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2013年08月の記事 (1/1)

《カット打法》《サイン盗み》について

高校野球大会で物議をかもした《カット打法》と《サイン盗み》問題。いずれも禁止するルール自体に問題があると僕は感じている。そのことは前回・前々回も記したが、あらためてまとめてみた。

●《カット打法》はなぜNGなのか?
物議をかもした《カット打法(意図してファールにする打法)》について批判しているブログ等を見ると「正々堂々と勝負していない」「技術自体は素晴らしいが卑怯な戦術」みたいな批判が目につく。
要するに《(その人が抱いている)高校野球の理想のスタイルに照らしてふさわしくない》という好みの次元での批判だ。
ファイトスタイルに対して、好き嫌いを述べるのは個人の自由。「好み」でスポーツを観るのも悪い事ではない。
ただ、自分が気に食わないファイトスタイルだからといって、競技として認めるべきない・排除すべきだ──という主張は身勝手で正当性が無い。

ヒットを狙いにいかず、フォアボールを待つ《カット打法》が人によっては「正々堂々と勝負していない」とか「卑怯」に映るらしい。
しかし、《カット打法》もファールで粘ることで敵を消耗させつつ出塁を狙った戦術であり、打者は立派に投手と《勝負》をしている。これを「卑怯」というなら、高校野球でもしばしば行なわれている《敬遠》──投手が打者との勝負を避けて「意図的に四球を投げる」行為はどうなのだろう? 僕には「勝負をしている《カット打法》」より「勝負を逃げている《敬遠》」の方が「卑怯な戦術」に見える。ピッチャーとの対戦に備え、練習を重ね技術を磨いてきた打者に対して安易に勝負を逃げる《敬遠》は、スポーツ選手として失礼ではないか──という見方もできなくはないだろう。

しかし、だからといって僕は《敬遠》した投手にペナルティーを課すルールを作るべきだとは思わない。
「勝負に出たものの《失投で》四球になった」場合と、「勝負を逃げ《故意で》四球にした(敬遠)」場合とを、正しく明確に判別することは(審判には)不可能なはずだからだ。
明確に「アウト」か「セーフ」かを判断できないものにペナルティーを課すことはしてはならない。ルールの公正さを考えれば当然の事だ。
「《故意》か《失投》かによらず(明確に判断できない基準は用いず)」、4つのボールで打者は一塁へ──ルールとしてはそれで良い。
【ルール】というのはよりシンプルで判りやすく公正であるべきだ。

《カット打法》についても、2ストライク以降のファールを「故意か否か」で明確に(審判が)判断しうるのかといえば、疑問だ。審判によって「故意」とみなし「アウト」をとるか「打ち損じ」の「ファール」とみなして「セーフ」とするか──判断が別れるような曖昧さが生じうるルールは、ルールとして適切といえない(成立し得ない)。
これについても、「《故意》か《打ち損じ》かによらず」、ファールはファール(セーフ)として判定する──ルールとしてはこれが明確で正しいと思う。

「曖昧な判断基準はルールに持ちこむべきではない」という意味で、現行の「《故意》のファール打ち」=《カット打法》を規制する高校野球特別規則はルールとして不合理と言わざるを得ない。
また、この理由とは別に、「故意」のファール打ち(が特定できたとしても)にペナルティーを課すこと自体に正当性は無いと思う。

もしファールが続く事で問題が生ずるのであれば「《故意》か《打ち損じ》かによらず」2ストライク以降のファールは何回でアウトと回数を決めれば良い。



●《サイン盗み》はなぜNGなのか?
同様に走者が打者にサインを送る《サイン盗み》問題も、「審判が塁上の走者の動きを見て、それが意図的なサインか否かを正確に判断する事など事実上不可能」であり、「曖昧な判断基準はルールに持ちこむべきではない」という理由から、これを禁止するルール自体に問題(無理)があると考える(ルールとして成立し得ない)。
また、スポーツとして考えた場合も、守備側(バッテリー間)のサイン(意思疎通)は認められているのに攻撃側(走打者間)のサイン(意思疎通)が制限されるのは不合理で公正さを欠く。現行の「禁止」とする野球ルールは「スポーツのルール」として「おかしい」と思う。

ルールで決められた事は守らねばならないが、その前提として、ルールがスポーツ競技として本当に適正なのかどうか──きちんと検証し、ルール自体に問題・無理があるのであれば改正していくことが必要なのではないか……今回の高校野球騒動の記事を読んで、そんなことを感じた。



*高校野球《サイン盗み疑惑》ルールに疑問
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-281.html

*高校野球《カット打法》をめぐって
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-282.html

■エッセイ・雑記 ~メニュー~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

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高校野球《カット打法》をめぐって

●高校野球《カット打法》をめぐって

先日は、高校野球大会で起こった《サイン盗み疑惑》について思うところ記した(*1)。僕は野球にはあまり関心が無く、問題の試合も観ていないのだが、たまたま読んだ記事で「スポーツのルールとして疑問」と感じたため、どこが「おかしい」のかを記してみたわけだが……これに関連して(?)《カット打法》が物議をかもしているらしい。どういうことなのかと気になったのでいくつか記事を読んでみたところ、こちらにも「疑問」を感じるところがあったので、それも記してみたい。

《カット打法》とは、《サイン盗み疑惑》にも関わっていた花巻東の千葉選手が得意とする「意図してファウルにする打法」のこと。大会の途中までは千葉選手の《カット打法》による高い出塁率を賞賛する記事(*2)もあった。しかし準々決勝の後、大会側から《高校野球特別規則17・バントの定義》というルールによって「(審判が)バントとみなしスリーバント失敗で三振となる場合もある」と通告され、準決勝では《カット打法》が使えず敗退した──ということが問題になっているらしい。

まずひっかかるのが、大会本部が花巻東側にこの判りにくい特別ルールの確認を行なったのが、準々決勝の後だったという点。それまで「おとがめ無し」で「ファウル」と判定されていたものが、大会の途中で「次からはバント扱い(でアウト)にする(かもしれない?)」と判定の変更を宣言をされたようなもので、これは素人目にもおかしい。ルール・判定(運用)は大会を通して統一された基準でなければならない──それが大原則だろう。大会途中でルール(運用の)変更を言い渡したともいえる大会本部の対応には疑問が残る。

プロ野球では認められていて、本大会でも途中までは賞賛されていた《カット打法》が、突然NGとみなされることに驚きや戸惑い・憤りを感じる人が多かったのは当然だろう。

《カット打法》そのものについての批判もあるようだが、(僕が読んだ範囲で)説得力が感じられるものはなかった。

ある記事(*3)によれば、甲子園でも審判を務めるクラスの審判が、練習試合で「カット打法」を行なった選手に対し、「打つ気がないならアウトにするぞ!」と言い放ったという。
フォアボールを選ぶにせよヒットを打つにせよ「出塁をはたせば、ピッチャーとの勝負は《打者の勝ち》」ではないのか?
《勝つための戦法》を実行している打者に対して「打つ気がないならアウトにするぞ!」はないと思う。

また、解説者として甲子園を訪れていた監督が「バスターのような打ち方で明らかに前に打つ気がない。遅延行為ととられても仕方がない」と述べたという(*3)。

勝つために磨いてきた技術──出塁率を高めるべく《勝負行為》と、勝負を避けていたずらに時間稼ぎをする《遅延行為》を同一視する感覚には驚いた。

野球に携わる人たちというのは、「審判」や「監督」ですら、この程度の理解力なのか……。
《サイン盗み禁止ルール》も《カット打法アウト化(?)ルール》も、僕には正当性が感じられずにいるが……野球界の人たちの考える野球は、僕が考えるスポーツとは、異質のもののようだ。


「カット打法」について書かれたブログや日記をのぞいてみると、ヒットを狙わずフォアボールを狙うファイトスタイルそのものに好感がもてない──という向きも少なくないらしい。スポーツ選手のファイトスタイルに好き嫌いがあるのは当然だし、それ自体は悪い事ではない。「カット打法が好きになれない」という人が居ても全然おかしくはない。
ただ、好みの次元の問題とルール(上、許されるべきか否か)の問題をゴッチャにして批判すべきではないだろう。
《カット打法》を批判するのに「こすい技術」だの「汚い野球」などと揶揄する向きもあるが、そういった感情論でスポーツのルール(アウトかセーフか)を運用して良いわけがない。
「こすい」「汚い」など人によって感じ方が違う感情論でしか批判ができないのだとすれば、それは《競技上の不備を合理的に指摘する事ができない(正当な根拠が無い)》からだろう。要するに「(俺は)気に食わないから、排除すべきだ」と言っているに等しい。これはスポーツのフェアネス精神に反することだ。

個人的には「カット打法」は《出塁率を高めるための有効な手法》としてルール上、認められるべき(排除するのは不合理)だろうと思う。
これを「打つ気が無い」「遅延行為」とみなす判断が間違っていると思う。

「カット打法」を認めると試合時間が長くなる(遅延行為ではなく、結果として)ことが問題というのであれば、ツーストライク以降のファウルは何本でアウトというような明確な基準を設けるべきだろう。


*1:高校野球《サイン盗み疑惑》ルールに疑問
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-281.html

*2:出塁率なんと8割! 花巻東・千葉翔太が見せる「極上の技術」
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2013/08/20/post_280/

*3:出塁率なんと8割! 花巻東・千葉翔太が見せる「極上の技術」
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2013/08/20/post_280/index3.php

■エッセイ・雑記 ~メニュー~
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高校野球《サイン盗み疑惑》ルールに疑問

●高校野球《サイン盗み疑惑》ルールに疑問

僕は野球を見ないのだが……たまたま目にした記事で驚いたことがあったので記しておく。

甲子園球場で行なわれていた第95回全国高校野球選手権大会で《サイン盗み疑惑》なるものが問題になったらしい。
19日に行なわれた準々決勝第1試合「花巻東(岩手) vs 鳴門(徳島)」において、花巻東の選手の二塁上での動きが審判によって注意され「二塁から捕手のサインを味方打者にジェスチャーで伝達しているのではないか」と疑われたという。


【走者やベースコーチなどが、捕手のサインを見て
 打者にコースや球種を伝える行為を禁止する。】


野球にこんなルールがある(できた)とは知らなかった。
「これはスポーツのルールとしては、おかしくはないか?」──そう感じ、激しく違和感を覚えた。

これが、フィールドで戦っている選手以外の《試合部外者》によって、あるいは双眼鏡や無線機などの《試合で認められていない道具》を使って行なわれた《サイン盗み&伝達》だとしたらアンフェアだと思う。しかし、フィールド内で戦っている選手たちが互いの戦略を読み合いながら試合運びに反映させる事は、スポーツのかけひきとしてあって当然ではないか──そう感じたわけである。

仮に二塁の走者が捕手のサインを察知できたとしたら、走塁の判断に反映させるだろう。それはスポーツ選手として当然であり、「相手の手の内が判っているのにそれに備える事を禁じる」などというルールはあり得ない。その二塁走者の動きから打者が何かを感じ取る事もあるだろうし、そこに積極的な《伝える行為》があったのか否かを(審判が)判断するのは事実上不可能だろう。

また、そもそも投手と捕手の間ではサインを交わす事が許されているのに、走者と打者の間でサインが交わされる事が許されない──というルールが納得できない。

野球はチーム戦の競技だ。選手たちが心を1つにし力をあわせてチームとして機能することが求められる。
走者が知り得た情報も含め、個々の選手の洞察や意図はチームの意思疎通上、共有されるべきものだと思う。攻守それぞれのチームが一丸化し総力を結して競い合うべき団体競技であるはずなのに、打者と走者の意思疎通を規制するルール──攻撃側チームの一丸化を阻むルールなど、あって良いものだろうか?
互いの出方を読み合い・探り合う「かけひき」はスポーツ競技における大事な要素であり、醍醐味の1つだと思う。

「かけひき」を前提に、バッテリーがフェイクのフェイントサインを使って走者や打者を翻弄することも可能なわけだから、(こんな理不尽なルールなど持ち込まなくても)バッテリーが一方的に不利になるというようなこともないはずた。

走者から打者へのサインをルールで禁止すれば(現行ルール)、走者の動きに対してどこからアウトでどこからセーフなのが、個別に見極めるのは事実上不可能だ。アウトとセーフの線引きが明確化でないためだろう──現行ルールでは【当該行為の疑いが見られた時は審判員がタイムをかけ、選手と攻撃側ベンチに注意してやめさせる】ということになっているそうだ。
つまり、現行ルールでは試合中に審判がアウトでもセーフでもない《疑惑》を提示することになる──こんなおかしなことはない。
本来、ルールというのはアウトかセーフか──試合中の出来事を、白か黒か明確に判断できる「基準」であるべきだろう。

この不明確なルールが採用された事で、本件のような《疑惑》のみが浮上する試合が発生する事になる。これでは、両チームの選手にとっても野球ファンにとっても後味が悪いはずだ。
こうした理不尽な状況が発生するのは「ルール」自体に無理・不備があるからだ──と考えるのが当然ではないのか。

準々決勝で起こった《サイン盗み疑惑》問題に対して野球ファンからは「ルールとしてあるのだから守るのが当然」というようなコメントが寄せられているようだが……「決められたルールを守る・守らない」次元の話ではなく(決められたルールを守るのは当然)、ルール自体の妥当性・正当性について疑問を感じることはないのだろうか? 《サイン盗み疑惑》は、野球ファンにとっては「決められたルールを守るのは当然」という程度の決着で納得できることなのだろうか。

《疑惑》に対して野球ファンからアンフェアだという声が上がっているようだが、むしろフェアネス精神を考えねばならないのは、不備のあるルールを採用した人たちと、それを容認してきた野球ファンなのではないか……という気がしないでもない。


●スポーツ指導(キャッチボールの会話から)
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-242.html

■エッセイ・雑記 ~メニュー~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

宝石蜂セイボウの生活史起源考?

セイボウはどのようにカリバチに寄生するようになったのか



セイボウは見た目がとても美しい。
見た目の美しさも注目に値するが、生活史もなかなかユニークだ。セイボウの多くはカリバチの巣に寄生する。ただしイラガセイボウは例外的に蛾の繭に寄生する。カリバチの巣と何の関わりのなさそうなイラガの繭に寄生する種類がいるというのもなんとも不可解な気がしていた。

「セイボウは、どのようにカリバチに寄生するようになったのだろうか?」

僕は昆虫学には(も)無知なド素人だが、美しいハチの謎めいた生活史には興味を抱かずにいられない。
セイボウを見ていて頭の中に展開した漠然とした想像なのだが……いちおう記してみたい。これから述べる事は、根拠の無い個人的な妄想なので、そのつもりで……。

ルリジガバ(カリバチ)の巣があるとおぼしき隙間に入って行くセイボウを見ていて、ふと思い浮かんだのは……セイボウも元は宿主のカリバチと同じように隙間を利用し、(幼虫用に)エサを貯蔵し卵を産んでいたのではないかという可能性だった。


カリバチと同じような所に巣を構えていたとすると、セイボウが巣にしようと潜り込んだ隙間に、先客のカリバチが巣を製作中でエサを貯えていた──なんてことだって起こり得ただろう。後からきたセイボウ(の祖先)が「(自前で)用意しなくても必要なエサが既に備わっているのだから好都合」とそこで産卵。居候が母屋をのっとる形で、セイボウがカリバチの巣に寄生する──ということが始まったのではないか……という想像である。

しかし、セイボウが元は(巣に寄生するエサを貯える)カリバチのような生活をしていたのだとすると、スタイルがもっとカリバチっぽくあってしかるべきではないか……という疑問が浮かんだ。


カリバチは脚が長くウエストがくびれたプロポーションをしている。ウエストが細いのは獲物を狩るさいに「腹端の毒針をつきたてやすくするため大きく屈曲できる構造」へ進化した結果ではないだろうか(と想像…)。脚の長さは、くわえた獲物を浮かせて運ぶためのものだろう。もしセイボウにもカリバチ同様の生活史の時期があったとするなら、セイボウのプロポーションも、もっとカリバチっぽく進化していたはずではないのか……。

セイボウのプロポーションから、(巣を作って獲物を狩って運び込むという手のこんだプロセスを持つ)カリバチ以前の(?)寄生蜂がルーツだったのではないかと考えてみた。
獲物と戦って無力化するような勇ましい狩りをせず、野外に生活する宿主(蛾の幼虫など)にこっそり(?)忍び寄って卵を産みつけていくタイプの寄生蜂。


セイボウも元は野外の蛾の幼虫やクモに直接卵を産みつけていたのではないか? そのセイボウ(の祖先)が卵を産みつけた獲物を、カリバチが狩り巣に運んだ……そしてそこでふ化したセイボウ(祖先)の幼虫が、カリバチの卵(or幼虫)とカリバチ幼虫のために用意されたエサを食い、カリバチが用意した巣で安全に育ち羽化することができた……こうして、カリバチの巣に寄生する生活史が生まれたのではあるまいか?

その場合……セイボウ(の祖先)の母蜂が、野外に生活している獲物に直接産卵していたのに、カリバチの巣で羽化した世代が母蜂になったとき、どうして先代の習性を受け継いで野外の獲物に産卵せず、カリバチの巣に産卵するようになったのか──という疑問が浮かぶ。
もしかすると、こうした昆虫は自分が羽化した環境を産卵場所に選ぶというプログラムを備えているのではないだろうか?
サケは自分が生まれた川のニオイを覚えていて産卵期に戻ってくるというが……セイボウ(の祖先)も羽化したカリバチの巣を故郷と記憶?し、そこへ戻って来て産卵するのだとすれば、いちおう筋は通る。

また、セイボウの中でも、イラガセイボウが例外的に蛾の繭に寄生することについて妙だと感じていた疑問点についても、この考え方を当てはめれば説明できそうな気がする。




イラガセイボウも元は野外のイラガ幼虫に直接卵を産みつけていたと仮定──そのままイラガ幼虫が繭を作り、その繭の中でふ化したセイボウ幼虫が安全な繭の中でイラガの幼虫(or蛹)を食って育ち、成虫になるというというプロセスが生まれたのではないか──そして、イラガの繭で羽化したセイボウがイラガの繭に戻って産卵するようになった……そう考えると、理屈としては納得できる。

セイボウの卵だけをとりだし《全く違った環境》で育て、羽化させたとしたら……その母蜂はやがて、(自分が羽化した)《全く違った環境》に戻ってくるのだろうか……そんな実験をすれば、あるいは仮説(?)を確かめる材料になるかもしれない……などと妄想は広がっていったのであった。

こんな《ド素人の妄想ともいえる思いつき》が当っているとは、自分でも考えていないが……セイボウを見て思いめぐらせた想像ということで、前の記事のついでに記してみたしだい。

宝石蜂(jewel wasps)セイボウ

宝石蜂(jewel wasps)セイボウ

セイボウと呼ばれる美しいハチのグループがある。漢字で書くと《青蜂》──緑~青に輝くメタリックな構造色で、種類によっては赤や金が入り、とてもきらびやかだ。英名の【jewel wasps】(宝石蜂)・【ruby-tailed wasps】(ルビー尾蜂)も納得できる。
むし社・刊『月刊むし』472号(2010年 6月号)の《日本産セイボウ図鑑》によると日本には38種のセイボウ類がいるそうだ。
僕も時々みかけることがあるが、なぜか雑木林に隣接した欄干(らんかん)で目にすることが多い。先日であったミドリセイボウとクロバネセイボウも、やはり欄干の上を探査中だった。





【ミドリセイボウ】は体長10~13mmと、小さい上にちょこまか動き、すぐ飛ぶので、なかなかうまく撮れない。また光沢のある昆虫は、輝きぐあいや色合いをキレイにとらえるのが難しい。画像では青みがやや強くなってしまったが、じっさいはもう少し緑っぽく見えた。


セイボウの種類を見分ける手掛かりのひとつが、腹部末端の歯状突起。無いものから2歯・3歯・4歯・5歯・6歯があるらしい。ミドリセイボウと同じ5歯にはイラガセイボウがある。









【クロバネセイボウ】は体長8~13mm。腹端に4歯の突起を持つセイボウは多い。クロバネセイボウの他に、タイリクセイボウ・ホソセイボウ・リンネセイボウ・ナミハセイボウ(歯を欠く波状の4つの突起)・コマチセイボウ・ノヒラセイボウ・ツマアカセイボウ・ツマムラサキセイボウ・ヨシブエセイボウ・オオセイボウなどが4歯(4波)だそうだ。

ついでに、以前にやはり欄干で見かけた【ツマアカセイボウ】の画像を再掲載


※【ツマアカセイボウ】↑はメタリックに輝く虹色のハチで投稿した画像。
そして同記事の【イラガセイボウ(イラガイツツバセイボウ)】画像↓


なぜ欄干で見かけることが多いのか?

セイボウを欄干で目にすることが多いのは、彼ら(彼女ら?)がそこで宿主やその巣を探しているからではないか……と僕は想像している。セイボウは触角で欄干の表面を確かめるようにしながら歩き回っている。いかにも何かを探しまわっているふうである。♀であれば宿主を、♂であれば♀を探しているとみるのが自然だろう。
そして、セイボウが探査して歩く欄干では、彼女らがターゲットとしているカリバチの仲間の姿もよく見かける。欄干ではよく目にするヤマトルリジガバチも、ミドリセイボウやクロバネセイボウが宿主としているカリバチだったりする。




【ヤマトルリジガバチ】は自分の子供(幼虫)を育てるためにせっせとクモを狩り、竹筒などの内部を泥で仕切って作った巣に運びこむ。貯蔵されたクモは麻痺しているものの死んではいないので鮮度を保ったまま、ふ化したルリジガバチの幼虫のエサとなるわけだ。
ミドリセイボウやクロバネセイボウは、このヤマトルリジガバチに寄生する。ルリジガバチの巣に托卵し、ふ化したセイボウ幼虫は、宿主のルリジガバチ幼虫(あるいは卵)と母ルリジガバチが我が子のために準備したクモを食って成長する──ということらしい。

セイボウの英名には【cuckoo-wasps】(カッコウ蜂)という別名もあるそうだが、これはカッコウが他の鳥の巣に卵を産みつけ(托卵)、他者の労力を横取りして子育てに利用する習性にからめた命名だろう。

ところで、欄干(らんかん)は強度を保つために格子構造になっている。この格子の間にはよくクモが巣を張っている。森に隣接した場所で適度の隙間がもうけられた格子はクモが巣をかけるにはうってつけだろう。ここなら飛んできた虫や風に飛ばされてきた獲物がひっかかる確率は高そうだ。枝の間に張った巣であれば、風で枝が大きく揺れれば壊れてしまうかもしれないし、人が通るさいに破ってしまうかもしれない。欄干の隙間に張った巣ならそんな心配は無い。
じっさいに欄干のあちこちでクモは巣を張っているわけで、それを狩るためにヤマトルリジガバチなどが現れるのも当然といえば当然だ。

そして欄干はそんなカリバチにとっても、さらに都合が良い場所のようなのだ。カリバチの仲間には竹筒のような狭いスペースに泥を用いて巣を作るものが存在する(ルリジガバチもその1つ)が、欄干には接合部分などに狭い隙間があって、これが巣作りに利用されている形跡がある。
ルリジガバチの巣そのものは確認できなかったが、欄干の隙間にもぐりこんでいく姿は目撃している。クモの狩り場の近くに雨風をしのげる巣がつくれたら、効率的に狩りが行なえるはずだ。餌場と巣の往復が短くてすめば、そのむぶん天敵に襲われるリスクだって少なくなるだろう。


ということで、セイボウがターゲット(宿主)とするカリバチの巣がないか、欄干の接合部を下から覗き込んでみたところ、エントツドロバチの巣があちこちで見つかった。




【エントツドロバチ】は、かつて「オオカバフスジドロバチ」と呼ばれていたカリバチで、やはり竹筒を利用して巣を作る。このハチが幼虫のために狩るエサはクモではなく蛾の幼虫だが、エントツドロバチが欄干を利用して巣を作っているのだから、他の竹筒利用カリバチが欄干を利用していてもおかしくはないだろう。






巣作り途上の入り口の構造が「煙突」に見える事からエントツドロバチと呼ばれるようになったのだろう。この「エントツ」部分は、(エサの貯蔵&産卵を終えて)入り口をふさぐさいに撤去される。
こうしたドロバチ類を宿主とするセイボウもいる。

餌場や巣作り環境の利点から欄干はカリバチが集まりがちなスポット──そのため、それらを宿主とするセイボウもまた欄干で見られる機会が多いのではないか──僕はそう考えてみたのだが……。


視覚のダジャレ【空目】

【ダジャレ】と【空目】

【ダジャレ(駄洒落)】は《よく似た【音】》をかけあわせる《遊び》。
【空目ネタ】は《よく似た【形】》が結びつくことでできる。
【ダジャレ】が《聴覚的(音)混同遊び》なら、【空目】は《視覚的(形)混同遊び》──【空目】は【視覚のダジャレ】といえるかもしれない。

昆虫ネタで、まずは【ダジャレ】から







そして本命(?)、【空目】だが……まずはイタチ科のフェレット(以前飼っていたグランジ♂とブランカ♀)の姿をしっかりイメージしていただきたい。

















アケビコノハの幼虫はキアイを入れればイタチに空目できるが、成虫は枯れ葉そっくりな姿をした蛾。隠蔽擬態が完璧なせいか、成虫はなかなかみつからず、翅が欠けた個体の画像しか無い……。


アケビコノハの幼虫は眼状紋(目玉模様)を持っているが、成虫も後翅にハデな眼状紋を隠し持っている。枯葉にカムフラージュして隠れているが、敵が迫ったときにパッと翅をひろげ眼状紋を見せることで威嚇効果を発揮しているのだろう。