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2017年11月の記事 (1/1)

婚礼ダンスでペア成立:クロスジフユエダシャク

続・《婚礼ダンス(はばたき歩行)》で♀探し

昼行性フユシャク(冬尺蛾)のクロスジフユエダシャクは、オスが《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を舞うことで、落ち葉の裏などに隠れたメスを探し当てる。今シーズンも《婚礼ダンス》を確認したことは先日【クロスジフユエダシャク:冬尺蛾の不思議】で記したが、このとき見つけたメスは木の幹にとまっていた1匹だけ。《婚礼ダンス》もうまく撮れていなかったので、「オスの《婚礼ダンス(はばたき歩行)》でメス探し」~「ペア成立」までの追加観察をしに、雑木林に行ってみた。
林床を低く舞うオスの姿はだいぶ増えていたが、《婚礼ダンス(はばたき歩行)》は、いつどこで始まるのかわからない。散々待たされ、やっと見つけても近づいてフレーミング~ピント合わせをしているうちに終了してしまうことも多い。そして、今回もやはり苦戦した……。

2匹のオスが反応していたが…



少し離れたところで2匹のオスが《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を始めたたので、近づいてカメラを向けたのだが……撮る前に《婚礼ダンス》は終了。オスはすでに落ち葉の陰に姿を消していた。問題の葉の裏側に回り込むとオスの翅が見えてきた↓。


さらに回り込んで落ち葉の裏をのぞきこむと、既にペアが成立していた。


《婚礼ダンス》に注目することで、ここでの交尾を確認することができたが、この静止した状態を見つけるのはまず無理。ちょっと目を離すと周囲の落ち葉に紛れて見失ってしまうので油断ならない。
ペアがとまっていた落ち葉をひっくり返して撮影↓。


クロスジフユエダシャクに限らず、フユシャクのメスは翅が退化して飛ぶことができない。


4匹のオスが反応:《婚礼ダンス》の乱舞



動きがせわしない1匹の♂を目で追っていると、視野に次々と別のオスも入ってきて《婚礼ダンス(はばたき歩行)》が始まった。


複数のオスが狭いエリアで同時に《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を始めることはよくある。どのオスが「当たり」なのか、その時点ではわからないので、被写体の選択&フレーミングにまごつき、ピントもボケがち……。
オスたちが1カ所に集まり、葉の裏にもぐり始めた。すると、大挙して押し掛けたオスたちにあわてたのか、メスが葉の裏から姿をのぞかせた。


すでに交尾は成立していて、あぶれたオスたちも魔法がとかれたように《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を終了。






ペアがもぐりこんだあたりの落ち葉をそっとどけていくと……。


卵が詰まったメスの腹ははちきれそう。伸びきった腹の節の間から卵の緑色が透けている。

単独♂《婚礼ダンス》を撮る間もなくペア成立



1匹のオスが《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を始めたので、近づくが……あっという間にペアが成立していた……。


《婚礼ダンス》で落ち葉の下へ



別の場所で《婚礼ダンス(はばたき歩行)》が始まったので、撮影しようとするが……やはり撮る前にオスは落ち葉の下へもぐり込んでしまった……。葉の下をのぞきこむと、オスが逆さにとまっているのが見える↓。


暗いので上の落ち葉をとりのぞくと、黒っぽいメスの姿も確認できた。


とまっていた葉を裏返して撮影↓。


大きさがわかるように直径20mmの1円玉と──。


《婚礼ダンス(はばたき歩行)》でオスがメスを見つける瞬間



《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を始めたオスを追いながら撮影を開始。メスを見つける直前&ペア成立直後のシーンが撮れた。この2枚の画像↑の撮影間隔は、わずかに10秒。ペア成立はあっという間だ。


オスが羽ばたいている時は目立つが、静止すると落ち葉だらけの背景に溶け込んでしまい、見つけるのは困難。


オスの《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を追っていなければ、こんなシーンを見つけることはできなかったろう。昼行性のクロスジフユエダシャクは、オスを目にする機会が多い──そういった意味ではありふれたフユシャクだが、こうして日中、配偶行動が観察できるという点では貴重な存在という気もする。


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過去からのコメント!? Yahoo!ブログの怪

Yahoo!ブログの怪!?過去からのコメント

Yahoo!ブログでは時々わけのわからない怪現象(不具合)が起こる。
投稿した記事が、なぜかYahoo!ブログ内の検索には反映されない──という現象は頻繁に起きている。迷惑記事対策でNGワードのようなものがあって、それに引っかかるとヒットしない仕組みがあるというハナシもあるようだが……どういう基準でそうなっているのか、それともただのエラーなのか、よくわからない。
いずれにしても、おそらく他の人が投稿した(マトモな)記事も何割かは検索から抜け落ちているだろうことを考えると、ちょっと問題だと思う。

昨日(2017年11月24日)投稿した【クロスジフユエダシャク:冬尺蛾の不思議】という記事もYahoo!ブログ内の検索には出てこないので、「またか……」と思っていたのだが、さらなる不可解な現象を発見した。


Yahoo!ブログの【マイページ】には【あなたがコメントした記事】という欄がある。ブログ主がコメントした記事への「最終コメントの日時(月日 時:分)」が表示されるのだが──、
11月24日に投稿した記事に対する最新コメントが、11月23日になっている。
どうやったら投稿する前日にコメントができるであろうか?
翌日投稿される(まだ投稿されていない)記事の内容を知ってコメントできるのだとしたら大したものだ。
まだ投稿されてない記事を前日の段階で読めてしまうのなら──例えば、競馬の結果を載せた記事なら、翌日行われるレースの勝敗結果も前日に判ってしまうのであろうか?

クロスジフユエダシャク:冬尺蛾の不思議】の記事を開いてみると──、もちろん11月23日付けのコメントなど無い。投稿後のコメントが(この時点では)2つあるだけだ。
いったい、どうしてこんな不思議なコトが起こるのか謎である。


クロスジフユエダシャク:冬尺蛾の不思議

クロスジフユエダシャク:フユシャク(冬尺蛾)の不思議

【フユシャク(冬尺蛾)】と呼ばれる冬にだけ出現し繁殖活動する蛾がいる。昆虫でありながら、外温性(変温)動物が活動するには不向きな冬をわざわざ選んで羽化し繁殖活動するというのだから、初めて知った時は驚いた。また、フユシャクのメスは蛾でありながら翅が退化していて飛ぶことができない。この点にも意外性を感じ、「どうしてそういうことになるのだろう?」と興味を覚えた。フユシャクは国内に35種類ほどいるらしいが、クロスジフユエダシャクもその1つ。フユシャクの中では早い時期(狭山丘陵では11月後半頃から)に出現する種類で、多くのフユシャクが夜行性であるのに対し、クロスジフユエダシャクは昼行性。日中、林床の落ち葉の上を、メスを求めて低く飛ぶオスの姿を見ることができる。
フユシャクが冬に活動する謎については当初、捕食性昆虫やクモ、ヤモリやトカゲなどの天敵が少ない時期に活動するという生存戦略なのだろうと想像して納得していた。メスが飛ぶことをやめたことに関しては、低温の中で卵を抱えた身重なメスが飛ぶのは大変だろうから、出会いのための飛翔は身軽なオスにまかせ、メスは産卵に専念するようになったのではないかと考えた。天敵がいなければ飛んで逃げる必要も無かろうから、飛翔能力がなくても必要な生存率は保てたのだろう……そんなふうに解釈していた。

しかし、クロスジフユエダシャクを観察しているうちに、当初の解釈に疑問がわいてきた。
クロスジフユエダシャクのオスはよく目につくが、その割にメスが少ない……。擬木など、たまたま目立つところにとまっているメスは目にすることがあるが、オスに対する割合は著しく低い。後述の方法でオスを追ってメスを探し当てられるようになると、クロスジフユエダシャク♀は落ち葉の下や物陰に隠れていることが多いことがわかった。飛翔するオスに対して物陰に隠れているメスが目につきにくいのは当然だ。オスが林床に積もった落ち葉の上を低く飛ぶのも、落ち葉の下に隠れているメス(の放つフェロモン)を探してのことだろう。

しかし考えてみると、メスは落ち葉の上に出ていた方がオスに見つけてもらいやすいはずだ──その方がペア成立のチャンスは増え、生存率を高められそうな気がする……にもかかわらず、実際はメスは隠れていることが多い。これはどういうことなのだろう?
オスとの出会いのハードルを上げてまでメスが身をひそめているのは、冬にも活動する天敵──鳥などがいるためではないか? 日中活動する鳥たちによる捕食圧が働くことで、クロスジフユエダシャク♀は隠れて交尾する習性を獲得したのではなかろうかと考えるようになった。
フユシャクの多くが夜行性だということも、昼間活動する鳥を避けるためだと考えれば合点がいく。もし本当に「天敵がいない季節」なのであれば、寒さが緩む日中を選んで活動する種類がもっといてもよさそうな気がする。

クロスジフユエダシャクの《婚礼ダンス(はばたき歩行)》

ということで、クロスジフユエダシャク♀は落ち葉などの陰にひそんでいることが多い。オスは隠れたメスを探し出さなくてはならないわけだが……その手がかりとなるのがメスが放つニオイ物質・フェロモンだ。落ち葉の上を低く飛びながら徘徊しているオスはメスの放つフェロモンをキャッチしようとしているのだろう。
フェロモンをキャッチしたオスはニオイの発生源を求めて飛翔範囲をしぼっていく。そして、このあたりと目星をつけると着地して激しく小刻みに羽ばたきながら歩き回る──これが(カイコガでいう)《婚礼ダンス(はばたき歩行)》だ。フェロモンを感知するのは触角だが、オスははばたくことで前方の空気をセンサーである触角に引き込み、ニオイ物質を嗅ぐ──ヒトがにおいを嗅ぐとき息を吸って鼻腔に空気を引き込むのと同じ。オスは羽ばたきながら向きを変え、ニオイがより強く感じられる方向へ進むことでメスを見つけ出すことができるというわけだ。ちなみにカイゴガではオスの翅を固定したり切除すると(はばたけなくすると)メスを見つけることができなくなるという(※平凡社『アニマ』1980年12月号【カイコガの婚礼ダンス なぜ踊るのか】文・小原嘉明/写真・松香宏隆)。

数年前、路上で轢死したクロスジフユエダシャク♀のまわりにはばたき歩行をするクロスジフユエダシャク♂が集まっているのを見て、クロスジフユエダシャクもカイコガ同様に《婚礼ダンス(はばたき歩行)》によって♀を探し当てているに違いないと思った。
そしてクロスジフユエダシャク♂の《婚礼ダンス(はばたき歩行)》に注目し、それを追うことで、クロスジフユエダシャク♀を見つけることができるのではないかと考えた。
実際に試してみたところ……《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を始めた♂は落ち葉などの物陰に潜り込み、そこで♀と交尾する姿を確認することができた。

恒例の!?《婚礼ダンス》で♀探し

ということで、クロスジフユエダシャクが発生する頃になると、《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を追ってペアを確認してみたくなる。今シーズンは11月中頃に初めて飛翔する♂の姿を目にしている。まだ個体数は少なめだが、《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を観察しに雑木林に出かけてみた。


飛んでいるクロスジフユエダシャク♂がまだ少ない。発生初期で成虫の数自体が少ないこともあるのだろうが、(まだ)メスが少ないことで飛んでいるオスも少ないのだろう。閑散とした林床に、たまにオスが単独~3匹程度あてもなくさまよい飛ぶていど。これまでの観察では、メスにフェロモンを放つ時間帯やタイミングがあるのか──オスがたくさん飛んでいても《婚礼ダンス》が始まらないときは何も起こらない。《婚礼ダンス》は突然始まり、同時に複数のオスが反応することもある。ペアが成立するとフェロモンはシャットダウンするのか、周囲のあぶれたオスは何事もなかったかのように飛び去って行く。
この日はオスがあまり飛ばず、葉の上で翅を休めている時間が多かった。




と、1匹の♂が落ち葉の上を飛んできた。目で追っていると、そのオスはコナラの幹の近くで落ち葉を離れ高度を上げ始めた。探査飛行を打ち切ったのかとあきらめたかけたが、コナラの幹にまとわるような飛び方をし、幹にとまると《婚礼ダンス(はばたき歩行)》を始めた。


《婚礼ダンス(はばたき歩行)》は何度も見ているので、すぐにそれとわかる。♀の存在を確信し、はばたき歩行で幹の裏側に回り込むオスを追って行くと──果たして今シーズン発のクロスジフユエダシャク♀の姿があった。


《婚礼ダンス(はばたき歩行)》はいつも突然始まり交尾に至るまでが早いので、その様子を撮ろうとしてもブレたりボケたりしがちで……今回もヒドイ画像だが……とりあえず状況の記録ということで。オスは難なくメスをみつけそのまま交尾に至った。


オスは普通の蛾にみえるが、翅が退化したメスはまるで違った印象──とても同じ種類には見えない。オスはこのあと少し位置を変える。
今回、メスは落ち葉の下ではなく比較的目立つ幹上にとまっていた。しかし、低空を飛びながら、幹の裏側にとまっていたメスのフェロモンを察知したオスはアッパレ。どんなところにいたかというと──、


冬の風物詩フユシャクと夏の風物詩セミ──ニイニイゼミの抜け殻とのコラボ・ショットということで。




とりあえず、今季も《婚礼ダンス》を見ることができた。

フユシャク以外の虫



ワイヤーフェンスにとまっていたフトハサミツノカメムシ♂↑は、枯葉のようないろになっていた。ちなみに9月に撮った個体はきれいな緑色↓。


(※↑【フトハサミツノカメムシの歯状突起&臭腺開口部】より)
ガードパイプにとまっていたウシカメムシの幼虫↓。


擬木にとまっていたビジョオニグモ↓。人面模様の虫は、つい撮ってしまう。


フユシャクの季節が始まったが……まだ活動している捕食性昆虫もいないではない。サクラの枝で食事中のヨコヅナサシガメ幼虫↓。




『赤いカブトムシ』読書感想



『赤いカブトムシ』那須正幹・作/かみや しん・絵:感想

最近、某虫屋さんの日記で、『ズッコケ三人組』シリーズで有名な那須正幹氏が昆虫採集をモチーフにした作品を書いていたことを知った。25年も前に発行された本だが、図書館にあったので借りて読んでみたところ、いろいろ思うところがあった。昔、『ズッコケ三人組』シリーズはいくつか読んでいるはずだが……印象の強さで言うと『赤いカブトムシ』の方が断然勝っている。ちょっと複雑な味わいの作品だったので、感想を記しておくことにした(※ネタバレ含む)。

「おもしろかった?」「好きな作品?」と聞かれたら即答に困る作品だ。一言でくくるのは難しいのだが……僕の場合「何度も読み返してみたくなる作品」だったとは言える。
単純に「面白かった」「楽しかった」といえる作品の中には、一度読めばそれで満足──改めて読み返そうとは思わないものも少なくない。
一方、「面白かった」「楽しかった」というには引っかかるものの、この割り切れなさ(もやもや感?)が気になって(それを解消すべく?)何度も読み返してしまう作品というのもある。『赤いカブトムシ』はそんな作品だった。

表紙には「昆虫採集の楽しさをおしえます」と記されているのだが、読み終えて感じるのは「楽しいはずの昆虫採集が……どうして、こんなことに」──という憂鬱な気持ち──それが大方の読者が抱く感想ではないかと思う。
「昆虫採集の楽しさ」が描かれていないとはいわないが、終盤の破滅的な展開の印象があまりに強い。
「昆虫採集にハマった少年──その虫への情念が招いた取り返しのつかない過ち」という点で、へルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』を想起させる。

この作品は次のように始まる──(青文字は本文の引用)。

 南原茂のしゅみが、昆虫採集ときくと、五年一組のクラスメートたちは、たいていまゆをひそめる。
「昆虫採集って、ムシをころしてピンでとめてしまう、あれでしょ。ざんこくだなぁ。」とか、
「昆虫採集は、自然破壊なんだぜ。自然の生き物をたいせつにしよう。」
 はなはだひょうばんがわるい。そのたびに茂は、
「昆虫採集は、理科の勉強になるんだ。昆虫の名まえをしらべたり。きちんと標本にしたり……」
 けっしておもしろ半分にころしているわけじゃないことを、力説する。
 あるいは、
「東京にトンボがいなくなったのは、子どもたちがトンボとりにねっちゅうしたためではない。トンボに無関心なおとなたちが、トンボの住めない町にしてしまったからだ。」
という、有名な昆虫学者のことばを引用して、昆虫採集が、自然破壊につながらないこと、むしろ昆虫にきょうみをもてば、かえって自然をたいせつにする心がやしなわれるのだと、反論してきた。
 もっとも、茂のしゃべっていることは、みんな伸一郎兄ちゃんの受け売りだった。
 伸一郎兄ちゃんは、いま高校二年生だけど、中学のころから昆虫採集にねっちゅうして、いまでは、五百種類ものチョウの標本をあつめている。
 茂の昆虫採集も、じつは伸一郎兄ちゃんのえいきょうなのだ。


この物語は、昆虫採集に対する偏見的風潮(?)に対して、主人公・茂が受け売りの知識で弁明するエピソードからスタートする。いきなり昆虫採集に対するアンチテーゼが提示された形だ。
茂が昆虫採集を始めたのは2年生の頃。兄の手ほどきをうけながら昆虫について学び、夏休みには30種類のチョウの標本を作って学校に持って行くが(自由研究?)、それを見た担任は、おざなりに褒めた後に、こんなことを言う──、

「でも、チョウチョは、生きているときのほうが、もっとすてきよねえ。来年は、花にとまっているところをスケッチしたら、どうかしら。」

言外に茂の努力(昆虫採集)を否定する発言だ。「イヤな先生だなぁ……でも、こんな(昆虫採集に無理解な)先生は、いそうだなぁ」と感じ、茂が不憫になってしまった。4年生の時にも似たような事があり、5年生になると担任が「虫が苦手」だというので、茂は夏休みの自由研究に標本を学校に持って行くのをためらっていた。

先生やクラスメートには評判が悪い昆虫採集──そうした偏見的風潮(?)・アンチテーゼに対し、茂は(作者は)この物語の中で、どのように昆虫採集の意義や楽しさを説いていくのだろう?──読者の中にはそんな視点(テーマ)が示されたのではないかと思う。僕も茂の巻き返しに期待しながら読み進んだ。

茂は兄・伸一郎の指導を受けながら昆虫の生態や捕り方、標本の作り方を学んでいく。知らなかったが、作者の那須正幹氏も虫屋だったらしく、実体験に基づいているためだろう、描かれる世界には実感があって内容も充実している。
最初は兄を真似てチョウを採っていた茂だが、甲虫類を集めるようになって、昆虫採集がさらに楽しくなり、地道な活動を続けて行く。

物語が大きく動き出すのは5年生の夏休み最後の日──茂は鮮やかな赤色のオスのカブトムシを発見する。見たことも聞いたことも無い「赤いカブトムシ」……これが新種なら大発見だ。虫に発見した茂の名前がつくかもしれない──そんな夢が広がり期待が高まる。珍しい赤いカブトムシは兄の伸一郎を通して高校の生物部の先生(昆虫の専門家)へ、新種の可能性があるということで大学の研究室へと渡って詳しく調べられることになる。そしてこの件で、茂が通う小学校には新聞記者が取材にやって来た。

赤いカブトムシの発見者ということで、茂は担任とともに校長室で新聞記者のインタビューを受ける。担任は実は茂の標本を1度も見たことがない「虫が苦手」な先生なのだが……「教師としても、子どもたちが自然に興味を持つ事は喜ばしいことなので、できるだけ応援しています」などと答え、校長先生に至っては「南原くんの大発見も、(児童の個性を伸ばすことをモットーとする)我が校の教育の成果でしょうな」と学校の手柄であるかのように大喜び。
茂はたちまち有名人になって、それまで「残酷だ」「自然破壊だ」と言っていたクラスメートたちも手のひらを返したように茂を賞賛し始める。

昆虫採集に批判的だった先生やクラスメートたちの「鼻を明かした」感もある展開だが、彼等が茂に対する評価を一転させたのは、「昆虫採集の意義」をきちんと理解したからではないだろう。単に「新聞に載るなんてスゴイなぁ!」というレベルの賞賛であって、いい加減さを感じる部分でもある。冒頭のアンチテーゼが解消したわけではないだろうことを考えると、手放しで喜べず、スッキリしないものが残る。
こうして「赤いカブトムシの発見」で、クラスメートたちの茂を見る目は変わったが、一方、茂の中でも、昆虫採集へのとりくみに変化が生まれる。

結局、茂が発見した赤いカブトムシは、(ふつうの)カブトムシの色彩変異個体ということに落ち着く。しかし、「あと1、2頭、せめてメスが採集できたら、新種として登録できると思う」という専門家の言葉に茂は「新種・ナンバラベニカブト(?)」への期待をつないでいた。6年生の夏になると、これまでのような活動スタイルを捨て、赤いカブトムシに絞って、発見場所へ通うようになる。自分以外の者に発見をさらわれることを怖れ、半ば強迫観念にかられたように2匹目の赤いカブトムシの出現を待ち続ける。

しかし見つかるのは普通のカブトムシばかり……。成果が得られないまま夏休みも終わろうとしていたとき、茂はふとした思いつきで、普通のカブトムシに赤いラッカーを吹き付けて、本物の赤いカブトムシの標本と比べてみた。一見そっくりに仕上がったニセの赤いカブトムシを眺めているうちに、もしこの赤いオスとメスのカブトムシを大学の先生に見せたら……と「ナンバラベニカブト」の誕生を想像する。もちろん、そんなインチキが通用するはずかないことは茂にもわかっていたが、塗装カブトムシの出来映えが良かったので、兄の伸一郎をからかってやろうと思い立つ。塾から帰った伸一郎に「赤いカブトムシを捕まえた」と話すと、狙いどおり兄を驚かすことはできた。が、これで新種として発表できると舞い上がった伸一郎は、茂が種明かしをする前に生物部の先生に電話をかけ報告してしまう。予想外の急展開と、喜んでくれている兄の姿を見て、茂は本当のことを切り出せなくなってしまうのだった。
兄は喜び勇んでニセの赤いカブトムシを先生に見せに行ってしまい……当然、インチキはバレることになる。

「おまえ、自分のやったこと、わかっているのか。」
 兄ちゃんのひくい声が、茂の耳をうつ。
「あんなイカサマが、とおると思ったのか。」
 兄ちゃんの声が、だんだん高くなってきた。
「おれが、先生のまえで、どれだけはずかしい思いしたか、おまえ、わかるのかよ。」
 兄ちゃんが、ふいに立ちあがったと思ったら、右手が大きくうごいた。茂のほっぺたに、するどい痛みがはしった。
「どうしたのよ。」
 母さんがびっくりした顔つきで、おくからでてきた。
「どうも、こうもあるもんか。こいつ、ふつうのカブトムシに、赤いラッカーをぬって、ごまかしてたんだ。」

(中略)

「それじゃあ、茂が去年つかまえた、あの赤いカブトムシも、あれも、おまえが色をぬったっていうの。」
 母さんが、おろおろしたような声をあげた。
「ちがうよ。あれは、ほんとの赤いカブトムシだったんだ。あれは、色をぬったんじゃないよ。」
 茂は、ひっしでさけんだ。
「ふん、わかるもんか。いいか、茂。おまえがこれから、どんなめずらしい昆虫をつかまえたって、もう、だれも信じちゃあくれないからな。兄ちゃんだって、ぜったい信じないから、そのつもりでいろよ。」


伸一郎が怒るのも無理はないだろう。そのつもりは無かったとしても、茂のやったことは「捏造」だ。兄への裏切り行為でもある。これまでめんどうをみ、応援してきた弟が、まさか新種発見の手柄欲しさに「捏造」に手を染めるとは……赤いカブトムシが偽物だと知った時の兄の心情は察するに余りある。

新種発見の夢にとりつかれ、道をあやまって、それまで地道に築いてきた功績や信頼まで失ってしまう……この重い展開に、脳裏に浮かんだのは、世間を騒がした研究不正事件やスクープ捏造事件の問題だった。

注目され期待されていた研究者や記者が、都合の良い成果を急ぐあまりに、データを捏造して取りつくろってしまう……そんな研究不正やスクープ捏造は、これまで度々報道されてきた。研究者や記者は一時脚光を浴びるが……やがて不正が発覚して、栄光から転落。一転して厳しい批判にさらされる──そんなことが世の中では時々起こる。
「どうして、そんなバカなこと(捏造)をしてしまったのか」と、いつも思うのだが、捏造は必ずしも最初から詐欺的意図を持って仕組まれるものでもないようだ。ちょっとした過ちを適切に正す機会を失ってしまったことから後戻りできなくなって誤った道を突き進むしかなくなるケースも少ないのではないかと思っている。
茂の場合は、兄が偽物の赤いカブトムシを持って行く前に本当のことを打ち明けていれば、こんな大げさな事にはならなかった。なのに、過ちを正す機会を逸してしまったことで捏造事件へと転落して行くはめになった。

敬愛する兄に激しく叱責され、いたたまれなくなって家を飛び出した茂は、去年赤いカブトムシをみつけた木のところにやってきていた。そして後悔にさいなまれ失意のどん底にいるときに、まさかの赤いカブトムシを目にしたのだった。

 地上から二メートルくらいの幹に、あざやかな赤い色をした生き物が三つ、たがいにあたまをつきあわせてとまっていた。中の一つは、りっぱなつのをもち、あとの二つは、つののないあたまを木の皮にこすりつけるようにしている。
 まぎれもない、あの赤いカブトムシだった。
 あざやかな、赤いからだを、おしげもなく昼間の太陽にさらしながら、三頭のカブトムシは、クヌギの幹の上を、じりじりとうごきまわっている。その高さは、茂が、ちょっと背のびをすれば、とどきそうでもあり、そうでないようでもあった。


──という文章で、この物語は終わる。
なんと皮肉なタイミングでの発見だろうか。探し求めていた時には見つけることができなかった、(新種登録に必要な追加分の)赤いカブトムシが、《おまえがこれから、どんなめずらしい昆虫をつかまえたって、もう、だれも信じちゃあくれないからな》と兄に言い渡された直後に現れるとは……。

いったい、この赤いカブトムシはどうなるのだろう?(捕獲され新種誕生となるのか?) 茂はどうするのだろう?(待ちわびたチャンスをものできたのだろうか?)──読者としては気になるところだが、そうした思いをシャットアウトするかのように物語は終わっている。
なんとも唐突感のある幕切れだが、おそらくこれは「目の前の栄光──手が届きそうで届かなかった(?)夢」を象徴するシーンとして意図したものだろう。

さて、それではこの物語を読み終えた読者の心には何が残るだろう?
「茂にとって昆虫採集とは何だったのか?」──という「もやもや感」ではないだろうか。
昆虫採集にハマったがために、こんな破滅的な結末を迎えることになってしまったわけだから、「昆虫採集の楽しさをおしえます」という表紙の文章とはかけ離れた印象を抱くはずだ。

また僕はこの物語を「周囲の偏見に対して、茂が昆虫採集の意義をどう説いていくのだろう」と思って(期待して)読んでいたので、冒頭のアンチテーゼに対する答えが描かれないまま終わってしまったことにも唐突感を覚えた。
「昆虫採集の意義」については冒頭の「受け売り」発言と、「あとがき」の最後に作者の言葉として簡単に触れられているだけ──《作品の中でも書いたように、子どもが虫を捕りすぎるために、自然界から虫がいなくなるとは、まず考えられないことなのです。むしろ子ども時代、昆虫採集を楽しむことで、かえって自然に関心をもち、ほんとうの意味の自然保護の心を育てるのではないでしょうか》。このテーマに関しては消化不良の感が否めない。

僕の心にひっかかったのは、新種発見の夢を追うようになってから、茂の昆虫採集が変わっていったことだ。赤いカブトムシに出会い、新種発見の夢に胸をおどらせる茂だったが、その夢を追い続けていくうちに、それは執念へと変容していき、楽しかった昆虫採集が、焦りや失望・切迫感をともなうものに変質していく……。当初、胸をときめかせた赤いカブトムシは疫病神だったのか?
もちろん、昆虫採集をしていて未知の昆虫を見つけたら、夢中になるのは判る。昆虫少年なら誰でもそうなるだろう。新種発見に限らず、これまで知られていなかった知見をスクープしたいという野望(大志?)を抱くこともあるだろう。それは悪いことではない。ただ、一心不乱に夢を追い、のめり込んでいくとき、夢に溺れてしまうこともある──《情念》のはかなさ・危うさのようなものを感じないでもない。

終盤の展開で、僕は、過去にあった研究不正事件やスクープ捏造の報道を思い浮かべたが、「一途な情念の落とし穴」とでも言ったらいいだろうか?──そんなテーマを内包している物語でもあるように感じた。
「情念がらみの、悔やんでも悔やみきれない過ち」を描いたという点では味わい深いところがなくもないのだが……本作ではそのあたりのテーマには踏み込んでいない点に物足りなさを感じている。

終盤のあやまちを機に、茂が自分の昆虫採集を見つめなおし、その意義や目的を茂なりに見いだすところまで描けていれば、読後感も変わっていたのではないかという気がする。意図したわけではないが捏造という大きな過ちを犯してしまったのだから、内省的な掘り下げや総括があって良かったのではないか。


ところで、この物語はどのように発想されたのだろう?
発端は、表紙にあった通り、「昆虫採集の楽しさをおしえます」というコンセプトで描くつもりでいたのではないかという気がする。作者が虫屋であったことを考えると、昆虫採集に批判的な風潮が出てきたことに対して、「昆虫採集とはどんなものか」その楽しさや意義を伝える作品を描きたいと言う気持ちはあったに違いない。実際、捏造事件の前までは、昆虫採集の様子がいきいきと描かれていて読んでいてもおもしろい。

しかし、昆虫採集のノウハウを列挙するだけでは、物語としては弱い。そこで昆虫少年が憧れがちな「新種発見」をからめたストーリーを考えたのではないだろうか。
といっても、あっさり新種が見つかってめでたしめでたしでは盛り上がりに欠ける。何か読者の予想を超える意外な展開や、葛藤が発生するエピソードはないかと頭をひねり、「夢が実現する直前の捏造事件」という着想を得たのではないか……主人公にその気はなかったのだが……ちょっとした悪戯が捏造に発展してしまったという展開。これなら意外性もあるし緊迫感が生まれる──着想としては悪くない。
本当のところは作者にしかわからないことだが、本作のストーリーはそんな形でできあがったのではないかと想像する。


かみや しん氏による挿絵については──、作中に登場する昆虫はもちろん、本文に書かれていない昆虫採集の道具や使い方なども描かれていて、「雰囲気」をよく伝えている。
が……描かれた昆虫の中で、ルリボシカミキリには不可解な点があった。この本を紹介していた某虫屋さんの日記で指摘されていたことだが──美しいブルーが魅力のルリボシカミキリに、なぜか、「ねずみ色」とわざわざ記されているのだ。


某虫屋さんは(退色した)古い標本を見て描いたのだろうと推察していたが、本になるまで作者は挿絵を見ていなかったのだろう(画家さんが古い標本を見て描き、編集者もルリボシカミキリの本当の色を知らないまま本が作られた?)。
もしも、ルリボシカミキリがねずみ色であったなら……「青色のルリボシカミキリ」を見つけた者は「赤いカブトムシ」を見つけた茂のようにハイテンションになるのではなかろうか……そんなことを想像してしまった。
僕が読んだ本は初版だったのだが、重版になった時点で修正されているのだろうか? 検索してみると『赤いカブトムシ』は2007年に見山博氏の挿絵で版を変えて出版されている。そこにルリボシカミキリの挿絵があるかどうかは知らないが、「ねずみ色のルリボシカミキリ」は無いはずだ。


強風に耐えるウスタビガ

ウスタビガin強風:4つの眼状紋は透明



強風にあおられ翅をヒラつかせながら、飛ばされまいと懸命に支柱にしがみついているウスタビガがいた。風がやわらぐ瞬間を狙って撮った画像↓。


大きくて(開張:75~110mm)美しい蛾。4枚の翅それぞれに1つずつ眼状紋(目玉模様)がついているが、この4つの眼状紋は丸窓のように透けているのがよくわかる。


風にほんろうされるウスタビガ。




この画像↑では右前翅の眼状紋でない部分も鱗粉が剥げかけているのか(?)若干透けているようにも見える。オオスカシバのように、翅の地色は透明で、眼状紋以外の部分が鱗粉で塗装(?)されているということなのだろうか?
だとすれば《眼状紋が透明》というより、《(透明な翅の)眼状紋以外の部分が(鱗粉で)着色》なのかもしれない?

ウスタビガの繭は美しくてユニーク



冬になると、葉を落として裸になった枝先に鮮やかな緑色が目立つウスタビガの繭↑(昨年12月に撮影)。繭が作られる6月頃には、緑色の葉に紛れて隠蔽されている。羽化は晩秋なので、冬に見られる繭は本来もぬけの殻(寄生蜂が入っていることもある)。羽化した母蛾が卵を産みつけていることもある。


繭の上部はガマグチのように開閉するつくりになっているため、羽化のさいに繭を壊さずに成虫が脱出できる。なので羽化後も繭の形はきれいなまま保たれている。繭の底には孔(雨水の排出孔?)が開いて、なかなかこった作りになっている。
ちなみに、セミヤドリガの繭も同じようなガマグチ構造で、左右から押すと口が開く。




(※【セミヤドリガの繭と蛹】より再掲載↑)
セミヤドリガは繭から蛹がせり出して羽化するが、ウスタビガでは蛹(抜け殻)は繭の中に残される(繭からは羽化した成虫がでてくる)。
ウスタビガ繭の密度が高い木↓。


(※【メダカチビカワゴミムシの最後っ屁ほか】より再掲載↑)

ウスタビガは幼虫も美しくてユニーク



緑の体に青い突起が美しいウスタビガの幼虫。




(※【メダカチビカワゴミムシの最後っ屁ほか】より再掲載↑)
幼虫は触れるとチーチーとネズミの鳴き声のような音をだす。敵をひるます威嚇のような効果でもあるのだろうか? 幼虫もちょっと面白くて魅力的。

紅葉モードのセアカツノカメムシ他

紅葉モードのセアカツノカメムシと臭腺開口部



ワイヤーフェンスの上部にとまっていたセアカツノカメムシ成虫♀は紅葉したかのように赤っぽくなっていた。本来はもっと緑色をしている──ということで、比較用に6月に撮影したセアカツノカメムシ成虫の♂と♀↓。


ワイヤーフェンスの上部にとまっていたセアカツノカメムシ成虫♀を腹面が見える角度で撮ってみると……、


ニオイ(カメムシ臭)物質を分泌する臭腺開口部(開孔部)は、成虫では中脚と後脚の付け根ふきん──後胸腹面に1対(2個)開口している。


成虫では胸の腹面に1対(2個)ある臭腺開口部(開孔部)だが、幼虫では腹部背面に3対(6個)開口している。7月に撮影したセアカツノカメムシ幼虫↓。


カメムシ幼虫の臭腺開口部(背板腺)は科によって位置や数に違いがあるが、ツノカメムシ科の種はキンカメムシ科と同じ──第4・5・6番目の体節の背中に各1対=計6個)開口している。アカスジキンカメムシ幼虫の臭腺開口部に比べると判りやすい。

最近目にした虫から



やはりワイヤーフェンスの上部にとまっていたハサミツノカメムシ成虫♂↑。あざやかな緑色をキープしていた。


ワイヤーフェンス支柱のトップにとまっていたモンキツノカメムシ↑。
そして、よく似たエサキモンキツノカメムシ↓。


モンキツノカメムシとエサキモンキツノカメムシは、紋の形が違うとされているが、まぎらわしい個体もいる(*)。
ワイヤーフェンスの上部には、ウバタマムシの姿も↓。


ウバタマムシはホストのマツでも見られる。






↑と同じ個体↓。


松の枝先を見ていくと、ウシカメムシの幼虫がとまっていた↓。


今シーズンはカメムシが多いという報道があったが、ウシカメムシ幼虫を見かける機会も今年は多めかも? 別個体↓。


ちょっとキレイなウスミドリナミシャク(蛾)↓。


10月にも何度か見かけていたウスミドリナミシャク。ホストはイヌマキらしいが、僕が見たウスミドリナミシャクはいずれもサクラの幹にとまっていた。


擬木の上にいたコブハサミムシ。ハサミムシは時々見かけるが、虫見を始める前は飛翔できる種類がいるとは思わなかった。(ハサミムシにしては)立派な翅が目立つコブハサミムシは飛ぶことができるそうな。コブハサミムシにはユニークな習性があって、それについて、Ohrwurmさんがブログで興味深い話を記されている↓。




擬木の上にいた人面蜘蛛的ビジョオニグモの♀↑。晩秋に時々見かける。
晩秋に見かけるといえば、この蛾もお馴染み↓。


ニトベエダシャクが見られるようになったので、ぼちぼちフユシャクも出てくるだろう。


アカスジキンカメムシ幼虫の臭腺開口部

越冬前のアカスジキンカメムシ



トウカエデの林の幹上にアカスジキンカメムシの終齢(5齢)幼虫を見るようになった。すっかりおなじみの昆虫になったアカスジキンカメムシだが、初めてこの虫を見たのは虫見を始める前──この場所でだった。ここは当時飼っていたフェレットの散歩コースの一部で、時期もやはり今くらいだったように思う──フェレットの散歩中にトウカエデの幹を歩く黒と白の風変わりな終齢幼虫を見つけ、丸みのある体つきから「テントウムシの仲間だろうか?」などと思った記憶がある(後にカメムシの幼虫だと知る)。
黄葉・落葉の時期になると吸汁がままならなくなるとか足場(葉)が失われるため枝先を離れるのだろうか? あるいは葉と一緒に落ちてきた個体が木に戻るためか、はたまた越冬準備のために降りてくるのか……いずれにしても、この時期になると、幹の根元付近でこの虫を目にする機会が増える。


トウカエデの林の中にあるアメリカスズカケノキの幹にもアカスジキンカメムシの終齢(5齢)幼虫の姿が。「カメムシ」と言えばまず思い浮かぶのが「悪臭(カメムシ臭)」。子どもの頃に読んだ本には「カメムシは臭いニオイを胸(腹面)からだす」というようなことが記されていて、僕はずっとそう思っていた。ところが、散歩中のフェレットが地面に降りていたアカスジキンカメムシ幼虫の「背中」を2度踏みつけて足の裏がカメムシ臭くなるというアクシデントが発生。調べてみると「カメムシ臭を胸(腹面)から出すのは成虫で、カメムシの幼虫は背中(腹の背面)から出す」らしい。それならば幼虫の「背中」を踏んで足が臭くなったのも説明がつく。このエピソードは【フェレット漫画:最後っ屁対決!?】にも記した。


トウカエデの幹にとまっていたアカスジキンカメムシ4齢幼虫↑──背中のもようが終齢(5齢)幼虫とは少し違う。この個体は白い部分が狭いのでまだ4齢になってあまり時間が経っていないのだろう(白い部分は成長とともに広がる)。越冬前にあと1回脱皮するのだろうか。
アカスジキンカメムシは終齢(5齢)幼虫で越冬するとされているが、冬に4齢以前の幼虫や成虫を見ることもある。終齢(5齢)幼虫以外は皆冬を越せずに死んでしまうのか、あるいはその一部は冬を乗り切ることができるのか……興味のあるところ。
ちなみに、成虫は地味な幼虫と違って鮮やか。今年5月に撮影した画像↓。


アカスジキンカメムシは成虫も幼虫も、背中の模様が顔に見えておもしろい。


アカスジキンカメムシの臭腺開口部(開孔部)

『カメムシ おもしろ生態と上手なつきあい方』(野澤雅美・著/農山漁村文化協会・刊/2016年)によると──カメムシの臭腺は成虫では胸の腹面に開口しているため「後胸腺」とも呼ばれ、幼虫は背面に開口しているので「背板腺」とも呼ばれるそうな。「背板腺」の開口部の位置や数は科によって違いがあるそうで、キンカメムシ科では第4・5・6番目の体節の背中に各一対あわせて6個開口しているという。
「カメムシは悪臭を放つ」ということは子どもの頃から知っていたが、じっさいにどの部分から発するのかは確認したことが無かった……ということで、アカスジキンカメムシの臭腺開口部(開孔部)をチェックしてみたときの画像がこれ↓。


アカスジキンカメムシの臭腺開口部】より再掲載。成虫の開口部はすぐに判ったが、幼虫ではちょっと判りにくかった……。


アカスジキンカメムシの幼虫では該当部分周辺が黒っぽく、点刻が散らばっているので、開孔部の位置がわかりづらい。
ちなみに、この個体↑(終齢幼虫)は白い模様部分が広いので羽化間近と思われる。幼虫の黒っぽい模様部分は脱皮後ほとんど成長しないようだが、白い部分は成長にともなって広がる──だから脱皮直後は白い模様が狭く、脱皮(もしくは羽化)直前の幼虫では広いということになる。
この画像↑を撮って以降、アカスジキンカメムシ幼虫の臭腺開口部(開孔部)は撮りづらいとあきらめていたのだが……先日ふと羽化後の抜け殻で確かめられないかと思い立った。


これ↑は5月に《抜け殻落とし》を観察したさいに、羽化後の成虫によって落とされた抜け殻。拾って保管(放置)していたものだが、回収時とほとんど変わっていなかった。この抜け殻で臭腺開口部(開孔部)を確かめてみることに。


幼虫の黒っぽい部分は鈍い金属光沢を放っている──この組織は硬く、脱皮後ほとんど成長しない。幼虫時代に白かった部分は抜け殻では半透明の膜であることがわかる。羽化直前には広がっていたのに羽化後は縮んで狭くなっている──黒く硬い部分と違って伸縮性のある組織のようだ。
さて、問題の臭腺開口部(開孔部)だが……やはり周辺がテカって判りづらい……。そこで──、


──ということで、下からの光をあてて表面のテカリを抑えて撮影したものが↓。


矢印の部分がアカスジキンカメムシ幼虫の臭腺(背板腺)開口部(開孔部)と思われる。


画像は腹部背面の右側を写したものだが、これが左側にもあって3対で計6つ開口していることになる。

11月に入って見かけた昆虫から



アカスジキンカメムシ幼虫がいたトウカエデの林でみかけたハロビロカマキリ。緑色の個体が多いが、黄褐色のハラビロカマキリもいる。


ハラビロカマキリというと「緑色」というイメージがあったので、初めて黄褐色の個体を見た時は珍しく感じたが、狭山丘陵ではしばしば目にする。


ニホントビナナフシの成虫♀↑。この虫も「緑色」の印象が強いが、まれに黄色いトビナナフシが見つかることもある。


欄干の上にいたキボシカミキリは、左中脚が途中で欠けていた。このカミキリは意外に遅くまで活動しているようで、狭山丘陵では12月に入ってもたまに見かける。年を越して1月にも2度ほど確認したことがあり、僕が見た一番遅かった記録は1月17日だった。
意外に遅くまで見られる大型甲虫類といえば──↓。


狭山丘陵周辺では1月から12月まで全ての月で成虫を確認している。ウバタマムシ日本のレッドデータ検索システムで見ると、東京都では「絶滅危惧Ⅰ類」・埼玉県では「準絶滅危惧種」ということになっているが、目にする頻度はさほど少なくはないし、出会うポイントもあちこち……限定的というわけでもない。個人的にはむしろ増えてきているのではないか……という気がしないでもない。
オールシーズン(?)のウバタマムシに対して、旬の昆虫──晩秋の蛾・ケンモンミドリキリガ↓。


美しい蛾で、擬木にとまっていると目立つが、適切なところ(?)にとまっていたら地衣類に紛れてボディラインが隠蔽されそうなデザインにも見える。