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2019年10月の記事 (1/1)

《カブトムシの角は矛盾だった》のか?

01カブトムシ♂角長
02カブトムシ♂角短
僕は虫屋ではないが、子どもの頃にはふつうに虫捕りをして遊んだ。中でもカブトムシは──特にツノがあるオスがお気に入りだった(*)。大きくて・かっこよくて・強い──昆虫の王者。ツノは王冠のようでもあり伝家の宝刀でもある。カブトムシの特徴にして最大の魅力と言えば、このユニークなツノだろう。このツノに関して、以前、【カブトムシの角は矛盾だった】というニュースが話題になったことがあった。

カブトムシの雄の角は、雄同士の闘争では長い方がよく、天敵から食われるのを避けるには短い方がよい、という深刻なジレンマを抱え込んでいることを、東京大学総合文化研究科の小島渉(こじま わたる)学振特別研究員らが見つけた。

──というものだ。カブトムシのオスがツノを使って闘うことは子どもでも知っている。樹液がにじむ幹上で場所とり合戦をくりひろげ、ツノで相手をぶん投げるカブトムシ♂の勇姿は虫とりをした少年なら目にしたことがあるだろう。しかし、この必勝アイテム──ツノの長さが天敵に対して不利に働くといったことがあるのだろうか? 問題の記事は上の文のあとに、こう続く──。

東京大学大学院農学生命科学研究科の石川幸男(いしかわ ゆきお)教授と、神戸大学大学院農学研究科の杉浦真治(すぎうら しんじ)准教授、森林総合研究所の槙原寛(まきはら ひろし)さん、高梨琢磨(たかなし たくま)主任研究員との共同研究で、日本動物学会英文誌3月号に発表した。

複数の専門家がアカデミックなメディアに発表した研究らしい……ならば信憑性は高いはずだ(後に知ったが、この研究は、Zoological Science Award 2015 を受賞している)。記事ではこの研究を次のようにまとめている。

長い角をもつ雄は、雌やえさの獲得などの雄同士の闘争で力の強さをあらわす目印として知られている。その一方で、天敵に対して目立ちすぎるため、食べられやすくなって不利になる。角の長さを追求すれば、天敵に食べられやすいという矛盾があったといえる。

カブトムシの天敵として挙げられていたのはハシブトガラスとタヌキで、これは納得できる。日中、樹液ポイントの近くで腹の無い(食われた)カブトムシやクワガタがもがいている姿はちょくちょく目にするし、そばにはカラスがいて獲物をくわえていることもある。狭山丘陵ではタヌキの姿もみかけるので、きっとタヌキのエサにもなっているのだろうと僕も考えていた。
03カラス&タヌキ
記事によれば、カブトムシの最大の天敵はタヌキで、カブトムシが活発に活動する深夜の時間帯にカブトムシが集まる樹液ポイントをおとずれ、カブトムシを捕食していたという。タヌキが食うのもやはり腹で、食い残された残骸を調べたところ、メスよりもオスが、ツノの短いオスよりも長いオスが選択的に食べられていることがわかったというのだ。どうして選択的なのかといえば──トラップ(バナナの発酵液で誘引)を使って採集したカブトムシの性比やオスのツノの長さ(これが捕食される前の標準比率・標準値だと考えたようだ)に比べて、捕食されたカブトムシではオスの割合が多く、ツノの長いオスが多かったから──という理屈だ。ツノが長い方が目立ち天敵に見つかりやすくなるために結果として選択的に食われやすくなるという【解釈】で解説をしている。トラップで捕獲したグループのオスのツノの長さの平均値と捕食されたオスのツノの長さの平均値を具体的に記したデータもこの記事には載っている。
04甲虫角論図から
どうして、そんな【解釈】になるのか──カブトムシの活動が盛んな深夜にタヌキが食ったカブトムシに「ツノが長い個体が多かった」というのは、あたりまえのことだろうに……この記事を読んだとき僕はそう感じた。
カブトムシは夜行性だ。活発に活動する時間帯には限られた樹液スポットにカブトムシが集中する。強い個体が餌場を占拠し弱い個体を排除する。体が小さい(角が短い)オスやメスも、大きく強いオスが過密になる時間帯ははじきだされがちだ。その結果、樹液ポイントには大きく力が強いオスが残る。体の大きなオスはツノも長くて立派な傾向がある。タヌキが選択的にツノの長い個体を見つけて食ったというより、その時間帯に餌場を占拠している個体を食えば、当然そういう結果(体が大きく角が長い個体の占める割合が多くなる)になるのではないか……。
カブトムシを捕りに雑木林めぐりをした子どもの頃を振り返ると……同じ樹液ポイントでも、昼間はメスの割合が多く、体が小さく角の貧相なオス(夜間の活動時間帯には縄張り争いに破れてエサにありつけなかったケンカの弱い個体)がしばしば見られた。それに対し、夜中はオスの割合が増え、大きくて角も立派なオスが多かった。こうしたことは、カブトムシを捕りに行ったことがある者なら経験的に知っているのではなかろうか?

夜中にエサ探しをするタヌキにしてみても……彼らは視覚よりも嗅覚に頼っているはずだ。もともと眼がさほど良いわけではないタヌキにとって、暗がりの中でのわずか──平均3.1mmのツノの長さの差が、カブトムシの発見率に影響を及ぼすとは考えにくい。

余談だが、僕が以前飼っていたフェレット(イタチ科)は散歩中によく虫や小動物を見つけた。夏にはカブトムシもその対象だった。死角にいるカブトムシに気がついたり土に潜って見えない状態のカブトムシを掘り出すなど、視覚より嗅覚に頼ってカブトムシを見つけていた。タヌキの場合も似たようなものではないかと思う。

05FerretカブトA
06FerretカブトB
尾が短いためか仔狸と間違えられることがあったグランジ(僕が飼っていたフェレット)だが……散歩中に嗅覚でガム(路上に銀紙に包んで捨てられていた)に気づく動画を載せておく。視覚ではなく、嗅覚によって獲物(?/拾い食いは厳禁)を見つけていることがわかる。

イヌ科のタヌキも同じように嗅覚によってカブトムシを見つけていたはずだ。タヌキがカブトムシを食いにくる深夜……暗がりでの視覚情報──ツノのわずかな長さの違いなど、タヌキにとってはほとんど意味をなさないのではなかろうか。
ツノの長さなどに関係なく、タヌキは樹液ポイントに集まっているカブトムシを食べただけ。《ツノのジレンマ》など、なかったのではないか?
報道記事を読んだとき、僕はそう感じたし、そう考えるのが自然だと思ったものだが……この研究に参加した人たちは、誰もそのことに気づかなかったのだろうか?
専門的に研究をしている詳しいはずの人たちが揃いも揃って、どうして《ツノが長いと捕食リスクが増える》という解釈に飛びついたのか僕には不思議だった。

《カブトムシの魅力的なツノにはジレンマがあった》──という着眼は、確かにロジックとしては面白い。面白かったからこそ、一般のニュースにも取り上げられ、話題になったのだろう。NHKのニュースでも《ツノのジレンマ》が断定的に報じられたし、Wikipedia【カブトムシ】にも、この研究記事をもとに《角は長いほどオス同士の闘争の際に有利になる反面、タヌキやハシブトガラスといった天敵に捕食されるのを避けるには短い方が有利であることが研究で明らかになっている》と記載されている。

当時の報道記事を読む限り《ツノのジレンマ》がこの研究の核心である。それに対して僕のような疑問(角が長いから天敵に見つかりやすいわけではない)は当然予想されるものという気もするが……あるいは、一般の報道記事には触れられていない、想定疑問を払拭するデータが、オリジナル論文(?)には記されていたのだろうか?

もし《ツノのジレンマ》というキャッチの良いロジックがなければ、この研究は意味が薄れ、一般ウケするニュースネタにはならなかったろう。
狩りが視覚的に行われる日中のハシブトガラスの捕食圧についていえば、ツノの長い「大きなオス」が見つかりやすいという可能性はあるかもしれない。しかしそうだとしても、「目立ちやすさ」として天敵の指標となっているのは「ツノの長さ」というより「体の大きさ」だろう。「ツノの長さ」に結びつけようとするのは、ウケ狙いのこじつけのように感じてしまう。


《角のジレンマ》はどこへ行った!?
《ツノのジレンマ》の報道記事が出たのは2014年3月で、当時も関係記事を探しながら疑問に感じたことをブログに記しているのだが、今回、あらためてとりあげたのは、先日、同じ研究だと思われる、こんな記事を見つけたからだ。

公益社団法人日本動物学会>トピックス
強いオスは狙われる?:カブトムシにおける性およびサイズ依存的な捕食圧

内容からすると同じ研究のようだが、驚いた事に、この記事には肝心の《角のジレンマ》が出てこない!? 
捕食された残骸の比較データで示されているのも、2014年に読んだ報道記事では「角の長さ」だったものが「前胸幅」になっていた。
トラップで採集したカブトムシと捕食されたカブトムシの比較についての解説(解釈)も、以前の報道記事とはだいぶニュアンスが違っていた。《角のジレンマ》はなりをひそめ、捕食された個体にツノの長いオスが多かったのは《大きいオスが餌場を占拠するため》という可能性にも言及していた。


このことから、メスよりもオスのほうが、小さいオスよりも大きいオスのほうが食べられやすいといえます。なぜ体が大きいオスが食べられやすいのかははっきりしませんが、長い角や大きな体が捕食者に目立ちやすい可能性があります。あるいは大きいオスほど樹液に長時間留まるため、捕食を受ける機会が多いのかもしれません。大きく角の長いオスに対する高い捕食圧は性淘汰圧と拮抗的にはたらくことで、オスの性的な形質の進化に影響を及ぼす可能性があります。

以前読んだ報道記事では、捕食されたカブトムシの特徴に偏りがあることについて《長い角ほど目立つので天敵に食われやすくなるから》とされていたが、今回みつけた記事では《なぜ体が大きいオスが食べられやすいのかははっきりしませんが》と、かなりトーンダウン(?)している。《天敵に目立ちやすい》とされた《長い角》は《長い角や大きな体》と微妙な表現に変わり(?)、「サイズの差に起因した目立ちやすさが捕食圧に関係している」という解釈については「可能性」にとどめられている……これでは、いったい何か言いたいのか、研究の趣旨がよくわからない。
「ツノの長さ(もしくは体のサイズ)」が指標となって天敵による捕食圧が変わるのであれば、その天敵によって選択された「生き残るのに有利な特徴」が遺伝的に反映する可能性はあるかもしれないが……タヌキは深夜に訪れた樹液ポイントに集まったカブトムシを食べているだけで、角の長さや体の大きさによる選択をしているとは思えない。
また、カブトムシ♂の角の長さや体の大きさの決定には、遺伝的要因だけでなく栄養状態などの成育環境による影響も大きいはずだ。結果として餌場を占拠しがちな「角が長く体の大きなオス」に、より多くの捕食圧がかかりがちだったとして、だからどうなるのか……そのあたりが示されておらず、尻切れトンボというか……漠然感が否めない。

ちなみにこの研究は、《日本人にとって親しみ深いカブトムシの角の進化機構を理解する上での貴重な基盤情報》として、日本動物学会の2015年度論文賞を受賞している。当初の報道のように《角のジレンマ》を確かめた研究であれば《カブトムシの角の進化機構》云々は理解できるが、現在ネット上に公開されている日本動物学会のトピックス記事を読む限り、《角のジレンマ》は影をひそめ、核心があやふやという気がしてならない。

現在公開されている【強いオスは狙われる?:カブトムシにおける性およびサイズ依存的な捕食圧】は、《角のジレンマ》説として発表した後、このロジック部分をとり下げ、修正を加えたものなのだろうか? それとも、発表当初から内容は変わっていないのだろうか? 発表当初からこの形だったとすると、それでは、サイエンスポータル他で報じられていた《角のジレンマ》のロジックは何だったのだろう? 報道する側がウケを狙って《角のジレンマ》という脚色を加えたのだろうか? しかし、具体的な角の長さを記したデータもあるのだし、それをわざわざ捏造したとも思えない……。久しぶりにこのテーマについての記事を読んで、釈然としないものを感じている。

いずれにしても、今もWikipediaやサイエンスポータルなどで《ツノのジレンマ》は「確かめられた事実」として記されているので、このわかりやすくておもしろいロジックは定着していくのかもしれない……。



昆虫の何に魅かれるのか? ※子どもの頃にカブトムシをどう感じたか
カブトムシ《ツノのジレンマ》!?
『不思議だらけ カブトムシ図鑑』と《角のジレンマ》 ※角矛盾研究者の著書
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アメンボを嗅いでみた:飴の匂いは本当なのか?

アメンボの語源は《雨ん坊》ではなく《飴棒》!?
前回の【アメンボの語源・由来に疑問】では、アメンボの語源を《飴》由来だとする説への疑問を記した。僕は子どもの頃からアメンボは《雨ん坊》からきた名前だとばかり思い込んでいたのだが、意外なことに語源は《雨》ではなく《飴》由来だとされている。ネット上には「アメンボ(が放つ臭腺分泌物)のニオイが飴に似ていることでこの名がついた」という内容の記事があふれており、書籍にもそうした指摘があることを確認できる。
01アメンボ起源本
しかし僕にはどうも《飴》由来説が納得できずにいる……その理由を【アメンボの語源・由来に疑問】で記したわけだが、その時点で僕はまだ問題のアメンボのニオイを嗅いだことが無かった。「《飴のようなニオイ》などしようがしまいが、それが語源だとは考えにくい」と判断したからだ。その考えに変わりはないが、いちおう多くの人が《飴》由来説の根拠(?)にあげている「飴のようなニオイ」とされるものが、いかなるものか──実際にアメンボを嗅いで確かめてみることにした。今回は、その報告を兼ねた続編記事ということになる。

まず、世間にあふれている、アメンボの「アメ」は「飴」のことだという語源・由来説について、あらためてどんなものか……目についた情報をいくつか挙げてみると──、


【アメンボの語源・由来】アメンボの「アメ」は「雨」ではなく「飴」の意味で、「ボ」は「坊」の意味、「ん」は助詞の「の」が転じたもので、「飴の坊(飴ん坊)」が語源となる。アメンボは、体の中央にある臭腺から飴のような甘い臭気を発するため、この名がつけられた。漢字でも「水黽」「水馬」のほか、「飴坊」と書かれることもある。「雨ん坊」や「雨坊」を語源とする説は、雨が降った水溜りでよく見かけるためと考えられるが、この説は民間語源である。江戸時代の江戸では「跳馬(チョウマ)」と呼び、畿内では「水澄(ミズスマシ)」と呼んでいた。(語源由来辞典)

僕が思い込んでいた《雨ん坊》由来だとする解釈は民間語源──科学的根拠のない、誤った語源解釈ということになっている。

「アメンボ」の名称は、体が飴(あめ)のような臭(にお)いがすることに由来する。(日本大百科全書<ニッポニカ>)

水あめのようなにおいがあるのでこの名がある。(百科事典マイペディア)


ヤマケイポケットガイド⑱水辺の昆虫(今森光彦/山と溪谷社/2000年)の【アメンボ】の項目には──、

アメンボの出すにおいは飴のように甘く、体つきは棒のようということから、飴棒(あめんぼ)とよばれる。(『水辺の昆虫』P.168)

──と記されている。2004年に出版された子ども向けの絵本ならぬ写真本『ドキドキいっぱい!虫のくらし写真館⑭アメンボ』(監修:高家博成<東京都多摩動物公園昆虫園>/写真:海野和男/文:大木邦彦/ポプラ社)は上の画像で紹介した通り──ヤマケイの『水辺の昆虫』を踏襲したのか、次のようなコラムがある。

アメンボは、ぼうのようなからだつきで、あめのようなにおいがするために、「あめんぼ」(あめのぼうといういみ)とよばれるのだといわれています。このにおいは、後ろあしのつけねのすこし上にあるあなからだされます。においはアメンボのしゅるいごとにちがっていて、てきからみをまもるためや、なかまをあつめるためにつかわれると、いわれています。(P.13)

アメンボを「飴(の)棒」とする文章の終わりは「──とよばれるのだといわれています」と、真偽の断定をさけた表現になっている。このコラムには《アメンボはあめのにおいがする?》と疑問符つきのリードがつけられていた。著者は名前の由来となった「飴のようなにおい」を実際に確かめることができなかったために、こんな回りくどい書き方になったのではないだろうか?

僕が目にしたアメンボの語源・由来に関する記事はどれも似たようなもので、「アメンボは飴のようなニオイがする」「そういわれている」というだけで、どうしてそれが「アメンボ」の語源・由来になるのか、納得できる説明・根拠をまだ見つけられずにいる。
アメンボが飴のようなニオイを発するとしても、また体が棒状であるからといって、それをもって《飴棒》が語源だと断定することはできない。雨上がりの水たまりにこの虫を見たことがある人や、僕のように水面に広がる波紋から雨とアメンボを関連づけて認識している人は多いはずで、そこから《雨ん坊》と呼ばれるようになった可能性は高い。一方、アメンボのニオイを嗅いだことがある人などごくわずかだろう。「ニオイが飴に似ている」という特徴から名付けられたというのはかなり無理を感じる。特徴から名前をつけるのであれば、水面という特殊な環境に暮らしているという誰もが知っているユニークな生態が優先されるのが当然で、これをさしおいてマイナーなニオイが命名に採用されたとは考えにくい。
やはりアメンボは「雨との関連」から《雨ん坊》と呼ばれるようになり、それが転じて《アメンボ》になったと考えるのが自然な解釈だろう。臭腺のニオイを飴に例えて《飴棒》とするのは、「アメンボ」の名にかけて後から考えた辻褄合わせ・語呂合わせ的な解釈だとみるのが妥当な気がする。

それとも、僕が知らない《飴》由来の確かな証拠がどこかにあるのだろうか? もし納得しうる根拠があるのであれば、《飴》由来説が拡散するときに(信頼性を担保するために)示されていてもよさそうなものだが……。
ネット上には「《飴》由来説記事」が氾濫しているが、読んでみると根拠が不明確で、「──といわれている」というような伝聞次元の説明に終始しているものが多い。《飴》由来説の核心となるアメンボのニオイを実際に確かめたことがない人がこうした情報を拡散している印象が強い。


アメンボを嗅いでみた:《飴のニオイ》は本当なのか?
──ということで、先日アメンボを捕まえて実際にニオイを嗅いでみた報告である。僕はこれまで、キバラヘリカメムシの青リンゴ臭オオトビサシガメのバナナ臭は確認したことがあるが、はたしてアメンボのニオイやいかに!?

川縁の流れがゆるやかな水面にアメンボの集団をみつけ、捕虫網で捕獲した5匹のニオイを確認してみた。
1匹目を嗅いだときは「よくわからないな……」といった印象。ニオイが全くしないわけではなく、あるといえばあるのだが……これが川のニオイなのか虫のニオイなのか判別しかねる程度のものだった。捕えたアメンボはビニール袋に入れて洗濯バサミで入口を塞いだ(密閉状態にしておいて、あとで嗅ぐため)。そして、2匹目め3匹目めと捕えてニオイを嗅いでいるうちに「臭腺のニオイというのはこれかな」と感じるものがわかってきた。確認した追加個体は同じビニール袋に入れて密閉状態にする。
網で捕獲したアメンボは、そのつど素手でつまんてニオイを嗅いだ。ネット上にはアメンボを素手で扱うと刺すことがあるという情報もあったが、今回刺されることは無かった。5匹を捕獲しそのつどニオイを確認してビニール袋に入れた後、つまんだ指先を嗅いでみると、「臭腺のニオイというのはこれかな」と感じたニオイが残っている。これを「飴のニオイ」と言うには、かなり無理があると言うのが率直な感想だ。といっても、アメンボがそう呼ばれるようになった頃の飴のニオイがどんなものかわからないので、正確には比較のしようがない。
このニオイが何に似ているかと言えば……最初に頭に浮かんだのがペットショップだった。エキゾチックアニマルを扱うペットショップに漂っていた匂いに似ている。具体的な物でいうと、(かつて飼っていたグリーイグアナに与えていた)「九官鳥用の固形飼料をお湯でふやかしたもの」に似たニオイだと感じた。もちろん、いずれも「飴」を連想させるものではない。
アメンボをつまんだ指に残されたニオイを嗅いだ後、5匹のアメンボを入れて密閉状態にしていたビニール袋の口をあけて中のニオイを嗅いでみた。やはり「九官鳥用の固形飼料をお湯でふやかしたもの」に似たニオイをわずかに感じたが、これまで嗅いだ、カメムシやオサムシ・ゴミムシのニオイに比べれば弱くてたよりない……この虫(アメンボ)の特徴として命名化するようなものとは思えなかった。「飴のようなニオイがするらしい」というハナシは何だったのか?……と首を傾げながら実験に協力した(させた)5匹のアメンボを川にかえした。

今回、5匹のアメンボでニオイをチェックしてみたが、いずれも「飴のようなニオイ」は感じられなかった。あるいはこれは時期的なものや個体のコンディションなどが関係してのことなのだろうか? 状況によっては「飴のようなニオイ」と感じることもあるのだろうか? いずれにしても「飴に似たニオイはいつでも確かめられるものではない」ということはわかった。そんな頼りない特徴が名前になったりするものだろうか?
アメンボの《飴》由来説に対する懐疑的な心証は深まった。


アメンボ《飴棒》語源説に関する2つの疑問
今回僕は【アメンボの語源・由来】に関して2つの疑問を感じている。1つは「《飴》由来説というのは本当なのだろうか?」という疑問であり、これまで述べた通りだ。2つめは「根拠が不明の《飴》由来説に対して、どうして皆は疑問を抱かないのだろう?」ということだ。検索すると《飴》由来説を踏襲した記事はわんさかヒットするのに、疑問を呈する記事や《雨》由来説はなかなか見つからない……。

しかし、よく考えてみると……僕が違和感を覚えた「アメンボの《アメ》は《雨》ではなく《飴》起源」という情報──これには、実はやはり多くの人が「え!?」と、にわかに納得できないものを感じていたのではなかろうか? ただ、その「意外性」ゆえにネタ(記事)にされ発信(投稿)されやすかった……。
つまり、「アメンボの語源が《雨ん坊》である」という記事を投稿したところで、「ふ〜ん、そうだろうね」「そうだと思った」という薄いリアクションしか期待できないが……「アメンボの語源は《雨》ではなく《飴》だった」と発信すれば、注目が集まりやすい。違和感≒意外性があったからこそ、(真偽はさておいて?)注目されやすいという判断で、《飴》由来説が投稿・拡散されやすかったのかもしれない。

ネット上の《飴》由来説を眺めると、「飴のニオイ」を実際に確かめた人は少なく、大半が孫引き情報ではないかという印象を受ける。実際にニオイを嗅いだ人は「ちょっと違うんじゃないか……」と疑問に感じ、《飴》由来説の拡散に参加しなかったのかもしれない。そうしたこともあって、問題のニオイを確かめようとしなかった人の孫引き情報の割合ばかりが増えていったのではないか?……そんな気もしないではない。

ネット上でひろった情報の信憑性を確かめるために、他にも同様の記事があるか検索することはよくある。多くの人が同じようなことを言っていれば、その意見の信頼性は高いと判断できる……そう思いがちだが、「え〜!?」と驚くような胡散臭い情報ほど(内容の真偽を置き去りにして?)その意外性から拡散しやすいという現象もありがちなのかもしれない……。食いつきの良い情報は真偽をおきざりにして拡散していく──そういった可能性もふまえて情報を評価しなければいけないとあらためて感じる。

アメンボの由来は《雨ん坊》が起源と考えるのが自然で、《飴棒》説は臭腺の知識を持つ人がアメンボの「アメ」にかけて「飴のようなニオイ」に例えることで符合させた語呂合わせの「なんちゃってウンチク話」なのではないか……今のところ僕は、そんなふうに想像している。


アメンボの語源・由来に疑問


真・青リンゴの香り/キバラヘリカメムシ
オオトビサシガメのバナナ臭
キマダラカメムシの臭腺開口部 ※悪臭を放つカメムシの1つ
メダカチビカワゴミムシの最後っ屁ほか
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アメンボの語源・由来に疑問

アメンボは雨ん坊!?飴ん坊?飴棒!?
アメンボはよく知られた昆虫のひとつだろう。とはいっても、特に人気があるとも思えず……生態について詳しく知っている人はむしろ少ない気もするけれど……とりあえず知名度に関してはかなり高いのではなかろうか?
「アメンボ」という名前は「雨ン坊」からきているのだろう──僕は子どもの頃からずっと、そう思い込んできた。プールや池などの水面に波紋がまばらに広がるのを見て雨が降ってきたことを知ったり、水面に波紋が広がるのを見て「雨かな?」と思ったらアメンボだった──ということがあったので、水面に波紋を広げる「雨」と「アメンボ」が僕の中では結びついていた。なので自然に「雨ン坊」なのだろうと解釈し、疑うことなくそう信じ続けていたのだ。

しかし、後に知ったところによると、【アメンボ】の語源・由来は「雨」ではなく「飴」だという。カメムシ目に属すアメンボにも臭腺があって、発せられるニオイが飴に似ていることから「飴ん坊(飴の坊)」➡「アメンボ」、もしくは体が細長いことから「飴棒」➡「アメンボ」と呼ばれるようになったらしい?
Wikipedia によると【アメンボ】の語源については《本来の意味は「飴棒」で、「飴」は、臭腺から発する飴のような臭い、「棒」は体が細長いことから。「雨」と関連付けるのは民間語源である。》と記されている。

僕が信じていた「雨ン坊」語源説(?)は民間語源(語源俗解)だというのが、通説らしい。ただ、僕にはアメンボの語源が「雨」ではなく「飴」由来だというのが、どうもフに落ちない……。
アメンボはいつからそう呼ばれていたのか知らないが……語源が「飴」由来だとすれば、最初にそう呼んだ人は、アメンボの臭腺のニオイについて知っていたことになる。
アメンボの姿は多くの人が目にして知っているだろう。しかしそのニオイを確かめた人となると、はたしてどれだけいたものか? 「飴に似たニオイがする」と知らなければ、「飴」由来の呼び名をつけることもできない。
仮に、この虫の臭腺のニオイについて知っていた人が命名したとしよう。むかし昆虫学者のような人がいて、ニオイの特徴から「この虫を【飴棒】(もしくは【飴ン坊】)と命名する」と宣言していたなら──そうした文献が残っているのなら、語源が「飴」由来だと言えるのかもしれない。しかし、それほど昆虫に詳しい人が命名するなら……はたして、この虫に「飴のようなニオイ」にちなんだ名前をつけようと考えるだろうか? アメンボの特徴は、なんといっても水面で生活していることだろう。アメンボは水面に落ちた獲物が広げる波紋によってその位置を知るらしい。広げた脚がアンテナの役割りを果たし伝わってくる波形から震動源を見極めるという。水面という特殊な環境をうまく利用した昆虫といえる──この虫の特徴から名前をつけるとしたら「飴に似たニオイ」よりも「水面」もしくは「水」にちなんだものにするのが自然ではないだろうか。アメンボは漢字で「水黽」(「黽(ボウとも読む)」には「かえる・あおがえる」の意味もある)や「水馬」と記されることもあるというが、これなら納得できなくはない。

誰もが見たことのある、水面に浮かぶ姿がお馴染みのこの昆虫に、ほとんどの人が知らない「飴に似たニオイがする」というマイナーな特徴で名前をつけるたりするものだろうか?……そんな疑問が僕にはある。
アメンボをとって食う風習でもあれば「飴のようなニオイ」に気づく人も多かったろうから「飴」由来で名付けられた可能性もあるかもしれないが……ヒトの生活と利害的な接点が薄いアメンボのニオイなど多くの人は関心が無かったろう。どんなニオイがするかなど知らずにアメンボを見ていた人の方が圧倒的大多数だったはずだ。そうした人たちの中から呼び名が生まれたと考えるのが自然であり、その場合はもちろん「飴」由来ではないことになる。
僕が子どもの頃に感じたように、《水面に広がる波紋が雨のようだ》という連想から「雨ン坊」と呼ばれるようになった──と考える方が自然な気がする。水面にアメンボが広げる波紋を見て「雨かな?」と思ったことがある人は決して少なくないはずだ。少なくともアメンボのニオイを嗅いだことがある人よりは、はるかに多いに違いない。

それではなぜ、「飴」由来が正しいとされているのだろう?
僕は根拠となる元ネタ情報を知らないので、想像だが……アメンボのことを記した古い文献に【飴棒】もしくは【飴ン坊】という表記があったからではないか? アメンボについての最古の記述が【飴棒】もしくは【飴ン坊】となっていたなら、(臭腺のニオイと結びつけて)名前の由来が「飴」にあるという解釈がでてくるのもうなずける。
しかし前に記したよう「飴」由来の名前がつけられたとは考えにくい……。もし、古い文献に【飴棒】もしくは【飴ン坊】の表記があったとしたら……それは単に《当て字》だったのではないだろうか? 多くの人が目にするこの虫には「アメンボ」という呼び名がすでにあって、これを記録するさいに「雨ン坊」と記せば、「雨」は「あめ」だけでなく、「あま」や「ウ」とも読めてしまうから──誤読を防ぐために「あめ」としか読めない「飴」を当てたのではないか?(※追記訂正:「飴」にも音読みの「イ」「シ」があるので、不自然な気はするが誤読の可能性はある)
あるいは学者(?)がこの虫について聞き取り取材をしているさいに「この虫を何て呼んでいるの?」「アメンボ──飴玉の《飴》に用心棒の《ボ》」みたいなかたちで「音」の説明があって、そのまま記録されたとか……そんな可能性だってあるかもしれない?

僕にはそんな理由で「飴」ではなく「雨」由来なのではないかという思いが捨てきれないのだが……アメンボの語源を検索してみると、ネット上には「飴」由来だとする情報がたくさんヒットする。しかし、その多くは自分でそのニオイを確かめたことがない人のもののようで、おそらく同じ情報源からの孫引き情報ではないかという気がする。ちなみに僕もニオイを確かめるためにカメムシを嗅いだことは何度かあるが(*)アメンボのニオイを嗅いだことはまだ無い。一般的にはもちろん、あるていど昆虫に興味を持っている人たちの中でもアメンボのニオイを確かめた人は、そう多くないのではないだろうか? そんな薄い情報が語源になり得るのだろうか……?

童謡『黄金虫(こがねむし)』に歌われているコガネムシはチャバネゴキブリであるという説があって、これが色々なメディアでも取り上げられて拡散したことがあったが、僕はゴキブリ説には懐疑的でヤマトタマムシ説を支持している(*)。
カマキリの雪予想(カマキリは積雪量を予知して雪に埋まらない高さに卵を産む)という俗説が科学的に証明されたかのような誤った情報が拡散して、それが広く信じられてしまったということもあった。

01ゴキブリ説3本再
02カマキリの雪予想

「アメンボ」の由来が「雨」ではなく「飴」だという話も、どうなのかなぁ……と納得しきれずにいる。どこかにあった【説】が孫引きで拡散して「それが正しい」という共通認識が生まれてしまったという可能性はないのだろうか?
とはいっても、僕も「飴」由来説を完全否定するつもりは無いし、できるとも思っていない。ただ「雨」由来の方が、なじむ気がする……今のところ個人的には、そう考えているというだけのことだ。
そもそも語源というのは、どれが正しいと言い切れないものが多いのかもしれないが……それでも、つい、あれこれ想像をめぐらせてしまうのである。

【追記】mixiの方に投稿した同記事に虫屋さんから、《雨上がりの水たまりに浮かぶ姿から➡雨ん坊》ではないかというコメントをいただいた。そうかもしれない。その方が「飴」由来説よりも、はるかに自然だし納得しやすい。

アメンボを嗅いでみた:飴の匂いは本当なのか?

【ヒバカリ】名前の由来考
昔流行った「ピーマン」語源/震源地は僕ら?


否!青リンゴの香り/オオクモヘリカメムシ
青リンゴ亀虫!?を再び嗅いでみた ※オオクモヘリカメムシ
真・青リンゴの香り/キバラヘリカメムシ
香りはどこから?青リンゴ亀虫 ※キバラヘリカメムシ
オオトビサシガメのバナナ臭
キマダラカメムシの臭腺開口部
黄金色のコガネムシ ※童謡『黄金虫』のゴキブリ説とタマムシ説
カマキリの卵のうと積雪の関係
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糞の手紙!?〜イタチの粗相考

『いたちの手紙』と『いたちのてがみ』
01鼬の手紙&てがみ
前回《いたちの魔かけ》で、童話『いたちの手紙』に触れたが、良く似たタイトルで『いたちのてがみ』という別の児童書があることを最近知った。題名の読みは同じだが、「てがみ」の表記に漢字とひらがなの違いがある。両方の作品をあらためてまとめてみると──、

『いたちの手紙』は佐藤さとる・作/村上勉・絵の児童文学。1973年に講談社から単行本として出版され、『佐藤さとるファンタジー童話集③おばあさんの飛行機』(講談社文庫/1976年)、『佐藤さとるファンタジー全集⑫いたちの手紙』(講談社/1982年*2011年復刻)に収録されている(※1972〜1974年に刊行された『佐藤さとる全集』(全12巻/講談社)には収録されていない)。
子どものリアルな日常を舞台とする実在感のあるファンタジー作品で、内容を簡単に記すと……小学生のアキラがちょっと変わった封書(これが《いたちの手紙》)を拾ったことから物語が始まる。封書の裏(差出人欄)には幼い字で「いたちくぼのいたち」と記されていた。投函前の手紙だったことから、アキラはこの手紙をポストに入れるが、そのあと謎の手紙のことが気になってくる。「いたちくぼ」と呼ばれる場所が近くにあることを知ったアキラはそこへでかけ、初めてイタチと出会って《いたちの魔かけ》を体験することになる(これにかかるとイタチと会話することができる──というのがこの作品のファンタジー・ルール)。やはり《いたちの魔かけ》がかかる小1のカオリとの出会いがあり、《魔かけ》の秘密&なぜ、イタチが手紙(カオリが代筆)を出すことになったかなどの《謎》がだんだんと解けていく──。いたちくぼに独りっきりになったイタチがよその地域で同じ状況下にあるイタチを嫁にとる話なのだが、アキラの視点で展開する物語には、謎解き的なあじわいもあって、おもしろい作品だった。

タイトルがオールひらがなの『いたちのてがみ』は、こしだミカ・作の絵本。月刊予約絵本「こどものとも年少版」通巻404号/福音館書店/2010年。版元のサイトには「読んであげるなら:2才から」とあり、文章は少なめで絵のうったえるところが大きい。力強く躍動感あふれる個性的な絵に魅力を感じた。
内容は、おばあちゃんの家(古い木造家屋)にひっこしてきた女の子が、屋根裏に住み着いているイタチに興味を示す。女の子が初めてイタチをみた場所にチーズを置くと、翌日、チーズは消えてかわりにイタチの糞が残されていた。その形が文字(ひらがなの「つ」)にみえ、女の子はそれを「いたちの手紙」ではないだろうかと考えてイタチに手紙を書くというもの。


糞の置き手紙&ため糞のSNS!?
イタチが残していった糞を「てがみ」に例えた『いたちのてがみ』に対するネット上の反響には「イタチの糞を手紙だと思うという発想に意外性があっておもしろい」というような感想もあった。たしかに──しかし、イタチを含む動物の糞や尿には仲間とのコミュニケーション・ツールとしての意味もある(マーキングに使われる)ので、糞を「手紙」とみることは、あながち飛躍した解釈ではない。動物の糞には、何を食べていたのかとか健康状態などを示す情報も含まれているので、その主のことを知る大事な手がかりになったりもする。
人間から見ればただの排泄物だが、糞は動物にとって、その主のことを示す色々な情報が記されている……そういった意味では置き手紙といえなくもない。人間の手紙には「言葉の壁」があって文字が読める相手にしか伝わらないけれど、文字のかわりにニオイを用いた動物の「置き手紙」は、種類の壁を超えてあるていど「読むことができる」汎用性の高いコミュニケーション・ツールといえるかもしれない。
僕がかつて飼っていたフェレットは散歩中にタヌキのため糞に引きよせられたことがある。タヌキには複数の個体が同じ特定の場所に糞をする「ため糞」の習性があって、互いの情報交換の役割りをはたしているという。単発の「糞」が「置き手紙」なら「ため糞」は「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」といったところだろうか。
フェレットの散歩では、糞にかぎらず、ニオイによる書き込みの「掲示板」があちこちにあることが感じられた。

02鼬漫画目線SP再
『ふぇレッツ・ゴー』グランジ目線で散歩:編より⬆
去勢していないノーマル・フェレット♂・グランジによるマーキング⬇

※枝をまたぐようにして尿をつけている。

イタチの糞:フェレットの粗相考
イタチの糞はただの排泄物ではない!?──という実感は、以前フェレット(家畜化されたイタチ科の動物)を飼っていた時に実感していた。

僕が飼っていたフェレットは基本的にはトイレを設置した場所で用を足していた。
ところが室内で遊ばせているとき、何かの拍子に(?)部屋の隅でしてしまうことが、たま〜にあった。人間からみれば「粗相」ということになる。
フェレットフードの効果なのか……フェレットの糞は意外なほど臭くない。猫や犬の糞に比べたら全然余裕(?)なのだが、それでもソレを室内に放置しておくわけにはいかない。トイレ以外の場所でやってしまった時は、もちろんすかさず回収するのだが、きれいに拭き取ったつもりでもニオイがわずかに残っているのだろう、一度粗相をすると、連日続けざまに同じところでする傾向があった。
一度粗相をすると繰り返す可能性があるので、そんな時にはちょっと「困った」ものだ。

ところで、フェレット好きの人であっても、トイレ以外の場所で「粗相」をされると怒る人は少なからずいるらしい。僕は粗相で怒ったことはない。僕が「困る」のは粗相をされたからではなく、その始末をするさい、フェレットに対して、ちょっと後ろめたさを感じてしまうからだ。

「粗相」というのは人間側が言うことであって、実際のところ、フェレットは「うっかり、そこでしてしまった」わけではない。フェレットなりの理由があって、わざわざそこを選んで糞をおいたと考えるのが正しい。
それが証拠に(?)したばかりの糞を撤去するとき、フェレットは申し訳なさそうな顔をしてはいない。
「俺がせっかくここにしたのに……。したそばから、どうしてわざわざ撤去するかなぁ」と、ちょっと非難めいたまなざしで見上げていたりする。フェレットのヒンシュクを感じてしまい、糞の撤去には後ろめたさがつきまとうのである。

『小動物ビギナーズガイド フェレット』(大野瑞絵・著/誠文堂新光社・刊)には、靴の中に糞をされたというエピソードが紹介されており、笑ってしまったが……ありそうなことだ。知人のフェレットでは足拭きマットでニオイつけをするコがいた。また、フェレットには靴下好きなコが多い──これらはニオイに反応してのことだろう。

いわゆる「粗相」──トイレ以外のところでする排せつには「飼い主(仲間?)のニオイのあるところには自分のニオイも仲間入りさせておきたい」というような社交的な(?)自己主張の意味があるのではないかと僕は考えている(排他的な縄張りマーキングの逆)。
飼い主のニオイのあるところに自分もニオイ参加する……これはSNSへの書き込みや、飼い主のニオイに応じたコメントみたいなものではなかろうか? それをいきなり削除したりブロックしたら、好意を持ってニオイ書き込みをしたフェレットに対してかなり失礼なのではないか……糞の撤去やニオイ防止措置は、着信拒否のような行為ではないかという気がしないでもない。
しかし結局そこは人間の都合で撤去してしまう事になるわけなのだが……僕としては、やはり、ちょっと心苦しい。

家畜の歴史の長い犬は飼い主の顔色を読んで「粗相」をするとしゅんとするらしい(腹いせに「粗相」をすることもあるらしい?)。それを卑屈といってはかわいそうだが、僕は粗相をしても撤去する人間に対して、堂々と「なんだかなぁ」と不満げなまなざしで見上げるフェレットの方が好きなのである。

ちなみに、フェレットの本当の意味での「粗相」とは……愛鼬と一緒にお風呂に入ったら、湯船の中にぷっかり……コレであろう。
ちなみに、これは聞いたよくある話。僕の体験談ではないので、誤解なきように。


(※最後の項目「フェレットの粗相考」は、Yahoo!ブログを始める以前にfreemlに書いていた日記に加筆したもの。freemlもYahoo!ブログ同様、今年の12月で終了する)


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《イタチの魔かけ》と《鼬の目陰》

《イタチの魔かけ》とは?@いたちの手紙
01鼬の手紙他
《いたちの魔かけ》というのは佐藤さとるの童話『いたちの手紙』に出てくる言葉で、イタチが後脚で直立し前脚を目の上にかざすしぐさのことだ。作中ではイタチが人に魔法をかけるときのポーズということになっており、この《いたちの魔かけ》がうまくかかる人は、イタチと会話ができる──という設定になっている。
『いたちの手紙』の内容をかなり大ざっぱにまとめて説明すると──開発で数を減らし、1匹になってしまったイタチが、他の地域で同じ状況下のイタチを嫁にとる話である。その橋渡しをするのが《魔かけ》がかかる人間で、タイトルにある手紙は《魔かけ》でイタチと友だちになった少女が代筆したものだった。ポストに投函されるはずだったこの手紙をアキラという少年が拾ったことから物語は始まる。この物語はファンタジーだが、アキラの視点で「奇妙な手紙」の謎から、《魔かけ》の秘密、ことの真相が明らかにされていく展開は、ちょっとミステリー風の味わいもあっておもしろい。僕が好きな作品の1つである。
さて、謎解き役(?)のアキラが初めてイタチに出会い、《魔かけ》をかけられるシーンは、こんなふうに描かれている──、


 その生きものは、アキラと目が合っても、平気だった。それどころか、とても変わったことをした。
 ふいに後足で立つと、右手を、いや右の前足を、目の上に持っていって、遠くからアキラを眺めた。ちょうど、アキラに向かって、「敬礼」をしているようだった。そのとたん、どういうわけか、アキラは思った。こいつはやっぱりいたちだなって。
 そう、やっぱりいたちだった。こんなふうに、いたちが後足で立って、片っぽの前足を目の上にあげて見ることを、「いたちの魔かけ」という。つまり、いたちが人に魔法をかけようとするときは、こういうふうにするんだね。(佐藤さとるファンタジー全集⑫収録版『いたちの手紙』より)


僕が『いたちの手紙』を読んだとき──もうだいぶ昔のことだが、この《いたちの魔かけ》と呼ばれる言い伝えは本当にあって、作者はこれをヒントにイメージを広げ、このストーリーを考えたのだろうと思った。作中には、次のような記述もある。

昔の人は「いたちの魔かけ」を、大変きらった。縁起がわるいと思っていたんだ。いたちにこれをされると、きっとよくないことが起きるなんて、思いこんでいたみたいだね。
 ほんとうは、そんなことないんだ。いたちが、よくないことを起こすのではなくて、よくないことが起こりそうなとき、いたちは「魔かけ」をして、人間に知らせようとすることがあるんだ。(同『いたちの手紙』より)


実際に忌み嫌われるイタチの言い伝えがあって、それは誤解なのだと説いているような文章だ。そんな《いたちの魔かけ》に興味を覚えて、調べてみようと思ったこともあったのだが……当時は、この言葉に関する情報はみつからず、作者の創作なのだろうかと首を傾げていた。佐藤さとるはファンが多いから、『いたちの手紙』を読んで《いたちの魔かけ》という言い伝えが実際にあるのか気になった人もきっと少なからずいたのではないだろうか?
それからだいぶ後になって、《鼬の目陰(まかげ)》という言葉を知って、これが《いたちの魔かけ》の元ネタだったのかと合点がいった。
《目陰(まかげ)》というのは字面から想像がつくように、目の上に手をかざして直射日光をさえぎる──見る時に目に陰を作るしぐさのことだ。イタチが立ち上がってこんなポーズをとるという俗信があるらしい。
『日本史のなかの動物事典』(金子浩昌・小西正泰・佐々木清光・千葉徳爾/東京堂出版/1992年)という本には「飯綱・鼬 いいずな・いたち」という項目があって、《鼬の目陰(まかげ)》についても触れられている。


 イタチはイイズナとはちがって人里近くに棲息し、ネズミ類を捕食して生活する益獣である。しかしながら、その姿が細長で耳が立ち、しばしば後肢と尾を利用して人間のように立ち上がり、短い前肢をかざして相手の様子を観察する。これを「イタチの目陰(まかげ)」といって人間のしぐさによく似ているので、何か魔性のものがのりうつっているかのように感じられて、不吉な予感をもって見られた。『源氏物語』や『源平盛衰記』の中にもすでにこのことが記されており、現在でも山仕事・旅行などの出発時に、イタチが道を横切ることがあると、「イタチの道切り」と呼んで、前途の幸不幸の前兆とみる土地もある。(『日本史のなかの動物事典』P.3)

《いたちの魔かけ》と《鼬の目陰(まかげ)》は響きも似ているし、仕草も似ている。縁起が悪いものとして捉えられていたという部分も合致する。語源は同じと見てよいだろう。
『全国妖怪事典』(千葉幹夫・編/小学館/1995年)では神奈川県(佐藤さとるの地元)のカテゴリーに【イタチ】の項目があり、次のような興味深い記述がある。


イタチ 動物の怪。鼬。イタチはよく後ろ脚で立って振り向いて、人の顔をシゲシゲと見るという。この時眉毛を読まれると騙されるから、鼬に会ったら眉に唾をつけるとよいという(鈴木重光『相州内郷村話』)。(『全国妖怪事典』P.74)

これは《鼬の目陰(まかげ)》のことだろう。このしぐさによってイタチが人の「眉毛を読む」というのが興味深い。「眉毛を見て心を読む」というようなことだろうか? 《鼬の目陰》によってテレパシーが使えるようになるということなら、《いたちの魔かけ》で人とイタチがテレパス状態になるという設定は、まさにピッタリである。
《鼬の目陰(まかげ)》でイタチが眉のあたりに前脚をかざすのには、相手の眉毛を読むことと何か関係があるのかもしれない。
よく怪しげな話を聞かされたとき「眉に唾をつける」とか「眉唾」などと言うが、眉に唾をつけるのは「眉毛を読まれないように」(だまされないように)という言い伝え由来だったとは、この本を読むまで知らなかった。

『いたちの手紙』にでてくる《いたちの魔かけ》が《鼬の目陰(まかげ)》のことだというのは、おそらく間違いないところだろう。これを「イタチが魔法をかけるときの仕草」としてとらえるなら《いたちの魔かけ》という呼び名の方がふさわしい。そう考えた佐藤さとるが《目陰》を《魔かけ》と翻案したのか、あるいは《鼬の目陰》を《いたちの魔かけ》とよぶ地域が実際にあってそれにならったのか……それとも佐藤さとるが《目陰》を《魔かけ》と聞き違えて覚えていたことで、《魔かけ》➡《魔法をかけるしぐさ》という着想につながったのか……そのあたりのことはわからない。
いずれにしても、《鼬の目陰(まかげ)》という言い伝えが『いたちの手紙』の着想もしくはイメージを広げる手がかりになっただろうことは想像できる。


アズキとぎと『霜夜の鼬』
『いたちの手紙』の誕生には、もうひとつ、ある童謡がかかわっているという。作中でイタチが歌う──イタチがアズキをといで赤飯をたくという内容の童謡だ。佐藤さとるが小学2年生の時に1度だけ教わったというウロ覚えの歌詞が作品の中にでてくる。執筆時にはあやふやだった歌詞や失念していたタイトルが、『いたちの手紙』(講談社/1973年)の出版後に判明したことが『佐藤さとるファンタジー全集⑫いたちの手紙』収録の表題作末尾に《付記》として記されている。出版後、作中の歌詞には間違いがあることがわかったが、うろ覚えに覚えていた(間違った)歌詞が、この作品のモチーフであったことから、作品のイメージを大事にしたいという理由で作中の(間違った)歌詞はそのままにしてあるという。
作中のイタチが、勘違いして(?)間違った歌詞で歌っていたとしても、作品としては(整合性に)何ら問題ない。
この《付記》によれば、問題の童謡は野口雨情が作詞した『鼬の小豆磨ぎ』ということになっているのだが……検索してみると『霜夜の鼬』(作詞:野口雨情/作曲:中山晋平)というタイトルでヒットする。


霜夜の鼬
作詞:野口雨情/作曲:中山晋平

霜夜(しもよ)のしのやぶ 霜(しも)でサーラサラ
ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
鼬(いたち)が小豆(あずき)を といだとさ

寒いぞ寒いぞ 霜夜のしのやぶ
ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
鼬が おまんま たくだとさ

小豆を とぎとぎ ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
おまんま たきたき ザツクリ ザツクリシヨ
霜夜のしのやぶ ザツクリ ザツクリシヨ
赤のおまんま 小豆のおまんま
鼬が 小豆を といだとさ


佐藤さとるは歌詞の「イタチがアズキをといで赤飯をたく」という内容から、「赤飯をたく」➡「めでたいことのお祝い」➡「イタチの嫁取り」というストーリーを考えたのだろう。『いたちの手紙』としては合点の行くところだ。
しかし、『いたちの手紙』という作品を離れて『霜夜の鼬』の歌詞を考えると、ちょっと不思議な気もする。捕食性のイタチとアズキ磨ぎにどんな関係があるのだろうか?

実は、人気の無いところでアズキをとぐ音がする──という伝承はよくあり、「アズキトギ(小豆とぎ)」という妖怪のしわざだとされる。これについて『決定版 日本の民話事典』(日本民話の会・編/講談社/2002年)には次のように記されている。


【アズキトギ】
 夜、川べりや橋のたもとなどの水辺の暗いところで、ザクザクとアズキを洗うような音をたてる妖怪です。分布は九州から東北まできわめて広く、その音はほぼきまっています。「アズキとごうか人食おうか、ゴシゴシゴシ」とか、「お米とぎやしょか人とって食いやしょか、ショキショキ」と聞こえると言われています。(P.288)

 アズキトギの正体を、むじなやイタチだとしているところもあります。毛をコシコシこする音だというのです。ガマだという地方もあります。(P.289)

アズキは正月など特定の祝日、神祭りの食べ物として重要視されただけでなく、不祝儀にも用いられました。霊力を持つ食べ物と考えられていたことが、こうした妖怪の背景にあるのかもしれません。(P.289)


アズキトギの正体についてイタチだとする地域がある──野口雨情は、これをヒントに『霜夜の鼬』を書いたのではないか?
この歌詞がどのように生れたのかを想像してみると……《霜柱を踏む音とアズキをとぐ音が似ている》と感じた野口雨情が、《霜夜にアズキをとぐ者がいる》という不思議な状況をイメージし、それではアズキをといでいるのは誰が何のために?(童謡にするには何がふさわしいか)──と想像を膨らませて《(アズキトギの正体とされる)イタチが赤飯をたくため》という解釈を思いついたのではなかろうか──というのが僕の推理するところ。
ちなみに、アズキトギ・アズキアライと呼ばれる妖怪の正体については、イタチやムジナ(アナグマ※これもイタチ科)の他にも、カワウソ(※これもイタチ科)やタヌキ・ガマ(ヒキガエル?)・老婆の妖怪(小豆婆)などの言い伝えがあるようだ。

余談だが……作詞:野口雨情/作曲:中山晋平のコンビといえば、コガネムシを金持ちに見立てた童謡『黄金虫(こがねむし)』も、ちょっと不思議な作品だ。コガネムシが立てた金蔵とはいかなるものか? この作品については描かれているのはコガネムシではなく、チャバネゴキブリだという説がある。ゴキブリ説は色々なメディアで取り上げられいて、ちょっとしたウンチクになっている。しかしこれはヤマトタマムシだという説もあって、僕はタマムシ説を支持している。コガネムシが立てた金蔵(かねぐら)というのは玉虫厨子のことで、野口雨情は玉虫厨子をタマムシ(コガネムシをそう呼ぶ地域がある)の金蔵にみたてて、この作品を書いたのではないかと僕は思っている。「《玉虫厨子》を《タマムシの金蔵》にみたてる」という着想・創作プロセスは「《霜柱を踏む音》を《アズキとぎの音》にみたてる」という着想・創作プロセスと似ている……野口雨情はこうした連想や見立てからイメージをひろげて作品を創作していたのではないか……と思ったりもするのだが……もちろん、これは僕の個人的な想像。作品がどのようにして誕生したのか──何がきっかけ・ヒントになって、どのようなプロセスで作品ができあがっていったのかということには興味があるので、つい、あれこれ想像してしまう。


イタチの目陰(まかげ)帽子!?&いたちマジック
『いたちの手紙』からは離れるが……《目陰(まかげ)》がまぶしい太陽の光をさえぎるためのものだとすれば、帽子のつば(日よけ)が、この役割りを果たしている。つば付き帽子は目陰(まかげ)帽子といってもおかしくはないだろう。とすれば、フェレット(家畜化されたイタチ科の動物)のフィギュアをつばに乗せたフェレット散歩用の帽子は「イタチの目陰(まかげ)帽子」と言えなくもない。
02鼬の目陰帽子
僕が飼っていたフェレットは直立して前脚を額にかざす《魔かけ》こそしなかったが、前脚をかざして僕が握った物を消すというマジックをしていた!?

魔法ではないが……魔法もどき(?)なエピソードは色々あって……イタチ科の動物は迷信が生まれやすかったのではないか……という気がしないでもない。
03鼬漫画迷信編A

04鼬漫画迷信編B


05超魔術鼬C
『ふぇレッツ・ゴー』イタチと迷信!?:編より⬆

『ふぇレッツ・ゴー』超魔術イタチ:編

黄金色のコガネムシ ※童謡『黄金虫』のゴキブリ説&タマムシ説
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