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2016年09月の記事 (1/1)

ヘビの抜け殻&アオダイショウ幼蛇

ヘビの抜け殻&脱皮主のアオダイショウ幼蛇

前記事の石垣でヒガシニホントカゲハリサシガメを撮っていたところ、まだ新しいヘビの抜け殻を見つけた。


セミの抜け殻などは成虫が脱出するさいに背中が裂けているが、ヘビの抜け殻は全体がほとんど無傷で残っていることがある。この抜け殻は残念ながら(?)途中で切れていたが、すぐ近くに残りがあった。


実はこの↑抜け殻の近くに脱皮主と思しきアオダイショウ幼蛇がいたのだが、カメラを近づけると石垣の奥に隠れてしまい、抜け殻との2ショットは撮ることができなかった……。
しかし、しばらくすると近くの石垣の隙間から現れた。




アオダイショウの幼蛇は成体とは違った模様や体色をしているので、一見別種のヘビに見える。幼蛇のはしご模様が、マムシの銭形模様に間違えられるらしく、しばしばマムシと誤認されている。マムシの瞳孔はネコのように縦長だがアオダイショウの瞳孔は丸い。


ヘビは二股に分かれた舌をよく出し入れする。これは舌で集めた空気中の化学物質を口蓋にある一対のヤコブソン器官(嗅覚器官)へ運んでニオイを感知するため。


ヘビは手足がないのに実にスムーズに移動することができる。くねらせた体の要所要所で体を押し当て一定方向(頭の方向)に体を滑らせ続けることで前進できる。下から上への移動も滑るように(実際に滑らせて)自由自在。
ちなみに幼蛇とはずいぶん印象が違うアオダイショウの成体↓。


アオダイショウの幼蛇と成体ではなぜ模様が違うのかふしぎなところだが……以前、これについて考えてみたことがある→【幼蛇と成体・模様が異なる理由:アオダイショウ

ヘビの抜け殻はヘビ本体よりも長くなる

ヘビは体をくねらせて一定方向(頭の方向)に滑る(進む)ことができるが、滑る方向を決めているのが腹板と呼ばれる幅の広いウロコだ。今回の抜け殻で見てみると↓。


腹板はヘビの腹側(つまり地面などと接する部分)の幅の広いウロコ。継ぎ目が前の腹板の下に重ねられているので、頭方向へは抵抗なくスムーズに滑るが、尾方向には腹板の後縁がひっかかってブレーキとなる。つまり腹板が逆進防止のストッパーの役割りをはたしている。
抜け殻の頭を見ると、眼をおおっていた透明なウロコもいっしょに脱皮しているのがわかる↓。


半透明のウロコ(体鱗)の間に見える白っぽい部分は、普段ウロコの下にたたまれている皮膚で、大きな獲物を呑み込んだときなどに拡張する。脱皮のさいには、このウロコの下にたたまれている皮膚も伸ばされていくことになり、そのため抜け殻はヘビ本体よりも長くなる。


ヘビの脱皮は鼻先から始まり、頭をおおっていた古い表皮がめくれ上がり、パーカーのフードをはねあげたように後屈する。その反転した頭が古い体を呑み込んで行くような形になる。ストッキングを脱ぐように古い皮を裏返しながら脱皮は進むので、抜け殻を傷つけることなく本体が脱出できるわけだ。脱ぎ終えたヘビの抜け殻は裏表が逆転している(抜け殻↑では頭の外側だった面が内側になっている)。


(※↑【脱皮マジック】より再掲載)

余談だが……ヘビの脱皮は本体より抜け殻が長くなるのに対し、昆虫の脱皮では抜け殻より大きな本体が現れたりする……これにもビックリだ。


(※↑【脱皮マジック】より再掲載)

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トカゲの尾は何度も切れる!?

トカゲ密度が高い石垣

何度も記している通りハリサシガメが見られる石垣はトカゲ密度が高い。


あちこちで日光浴しているヒガシニホントカゲ──かつてニホントカゲと呼ばれていたものが今では3種類に分けられ、東京で見られるのはヒガシニホントカゲということになるらしい。




ヒガシニホントカゲにまじってニホンカナヘビの姿もチラホラ。この石垣ではヒガシニホントカゲが圧倒的に多いが、緑地全体ではニホンカナヘビを見かけることの方が多い。




トカゲの尾:自切と再生



日光浴するヒガシニホントカゲの中に尾が短めの個体がいた。よく見ると尾の途中から色が微妙に変わっていて尾の先端もいくぶん丸い……どうやら再生した尾のようだ。再生した尾は元の尾よりもクオリティが落ちるという印象があったので、(長さが劣るとはいえ)こんなにきれいに再生することがあるのかと意外に感じた。
この石垣で見かける多くの個体の中には、尾が切れたものや再生したものの姿もある。


「トカゲの尻尾(しっぽ)切り」という言葉(トカゲが尾を切り捨てて逃げるように、不祥事などが露見したとき、部下に責任をかぶせて上司が追及を逃れること)があるように、トカゲが尾を自ら切り落とすこと(自切)はよく知られている。
僕も、ネコに襲われたヒガシニホントカゲが尾を自切するシーンを見たことがある。切り離された尾は地面でピチピチと跳ねまわり、その動きにネコが気をとられているスキに本体は草の間に逃げ隠れた。トカゲ自切は、敵の注意を尾に引きつけ本体からそらす陽動作戦として機能しているのだと納得した。幼体の尾が目をひく鮮やかさなのも、小さいながら陽動効果を高めるためではないかという気もしている(*)。
そのヒガシニホントカゲ幼体の自切した尾↓。役割りを終えた尾をアリ達が運んでいた。


自切した後、尾は再生するが骨は再生されず、見た目も再生部分はハッキリわかることが多い。


「トカゲの尻尾(しっぽ)切り」は1度限りではない

トカゲの尾の自切&再生は子どもの頃から知っていたが、長い間それは「1回限り」のものだと思い込んでいた。
「トカゲの尾には切れやすい場所があって、そこから切れる」という知識はあったのだが……脱離節(その部位から先が自動的に脱離しやすい構造)はその1カ所だけだと理解(誤認)していた。その「切れやすい場所」で自切は起こり、再生した尾では(脱離節は無いのだろうから)2度と脱離は起こらない──そういう理解でいたのだ。

ところが……トカゲの仲間であるグリーンイグアナで、「2度の《尻尾(しっぽ)切り》」を目の当たりにして驚いたことがあった。飼育中のグリーンイグアナの尾を不用意につかんで自切させてしまったことがあったのだが……当時は「トカゲの尻尾(しっぽ)切りは1度限り」と思い込んでいた。だから再生した尾はもう切れることはあるまい──そう信じてつかんだところ、以前切れたところより上(胴に近い部分)で再び自切が起こったのだ(その後、尾は再び再生した)。
このとき初めて「トカゲの尻尾(しっぽ)切り&再生は1度限ではない」ということを知った。グリーンイグアナで2度目の自切があったのだから、ニホントカゲやニホンカナヘビでも同じことが起こりうるだろうと考えるようになった。
トカゲの尾の骨には一節ごとに「脱離(だつり)節」が並んでいるという。このどこかで自切が行われる──「トカゲの尾の切れやすい場所(脱離節)」は1カ所ではなかったのだ。
尾を自切したヒガシニホントカゲを色々見比べてみると、確かに個体によって尾が切れた位置に違いがある──これは脱離節が1カ所ではないことを物語っている。










自切後に再生する尾には骨はなく(骨の変わりに管状の軟骨が通るらしい)、従って脱離節も形成されないはずだ。(脱離節がない)再生尾での自切は起こらないのだろうが、脱離節を温存した根元近くのオリジナル部分での自切はあり得るということだろう。


最初の自切のさいに残った尾に脱離節が温存されていれば、そこで2度目の自切は起こりうるだろう──今はそう考えている(グリーンイグアナでは確認しているがヒガシニホントカゲやニホンカナヘビでは未確認)。
余談だが、自切したのち再生した尾が二股になることもあるようだ……。


(※↑【なんちゃってフタオトカゲ!?】より)

ちなみに、かつて飼っていたグリーンイグアナ↓。




ハリサシガメの捕食

9月下旬のハリサシガメ



背中の《逆【ハ】の字マーク》がトレードマークのハリサシガメ成虫。今年7月下旬にこの昆虫の存在を知ってから(*)ひそかに注目している。8月後半は見かける頻度が少なくなり、(成虫の)活動時期は終わったのかと思っていたのだが……9月も下旬になって発生ポイントに行ってみたところ、成虫が10匹ほど見られた。幼虫は1匹も見られず成虫ばかりで、脚がとれた個体もいたので、羽化してから時間が経っているのかもしれない。
この発生ポイントは、ヒガシニホントカゲの密度が高い石垣。この日も多くのヒガシニホントカゲが見られた。ということで、この石垣名物(?)のヒガシニホントカゲとハリサシガメの2ショット。




ハリサシガメ成虫は個体によって翅の長さにバラツキがある翅型多型(翅多型)だが、この個体は長翅型と短翅型の中間的な長さだった。


ハリサシガメの捕食

石垣を見て行くと、狭いエリアに3匹いたので、初のハリサシガメ3ショット。こちらは翅が長め。そのうち1匹は食事中だった。


ハリサシガメのエサは主にアリだというが、このときも獲物はアリだった。


カメラを近づけると石垣の隙間に移動した。




針のような口吻をアリの腹の付け根あたりに刺して体液を吸っている。消化液や獲物を麻痺させるような成分の注入もあるのかもしれない。アリは動かず。


時折、前脚で獲物を押さえて口吻を引き抜き、獲物の位置を変えて刺し直していた。


食事中のようすは観察できたが、獲物をとらえる瞬間を見ることができないかと思いながら石垣のハリカメムシを物色していると、その近くに小さなアリが大きなアリの死骸を引きずって現れた(運ばれていたアリはハリサシガメ成虫が食事後遺棄したものかもしれない?)。すると、その動きに気がついたらしく、ハリサシガメがあとを追い始めた。






見失ったのか、生きたアリでないと悟ったのか、ハリサシガメの追尾はここまで。しかし大きなアリを引きずって移動する小さなアリ↑(画面右下)のパワーには感心する。
こんな小さなアリでもハリサシガメ成虫のエサになることはあるらしい。
石垣の上でじっとしているハリサシガメの近くを極小アリが通りかかると、ハリサシガメはサッと動いて瞬く間に捕らえてしまった(捕らえる瞬間は素早くて撮影できず……)。


背中のトゲ状突起とまちまちな長さの翅



ハリサシガメ成虫は、逆ハの字模様が目をひくが、背中から突き出した刺状の突起もイイ感じ。


前胸の両側も尖っており(前胸背側角)、背中の刺状突起とともに、鳥などに食われにくくする役割りを果たしていてるのだろうか? 天敵動物が呑み込もうとしたとき(突起が喉を突き)、オエッとなって吐き出されれば食われずにすむかもしれない。そんな経験をした天敵が次から「逆ハの字模様のカメムシ」を避けるようになれば、そのぶん種としての生存率も高まりそうな気はする。


これ↑は翅が長めの個体。初めてハリサシガメを見たとき、成虫の翅の長さが個体によってずいぶん違うので驚いた。最初はオスとメスでの違い──性的二型かと思ったが、長翅型と短翅型の中間的なものもあり、長さがまちまちなのでよくわからなくなった。
長翅型は飛ぶことができそうな感じもするが、まだ僕はハリカメムシが飛翔するところを見たことがない。同じ時期に同じ場所で発生しているのに翅の長さが個体によってまちまちなのは、あまり使われていない器官だから(いい加減でもかまわない)ということなのだろうか?
この日も長翅型・短翅型・中間翅型(?)──がそれぞれ見られた。








外来種を悪とみなす見方についての違和感


《外来種=悪》とみなす見方についての違和感

これは2年前に催された外来生物について啓蒙するイベントで使われたポスターだ。
「外来種が在来種を脅かしている」ということを端的に表現したものだろう──それは判る。しかし、これはどう見ても《外来生物=悪者》だ。外来生物問題を《外来種=悪》という敵対的な短絡構図で捉え・啓蒙しようとしているのか──このポスターを見たときは、違和感と不快感を覚え、ひどくガッカリした。外来生物の問題は、本来なら生物多様性の次元で語られるべきものだろう。それが、どうも私情次元に脱線しているように感じられてならない……。

最初に明記しておくが、僕は生物多様性の重要性は理解しているつもりだ。それぞれの地域に長年かけて構築されて来た生態系は大事にされるべきで、それがにわかに移入された生物によってかく乱されるのは憂慮すべきことだと考えている。
その一方、地域固有の生態系が構築されたのは、生き物たちがフレキシブルに環境に順応し変化してきたからだとも考えている。環境という器にあわせて水が形を変えるように、器(環境)が変われば生態系もそれにふさわしい形に更新される。かつての(《原風景》時代の)生態系もそうして構築されてきたはずだ。
環境の変化に対応する革新的柔軟性が生物多様性の原動力だと僕は考えているが、だとすれば、時代(環境)が変化しているのに一時期(《原風景》時代)の生態系の構成メンバーに固執してそれ以外は排除すべしとする保守的な保全原理主義ともいうべき考え方は生物多様性の本質とは矛盾する解釈ではないかという気もしている。

今回、現行の外来生物対策そのものについてどうこう言うつもりはない。外来生物について語られるとき、しばしば感じる《外来種=悪》という認識について違和感を覚えることが少なくないので、この問題についての捉え方について私見を記しておくことにする。

3年ほど前、アメリカザリガニを《特定外来生物》に指定すべきだという専門家の意見&動きがあることをニュースで知って驚いた(それが2年前のキャンペーン・イベントにつながったのかもしれない?)。
僕が子どもの頃には周囲にはアメリカザリガニは普通にいて、すっかり生態系に組み込まれているものだと思っていた。アメリカザリガニは子どもたちに人気があったし目にする機会も多く、自然や生き物についての興味の扉をひらくうってつけの素材だったという気がする。
それが《特定外来生物》に指定されれば、売買・譲渡は禁止され、持ちかえって飼育観察することも違法となる。かつては(俗っぽい言い方をすれば)「生命の神秘や尊さ」を知る教材の役割りを果たし、自然に親しむ橋渡しをしてきたアメリカザリガニ──それが一転して捕殺対象にされることとなる。
外来種を移入・拡散しないようにすることが大事なことはわかる。しかしすっかり帰化して久しいアメリカザリガニを今さら《特定外来生物》に指定しろという主張には違和感があった。

アメリカザリガニを《特定外来生物》に指定すべきだと訴えているのは希少なゲンゴロウやトンボを愛する保全グループのようだった。一部地域に生息する希少昆虫が減ってきたことに危機感を覚えて環境調査をしたところ、アメリカザリガニが増えていたので、「希少昆虫を減少に追いやった有力容疑者」としてアメリカザリガニが槍玉に挙がったということらしい。

仮にそれが本当であったとしても、一部地域に生息する、一般的にはあまり馴染みのない少数派の昆虫を守るために、これまで全国で親しまれ自然教材として貢献してきたアメリカザリガニを一律に排除し、子ども達から飼育観察の機会を奪ってもかなわないとする主張は、いささか身勝手な気がする。

まだアメリカザリガニが侵入していない地域があった場合、そこでの侵入を防ぐ対策が必要なケースはあるのかもしれない。しかし全国的にすでに帰化し生態系に組み込まれているアメリカザリガニを《特定外来生物》に指定しろというのはずいぶん乱暴な主張のように感じる。アメリカザリガニ殲滅を願う人たちにとっては、「自分たちにとって価値のあるゲンゴロウやトンボなどが大事」で、その脅威となりうるもの憎しという感情が働いているのではないかと勘ぐりたくもなる。

以前、保護しているトキの脅威になるという理由でテンを駆除すべきだと主張している人たちがいたが、その時も「自分にとって愛着がある種を守るため、その脅威となりうる種は殲滅してかまわない」という身勝手さを感じた。アメリカザリガニを特定外来生物にして排除しようとするの動きにも、一部のゲンゴロウ・トンボ愛好家のエゴが垣間見える気がしないでもない。
トキの場合と同様に、特定の生き物を贔屓して保護したいという身勝手な立場から、脅威の排除を正当化するために外来種問題を持ち出したのではないかという疑念も否定できない。

かつて見られた水生昆虫が減少した原因はアメリカザリガニにあるというのが排除(《特定外来生物》指定要望)の根拠のようだが、ならば、アメリカザリガニがいなければ、それら水生昆虫の生息地は保全されていたのだろうか? アメリカザリガニを排除すれば、それら水生昆虫の未来は安泰なのだろうか?

僕は専門家でも何でもないが、水生昆虫の減少の主な原因はヒト活動による環境改変や富栄養化による水質の悪化にあったのではないかと考えている。温暖化などの影響も希少生物の存否と関係があるかもしれない。そうしたことが原因で水質が悪化し、在来種の多くがすめなくなった環境でもアメリカザリガニは生き残ることができたと──いうこともあるだろう。「アメリカザリガニの影響は無い」などというつもりはないが、アメリカザリガニが生息していても里山が機能している場所では水はきれいだったし、アメリカザリガニがいたどぶ川で、(下水処理が進んだためか)きれいになったところもある。「水生昆虫を減少させた《犯人》=《アメリカザリガニ》」という単純な構図で捉えるのは正しいことなのだろうか?

冒頭ポスターのイベントにおけるパネル展示では「アメリカザリガニ侵入前のゲンゴロウがいたきれいな池」と「アメリカザリガニ侵入後のゲンゴロウが姿を消した濁った池」の写真が並べられ「あなたはどちらの池を残したいですか?」というキャプションがそえられていた。これにはあきらかに「誘導」の意図を感じる。答えは明白──「きれいな池」と「濁った池」では前者がいいに決まっている。この選択をさせることで「希少水生昆虫絶滅の原因・水質悪化の元凶はアメリカザリガニの侵入にある」かのように思わしめるミスリード(その因果関係については明言されていないが、その前提で認識させる)が仕組まれている。こうした手法はアンフェアだと思う。
因果関係について科学的な裏付けがあるなら、それを示して訴えるのがフェアというものだ。自分たちの主張に都合の良い方向へイメージをミスリードする手法を使っているのだとすれば問題だ。

こんな展示の仕方が許されるのであれば、たとえば「地味な在来植物とそこに来る地味な在来昆虫の殺風景な画像」と「見映えの良い園芸植物(or外来植物)とそこに集まる見映えのする外来蝶の美しい画像」を並べ、「あなたはどちらにしたいですか?」という問いを行い、美しい画像の票が高ければ、園芸植物(or外来植物)を植え外来種のチョウを放蝶することを良しとするのだろうか?──ということにもなる。
「バス・フィッシングができない湖」と「バス・フィッシングが楽しめる湖」とを比べ、「楽しめる湖」を支持する人が多ければブラックバスを放流して良いというものでもないたろう。

外来生物の問題は「あなたはどちらがいい?」という次元の問題ではない。長い間かかって構築された生態系の中にそこにいなかった種類が持ち込まれることの何が問題かをきちんと科学的に説明すべきで、そのさいの正しいか否かについては個人的な価値観(好嫌感情)・私情でとらえるべきではない。

なのに本質から外れた「あなたはどちらの池を残したいですか?」というイージーなイメージ誘導を使って主催者が意図した方向へミスリードする手法には大いに疑問を感じる。
これは主催側が「意図的に」イメージの不正操作(マインドコントロール)を狙っているか、あるいは主催者自身が「どちらがいいか?」という価値観(好嫌感情)・私情に基づいてこの問題を捉えているかのどちらかでしかない。前者であればアンフェアだし、後者であれば「ゲンゴロウやトンボの方がアメリカザリガニより大事」という個人的な価値観・私情に基づいて生態系に人為的に介入・改変すべきだという主張になる。いずれにしても不適切だ。

生物多様性は大事でそれぞれの地域の生態系・固有種を保全すべきだという考え方は理解できる。外来種は、安易に入れない・広げないというのが適切だとも思う。しかしながら基本的には在来種も外来種も生物としての活動に違いはない。彼らは同じように生命活動をしているわけで、どちらが善でどちらが悪ということはない。本来いるべきでない別の生態系に移入することに外来生物問題の本質がある。
ところが保全活動家の主張には《外来種=悪》という短絡的な前提概念があって「悪しき外来種を撲滅すべし」というニュアンス──「自分たちにとって価値のある希少種、あるいは馴染みのある在来種のみが大事」という個人的な価値観(好嫌感情)に根ざした主張が先行しているような印象を受けることがしばしばある。中には排外的なニュアンスで外来種を捉えている人もいるようだ。冒頭のポスターにもそんな悪意を感じた。これは歪んだ私情であって、科学的な生物多様性の本質とは別次元のものだと思う。「私たちの原風景をとりもどす」というのはエコに見せかけたエゴなのではないか──そんな疑問さえ湧いてくる。

虫屋さんを見ていると希少種・珍品に対する執着・並々ならぬこだわりを感じることがある。珍種と駄物に対するテンションの格差はすこぶる大きい。これには生物学的な価値観・多様性の重要性とはまた別の……コレクター的価値観のようなものが優位に働いているのではないかという気がしないでもない。
「希少価値のあるゲンゴロウやトンボを守るためには、その脅威となりうるアメリカザリガニは殲滅すべし」という主張も、珍品を大事にし駄物をぞんざいに扱う価値観が根底にあってのことではないのか?──そう疑いたくもなる。そうした私情(コレクター感覚)があるから「希少価値のあるゲンゴロウやトンボ」を脅かす「憎っくきアメリカザリガニ→《悪》」という構図が生まれるのではないか?
くり返しになるが、在来種も外来種も生物としての活動に違いはない。彼らは同じように生物として組み込まれたプログラムに従って生命活動をしているにすぎず、《善》も《悪》もない。もし科学的に生物多様性保全の立場からアメリカザリガニを排除することが適切だという判断に至ったのであれば、それは「やむなく」であって「外来種=悪」という捉え方にはならないはずだ。

本来の生物多様性の考え方からこの問題をとらえるなら、(人為的に持ち込まれたものについては)悪いのは本来そこにいなかったはずの(いてはいけない)生物を移入したヒトであって、それによって影響(被害)を受けることになった在来種はもちろん、本来の生息場所ではないところへ移入されたことで加害者扱いされる外来生物も《被害者》ということになる。その《被害者》である外来種を《加害者》《悪者》に仕立て、憎悪や嫌悪の対象とすることで駆除の実効性を高めようという意図があるのであれば、それは「正しい理解」ではないし、本来あるべき自然の見方でもないと思う。

ケースによっては外来種の駆除が必要なこともあるだろう。しかしそれは「やむなく」行わざるを得ないことであって、外来種が《悪》だからではない。
また、「やむなく」駆除が必要なものに外来種・在来種の区別は無い。在来種であっても害があるもの、増えすぎるなどして環境に悪影響があるものは駆除や調整が必要になる。
いずれにしても、ヒトの都合・判断で殺生せざるをえなくなった生き物に対しては(「憎いから殺す」のではなく)「申し訳ないがやむなし」という気持ちを持って駆除にあたるのが問題の本質を理解した者の反応ではないだろうか。
特に子どもに啓蒙するさいには、排外主義的なイメージを持たせてはならないと強く思う。

例えば──野良犬・野良猫は生態系を脅かし、ヒトの生活に悪影響をもたらす危険もある。やむなく殺処分される犬や猫は少なくない。しかし、殺処分に携わる職員はイヌやネコを《憎い》と思って殺しているわけでは決してないだろう。おそらく多くの職員は弔う気持ちを持っているだろうし、その心労は計り知れない。だがもし、そうした職員が《イヌ・ネコ憎し》と思って殺処分を推進していたとしたら、それを良しとできるか?──という話だ。たとえ駆除が必要な措置であったとしても、《憎くて殺す》というのは、問題の本質から外れた筋違いの逆恨みに近い気がするし、不遜だと思う。駆除が必要な特定外来生物に対しても、供養の気持ちはあってしかるべきだろう。それなのに《悪》のレッテルを貼って敵対視し、嫌悪感情をあおって排除を推進しようとする感覚には、大いに違和感があるし、身勝手な私情を感じる。

一応断っておくが、特定の生き物に対して個人的に好き嫌いの感情を抱くことが悪いと言っているわけではない。それは自然なことだし、そうした私的感情を批判するつもりはない。しかし、私情(好きな種を守りたいという思わく)を正当化するために生物多様性を持ち出したり、生物多様性の保全を解くのに私情を持ち込むのはフェアではない──筋違いだと思う。
外来生物問題を、わかりやすい《外来種=悪》の単純敵対構造に置き換えてアピールし、すでに帰化し生態系に組み込まれているものまで《排除》して人為的な生態系の再構築を計ろうというのは、独善的で不遜な気がするのだ。

この問題については色々な意見があるだろう事は予想できるが、ここで議論をするつもりはない。個人的に思うところを記すに止めておく。


■エッセイ・雑記 ~メニュー~

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羽化したセミヤドリガ

雨の止み間に羽化していたセミヤドリガ



9月の初めに観察することができたセミヤドリガの羽化──その瞬間を見逃すまいと頻繁に繭チェックを続けていたわけだが、その際に他にもセミヤドリガの繭をいくつか見つけており、あわよくばそれらの羽化シーンもおさえられれば……などと虫の良いことを考えていた。これまで2度、羽化シーンを観察しているが(*)、白い綿毛に包まれた繭から蛹がせりだし始めてから羽化終了までは短い。そのわずかなタイミングを押さえるのは難しそうだが……いくつかの繭をチェックしていれば、1つくらいヒットすることがあるかも知れない……くらいの気持ちでチェックを続けていた。
しかし、草刈りなどで撤去されてしまったり、剥がされていたり(人が剥がしたのか鳥などに食われたのか不明)、2週間以上経っているのに変化がないものがあったり(寄生されたりして死んでしまったのか?)……空振りが続いていた。
そんな中、トチノキの幹に作られていた繭で、羽化して間もないと思われるセミヤドリガを見ることができた。羽化シーンを見逃したのは残念だが、繭に止まった新品(?)の成虫をみることができたので、テンションが上がる。
実はこの日は雨が降ったり止んだりをくり返し、羽化にはあまりふさわしくない天気のように思われた。昼前にはしっかり降っていたのでチェックに行くのをあきらめようかとも思っていたのだが……昼過ぎに雨が上がったので、とりあえず確かめに出かけてみると、繭に羽化して間もないと思われる成虫が止まっていたのだった。


これ↑が1週間前に見つけたときのセミヤドリガの繭。このときすでに繭をおおう綿毛が雨に濡れた後のようだったので、作られてから数日が経過していると思われた。そしてこの1週間後、雨の止み間に見に行ったときの光景↓。


まだ繭にとまっているということは羽化してさほど経っていないのだろう。雨が上がるのを見計らって羽化したのだろうか。セミヤドリガ成虫は遠目には黒い蛾に見えるが、よく見るとビロードのような翅にはラメをほどこしたような模様があって、光の当りぐあいであわいブルーに輝く。






撮影を始めると蛹便(ようべん:チョウや蛾などが羽化後に排泄する液)をした。以前羽化を観察した時は、成虫の体全体が蛹から抜けてから30分弱経った頃に蛹便をしている。
その後、成虫は突然羽ばたき始め、羽ばたき歩行で幹を数十センチほど登ると、あっという間に飛び去っていった。


セミヤドリガの鱗粉は落ちやすいので、激しく羽ばたき飛翔した後、ラメ入りビロードのようなきれいな翅がどうなのか、ちょっと気になる……。
成虫が飛び去ってしまったので、残された繭を撮ってみた。羽化前日の画像との比較↓。


羽化は繭を壊して行われるのではなく、繭の(今回は?)上部にあるガマグチ状のスリットを蛹が押し広げて出てくるところから始まる。せり出した蛹の首や背が割れて成虫がでてくる(*)。そして成虫が飛び去った後には、スリットに腹を挟まれた形で蛹(抜け殻)が残る。




上から撮った蛹↑。見えているのは上半身の腹面。この繭はトチノキの幹の鉛直面に作られていたが、細いコナラの枝に作られていたものもあった↓。


こんな細い場所でも繭をつくり、ちゃんと羽化できるようだ。
ついでに、9月の初めに羽化を観察した繭のその後↓




擬態と空目・聞き做しと空耳

空目が擬態を進化させる!? 落ち葉チックなアカエグリバ





擬態の名手アカエグリバをみつけた。一見してわかるように枯葉への擬態が実にみごと。枯葉よりも枯葉チックな蛾──僕はそう思っている。いろいろな形のバリエーションがある枯葉の総概念を端的によく表している。任意の枯葉1枚と比較すれば、アカエグリバの方が《枯葉らしさ(総概念)》を備えていると思う。
こうした別のモノに化けて(似せて)天敵の目をごまかす擬態はで生き延びる率を高める生存戦略のひとつ。
といっても、もちろん昆虫が「似せよう」と思って進化したわけではないだろう。たまたま似ていたものが天敵の目をのがれやすくなって生存率を高めることとなった……その似せっぷりの優れたものほど生き残るチャンスに恵まれ、その特徴を子孫を残す事ができたはずだ。天敵を欺く似せっぷりの特徴は、より優れたものが生き残り世代を更新していく中で顕著化していき、完成度を高めていったのだろう。
アカエグリバのみごとな枯葉擬態も、捕食者──鳥などが枯葉だと空目(視覚的誤認)したことで完成度を高めたものなのかもしれない。だとすれば《擬態を進化させたのは、本人(本虫)たちの頑張り(?)ではなく、捕食者たちの【空目】》──と、いえなくもない。カマキリのように捕食者が擬態して獲物の目をごまかしてハンティングの成功率を上げる(ことで生存率を高める)ケースなどもあるだろうから、そうした場合は《擬態を進化させたのは被捕食者たちの【空目】》ということになる。いずれにしても《擬態》の完成度を高めることに貢献した(だろう)【空目】の功績(?)は、あなどれない。

つくつく胞子!? ツクツクボウシの聞き做し(ききなし)





夏真っ盛りのときはアブラゼミとミンミンゼミが圧倒的だった公園では最近はツクツクボウシの鳴き声が支配的だ。「ツクツクボウシ」というのは変わった名前だが、その鳴き声が「つくつく法師」と聞こえることに由来するらしい。こうした【聞き做し】(動物の鳴き声や鳥のさえずり等を人間の言葉やフレーズに当てはめたもの)も──言われてみれば確かに聞こえる(かもしれない?)【空耳】といえるだろう。
そう言われて聞いてみれば、ツクツクボウシの鳴き声は「ツクツクホウシ」と聞こえなくもないが……「つくつく法師」というより「付く付く胞子」!?──というべきものを見つけた↓。




白っぽいものが見えたのでセミヤドリガの幼虫がついているのかと思ったが、よくみるとカビのよう……これはセミカビ(白きょう病菌)と呼ばれるものらしい。セミヤドリガの幼虫の寄生はセミを殺さないが、セミカビの感染はセミを殺してしまう。

ところで、このセミ──「ツクツクボウシ」という名前であることは子どもの頃から知っていたが、鳴き声は「オーシン・ツクツク……」と聞こえていた。
小学生だった頃、一緒にセミとりをしていた友人が、クツクボウシ鳴き声を聞いていて、後半が「トッポ・ジージョ」(当時テレビ放送されていた人形劇のキャラクター)に聞こえると言い出したことがあって、それ以来、僕にも「トッポ・ジージョ」と聞こえるようになってしまった。【空目】は一度見えると次からそう見えてしまうが、【空耳】も一度聞こえると次から自動的にそう聞こえてしまう。
そんなわけでツクツクボウシの鳴き声の後半はずっと「トッポ・ジージョ」だったが……前半の部分を無理やり聞き做せば「往診・着く着く」だろうか? それとも……。

ツクツクボウシの鳴き声を少し離れたところから聞いていると、前半部分は「美味しっ…美味しっ…美味しっ…美味しっ……」と言っているようにも聞こえる。「吸っている樹液がよほど美味しいのだろうか?」なんてイメージを描いて聞いていると、その鳴き声は突如「乏しい! 乏しいじょ! 乏しいじょ! 乏しいじょ! ち~!」と吐き捨てるようなセリフに変わる!?
「美味しい樹液だったのに、乏しくてちょっぴりしか吸えなかったので手のひらを返したように罵倒?」などと思ってみたり?

9月も半ばを過ぎ、涼しい日には、ツクツクボウシの鳴き声も勢いが衰えてきた感じがしないでもないが……そんな思いで聞いていると、ツクツクボウシの後半部分が、韓国語で「또(ト) 보시죠(ポシジョ)」と言っているようにも思えてくる。これは「また 会いましょう」の意味になると思うのだが……夏の暑さとともに過ぎ行こうとするセミが、来夏までサヨナラと言っていると解釈すると、なんとなく風情を感じないでもない……。
(※《夏の風物詩》的なイメージがあるセミだが……実際は11月に入っても鳴いている個体がいたりする→【立冬すぎのアブラゼミ!】)


ウラギンシジミ幼虫など

クズの花穂にウラギンシジミ幼虫~アオダイショウほか



クズの花穂にウラギンシジミ(チョウ)の幼虫がいた。2本(一対)の筒状のツノは、ちょっとカタツムリの触角を思わせる。キレイなので《陸のウミウシ》といった感じもしないではない。別の花穂には、ひとまわり小さい紫色の固体が↓。


実はこのユニークなツノがある方が尻。刺激を与えるとこの筒状角からブラシのようなものを出してパッと広げたかと思うとサッと収納する──ほんの一瞬広がるブラシがまるで線香花火のようで、知らずに初めて見た時は大いに驚いた。


この画像↑は【紫のピカチュウ!?ウラギンシジミ幼虫の線香花火】より再掲載したものだが、いったい、どんな器官がどういう経緯をたどって発達し、こんな奇抜なギミックを完成させたのか……フシギでならない。ちなみに、成虫はこんな蝶↓。


成虫はどこといって変わったところのない普通のチョウなのに……幼虫がユニークすぎる。他にもいないかと探してみると……ウラギンシジミ幼虫がいたクズがからむクサギの木に、こんなのがいた↓。


アオダイショウの生体。このアングル↑からでは顔が見えなかったので……顔がみえるアオダイショウ幼蛇の画像も↓。


アオダイショウは幼蛇と成体で模様や体色が違う──まるで別種のようだ。いったいデザインが変化することにどんな意味があるのだろう?──そう考えて推察してみたことがあった→【幼蛇と成体・模様が異なる理由:アオダイショウ】。
僕が虫見で歩くエリアはだいたい決まっているので、であう生き物の種類も重複することが多い。ということで、やはりこれまで何度もネタにしているヤマトタマムシ↓。


ヤマトタマムシは何といっても美しいので目をひく。いれば撮ってしまう。構造色と呼ばれるメタリックな輝きを放つ翅鞘が「玉虫厨子(たまむしのずし)」の装飾に使われたのは有名な話だ。「コガネムシは金持ちだ 金蔵建てた 家建てた」の歌詞で知られる野口雨情・作詞の童謡『黄金虫(こがねむし)』で歌われている「コガネムシ」はヤマトタマムシだという説がある。僕は「ヤマトマムシの翅鞘で装飾された《玉虫厨子》」を「コガネムシ(ヤマトタマムシ)の《金蔵》」に見立てるという着想を得て雨情はこの歌詞を書いたのではないかと想像している(*)。
やはり擬木にとまっていたニホントビナナフシ成虫♀↓。


ニホントビナナフシも狭山丘陵では常連の昆虫。そのほとんどがメス。九州以北では単為生殖といわれ、僕もこの周辺でオスはいないものだと思っていたので、4年前に初めてオスを見た時は驚いた。そして2013年12月には両性生殖を確認(*)。屋久島以南では両性生殖をする本来は南方系の昆虫のようだが、東京で12月にニホントビナナフシのペアをみつけたときは何ともフシギな気がした。
ニホントビナナフシについては、雌雄モザイク(1つの個体の中にオスとメスの特徴が混在する)を見つけたことも2度ある(*)。
当初はニホントビナナフシの成虫♀は緑色──と思っていたが黄色い個体を見つけて「こんな体色になることもあるのか……」と驚いたことも(*)。
これもなかなかフシギな昆虫だ。


セミヤドリガの羽化



前の記事でも触れたが、【セミヤドリガ幼虫の繭づくり・B】で観察した繭からセミヤドリガ成虫が羽化する様子を記録することができた。セミを離脱し繭を作った日から15日後のことだった(ちなみに去年観察した個体は14日後だった)。今回は野外での観察だったが、羽化のシーンに立ち会うことができるか心配だった。去年持ち帰って観察した例(【セミヤドリガの羽化/幼虫~繭~成虫】)では、繭から蛹がせり出し始めて成虫が蛹殻を離脱するまで、わずか10分程度──羽化の時間の短さに驚かされていたからだ。そのタイミングをうまく押さえるのは難しそうだ。チョウなどでは、羽化が近づくと蛹の色が変わるという「兆候」が現れるものもあるようだが、セミヤドリガの場合、蛹は羽化直前まで繭の中にあるので、羽化時期の見極めが難しい。そのタイミングで観察できたら儲け物──というくらいつもりでチェックを続けていたが、運良く羽化シーンを確認できた。
今回は蛹の背中が裂け始めて成虫が離脱するまでわずか1分十数秒。この前には蛹が繭からせり出す時間、この後には翅が伸びるまでの時間がかかるわけだが、カメムシの脱皮や羽化に比べて離脱時間が短いのにはやはり驚かされる。

セミヤドリガの羽化@野外記録



繭を作った日から14日後まで、繭に変化はなかったが……15日後の午前8時18分に繭の端から、わずかに黒い蛹の頭がのぞいているのを確認。


セミヤドリガの繭には脱出用のガマグチ状スリットがあって、これを押し広げて蛹がせりだしてくる。そして蛹の背中をやぶって成虫(蛾)が出てくる。画像右下の数字は撮影時:分:秒。






この後、せり出した蛹の頭~前胸背面が裂けて、成虫の前胸背面が出てくる。


蛹の頭と前胸の間・前胸背面に裂け目ができて成虫の前胸背面がのぞき始めた↑。ここからの展開は早い。




蛹の触角が抜けた部分は褐色になっていく。










この↑わずか6秒後↓。






立てていた翅が伸びきると、翅を広げる通常姿勢に戻る。


通常姿勢に戻ったセミヤドリガの成虫。


セミヤドリガ成虫は一見黒っぽく地味な蛾だが、光のかげんで淡いブルーに輝くスパンコールのような模様があって、よく見ると美しい。


成虫が入っていたときは黒かった蛹が褐色になっている。蛹の腹端は繭のスリットにはさまれるかたちで繭の中に残っている。
(繭の構造と抜け殻については→【セミヤドリガの繭と蛹】)

15日後 羽化に失敗した個体



これ↑は【セミヤドリガ幼虫の繭づくり・A】で繭作りを観察した個体。やはり繭作りから15日後に繭の端に蛹の頭がのぞいたので、羽化の展開を記録しようとカメラを向けるが……いっこうに進まない。脱出用スリットが狭かったのか、ここで力つきたのか、けっきょくこのままで羽化することはなかった。


かいがいしく繭を作るようすをつぶさに観察し、見守っていた個体だったわけだが……ようやくここまで育って、いよいよ羽化──というところでつまずいてしまうとは……。自然界では人知れずこのような事故も多いのだろう。



セミヤドリガ幼虫と繭



8月中旬、セミヤドリガ幼虫の繭づくりを見ることかできた↑。繭作りの日付がわかっているものについては、羽化する日を確認すれば繭の期間を把握できる──というわけで、問題の繭のチェックを続けていた。Wikipedia情報では《蛹は1週間程度で羽化する》とあるが、去年持ちかえった幼虫を観察したときは(*)、繭作りから羽化まで14日かかっている(繭の中で蛹になるまでに1週間程かかるのだろうか?)。はたして今回はいかに!? 「まだ羽化していない」ことを確かめに行く日々が続く中、新たに見つけたセミヤドリガの幼虫&繭などから。

セミとセミヤドリガ幼虫

セミヤドリガについておさらいすると──この昆虫はセミに寄生する蛾。幼虫がセミの成虫に外部寄生する。セミヤドリガは成虫になると餌をとらないというから、幼虫時代にセミから獲た養分だけで一生分のエネルギーをまかなっていることになる。一方、寄生されたセミはそれが原因で繁殖できなくなったり死んだりすることはないらしい。じっさいにセミヤドリガ終齢幼虫をつけて元気に鳴いているミンミンゼミもいた。
セミの成虫にとりついたセミヤドリガ幼虫は成長し終齢(5齢)幼虫になると白い綿毛に包まれる。やがてセミを離れ、葉や幹などにその日のうちに繭を作る。繭の表面は終齢幼虫時代の綿毛でおおわれる。

ここではニイニイゼミ・ヒグラシ・ツクツクボウシ・クマゼミなどもいるがアブラゼミとミンミンゼミが圧倒的。全体的にはアブラゼミの方が多いが、ミンミンゼミの密度が高い場所もある↓。


セミヤドリガ幼虫は(ここでは)ミンミンゼミで見つかることが多い↓。


アブラゼミでも見られることがあるが、その機会は少ない。


ミンミンゼミに比べてアブラゼミでの確認率が低いのは、アブラゼミは翅が透けていないので寄生されていても翅に隠れて見えにくいということもあるだろう。アブラゼミの場合はセミヤドリガ幼虫をつけていても翅の外にはみでていないと気づきにくい。実際にミンミンゼミとアブラゼミで寄生率に差があるのかどうかはわからない。

繭作りのために蝉を離れ降下するセミヤドリガ幼虫



糸を吐きながら降下してきたセミヤドリガの終齢(5齢)幼虫。白い綿毛につつまれてモコモコ。腹面には綿毛がない。この個体は木の下の植込みの中へ降りていった↓。


これ↑とは別の個体↓。


糸を吐きながら降りてくるセミヤドリガ幼虫は頭を左右にふりながら体をよじらせている。




この幼虫が降りて来たのは歩道エリア。画面奥から緑地管理の作業車がやってきたので(そのままではひっかけられてしまうので)、やむなく吊り糸をつかんで近くの笹の葉へ移動。
すると、その葉の裏で繭作りをはじめた。






笹の葉に移してから約2時間後のようす↑。幼虫は自分の体をおおっている綿毛をくわえ、繭の足場周辺に植え付けるように置いて行く。引き抜かれた綿毛の束がしだいに多くなり繭をおおう形になる(*)。
移動から5時間後に見に行くと、セミヤドリガの繭は完成していた。


セミヤドリガの繭



擬木に作られていたセミヤドリガの繭。


まだ新しい繭や雨が当たりにくい場所の繭は、表面をおおう綿毛にふかふか感がある。
こちらの繭↓は少し時間が経過しているようだ。


木の下の植込みにも──、


葉の裏面に繭を作られた繭↑が多いようだが、表に作られた繭も↓。


葉の表面に作られた繭。雨を受けて綿毛がぺたんとしている。
垂直な木の幹につくられたものもあった↓。


綿毛におおわれた繭は輪郭がいびつになり、遠目には鳥の糞のようにも見える。


セミヤドリガの繭かと思いきや、鳥の糞。ということは、綿毛をまとって不規則な形にみえるセミヤドリガの繭は、鳥糞に擬態している!?

繭作りから羽化までの期間



去年、観察した時は繭を作った日から14日後の羽化だった(*)。先日繭作りを観察した2例(【セミヤドリガ幼虫の繭づくり・A】【セミヤドリガ幼虫の繭づくり・B】)については、Aは繭を作った日の15日後に羽化失敗(繭から蛹がせりだし始めた状態で停止・羽化には至らなかった)、Bは繭作りから15日後に無事羽化した。最後の画像は冒頭画像で繭作りをしているB──冒頭の画像の15日後ということになる。
羽化のようすについては画像を整理して後日投稿→【セミヤドリガの羽化