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2016年07月の記事 (1/1)

ハーリーをさがせ!ハリサシガメ幼虫

ハーリー(ことハリサシガメ幼虫)をさがせ!

以前『ウォーリーをさがせ!』という絵本が流行ったことがあった。描かれた絵の中に隠れているウォーリー(主人公)を見つけ出すという趣旨の絵本。それにならって、《ハーリーをさがせ!》。下の画像に写っているハリサシガメの幼虫を見つけ出していただこうというもの。


前回の記事(*)に記した通り、ハリサシガメの幼虫は捕食した獲物の死骸やゴミを身にまとってカムフラージュする。前回は容量の関係で幼虫の画像を少ししか紹介できなかったので、ゴミカムフラージュがみごとな姿をあらためて……。幼虫は画面の中心にいるのだが↑、位置が判っても、そこに昆虫がいるとは、なかなか見抜けないのではあるまいか? ということで、この幼虫部分をアップ↓。


触角が見える画面右側に頭がある(右側を向いている)。
同個体を横から撮ったショット↓。


この石垣上にいた個体↑が土の上に移動したのを撮ったのが最初の画像。土の上でじっとしていたら、見つけるのは困難だ。ということで、やはり土の上の別個体↓。


ワラジムシや昆虫の残骸が落ちいてるように見えるが、これはハリサシガメ幼虫のデコレーションの一部。土の上で探すのは難しい……。
いっぽう背景がさっぱりした石垣の上などにいると、みつけやすい↓(といっても、虫には見えないので天敵には気づかれないだろうが)。


この幼虫に寄って撮った画像↓。前回(*)も紹介した個体。


アリを捕らえてその体液を吸ったあと、その死骸(戦利品?)を背負っていることが多いようだ。










みごとなゴミ・コーティングだが、当然ながら(触角の根元付近に)眼はちゃんとのぞいている。


これ↑は前回載せるつもりでいて(容量オーバーになるため)外した画像。輪郭をわかりやすくするために葉の上に乗せて撮ってみたもの。昆虫の頭部や脚などもデコレーションされている。
なんともユニークなカムフラージュ術を駆使するハリサシガメの幼虫だが、成虫になるとこの術を捨てる。その成虫はこんな姿↓。




テカってしまったが直径2cmの1円硬貨との比較↑。

カノコをさがせ!

ハリサシガメがいた石垣は雑木林のふち。雑木林のふちにはカラスウリの蔦が伸びていた。ということで、カラスウリをホストとするカノコサビカミキリも探してみた。蔦や葉の柄の部分を見て行くと、カノコサビカミキリが齧ったとおぼしき白い痕が……付近を探すと──ツタにとまっていた。




さがさずとも見つかるキマダラカメムシ

ついでに、すっかり定着したキマダラカメムシ。


南方系の外来種で、日本に入って来たのは1770年代だそうだが、分布が北上したのはつい最近。僕が初めて見たのは、2011年──「ついにここ(東京)にも進出してきたか!」と思ったものだが……今では(市街地では)最も多く見られるカメムシの1つになっている。
木の幹に下向きにとまっていたキマダラカメムシ成虫のニオイを発する部分──臭腺開口部を撮ってみた↓。


昨年、臭腺液をつけられながらキマダラカメムシの臭腺開口部を撮ったことが思い出される(*)……無理して保定しなくても、このアングルから撮ればカメムシ臭をかまされずに撮影できるのであった……。


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珍虫ハリサシガメ

「ハ」紋で疑問?ハリサシガメ



【ハリサシガメ】という、なんともユニークな昆虫をみつけた。きっかけは、前回記事のヒガシニホントカゲ。トカゲ密度の高い石垣でモデルを探していたときに、石垣の上にオシャレなカメムシがいることに気がついた。背中に「ハ」の字を逆さにしたようなトレードマークがあるサシガメ──それで「[ハ]Reverse(リバース)サシガメ」、略して「[ハ]Re(リ)サシガメ」……というのは、もちろん冗談。
見つけた時は種名はおろか、この虫についての知識は全く持ち合わせていなかった。何も知らず(逆さ)「ハ」紋のデザインが気に入っただけでカメラを向けたのだが……色々と疑問が噴出することに。「ハ」紋が疑問の波紋を広げるのであった……。


ハリサシガメが生息していたこの石垣は雑木林のふちにあたる。すぐ近くではキスジセアカカギバラバチも確認(残念ながら撮り逃した)。6月にこの寄生蜂を見かけた場所とは全く別だが、雑木林のふちという点では共通している。
さて、この昆虫の名が【ハリサシガメ】だと知ったのは後に調べてのことだが……(逆さの)《「ハ」紋》が気に入ったので、これを【ハリサシガメ】の頭文字としてロゴに使ってみた。


《「ハ」紋》もステキだが、前胸の左右に突き出した突起──前胸背側角もイイ感じ。さらに背中にはトゲ状の突起が↓。


一般民間人的には、ツノやトゲがある昆虫はカッコ良く感じてしまう。あるいは、ひょっとして、この鋭い棘状突起が、和名の「ハリ(針)」の由来なのだろうか?
初めてこの虫を見た時はその和名も知らなかったわけだが、頭の形や口吻の感じからサシガメ(捕食性カメムシ)っぽいという印象はあった。
そして、はからずしもそれを確認するシーンが目の前で展開した。ハリサシガメが目の前を横切ろうとしたアリを電光石火の早業で捕らえたのだ。


ちょっとわかりづらい画像だが……アリの首のあたりに針のような口吻を刺している。帰宅後調べて、アリを主食とするサシガメだと知ってガテンがいった。
石垣の上では、ハリサシガメのこんなシーンも↓。


翅の短いハリサシガメの側面から翅の長いハリサシガメが抱きついている──このシーンに、ちょっと驚いた。
一見、交尾のようにも見えるが、カメムシでよく見られる腹端をくっつけ、♂♀が逆を向く格好ではない(甲虫類のようなマウントでもない)。そして目をひいたのが、抱きつかれている個体の翅が短いことだ。これは成虫ではなく終齢幼虫なのではないか?──そんな疑問が浮かぶ。だとすると、交尾ではなくて、成虫が終齢幼虫を捕食(共食い)しているのか!? 両者とも背中にトレードマークの《逆さ「ハ」紋》があるのだから、同じ種類に違いないようだが……???
しかし、よく見ると、どうやら捕食ではなく、やはり交尾のようだ……。
これが交尾で2匹とも成虫だとすると──《オスは翅が長いがメスは翅が短い(退化している?)》ということになりはしないか?
昆虫の中には♂は飛べるが♀は飛べないものがいる──というのはフユシャク(蛾)などを見て知っていたが、カメムシにもそんな種類がいるとは想像したことがなかった。
それとも、抱きつかれている♀は羽化したてで、まだ翅がのびきっていないのだろうか?──いやしかし、体色はちゃんと定着しているようだし、翅だって固まっているだろう。あるいは、羽化不全で翅がのびきらずに固まったしまった個体なのか?……頭の中には「?」の連鎖が波紋のように広がっていく。
この♀の「短い翅」は、「たまたまの羽化不全」ではなさそうだ──やはり石垣の上に別のペア↓をみつけ、同じ状況であることを確認してそう判断した。






これがスタンダードであるとするなら……《オスは翅が長い・メスは翅が短い》ということになる。




↑とは別の個体↓。


↑と同じ個体↓。


ところが、この翅の長さは──個体によってまちまちのようなのだ……。


ペアの翅の長さの違いを見て、《オスは飛べる・メスは飛べない》のだろうと思ったが、あるいは両方飛べなかったり、♂♀に関係なく飛べる個体と飛べない個体がいたりするのだろうか……と、また「?」がわき上がる。ネット情報ではハリサシガメの分布は局所的だというような話もあったが、飛翔能力が無い・あるいは貧弱だったとすれば、そのことと関係があるのかもしれない?(飛べなければ分断した新天地へ進出しにくくなる)。
ハリサシガメの成虫には色々と驚かされるが……このあと、幼虫のユニークさにさらに仰天させられることに……。

デコレーションで偽装するハリサシガメ幼虫



ハリサシガメの成虫を撮影すべく、石垣チェックしていて見つけた奇妙な昆虫↑。虫の残骸やゴミをまとっている。鳥糞にはよく未消化なタネや昆虫のパーツなどが混じっていることがあるが、ちょっとそんな感じ。この虫を見たときはこれがオシャレな《「ハ」紋》カメムシ(その時点では和名を知らなかった)の幼虫であるなどとは知らず……帰宅後調べて、またまたビックリしたのであった。


昆虫の頭や脚、ワラジムシの残骸と砂粒のようなゴミを全身にあしらったユニークな姿。触角があるのでかろうじて虫だとわかる(触角がある画面右が頭)。うずくまっていたが、そのままだと判りづらいので、つついて体を浮かせたところを撮ったもの。こうして脚が判別できるポーズになると虫であることがわかる。


正体を知らずこの虫を見た時も驚いた。なんとなくサシガメっぽい感じはしたのだが、ゴミをまとうカメムシなんているのだろうか?──と頭の中には、やはり「?」が浮かぶ。クサカゲロウの幼虫が獲物の死骸を背負ったり、ジンガサハムシの幼虫が脱皮した抜け殻を背負ってカムフラージュするのは知っていたが……そうしたゴミで偽装する幼虫は、完全変態の昆虫というイメージがあった。不完全変態(幼虫も成体と似た姿をしている)のカメムシで、しかもこれほど徹底的にゴミ・コーティングする虫がいるとは……???
帰宅後、調べてこれが「ハ」紋カメムシの幼虫であることを知ったときには、僕の中で【ハリサシガメ】の珍虫度はさらにアップした。ハリサシガメは幼虫のときもアリを捕食するそうで、どうりでアリの死骸をまとっている個体がいくつかあった。


石垣の上だと「いる」のがわかるが、これが土の上に移動すると、動かないかぎり、まず気づくことはできないだろう。↑と同じ個体↓を直径2cmの1円硬貨と比較してみた。


不完全変態の昆虫は成虫と幼虫の姿は似ているものだが……これほど見た目の印象が違うカメムシも珍しいのではあるまいか?
《ゴミをまとう》というユニークな特徴をもつ幼虫が、それではなぜ成虫になると、その特徴をすてるのだろうか?──と考えたくなる。
まず思いつくのが、昆虫の成虫には翅がある──飛翔のさまたげになるのでデコレーションができなくなるという解釈。しかし、成虫になっても(翅が短く退化して?)飛べないのであれば、デコってもいいのではないか?──などと思わなくもない。しかし、成虫になれば繁殖活動をしなくてならなくなる。相手に見つけてもらうためにはカムフラージュが巧み過ぎては不都合なのかもしれない。幼虫時代は敵に見つかりにくくすることに専念(?)すればよいが、成虫になると婚姻相手には見つけてもらわなくては困る……ハリサシガメの背中の《(逆さ)「ハ」紋》は、もしかすると、そんな指標になっているのかも知れない──などと、やはり脳みその中では想像(妄想?)が広がり続けるのであった……。
それにしても、なんとも風変わりなカメムシがいたものだと感心するばかり。


サファイア・ブルーなヒガシニホントカゲ幼体

青く輝く尾が美しいヒガシニホントカゲ幼体



ヒガシニホントカゲの幼体は小さくてかわいらしい。そしてびっくりするほど美しい。黒いボディーに金色のライン&ブルーに輝く尾は宝石のようだ。僕が持っている図鑑では【ニホントカゲ】と記されているが、今はそれが3種類に分けられ、東日本に分布しているのは【ヒカシニホントカゲ】になるらしい。






ヒガシニホントカゲの幼体はとても美しいのだが、これまでほとんど撮っていなかった。というのも、警戒心が強く敏捷なので、カメラを向てもすぐ逃げられてしまっていたからだ。めずらしい生き物でもないので「別に今撮らなくてもいいや」とすぐにあきらめ、《いつでも撮れる感》から「そのうちキレイに撮れそうな場面にであったら、その時撮れば良い」と放置していた。
それが先日、ヒガシニホントカゲの密度が高い石垣を見つけたので、狙ってみたしだい。カメラを向けたモデルの大半は逃げてしまったが、いくつかは撮ることができた。


このように幼体↑はあざやかだが、生体↓になると地味な色合いになる。




ヒガシニホントカゲ幼体の捕食

ちょうどイモムシを捕食した幼体がいたので食事シーンを追ってみた。不鮮明な画像もあるが、順を追って並べてみる。
















完食すると口のまわりの泥を落として終了。食事時間は1分40秒ほどだった。


食事シーンを見ることができたが、こんなシーンも……↓。




幼体の尾が目をひくほどキレイな理由

ヒガシニホントカゲ幼体は頭~胴の部分は黒地に金のラインは鮮やかだ。これは物陰にかくれて体の一部がのぞいた状態では明暗で分断されてボディーラインを隠蔽するような効果がありそうだ。そして何といっても目をひくの青光りする尾──これには、天敵に襲われ尾を自切したさいに、天敵の注意を切り離した尾に集める陽動的効果があるのだろう。
「トカゲのしっぽ切り(トカゲが尾を切り捨てて逃げるように、不祥事などが露見したとき、下位の者に責任をかぶせて、上の者が追及から逃れること)」なんていう言葉があるが、ヒガシニホントカゲも天敵に襲われるなど危険を感じると自ら尾を落として逃げる。切り離された尾はピチピチ跳ねまわって敵の注意をひく。その間に本体は逃げるという寸法だが、離脱して跳ね回る尾は目立つ方が陽動効果は高い──そう考えると、逃げ隠れる側の頭と胴は明度が低く、敵の注意をひくべく尾が目をひく輝きを放っているのも合点がいく。
トカゲの尾の骨には一節ごとに特別な割れ目が入っていて、そこで離脱するしくみになっているという。切れた尾は再生するが、再生した尾には骨はないため再生部分での自切は起こらないらしい。
再生した尾は元の尾ほどキレイではなく短くなりがちなので見てわかる↓。




時はどんどん加速する

時はどんどん加速する

気がつけば7月も下旬。ちまたでは小学校など夏休みに入ったようだ。
小学生だった頃、「40日《も》ある」夏休みは長かった。1学期が終わり夏休みに突入した時は開放感でウキウキし、この長い長い休みにやがて終わりがくるなどとは、とても想像できなかった。夏休みの課題(宿題)があったかどうか覚えていないが、学校が再開する2学期のことなど遠い未来の果てことのように思われ、そんな先のことまで心配する気にはなれなかった!? 夏休みが終わる頃になると、夏休み前に課題(宿題)が出されたのかどうか……そんな遠い昔のことなど思い出せるわけもなく……当時の「40日」はそれほど長かったわけである。
ところが昨今の「40日」はあっという間だ。《歳をとると時間の経過が早くなる(ように感じる)》というのは誰もが経験することだろう。この《時間の加速感》については以前記したことがあった(*)。

例えば5歳児にとっての1年はそれまで生きてきた人生の5分の1に相当する。しかし50歳の人にとっては人生の50分の1に過ぎない。歳をとると、それまで生きてきた《人生時間》が増えることで、それに比較して単位時間が短く感じられるようになる──ということはあるだろう。「分子」の単位時間は同じでも、「分母」の《人生時間》が増えることで、値が《目減りする》という構図だ。

さらに言えば、「分子」が【単位時間】ではなく、【余命時間】であると考えると、《目減り》率──《時間の加速感》はぐっと増す。余命時間とそれまで生きてきた人生時間の比率は、読み始めた本の未読ページ数と既読ページ数の割合のようなものだ。
読書をしていると、読み始めは既読部分に対して未読部分が圧倒的に多いのに、半分を過ぎた頃から、残り頁の割合がどんどん加速的に減っていく感じがする。
例えば400ページの本の場合、最初の10ページを読んだ時点で、そこは全体の40分の1。まだ既読部分の39倍が残されている。しかし残すところ10ページまで読み進めば、残りは既読部分のわずか2%半ほど。同じ10ページでも読み始めと読み終わりで既読量との比率には大きな格差が生じる。ヒトの人生もこれと同じように、子どもの時の10年と晩年の10年では人生比率に大きな格差を感じる──そういうことなのだ考えると納得できなくもない。

最近はとみに早く感じられるようになった時間……。「あれっ!? 今年はクリスマスが来るのが去年より1ヶ月半くらい早いんでないか?」とか「今年は去年より2ヶ月くらい短かかった気がする……」などと首をかしげたくなることもしばしば。油断もスキもあったものではない。

物理的には均一に流れているはずの時間だが、歳をとるにつれてその比較から目減りして感じる──そうしたことは、あるだろう。さらこれとは別に、記憶力の低下による《主観的な時間》の加速感もあるに違いない。つまり1年の間に蓄積される記憶総量(覚えているイベントのボリューム)が、歳をとってくると記憶の低下によって目減りしてくる。そして記憶の欠けた分だけ少なく→早く過ぎたと感じるわけである。
また、若い時に比べて新陳代謝が落ちたことで(時間を計る化学反応が緩やかになったことで)《主観的な時間》が短く感じられるようになった──なんてこともあるかもしれない。

さて、この《主観時間》が、こんな調子でどんどん加速していったら、この先いったいどうなるのだろう……。
「去年は一昨年より1ヶ月半くらい短かった」「今年は去年より2ヶ月くらい短い」という感覚がエスカレートして、「《主観時間》が年々削られていって、前の年の半分に感じる」ようになったとする。
1年目に対して、2年目は半年・3年目は3ヶ月・4年目は1ヶ月半……という割合で《主観時間》が目減りしていったとすれば、2年目以降は、どんなに長生きしても──たとえ1億年生きたところで、その累計《主観時間》は「1年」を越えることはない。
もちろん、これは単に数学的なお遊びだが……《主観時間》が年50%になれば、たとえ物理的に(数学的に?)無限に生き続けたとしても《主観的》にはトータルで(2年目以降は)1年を越えられないのである。

ところで、《主観時間》側から見て《客観的(物理的)時間》が加速して感じられるということは、逆に《客観的(物理的)な時間》の側からみれば、《主観時間》の進み方がスローダウンしていることになる。
脳みその処理速度が遅くなり半分になれば、それまで1年かかって処理(実感)してきたものが、その半年分しか処理できなくなる。《主観時間》側からすると「かつての1年が今の半年!」的ボリュームで、時間の経過が倍速化して感じられるが、これは客観的に見れば《主観時間》を計る【時計】が遅れ、針の進み方が半分にスローダウンしたことになるわけだ。

《主観時間》で感じる(客観)時間の加速感は、《主観【時計】》の遅れに他ならない。《主観時間》がどんどん加速を続け、やがて無限に到達すれば……《主観【時計】》は超スローになり、やがて停止する──これが「死」と言えるのかもしれない……。

例えば老衰で死を迎える直前──もうろうとしている状態は客観的には思考速度はかなりスローモーにみえるが、これは《主観【時計】》が超スローモーになった状態で、《主観時間》はかなり加速しているのかも知れない。この《主観時間》のスピードがさらに加速をきわめて無限に到達したとき──すなわち《主観【時計】》が限りなくスローモーになって完全に停止した時──これが「死」だと考えることもできなくはない?
ついでに言えば、ヒトは自分の死の瞬間を《主観的》に知ることは決してできない(死んだ時にはそれを確認する脳は活動していないのだから)。そういった意味では《主観的には、自分の死は存在しない》わけで、《主観的》には時間のスピードが超加速し無限に達すると感じたまま逝くのかもしれない……。
《主観【時計】》が停止した時が「死」だという解釈は、なんとなく納得できる気がしないでもない。

漠然と、そんな想像が展開した。例によって脳内シミュレーション──頭の体操をしてみたしだい。

●時間の加速感

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■エッセイ・雑記 ~メニュー~
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一つ目魔人vs美少女仮面なホソバシャチホコ他

一つ目魔人vs美少女仮面:空目の極みホソバシャチホコ



もう何度も紹介している空目ネタ(*)だが……この《隠し絵》を見つけると、やはり撮ってしまう。


キアイを入れれば見えるハズ……。


初めてホソバシャチホコ(蛾)の幼虫を見たときは、オシャレな緑色のチョッキ(ベスト)が目を引いた。


この緑色のベストは食樹(コナラ・クヌギなど)の葉の上では、葉の色に溶け込んでボディーラインを分断し、天敵に見つかりにくくする隠蔽効果があるのだろう。《天狗の隠れ蓑(みの)》ならぬ、《ホソバシャチホコ幼虫の隠れチョッキ》。
緑のベスト以外の部分に目を移すと複雑な模様が入っていて、これもボディーラインをかく乱する効果がありそうだが……よく見ると、この模様に一つ目の魔人とロングヘアをなびかせた美少女仮面の絵が隠されていたのであった。
描かれた魔人やヒロインの表情には個体によって違いがある。それでホソバシャチホコの幼虫をみつけると、つい《隠し絵》を確認してしまう。
これ↓は別の個体。


この個体は頭部右側に傷があった。


今回のホソバシャチホコ幼虫は擬木の上を徘徊しており、撮りづらかったので枝にとまらせて撮影したもの。

空目の蛾つながりでスジベニコケガ



やはり擬木でみつけた空目ネタの蛾──スジベニコケガ(こちらは成虫)。


幼虫は地衣類を食べるそうだが……ミズキの葉の裏には、(成虫の)オスとメスが並んでとまっていた。




左の小さめで赤みが強いのがオス、右の黄色みが強いのがメスだろう。

ウシカメムシ幼虫もキアイを入れれば空目模様



キアイを入れれば見える(ハズ?)空目ネタつながりで、ウシカメムシの幼虫。
見えない人のために、【ソンブレロ仮面ウシカメムシ幼虫ほか】からイラストを再掲載↓。




読書中の内なる声!?

読書中の内なる声!?

「読書中に文章を読み上げる声が頭の中で聞こえるかどうか」──そんな話題が少し前にあった。

■本を読むときに頭の中で「声」が聞こえる人と聞こえない人がいることが判明
http://gigazine.net/news/20160225-read-voice-in-head/

この記事によると、なんと8割以上の人が「《声》が聞こえる」そうで、これには大いに驚いた。というのも僕は《読書中の内なる声》など聞いたことがない──それが当然だと思っていたからだ。
さらに、ふだん物事を考える時にも頭の中で《声》が聞こえている人がいるらしく、これにもビックリ。

考えてみれば、読書や思考など「頭の中で行っている作業」は、その人本人しかわからない。だから、他の人も(自分と)同じだろうと思い込みがちだが……人によって脳みその使い方(?)には違いがあるのかも知れない。

僕の場合、読書している時は人名・地名・生物名などの固有名詞は字面──文字列が視覚的な記号として認識されていて、いちいち音声には変換されない。漢字の固有名詞は音読み・訓読みの識別をせずに字面のまま読んでいる。「高山」は「たかやま」でも「こうざん」でもなく「高山」のまま処理される。読み=音に変換されることなく読み進めていくのだから、当然《読み上げる声》などは発生しない。

「声に出して読む《音読》」と「声に出さずに読む《黙読》」──この違いは単に発音運動の回路がONかOFFかということにとどまらず、《文字を音と対応させる回路》がショートカットされているか否かも関わっているような気がする。黙読の際に《文字を音と対応させる回路》をショートカットしている人は《声》が聞こえず、その回路をONにしている人に《声》が聞こえる──ということなのかもしれない。

僕の場合、会話中に昆虫の名前など固有名詞がなかなか出てこず、「ほれ、あれ、えーっと」状態に陥ることがよくあるが、そんなとき頭の中では、該当する「文字列」を思い浮かべ、それを「音声」に置き換える作業でてこずっている感じがする。
「文字列」という視覚的なブロックで「読み込み」が行われることで文字列空目(*)なんてことも起こるのだろう。

思考についても、僕の頭の中では《声》は聞こえない。もちろん、音声を伴うシーンを回想すれば《声》も脳内再生されるが、基本的には思考中に《声》などしないし、そもそも言葉で考えているわけでもない。個人的には、むしろ言語回路(?)の活性を抑えて(言語化せずに)概念のままイメージを展開させた方が自由度の高い思考ができると考えている。

話すにしろ聞くにしろ読み書きするにしろ……言葉(文章)では情報をひとつひとつ直列的に配置しなければならない。
例えば視覚では目に映った状況──そこがどこで誰と誰がいて何をしているか、その位置関係などの複数の情報が瞬時に、並列的に認識できる。しかしその状況を文章化(言葉で表現)するとなると、一語一語直列的に構築し直して出力(書いたり話したり)しなければならないし、入力(読んだり聞いたり)についても一語一語たどっていかねばならない。
視覚情報を文章に置き換えるのに手間がかかるように、複雑な思考を文章に変換するのも手間がかかる。感じたり考えたことを文章に翻訳するのは、けっこう面倒くさい作業だという認識が僕にはあるのだが……他者に伝えたり記録に残すためには避けて通れないので、やむなくしているといったところ。

僕にとってはストレスとも言える文章化だが……世の中には(文章化が前提の)話し好きな人もけっこう多いようで、のべつまくなしに喋り続けている人もいる。
こうしたオシャベリストにとってはおしゃべりはストレスではなくストレス解消なのだろう。
こういう人は《「考えたこと」を「文章」に変換する》作業をしているというより、そもそも思考自体を《文章フォーマット》で──いってみれば《言葉で考える》ことをしているのではないか思う時がある。それならば、頭に浮かぶことを次から次へと話し続けることもできるし、《内なる声》が聞こえても、さほど不思議はないのかもしれない。

ただ、たやすく文章化できる領域での思考は、自由度も制限される。多次元的並列的な複雑な思考はできないだろう。
饒舌な人は頭の回転が速いのではなく、(言葉にしやすい)自由度の低い思考パターンで物事を捉えていがちで、逆に話がもたつく人は、頭が鈍いわけではなく、自由度の高い(複雑な)思考を展開していて、適切な表現(文章化)にてこずっている──なんてこともあるかもしれない。

僕は読書の際も考える時も《内なる声》は「聞こえない」ので、「聞こえる」というのがどういう状況で起こるのか、いまひとつよくわからないのだが……少しばかり思うところを記してみたしだい。


*視力が衰えることで見えてくる世界!?~文字列空目

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ナガメとヒメナガメの模様考

ヒメナガメの凝ったデザインに感心





美しい昆虫・カッコイイ昆虫は色々いるが、ほどこされた模様のデザインで選ぶとすればヒメナガメは外せない。ヒメナガメは植物の汁を吸う6~8mmほどのカメムシ。《菜の花につくカメムシ→ナガメ》の近縁種で、ナガメよりもやや小さいのでヒメナガメ。
模様は黒とオレンジ色のツートーンカラーで構成。配色はシンプルだが、デザインの方は凝っていて、これが見事でカッコイイ。




アカスジカメムシはそのままサッカーのユニフォームになりそうなデザインだが(実際ACミランのものがそっくり)、ヒメナガメはそのまま仮面に採用できるクオリティーのデザインだと思う。


こんな仮面↑があっても、ちっともおかしくはあるまい。アカスジカメムシの《シンプルなストライプ》も「よく自然物で実現したなぁ」と感心するが、ヒメナガメの《複雑にして調和のとれたデザイン》も「よくこんな凝った形が実現したなぁ」と感銘のようなものさえ覚える。カメムシもなかなかあなどれない。




ナガメをながめて考える模様の規則性



これはヒメナガメと同じところにいたナガメ。よく似ているが、模様がヒメナガメよりもシンプル。




狭山丘陵ではナガメの方が多いが、同じ場所でヒメナガメを見かけることも少なくない。


この2匹↑、見つけた時は同じ葉の上にいたのだが、2ショットを撮ろうと近づくと離れてしまった。ちょっと写りが小さめになってしまったが、ナガメとヒメナガメが同じ場所に混生しているということで。
近縁種ということで全体の印象はかなり似ているのだが、よくみるとオレンジ色(赤~黄)の条紋の形が違う。


ナガメ(単純)とヒメナガメ(複雑)を見比べると、条紋(筋紋)デザインの入り方・発展(?)のしかたに規則性のようなものがあるように感じる。
黒地の体にオレンジ色(橙色)の配色が筋状に入る場合、黒領域と橙領域をクッキリ分けつつ、バランスの良い配置──おおむね均等な密度で配置されているようにも見える。ヒトが見ると複雑な形に見えるが、自然の秩序(規則性)があって、この「調和」が「美しい」と感じるところなのだろう。
ナガメの単純な条紋(橙の筋)で分離された黒スペースの《疎》の部分にこれをバランス良く分割する拡張条紋が入るとヒメナガメのデザインになる。


地色の《疎》の部分に展開する条紋(筋紋)は、配色スペースを等密度に分割する配置を選ぶ──そんな規則性を感じる。
ナガメと似たような条紋配置のカメムシを並べてみた↓。


この↑前胸背板の模様に注目すると、どれも「縁に沿った条紋」+「地色スペースを二分する拡張条紋(中央の縦筋)」というデザインになっている。これにさらに拡張条紋が加わったのがヒメナガメのデザインではないかという気がする。
抽象的な例えだが……数字に置き換えると「00」は地色単色(模様無し)、「01」から配色ラインが加わり、数字が増えると基本デザインの条紋が太くなる。「09」までは同じデザインで配色ラインが太くなるだけだが、「10」になると、1つ位が《くりあがる》──これが拡張デザインというイメージ。
ナガメの模様の《くり上げデザイン》がヒメナガメの模様になるのではないか──と僕は密かに思っている。だとすると、ナガメの《くり下げデザイン》はどうなるのだろう?
前胸背板の模様で考えると、黒地スペースを二分する中央の縦筋がないデザインが《くり下げデザイン》だろう。そんな模様のカメムシもいる。ベニツチカメムシというのが、これにあたると思うのだが僕は撮ったことが無いので、在庫画像からオオホシカメムシを例に拡張デザインの規則性をイメージしてみる。


このように、一見複雑に見える模様(拡張デザイン)も、デタラメに模様が配置されるわけではなく、規則性によって生み出されてるような気がする。

全く系統の違う昆虫でも、模様の形成に同じような秩序(規則性)が働いているとするなら、しばしば似通った模様が出現するのは不思議なことではない。昆虫には擬態(似ていることで生存に有利な効果)とは考えにくいタダの「空似」も少なくない。
模様形成に共通する秩序があれば、空似はごく自然な現象で、その中から「たまたま似ていることで、生存率が高まる」というケースが発生した場合、その特徴は受け継がれ・濃縮して「擬態」としての意味を持つこともあるだろう。「擬態」は「似せよう」という意志があって獲得するものではなく、模様形成の秩序(規則性)による「空似」の延長上にたまたま出来上がったものだと考えると納得できる。
──というのはド素人の勝手な想像に過ぎないが、ナガメやヒメナガメを見ると、ついそんなことを考えてしまう。

ちなみにこれまでの画像は全て成虫。今回ナガメ・ヒメナガメ同じ場所にいた幼虫はこんな姿↓。


ナガメとヒメナガメの幼虫はよく似ているそうで、混生場所では僕には区別がつかない。幼虫は、ちょっと空目ちっく。



今回、ヒメナガメ&ナガメを撮っている時にみつけたウズラカメムシもついでに↓。




ウズラカメムシにはヒメナガメとはまた全然違う魅力を感じる。
そして同じ日、近くのサクラで見つけた羽化してまだ体色が定着していないミンミンゼミ↓。




シロカネグモの変化する模様

銀色に輝く美麗クモ・シロカネグモの変身にビックリ!



銀色に輝く美しいクモ。一部薄い金色もまじっている。帰宅後調べたところシロカネグモの仲間らしいが、撮っているときはこのクモについての知識は全くなかった。
ただキレイだというだけでカメラを向けたのだが……金属光沢のある虫は、その輝きがなかなかキレイに撮れない……。
銀色のクモがいることは知っていたが、見たのは初めて。イメージしていた種類のものより大きい。とりあえず、その大きさがわかるように、例によって1円玉と並べて撮っておくことにした。


1円硬貨を近づけるとクモは警戒して動き出した。するとその直後、それまで気がつかなかった太い黒筋が現れ、別人ならぬ別蜘蛛に変身!?


この時はクモが位置を変えたことで、(光の加減で)模様が鮮明に見えるようになったのだろうかと思っていたのだが……帰宅後調べてみると、シロカネグモの仲間は刺激を与えると腹部の黒い縦筋が太く変化するらしい。撮影した画像をチェックしてみると、確かに変化していた↓。


見つけた時↑は、うっすらと細く見えていた黒い縦縞模様(左)が、移動した直後には、かなり太くなり頭方向に拡大している(中)。そのわずか24秒後にはまた細くなっている(右)。画像右下の白い数字は撮影時の《時:分:秒》。
わずかの間に模様がこんなにハッキリ変化するとは驚きだ。カメレオンやコブシメ(コウイカ)、ミミックオクトパス(タコ)が体表面の色を変化させるのは知っていたが、節足動物でもあさざやかに変化させるものがいるとは想像したこともなかった。
金属光沢があるだけでも充分、注目に値するが、さらに「変化」するというのが興味深い。この変化には、いったいどんな意味があるのだろう?
日本大百科全書(ニッポニカ)では【シロカネグモ】について《腹部が銀色で細い3本の褐色の縦条(たてすじ)がある。体に触れると、この縦条が急に太くなって別のクモのようにみえるが、これは身を守る手段の一つである》と解説されているが……この「変化」がどうして《身を守る手段》になるのか、ちょっと理解できない。
黒い筋が最も太く現れた画像を見ると、(かなりキアイを入れれば)あるいはハチっぽく見えるかもしれない?──もし天敵にそう見えれば《身を守る》ことにつながるのではないかと考えてみたけれど、攻撃を受けてから変身(擬態準備?)していたのでは間に合わないのではないかという気もする。
それとも「変化」に特に意味はなく、単なる構造上の「結果」たまたまそうなっているだけなのだろうか?
いずれにしても、こんな謎めいたクモがいるとは知らなかった……。


【シロカネグモ】は漢字表記では【銀蜘蛛】。「銀」だから「シロガネ」と読みたくなるが「シロカネ」と濁らない。「蜘蛛」の方は「クモ」ではなく「グモ」と濁る。標準和名の濁点の有無はややこしい……。


7月の昆虫から



今シーズン初のアブラゼミ。ちなみに今年の《セミの初鳴き》は、ハルゼミが4月18日/ニイニイゼミが6月17日/ミンミンゼミが7月4日。セミの鳴き声を聞くと夏の実感がわいてくる。
夏の昆虫といえば──、


ヤマトタマムシも出てきた。シロカネグモの光沢も美しかったが、メタリックな輝きでは、やはりヤマトタマムシが抜きん出ている。
この《生きた宝石》は、インドや中国ではアクセサリーとして宝石商で取り扱われるというし、国宝「玉虫厨子(たまむしのずし)」の装飾に使われたことも有名だ。「玉虫」の"玉"には宝石の意味もある。
童謡『黄金虫(こがねむし)』(野口雨情・作詞)の「金蔵建てた」コガネムシは、このヤマトタマムシだという説がある(*)。僕はタマムシの翅で装飾された「玉虫厨子」を「タマムシ(野口雨情の故郷周辺ではタマムシをコガネムシと呼んでいた)の金蔵」とみたてる着想を得てこの童謡が書かれたのではないかと想像している。
そして、夏といえば──、








トラフカミキリはシーズン初個体をみると「やっぱり、スズメバチそっくりだ」と感心してしまう。ボデイーラインや模様の形を個別に見れば、さほど似ているわけでもないのに、全体の印象がスズメバチっぽく見えるというのが興味深いところ(*)。
ついでに、いるとやはり撮ってしまうシラホシカミキリ↓。




シラホシカミキリはこの後、例によって飛び去った……。
そして、これまで縁がなかく(?)、ようやく初めて見ることができたカミキリ↓。


タケトラカミキリはホストがタケだというので、狭山丘陵で竹があるところは注意して見ていたのだが、これまで一度も見たことがなかった。それがなんと自宅の真ん前にいたのでビックリ!
「なんで、こんなところにいるんだよ!」感は、安アパートの一室でメトロン星人(@ウルトラセブン)に遭遇したような気分(──といえば、わかる人には解るハズ)。
ちょっと撮りづらい位置にいて、このあと飛び去ってしまい、イマイチ・ショットしか撮れなかったが……思わぬ初遭遇であった。


巻貝が描く《幻の地図》

巻貝幻想!?コガネムシを食うカワニナ!?

7月に入った。フィールドを歩いていると汗が流れ、暑さで脳みそが弛緩する。思考が停滞する頭の中に、ニイニイゼミやキリギリスの鳴き声だけが響きつづけ、意識の空白地帯に、白昼夢が発生することがある……。
先日、トトロの森周辺を散策していたときのこと。干上がりかけた池をのぞくと、浅い止水の池底を複数の巻貝が這っていた。タニシよりもスリムな巻貝。カワニナに似ているが、貝には疎いので僕には種類がわからない。よく見ると巻貝のフチ(殻口)の下からコガネムシの尻と後脚がのぞいているではないか……池に落ちた昆虫を食う巻貝!?


コガネムシはゆっくり呑み込まれていく……暑さで溶けかけた脳みそには、そんなふうに映った。


イモガイが獲物を捕食する映像は見たことがあったが……肉食巻貝が、こんなところにいるものだろうか?
他の巻貝に目を向けると、やはりコガネムシを呑み込んでいるものがいる!?
そうそう都合良くコガネムシが池に落ちるとも思えない。ということは、コガネムシが池に落ちたのは偶然ではなく、この巻貝が何らかの方法でおびき寄せ、それを食していたのではあるまいか? だとすると──こりゃ、イモガイもビックリの超絶ハンターだ!
……なんてことはもちろんなく、「コガネムシの尻と後脚」に見えたのは、実は貝の頭(?)と触角だった。


──というわけで、溶けかけた脳みそは思わぬ幻想をみせてくれるものだ。
浅い池底にはこの巻貝たちが這った跡が浅い溝をつくって伸びている。溶けかかった脳みそには、この足跡(這った跡)も別のものに見えてくる……。
「巻貝の這った跡って……里山の道のようだな」緩やかなカーブは峠道や丘に沿ってまわりこむあぜ道っほい。巻貝たちが描いた道をながめているうちに、それが《里山の地図》に見えてきた。


巻貝たちが描いた不思議な《地図》……暑さで溶けかかった脳みそ内で、この着想が一人歩きを始め、白昼夢のようにイメージが展開した……。
イメージというのは文章の形で形成されるわけではない(文章とは別次元)。それをそのまま記録することはできないが、概要を文章に翻訳しておこう。

巻貝の《地図》幻想

男は半分干上がった浅い池の水底に、巻貝がつくった道を目にして「《里山の地図》のようだ」と思った。彼の出身地も田園地帯で低い丘のふもとには田畑が入り組み、こんな曲がりくねった道が続いていた。
子どもの頃に過ごした景色を思い浮かべ、貝が描いた《地図》と重ね合わせてながめているうちに、水底に描かれた《地図》が、彼の故郷の地形に一々あてはまることに気がつき、男は驚愕する。
「そういえば、こんな地図を子どもの頃に見たことがあった!」

彼は子どもの頃の奇妙な体験を思い出した。あぜ道で虫をとって遊んでいたとき、見たことが無い老人が現れて「ここへ行くには、この道でいいね?」と問題の地図を広げて位置の確認を求めてきた。その地図には道や川らしきものが描かれていたが、地名や地図記号などはなかった。ただ1つ「×」印がつけられていて、老人はそこへ行きたいらしい。道や川の曲がりぐあいから、村の位置関係をあてはめて考えると、「×」印は神社裏手のため池のようだった。彼は老人をそこに案内してやったのだが……その途上で老人から聞いた話が奇妙きてれつだった。
その老人はトレジャーハンターで、不老不死を叶える財宝を探しまわってきたという。《一帯の支配者となり不老不死を手に入れる》ためのアイテムが、地図の「×」印に埋まっているというのだ。問題の地図はだいぶ前に手に入れることができたものの、それがどの地域の地図かがわからず、道の形が重なる地形の場所を長年探し続けてきたらしい。そしてようやく割り出したのが、彼の村だったという。
おとぎ話のような説明に子どもながらに困惑したのを彼は覚えている。「この爺さんは、ちょっとアブナイ人かも?」──そんな警戒心が生まれ、奇妙な老人を神社裏手のため池まで案内すると、彼はそそくさとその場をあとにした。
翌日、その老人はため池で溺死しているのが発見され村ではちょっとした騒ぎになった。おそらく老人は正確な「×」印の位置を確認しようとして池にハマって溺れたのだろう。不老不死を手に入れようとして死んでしまうなんて──なんてバカげたことだろう。当時、子ども心にそう思ったものだった……。

そんな記憶がよみがえり、男の頭の中に、突然ひとつの考えがひらめいた。
あの老人が持っていた《地図》は、男が育った村の地図ではなく、今、彼が見ている《(水底に描かれた)地図》だったのではないか? 奇妙な一致はとても偶然では片付けられない。
(──と、すると、《神社裏手のため池》にあたる場所は……)
男は貝が描いた《地図》に自分の故郷の地形を重ねて、「×」印に該当するあたりの水底に手を突っ込んだ。やわらかい泥の中で堅いものが指にふれ、取り出してみるとタニシ程の壷だった。
(まさか、これが、あの老人が探していた《一帯の支配者となり不老不死を手に入れる》ためのアイテム!?)
半信半疑で壷のフタを開けると……かすかに紫色の煙が立ちのぼったように見えた。確かめようと顔を近づけると、それまで嗅いだことが無い不思議な匂いが香った……次の瞬間、男の意識は遠のいていった……。

その日以来、男を見た者はいない。男が消えたのと時を同じくして、壷が埋まっていた池には、ひときわ大きな巻貝が1つ、こつ然と出現し君臨していたが、そのことに気づく人もいなかった。
やがて浅かった池は完全に干上がり、生息していた巻貝も全滅。ただひとつ、ひときわ大きなその巻貝だけは、乾きに苦しみながらも死ぬことなく、餌がなく飢え続けながらも死ぬことができずに生き続けていた……。


──というのが、暑さで溶けかけた脳みそに浮かんだ幻想イメージ。文章に翻訳するにあたって便宜的に(判りやすく)整理したところはあるが、おおむね、こんな感じ。
以前、やはり夏に、この近くを歩いていて【キリギリス幻想】のイメージが展開したことがあったが……暑さでもうろうとした頭には幻想が湧きやすい。
もっとも、妄想力が働くのは暑い時だけに限らず、寒さで凍りかけた脳みそは【冬来たりなば貼るトウガラシ】なんてイメージを描いたりもするわけだが……。