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2011年07月の記事 (1/1)

幼蛇と成体・模様が異なる理由:アオダイショウ

僕が子どもの頃、アオダイショウやシマヘビの幼蛇(*)は謎のヘビだった。これらの幼蛇をみつけ、調べてみたのだが当時の図鑑では該当する画像をみつけることができなかったからだ。そのころさがした図鑑には成体の写真や絵しか載っていなかった。同じ種類なのに成体と幼体では全く似ていないヘビがいるなど思いもよらなかった。

アオダイショウやシマヘビに限らず、成体と幼体で色や模様が異なるヘビは少なくない。同じ個体でも、成長するとまるで別種のように変化する。
いったいなぜ、同じ種類なのに親と子でこんなにも違うのだろう?
この模様の違いの意味するものは何なのか……僕なりの推理を記してみたい。

アオダイショウの幼蛇はマムシに擬態!?





ブログを徘徊していると、アオダイショウの幼蛇がマムシと間違われている例が少なくない。アオダイショウ幼蛇の模様がマムシの紋に似ている(と思われる)ためらしい。
そんな誤認例が多いためか、【アオダイショウの幼蛇はマムシに擬態している】といった説(?)もあるようだ。人がだまされるのだから、ヘビの天敵にあたる生き物が誤認して敬遠するといったことも、あるいはあるのかもしれない。ただ、この説について、僕は積極的に支持する気になれない。
マムシの模様は警告的(相手に目立つための)サインというより、ボディラインを分かりにくくし周囲にとけこむための(相手に気づかれないための)隠蔽擬態仕様だろう。警告的(目立つ)サインなら、それを真似る無毒のヘビがいてもおかしくない気がするが、目立たぬ種類にわざわざ似せるというのは、ちょっと想像しにくい。
むしろ、アオダイショウの幼蛇も相手に気づかれにくい隠蔽擬態をめざし、その結果、たまたまマムシと似たデザインになった……と考える方が自然な気がする。

アオダイショウは成長するにともない幼蛇特有の模様は薄れ、縦縞あるいは無地に変わって行く。
これを【マムシに擬態:説】で説明するなら、マムシよりずっと大きなサイズのアオダイショウまでマムシ模様だったとするとマムシに誤認されにくくなるだろうし、アオダイショウが生涯「マムシ模様」だったとすると、天敵は擬態主のマムシに出会うよりアオダイショウに遭遇する確率が増え、擬態効果が薄れることにもなりかねない。そこで、わざわざ成長するとデザイン変更する──という理屈になるのだろうか?
しかし僕はデザイン変更には別の意味があるのではないかと考えている。

止まって見える移動術!?

幼蛇と成体の違い──まず思い浮かぶ相違点は体の大きさだ。体の大きさの違いが、アオダイショウの模様の違い(変化)と関係しているのではないかと僕はにらんでいる。

幼蛇が持つ体を分断するような横縞模様は、ヘビ特有の長いボディラインを隠す効果があるのだろう。じっと動かなければ、横縞模様は隠蔽効果が高い仕様だと思う。
横縞模様の欠点は、(日中)動けば動点の多さから獲物や天敵に気づかれてしまいやすいということだろう。
敵に気づかれた場合、体の小さな幼蛇なら、ちょっとした草の影や隙間にすぐ潜り込んで身を守ることもできる。小さい個体なら横縞模様の欠点(日中動くと見つかりやすい)より利点(じっとしていれば目立たない)の方が勝ってい──それで幼蛇ではこの模様が採用されているのではないか。

一方、成長したヘビは大きさの点からも相手から見つかりやすくなる。しかし小さな幼蛇のように簡単に素早く身を隠すことはできない。大きな体が潜り込めるような場所も(幼蛇に比べれば)少ないだろうし、長い体だと移動するのに時間がかかってしまう。
幼蛇なら、頭が通過した位置を尾が通過するまでいくらもかからないが、成体になると長い体が頭の通った位置を通過しきるまでにそれなりに時間がかかる。尾が通過するまでヘビの体はずっと同じ位置にあり続けることになり、天敵からすれば、これは捕まえやすい。

そこで成長したアオダイショウは動くと目立つ(動点が多い)横縞模様をやめ、移動中も動点がとらえにくい進行方向への連続模様──縦縞あるいは無地に仕様変更するようになった(そうした個体が生存率を高めて仕様変更が定着した)のではないか……僕はそう考えている。





シマヘビも幼蛇には横縞模様が入るが、成長するとキレイな縦縞模様に変わる。
これも移動中は体のラインと模様が「同じ形を保つ」ことによって「動いているようには見えない」。動いて見えるのは頭部だけで、草の間にのぞく体の大部分は止まって見える。通過区間では、チューブ状のもの(ヘビの体)が、わずかに膨らみ、やがてしぼんで細くなり消えてしまうように見える。


模様の変更は隠蔽術のためのモデルチェンジ!?

ヘビは他の爬虫類や両生類・鳥などの野生動物にくらべればずいぶん大きい。しかし、その割に人のすぐ近くにいても意外と気づかれにくい動物だと思う。
ヘビ嫌いの人は多いが、すぐ近くからいきなり現れる(思い切り近づくまで存在に気づかない)ビックリ効果も嫌悪印象に一役買っている気がしないでもない。

僕が以前よくでかけていた里山では、日に12回ほどヘビを見ることもあったが、同じ日同じような所を歩いている人でその存在に全く気づかぬ人もいる。ヘビがいると教えるとパニクるだろうからあえて告げないが、ヘビのすぐ近くを気づかずに平気で歩いて行く人も多い。
ヘビ嫌いの人はヘビの存在を「時々でくわす程度」と考えているのかもしれないが、身近にひそむヘビの数はヘビ嫌いの人が想像しているよりずっと多いのではないかと思う。

こうした状況が生まれるのは、ヘビは体が大きいわりに存在を悟られない隠蔽術を備えているからだろう。その1つがアオダイショウやシマヘビの成長すると現れる縦縞なのではないだろうか。体が小さな幼蛇のあいだは、体のラインを分断する横縞模様が有効だが、大きくなると縦縞模様の方が有効になる──それで成長するとモデルチェンジ(?)をするようになったのではないだろうか。

昼間活動するアオダイショウやシマヘビの成体にとって視覚的に意味のある模様はそれなりの意味を持っているのではないかと想像するしだい。

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テレビが終わる日


アナログ放送が終了する7月24日は【テレビが終わる日】──僕はそう思ってきた。
僕はテレビで育った世代である。ずいぶん長い間テレビを見てきた。おもしろい番組もたくさんあったし、ためになったり感動した番組もある。投稿ビデオ番組で飼っていたカメレオンの映像が紹介されたこともあったし、僕自身が自作ヒーロービデオ(※1)でテレビ番組に出演したこともあった。思い出深いテレビ番組も決して少なくはないのだが、今のテレビとの決別に特に感慨のようなものはない。

というのも昨今のテレビ番組の制作姿勢には失望や憤りを感じることが多く、テレビ番組を見る事自体にフラストレーションを感じるようになっていたからだ。
そして実際に最近ではテレビを見る機会はめっきり減って、テレビに対する気持ちは冷めきっていたといってよい。
これは決して僕だけが感じてきたことでは無いだろう。僕の周囲にもテレビを見ない人、テレビ自体を持たない人がいる。


●テレビは愛好的支持層を裏切り続けてきた
昨今のTV番組制作の姿勢には疑問を感じる。目先の視聴率を稼ごうとしてのことだろう──本来のファン層の期待に応える質の高い番組作りをしようという意気込みは感じられず、家事等しながら(?)無目的・惰性的にテレビをつけてチラ見いる人達の気を引くような画面作りに走っているような印象が強い。そのジャンルにふさわしいとは思えない人気タレントの起用、バラエティ化、本筋と離れた部分での過剰な演出──それらは、本当にそのジャンルが好きで一生懸命観ていた人達を大いに失望させてきた(※2)。
短期的にはそれで「本来のファン層以外の人達」の視聴率を取り込んだ分、数字は高めることができるかもしれないが、長期的には「本来のファン層」から見限られ、テレビ離れに拍車をかける事にしかならないだろう。それはおそらく制作側にもわかっているハズだが、各局がこうした短期的な視聴率競争から離脱できずに悪循環を続けてきた感じが否めない。

テレビ番組制作側は、本来一番大事にすべき愛好的支持層に背を向け、目先の視聴率稼ぎに躍起になって「粗悪な番組」を作り放送し続けてきた──少なくとも僕にはそう映る。
僕も以前は好きなジャンル・テーマを扱った番組は見ながら録画していたが、昨今は「好きなジャンルの番組をフラストレーションを感じながら見る」ことが、さすが辛くなってきた。そして最近では録画はおろか見る事もしなくなってきていた。

そこへきて、地デジ化への乗り換えが迫られる事態となったわけである。
すんなりと移行する気には、とてもなれない。


●アナログ放送終了後、地デジ放送を受け入れるかどうかは各々の自由意志
「地デジ化」については電波域の整理のため、必要なのかもしれない──それはわからないではない。しかし、これは視聴者の都合ではなく、国や放送局側の一方的な決定である。これによって視聴者は、それまで使っていたテレビや録画機が利用し続けられなくなってしまった。

アナログ放送終了後もテレビを見続けようとすれば、地デジ対応の機器を新たに購入しなくてはならない。
果たして新たな投資をしてまでテレビ番組を見続ける価値はあるのだろうか?──立ち止まってそう考えるのは当然の事である。むしろそう考える方が健全だろう。
アナログ放送視聴層が全てそのまま地デジ視聴層に移行するかのような幻想の上に立った地デジ化計画は傲慢で身勝手と言わざるを得ない。

テレビを視聴し続けるかどうか、地デジに完全移行するまでようすをみながら判断しようと考えた人もいただろうし、アナログ放送終了の後に地デジ導入の採否を決めようと思っていた人もいただろう。
地デジ化が国や放送局にとって必要な措置であったとしても、新方式のテレビ等を購入してまで見続けるかどうかは各々の判断である。

アナログ放送終了を機にテレビとの決別を決断する人だって当然いていいわけだし、こうした人達の意志も尊重されるべきである。
放送局側は、こうしたアナログ放送限定でテレビを視聴している人達に対しても誠意をもって最後の1秒まで、これまで通りベストの放送を心がける──それが最低の責務というものだろう。アナログ放送終了は視聴者の都合を無視して国や放送側の一方的な決定で行われるのだから。

ところが実際はというと……アナログ放送視聴層に対するテレビ局の対応はひどいものだった。地デジ化をうながすスーパーを常時表示させ、画面を見づらくする事で地デジ化へ追い立てよういう露骨な嫌がらせを展開してきた(※3)。まるで立ち退きを迫る地上げ屋のようだ。

地デジ化にする気がない視聴者にとってこの嫌がらせ表示はうっとうしいことこの上ない。
アナログ放送視聴層は受信料を払っていても、テレビ業界にとってもはや「客」ではないということなのか。
こんな扱いを受けて、テレビが好きでいられるだろうか?

地デジ化を迫る、不当で高圧的・傲慢な手法はテレビに対する嫌悪をさらに強め、決定的にした。
僕の環境ではテレビの画質が落ち、7月に入ってからはそれまで使っていたDVDレコーダーでの番組録画ができなくなっている。
実質的にはアナログ放送の終了を待たずに「テレビ」は終わっていた。
こんなテレビを、もう見たいとは思わない。


●アナログ放送終了でNHKの受信契約は一度クリア(解約)されるのが筋
視聴率稼ぎの演出が見苦しい民放に対し、NHKはドキュメンタリー番組などに良い作品があったように思う。しかし番組内容の善し悪しとは別に、理不尽な受信契約を根拠に、高圧的・暴力的な受信料の取り立てをしていることに問題を感じるようになった。こうした組織が許されてよいのだろうかという疑問である。
受信料を払わない個人に対し財産を差し押さえる強制執行に及んで「はぎ取って」いった例もある(強制執行の法的根拠となる放送法自体に問題がある)。
NHKは「やむを得ないと判断した場合は、支払督促制度と強制執行手続きを活用し、受信料の公平負担の徹底を図る」としているが、これは実質的な「脅し」だろう。

本来ならば、受信料を払わない人は閉め出し、「見られないようにする」というのが筋である。一方的に電波を送りつけ、受信できる環境にあったのだから(見る見ないにかかわらず)支払えと強要するのは悪質な「押し売り」と変わりない。財産差し押さえという暴力的な手法で回収しようというのは、まるで暴力団ではないか。

テレビ放送が始まった当初はスクランブル放送等の技術が無かったのかもしれないが、現在はその技術がある。実際にWOWOWなどではすでに使われている。地デジ化へ移行する際にはNHKもスクランブル放送を導入し「受信料を払わない人には見せない」ようにできたはずだ。「受信料」を徴収するのであれば、そうすべきだったろうと思う。
にもかかわらず、NHKはこれまでどおり「電波の押し売り」を続けるつもりなのだろうか?

しかしNHKの番組も、アナログ放送終了によって、地デジ未対応の旧受像機では視聴できなくなる。受信契約の根拠自体が失われることになるわけだから、旧(アナログ放送)受信契約は一度すべてクリア(解約)されるべきだろう(視聴者側からの解約申請ではなくアナログ放送終了を受けての自動的な契約解除)。そうでなければおかしい。
その上で、地デジ化対応機器を導入した利用者とあらたに受信契約を結ぶというのが筋である。

アナログ放送のみを受信していた(地デジ放送は受信できない)旧契約者から、地デジ化完全移行後も受信料を引き落とし続けるなどといった不正受給まがいの詐欺があっては断じてならない。
そして、旧契約者が地デジ化移行後も受信契約を更新するか否かについての確認責任は、被害を受ける視聴者側ではなく、あくまでも一方的にアナログ放送終了を決めた国やNHK側にある──というのが論理的には「正しい」あり方であろう。


※1●ミラクル☆スター~実写版~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-35.html

※2●最近のテレビ番組に思うこと
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-113.html

※3●アナログ放送の空耳?字幕
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-132.html

最後の宙返り

肉体の衰えを感じる今日この頃。
「宙返りを最後に跳んだのはいつのことだったか?」とふり返ってみると……。
それは、たまたま映像に残っていた。


ミラクル☆スター】がきっかけで知り合った某・自主制作映画グループの変身ヒーロー作品に1992年と1993年に参加。そのとき、アクションシーンやトランポリンカットの撮影(演技)を行っている。
1993年のGWロケで、撮影の合間に久々に技のチェックをしておこうと8mmビデオで録画した「崖を駆け上がっての後方宙返り」が、僕の最後の宙返りだった。

同ロケ地で行っていた撮影のワンシーン

撮影場所を確認するスタッフ&役者↓









そして、映像として残っていた最後の宙返り↓


運動のイメージは今でも頭の中に残っているが、衰えた肉体で再現しようとするのはかなり危険──そう思って、ずっと宙返りは封印している。

コノハムシの誤食

コノハムシの誤食~コノハムシはどうやってエサを認識するのか

コノハムシは葉にそっくりな姿から想像できるように、葉にまぎれて生活している。エサとなるのは木の葉である。
しかし、木の葉なら何でも食うというわけではなく、食草(樹)の確保が飼育の第一条件といえるかもしれない。
ウチではシラカシ・アラカシの枝を水容器にさして与えている。


シラカシやアラカシは常緑樹なので冬でも調達ができるのが良い。クヌギやコナラの葉も食うが水差ししたときの日持ちがあまり良くないのでほとんど利用していない。アカメガシワを食うという話も聞いた事があるがウチでは試した事は無い。グアバの葉で飼育している人も多いようだ。

マテバシイやカナメモチなど他の種類の葉を与えてみたことがあったが、僕が試した限りでは食わなかった。

コノハムシに限らず葉を食う昆虫で食草(樹)=餌となる植物の種類が限定されているものは多い。
栄養的には食草(樹)以外の種類でもOKなものは、いくらでもありそうな気もするのだが……しかし食べない。
飼育する立場からすると「偏食」などせずに幅広く食ってくれた方が管理しやすいし、その方が虫にとっても生活域を広められるのではないか……などと、つい思ってしまいがちだ。

しかし「偏食」が多いのには、きっとそれなりの理由があるのだろう。
植物の中は対虫用に(?)毒を装備した種類もあるので、毒草を食うリスクを避けるために食草(樹)を限定的に設定しておいた方が安全──ということなのだろうか?
あるいは食草が限定的な方が昆虫の密度が高まることで繁殖率も高められる──そんな利点があって「偏食」の方が生存率が高まるということなのかもしれない。

さて、そんなわけでコノハムシにも与えても食べない葉は多い。
ところが、先日コノハムシの餌交換&ケージ掃除をしたとき、床に敷いていたキッチンペーパー片になんと食痕を発見した。
食草(樹)でなければ葉であっても食わないのに、キッチンペーパーを食うとは意外だった。


齧られたキッチンペーパーは枝をさした水容器の下に敷いていたもの。水容器は使っているうちにフタの機密度が落ちて水がもれたり、夏には交換後結露するので、床が濡れないように水容器の下にキッチンペーパーを切ったものをコースターのように敷いていたのだ。

元気なコノハムシは葉についているから床のキッチンペーパーをかじることなど無い。
ただ、脱皮不全や弱った個体は葉から脱落して床付近にとどまりがちになることがある。こうした個体が手近にあったキッチンペーパーを誤食したのだろう。
それにしても、どうしてコノハムシはキッチンペーパーをエサと間違えたのだろう?

かじられた部分をよく見ると、茶色いシミがついており、ここを限定的に食べていた事がわかる。


このシミは餌交換後、水を吸ってぬれているキッチンペーパーの上にコノハムシの糞が落ちたことで、糞からとけだした成分がしみた跡だろう。
コノハムシの糞は葉のニオイがする。グアバを食べさせたコノハムシの糞から「グアバ茶」が作れないかと考えた事があるほどだ(コノハムシ由来のグァバ茶!?)。
ということは、糞からしみだした成分が、キッチンペーパーにエサの葉のニオイをつけ、これによってエサの葉と誤認したコノハムシが誤食したと考えられる。






コノハムシにとって「ニオイ」が食草を認識する手がかりの一つ──ということは言えそうだ。

コノハムシの糞を溶いたものをコノハムシの糞をマテバシイやカナメモチなど、今まで食わなかった葉に塗れば食うかもしれない……などと考えたが、まだ実験はしていない。

ところで、このときの餌交換では1匹が死亡していた。弱っていた個体が死んだのか、キッチンペーパーの誤食が原因で死んだのか、あるいは双方からんでのことなのかは定かではない。

今回の誤食事故(?)から、コノハムシはどうやってエサを認識しているのかなど、あらためて色々なことを考えさせられた。
さて、コノハムシの誤食といえば……こんな例もある。

葉と間違われて齧られるコノハムシ



コノハムシが仲間に齧られるのは、最初は縄張り争い(?)のケンカが原因ではないかと考えていたが、どうもそうではないらしい。
コノハムシは仲間に接触されると大きく腹を振って、これを嫌うアピールをする。接触した側もそれで気づいて離れる事が普通だが、密度が高くなると、けっきょく仲間と近い位置で安定してしまう事も多く、そのまま食事タイム(?)になると手近にある仲間を食い始めるということが起こる。齧られた方はそのときになって暴れるが、相手が離れる前にいくらか食われてしまっている──ということが起こるのである。

食草(樹)でない葉は食べないコノハムシが葉と間違えて仲間を齧るということは、コノハムシの体も食草(樹)と同じニオイがするのかもしれない。鳥などの天敵に対しては色や形の擬態が有効だが、アリ等の相手にはこうしたニオイ次元の化学擬態が有効だろうと想像できる。

トビモンオオエダシャクの幼虫(ネコのような虫!?)は食草に合わせてニオイも化学擬態しているというが、コノハムシもニオイの擬態を身につけているのかもしれない。
カムフラージュをきわめた結果(?)、密度の高い所では仲間に齧られるという、一見ギャグのような事態が発生する。
しかし、よく考えてみると密度の高いところでは「食痕がある葉」が多いため、「食痕のあるコノハムシ」は、これによってカムフラージュの精度をさらに上げているといえなくもない!?

笹のマシンガンホール

笹の葉ミステリー

クマザサの葉を横断する点線のような穴。
誰が何のために作ったのか──なんともミステリアスな趣がある。

戸隠では『九頭龍(くずりゅう)の食み痕』『九頭龍の歯型』と呼び、戸隠神社(御祭神である九頭龍大神は水を司る神様であるとともに虫歯の神様)では、この熊笹を「九頭龍様のお歯形」として、虫歯予防のお守りとしているそうな。

最近、これがマシンガンホールと呼ばれている事を知った。
イメージが描きやすいので僕もこの呼び名を採用したい。

さて、この穴の正体だが……笹の葉が展開する前──筒状に巻かれているときにあけられた穴だろうということは想像がつく。
おそらく虫の仕業だろう。ホソハマキモドキ(蛾)の産卵痕という説もあるようだが、ちょっと納得できない。
連続穴の大きさに格差があるケースも多いこと、連続穴がつながり葉が切断されていることもあることから、これは口吻や産卵管のようなもので「刺した痕」ではなく、「食痕」だろうと考えている。
イメージとしては蛾の幼虫あたりが浮かぶのだが、犯人は特定できていない。
そこで「犯人は誰か」ということはさておき、どうしてこのような不思議な形状の食痕(?)ができるのかについて考えていることをまとめてみたいと思う。

マシンガンホール





虫が葉の外周を食い進むのではなく、内部へと穿孔して食い進むのは内側の方が柔らかくて食べやすいからかもしれない。








当初、この中途半端な(?)食痕跡(葉を縦断するミシン目のような穴=マシンガンホール)は、巻いた葉を食っている途中に犯人(幼虫?)が天敵に補食されることで「たまたま」できるのではないかと想像していたのたが、それだと切断痕(天敵に襲われること無く食べきった?)に対して(みつかる)マシンガンホールの割合が多すぎるように思われた。
巻いた葉の中心に届かない穴はみつかるが中心を超えた痕跡はみつからないことから、この虫は、もともと「中心までしか穿孔しない食べ方」をしているのだろうと考えた。
犯人(幼虫?)がなぜ、葉の外側=外周を食べ進まず葉の内部へと穿孔するのか──だが、外側よりも中心部の方が葉が柔らかく食いやすいからではないかと考えている。
また巻いた葉に穿孔するとき、中心部までは凸状の葉の裏面を食い進むことになるが中心を超えると凹状の葉の表面に直面する。凹状の表面は齧にくいため(?)、そこで進行を止め、齧っていた穴を広げる、あるいは別の場所に新たな穴を開け始めるという食い方をしているのではないだろうか?──と推理したわけである。













──というのが、僕の推理の現時点でのまとめ。
もちろんこれで謎がとけたわけではない。
笹のマシンガンホールはあれこれ想像をかきたててくれる。