2020年04月の記事 (1/1)

九千円札!?の夢

壱万円と思ったら…九千円札だった夢
01九千円札

不要不急の外出自粛を実践して僕はここしばらく虫見をしていない。虫屋さんたちの間でもアナウンスがあったようだ。さて、そうした自粛続きの反動なのか──仲間うちで旅行に行くという夢を見た。僕は旅行が好きではなく、特に団体での行事は敬遠しがちなので、こうした夢は珍しい。

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夢の中でも「お決まりの名所コースを決められたスケジュールに合わせて見て歩く」ことに窮屈さを覚えていた僕は、既成の観光コースから外れた、一般的にはマイナーなコースを設定して、そこに面白さを見いだす裏道ガイド(?)を作ってみる。悪戯気分で作ってみた裏道ガイド(?)だが、仲間内ではウケて、実行されるこに。そして、楽しかったという参加者のひとりから僕はチップ(?)をもらうことになるのだが……。

「1万円もあればいいだろう」その客はそう言って紙幣を1枚置いていった。「ふうん…1万円なのか……」と思ってその紙幣を見ると、『壱万円』ではない……よく見ると九千円札だった。本来であれば「九千円札など、あるはずないやろ!」と突っ込むところだが、そこは夢の中なので不思議にも疑問にも感じず、「なんだ……1万円ではないのか」と、少しガッカリする夢だった。


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目覚めたときには「はて、いったいなんのことやら?」という夢だったが、よく考えてみると……思いあたることが、ないでもない。
夢の中で、僕が作ったガイドに対して「1万円の値打ちがある」という評価を受けたわけが、実際に手にしたのは「9千円」だった……これは、僕を評価してくれる意見があっても、額面通りではなく、実際の評価は(社交辞令などを差し引くと?)きっと、それより低い──割り引いて受け取らなくてはならないという感覚が反映していたような気がする。

そして、既成の観光ガイドに対する僕が作った裏道ガイドという夢は……先日投稿した【タマムシとコガネムシ】を反映したものではなかろうか? つまり、童謡『黄金虫』のうんちくとして広く浸透しているのは《ゴキブリ説》(既成:メジャー)だが、これに対して僕が支持しているのは、マイナーな《タマムシ説》(裏道ガイド的な?)であり、この関係と符合する。僕がうったえる《タマムシ説》に共感してくれる方もいるようだが、じっさいの支持率は、僕の期待よりも低いのかもしれない……そんな気分が反映しているような気がしないでもないのである。



※九千円紙幣ということで坂本九さんを描いてみたが…ビミョ〜!?


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タマムシとコガネムシ

01玉虫と黄金虫

美麗度も知名度も抜群なタマムシ
メタリックにきらめくタマムシ(ヤマトタマムシ)は美麗昆虫の代表といえるだろう。その美しさから国宝「玉虫厨子(たまむしのずし)」の装飾にも使われたことは周知のことで知名度も高い。インドや中国では、この仲間が宝石商で取り扱われていたりもするらしい。また「タマムシ」は漢字で【吉丁虫】とも書く。縁起の良い虫としても知られ、「長持(タンス)に入れておくと衣裳が増える」とか「財布の中に入れておくとお金が貯まる」などという伝承もある。
02ヤマトタマムシFC2
俗称でタマムシを「カネムシ」「コガネムシ」と呼ぶ地域もあって、童謡の『黄金虫(こがねむし)』(野口雨情・作詞/中山晋平・作曲)もタマムシを歌ったものだとする説がある(『月刊むし』2010年6月号/枝 重夫・著【童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?】)。
03黄金虫歌詞再
僕が子供の頃、この童謡を聞いてイメージしたのは黄金色(ゴールド)に輝くコガネムシだった。歌われているのが文字通りコガネムシであっても違和感はないが、これが縁起の良い虫「タマムシ」のことだとすれば、さらにピッタリくる。金運の伝承とも合致するので「金蔵立てた 蔵立てた」という展開も合点がいく。輝くゴーヂャスなルックスからしても、タマムシのイメージにふさわしい。

僕にはすんなりと納得できた枝氏の《タマムシ説》だが、これは、それ以前にあった《ゴキブリ説》への反論として打ち出されたものだったらしい。
「よく知られた童謡『黄金虫(こがねむし)』で唱われているコガネムシは、なんとゴキブリ(チャバネゴキブリ)のことだった」などという説が、衝撃をもって(!?)色々なメディアで紹介されており、かなり拡散&浸透しているようだ。僕の手元にある本でも4冊にそうした記述が見られる。

04黄金虫ゴキブリ説本A
05黄金虫ゴキブリ説本B
 『読んで楽しい日本の童謡』(中村幸弘/右文書院/2008年)
 『童謡の風景2』(合田道人/中日新聞社/2009年)
 『害虫の誕生──虫からみた日本史』(瀬戸口明久/ちくま新書/2009年)
 『少しかしこくなれる昆虫の話』(矢島稔・監修/笠倉出版社/2015年)

童謡『黄金虫』はタマムシなのかゴキブリなのか!?
『月刊むし』2010年6月号(472号)に掲載された「童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?」(枝 重夫)によると、《ゴキブリ説》の発端は石原保博士が1979年に打ち出したもの(コガネムシは金持ちではない話@『虫・鳥・花と』築地書館・刊)だったらしい。
石原氏の《ゴキブリ説》を要約すると──《群馬県高崎地方では、屋内にいるチャバネゴキブリをコガネムシとよび、この虫がふえると財産家になれるといわれていた》という伝承を紹介し、《茨城県磯原町に生まれ育った野口雨情も、北関東という同地方なのだから、雨情の作詞した「コガネムシ」もチャバネゴキブリのことである》と説いたものだったという。しかし、群馬県と茨城県は、栃木県を挟んでかなり離れており、高崎市と磯原町は直線距離で170kmほど隔てられている──これを《北関東》というくくりで《同地方》とみなすのは、いささか強引だ。群馬県高崎地方の方言や伝承を茨城県磯原町に当てはめることには無理がある。
《タマムシ説》で反論した枝重夫氏は雨情と同じ茨城県に生まれ育ったそうで、この地方ではタマムシのことを俗に「コガネムシ」と呼んでいたという。枝氏が磯原町(正確には、茨城県多賀郡北中郷村磯原で、現在の北茨城市)周辺の方言について調べてみたところ、《タマムシをコガネムシと呼ぶ》《(この虫を)財布の中に入れておくとお金が貯まる/箪笥の中に入れておくと虫がつかないなどといわれていた》という内容が記された資料は見つかったものの、《ゴキブリをコガネムシと呼ぶ》という記述は見つけることができなかったという。また、枝氏は野口雨情の孫と実際に会ってゴキブリ説のことについて話す機会があり、彼から「生家では昔にはゴキブリはまったく見られなかったので、黄金虫はゴキブリではないと思う」という証言を得たとも記している。枝氏も少年時代に自宅の室内や周辺でゴキブリを見たことがなく、当時の冬は寒も厳しく室温も低かったのでゴキブリは生息していなかったのではないかと考えているという。

理屈から考えれば枝氏の《タマムシ説》に説得力があり、石原保氏の《ゴキブリ説》には不備が感じられる。しかし、石原保博士という権威のある人の発信だったためか、《ゴキブリ説》自体にインパクトがあったためか、これまでに色々な人が色々なメディアで《ゴキブリ説》を拡散させている。
具体的な一例をあげると──瀬戸口明久・著『害虫の誕生──虫からみた日本史』(ちくま新書/2009年)では、プロローグにこう記されている⬇。


群馬県高崎地方では、チャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたという。「コガネムシは金持ちだ」という野口雨情の童謡で歌われているのは、この虫のことなのだ。(P.8)

《群馬県高崎地方》の例をあげて、いきなり童謡『黄金虫』のコガネムシはゴキブリのことなのだと決めつけているが、《群馬県高崎地方》の話を野口雨情の童謡に結びつける根拠は何も記されていない。
もし、本当に野口雨情の地方でもチャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたのであれば、《群馬県高崎地方》の例を持ち出すまでもなく、《野口雨情の出身地・茨城県磯原町では──》と説明できたはずである。それができなかったのは、野口雨情のふるさとではチャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたという実態が確認できなかった(なかった)からだろう。
野口雨情と同県人であった枝氏の調べでは、雨情の生家近辺でゴキブリをコガネムシとよぶ習慣はなく、タマムシをコガネムシと呼んでいたという。
にもかかわらず《群馬県高崎地方》の例をもって童謡『黄金虫』で歌われているのはチャバネゴキブリのことだと断定してしまったのは思い込みによるミスリードだろう。しかし、こうした形で《ゴキブリ説》は、まことしやかに拡散され続けている。

子どもの頃にこの童謡に親しんだ人は多かったはずだ。雨情ファンも決して少なくはないだろう。そうした人たちが《ゴキブリ説》を知ったとき、どう感じるだろう? 僕はファンではないけれど、いささかショック受け、なんだかガッカリした気分になったのを覚えている。
枝氏が初めて《タマムシ説》を打ち出したのは1980年(昆虫と自然)だったそうだが(『月刊むし』の記事は2度目)、その後も《ゴキブリ説》は拡散され続けている……。
孫引きで拡散するうちに、《ゴキブリ説》の不備部分──《群馬県高崎地方》と《茨城県磯原町》を《同じ北関東》ということで《同地方》とみなしてしまったいう根本的な間違いが、《同地方(群馬県高崎地方と茨城県磯原町)》→《茨城県》とすり替わってしまっている情報も目にするようになってきた。
出版物や報道記事などで《ゴキブリ説》に触れるたびに、もう少し《タマムシ説》を後押しする発言があってもよいのではなかろうか……と思ってしまう。

コガネムシの金蔵は玉虫厨子(たまむしのずし)!?
枝氏の《タマムシ説》は充分に説得力のあるものだったが、これに加えて僕には「きっとこうだったのだろう」と思うことがある。それは《童謡『黄金虫』は、おそらく玉虫厨子をモチーフに創作された》──ということだ。

冒頭でも触れた玉虫厨子──タマムシの翅を装飾に用いた国宝の存在は多くの人が知っている。この「知名度の高い国宝《玉虫厨子》を《コガネムシ(タマムシ)の金蔵》に見立てる」という着想を得て野口雨情はこの作品を書いたのではないか。そう考えると、実にしっくりくる。「コガネムシが架空の金蔵を建てる」という発想よりも「なるほど!」と思える意外性があって、創作をする者にとっては、はるかに「手応えのある着想」である。
《玉虫厨子》がモチーフであったとするなら、それを建てたコガネムシは、もちろんタマムシ(の俗称)ということになる。「財布の中に入れておくとお金が貯まる」という金運のよい伝承とも合致する。

《コガネムシの金蔵》=《玉虫厨子》と考えるとイメージがピッタリはまる──僕にはそう思えてならないのだが、この着想に気づいたのは僕ではない。某所で《タマムシ説》について記した時に「子どもの頃から、(『黄金虫』に歌われているのは)タマムシのことだと思い込んでいた」という人がいて「社会の時間で玉虫厨子の写真を見たとき、これこそ黄金虫の金蔵だと思った」そうである。これには「なるほど!」と膝を叩いた。野口雨情も、玉虫厨子を見て「コガネムシ(タマムシ)の金蔵だ!」とひらめいて創作イメージをふくらませ、童謡『黄金虫(こがねむし)』を書いたのではなかったか……。

玉虫厨子と水飴の関係!?
さて、童謡『黄金虫』で描かれた歌詞の、コガネムシが金持ちで金蔵を建てた──という展開は《タマムシ説》で説明できる。ただ、よくわからないのが、前半(1番)と後半(2番)のそれぞれ最後の行に出てくる「水飴」のくだりである。
これについては、以前【童謡『黄金虫』の謎】で、《玉虫厨子》と《水飴》を結びつける強引な解釈を考えたことがあった。
「玉虫厨子は現存する最古の漆絵」という情報から、「漆絵」に使われる「蒔絵」と呼ばれる技法の中に「水飴を用いる技法(消粉蒔絵)がある」という情報にたどり着き、ここに《玉虫厨子》と《水飴》とのつながりの可能性を考えてみたものである。
玉虫厨子に実際に水飴が使われていたのかどうか僕にはわからないが、もし野口雨情が、玉虫厨子の制作過程で水飴が使われていると考えていたとするなら──歌詞の意味はいちおう説明できる。

金蔵を建てるための水飴を買ってきた(伏線)➡その水飴を子供にも与えた(小道具の再利用:創作的工夫)というダブルミーニングでまとめたという解釈が成立する。
06黄金虫歌詞構造
つまり童謡『黄金虫』はダブルミーニングを意図した構造で、金蔵を建てるために買ってきた水飴(伏線)を子供への土産としても利用したという「もうひとつの意味」でオチをつけた(まとめた)作品だという見方もできる。

──というのは、あくまで解釈シミュレーションの1つ。伝統工芸に水飴を使う技法があるということが周知のことであれば、このダブルミーニングは成立するが、リスナーが知らなければ、なんのことか判らない(だからほとんどの人に水飴の意味がわからなかったという解釈もできるかもしれないが……)。

法隆寺と水飴の関係!?
そして、最近ふと思ったことなのだが……、
《玉虫厨子》といえば《法隆寺》──《法隆寺》と《飴屋》のつながりというセンはどうなのだろう?
《法隆寺》などを観光した人が《飴屋》で土産を買って帰るということが定番になっていて、野口雨情にも、そんな経験があったのだとすると、そこに《玉虫厨子(コガネムシの金蔵)》と《飴屋で買ってきた飴》のつながりが想像できなくもない。
ちなみに、法隆寺があるのは奈良県生駒郡だが、野口雨情は奈良県大和高田市と縁があったらしく『高田小唄』を書いている。大和を訪ね高田寺内に滞在していたこともあったそうで専立寺(高田御坊)に歌碑が残されている。

奈良・京都には歴史の長い飴屋があるようだし京都には飴屋町という地名もあるそうだから、ひょっとしたら野口雨情が活躍していた時期には、法隆寺などを観光するさいに飴屋で土産を買って帰るというような習慣があったのではないか? それで『黄金虫』の中に出てくる金蔵が玉虫厨子(法隆寺)であることを示唆するアイテムとして「飴屋で水飴を買う」というヒントが盛り込まれた……という解釈はできないだろうか?
もちろん、これも強引な解釈シミュレーションのひとつ。確証はない。

童謡『黄金虫』については、描かれているのはタマムシで、おそらく《玉虫厨子》を《コガネムシ(タマムシ)の金蔵》に見立てる着想を得て書かれたものだろうと僕は考えているのだが、「水飴」については……解釈シミュレーションはしてみたものの、果たして本当にそうなのか……よくわからないというのが正直なところだ。
童謡なのだから、もう少しわかりやすく作ってくれても良さそうな気もするが……野口雨情は、そのあたりにはあまり頓着しない人だったのだろうか?

以前【《イタチの魔かけ》と《鼬の目陰》】という記事の中でも野口雨情(作詞)&中山晋平(作曲)コンビの『霜夜の鼬』という童謡について触れたが、この作品にも判りにくいところがあった。
「寒い霜夜(しもよ)のしのやぶでイタチがアズキをといで赤飯をたく」という変わった内容で、なんでイタチがアズキを研ぐのか、歌詞からは、さっぱりわからない。おそらく「霜夜(しもよ)のしのやぶ(篠竹のやぶ)」は語呂合わせの言葉遊び(「こがねむしは金持ちだ」というのと同じ──韻を踏んだ語呂合わせの言葉遊び)で、寒い夜に霜柱を踏む音がアズキをとぐ音に似ている(「玉虫厨子」が「金蔵」に似ているというのと同じ《みたて》)という着想があったのではないか。ここで妖怪「あずきとぎ」を連想し、この妖怪の正体はイタチだという説からの発想で、イタチがアズキをとぐという筋立を考えたのだろう──僕はそう解釈したのだが、妖怪あずきとぎやその正体をイタチだとする伝承があることを知らない者には見当がつかないだろう。こういう「判りづらい話」を何の説明もなく歌詞にしてしまう人なのだから、『黄金虫』も同じように聞く人の解釈には頓着せずに書かれたものなのかもしれない。

これまで何度か《タマムシ説》を後押しする記事を書いてきたが、もっとそうした意見があっていいのではないかと言う思いもあって、最近思いついた水飴の解釈(かなりあやふやだが……)を加えて、あらためて記してみたしだい。



宝石昆虫タマムシ/玉虫の金蔵とは!?
黄金色のコガネムシ
セミとタマムシ
童謡『黄金虫』の謎
童謡『黄金虫』の解釈をめぐって
童謡『黄金虫』ゴキブリではなくタマムシ
メタリックな美麗昆虫10種
《イタチの魔かけ》と《鼬の目陰》
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宝石蜂セイボウ:輝きの秘密と生活史考

Jewel wasps(宝石蜂)…セイボウの仲間
過去に昆虫関連の記事をずいぶん投稿してきた。虫見に出て撮るたびに記事にしていたので、同じ種類があちこちに分散していたり、他の昆虫の記事に紛れていたりしている。あらためてまとめておいてもいいかなと思うものもあって、とりあえず、これまでに撮った美麗昆虫の中でもメタリックな輝きをもつセイボウ(青蜂)=【jewel wasps(宝石蜂)】(英名)のぷちまとめ(といっても4種)。この仲間は日本に38種類が生息しているそうだ。

メタリックな輝きが魅力のイラガセイボウ
01イラガセイボウ1
イラガセイボウ(イラガイツツバセイボウ)はグリーン〜ブルーのメタリックな輝きを放つとても美しいハチ。体長は9〜12mmほど。画像ではわかりにくいが、実際にはかなり輝いて見える。金属光沢の昆虫は見たままの美しさを画像に記録するのが難しい。さらにハチなのですぐに飛ぶので接写するのに苦労する……。この個体は左翅を欠損していたので飛ぶことができず、じっくり撮ることができた。
02イラガセイボウ2
体の表面には金属光沢があってそれだけでも充分美しいのだが、この体表面には点刻と呼ばれる微細なくぼみが密集していて、これが凹面鏡のように〝どの角度から見ても点刻内には反射光が映る〟しくみになっている。このためキラキラ輝く〝光の粒〟を全身にまぶしたように見える。
03イラガセイボウ3
点刻内に明るく輝く〝光の粒〟を撮ろうと露出を絞ると、地色のメタルグリーンが黒っぽくつぶれ〝光の粒〟は白っぽくとんでしまう(やはり翅を痛めていた別個体⬇)。
04イラガセイボウ4
05イラガセイボウ5
腹端に5つの歯状突起が見える⬆──これが別名:イラガイツツバセイボウの「イツツバ(5つ歯)」の由来。腹端の歯数はセイボウの種類を見分けるポイントの1つ。セイボウの仲間はふつう「竹の筒やカミキリの脱出孔、土で作った巣などに捕えた虫(幼虫の餌となる)をたくわえ卵を産みつける寄生蜂」に寄生するのだが、イラガセイボウは例外的に蛾(イラガ)に寄生する。母蜂はイラガの硬い繭に孔をあけて前蛹に産卵するという。イラガの幼虫は刺されると(触れると)痛い虫としてよく知られている⬇。
06イラガ幼虫&繭再
イラガセイボウは北進昆虫で、明治から昭和の初期にかけては九州のみにしか記録がなかったそうだ。関東で見られるようになったのは戦後のことらしい。

虹色の蜂:セイボウ(青蜂)ならぬレインボウ(レイン蜂)!?
07ツマアカセイボウ
ツマアカセイボウは体長:6〜12mmほどのハチ。腹の虹色に輝くメタルカラーが美しい。《セイボウ(青蜂)》というより《レインボウ(レイン蜂)》と呼びたくなる。腹部末端の歯状突起は4歯。宿主はシブヤスジドロバチ。

08ムツバセイボウ1
ムツバセイボウは体長:10〜12mm。このハチも腹のあざやかなグラデーションが美しい。
09ムツバセイボウ2
この画像⬆では判りにくいが腹部末端の歯状突起は6歯──和名の「ムツバ(六歯)」はここから。
グルーミングで翅をつくろうときに腹が見える⬇。この個体は小さな白いダニをつけていた。
10ムツバセイボウ3
ムツバセイボウの宿主はヤマトフタスジスズバチ・オオフタオビドロバチ。
カミキリの脱出孔を利用したヤマトフタスジスズバチ(フタスジスズバチ)の巣の近くでカッコウのように托卵(たくらん)の機会をうかがうムツバセイボウ⬇。
11ムツバセイボウ4
ムツバセイボウはスキを見てヤマトフタスジスズバチの巣にもぐりこんで産卵。孵ったムツバセイボウの幼虫は、ヤマトフタスジスズバチが(自分の子のエサとして)貯蔵した蛾の幼虫(メイガ・ハマキガ・キバガ・ヤガなど)を食べて成長する。

12ミドリセイボウ1
欄干にとまったミドリセイボウ。陽が当ると点刻内の反射光が光の粉をまぶしたようにきらめいて美しいのだが──画像では白っぽい点になってしまう。
13ミドリセイボウ2
ミドリセイボウの体長は10〜13mm。腹部末端の歯状突起は5歯。宿主はヤマトルリジガバチ。

セイボウの生活史はどのように誕生したのか?
まず、狩り蜂がどうして幼虫のエサとなる特定の宿主(寄主)を選択するのか……僕の素人想像にすぎないのだが、《狩り蜂は幼虫時代に食した獲物の味やニオイを記憶しており、母蜂になるとそれを頼りに獲物を探し出し、狩って卵を産みつける》のではないか?
そう考えると、なぜ《セイボウが他の狩り蜂(寄生蜂)の巣(わが子のために蓄えたエサの貯蔵庫)にもぐり込んで〝カッコウの托卵〟のようなことをする》ことになったのか説明できる気がする。
仮に──セイボウの祖先Aは蛾の幼虫などに直接卵を産みつけていたとする。その卵がついたイモムシを後からきた狩り蜂Bが狩って巣に運びこむこともあっただろう。すると巣の中で孵化したAは、BがBの幼虫のために貯蔵した豊富なエサを食べ、しかも野外で育つよりも安全にBの巣の中で育つことができる。Aは親になると、自分が育ったエサと環境(巣)のニオイ覚えていて、Bの巣を探してそこに卵を産むようになった──というシナリオは、合理的に思われる。
Aにとっては、それまで通り野外のイモムシに寄生して育つよりも、Bの巣で育つ方が生存率は高いだろう。生存率が高い方が進化の中で選択されて現在の《狩り蜂(寄生蜂)にもぐりこんで卵を産みつける》というセイボウの寄生スタイルが確立したのではないだろうか。

ハチに寄生するのが主流のセイボウ類の中で、例外的にイラガに寄生するイラガセイボウは「寄主の種類」でみると「蜂と蛾」でかけ離れているが、これも前記の前提にたてばそう不思議ではなのかもしれない。すなわち、セイボウの祖先Aが卵を産みつけたイモムシが、Aの孵化より先に蛹化してしまうケースがあったとする。チョウや蛾の幼虫は蛹化するときに脱皮をするので、そのさいに脱ぎ捨てられた抜け殻いっしょに孵化前の卵もエサから脱落して死んでしまうことになる。しかし、イラガの場合、幼虫は蛹化する前に繭を作り、繭の中で脱皮をするので、Aの卵はイラガの蛹とともに繭の中に残ることができる。それでイラガを食って育ったAの幼虫は、親になると自分が育ったイラガの繭のニオイをたよりに産卵ターゲットにイラガの繭を選択するようになった──と考えれば筋は通る。
蛹化する前に繭を作る蛾は他にもいるが、多くの蛾が作る繭とイラガの繭は質感的にずいぶん違う。仮に繭の中で寄生に成功して育つことができたとしても、成虫になったAが繭を破ることができなければ子孫を残せない。その蛾の繭は産卵ターゲットとなり得ないことになる。それがイラガの繭では成虫になったハチのアゴで食い破ることができたために、宿主としてイラガを選択することができたのかもしれない。

本当のところはわからないが、そんな可能性を想像してしまう。美しいセイボウの風変わりな生活史をみると、ついあれこれ考えてしまう。



メタリックに輝く虹色のハチ ※ツマアカセイボウ
宝石蜂(jewel wasps)セイボウ ※ミドリ・クロバネ・ツマアカセイボウ
宝石蜂セイボウの生活史起源考?
托卵の機会をうかがうムツバセイボウ
ムツバセイボウふたたび
ミドリセイボウとルリジガバチ
輝くミドリセイボウ
宝石蜂ムツバセイボウ待機中
宝石の輝き!イラガセイボウ
イラガセイボウの輝き再び
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変化球の思い出

小学生のころ遊んだカラーボール野球
僕が小学3〜4年生だった頃……近所に野球好きの兄弟が越して来て、彼らとよく野球もどきの遊びをするようになった。
本式の野球は1チーム9人必要だが、「もどき」の方は3人いればできる。まず、ジャンケンでピッチャー・バッター・キャッチャーを決め、ピッチャーがバッターを打ち取ると、次にバッターになることができる。そしてアウトになったバッターはキャッチャーへ、キャッチャーはピッチャーにスライドする。バッターがヒットを打てば、交代はなく続けて打席に立てる。遊んでいるうちに仲間がくれば野手に加えて、ピッチャー→バッター→キャッチャー→野手と順繰りに交代しながらそのまま遊びが続行できる。
本式の野球だと打順がなかなか巡ってこないし活躍できるチャンスは少ない。しかし、野球もどきでは頻繁に打席に立つことができるし、ピッチャーとして打者と対決することもできるので楽しかった。
この遊びには軽くてやわらかいカラーボール(ビニールボール)が使われていた。これなら、打球に当ってケガをすることもなければ、窓ガラスを割る心配もない。近所の空き地や路地裏で遊ぶのに都合が良かった。そして軽くて空気の抵抗を受けやすいカラーボールには変化球を投げやすいという利点があった。

この遊びを始めた頃、野球には、投げたボールの球筋が変化する《変化球》という魔球(?)があることは知っていた。変化球が、ボールに回転をかけることで〝曲がる〟ということも、なんとなく知っていた。
そこで僕は《回転をかけたボールがどうして曲がるのか》を考えてみた。僕は学校の勉強には淡白だったが、気になることがあると納得できる解答がみつかるまであれこれ理屈を考えたくなるタチである(*)。
そして、変化球のしくみについては、当初次のように考えた──、

子供だった頃に考えた変化球のメカニズム
下に記すのは、鉛直軸で反時計回り(左回り)に回転するボールを上から見た図。ボールは画面下から上へ移動している。すると移動するボールに対して(相対的に)空気の流れは上から下へ向かうことになる。
01変化球予想
最初に考えたのが、このような⬆解釈だった。イメージとしては外輪船の水車型推進装置(外輪)──これは回転して水を後ろにかくことによって前へ進む。回転するボールも同様に、抵抗の大きい前面で空気を左にかくことで右へ曲がるのだろうと考えた。
ところが、実際にこの回転をかけて投げてみたところ、ボールは予想とは反対の左に曲がる。子供心に「どうして!?」と驚き、とまどい、不思議に感じたことをよく覚えている。
実際の現象は違っていたのだから、僕の解釈が間違っていたことになる。なぜこの回転で左に曲がるのか、最初から考え直してみた。当初は回転するボールの前(進行側)と後ろに分けて考え、空気抵抗の強い前面の作用を想像してみたわけだが、左右に曲がるのだから、ボールを左右側に分けてその表面に作用する力を思い描いてみた⬇。
02変化球解釈
ボールの右側では空気の流れに対してボールは逆回転(向かい風)/一方左側では順回転(追い風)である。ボール表面は右側でより大きな空気の抵抗(圧力)を受けることになり、空気抵抗(圧力)の小さな左側へ押し込まれていく──それでボールの軌道は左に曲がることになるのだろう──そう考えると合点がいくし、現象と合致する。おそらく、そういうことなのだろうと納得できた。

さて、ボールに与える回転と曲がる方向についてわかると、色々な変化球を投げてみたくなる。
本式に野球を学んでいる野球少年のピッチャーならフォームを変えずに違った球種を投げるられるように訓練するのだろうが……僕は、ボールの変化する方向を変えるためにフォームを変えて投げていた。オーバースローで投げていたシュート(投手から見て右に曲がる変化球)を、サイドスローで投げるとドロップ(落ちる変化球)になる。回転をかける腕の振りこむ角度を変えることで変化の角度を変えていた。工夫と言えば工夫だが、それではバッターにバレバレ。しかし当時の僕は球筋を変化させることに価値をみいだしていたのでほかのことはお構いなしだった。
色々試していく中で、もっとも曲がるのがスローカーブだった。変化球の威力は曲がりぐあい(変化の大きさ)にあると思っていた僕は、スローカーブを得意技にしていた。スローボールにバッターが力任せのスイングで空振りするさまを見るのが快感だった。
しかし、当初三振がとれたスローカーブが、打たれるようになってきた。投げ続けてコツをつかみ、威力は増しているはずなのに、どうもフに落ちないと感じていたのだが……ある時、年上の仲間に「おまえ、スローカーブを投げるときニヤつくからわかるんだよ」と指摘されて、「ああ、そういうことだったのか」と合点がいった。変化球も投げる前に悟られてしまえば狙われて思うつぼになりかねない……曲がり具合=威力という単純なものではないということに、ようやく気がついた。
変化球のメカニズムについては色々考えていたのに、そのあたりのことに気がつかないのはなんとも間が抜けていて幼稚なところである。

僕は本式の野球をしたことはなく、したいとも考えたことはなかったが、自由気ままな野球もどきの遊びは、色々な思いつきを試すことができたので、あれでなかなか楽しかった。



☆あれこれ考えたもの…
ハートに乾π/面積の思ひで
幻と消えた大発明/永久機関の夢
重力エスカレーター
「ピタゴラスの定理」の思いで
ヒーロー的宙返り


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中学[作文]で書いた『六番目の感覚』

中学時代の科目【作文】で書いた掌篇の思い出
僕が通っていた中学校では【国語】とは別に【作文】の科目が週に1回あった。【国語】の授業は嫌いだったが【作文】はわりと楽しかった記憶がある。書くことが好きだとか得意だということではなかったのだが、何を書こうかと、あれこれ自由に考えをめぐらせるのが楽しかった気がする。
【作文】では、中学1年の初め頃に、いきなり(?)小説を書かされたことが印象に残っている。たしか「冬・海辺・犬」の3つの要素を入れるのが課題で、僕はクールを気取りながら哀愁漂う(?)野良犬の一人称で『オレは野良犬』という2枚弱の掌篇を書いた。中学2年のときにはユーモア小説のつもりで『ハム・スタ子と芳男』という5枚ほどの作品を書いている。当時飼っていたゴールデンハムスターを素材にしたものだった。そして中学3年のときには、SFジュブナイルのイメージで、テレパシー(超能力)を素材に『六番目の感覚』という、やはり5枚弱の掌篇小説を書いている。
いずれも中学校の【作文】の授業で書いた、劣等中学生の稚拙な作品なのだが、ふり返ってみると、なつかしい部分や後に書くことになるファンタジーの片鱗のようなものが感じられたりして「へえ!?」と思うところがある。
そこで、中3のときに書いた『六番目の感覚』を載せてみることにする。おかしなところもあるし、たあいもない話だが、《当時の作文》ということで、手を入れずに掲載する。

01六番目の感覚
02六番目の感覚
03六番目の感覚
04六番目の感覚
05六番目の感覚

『六番目の感覚』は五感を越えた感覚──テレパシー(超能力)を素材にしたSFのつもりで書いた作品。しかし、作中では、それが本当にテレパシーなのか単なる主人公の想像(思い込み)なのか明確にしてない。超能力へのあこがれを抱いた少年の平凡な日常の一場面のようにも読める。この、現実なのか幻想(SF)なのか、にわかにわからない微妙な現象を僕は好む傾向にあるようだ。その後も《日常の中にまぎれこんだあわい幻想》のような作品をいくつか描いている。
『六番目の感覚』では、《主人公の心の声(テレパシー)》は相手に届くことなく終わっている。この《主人公の心の声》が不思議な現象を介して《相手に届く》という発展型バージョン(?)が、『雨の日の通信』という見方もできる──ということに最近、気がついた。『雨の日の通信』は日常を舞台とするファンタジーとして創作しており、執筆時には『六番目の感覚』のこともSFも頭にはなかったのだが、日常の中の非日常現象として《ふしぎな交信》を描いているところは両作品に共通するイメージが感じられる。『雨の日の通信』では『六番目の感覚』で成立しなかった《ふしぎな交信》がいっとき成立するが、ただ、それだけのたあいもない話である。当時はまだ携帯電話など普及しておらず、移動中に《通話》することなどできなかったから、そういった意味でも《ふしぎな交信》には新鮮味・ある種の開放感のようなものがあったように思う。
そして、こうした《ふしぎな交信》が成立したさいに、さらにそのことに付加価値を持たせることを──《ふしぎな交信》によってもたらされる重要な役割り(交通事故の回避)を考えて創作したのが、先日投稿した『ポストの電話』だった──と、そんな見方もできなくはない。これも最近、気がついたことだ。ただ、『ポストの電話』では《ふしぎな交信》に附加する意義付けに凝るあまり(?)現象が少々ややこしくて読者にはわかりづらかったのではないか……という反省がある。
いずれにしても執筆当時には気づかなかったが、『六番目の感覚』の発展型が『雨の日の通信』で、さらにその発展型が『ポストの電話』につながっているとみることもできる。
さらにいえば──『ポストの電話』は、みくに出版が主催するコンクールで、運良く入賞することができたために、その縁で、コンクール・協賛の日能研から依頼を受けて『とどけられたポケッチ』という作品を書いている──これは小3国語のオープンテストの設問用ということで、かなり細かい条件のもとで作った《仕様》なので、この依頼がなければけっして書くことがなかった作品だといえる。【国語】嫌いだった僕が、国語のテスト用の作品を書くことになろうとは……妙なめぐり合わせだが、そういう意味では『とどけられたポケッチ』も『ポストの電話』〝つながり〟で誕生した作品だった。


06雨ポストぽけっち
雨の日の通信(掌篇ファンタジー)
ポストの電話(読み切り童話)
とどけられたポケッチ(読み切り童話)

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コロナ危機のとらえ方

新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大を受け、ようやく「緊急事態宣言」が発令された。外出禁止に強制力がないことなどを不十分だとする指摘もあるようだが、いずれにしても国民の危機意識のあり方が問われているように思う。

僕は、しばらく虫見に出ていない。新型コロナウイルス感染症に感染したり感染させたりする機会を減らすためには、皆が不要不急の外出を控えるべきだという考え方に同意しているからだ。
食料や日用品買い出しのため必要な外出はしているが、そのさい、遊び歩いているように見える人も目につき、ちょっと気になっていたりもしていた。

つい遊びに出歩いてしまう人は、「自分が感染したり感染を広めることはおそらくないだろう(自分が「当る」確率は低いから大丈夫だろう)」という感覚なのかもしれない。
仮にその人が感染源になる確率が1000に1つ(0.1%)だったとした場合、その人が「当る」ことは「まずない」だろう。しかし、同じような考えで1000人が不要の外出をすれば、誰か1人が感染源になっておかしくない。一万人いれば10人が感染する。
仮に感染した1人が知らない間に2人に感染させたとする。感染した人が同じように2人ずつに感染を広げれば、10回目(10次)の感染で感染者は1023人になる。
感染症は広まるのが早い。広まるほど封じ込めが難しくなる。感染の機会を減らすことが重要なことに間違いはない。

危機感を持つための考え方として「不要不急の外出は《飲酒運転と同じ》」という認識があってもよさそうな気がする。
「ちょっとくらい飲んでいても、自分が事故を起こすことはない」と考えて運転する人──そんな人が必ず事故を起こすわけではないし、事故を起こさずに済むことの方が多いだろう。しかし、実際には「そういう人が事故を起こしている」わけで、事故を起こさなかった人も、たまたま(?)事故を起こして責任を問われる人も、潜在的には同罪である。

もっと極端な例をあげるなら──、高層ビルの屋上からレンガを投げ落とすことを想像してみる。自分が落としたレンガが、たまたま下を通りかかった人に当ることはまずなかったとしても、たくさんの人が投げ落とせば、そのうちだれかのレンガが人を殺すことになる。自分が投げたレンガが当らなくても、レンガを投げ落とす行為は、人を殺した人と変わりない。「たまたま自分が当るかどうか」という次元でとらえるのではなく、「そういう行為をする人が被害者を作る」という認識を持つことが大事なのではないか……そんな風に思う昨今である。

ポストの電話(読み切り童話)

第1回みくに児童文学短編コンクールで佳作入賞した12枚程(400字詰原稿用紙換算)の作品。

01ポストの電話
02ポストの電話
03ポストの電話
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05ポストの電話
06ポストの電話
07ポストの電話
08ポストの電話
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10ポストの電話
11ポストの電話
12ポストの電話

『ポストの電話』は今から四半世紀近く前、《第1回みくに児童文学短編コンクール》に応募して佳作入賞し、みくに出版・刊<知の翼>1997年1月号に掲載された作品。
この公募では、書き出しが指定された第1部(400字詰原稿用紙7〜10枚)と自由形式の第2部(400字詰原稿用紙10〜15枚)があって、入賞枠は第1部が入選5編(15万円)/第2部が入選1編(30万円)&佳作3編(10万円)だった。僕は第2部に応募。結果は佳作第1席だった。この回の応募総数は1073編。
13みくにコンクール結果
《日常の中にふっとのぞく一過性の幻想!?&それを介した出会い》のようなものを描いてみたいと思って考えたストーリー。ふり返ってみると「イマイチ感」が否めない……仕掛け(アイディア)の部分が、もう少しわかりやすくて魅力的な設定であったら……と思わないでもない。
『ポストの電話』が掲載された<知の翼>には後に『チョウのみた夢』(<知の翼>1997年12月号)を書いているが、後者の方が、自分としては気に入っている。
また、みくに児童文学短編コンクールの協賛をしていた日能研の依頼で、小学3年国語のオープンテスト設問用に童話を書き下ろしたこともあった。それが『とどけられたポケッチ』である。
小説は縦書きがなじむ──という僕の感覚で、例によって縦書き画像にした。一般的な400字詰め原稿用紙と同じ20字×20行に設定しているが、禁則処理のため字詰めが変わっている行もある。今回は明朝体で作成してみた。


チョウのみた夢〜善意の報酬〜
とどけられたポケッチ(読み切り童話)
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トップページ固定機能とプチ障害!?

FC2ブログでもトップページを固定する機能が加わった
2020年4月1日のインフォメーションで、FC2ブログでもトップページを固定する機能が加わったことを知った。

【ブログ】トップページに固定表示する記事を作成できるようになりました

昨年サービスを終了したYahoo!ブログから他のブログへの引っ越しを余儀なくされたとき、移行先の条件として第一に考えたのが《トップページに特定の記事を常時固定しておくことができるかどうか》だった。
僕のブログでは、そのつど自分が面白いと感じたこと・考えたことなどを記事にしてきた。テーマや素材はバラバラなので、それらをある程度まとめた一覧ページをトップページには設定しておきたいと考えていたからだ。

ところが移行当時(1年程前)、FC2ブログにはトップページを固定する機能がなかった。しかし、投稿年月日を手動で入力できる機能があったので、トップに固定表示しておきたい記事に未来の年月日を入れることで、最新記事としてトップに記されるように操作していた。

それが、ようやくFC2ブログでもトップページを固定する機能が備わったというので、早速これを適用してみた。
トップページに使っている記事【チャンネルF+〜抜粋メニュー〜】は2019年04月07日に投稿したものだったが、これまでは投稿年を「2030年」に設定して、最新記事扱いにすることでトップに標示していたが、これを本来の2019年に戻し、トップページ固定の機能を使ってブログトップに設定し直した。

これまでは【最新記事】欄の一番上には「2030年」に設定していた【チャンネルF+〜抜粋メニュー〜】のタイトルが記されていたが、これで本来の最新記事順のタイトルが標示されるようになった。
ちなみに固定トップページに設定した記事は、ブログのタイトル(チャンネルF+)をクリックすると開く。

新機能がらみのプチ障害!?
実はこの新機能がリリースされる直前──2020年3月31日にトップページがブランクになる(表示されない)という不具合が発生していて、FC2サポートに問い合わせのメールを出していた。翌日の2020年4月1日には異常は解消されていて、スタッフからは「一時的な不具合の可能性がある」という返信があったのだが、これは新機能がらみの不具合だったのかもしれない。
また、2020年04月01にはカウンターの不具合なのか……訪問者がわずか5人だった。Yahoo!ブログ時代には1日の訪問者数は平均3桁、4桁に登る日もあったのだが、FC2ブログに移行してからは訪問者数の低迷が続いていた……それにしても、5人はちょっと少なすぎるのではないかと思っていたのだが、これも同日リリースされた新機能がらみの障害だったのかもしれない。
ブログでは新機能を追加するタイミングで、よく不具合が発生する。

訪問者にはあまり関心のない話かもしれないが、FC2ブログの歴史(?)のひとつとして、トップページ固定機能が加わったことを記録しておくことにした。


※追記1:新機能でトップページに固定し、投稿年を「2019年」に戻して【最新記事】欄から消えていた【チャンネルF+〜抜粋メニュー〜】だったが、なぜか再び【最新記事】欄のトップに戻ってきていた。
まだ、新機能がらみのメンテナンスが続いているのかもしれない……とすれば、また不具合が発生する可能性もなくはない!? しばらくは気をつけておく必要がありそうだ。

※追記2:──と、追記1を加筆したら、正常に(最新記事のラインナップに)戻っていた。



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ブログ引っ越し騒動:ひと区切りついて

一切れのパン/最後の一葉@教科書の思い出

『一切れのパン』と『最後の一葉』:教科書の思い出
01最後の一葉

宮沢賢治の『やまなし』など、「どうしてこれが教科書に採用されたのか?」と不思議に感じる昨今。そもそも教科書へ収載する作品の選定基準がよくわからない。本来、(童話を含む)小説は「楽しく読む」べきものだと思うのだが、僕は教科書で読んだ小説を楽しいと感じたことがほとんどない。これは作品が面白くなかったというより、「勉学のまな板の上で調理されること」に抵抗感があったためだろう。授業で取り上げられる作品には「教材となった意義付けを忖度する」読み方が求められているような気がして、窮屈な印象があった。
しかし、そんな僕にも、教科書に取り上げられていながら(?)「面白い!」と感銘を受けた小説が2つある。F・ムンテヤーヌの『一切れのパン』とO・ヘンリーによる『最後の一葉』である。

『一切れのパン』@国語教科書の思い出
『一切れのパン』は中学生時代に国語の教科書で読んだ記憶がある。卒業後、同級生との間でこの作品が話題になったこともある。僕も級友も、タイトルや感銘を受けた内容──最後のセリフなどは覚えていたが、僕は作者が誰だか失念していた。友人はO・ヘンリーの作品だと思っていたようだ。その頃はまだインターネットもなく手軽に検索で確かめることができなかったので、本屋でO・ヘンリーの短編集を手にとり、目次を探して「ないなぁ……」と首をかしげていたこともあった。作者がフランチスク・ムンテヤーヌというルーマニアの作家だったと知ったのはだいぶ後になってからだ。

記憶の中のあらすじをざっと記すと──、
戦時下で、敵国軍に捕えられた主人公が、貨物列車から脱走して飢えと闘いながら自宅に帰り着くまでの話で、主人公は脱走する時にラビという老人からハンカチに包まれた《一切れのパン》を渡される。そのとき、「パンを一切れ持っている」という思いが飢えと闘う勇気となるから、パンはすぐに食べずに持っていることが大切だ・誘惑に負けないようにハンカチに包んだまま持っているようにと諭される。
主人公は飢えと闘いながら、危ういところでラビの忠告を守り、なんとか家に帰りつくことができる。主人公を支えた一切れのパン──しかしハンカチから出て来たのは一片の木切れだった──予想もしなかったラスト・シーンで主人公の口から漏れた「ありがとう、ラビ」の言葉が強く印象に残っている。
ラビからもらった一切れのパンの存在が主人公を支え、帰還をかなえる命綱となったわけだが、そんなパンなど、最初から存在していなかった──パンではなくラビの知恵が主人公を支え、救ったのだという意外性が衝撃的だった。

『最後の一葉』は《よい話(美談)》ではなく《皮肉な話》
『最後の一葉』の方は、確か英語の教科書に載っていたように思う。僕は英語が(も)苦手で、予習も全くしなかったから、授業中に少しずつ明らかになる内容で結末に至るまで、かなり時間をかけて小出しに知っていった気がする。
『一切れのパン』の方は【国語】の教科書に載っていたので(日本語で書かれていたので)、自力で読み進むことができ、ラストのあざやかな意外性に感銘を受けることができたが、『最後の一葉』は内容を細切れに知っていったので、当初あまり関心が持てなかった。ようやくオチの部分にたどりついたところで、「あれ? この作品、おもしろいぞ!」と、やっと気がついた。その後、O・ヘンリーの短編集を買って(日本語訳で)『最後の一葉』を読み直した記憶がある。英語の教科書によってこの傑作に出会えた──という形ではあるけれど、最初から翻訳作品に出会えていれば──全体を通して読んでいれば、第一印象の感銘はもっと大きかったろうに──と残念に思ったものである。

おそらく多くの人が知っているだろうが、『最後の一葉』の概要を記すと──、
共同でアトリエを借りているスーのルームメイト=ジョンジー(ジョアンナ)は重い肺炎を患い、医師から「生きる気力」の有無が生死を分けると言われる。しかし疲弊したジョンジーは、窓から見える壁にはったツタの葉が落ちるようすを眺めているうちに、すべての葉が落ちた時に自分の命も尽きるのだと思い込んでしまう。《葉が全て落ちたとき=ジョンジーの死》という《幻想》にとりつかれた彼女のことを知った階下の老画家くずれ=ベアマンは、バカげた想像だとののしるが、ジョンジーの思い込みを逆手にとって《落葉を阻止する(ツタがはう壁にダミーの葉を描く)》ことで《ジョンジーの死を阻止する》ことを企てる──この意表を突いた着想が素晴らしい。そしてベアマンの思惑通り、ジョンジーは持ち直す。
『一切れのパン』では現実には存在しない一切れのパン(ラビの嘘が)主人公を救ったが、『最後の一葉』では現実には残っていなかった最後の一葉(ベアマンが描いた絵)がジョンジーを救うことになった──《虚構が現実を動かす力になる》といったところに共通の面白さを感じる。
『最後の一葉』の場合は、ジョンジーのネガティブな《幻想(思い込み)》を利用して、逆にポジティプな《現実化》をはかるという工夫がおもしろい。更に──「狙いどおりにジョンジーの運命を変える工作に成功したベアマンだったが、彼自身が予想外の肺炎にかかって死ぬことになる」という《意外性》がダメを押す。運命のある局面を都合良く改変することができたとしても別の局面でツケが回ってくる──そんな《皮肉》を感じさせる《作者のたくらみ》に深い味わいを感じる。
この作品の素晴らしいところは、ジョンジーの命を救った最後の一葉が、実はベアマンが描いた絵であり、雨の中でこれを描いたベアマンが肺炎にかかって死んだことがラスト・シーンで一気に読者に明かされるというみごとな構成にある。鮮やかな幕切れが強い余韻となって読者に感銘を与える。

この作品を何年生の時の教科書で知ったのか、確かめてみようと思って検索してみたが、わからなかった。いくつかのサイトを閲覧していて知ったのだが、『最後の一葉』は小学校の道徳教科書にも収載されていたらしい。そして、この作品について《自己犠牲を描いた作品》という評価があることに驚いた。どうやら《老画家の自己犠牲が若い女性の命を救った話》だとか《長い間世間に認められる絵を描くことができなかった老画家(ベアマン)が、無欲に1人の女性を救うために描いたことで、人生の最後にして最高傑作の絵を描くことができた》というような《美談》として読んだ人も多かったようだ。言われてみれば確かに「そういう解釈」もできなくはないのかもしれないし、どう感じるかは読者の勝手なわけだが……僕がうけた感銘からすれば「作品のおもしろさ(作品の趣旨・趣向)」はそこではないだろう」ということになる。この作品の面白さは《意外性》にあって、《運命の皮肉》を描いた作品だと僕は感じた。『最後の一葉』の本質は《美談(よい話)》ではなく《皮肉な話》である。作品の構造上、O・ヘンリーも、それを意図して書いたのだと思う。

『最後の一葉』の改変版!?
『最後の一葉』の最大の見せ場は、真相が一気に明らかになるラスト・シーン──スーがジョンジーに真相を語る場面で、そこで読者も真相を知らされ、あっと驚くことになるわけだが……ところが、この結末に不満を感じた人もいるらしい。
「スーがジョンジーにわざわざ真相を打ち明ける必要はなかった。知らされたジョンジーには、自分の身代わりになって死んだベアマンのことが生涯の重荷となる」という複雑な思いにとらわれた人もいたようだ。しかしこれは、この作品を《美談》としてとらえている(とらえようとしている)からから生じる「割り切れなさ」だろう。スーが打ち明けようが打ち明けまいが、やがてジョンジーにも(風にも揺れずいつまでも形を変えない)不自然な葉がダミーであることはわかるはずで、階下の老画家がどのような状況で肺炎にかかったのか、耳に入らぬはずはない。ジョンジーが真相を知らずにすむという《きれいごと》の結末は不自然であり不合理なのだ。作品としては、《スーがジョンジーに語ることで読者に真相を、一番インパクトのあるタイミングで明かす》ラストシーンは必然にして、この上ないものである。この作品を《美談》という解釈ではなく、《皮肉》を描いた作品であるととらえれば、きれいに割り切れる、理にかなったみごとな結末といえる。

しかし、実際にこの作品を《美談》として偏向的解釈をしたがる人は多いのかもしれない。絶妙のラストシーンを《きれいごと》──「ジョンジーの身代わりとなってベアマンが死んだこと」をスーがジョンジーに告げない結末に改変した出版物も存在する。PHP文庫の『まんがで蘇るO・ヘンリー傑作選』(監修:齋藤 孝/『最後の一葉』を描いた漫画家は工藤ケン)がそれだ。
改変版マンガのラスト・シーンは、スーの《真相は自分だけの秘密として胸にしまっておく(ジョンジーには隠しておく)》という主旨のモノローグで終わっている。このよけいな「配慮」を持ち込んだおかげで、最大の見せ場であるはずのラスト・シーンの意外性・インパクト・切れは鈍り、効果抜群の余韻に水をさした格好である。
また、ラストシーンに「配慮」を持ってくるために、真相(ベアマンが雨の中で壁に葉を描いていたこと)を前倒しして(?)事前に読者にバラしてしまうという愚行もおかしている。
しかも前述した通り、元気になったジョンジーが真相に気づかぬはずはなく、「スーだけの秘密としておく」という結末は成立しない。改変マンガは、緻密な計算で構築された原作小説を《きれいごと》でまとめようとして台無しにした感がある。そこまで無理して、どうして《美談》にしたがるのだろうか?
小説を読んで、誰がどう感じるかは、その人の自由だ。しかし、それぞれ解釈・感じ方がすべて正しいということにはならない。妥当な評価ばかりでなく、的外れであったり不合理な解釈もけっして少なくない。

『最後の一葉』が小学校の道徳の教科書にも採用されていたと知って、ちょっと気になることがある。この作品が偏向した解釈で選定され、子どもたちにも的外れな解釈をミスリードするような指導が行われているのではないか……という危惧である。
『最後の一葉』が小学道徳の教科書に採用されたのは《自己犠牲の尊さをうったえた美談》という意義付け(解釈)があったのではあるまいか?
そう考えると、《自己犠牲の精神を標榜する作家》である宮沢賢治の作品が教科書に多く採用されている傾向と、同じ軌道上にあるようにも思われる。
小説が教科書に載り、授業でとりあつかわれることになると、生徒は(先生も?)そこに道徳的意義付けをみいだそうとして「忖度する読書」をすることになり、《美談》にミスリードされがちになるのではないか……そんなことがあれば、作品の真の価値を見誤ることになる。
教科書へ収載する小説の選定をする人、現場で子どもたちを指導する教師が、本当に作品の本質を理解しているのか、気になるところである。


なじめなかった『よだかの星』
宮沢賢治『やまなし』とクラムボン
宮沢賢治『どんぐりと山ねこ』感想


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