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冗区の記事 (2/5)

シンデレラには嘘がある!?~ガラスの靴よりふさわしいもの

シンデレラには嘘がある!?
~ガラスの靴よりふさわしいもの~

「シンデレラ・ストーリー」という言葉がある。無名の一般女性が成功し幸福になること、玉の輿(たまのこし)に乗ることを言うようだ。童話の『シンデレラ』に由来する言葉だろう。それほど『シンデレラ』は知られている。僕もなんとなくストーリーは知っているが、いつどこでこの物語を知ったのかについての記憶は無い。おそらくリライト作品のようなものもたくさん出回っているに違いない。原典(?)と照らしてどうなのか……そのあたりは良くわからないが、世間一般に広く浸透しているバージョンの『シンデレラ』の話とは、おおよそ次のようなものではなかろうか?

意地悪な継母とその連れ子である義理の姉に虐げられていた娘(シンデレラ)が、魔法でドレスアップしてお城で開催された舞踏会にでかけ、王子に見初められるストーリー。
ただし魔法の効力はその日限りで、夜12時の鐘が鳴り終わると効力を失ってしまう。なのでシンデレラは鐘が鳴り出すとあわてて城から逃げ出すが、そのさいにガラスの靴の片方を落としてきてしまう。王子は残されたガラスの靴を手がかりに「ガラスの靴にぴったり合う足の持ち主」すなわちシンデレラを探しだし、結婚する。

つまりこの物語では「ガラスの靴」がシンデレラを特定する「鍵」として使われている。僕には、この話をどんな形で知ったのかの記憶は無いのだが、「ガラスの靴」のエピソードについては漠然とした疑問を感じていたのは覚えている。「その日限定の魔法でドレスアップしたのに、ガラスの靴だけがどうして残ったのか?」ということだ。舞踏会場から逃げ出したシンデレラが元の(みすぼらしい)姿に戻ったのに、ガラスの靴だけ魔法がとけないのはおかしい。夜12時の鐘が鳴り終わると同時に王子の手の中にあったガラスの靴がそまつな靴に変わる──そんなシーンがあってしかるべきではないか?……みたいな疑問を持っていた。

そして、もうひとつ──「国中の娘にガラスの靴をはかせようとしたのにシンデレラ以外の女性の足には合わなかった」という展開も不自然に感じていた。シンデレラの足のサイズは一体いくつだったのだろう? それと同じサイズの靴を履いている女性は国中にたくさんいたはずで、靴から個人を特定するなんて無理だろう……そんな疑問も持っていた。この物語の中では「ガラスの靴」は「シンデレラ」に結びつくファンタジーアイテム的な意味で描かれていたのかもしれないが、普通に考えたら「シンデレラの足って、よっぽどデカいか小さいか、あるいは特殊なのか」という話になる。「大様の耳はロバの耳」ならぬ「シンデレラの足は○○の足」!?──それは、ちょっとおぞましい。

『シンデレラ』では、「落とし物」から持ち主を特定する「鍵の役割り」として「ガラスの靴」が使われていたわけだが、前述のとおり僕は子供心に「靴で個人を特定するのは無理がある」と感じていた。
さて、それでは、どんな「落とし物」だったなら「鍵の役割り」にふさわしい小道具となり得ただろう?──そう考えたとき、最近見たある光景(*)が蘇った。
総入れ歯──これなら「ピッタリ合った人を持ち主と特定する」ツールとして万人が納得できるのではあるまいか。
落とし物が「総入れ歯」バージョンの『シンデレラ』なんてのは、どうであろう?

──なんてコトを考えたのは、最近見た「入れ歯の落とし物」(*)からの連想であった。


◎マツトビゾウムシのシンデレラ

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*擬木上の《!?》~ガヤドリタケなど~
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秘薬・毛生え薬

暖かい陽射しに包まれ、ぼうっとした頭にふと浮かんだエアポケット幻想。弛緩した脳味噌の中で、謎の中国人が作る万能秘薬──毛生え薬のエピソードが展開した。


■秘薬・毛生え薬

市販されているあらゆる発毛・育毛剤を試してみたけれど効果がなかったA氏。ワラにもすがる思いで怪しげな情報を頼りに中国人祈祷師ホイさんをたずねたのだった。
「アナタ、毛ガ欲シイ。ワカリマシタ。毛ガ生エル薬、作ルデゴザイマス」
カタコトの日本語で応対したホイさんに案内され、A氏は調理場とも実験室ともつかない部屋に入る。
ホイさんは部屋のに置かれた瓶のフタを開け、柄杓で中からとろみのある液体をすくって鍋に移しながら、
「コレ、万能秘薬ノ素ネ。効能ハ自由自在、何テモ対応スルノコト」
ホイさんの説明によれば──瓶に入った液体が、すでに調合された万能秘薬のもとで、これに「仕上げ」で、依頼者が望む効能書きを記した薬剤を溶け込ませれば、目的の薬ができるのだという。
「アナタガ欲シイハ、毛ガ生エル薬ネ」
「そうです『毛生え薬』です」
ホイさんはA氏の依頼を確かめると、和紙のようなものに筆で「ケハエクスリ」と書き込んだ。「コレ、間違エルト台無シタカラ……デモ大丈夫。ワタシ、秘薬作リト日本語、自信アリマス」
ホイさんの手元をのぞき込んでちょっと不安を感じたA氏は、「あの……『ケハエグスリ』でお願いします」。
「ハイ、『ケハエクスリ』」
「ええと、『ケハエクスリ』ではなくて『ケハエグスリ』で……」
「ハ? 『ケハエクスリ』テナク『ケハエクスリ』?」
「『クスリ』でなく、『グスリ』──そこ、濁るんです」
「ニゴル?」
「濁点がつくんです……点々」
「ア~、濁音ノ点々ネ、ワタシ、ゴゾンヂデス」
ホイさんは大げさにうなづいて点々を書き足すとその和紙様のものを鍋に投じ、撹拌しながら自信たっぷりに言った。
「コレデ、アナタ、毛ガ、ワンサカ生エルコト、マチガイナシデス」

ホイさんが作った『毛生え薬』をゲップが出るほど飲まされ、鍋に残った汁を禿げた頭に塗り付けられたあと、A氏は帰路で頭に変化が起こっているのに気がついた。なんだか頭皮がむずむずする。ショーウィンドウに映った自分の姿を見て思わず足が止まった。なんと禿げていたはずの頭が黒々しているではないか!
A氏は驚喜してショーウィンドウにかじりついた。
A氏の頭で黒い髪が風を受けて揺れる──かに見えたが、ナゼか風は吹いていない……。
頭でうごめいていた黒いものは──よく見ると双翅目の昆虫・ケバエの群れだった。
「どうなってるんだ!?」A氏の頭の中には「?」で埋め尽くされたが……やがて何があったのかを理解した。
「そうか……あの時、濁点を書き込む位置を間違えやがったんだ!」
『ケハエグスリ』とすべき効能に『ケバエクスリ』と記したために、秘薬を塗ったA氏の頭にはケバエがわんさかたかってしまったのだった……。

     *     *     *     *

ケバエの婚姻飛行が見られるこの時期──「今年もそんな時期になったか」とケバエをながめてふと思い浮かんだ、たあいもないイメージ。
「『ケバエ』と『毛生え(ケハエ)』──濁点があるとないとでは大違い」「『毛生え薬』で毛が生えるのなら、『ケバエ薬』ではケバエがたかるのであろうか?」などと思ったのがきっかけ。

ケバエが集団発生する時期になるとこれをハチだと思って怖がる人をみかけるが、たよりない飛び方はあまり脅威を感じない(じっさい刺したりはしないので怖がることはない)。インパクトがあるのは、むしろ晩秋の幼虫集団であろう(*)。

ちなみに、文章化するにあたって便宜的に設定した「ホイさん」の名前は三谷幸喜・脚本&総合演出のTV番組『HR』の「ホイさんが帰ってきた!」から。生瀬勝久が演じた中国人のホイさんのイメージを借りたもの。


*謎の幼虫大群:ケバエ

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●エアポケット幻想
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どんでん寓話『川渡り』

虫見をしていると脳味噌が刺激されて色々な疑問や解釈、はては妄想めいた着想が湧いてくることがある。時には見ているものと何の関わりも無く、前後に考えていた事と何の脈絡もないイメージが突然ポッと浮かんでくるなんてことも……。そんな思いつきのひとつを寓話風に記してみる。


川渡り

川べりでひとり老婆がとほうにくれてた。向こう岸に行きたいのだが、橋が無い──老朽化した橋は数日前に落ちて流されてしまっていたのだ。川は深さが大人の腿程度だが、流れが速い。ひとたび足をすくわれたら、体勢を立て直すことは難しい──そのまま流され溺れてしまうだろう。年寄りが歩いて渡れる川ではなかった。
そこへ2人の若者──太郎と次郎の兄弟ががやってきた。
「ややっ! なんとしたことか。橋がないではないか!?」
彼らも川を渡るため、橋が落ちたことを知らずにやってきたのだった。
「私も向こう岸に行ねばならないので困っていたんです」と老婆。
「これは、川の中を歩いて渡るしか無いな」
太郎の言葉を聞いて老婆はため息をついた。「私にゃ、とても無理だわ……」
そんな老婆を気の毒に思い、次郎は優しく声をかけた。
「お婆さんは僕らが運んであげますよ」
それを聞いて太郎が眉をしかめた。
「まて次郎、おまえ何を考えているんだ。川は深くはないが流れが速い。俺たちだけでも渡るのは大変だぞ。お荷物をかかえていく余裕などない」
「お年寄りですよ。お荷物というほど重そうには見えませんよ」
「私ゃ、40kgほどです……」老婆が申し訳なさそうに口をはさむ。次郎は口調を和らげて太郎に頼んだ。「残して行くなんて、可哀想じゃないですか」
「可哀想なのはわかるが、俺たちが助けなきゃならない義理はない。他人の事を心配するより、自分のことを心配しろ」
ちなみに太郎と次郎の体格はほぼ同じ。弟の次郎の方が背はわずかに高かったが兄の太郎の方ががっしりしており、体重は2人ともに70kgだった。兄の方が体力は勝っていたのだが、その太郎は老婆を助ける気などまったくないらしい。
「わかったよ。兄さんには頼まない、お婆さんは僕がおぶって行く」
そうして太郎は1人で、次郎は老婆をおぶって川を渡り始めた。が、川の中程まできたところで、太郎は流され、川を渡りきることができたのは次郎と老婆だけだった。

実は川を流れる水の圧力は思いのほか強く、体重100kgの大人でも押し流す力があったのだ。体重70kgの太郎は足がすくわれ、40kgの老婆をおぶって110kgになった次郎は川の流れに耐えることができた──つまり、次郎はおぶった老婆が重し代わりとなって流されずに済んだのだった。

【教訓】自分の事だけを案じる者は救われず、他者をも案ずる者が救われる。

──なんて寓話はどうだろう?
ということを踏まえて、



川渡り ver.2

川べりでひとり老婆がとほうにくれてた。向こう岸に行きたいのだが、橋が無い──(以下同文略)
そこへ2人の若者──一郎と二郎の兄弟ががやってきた。2人は体格も同じ。体重もともに70kgだった。
「お婆さん、心配いりませんよ。僕らが向こう岸まで運んであげますから」
親切な兄弟、一郎と二郎は両脇から老婆を抱えて川を渡り始めた。
老婆の体重は40kg。70kgの一郎と二郎はそれぞれ20kg(老婆の体重の半分)ずつを負担する形となり計90kg──体重100kgの大人でも押し流す川の流れに耐えきれず、3人とも流されてしまいましたとさ。

【教訓】…………。(ときには親切心がアダになることも……)

というブラックユーモア的着想。
語られるエピソードから道徳的な解釈(教訓)を引き出しまとめるのが寓話のスタイルだが、そのエピソードから導き出された教訓をフィードバックして、もう1度そのエピソードをリプレイしてみたら……という着想。


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巻貝が描く《幻の地図》

巻貝幻想!?コガネムシを食うカワニナ!?

7月に入った。フィールドを歩いていると汗が流れ、暑さで脳みそが弛緩する。思考が停滞する頭の中に、ニイニイゼミやキリギリスの鳴き声だけが響きつづけ、意識の空白地帯に、白昼夢が発生することがある……。
先日、トトロの森周辺を散策していたときのこと。干上がりかけた池をのぞくと、浅い止水の池底を複数の巻貝が這っていた。タニシよりもスリムな巻貝。カワニナに似ているが、貝には疎いので僕には種類がわからない。よく見ると巻貝のフチ(殻口)の下からコガネムシの尻と後脚がのぞいているではないか……池に落ちた昆虫を食う巻貝!?

コガネムシはゆっくり呑み込まれていく……暑さで溶けかけた脳みそには、そんなふうに映った。

イモガイが獲物を捕食する映像は見たことがあったが……肉食巻貝が、こんなところにいるものだろうか?
他の巻貝に目を向けると、やはりコガネムシを呑み込んでいるものがいる!?
そうそう都合良くコガネムシが池に落ちるとも思えない。ということは、コガネムシが池に落ちたのは偶然ではなく、この巻貝が何らかの方法でおびき寄せ、それを食していたのではあるまいか? だとすると──こりゃ、イモガイもビックリの超絶ハンターだ!
……なんてことはもちろんなく、「コガネムシの尻と後脚」に見えたのは、実は貝の頭(?)と触角だった。

──というわけで、溶けかけた脳みそは思わぬ幻想をみせてくれるものだ。
浅い池底にはこの巻貝たちが這った跡が浅い溝をつくって伸びている。溶けかかった脳みそには、この足跡(這った跡)も別のものに見えてくる……。
「巻貝の這った跡って……里山の道のようだな」緩やかなカーブは峠道や丘に沿ってまわりこむあぜ道っほい。巻貝たちが描いた道をながめているうちに、それが《里山の地図》に見えてきた。

巻貝たちが描いた不思議な《地図》……暑さで溶けかかった脳みそ内で、この着想が一人歩きを始め、白昼夢のようにイメージが展開した……。
イメージというのは文章の形で形成されるわけではない(文章とは別次元)。それをそのまま記録することはできないが、概要を文章に翻訳しておこう。

巻貝の《地図》幻想

男は半分干上がった浅い池の水底に、巻貝がつくった道を目にして「《里山の地図》のようだ」と思った。彼の出身地も田園地帯で低い丘のふもとには田畑が入り組み、こんな曲がりくねった道が続いていた。
子どもの頃に過ごした景色を思い浮かべ、貝が描いた《地図》と重ね合わせてながめているうちに、水底に描かれた《地図》が、彼の故郷の地形に一々あてはまることに気がつき、男は驚愕する。
「そういえば、こんな地図を子どもの頃に見たことがあった!」

彼は子どもの頃の奇妙な体験を思い出した。あぜ道で虫をとって遊んでいたとき、見たことが無い老人が現れて「ここへ行くには、この道でいいね?」と問題の地図を広げて位置の確認を求めてきた。その地図には道や川らしきものが描かれていたが、地名や地図記号などはなかった。ただ1つ「×」印がつけられていて、老人はそこへ行きたいらしい。道や川の曲がりぐあいから、村の位置関係をあてはめて考えると、「×」印は神社裏手のため池のようだった。彼は老人をそこに案内してやったのだが……その途上で老人から聞いた話が奇妙きてれつだった。
その老人はトレジャーハンターで、不老不死を叶える財宝を探しまわってきたという。《一帯の支配者となり不老不死を手に入れる》ためのアイテムが、地図の「×」印に埋まっているというのだ。問題の地図はだいぶ前に手に入れることができたものの、それがどの地域の地図かがわからず、道の形が重なる地形の場所を長年探し続けてきたらしい。そしてようやく割り出したのが、彼の村だったという。
おとぎ話のような説明に子どもながらに困惑したのを彼は覚えている。「この爺さんは、ちょっとアブナイ人かも?」──そんな警戒心が生まれ、奇妙な老人を神社裏手のため池まで案内すると、彼はそそくさとその場をあとにした。
翌日、その老人はため池で溺死しているのが発見され村ではちょっとした騒ぎになった。おそらく老人は正確な「×」印の位置を確認しようとして池にハマって溺れたのだろう。不老不死を手に入れようとして死んでしまうなんて──なんてバカげたことだろう。当時、子ども心にそう思ったものだった……。

そんな記憶がよみがえり、男の頭の中に、突然ひとつの考えがひらめいた。
あの老人が持っていた《地図》は、男が育った村の地図ではなく、今、彼が見ている《(水底に描かれた)地図》だったのではないか? 奇妙な一致はとても偶然では片付けられない。
(──と、すると、《神社裏手のため池》にあたる場所は……)
男は貝が描いた《地図》に自分の故郷の地形を重ねて、「×」印に該当するあたりの水底に手を突っ込んだ。やわらかい泥の中で堅いものが指にふれ、取り出してみるとタニシ程の壷だった。
(まさか、これが、あの老人が探していた《一帯の支配者となり不老不死を手に入れる》ためのアイテム!?)
半信半疑で壷のフタを開けると……かすかに紫色の煙が立ちのぼったように見えた。確かめようと顔を近づけると、それまで嗅いだことが無い不思議な匂いが香った……次の瞬間、男の意識は遠のいていった……。

その日以来、男を見た者はいない。男が消えたのと時を同じくして、壷が埋まっていた池には、ひときわ大きな巻貝が1つ、こつ然と出現し君臨していたが、そのことに気づく人もいなかった。
やがて浅かった池は完全に干上がり、生息していた巻貝も全滅。ただひとつ、ひときわ大きなその巻貝だけは、乾きに苦しみながらも死ぬことなく、餌がなく飢え続けながらも死ぬことができずに生き続けていた……。


──というのが、暑さで溶けかけた脳みそに浮かんだ幻想イメージ。文章に翻訳するにあたって便宜的に(判りやすく)整理したところはあるが、おおむね、こんな感じ。
以前、やはり夏に、この近くを歩いていて【キリギリス幻想】のイメージが展開したことがあったが……暑さでもうろうとした頭には幻想が湧きやすい。
もっとも、妄想力が働くのは暑い時だけに限らず、寒さで凍りかけた脳みそは【冬来たりなば貼るトウガラシ】なんてイメージを描いたりもするわけだが……。



冬来たりなば貼るトウガラシ

冬来たりなば…冬はなぜ寒いのか

雪だ、雪だ! 雪が降りよった! しかも、いきなりの積雪!
いったい、どうなっておるのか!? たしかにSMAP解散騒動はサプライズかもしれない。しかし、だからといって雪が降ることたぁないだろう!
これではまるで冬ではないか!──って、冬だ……。

冬は寒い。寒いのは苦手だ。寒いと気分も落ち込み気味になる。
こんな【冬】にまつわる格言があったはずだ。そう、たしか……、

【冬来たりなば…貼るトウガラシ】

寒冷地では寒さ対策で靴にトウガラシを入れると聞いたことがある。トウガラシに含まれるカプサイシンは、温湿布にも使われているとか。ホッカイロなど無かった昔の人は、温湿布のようにトウガラシを体に貼りつけて寒さをしのいだということなのだろう。
体を温めるトウガラシは「冬から使用」されることから、「冬から使」→「トウからシ」→「トウガラシ」になったといわれる──というのは真赤なウソだが……温湿布にも使われるトウガラシあなどりがたし。

【冬来たりなば貼るトウガラシ】。その意味するところは……「冬──すなわち、辛い時期にも、なんらかの対策はあるものだ」ということであろうか?
当っているかどうか、検索してみたら……ちょっと違っていた。

【冬来たりなば春遠からじ】……「今は不幸な状況であっても、じっと耐え忍んでいれば、いずれ幸せが巡ってくる」という例えだとか。

しかし「不幸な状況」を冬に例えるというのは、よくわかる。寒さは辛い。寒さはこたえる。

毎年冬になると、「つい何ヶ月か前は夏のように暑かったのに、どうしてこんなに寒くなるのか! 夏に飛ばしすぎる(熱すぎる)から冬になって熱が足りなくなるのだ! 給料日後に景気良く金を使い過ぎ、給料日前になると金欠になる《計画性の無いサラリーマン》のようなことでどうする!」──などと、ついぼやいてしまいたくなる。

そもそも「寒くてつらい冬」と「暑くてつらい夏」がどうしてくり返されるのであろうか?
善良な人々は「寒い冬には《もっと暖を》」「暑い夏には《もっと涼を》」を願い続けてきたはずである。神様はいったい、これをどう捉えているのか? みんなの願いは神様に届いていないのであろうか?
いやいや、そんなことはあるまい。しかし、人々の願いは多い。神様がそれに目を通し叶えるには時間がかかるということなのだろう。これらの願いが神様に届いて処理されるまでには、きっと半年程かかる。冬に発信された《もっと暖を》という願いがかなう時期は夏となり、夏に発信された《もっと涼を》という願いが実現するのは冬になる──それで夏は暑く・冬は寒いという状況が生まれ、続いているのではあるまいか。

寒さで凍りかけた脳みそには、そんな考えも浮かんでしまう。

さて、【冬】にまつわる格言──【冬来たりなば春遠からじ】は前向きなものだが……しかし、毎年冬を経験していると、そうそうポジティブな気分にでもいられない。
ということで、僕が格言を作るとしたら……

【冬来たりなば…花粉症遠からじ】
【冬来たりなば…翌年もまた必ず冬はやってく来る】

なんともネガティブな……冬になると思考も景気が悪くなりがちである。


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