立て膝が倒れると、その感覚が夢の中に伝わり、バランスを崩して転落する夢になったりすることがある。本体の身体感覚が夢の中に反映するという意味では似たような現象といえるかもしれない。

同じように……夢の中でロンダートがうまくできないのは、実際の運動時には得られるはずの(得られなければならない)運動感覚(回転感覚や平衡感覚)が得られないことに起因しているのではないか。ロンダートは倒立回転の中で前向きの運動が瞬時に後ろ向きに変化する運動だ。このタイミングがズレるとそのあとに続ける後方宙返りなどの踏み切りが適切に行えず、頭から落ちて首を折ることにもなりかねない。寝ている身体状態で、倒立回転&ひねりの体感イメージを適切なタイミングで脳内再生するのは難しい……それで夢の中で行う技は「流れる(バランスを崩す)」という形に誘導されてしまうのだろう。
他の人でもやはり「夢の中でロンダートをすると流れる」ものなのか、聞いてみたいところだが、今まで「夢の中でロンダートをした」という経験談は聞いたことが無いのでわからない。しかし、僕が何度かみた夢ではロンダートがうまくできたためしがないことから、おそらく《走ろうとするのになかなか体が前に進まない夢》と同じように、他の人も体験している夢のエラー現象なのではないかと想像している。

夢の中では異常なトイレ事情!?
ちょっと意味合いが違うかもしれないが……《実際はできるのに、夢の中ではうまくできない》というのに《小用》がある。実体の身体的感覚がリンクして夢の中でも尿意をもよおすことがある。ところが夢の中ではなかなかトイレが見つからなかったり、とても安心して用を足せるような状況ではなかったりする。まともなトイレを探しているうちに目が覚めて、実際にトイレに立つといったぐあい。これは多くの人が経験していることだろう。もし夢の中で用をたしていたらオネショという惨事に至っていたかもしれず……そう考えると、「尿意」という身体感覚ととともに「用を足す体制に無い」という身体感覚も夢には反映されているのだろう。尿意がありながら、放尿を抑制する状態が夢の中に持ち込まれ、《トイレがあっても使えないという理不尽な状況》を構築するのではないか……僕はそんなふうに解釈している。

輪ゴム貫通マジックのエラーは?
さて、それでは夢の中で起こった《輪ゴム貫通マジックのエラー》についてはどうなのだろう? これは急激な運動ではないので、寝ている本体と夢の中の自分(意識)との間に体感ギャップが生まれるとは考えにくい気がする。生理的あるいは反射的な要因でもなさそうだ。ということは──ロンダートや小用がうまくいかない・あるいは立て膝が倒れることで生まれるエラー現象とは別のものなのだろうか?
だとすると、エラーはこの夢限定の現象だったのかもしれない。とすれば、その原因は何だったのだろう? 別の理由は──と考えてみると、思い当たるものがないでもない……。
加齢によって「以前は見えていた物が見えなくなった(老眼化)」「以前できていたことができなくなった(運動機能の低下)」という身体的衰えを嘆きがちな昨今──そうしたネガティブな心理が「最近できるようになったマジックすらもできなきなる」という不安・悲観となって反映した夢だったのかもしれない。そう考えると、納得できそうな気がする。

で、あるなら──指先の感覚に対する不安が解消されれば、夢の中で失敗することもなくなるかも知れない?
指先の感覚を鍛えるトレーニングとして《輪ゴムの貫通マジック》は続けて行くつもりで、コインバニッシュ(硬貨消失)系もぼちぼち練習してみたり……。
《輪ゴムの貫通マジック》は、いずれまた機会があれば、夢の中で確認してみたいことの1つとして覚えておくことにしよう。もう少し上達すれば、次の夢ではクリアすることができるかもしれない!?

余談だが……20年ほど前、イタズラで撮ったイタチのハンドパワー(超魔術!?)動画⬇──イタチが手(前足)をかざしてキアイをかけると小物が消えるというバレバレのバニッシュ系マジック。これも指先の運動と言えなくもない……。


※フェレット漫画>超魔術イタチ:編より⬆

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座敷童子召喚グッズで大もうけ!?(SS)

トリックアート(1人増える騙し絵)とコラボのショートショート
座敷童子召喚グッスで大もうけ!? by 星谷 仁

 座敷童子(ざしきわらし/ざしきぼっこ)をご存知だろうか? 子どもたちが遊んでいると、いつの間にか1人増えていることがある。けれどその顔ぶれは、どれも最初からいた子ばかり。だれが「プラス1」なのか、わからない……そんなときは座敷童子がまじっているのだという。妖怪のたぐいではあるけれど、座敷童子が出る家は栄え、いなくなると衰退するといわれていて、ちょっと《福の神》みたいなところもある。

 顔ぶれは同じなのに人数だけが増えるという《プラス1現象(座敷童子現象)》は想像するのも難しい奇妙な現象だが……驚くなかれ! このほど僕は、これを再現することに成功した。
《座敷童子(ざしきわらし)召喚システム》──そう言ってもいいグッズの開発をなしとげたのである。
 これで福の神妖怪・座敷童子を招いてお金も招く──といった寸法だ。

 原理はさておき、グッズの仕組みは単純だ。図案化したイラストで説明しよう。透明なパネルに9人の子どもが正面を向いて描かれている。パネルを裏返すと9人の背面(後ろ姿)が描かれている。
01座敷童子SSA
02座敷童子SSB
 わかりやすいように、ここでは表面(正面姿)を黄色・裏面(後ろ姿)をで水色で示すことにする。表から見ても裏から見ても、描かれている子どもは9人であることに変わりはない。
 まずパネルの表面を出しておく。このパネル上に《プラス1(座敷童子)》を召喚して10人にするのだが……座敷童子はシャイなので、皆が正面を向いている間は出てこない。「だるまさんが転んだ」でオニが背を向けている間にさっと動いて近づくように、描かれた子どもたちが背を向けた瞬間に座敷童子は近づいてくる。
 正面を向いた子どもたち(の絵)を後に示す手順通りに、次々に後ろ向きにしていくと、全員が背を向けた瞬間に座敷童子はパネル上に出現し、9人だった子どもが10人に増殖する。
 何はともあれ、実際にご覧いただこう。パネルは3つのパーツに分割できる仕組みになっている。その分割線を描き入れたのがこちら⬇。
03座敷童子SSC
 まずは下半分のパーツを裏返しながら、「座敷童子招来!」と心で念じる。
04座敷童子SSD
 水色に裏返った部分では子どもたちは後ろ姿になっている。
 次に、左上の(黄色)パーツも「座敷童子招来!」と強く念じながら裏返す。
05座敷童子SSE
 最後に残っていいる右上の黄色部分も「座敷童子招来!」と裏返す──これで、描かれた子どもたちは全員後ろ向きになった。
06座敷童子SSF
 そこで人数を数えてみると──驚くなかれ、10人になっている!
 パネルを表向きにして確かめてみても、やはり10人になっている。
07座敷童子SSG
 ご覧いただいたように、何も描き足すこと無く、9人だった子どもが10人に増えている。誰が増えたのかもわからない。

 この《座敷童子召喚グッズ》を開発したことで、僕はお金持ちになった。
 このパネルを商品化して大ヒットしたのかだって? 違う、違う。そうじゃないんだ。
 絵に描いた9人の子どもに1人ずつ1万円を渡して後ろを向かせる──10人に増えたところで、それぞれが持っているお金を回収すれば、そのたびに1万円増えるという仕組み。これを繰り返せば、どんどんお金がたまる。増殖したお金をつぎ込めば、さらにお金が増えるというわけだ。座敷童子現象を利用しての荒稼ぎ。座敷童子がつく家は栄えるという言い伝えがあるけど、なるほど、こういうことだったのかと、笑いが止まらない。


    *    *    *    *    *    *

──というところまでがトリックアート(騙し絵)がらみのショートショート風作品。創作作品は縦書きにしているのだが、今回は横長のイラストが頻繁に入ることから横書きのままで掲載。もちろん、オチの──この方法で荒稼ぎすることは、実際にはできない。1人増えるトリックアートの仕組みについて興味がある方は、こちらをご覧あれ⬇。
01座敷童子騙し絵新A
人数が増減する騙し絵の簡単な解説より

《プラス1(座敷童子)現象》について
僕が座敷童子について知ったのが、いつのことだったのか……その状況はまるで覚えていないのだが、「1人ふえているのにそれが誰なのかわからない」という不思議な現象ばかりが強く印象に残ったことは記憶に残っている。これが宮沢賢治の『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』に出てくるエピソードだったと知ったのは、つい最近のことだった。

「大道(だいどう)めぐり、大道めぐり」
 一生けん命(めい)、こう叫(さけ)びながら、ちょうど十人の子供らが、両手をつないでまるくなり、ぐるぐるぐるぐる座敷(ざしき)のなかをまわっていました。
 どの子もみんな、そのうちのお振舞(ふるまい)によばれて来たのです。
 ぐるぐるぐるぐる、まわってあそんでおりました。
 そしたらいつか、十一人になりました。
 ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやっぱり、どう数えても十一人だけおりました。
 そのふえた一人がざしきぼっこなのだぞと、大人が出て来て言いました。
 けれどもだれがふえたのか、とにかくみんな、自分だけは、どうしてもざしきぼっこでないと、一生けん命眼(め)を張(は)って、きちんとすわっておりました。
 こんなのがざしきぼっこです。
 (宮沢賢治・作『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』より)


とにかく、子どもの頃から、この謎めいた現象には興味があって、僕自身もこの現象を扱った座敷童子の話(創作)を書いている。
初めて書いたのが『ざしきぼっこの写真』(1990年12月/朝日小学生新聞)という読み切り童話だった。8人で遊んでいた子どもたちが、いつの間にか9人になっていることに気づき、座敷童子を写真に収めようと一人ずつ撮影する。間違いなく9枚撮ってスクープだと盛り上がるが……できてきた写真は8枚のみ。元からいた8人しか撮れてないのに撮影枚数だけが9枚になっていた……という《プラス1(座敷童子)現象》を確かめるだけに終わるというオチだった。
次に書いた『病院跡のざしきぼっこ』(1994年12月/朝日小学生新聞)は短期連載で、《プラス1(座敷童子)現象》の合理的解釈を試みた作品だった。その後もブログで何度か座敷童子ネタを取り上げていて、1人増えるトリックアート(騙し絵)も描いている。これをもう少し違った演出で表現できないか……と考えて思いついたのが、今回のショートショート風トリックアートだった。

トリックアート・ショートショートの意図
画像の一部を左右入れ替えることによって描かれた人物の数が変化するトリックアートはそれだけでも充分に面白いのだが……このトリックを成立させるために必要な「左右入れ替える」作業に何らかの意味なり必然性などを持たせることができないものか……それができれば、よりスマートに不思議を演出できる──と考えたのがきっかけ。
「左右入れ替えると面白いことが起こる」といった場合、「なんで左右入れ替えないといけないの?」という疑問が起こりうる。そういう疑問をさしはさむことなく「作者のたくらみ」に誘導することができれば、それに越したことはない──トリックアートの成立に必要な「左右の入れ替え」を意識させることなく「子どもに後ろを向かす」という陽動によってセットアップ(裏向きで左右の入れ替えを完了)する──今回はそんな狙いがあった。
これが果たして、どれだけ効果があったものか……。複雑にしたことでトリックのキレが悪くなってしまったという懸念も無きにしも非ず……。これだけでは心もとないので、《プラス1(座敷童子)現象》を利用したもうけ話というショートショート的なオチをつけてまとめてみたしだい。



病院跡のざしきぼっこ(創作)
境内の座敷童子(頭の体操)
ひとり多い!?座敷童子2題
ひとり増える!?座敷童子的トリックアート
1人増える!?トリックアート&解説
1人増える不思議な絵!?座敷童子の紙芝居
ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子
トイレの花子さんと座敷童子〜便所のモアイ像
トリックアート座敷童子は誰だ!?
人数が増減する騙し絵の簡単な解説
福神降臨ざしきわらし召喚アイテム(SS)
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移行記事の画像行間空き解消法

既にサービスを終了しているYahoo!ブログからFC2ブログへ記事をインポート(移行)したとき、いくつかの不具合があったのだが(*)、その1つ──画像と画像・あるいは画像と文章を詰めて(行間を空けずに)設定していた記事が、(自動)移行後の記事では画像の後に「1行空き」ができてしまうという件。
01FC2ブログ移行画像分断
見映えは悪いが、内容はわかるので放置していたが、《本文の編集》画面で画像の後に2つ連続していた改行コマンドを1つに減らすことで、1行分の空きを解消できるとわかった。

01改行コマンド校正



※自動移行(インポート)したもの⬆と改行コマンドを整理したもの⬇


マツヘリカメムシ:卵・幼虫・成虫より⬆

行間ゼロにはならないため、2つの画像を連続したところではわずかに分断が残るものの、文章に続く箇所ではだいぶ見映えが改善した。
ただ、記事を1つずつ手作業で修正して行くのは大変なので、どこまで整理できる(する)かは未定……。



FC2ブログへ移行してきて気づいた問題点

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記憶層と忘却の浸食

記憶の地層を忘却が浸食する…
記憶力の劣化を実感することの多い昨今……。つい今しがたのことが思い出せなかったりするのに、その一方、ずっと忘れていた子供の頃の記憶が、ふと鮮明によみがえってきたりすることもある。最近のことはすぐ忘れるのに、遠い子供の頃の記憶が、かえって鮮明化してきたような……記憶の不思議を感じている。

最近あった出来事の記憶は、川面に落ちた木の葉のように時の流れとともに、どんどん流れ去って行く。昔はもっと堆積していたはずなのに……。
時の流れは、これまで堆積した記憶の層をも削っていき、「忘却」という浸食によって、古い地層(記憶層)に埋まっていた記憶が意識の表面に顔をのぞかせるようになった──といった感じが、しないでもない。

歳をとるごとに時の経過を早く感じる《時間の加速感》については、過去に何度か記事にしているが(*)、【長生きほど人生は短い!?時間の逆転現象】でも記したように、記憶力の低下にともう《忘却力》の浸食で、「時間経過」を実感する物差しであるところの「記憶層の厚み」はどんどん減ってきており、遠い子供時代の記憶がむしろアクセスしやすい浅いところに浮上してきた感じを受ける。

たとえば「50歳のときの10歳」より「60歳になってからの10歳」は物理的(時間的)には遠くなっているのに、主観的には「近く」感じられるようになってきた。これを《記憶の地層》に例え、《回想深度》という言葉で示すと、こんなぐあい⬇になる。
01記憶層図解
「50歳」と「10歳」の記憶の間にはその間に体験した記憶層が広がっていて、この厚みが時間的距離感を作っている。記憶力がしっかりしているうちは、この記憶層は年々増えて厚くなっていくわけだが……歳をとってくると新たに形成される記憶層は少なくなり、それとは逆に、忘却による浸食で消失する部分の方が増えてくる。
図に示したのは、記憶層の増減が逆転したケース。「50歳」から「60歳」になるまでの間にも新しい記憶の層は形成されるが(黄色い矢印=新記憶)、この間に忘却によって記憶層全体が目減りしてしまっているので(青い矢印=忘却)、全体としては「10歳」の記憶はむしろ「60歳」になってからの方が近くなっている──つまり「回想深度」が「50歳」のときより「60歳」になってからの方が浅くなった分、子供時代の記憶にアクセスしやすくなった……そんな解釈もできるのではあるまいか。

「同じ場所」が記憶の中では「違う場所」に保管!?
疲れているとき・ぼうっとしているときなど、意識力が低下している時に、ふと子供時代にみた風景──町並みが鮮明に脳裏を満たすことがある。
僕は子供の頃と同じ町に住んでいるが、当然のことながら町並みはずいぶん変化した。平屋の住宅が区画整理されて団地に変わったり、畑や雑木林が姿を消して「同じ場所」でありながら、見た目はかなりの変貌をとげている。

現在の町並みに記憶はすっかり更新済みで、ふだんは「その場所」が昔どんなだったか、にわかには思い出せない状態にあるのだが……子供時代に見た景色が脳裏に広がったときには、主観はその景色の中にあって、逆に毎日目にしている現在の「その場所」のようすが思い浮かばなかったりする。

脳裏の広がった過去の景色は地続きで、「主観」は何処へでも行ける。学校や友だちの家の庭、よく遊んだ路地裏、登下校で通った道──鮮明に目に浮かぶのだが、これが「現在のもの」とスケール感が違っている。道幅はずっと広いし、奥行きも広がっていて道の先が遠くなっている。垣根も高い。止まっている自動車のルーフも高い。大人になってからはずっと見下ろしていた風景が、記憶の中では見上げる景色に変わっている。子供の低い目線から見た光景として脳内再生されるのだ。
大人になってから子供の頃に過ごした場所に行ってみるとなんだか狭くなったように感じるのと逆の現象である。スケール感の変化をともなう町並みのリアルな記憶は妙に新鮮だったりする。

現在の町並みを認識しているときは昔の町並みが思い出せず、昔の町並みが脳裏に広がっている時は、現在の町並みが思い浮かばない……同じ場所でありながら、脳の中では(記憶は)別の領域に保存されているのだろうか?
あるいは、現在と過去とで同じ場所の記憶がゴッチャになっては都合が悪いので、現在と過去を混線させないように分離する処理機構が働いているのかもしれない。

記憶というのは不思議だと感じることがしばしばあるが……記憶は完全に主観的なものなので、「現象」を説明することはできても、その実感をほかの人に伝えるのは難しい。
長生きほど人生は短い!?時間の逆転現象】でも記したが……歳をとるほど「振り返ってみれば人生は短い」感が増すのではないかという見方は当っているように思えくるのだが、他の人もそう感じるものなのだろうか。
人生の主観時間の長さの実感は、単に「それまでの人生時間:残りの人生時間」の比率の問題だけではなく、「記憶層の厚み」の問題が、からんでいるように感じる昨今である。



時間の加速感
時はどんどん加速する
長生きほど人生は短い!?時間の逆転現象
エッセイ・雑記 〜メニュー〜
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