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2016年03月の記事 (1/2)

フーテンの寅カミキリ!?ほか

きょうで3月も終わり。ということで3月末に見られたカミキリなどを──。

《フーテンの寅》天牛!?トウキョウトラカミキリ



3月の最終日になって今シーズン初のトウキョウトラカミキリを確認。この個体↑は白い鉄柵にとまっていたが、カメラを向けると動き出してなかなか撮らせてくれない……指にとまらせて撮影を試みるが、さっさと飛び去ってしまった。


このカミキリを僕はひそかに(?)「フーテンのトラカミキリ」と呼んでいたりもする。
【トウキョウトラカミキリ】の《トウキョウトラ》からの連想で→《東京のトラさん》→《東京の寅さん(渥美清が演じた『男はつらいよ』シリーズの寅さん)》→《フーテンの寅(@『男はつらいよ』)》で、【フーテンの寅(トラ)カミキリ】。そして、上翅の端にある黒っぽい2つの点(紋)──フーテンを持つトラカミキリ──という意味もこめての愛称。


上の3枚は同じ個体。トウキョウトラカミキリの名前がついているがギリギリ埼玉県側で撮影したもの。じつはこの日、今シーズン初のトウキョウトラカミキリを東京都側で見つけていたのだが、すぐに飛ばれて撮らせてもらえなかった……。

東京の名前がついているのに埼玉産……なんだかちょっとバッタもんぽい感じがしないでもない。カミキリなのにバッタとは、コレいかに!?──みたいな?
テキ屋を生業とする寅さんならバッタもんもうなずける……ということで、埼玉県産のトウキョウトラカミキリ(といっても、いたのがギリギリ埼玉県側ということで、東京生まれ東京育ちで羽化して埼玉県側へ移動した個体の可能性も充分あるが)。

さて、このトウキョウトラカミキリには個人的愛称がもう1つある──【TTカミキリ】だ。「TT」は「東京トラ」の略──そして上翅の模様が《T》に見えることから。
今回撮影した個体は、やや小ぶりてスリムな体型なのでオスだろうか……模様のコントラストが弱めで《T》模様が両側の模様とつながっている。上翅の模様の明るい部分は白い毛が密集しており、これが毛深い個体ほどその部分が明るい色に見え、模様も明瞭になる。ボリュームのある個体では、もっと《T》模様もクッキリ見えることが多いようだ。
ということで、そんな個体の画像を過去の記事から再掲載↓。


※↑【背中に【T】:TokyoToraカミキリ@東京】より。

3月末のカミキリなど





前回の日記以降、見られるようになったヨツボシチビヒラタカミキリ。ガードパイプにとまっていたもの。
ヨツボシチビヒラタカミキリに続いて今年3月に入ってから2種類目のカミキリはナカジロサビカミキリだった↓。




ナカジロサビカミキリも比較的早い時期から見られるカミキリ。ここ4年間は3月後半に初個体をみている。
毎春こうしたカミキリが見られる頃に目にするトラフコメツキも出ていた。


珍しい種類ではないが、「そろそろ」と思っている定番の昆虫に再会すると、なんとなくホッとする。


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早春の天牛ヨツボシチビヒラタカミキリ

《早春の天牛》ヨツボシチビヒラタカミキリ







毎年、桜が開花する頃に見かけるようになるヨツボシチビヒラタカミキリ──なので(個人的には?)《早春の天牛》のイメージがある。今年は、東京都心での桜(ソメイヨシノ)の開花宣言が3月21日にあった(気象庁発表)。狭山丘陵の開花は都心よりも数日遅れる。そしてこの周辺でもぼちぼち開花が始まったので、そろそろ……と期待していたヨツボシチビヒラタカミキリを確認。
今年の初ヨツボシチビヒラタカミキリはギリギリ埼玉県側でみつかった。そして東京都側の擬木で2匹目をみつける。飛んで来て間もないのか、下翅が少しのぞいていた。






同じ個体だが、体の表面に生えた細かい毛がわかる画像↓。意外に毛深い。


ちなみに、ここ5年の《東京の桜(ソメイヨシノ)開花日》と【狭山丘陵のヨツボシチビヒラタカミキリ出現確認日】をふり返ってみると次の通り。
・2012年……《3月31日》/【4月9日】
・2013年……《3月16日》/【3月16日】
・2014年……《3月25日》/【3月31日】
・2015年……《3月23日》/【3月30日】
・2016年……《3月21日》/【3月29日】

他にも出ていた甲虫類から







やはり名前に「ヒラタ」が入る甲虫類ということで──擬木の上にいたクロムネキカワヒラタムシ。細長い体はちょっとカミキリっぽくも見えるが、カミキリムシ科ではなくヒラタムシ科の昆虫。




ゾウムシの仲間も何種類かいたが、見かけるとカメラを向けたくなるのは例によってミヤマシギゾウムシ。
極小象虫では、レロフチビシギゾウムシもいた↓。


ついでに先日撮ったノミゾウムシも……↓。




ネット上の画像を見ると、ムネスジノミゾウムシというのに似ている気がするが、よくわからない。ゾウムシというと、ちょっともっさりしたイメージがあるが……このゾウムシは跳ねてワープしたかのように(?)姿を消す。そのジャンプ力のためか後脚が太い。この太い部分が(ヒトの)太ももに見える角度では、まるで土下座をしているかのよう!?


ちょっとビックリしたヤニサシガメの捕食シーン



カメムシの仲間も色々見られたが……その中で目を引いたのが、ヤニサシガメ幼虫の、この捕食シーン。捕らえられていた獲物はマツトビゾウムシだった。ここは先日マツトビゾウムシ新成虫の脱落性牙状大顎突起(*)を確認した場所──松の近くの擬木で、マツトビゾウムシを何匹か見ている。そしてこの近くにはヤニサシガメも多い。少し前にもマツトビゾウムシがヤニサシガメに捕食されている場面にでくわしたことがあった。
餌食になったマツトビゾウムシに脱落性牙状突起がついているかどうか、確かめるべく撮ってみてビックリ!


マツトビゾウムシの《牙》は左側にだけ残っていたが、驚いたのはそこではなく──ヤニサシガメが口吻をマツトビゾウムシの口に突っ込んでいたことだった。ゾウムシの仲間は装甲が頑丈だというが……ヤニサシガメが口吻を突き刺すことができるウイークポイントが、こんなところにあったとは予想していなかった。


ついでに先日撮った蛾





つい先日【春先のぷちタヌキ?サカハチトガリバ】で紹介したばかりだが……ネコ耳のような毛束突起を見ると、やはり撮りたくなってしまう。
やはり擬木にとまっていたキレイな蛾=ヤマトカギバがいたので撮ってみた↓。


3月は暖かい日もあったが、寒の戻りで擬木の昆虫はしばらく少なかった……しかし桜が開花して、ようやく春の虫たちも出てき始めた感じがする。
ということで、マンガ『ちびまる子ちゃん』の「友蔵心の俳句」にならって……、




※「ギボッチャー」=「擬木ウォッチャー」


昆虫は「1匹」or「1頭」?…助数詞について

昆虫は「1匹」なのか「1頭」なのか……助数詞について

昆虫の数を記すときの助数詞(数のうしろにつけてその類別を表す語)は何が適切なのか、たまに話題にあがることがあるようだ。正式(?)あるいは業界オフィシャルな決まりがあるのかどうか僕は知らない。虫屋さんはよく《頭(とう)》を使っているようだ。僕は虫屋ではないので、基本的には《匹》を使う。

ものにはそれぞれ数え方に対応する助数詞があるというのは、それなりの趣(おもむき)がある。が、その一方、ややこしい。

僕は何かについて記すとき、多くの人が理解できる表現であることが好ましいと考えている。もちろんケースバイケースだが、基本的には趣(おもむき)よりも平易さを優先させる。「動物を数えるさいの助数詞は《匹》」としておけば一般的で判りやすい──そう考えて「匹」を使うことが多い。
国語的にはどうなのかわからないが、僕は次のような理解でいる。

●数えられるものは「1個・2個……」と《個》で表記できる。
●数えられるものの中で、動物については《匹》で表記するのが一般的。
●鳥類は《羽》が使われるのが一般的。
●ヒトは《人》が使われるのが一般的。

一般性を考えると、このくらいが妥当なところではないだろうか。
ちなみに人は「1人・2人……」と《人》を使うのが一般的だが、《匹》や《個》で数えても間違いではないというのが僕の認識だ。ヒトも動物であり、ヒトを含めた動物も「数えられるもの」だからだ。昆虫を「1人・2人……」と数えるのは間違いだが、ヒトを「1匹・2匹……」あるいは「1個・2個……」と数えることは間違いではない(同様に鳥類を《匹》や《個》で数えても間違いではない)──個人的には、そう考えている。
これには違和感を覚える人も多かろうと思うので、もう少し詳しく説明する。

ヒトという存在は包含関係で言うと──、


物体⊃動物⊃ヒト

であり、これに対応する助数詞が

《個》⊃《匹》⊃《人》

と考えるのが合理的で判りやすい。
仮に「ヒトを《匹》や《個》で数えるのは間違い」だとすると──、「動物は《匹》」という基本ルールの明確性が損なわれ「ヒトを除いた(あるいは鳥類の《羽》や魚類の《尾》その他もろもろの助数詞があるケースも除いた)動物を《匹》とする」と例外を設けなければならなくなり煩雑化する。
例外の少ない、よりシンプルで判りやすい基本ルール(普遍性が高いルール)がベター──合理的(適切)なはずだ。とすれば、「動物は《匹》」「数えられるものは《個》」というシンプルな原則である方が望ましい。
煩雑な助数詞にも趣があるのは理解できるし、そんなものは無くせというつもりもないが……平易な適用も「可」とされるべきだろう。厳格な適用にこただわり、そうでないものを「不可(間違い)」扱いとして認めない決まりがあるとすれば問題だと思う。

例えばあるエリアで確認された生き物を列挙するようなとき──、

昆虫……○頭
魚類……□尾
鳥類……△羽
タコ……▽杯
カニ……◎匹
ヒト……■人

というように助数詞が不統一であるより「匹」でそろえた方が見やすく統一感がある──という美意識もあっていいような気がする。単位を揃えるようなものだ。

ところで「数えられるもの」でありながら、使用単位が複数というものもある。
箸は2つそろって「1膳」だし、靴は左右計2つで「1足」、手袋なら同様に「1双」……etc.。それぞれに対応する助数詞はあるが、これらは「組」「セット」でも通用する。一般化して適用できる助数詞があった方が使い勝手が良いし、おおむねそうなっているのではないかと思う。
箸も靴も手袋その他も《組》もしくは《セット》で表せば都合が良いように、動物も、とりあえず(?)《匹》としておけば通用するとしておけば利便性が高まる(鳥類は習慣的に《羽》で記すことが多いが)。

動物の場合は《匹》の他に《頭(とう)》もよく使われるが……例えばヒトデなどは頭が無いのだから、《頭》より《匹》が妥当だと思う。
爆笑マンガ『日本人の知らない日本語』(外国人に日本語を教える日本語学校教師の体験を原案とする漫画)では、外国人生徒が「キングギドラは頭が3つあっても1頭ですか」と質問するシーンがあって大いにウケたが、そういった例(?)も含めて、動物全体に適用できる助数詞としては《頭》よりも《匹》の方が一般的で違和感がないのではないか──と考えるしだい。

余談だが、僕は以前、フェレット(家畜化されたケナガイタチ)を飼っていたことがあるが、フェレットの飼い主さんたちの間では愛情を込めて(?)、「1本・2本……」とフェレットを《本》で数える向きもあった。フェレットの脇の下に指をいれて持ち上げると、でろーんと脱力して伸びた体は意外に長い。そんな特徴をとらえて、長いものを数える時の助数詞をあえて用いるようになったのだろう。こうした使い方もあって良いと思う。固有の助数詞を尊重するのは悪いことではないが、運用に排他性を持たせるのは好ましくないと僕は考えている。
趣のある助数詞で呼ぶこともできれば、平易な助数詞をあてることも可──フレキシブルであっていいのではないかと思っている。

というわけで、動物を記す際の平易な助数詞として僕は基本的には《匹》を使っている。僕はそうしているというだけの話で、これが正しいとか、他の人の助数詞の使い方をとやかくいうつもりはない。


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セルフレジ初体験

セルフレジ初体験

先日ダイエーで買い物をし、レジで並んでいたら、セルフレジに案内された。
客が自分で購入商品のバーコードを読み込ませ、合計金額を払うというシステムの装置がいつのまにか設置されていた。

要するに今までレジ係がやっていた作業を客が自分で行うわけだが……レジ係が賃金をもらってやっていた仕事を客にさせ、客には相応の還元はないのだろうか?──と、ふと思った。

経営側にすれば新システム導入でそれになりの投資をしているのだろうが、客にしてみれば、レジ係が有料でやっていた仕事をタダで転嫁された感じがしないでもない。
経費のかかるレジ係の負担を負うことになるわけだから、通常のレジを選択した客と比べて、セルフレジを選択した客には、いくばくかの割引はあってもいいような気がしないでもない……。

特にセルフレジ割引みたいなものは無かったようだが……これはレジでの格差をつけると、かえって混乱(不公平感)を生むということなのだろうか?
店員が行うレジとセルフレジのどちらを選ぶかは、どの利用客も自由に選択できるとすれば、とりあえず公平性は保たれるという見方もできる。

通常のレジが混んでいてセルフレジがあいていた場合、セルフレジを選択すれば待ち時間を短縮することができる──それがセルフレジ利用客への労力に対する利益の還元ということなのかもしれない。

あるいは、セルフレジ導入でレジ係の人員を削減し、人件費を減らすことができれば、それだけ販売コストを下げ、商品を安く提供できる──そんな形で利用客にも還元できるという考え方なのであろうか?

セルフレジの導入で、仮に商品価格が安く抑えられれば消費者としてはありがたい話だが、これまでいたレジ係の仕事は減ることになるのだろうから……不景気感は増していくような気がしないでもない……。

くわしいことはよくわからないが、突然のセルフレジ初体験に少々困惑しつつ、漠然とそんな思いをめぐらせたしだい。


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春先のぷちタヌキ?サカハチトガリバ

ちょっとタヌキーな?サカハチトガリバ



季節を感じる昆虫は色々いるが、このサカハチトガリバもそのひとつ。《早春の蛾》というイメージがある。春先に出てくる蛾の中でもカメラを向けたくなる存在。


標準和名の「サカハチ」は「逆さの八」に由来するらしい。この画像↑では翅の模様が漢数字の「八」に見えるが、展翅標本では上翅の前縁が上を向くため「逆さの八」に見えることになる。それで「逆八(さかはち)」+「トガリバガ亜科の蛾」→「サカハチトガリバ」。
シックなカラーリングも魅力だが、耳介のように突き出した一対の毛の束にユニークさを感じる。これが動物の耳に見え……顔をのぞくと、ちょっとタヌキっぽい感じがする。


見かける時は、ちょくちょく目につくのだが、出現期間は短い感じがする。
これ↓は別個体。背面から見るとマントを着たネコの後ろ姿っぽくも見える。


パールホワイトのきれいな上翅に斜めに走る黒&焦茶のライン──これが背中の中央(前翅の重なる周囲)で帯状にとぎれた部分がある。鱗粉がはげ落ちてかすれた感じにも見えるが、この部分にもちゃんと鱗粉コーティングはされており、光の加減・見る角度で濃淡が変化して見える。
これ↓はまた別の個体だが──、




※別個体を追記↓背中の中央が光の加減で銀色に輝いて見える。




擬木では色々な虫が見られるが、サカハチトガリバは支柱の上部に近い側面にとまっていることが多いように感じる。ペアの姿もあった。


同ペアを角度を変えて──、


体の両端に頭があるネコのように見えなくもない!?


さらに別角度からみると──、


サカハチトガリバの中から反対向きのサカハチトガリバが出てきたシーンのようにも見える!? まるでゾウリムシの細胞分裂(二分裂)!? あるいはヘビの脱皮マジックのような?


一対の毛の束が耳介のように見えるため、どうも動物顔に見えてしまう……。この毛の束の張り出し具合は個体によって差があるようだ。昨シーズン撮った耳介状毛束が立派な個体↓


毛束が立派な個体はミミズクを連想させる。


ちょっと判りづらいが↑木のウロにいるオオコノハズク(ミミズク)と昆虫のミミズク。ちなみに鳥類のミミズクは漢字で記すと「木菟」・昆虫のミミズクは「耳蝉」。

フユシャクのようでフユシャクでない蛾



これも季節を感じさせる昆虫のひとつ。フユシャク(冬尺蛾)シーズンが終盤を迎える頃に出てくるフユシャクのような蛾──メスコバネマルハキバガ。フユシャク同様も♀は翅が退化して飛ぶことができない。


初めてメスコバネマルハキバガの♀を見た時は、てっきりフユシャクの♀だと思った。フユシャクは、♀は翅が退化して飛ぶことができないという特徴を持った、冬にだけ(成虫が)発生するシャクガ科の蛾の総称。メスコバネマルハキバガは、シャクガ科ではなくメスコバネキバガ科なのでフユシャクとは呼ばない。


牙があるマツトビゾウムシほか

するどい牙があるマツトビゾウムシ



するどいカギのような牙状の突起をもつマツトビゾウムシをみつけた。よくみかける温和な表情とはひと味違う意外な姿! この牙状突起はやがて脱落する大顎の一部だそうで、蛹室から地上へ出るさいの土掘りに使われる器官だと考えられているらしい。羽化して間もない新成虫の時期にしか見ることができない、期間限定盤(?)の脱落性牙状大顎突起をよく見てみたいと思い、この時期、注意して探していた。先日みつけた個体(*)では、牙状突起は片方だけしか残っていなかったが、今回みつけたのは両方ちゃんと残っている個体だった。本当はもっと色々な角度からアップを撮りたかったのだが、動きまわるのでままならず……とりあえず撮れた画像の中からいくつか。










今回あらためて牙状突起を見て感じたのは……これでは(こんなものがついていたのでは)餌を食うさいにわずらわしいだろうな──ということ。羽化して地上に出た後に落下するのもうなずける。不要というより、むしろジャマな器官に見えなくもない。
そんな器官がなぜついているのか──というのが興味のあるところだが、羽脱後に脱落することから《蛹室から地上へ出るさいの土掘りに使われる》と考えられているらしい。ふだん普通に見かけるマツトビゾウムシにはこの牙状突起はついていない。脱落の過程で牙状突起が片側だけ残っていた個体↓。


この画像↑は【マツトビゾウムシの牙・早春のゾウムシ~ど根性蛹】より再掲載。
そして、牙状突起が両方とも脱落した後のマツトビゾウムシ↓。


ずいぶんスッキリした感じがする。これが成虫の本来あるべき姿なのだろう。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によれば《(ゾウムシ>短吻類は)羽化直後の成虫は大あごに長い牙(きば)状の付属突起があって、蛹室から地上へ出る土掘りに役だつ。地上へ出た成虫は、植物を強くかんでこの牙状突起を落としてしまう》とのことだが……今回、マツトビゾウムシの牙状突起を眺めてみて、《蛹室から地上へ出るさいの土掘りに使われる》という解釈にはいささか違和感を感じた。
僕は素人でクチブトゾウムシ類(口吻が短いタイプのゾウムシ)の生活史もよく知らないのだが……あらためて感じ・考えたことを記してみる。例によってド素人の想像に過ぎないということで。

牙の役割り:牙状突起は過形成されたプルタブ?

羽脱のようすを観察したことがないので何とも言えないが……牙状突起の形状が《蛹室から地上へ出るさいの土掘りに使われる》のにふさわしい形だとは思えない気がするのだ。

・穴堀用の器官であればヘラのような形状がふさわしい(のではないか)。
・蛹室を壊すためならニッパーのような形状がふさわしい(のではないか)。
・大顎を閉じた時に大きく交差する牙は構造上「噛む」目的としてはふさわしいとは思えず、(何かをくわえ噛むことによってこの器官を)「外す(脱落させる)」ことを目的とした造りのようにも見える。適切な例えではないが……牙状突起はプルトップ缶容器のフタを「外す」のプルタブ(引き金)のような──あるいはアンプル容器ののキャップのような、「外す(脱落させる)ための足がかり」なのではないか?

牙状突起は大顎の一部らしい。幼虫時代の大顎から成虫の大顎に作り変えられる時に(蛹の時期に)、本来ならアポトーシスで消失すべき部分が、何らかの理由で逆に過形成され、不要な(ジャマな)部分がとれやすい形になったのではないか?
大顎を閉じた時に深く交差する牙は、何かをくわえて(はさんで)噛む(力を加える)ことでポロッと脱落しやすい構造のような気がする。アポトーシスで消失できなかったものが、大きなかさぶたのように(?)落ちる──そんな形で処理されているのではないか?
もちろんこれは個人的な想像に過ぎず、本当のところはわからないが……牙状突起を改めて見て、そんな可能性を想像してみたしだい。

ミヤマシギゾウムシほか

このところ寒暖の変化が激しかったが……暖かい日には擬木や柵で小ささな虫たちが見られるようになってきた。




擬木の上にいたミヤマシギゾウムシ。歩き回ってなかなか撮らせてくれないことが多いのだが、このときは「く」の字の触角をたたんでじっとしていた。そこで1円玉を横において大きさ比較↓。


このショットのあと、いつものように動きだしてしまった。
これは別の個体↓。やはり擬木の上にいた。


擬木の上を歩き回るミヤマシギゾウムシだが……擬木の上にはハエトリグモやサシガメの姿もあって、なかなかデンジャラス。


初めてミヤマシギゾウムシを見た時は、その小ささに驚いたが……ゾウムシの仲間にはもっと小さいのが、けっこういたりする。


これ↑はコゲチャホソクチゾウムシだろうか?
鉄柵には緑色のちょっとキレイなゾウムシがとまっていたので撮ってみた。




ゾウムシのように口吻が長いが……これ↓はチョッキリだろう。


カシルリチョッキリも擬木の上にいたのだが、動き回り支柱を降りようとしたので指でブロック──すると、その指を登ってきた。爪と比べると小さいのがわかる。
小さい昆虫と言えばアリを思い浮かべがちだが……そのアリの中でも小さめのアリ──に見える甲虫類↓




アカホソアリモドキの♂は上翅に小石がめり込んだような凹みがあるのが特徴(♀にはない)。
他にも小さな昆虫は色々見かけるが、マルトビムシもその1つ↓。


擬木支柱のフチにとまっていたトビイロツノゼミ↓。


チョウの姿もみかけるようになったが、すぐ飛ぶのでスルーしがち……。擬木の上で翅を開いていたヒオドシチョウが近づいても動かなかったので撮ってみた↓。


こんな昆虫達の姿に春の始動を感じる今日この頃──。


『タイム・マシン 特別版』感想


 
現行の放送を受信できるテレビを僕は持っていない。テレビ放送が地デジ化へ移行し、アナログ放送が終了したのを機にテレビから離脱している。
あれからどのくらいの時間が経過したのであろうか……。最近のテレビ番組は見ていないのでさっぱりわからない。年末に発表される流行語大賞など、「何それ?」状態で、なんだか浦島太郎にでもなったみたいな気がしないでもない。

今更テレビ復帰したいとは思わないが……昔、テレビで観た映画などで、また観てみたいと思うものはある。その1つが1960年に製作されたアメリカ映画の『The Time Machine』──H・G・ウェルズの古典SF小説を映画化した作品で邦題は『タイム・マシン 80万年後の世界へ』だった。
子どもの頃にテレビで放送された本作を見て、熱中した記憶がある。後に何度か観ているのだが、久しぶりに『タイム・マシン 80万年後の世界へ』を観てみたくなった。検索してみると『タイム・マシン 特別版』というDVD商品が安価で出ていた。ちなみに2002年に『タイムマシン』というタイトルでリメイク映画が製作されているが、こちらはひどい出来だったので、『タイム・マシン 特別版』が1960年版の方であることを確認して購入した。この商品には『タイム・マシン 80万年後の世界へ』本編102分に加え、映像特典で、メイキング・ドキュメンタリーが48分、オリジナル劇場予告編の映像が2分半程収められていた。

『タイム・マシン 80万年後の世界へ』のストーリーをかいつまんで説明すると──、
冒頭、発明家ジョージの招待を受けた友人たちが彼の家に集まる。ところがホストのジョージがいない。客人達は怪訝がりながらも、数日間行方知れずというジョージ抜きで夕食会を始めようとしていた。そこへ突然ボロボロになったジョージが現れる──このただならない導入部でグッと心をつかまれる。
彼はどこから帰還したのか!? 彼の身にいったい何があったのか!?

「タイムマシン」というアイディアもさることながら、この謎めいたドラマチックな導入が良い。ただ単に「タイムマシンを発明して時間旅行に旅立った」という展開では、この面白さはでなかったろう。
疲れ果てたジョージは友人らに、時間軸を自由に移動できる装置──タイムマシンを発明し、時間の旅をしてきたことを話し始め、彼の回想でドラマが展開する。

タイムマシンの試運転で初めてジョージが降り立ったのは17年後の世界だった。そこで彼は成長した友人デビッドの息子に会い、デビッドが戦死したことを聞かされる。その後も人類の戦争の歴史は後を絶たず、ついに核戦争が勃発。それが引き金となり天変地異が起こりタイムマシンは長い間溶岩に閉じ込められてしまう……そして次にジョージがたどり着いた先は80万年後の世界だった。
そこは自然に囲まれた楽園のような世界で、イーロイと呼ばれる未来人がおおらかに暮らしていた。戦争から解放されたユートピアのようにも思われたが……彼らは無関心・無意欲で文明は崩壊していた。人類は長い戦争の末、地下に潜ったモーロックと地上に残ったイーロイの2つの種族に分かれ、イーロイはモーロックの家畜として養われ、食われていたのだ。
溺れかけところをジョージに救われたことからジョージに関心を示すようになったイーロイの娘ウィーナもモーロックに捕われてしまい、ジョージは彼女や捕われたイーロイたちを救出するためにモーロックの巣窟に乗り込む。
モーロックとの壮絶な闘いの後、ウィーナとも生き別れとなりながら、ジョージはタイムマシンで現在の世界に帰還することができた……。

ボロボロになって帰還したジョージから突飛な体験談を聞かされた友人達は、にわかには信じられないといった反応を示す。ジョージはウィーナからもらってポケットに入れておいた花をとりだす──それが未来から持ちかえった唯一の証拠だった。
友人達が帰った後、ジョージは未来再建のため、ウィーナのいる世界へ再び旅立ってしまう。

この作品を初めて見たのは小学生の頃──スリリングな展開に引き込まれ、若き発明家ジョージの活躍を息をのんで見守った。

人類の未来は輝かしいものだ──科学が発達して高度な文明を築いているだろうと漠然と思い描いていたが、『タイム・マシン 80万年後の世界へ』では文明は崩壊し、人類は人食い人種に成り下がっていた──この展開は意外でショッキングだった。「タイムマシン」「未来世界の意外性」というアイディアがこの物語の核になっているが、映画(映像)の魅力として、タイムマシンのデザイン・造型の秀逸さや、「止まったまま、時間の中を移動する」という概念を視覚的に分かりやすく表現した特殊効果の素晴らしさがあったように思う。今でこそタイムマシンはよく使われるSFツールだが、当時はまだ未知の概念だったろう。誰も見たことが無いものを想像力の力で具現化してみせたスタッフの功績は称賛に値する。この作品はアカデミー特殊効果賞を受賞している。

DVD『タイム・マシン 特別版』で久しぶりに『タイム・マシン 80万年後の世界へ』(1960年製作)を堪能することができた。ところで、この商品には映像特典として『Time Machine:The Journy Back』という48分ほどのドキュメンタリーが収録されている。『タイム・マシン 80万年後の世界へ』で若き発明家を演じていたロッド・テイラーが案内役をつとめ、映画製作の裏話などを紹介したものだ。最後には『タイム・マシン 80万年後の世界へ』後日談のショートドラマも含まれている。この『Time Machine:The Journy Back』が製作されたのはなんと1993年──本編『タイム・マシン 80万年後の世界へ』から33年も経ってのことである。本編を観たあと続けて『Time Machine:The Journy Back』を視聴したのだが……「33年後のロッド・テイラー」を見て「時間(の経過)」というものを改めて実感した。
「本編の《80万年後の世界》」はフィクションだが、「ロッド・テイラーの《33年後の姿》」はリアルだ。映画の中では時間を支配する若き発明家だったロッド・テイラーも時間(老化)の支配を免れることはできず……玉手箱をあけてしまった浦島太郎状態!? そしてドキュメンタリーでは、老けたとはいえ元気だったロッド・テイラーも昨年(2015年1月7日)84歳で亡くなっている。
『タイム・マシン 特別版』で、本編と映像特典を続けて見たことで、はからずしも(?)あらためて「時間」について色々感じたのであった……。

●久しぶりに『ジュラシック・パーク』を観て

https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-109.html

●映画『ゼブラーマン』感想
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-108.html

●映画『七人の侍』の巧みさ
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-110.html

●映画『生きる』について
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-111.html

●橋本忍氏の脚本観
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-112.html

●『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』感想
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-525.html

■エッセイ・雑記 ~メニュー~
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『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』感想


『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』
Third Edition(1993共同テレビ/フジテレビジョン)

脚本・監督:岩井俊二
CAST:山崎裕太・奥菜 恵・反田孝幸 他

岩井俊二作品で『Love Letter』と並んで好印象の作品。『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』はもともとTVドラマ・シリーズの1本として製作されたものだそうだが(1993年8月26日放送)、高く評価され、テレビドラマとしては異例の日本映画監督協会新人賞を受賞している。その後、劇場用に再編集されたものが公開され、さらに未公開シーンを加えたバージョンが作られたというから、それがこの「Third Edition」(本編50分)なのだろう。
当時WOWOWで放送されたものを観て「こんな瑞々しい作品を撮る監督がいるのか」と感心した。この作品は8mmビデオに録画し、何度も観ていた。
しかし【うつろう記憶媒体~失われし記憶ハ痛イ~】で記したように、今では再生できるビデオデッキがなく鑑賞できない状態が続いていた……ということで、DVDを購入。何度も観て内容は頭に入っているのに、やはり魅入ってしまった。
久しぶりに鑑賞してみて、その感想を記してみることにする(ネタバレ有り)。

少年期の雑然とした日常の中を吹き抜けた一筋の風のきらめき──それを瑞々しく描いた作品という印象がある。
この作品の魅力を文章で説明するのは難しい。映像&音楽の表現・演出によるセンスの良さによるところが大きいからだ。
僕が思うに……岩井俊二監督にとってストーリー(あらすじ)は、描きたいものを盛りつける器のようなもので、ストーリーをいくら詳細に説明したところで、この作品の本質(魅力)は伝わらないだろう。
そのことをふまえて上で、いちおう作品の概要を記してみる。

ストーリーの1つの主軸は「打ち上げ花火を横から見るために灯台を目指す少年たち」の話。夏休み中の登校日──花火大会がある日に小学校に登校した少年グループの間で「打ち上げ花火を横から見ると、平たいか・丸いか」を巡って意見が対立。夏休みの宿題を賭けて真相を確かめるために花火を横から見ることができる灯台へ出かけようということになる。

物語を構成するもう1つの軸が、少年達の中で付き合いの深い典道(山崎裕太)と祐介(反田孝幸)──それぞれが想いを寄せていたクラスメイトなずな(奥菜恵)とのドラマだ。なずなは両親の離婚にともない夏休みの間に転校することになり、彼女はこれに反発して「かけおち」を企てる──独りで「家出」をするのは心もとなかったのだろう、そのあたりが子どもらしい。プール掃除当番になったなずなは、典道・祐介のクロール対決で勝った方を「かけおち」相手に選ぼうと思い立つ。

結果は──本命だった典道がターンで失敗し祐介が勝つ。なずなは計画通り祐介を花火大会に誘う。ませた祐介は以前から典道に「なずなに告白したい」と話していたのだが、逆に告白されると戸惑ってしまう。怖気づいた祐介はなずなとの約束をすっぽかして少年仲間たちと「打ち上げ花火を横から見るために灯台を目指す」ことにする。そのため、なずなの「かけおち」計画は失敗に終わり、少年達の目の前で、彼女は泣きながら母親に強引に連れ去られる。

なずなの「かけおち」計画を知った典道はクロール対決で負けた事を悔やみ、「もし、あの時、俺が勝っていたら」と強く思う──そこでストーリーが巻き戻り、物語は「典道が勝った話」にシフトする。
なずなに誘われた典道は、それが「かけおち」と知らずになずなに連れ出される。だが大きなカバンを持参し、あてのない旅を示唆するなずなに典道も不信を抱く。「家出してきたのか?」と問い詰める典道になずなは「家出じゃないわよ! 駆け落ち」。そこで自分が駆け落ち相手に選ばれたことを初めて知らされた典道は「ふたりで……死ぬの?」──「それは心中でしょ」というなずなの受け答えにウケ、切なさとユーモアの絶妙さに感心してしまった。
この作品で心に響くのはセンチメンタルな部分だが、随所にこうしたユーモアが配されていて相乗効果をあげている。

バスで駅まで乗りつけると、電車が来るまでの間になずなは「歳をごまかして働き、典道を養う」と服を着替え化粧をして変身。しかしいざ電車が来ると怖じ気づいて、結局バスで引き返す。なずなの気まぐれで始まった「かけおち」は、なずなの気まぐれで破棄された。2人は夜の学校に忍び込み、プールに入って遊ぶ。このシーンで使われた『Forever Friends』という曲がとても効果的で印象に残る。
「祐介の勝ち話」の最後では「泣きながら母親に強引に連れ去られる」なずなだったが、「典道の勝ち話」では最後に満面の笑みを浮かべる。ただ、典道はなずなが夏休みの間に転校してしまう事を知らない。そんな典道になずなは「つぎ会えるのは2学期だね。楽しみだね」と言って背を向ける──なずなの最後のシーンが心に残る。
当然なずなは、もう典道と会えないだろうことを知った上で言っている。このセリフに岩井俊二氏の感性を感じ感心した。
なずなは、もう会えないと知っていながらどうして、また会える2学期が楽しみだと言ったのだろう──観ていた人は皆そう考えるだろう。
「転校」という現実を受け入れたくない思いがそう言わせたのか。それとも、典道とすごした最後の楽しい時間(気分)・きらめいた時を壊したくなくて、あえて本当の事を隠しウソを言ったのか。あるいは、なずな本人もよくわからずに口をついてでた言葉だったのか──。
シナリオを書く側から考えれば、「もう会えない」ことを、どこでどう告げるか、あるいは告げずに別れるか──そうした選択で最後のセリフを考えがちだと思うが、ここで、あえてこのセリフを持ってきたのはサスガだと感じた。「たしかに、この子(なずな)なら言いそうだ」と納得できる。このセリフによって(視聴者になずなの真意を想像させることで)このシーンは余韻をより深めた。

なずなと別れた典道は花火が終わった会場にでかけ、そこで予定外に打ち上げられる花火で「打ち上げ花火を横から見ると平たいか丸いか」を下から見ることで確かめることになる──その同じ花火を灯台にたどり着いた(その時にはすでに花火が終了していてガッカリしていた)少年グループ達は横から見る──という結末。

列挙はしないが『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は短い作品(Third Editionで50分)ながら、印象に残るシーンが実に多い。
子ども時代の未分化で混沌とした感情──繊細さと大胆さが入り交じったつかみどころのない感覚をうまく捉え表現した作品だと思う。

ふと思い浮かんだのが洋画の『スタンド・バイ・ミー』(1986年アメリカ)。「打ち上げ花火を横から見るために灯台を目指す少年たち」の話が、ちょっと『スタンド・バイ・ミー』の「死体探しに出かける少年たち」に重なった。冒険の規模こそ違うが、『スタンド・バイ・ミー』も少年達のデリケートな心情を描いた作品で、ちょっと共通するところがあるように感じた。

また、子どもなのに「駆け落ち」を企てるあたりは、長崎源之助の児童文学『東京からきた女の子』(1972年/偕成社)を連想した。ストーリーや味わいは全く別物だが、『東京からきた女の子』では、地方の小学校に通う少年(マサル)が、東京から転校してきた女の子(ユカ)にほんろうされ「新婚旅行」につき合わされることになる。ほんの思いつき・成り行きでの遊びだったのだが……マサルとユカは家から140kmも離れた所で迷子になり、大騒動になってしまう。その騒動の中でユカは初めてマサルに内面を吐露するが、騒動後、急に転校していってしまう。

少年期の当事者にしかわからない──彼ら自身にもそれが何だったのかよくわからない──しかし心に残る出来事。そんなことは誰もが体験し、記憶の奥に埋もれているのではないか? 『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は、視聴者のそんな普段忘れていた少年期の感情を呼び起こし、共感・郷愁をさそう作品ではないかという気がする。

●久しぶりに『ジュラシック・パーク』を観て

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●映画『ゼブラーマン』感想
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●映画『七人の侍』の巧みさ
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●映画『生きる』について
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●橋本忍氏の脚本観
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■エッセイ・雑記 ~メニュー~
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マツトビゾウムシの牙・早春のゾウムシ~ど根性蛹

昨日は気温が上がり、東京では20℃を越えたらしい。このところ閑散としていた擬木で久しぶりに色々な虫がみられた。この冬は擬木まわりの落ち葉が(そこで越冬している虫ごと)徹底的に撤去され、その影響かと思われるが擬木の虫が少ない。昨日もクモをのぞくと飛べない昆虫・幼虫などは例年より少ない気がしたが、ゾウムシ・テントウムシ・ハネカクシなどの甲虫類の成虫が目についた。気温が上がったことで、飛べる成虫が(周辺で発生したものが)擬木にもやってきたのだろう。
ただし、飛んで来ることができたということは、飛び去ることもできるということで──カメラを向けると飛び去られることも多かった……。
春のゾウムシが出てくる時期にはチェックしたいと思っていたマツトビゾウムシ新成虫にも(とりあえず)出会うことができたので、この日みつけたゾウムシを中心に……。

マツトビゾウムシの牙・短吻類新成虫の脱落性大顎突起

「するどい鉤のような牙のはえたゾウムシ」というと意外な感じがするが、口吻の短いクチブトゾウムシの仲間は、羽化直後そんな器官を持っているらしい(その後脱落する)。以前撮影したマツトビゾウムシの画像(撮影時には気がつかなかった)で、それに気づき「カッコイイのに、なんで脱落してしまうだろう? それなら何のための器官なのだろう?」と興味を持った。それでこの《ゾウムシの牙》を今春はちゃんと撮ってみたい──と思っていたところだった。そして昨日、狙いどおりマツトビゾウムシを見ることはできたのだが……動き回り飛び去ってしまったので希望通りのカットは撮らせてもらえなかった。《ゾウムシの牙》は、とりあえず写っていたが、残ってたのは右側だけで、左側はすでに脱落していた……。




日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によると《(ゾウムシ>短吻類について)羽化直後の成虫は大あごに長い牙(きば)状の付属突起があって、蛹室から地上へ出る土掘りに役だつ。地上へ出た成虫は、植物を強くかんでこの牙状突起を落としてしまう》とある。噛んだ圧力で牙状突起を落とすのであれば、片側が残る(必ずしも両方が同時に落ちるわけではない)という状況は納得できる。
そこで、両牙残っている去年【3月のカミキリ・ウバタマムシ~牙ゾウムシ!?】でアップした画像を再掲載↓。




この《付属突起》だが……「羽脱用ツールとして誕生(進化)した器官」だと考えと、ちょっと不可解な気がする。羽化した新成虫が地上へ脱出したあとに脱落するのだから、《蛹室から地上へ出る土掘りに役だつ》と考えたくなるのはわかる。しかしそれでは、この器官がまだ無かったときは、どうしていたのだろうか? 《付属突起》が「羽脱に必要なツール」なら、それが誕生(進化)する以前は新成虫が地上に出てこられなかった(羽脱が困難だった)ことになり──だとすればその時点で生き残ってこられなかったはずだ。

「脱出専用のツールで用が済むと脱落する器官」ということで思い浮かぶのは、ヘビやトカゲなどが孵化のさいに使う卵歯(鳥類等では卵角)だ。これも孵化の際に卵の殻を裂くためにだけ使われ、孵化後脱落する器官だ。以前飼育していたヒバカリの孵化↓。


ヘビやトカゲの卵歯がどのように進化(誕生)したのかを想像すると……(あくまでも個人的な想像)、爬虫類の卵の殻は最初から強靭なものではなかったろう。両生類の卵のようなやわな造りのものから陸上に適応して乾燥防止や保護バリヤーのような役割りを獲得していったのだとすると、卵の殻の強度が徐々に増していく過程の中で、孵化する方も対応できるように進化した──それで「脱出専用のツールで用が済むと脱落する器官」である《卵歯》が誕生したのではあるまいか?
卵の安全を図るために卵の殻がより強靭に進化し、それに対応すべく孵化能力も進化した──そう考えば不思議は無い。

一方、ゾウムシの場合は……《付属突起》が進化の中で誕生した器官だとすると、最初(誕生以前)は、《付属突起》がなくても新成虫は地上に出てこられなければならなかったはずで、そこから徐々に脱出の難易度が高まり、それに対応して《付属突起》が誕生した……ということになる。
新成虫の羽脱の難易度の高まりとは何だろう? 生存率を高めるため、幼虫がより地中深く潜るようになり、そのため新成虫が脱出するための能力も鍛えられた──ということなのだろうか?

もう1つ考えられるシナリオは、《付属突起》が、進化の中で誕生した「新たな器官」ではなく、「もともとあった」という可能性だ。つまり、「必要性があって新たに誕生した器官」ではなく、「もともとあった器官が、(地上に出たあと)不要になって脱落するようになった」という解釈だ。

素人の直感的感想だが……マツトビゾウムシの牙が、《土掘りに役立つ》ことはあったとしても《土掘り用に誕生(進化)した》器官だとは、ちょっと想像しにくい気がする。「必要性から誕生した器官」というより「必要性がなくなって羽脱後は脱落するようになった器官」の方がまだ納得しやすい気がしないでもない。

ナカスジカレキゾウムシ





去年、牙状突起のあるマツトビゾウムシと同じ記事で取り上げていたナカスジカレキゾウムシ。今年はマツトビゾウムシを見た同じ日にであったので今回も一緒に投稿。
体の表面に細かい突起があったり地味ながら模様があって、ちょっと面白味を感じるゾウムシ。ただ、小さいので撮りにくい……。




実は、このテイクオフ・ポーズはフェイク(?)で、このときは飛翔しなかった。故障があって飛べない個体なら、粘れば希望のショットが撮れるかも?──と思ったら、この後本当に飛び去っていった。

早春のミヤマシギゾウムシ&チビシギゾウムシ



毎年、早春に見かけるミヤマシギゾウムシ。個人的には好きなゾウムシなのだが、体長4~4.5mmと小さい上によく動くので鮮明に撮れないことが多い。
前胸背面の小楯板と接する部分や上翅会合部にペールオレンジ(あわいだいだい色)~白っぽい紋があるのだが、この個体ではその紋がやけに赤っぽい。羽化して間もない新鮮な個体では赤っぽいのだろうか?──などと思ったが、当っているかどうかはわからない。


ガードパイプにとまっていたミヤマシギゾウムシも、このあと飛び去った。
ミヤマシギゾウムシも僕が撮るには小さいのだが……さらに小さくて動き回るチビシギゾウムシの仲間も出ていた。


ジュウジチビシギゾウムシは体長2~2.8mm、レロフチビシギゾウムシは体長1.8~2.7mmほど。この日は他にも極小ゾウムシがいくつか見られた。

丸っこいゾウムシと平たいヒラタムシ



欄干に小さな丸っこいゾウムシがいた。小さな虫はスルーしがちなのだが、模様がキレイだったのでカメラを向けてみることに。すると……こんな姿勢をとった↓。


警戒した時の姿勢なのだろう。前・中・後脚すべて揃えてしまうというのはユニークだ。この姿勢はちょっとクモっぽくも見えるが……この小さなゾウムシが小さなクモに似せたところで、何かいいこと(生存率に有利な擬態効果)があるのか、よくわからない。


少しすると顔を上げて警戒姿勢を解き始めたが、カメラを近づけるとまた警戒姿勢に度ってしまった。
丸っこいオオミスジマルゾウムシに対して、やけに平べったい昆虫・クロムネキカワヒラタムシも出ていた↓




プラスチックの擬木で発生!? 謎のど根性さなぎ今年も





甲虫類ではなく蛾のようだが……以前から何度か投稿している謎のど根性蛹(【プラスチック食の蛾!?/タヌキ顔の蛾!?他】)。どうしたことか、プラスチック擬木からせり出してくる昆虫の蛹……。昨年・一昨年とやはり3月に確認している。
他の場所で成長した蛾の幼虫が、蛹になる前に移動し、擬木の隙間(劣化してひび割れたり剥離した生じたスペース)に入り込んで蛹になるのか……あるいは、擬木の隙間に産みつけられた卵から孵った幼虫が、そうした隙間に発生した苔や黴その他の有機物などを食って育ち蛹になったのか……それとも、擬木の素材そのものを食べて育ち、蛹となって羽化直前に出現するのか……真相はわからない。

過去にみてきたのは抜け殻ばかりだったが、今回は羽化前の蛹がひとつあった。本来であれば蛹の時期は安全な樹皮の下で過ごし、羽化する直前にせり出してくる──というのが自然(合理的)な気がする。以前観察したセミヤドリガでは、繭から蛹がせりだし始めてから7~8分で羽化が始まった。擬木からせり出したこの蛹もすぐに羽化するのではないか──成虫を確認すれば正体も判明するだろうと期待したが、蛹に動きは無い……40分後にまた見に行ってみたのだが、変化は無かった。あるいは羽化ができずにこの状態で死んでいたのかもしれない。
ただ……この羽化前の蛹についてはちょっと不自然な感じもした。他の抜け殻では蛹の周囲の擬木表面が内側から押し上げられ「孔があけられた」あるいは「広げられた」かのような形跡がみられたが、羽化前の蛹の出た(?)孔は、以前からあった感がある……この蛹だけ擬木の中から出てきた感じがしない。もとからあった擬木の孔に別のところから持ってきた蛹を差し込んだように見えなくもない。そんなコトを人為的に行うということも、ちょっと考えにくい気もするが……羽化していないこの蛹だけ、ちょっと不自然な気はしている。

近頃閑散としていた擬木で、この日は色々見られたので、その一部をまとめてみた。

牙があるマツトビゾウムシほか ※両牙そなえたマツトビゾウムシ

覚めぬ夢・夢の中の夢のハナシ


▲フェレット漫画https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-47.htmlより
※本文とは直接関係ありません。

眠らぬ男・覚めぬ夢・夢の中の夢のハナシ

睡眠や夢というのは、誰もが日常的に経験しているあたりまえの現象だ。しかし、あらためて考えてみると色々と興味深い。面白いテーマなので以前も記した事があるし、夢をモチーフにした掌編を書いたこともある(*)。
今回も気ままに夢の話を記してみる。

以前「眠らぬ男」のハナシを考えたことがある。ヒトは皆、眠る。ヒトのみならず動物は眠りの支配から逃れられない。なのに、その男だけがその支配の外にいて、彼はもう何年も眠っていなかった。いったい、どうして眠らずにいられるのか……それは男がいるのは夢の中だったから──というオチ。男は病気あるいは事故が原因で覚醒せずに眠り続けていた──男はその間、ずっと夢の中にいたので、(すでに眠っているのだから)眠らずにいても平気だったというハナシ。
「眠らぬ男」は「覚めぬ夢の中にいた」というのがオチだったわけだが、こんな着想を得たのは、次のような経験があったからだ。

《絶対に遅刻が許されない状況》というのは誰もが経験したことがあるだろう。万が一にも遅れたりしたら一大事──大きなプレッシャーを抱えつつ、前夜は「決して寝坊をしてはならない」と心して就寝についた。しかし目が覚めて時計を見ると……なんと寝過ごしているではないか! あわてて家を飛び出し目的地へ急ぐ。だが、その途上……何か変だと気づき始める。見たことがないものが目の端をかすめ……「今のは、妖精じゃないか!?」と足が止まる。「ということは、これも夢!?」「(目的地に向かっているつもりで)まだ寝ているのか俺は!?」と激しく動揺し、ハッと眼が覚めた。
「ああ、ビックリした」と改めて準備し出かけるが……なんだか違和感がある。目的地に向かいながら、「もしかして……これも夢なんじゃあるまいか」と疑念にとらわれる。確かめるために自分の頭を叩いてみるが……力が弱いのか、よくわからない。そこで思いっきり殴ってみる……と、全然痛くない! 「やっぱり、まだ夢の中か! 俺はまだ眠り続けているんだ!」と青くなった。「早く目を覚まさなくては!」とアセりまくるが、どうやったら覚醒できるのか、その術がわからない。眠っている自分を蹴飛ばしてでも起こしたいところだが、夢の中からでは、どうにもならない……。夢の中で「これは夢だな」と自覚する事はたまにあったが、夢と自覚しているのに目覚めることができない夢は初めてだった。
夢の出口を探してジタバタ走り回り、「起きろってば! オレ!」と念じてみたりするが、いっこうに夢から脱出することができない。「このままずっと夢の中に閉じ込められてしまったら、どうしよう……」という不安&恐怖がこみ上げて来た……。

結局この時は夢の中で散々あがき続けた結果、ようやく金縛りが融けるように眼を覚ますことができた。寝ぼけながら「急がねば!」とあわてふためき、《絶対に遅刻が許されない状況》自体が夢の中のハナシだったことに気がついて、ようやくホッと安堵したのだった。

考えてみれば「夢の中でそこは夢の中だと自覚しているのに、覚醒できない(現実側の肉体とのリンクが切れている状態)」というのは、「意識は目覚めているのに体は眠ったまま動かす事ができない」いわゆる「金縛り」の延長現象のようなものといえるのかもしれない。

夢を見ている間──意識が夢の中の仮想肉体にあるときは現実側に残して来た肉体(実体)とのリンクは切れている。夢の中での行動が、現実側の体でも再現されてしまったら大変なわけで、この睡眠時のリンクOFFシステムはもっともなことだろう。
「金縛り」は「意識が夢の中から現実側に帰還したのに(まだ)肉体とのリンクが復帰しきっていない状態」のことだろう──そう僕は解釈している。
この「金縛り」以前──意識がまだ夢の中にあるうちに(現実側の肉体とのリンクが切れた状態で)、自分は眠っている事を自覚し、覚醒しようと(現実側の肉体を動かそうと)やきもきした──というのが、この夢だったのではないか。

この「目覚めることができない夢」で感じた「このまま夢の中に閉じ込められていたら……」という思いが、「覚めぬ夢の中にいて(だから)眠らない男」という着想につながったのだろう。
「眠らぬ男」という着想を得た当時、僕は「夢の中では眠らない(眠くならない)」ものだという認識でいた。

ところが、その後、「眠くて眠してしかたがない」という夢を見た。覚醒後、「眠っているのに──夢の中で眠いと感じることもあるのか……」と意外に思った。これは言ってみれば、「食べてる最中に空腹感にみまわれる」ようなものではないか──そう考えるとなんだかヘンな気がする。
そしてつい最近も「眠くて眠してしかたがない」夢を見た。夢の中では疲れ果てていて、壁にもたれかかると、そのまま意識が遠のき眠りに落ちてしまいそうな激しい睡魔に襲われていた。一刻も早く帰宅して横になりたいと思うのだが、それまで持ちこたえられるかどうか……エネルギーを使い果たしたレインボーマンを襲う「ヨガの眠り」あるいはマンガ『おろち』の主人公に訪れる「100年に一度のねむり」を思わせる猛烈な睡魔だった。
夢の中で家まで帰り着けたのかどうかは覚えていない。ただ激しい睡魔におそわれていたことはハッキリ覚えていて、このときも覚醒した後、「眠っているのに、どうして眠くなるのだろう?」と首を傾げた。
夢を見るのが《浅い眠り》のレム睡眠であったとすると、レム睡眠の中にあって更に《深い眠り》のノンレム睡眠を欲していると「夢の中での眠気」になるのだろうか? その後の展開を覚えていないのはノンレム睡眠に移行して夢がそこで途切れたからとも考えられる。

最近の「眠くて眠してしかたがない」夢を見た状況をふり返ってみると……花粉症が強く出ていて、鼻がつまり息苦しく安眠できない時だった。僕はこの時期、花粉症の予防薬を服用しており症状はだいぶ緩和されているが、それでも花粉が多く飛散した日には症状が強く出ることもある。また底の減った靴で歩き回り、足の裏に疲労感が残っていた時でもあった。そうした休息したい(眠りたい)状況で、眠りについたものの、つまった鼻で呼吸するのは疲労感が蓄積する……安眠感が得られないために、夢の中でも安眠を強く欲し、それが「眠気」という形になったのではなかろろうかと解釈している。

さて。夢のエピソードや眠りと覚醒の狭間で起こる金縛りについては自分なりの解釈で思うところを過去にも記しているが(*)……目覚めのエピソードで思い出した事があったので、ついでに記しておくことにする。

僕は目覚めは良い方で、タイマーをセットしておくと大抵そのちょっと前に目が覚めるのだが……以前ベル式の目覚まし時計を使ってたとき、その音で目覚めた事があった。ジリリリリ……とけたたましくベルが鳴り響くやいなや、ガバッと飛び起き、間髪入れず目覚まし時計をむんずと掴んだ(ベルをたたくハンマーをおさえると音もとまる)。瞬時に行動を起こしたところだけみると「目覚めが良い」感じもするが……脳みそはまだ半分眠っていたのだろう。掴んだ目覚まし時計をおもむろに耳元にあてて「はい、もしもし……」。そのあと「はて、自分は何をしているのだろう?」と寝ぼけた頭で考え、目覚まし時計と電話を間違えたことに気づくと自分でも笑ってしまった。

また、てのひらの中で縮れた輪ゴムがほぐれていくような感触を感じて目が覚めたことがある。眠っている間に無意識に布団の中で何かを掴んだらしい。
にぎった掌の中では「輪ゴムの感触」が続いている。はて、何だろうと思い布団から手を出し、握っていたこぶしを開いてみると……クロゴキブリが飛び出し一目散に走り去った! ゴキブリも慌てたろうが、こっちもビックリ──眠気が一気に吹き飛んだなんて事もあった。

夢の最中はもちちろん、夢入り際・目覚め際にも、色んなコトが起こるものだ。
夢はフシギでおもしろい。

*つれづれに夢の話(※夢がもたらすインスピレーションなど)
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-227.html

*金縛り考
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-215.html

*ヒトはどうして眠るのか?~ロボットの反乱&自意識の覚醒
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-465.html

*チョウのみた夢~善意の報酬~(※夢を扱った掌編ファンタジー)
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-82.html

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