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《イタチの魔かけ》と《鼬の目陰》

《イタチの魔かけ》とは?@いたちの手紙
01鼬の手紙他
《いたちの魔かけ》というのは佐藤さとるの童話『いたちの手紙』に出てくる言葉で、イタチが後脚で直立し前脚を目の上にかざすしぐさのことだ。作中ではイタチが人に魔法をかけるときのポーズということになっており、この《いたちの魔かけ》がうまくかかる人は、イタチと会話ができる──という設定になっている。
『いたちの手紙』の内容をかなり大ざっぱにまとめて説明すると──開発で数を減らし、1匹になってしまったイタチが、他の地域で同じ状況下のイタチを嫁にとる話である。その橋渡しをするのが《魔かけ》がかかる人間で、タイトルにある手紙は《魔かけ》でイタチと友だちになった少女が代筆したものだった。ポストに投函されるはずだったこの手紙をアキラという少年が拾ったことから物語は始まる。この物語はファンタジーだが、アキラの視点で「奇妙な手紙」の謎から、《魔かけ》の秘密、ことの真相が明らかにされていく展開は、ちょっとミステリー風の味わいもあっておももしろい。僕が好きな作品の1つである。
さて、謎解き役(?)のアキラが初めてイタチに出会い、《魔かけ》をかけられるシーンは、こんなふうに描かれている──、


 その生きものは、アキラと目が合っても、平気だった。それどころか、とても変わったことをした。
 ふいに後足で立つと、右手を、いや右の前足を、目の上に持っていって、遠くからアキラを眺めた。ちょうど、アキラに向かって、「敬礼」をしているようだった。そのとたん、どういうわけか、アキラは思った。こいつはやっぱりいたちだなって。
 そう、やっぱりいたちだった。こんなふうに、いたちが後足で立って、片っぽの前足を目の上にあげて見ることを、「いたちの魔かけ」という。つまり、いたちが人に魔法をかけようとするときは、こういうふうにするんだね。(佐藤さとるファンタジー全集⑫収録版『いたちの手紙』より)


僕が『いたちの手紙』を読んだとき──もうだいぶ昔のことだが、この《いたちの魔かけ》と呼ばれる言い伝えは本当にあって、作者はこれをヒントにイメージを広げ、このストーリーを考えたのだろうと思った。作中には、次のような記述もある。

昔の人は「いたちの魔かけ」を、大変きらった。縁起がわるいと思っていたんだ。いたちにこれをされると、きっとよくないことが起きるなんて、思いこんでいたみたいだね。
 ほんとうは、そんなことないんだ。いたちが、よくないことを起こすのではなくて、よくないことが起こりそうなとき、いたちは「魔かけ」をして、人間に知らせようとすることがあるんだ。(同『いたちの手紙』より)


実際に忌み嫌われるイタチの言い伝えがあって、それは誤解なのだと説いているような文章だ。そんな《いたちの魔かけ》に興味を覚えて、調べてみようと思ったこともあったのだが……当時は、この言葉に関する情報はみつからず、作者の創作なのだろうかと首を傾げていた。佐藤さとるはファンが多いから、『いたちの手紙』を読んで《いたちの魔かけ》という言い伝えが実際にあるのか気になった人もきっと少なからずいたのではないだろうか?
それからだいぶ後になって、《鼬の目陰(まかげ)》という言葉を知って、これが《いたちの魔かけ》の元ネタだったのかと合点がいった。
《目陰(まかげ)》というのは字面から想像がつくように、目の上に手をかざして直射日光をさえぎる──見る時に目に陰を作るしぐさのことだ。イタチが立ち上がってこんなポーズをとるという俗信があるらしい。
『日本史のなかの動物事典』(金子浩昌・小西正泰・佐々木清光・千葉徳爾/東京堂出版/1992年)という本には「飯綱・鼬 いいずな・いたち」という項目があって、《鼬の目陰(まかげ)》についても触れられている。


 イタチはイイズナとはちがって人里近くに棲息し、ネズミ類を捕食して生活する益獣である。しかしながら、その姿が細長で耳が立ち、しばしば後肢と尾を利用して人間のように立ち上がり、短い前肢をかざして相手の様子を観察する。これを「イタチの目陰(まかげ)」といって人間のしぐさによく似ているので、何か魔性のものがのりうつっているかのように感じられて、不吉な予感をもって見られた。『源氏物語』や『源平盛衰記』の中にもすでにこのことが記されており、現在でも山仕事・旅行などの出発時に、イタチが道を横切ることがあると、「イタチの道切り」と呼んで、前途の幸不幸の前兆とみる土地もある。(『日本史のなかの動物事典』P.3)

《いたちの魔かけ》と《鼬の目陰(まかげ)》は響きも似ているし、仕草も似ている。縁起が悪いものとして捉えられていたという部分も合致する。語源は同じと見てよいだろう。
『全国妖怪事典』(千葉幹夫・編/小学館/1995年)では神奈川県(佐藤さとるの地元)のカテゴリーに【イタチ】の項目があり、次のような興味深い記述がある。


イタチ 動物の怪。鼬。イタチはよく後ろ脚で立って振り向いて、人の顔をシゲシゲと見るという。この時眉毛を読まれると騙されるから、鼬に会ったら眉に唾をつけるとよいという(鈴木重光『相州内郷村話』)。(『全国妖怪事典』P.74)

これは《鼬の目陰(まかげ)》のことだろう。このしぐさによってイタチが人の「眉毛を読む」というのが興味深い。「眉毛を見て心を読む」というようなことだろうか? 《鼬の目陰》によってテレパシーが使えるようになるということなら、《いたちの魔かけ》で人とイタチがテレパス状態になるという設定は、まさにピッタリである。
《鼬の目陰(まかげ)》でイタチが眉のあたりに前脚をかざすのには、相手の眉毛を読むことと何か関係があるのかもしれない。
よく怪しげな話を聞かされたとき「眉に唾をつける」とか「眉唾」などと言うが、眉に唾をつけるのは「眉毛を読まれないように」(だまされないように)という言い伝え由来だったとは、この本を読むまで知らなかった。

『いたちの手紙』にでてくる《いたちの魔かけ》が《鼬の目陰(まかげ)》のことだというのは、おそらく間違いないところだろう。これを「イタチが魔法をかけるときの仕草」としてとらえるなら《いたちの魔かけ》という呼び名の方がふさわしい。そう考えた佐藤さとるが《目陰》を《魔かけ》と翻案したのか、あるいは《鼬の目陰》を《いたちの魔かけ》とよぶ地域が実際にあってそれにならったのか……それとも佐藤さとるが《目陰》を《魔かけ》と聞き違えて覚えていたことで、《魔かけ》➡《魔法をかけるしぐさ》という着想につながったのか……そのあたりのことはわからない。
いずれにしても、《鼬の目陰(まかげ)》という言い伝えが『いたちの手紙』の着想もしくはイメージを広げる手がかりになっただろうことは想像できる。


アズキとぎと『霜夜の鼬』
『いたちの手紙』の誕生には、もうひとつ、ある童謡がかかわっているという。作中でイタチが歌う──イタチがアズキをといで赤飯をたくという内容の童謡だ。佐藤さとるが小学2年生の時に1度だけ教わったというウロ覚えの歌詞が作品の中にでてくる。執筆時にはあやふやだった歌詞や失念していたタイトルが、『いたちの手紙』(講談社/1973年)の出版後に判明したことが『佐藤さとるファンタジー全集⑫いたちの手紙』収録の表題作末尾に《付記》として記されている。出版後、作中の歌詞には間違いがあることがわかったが、うろ覚えに覚えていた(間違った)歌詞が、この作品のモチーフであったことから、作品のイメージを大事にしたいという理由で作中の(間違った)歌詞はそのままにしてあるという。
作中のイタチが、勘違いして(?)間違った歌詞で歌っていたとしても、作品としては(整合性に)何ら問題ない。
この《付記》によれば、問題の童謡は野口雨情が作詞した『鼬の小豆磨ぎ』ということになっているのだが……検索してみると『霜夜の鼬』(作詞:野口雨情/作曲:中山晋平)というタイトルでヒットする。


霜夜の鼬
作詞:野口雨情/作曲:中山晋平

霜夜(しもよ)のしのやぶ 霜(しも)でサーラサラ
ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
鼬(いたち)が小豆(あずき)を といだとさ

寒いぞ寒いぞ 霜夜のしのやぶ
ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
鼬が おまんま たくだとさ

小豆を とぎとぎ ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
おまんま たきたき ザツクリ ザツクリシヨ
霜夜のしのやぶ ザツクリ ザツクリシヨ
赤のおまんま 小豆のおまんま
鼬が 小豆を といだとさ


佐藤さとるは歌詞の「イタチがアズキをといで赤飯をたく」という内容から、「赤飯をたく」➡「めでたいことのお祝い」➡「イタチの嫁取り」というストーリーを考えたのだろう。『いたちの手紙』としては合点の行くところだ。
しかし、『いたちの手紙』という作品を離れて『霜夜の鼬』の歌詞を考えると、ちょっと不思議な気もする。捕食性のイタチとアズキ磨ぎにどんな関係があるのだろうか?

実は、人気の無いところでアズキをとぐ音がする──という伝承はよくあり、「アズキトギ(小豆とぎ)」という妖怪のしわざだとされる。これについて『決定版 日本の民話事典』(日本民話の会・編/講談社/2002年)には次のように記されている。


【アズキトギ】
 夜、川べりや橋のたもとなどの水辺の暗いところで、ザクザクとアズキを洗うような音をたてる妖怪です。分布は九州から東北まできわめて広く、その音はほぼきまっています。「アズキとごうか人食おうか、ゴシゴシゴシ」とか、「お米とぎやしょか人とって食いやしょか、ショキショキ」と聞こえると言われています。(P.288)

 アズキトギの正体を、むじなやイタチだとしているところもあります。毛をコシコシこする音だというのです。ガマだという地方もあります。(P.289)

アズキは正月など特定の祝日、神祭りの食べ物として重要視されただけでなく、不祝儀にも用いられました。霊力を持つ食べ物と考えられていたことが、こうした妖怪の背景にあるのかもしれません。(P.289)


アズキトギの正体についてイタチだとする地域がある──野口雨情は、これをヒントに『霜夜の鼬』を書いたのではないか?
この歌詞がどのように生れたのかを想像してみると……《霜柱を踏む音とアズキをとぐ音が似ている》と感じた野口雨情が、《霜夜にアズキをとぐ者がいる》という不思議な状況をイメージし、それではアズキをといでいるのは誰が何のために?(童謡にするには何がふさわしいか)──と想像を膨らませて《(アズキトギの正体とされる)イタチが赤飯をたくため》という解釈を思いついたのではなかろうか──というのが僕の推理するところ。
ちなみに、アズキトギ・アズキアライと呼ばれる妖怪の正体については、イタチやムジナ(アナグマ※これもイタチ科)の他にも、カワウソ(※これもイタチ科)やタヌキ・ガマ(ヒキガエル?)・老婆の妖怪(小豆婆)などの言い伝えがあるようだ。

余談だが……作詞:野口雨情/作曲:中山晋平のコンビといえば、コガネムシを金持ちに見立てた童謡『黄金虫(こがねむし)』も、ちょっと不思議な作品だ。コガネムシが立てた金蔵とはいかなるものか? この作品については描かれているのはコガネムシではなく、チャバネゴキブリだという説がある。ゴキブリ説は色々なメディアで取り上げられいて、ちょっとしたウンチクになっている。しかしこれはヤマトタマムシだという説もあって、僕はタマムシ説を支持している。コガネムシが立てた金蔵(かねぐら)というのは玉虫厨子のことで、野口雨情は玉虫厨子をタマムシ(コガネムシをそう呼ぶ地域がある)の金蔵にみたてて、この作品を書いたのではないかと僕は思っている。「《玉虫厨子》を《タマムシの金蔵》にみたてる」という着想・創作プロセスは「《霜柱を踏む音》を《アズキとぎの音》にみたてる」という着想・創作プロセスと似ている……野口雨情はこうした連想や見立てからイメージをひろげて作品を創作していたのではないか……と思ったりもするのだが……もちろん、これは僕の個人的な想像。作品がどのようにして誕生したのか──何がきっかけ・ヒントになって、どのようなプロセスで作品ができあがっていったのかということには興味があるので、つい、あれこれ想像してしまう。


イタチの目陰(まかげ)帽子!?&いたちマジック
『いたちの手紙』からは離れるが……《目陰(まかげ)》がまぶしい太陽の光をさえぎるためのものだとすれば、帽子のつば(日よけ)が、この役割りを果たしている。つば付き帽子は目陰(まかげ)帽子といってもおかしくはないだろう。とすれば、フェレット(家畜化されたイタチ科の動物)のフィギュアをつばに乗せたフェレット散歩用の帽子は「イタチの目陰(まかげ)帽子」と言えなくもない。
02鼬の目陰帽子
僕が飼っていたフェレットは直立して前脚を額にかざす《魔かけ》こそしなかったが、前脚をかざして僕が握った物を消すというマジックをしていた!?

魔法ではないが……魔法もどき(?)なエピソードは色々あって……イタチ科の動物は迷信が生まれやすかったのではないか……という気がしないでもない。
03鼬漫画迷信編A

04鼬漫画迷信編B


05超魔術鼬C
『ふぇレッツ・ゴー』イタチと迷信!?:編より⬆

『ふぇレッツ・ゴー』超魔術イタチ:編

黄金色のコガネムシ ※童謡『黄金虫』のゴキブリ説&タマムシ説
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黄金色のコガネムシ

黄金色(こがねいろ)のコガネムシ



黄金色に輝くコガネムシがいた。サクラコガネというのに似ている気もするが……正確なところはよくわからない。ゴールドの輝きが美しく豪華なフンイキをかもしだしていたので撮ってみた。
この金ピカのコガネムシをみて頭に浮かんだのが、童謡『黄金虫(こがねむし)』。子どもの頃にこの歌で思い描いていた【こがねむし】は、まさにこんな感じの《黄金色のコガネムシ》だった。




「コガネムシ」と聞けばこの童謡を思い浮かべる人は多いだろう。実物を見たことがなく、この童謡で「コガネムシ」を知ったという人だって多いはずだ。
僕がこの童謡に出会ったのがいつのことだったか、もう覚えていないが……当初は「こがねむし」の「虫」はわかるが「こがね」が判らなかった。
なので「大金持ち」の「大金」に対しての「小金」というイメージでとらえ、「こがねむしは金持ち」だというのは「大金持ち」ではなく「小金持ち」なのかな?──と想像していたような気がする。
おそらく作詞の野口雨情も「(黄)金虫」と「金持ち」をかけて意図的に韻を踏んでいたのだろうから、よくわからない子どもが「こがねむし」と聞いて「小金持ち」と連想・解釈したのは無理からぬことではなかったかと思う。

「こがねむし」の「こがね」が「黄金」であり「ゴールド」のことだと知ってから金色のコガネムシを想像し、そのイメージが定着したような気もするが……画像のような《金ピカのコガネムシ》なら「金持ちだ」と歌になるのも納得できる。

童謡『黄金虫』で歌われた昆虫とは!?

ところが……《金ピカのコガネムシ》のイメージを打ち砕く噂が世の中に出回っていた。《童謡『黄金虫(こがねむし)』に登場する「コガネムシ」とは「ゴキブリ(チャバネゴキブリ)」のことである》──という《ゴキブリ説》である。
僕がこの説を知ったのは大人になってからだったが、大いに驚いた。これが本当なら、童謡のイメージダウンははなはだしい。「まさか……」と思い調べてみると、けっこう浸透しているウンチクらしいことが判った。
《ゴキブリ説》を知った時は、驚きとともに、なんだかガッカリしたのを覚えている。幼い頃から童謡で思い描いていた「黄金虫」のイメージと「(チャバネ)ゴキブリ」ではギャップが大きすぎる。
《ゴキブリ説》にイメージを裏切られたかのような気持ちを味わった人は少なくないのではないだろうか?

ガッカリ感をもたらした《ゴキブリ説》だが……その根拠となったのが、1979年に石原 保氏が『虫・鳥・花と』(築地書館)で発表した【コガネムシは金持ちではない話】という記事だったらしい。その論脈は《【群馬県高崎地方】では「チャバネゴキブリ」を「コガネムシ」とよび、この虫がふえると財産家になるといわれていた》という伝承を根拠に、だから《【同じ北関東】に生まれ育った野口雨情が「金持ちだ」と書いた「コガネムシ」は「チャバネゴキブリ」のことである》と結論づけたものだった。

誰もが知り馴染みのある童謡で歌われていた「黄金虫」が、実は「ゴキブリ」だった!?──そのインパクトは大きい。キャッチの良い《衝撃的情報》であったために、後付けの理屈をくわえられながら広く伝播していったのだろう。



これ↑は《ゴキブリ説》を紹介した本の一部(僕の手元にあったもの)。これまで《ゴキブリ説》は、ネット上はもちろん、新聞・雑誌・書籍など色々なメディアで紹介され、それが「真相」であるかのように報じられてきた。
しかし、どうなのだろう……作詞した野口雨情が「あれは(チャバネ)ゴキブリをモチーフにした」と語ったり記した記録が残っているというのならともかく……作詞家本人に確かめることもなく書かれた記事を根拠に《ゴキブリ説》を全面的に信じてしまって良いものだろうか?

ウンチクネタの1つとして定着した感のある《ゴキブリ説》だが、その大元となった【コガネムシは金持ちではない話】の不備を指摘する反証記事が『月刊むし』2010年6月号(472号)に掲載されていた。枝 重夫氏が記した【童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?】という記事で、要約すると──、
【コガネムシは金持ちではない話】(ゴキブリ説)では《【群馬県高崎地方】では「チャバネゴキブリ」を「コガネムシ」とよぶ》ことを根拠にしているが、野口雨情が生まれ育ったのは【群馬県高崎地方】ではない。雨情の故郷は【茨城県磯原町(現在の北茨城市)】であって、この周辺では(チャバネゴキブリではなく)「タマムシ(ヤマトタマムシ)」のことを「コガネムシ」と呼び、昔は貴重品のように扱われていた。財布の中に入れておくとお金が貯まるとか、箪笥の中に入れておくと虫がつかないなどとも言われていた。そうした記述のある資料は見つかるものの、雨情の故郷では「ゴキブリ」を「コガネムシ」と呼ぶ資料は見つからなかったという。こうしたことを調べ、枝 重夫氏は童謡『黄金虫』で歌われていたのは「ゴキブリ」ではなく「タマムシ」ではないかと指摘をしている。

雨情の故郷で「コガネムシ」が何をさすのか(チャバネゴキブリをさすのか)を確かめずに【群馬県高崎地方】と【茨城県磯原町】を【北関東】と同一地域にくくって《だから雨情の「コガネムシ」も「チャバネゴキブリ」のことだ》と決めつけていたのだとしたら、乱暴な話だ。

僕の手元にも、元祖《ゴキブリ説》を踏襲したと思われるものがある。2009年に発行された『害虫の誕生──虫からみた日本史』(瀬戸口明久/ちくま新書)もその1つ。この本には次のような記述がある。

かつてゴキブリは豊かさの象徴だったという説さえある。群馬県高崎地方では、チャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたという。「コガネムシは金持ちだ」という野口雨情の童謡で歌われているのは、この虫のことなのだ。(P.8)

この本でも《「チャバネゴキブリ」を「コガネムシ」と呼ぶのは【群馬県高崎地方】》としている。その後あっさり《野口雨情の童謡で歌われているのは、この虫(チャバネゴキブリ)のことなのだ》と続けているが……雨情の故郷は【群馬県高崎地方】ではないのだから、この説明には不備がある。
もし、野口雨情の生まれ育った地域でも《「チャバネゴキブリ」のことを「コガネムシ」と呼ぶ習慣があった》のだとすれば、【群馬県高崎地方】の例を出すまでもなく、《野口雨情の故郷【茨城県磯原町】では──》と説明すれば済むことであり、その方が自然で説得力がある。なのにそう記せなかったのは《野口雨情の故郷(茨城県磯原町)では「チャバネゴキブリ」のことを「コガネムシ」と呼ぶ習慣がある(あった)》という事実が確認できなかったためだろう。

こうしたことを考えると、どうも《ゴキブリ説》は根拠を失い、成立し得ないのではないかと思われてならない。
冷静に考えて……童謡の雰囲気からして、雨情が「チャバネゴキブリ」をイメージしてあの作品を描いたとはちょっと信じがたい。

一方、枝 重夫氏が【童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?】の中で記していた《「コガネムシ」→「タマムシ(ヤマトタマムシ)」説》──これなら、大いにあり得そうな気がする。
宝石のように輝くタマムシは海外では宝石商が扱っていたりするそうだし、国内でもタマムシの翅が国宝・玉虫厨子の装飾に使われたことは有名だ。タマムシであったなら──歌の「金持ち」のイメージを損なわない。

『黄金虫』はタマムシだった!?

ということで、新たに浮上した「真相」の昆虫!? ヤマトタマムシはこれ↓


金属光沢のある体は、いわゆる「玉虫色」に色合いが変化し、とても美しい。先日、道に仰向けに落ちていた個体↓









《ゴキブリ説》には違和感を覚えるが、童謡『黄金虫』に描かれていたのが、タマムシだったなら納得できる。むしろタマムシこそ歌のイメージにふさわしい。そんなふうに感じるのは僕だけではないだろう。
《ゴキブリ説》を知った時にはガッカリした僕だが、今は希望を持って(?)《タマムシ説》を支持している。

そして……童謡『黄金虫』の知られざる「真相」(!?)としてこんな可能性も想像している。
雨情は《タマムシの翅で装飾された玉虫厨子》をモチーフに、これを《黄金虫(タマムシ)の金蔵》に見立てるという着想を得て、この詞を書いたのではないか?
もちろん、これは僕の憶測に過ぎないのだが……。

野口雨情(1882年-1945年)がこの騒動(?)を見ていたなら、なんと言うだろう……金ピカのコガネムシを見て、あらためてそんなことを思うのであった。





童謡『黄金虫』ゴキブリではなくタマムシ

童謡『こがねむし』モデルはゴキブリではなくタマムシ

童謡『黄金虫(こがねむし)』(野口雨情・作詞/中山晋平・作曲)に歌われているのはコガネムシではなくチャバネゴキブリだとする説がある。比較的最近になってもそんな情報が流れていたようだ。これをネタにした書き込みをいくつか目にした。
最近の情報源はNEWSポストセブン(2013.04.29)だったようだ。


この記事の冒頭を引用すると──

 姿を見かけると悲鳴をあげられ、問答無用で駆除の対象となるゴキブリだが、日本で“害虫”として認知されるようになったのは、約50年前、高度成長期のころからだった。

 アフリカ原産のゴキブリは、温かく食べ物がある場所でなければ生存できない。高度成長期より以前の日本では、食べるものがふんだんにあり、保温性が高い場所を確保できる豊かな家でなければゴキブリは生きられなかった。

 実際に、大正11(1922)年につくられた童謡「こがねむし」は「こがね虫は金持ちだ 金蔵たてた蔵たてた」と歌い出すが、このコガネムシは緑色に輝く、夏にあらわれる昆虫のことではない。作詞した野口雨情の出身地では、チャバネゴキブリのことを「こがねむし」と呼び、現れると金が貯まる縁起物とされていた。


この部分は瀬戸口明久・著『害虫の誕生──虫からみた日本史』(ちくま新書/2009年)を参考に書かれたものではないかと思われる。
『害虫の誕生──虫からみた日本史』プロローグからの引用↓

 まずは身近な<害虫>の代表であるゴキブリについて考えてみよう。家のなかを走り回り、黒光りするゴキブリの姿を見ると、ほとんどの人はぞっとして追い払おうとするだろう。けれどもゴキブリが現在のように身近な<害虫>となったのは、じつは戦後になってから、ごく最近のことなのである。(P.7)
(中略)
 そればかりか、かつてゴキブリは豊かさの象徴だったという説さえある。群馬県高崎地方では、チャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたという。「コガネムシは金持ちだ」という野口雨情の童謡で歌われているのは、この虫のことなのだ。ゴキブリが多いと金が貯まるという話は、愛知県や岡山県にも残っている。(P.8)


野口雨情の童謡『こがねむし』に歌われているのがゴキブリだという解釈について『害虫の誕生──虫からみた日本史』では、《群馬県高崎地方では、チャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたという》という説明のあとに《「コガネムシは金持ちだ」という野口雨情の童謡で歌われているのは、この虫のことなのだ》と結んでいる。
しかし、野口雨情の出身地は《群馬県高崎地方》ではなく《茨城県磯原町(茨城県多賀郡北中郷村磯原=現在の北茨城市)》である。かりに《群馬県高崎地方では、チャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいた》のが本当だったとしても、野口雨情とは関係がない。
もし、野口雨情のふるさとでもチャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたのであれば、《群馬県高崎地方》の例を持ち出すまでもなく、《野口雨情の出身地・茨城県磯原町では──》と説明できたはずであり、それが自然、そうすべきだったろう。そうしなかったのは(できなかったのは)、野口雨情のふるさとではチャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼ぶ実態がなかった(確かめられなかった)からだ──そう考えるのが妥当だろう。根本的な所で《童謡『こがねむし』→ゴキブリ説》には胡散臭いところがある。

この件について調べた人がいて(※『月刊むし』2010年6月号(472号)【童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?】枝 重夫)、野口雨情のふるさと周辺では《「タマムシ」を「コガネムシ」と呼ぶ》という記録はあるものの、《「(チャバネ)ゴキブリ」を「コガネムシ」と呼ぶ》という記録はみつからなかったという。

そもそもコキブリ説の発端は《チャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいた群馬県高崎地方》と野口雨情の出身地《茨城県磯原町》を、あえて《北関東》という拡大解釈で《同地方》とみなして導きだされた1979年の記事にあったらしい。
『黄金虫(こがねむし)』が多くの人が慣れ親しんだ童謡であり、「じつはゴキブリのことだった」という衝撃的な意外性は【うんちく】としてキャッチが良く拡散しやすかったのだろう。その後、後付けの解釈で補強される一方、《北関東》という意味で使われた《同地方》という記述が、いつからか《野口雨情の出身地》というハナシにすり替えられて広まってしまった……ということのようだ。
NEWSポストセブン(2013.04.29)の記事でも《作詞した野口雨情の出身地では、チャバネゴキブリのことを「こがねむし」と呼び》と記されている。
くり返しになるが、《チャバネゴキブリのことを「こがねむし」と呼んでいた》とされるのは《群馬県高崎地方》であって、野口雨情の出身地(茨城県磯原町)ではない。

『月刊むし』2010年6月号(472号)掲載の【童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?】で枝 重夫氏は、童謡『黄金虫』で描いるのは、ゴキブリではなく、タマムシだったとする説を展開している。ゴキブリであっては不自然な点をあげ、一方タマムシであれば説明がつくという説得力のある記事だった。

タマムシは縁起の良い虫とされ、財布の中に入れておくとお金が貯まると言われていたり、貴重品として扱われた。国宝の玉虫厨子がタマムシの翅で装飾されたというのも有名な話だ。「黄金虫は 金持ちだ 金蔵建てた 蔵建てた」という歌詞のイメージからしてもタマムシの方がふさわしい。

僕も枝氏のタマムシ説を支持する。
さらに童謡『こがねむし』のモチーフになったのは玉虫厨子ではないかと想像する。野口雨情は玉虫厨子を「こがねむし(タマムシ)の金蔵」に見立てるアイディアを得て《こがねむし(タマムシ)は 金持ちだ 金蔵建てた 蔵建てた》という歌詞を書いたのではないかと考えている。



童謡『こがねむし』で歌われていたのが(チャバネ)ゴキブリだったと知らされ、ショックを受けたりガッカリした人は少なくなかったろう。
しかし、ホントはタマムシ(ヤマトタマムシ)のことだったのだとすれば……納得できるのではあるまいか──そう思って、過去にも記したネタだが改めて記してみたしだい。

童謡『黄金虫』の解釈をめぐって

前回の日記(童謡『黄金虫』の謎)をアップした後、さらに童謡『黄金虫(こがねむし)』について調べてみた。
[チャバネゴキブリ説]はメディアでもけっこう取り上げているようだ。
僕も本屋でこの件にふれている本を探して3冊ほど購入。本のタイトルと問題の部分(《》内に引用)を紹介してみたい。

●『害虫の誕生──虫からみた日本史』(瀬戸口明久/ちくま新書/2009年)

《かつてゴキブリは豊かさの象徴だったという説さえある。群馬県高崎地方では、チャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたという。「コガネムシは金持ちだ」という野口雨情の童謡で歌われているのは、この虫のことなのだ。(P.8)》

この本ではゴキブリ説の元になったとされる30年余前の記事どおり、「チャバネゴキブリをコガネムシとよぶのは【群馬県高崎地方】」としている。
しかしこれは野口雨情のふるさと(茨城県磯原町)ではない。
なのにそのあと、あっさり「野口雨情の童謡で歌われているのは、この虫(チャバネゴキブリ)のことなのだ」と続けているわけだが……「(群馬県高崎地方で)チャバネゴキブリをコガネムシとよぶ」ことと「(茨城県磯原町出身の)野口雨情の『黄金虫』」との間には関連性が示されていない。

もし、野口雨情のふるさとでも「チャバネゴキブリをコガネムシとよぶ」のであれば群馬県高崎地方の例を持ち出すまでもなく「野口雨情のふるさと(茨城県磯原町地方)では──」と説明すれば済むことである。
そう言い切れなかったのは、(元記事では)茨城県の方言をきちんと調べていなかったからだろう。なのにそのあたりを確かめもせず「同じ北関東なのだから方言だって同じだろう」という見込みで展開されたのが[チャバネゴキブリ説]の発端だったらしい。

枝重夫氏(【童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?】の著者)は、この点を不信に思い、調べてみたところ、野口雨情のふるさとでゴキブリをコガネムシと呼んだという記録は見つからなかったという。
野口雨情のふるさとに近い筑波山麓・水戸市の方言では、(ゴキブリではなく)タマムシをコガネムシと呼んで、財布の中に入れておくとお金が貯まるとか、箪笥の中に入れておくと虫がつかないなどと言われていたそうだ(水戸市の動植物方言/動物編)。
こうしたことなどから、枝重夫氏は童謡『黄金虫』に歌われていた「金持ち」はタマムシだと主張しているわけだ(月刊むし2010年6月号【童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?】)。

『害虫の誕生──虫からみた日本史』はNHKのテレビ番組(週刊ブックレビュー)でも紹介されたらしいので、これでまた[チャバネゴキブリ説]も広まったのではないだろうか。


●『童謡の風景2』(合田道人/中日新聞社/2009年)
この本では『黄金虫』を《切ない親の気持ち》という見出しで解説している。

《体長2センチくらいで緑色をしていて、光の加減で金色に輝いて見える。植物の葉を食う害虫だが、黄金色だから「黄金虫」と呼ばれるようになった。こんなところから"黄金虫が家にいると金持ちになれる"という通説が生まれた。
この歌の作詞家・野口雨情のふるさと茨城では、なんとゴキブリのことを「黄金虫」と呼んでいた。そうなると、ゴキブリが集まる家こそ金持ち…という話になってくるではないか…。実はそれがこの歌の陰に潜むものだったのである。
ゴキブリは家の中、特に食材の周りに出没することが多い。つまり食べ物のある所、すなわち裕福な家に集まってくるというわけだ。
歌が発表された大正時代は食べる物もない貧困者がまだ多かった。黄金虫がやってくるような裕福な家になり、子どもに飴の1つも食べさせてやりたい…という親の切ない気持ち、ないものねだりの欲望、憧れがこの歌の裏側には潜んでいたのだった。(P.54~P.55)》

ここでは「野口雨情のふるさと茨城では」とコガネムシをゴキブリと呼ぶ地域が、群馬県高崎地方から茨城にすりかわって(?)いる。
30年余前に発表された[チャバネゴキブリ説]では「コガネムシをゴキブリと呼ぶ地域」を「群馬県高崎地方」とした上で、(茨城県磯原町出身の)野口雨情を「同じ北関東」という枠で同一視しようとしている。これを読んだ人が「同じ北関東」とくくられた部分で、「野口雨情のふるさと(北関東)では」→「野口雨情のふるさと(茨城)では」と誤認してしまった可能性が疑われる。

『童謡の風景2』の方は中日新聞社に連載されていたものをまとめた本だそうだ。新聞で[チャバネゴキブリ説]を知った人も多かったろう。
ちなみに、この著者は次の著書でもこの[ゴキブリ説]を説いている。
『童謡の謎3』(合田道人/祥伝社)
『童謡なぞとき』(合田道人/祥伝社黄金文庫)
「カマキリの雪予想」ではないが、実はガセネタ(?)がメディアにとりあげられることで広まっているのではないか……という危惧を感じないでもない。

ところで、本書の解説では[チャバネゴキブリ説]とは別に注目した部分がある。『黄金虫』の歌詞──水飴部分の解釈についてだ。

《子どもに飴の1つも食べさせてやりたい…という親の切ない気持ち、ないものねだりの欲望、憧れがこの歌の裏側には潜んでいた》

──と評している。次に紹介する本と解釈が違い過ぎていて興味深い。


●『読んで楽しい日本の童謡』(中村幸弘/右文書院/平成20年)

《この「黄金虫」という童謡は、言葉の遊びを存分に取り入れて、聞いている人にも、その謎を解かせて楽しむという、実に洒落た作品です。笑い話というか、そういう、言葉の綾とか落ちとか、というようなものがあるのです。
第1連も第2連も、1行・2行は、まったく同じです。各連3行ですから、違うのは3行めだけということになります。その1行・2行は、「黄金虫は金持ちだ。/金蔵建てた、蔵建てた。」です。どうして、黄金虫は金持ちなのでしょうか。黄金色の羽をもっている虫ですから、黄金がある、つまり金持ちだ、といおうとしているのです。黄金虫だから、お金持ちに決まっている、というのです。そこで金蔵を建てて当然です。
しかし、第1連の3行目では、金蔵を建てたほどの黄金虫なのに、黄金色の「飴屋で水飴、買ってきた。」ということになるのです。水飴は、色は、黄金色ですが、その値段は、安いものです。金持ちなのに、安い水飴を買ってきた、といって、けちな奴だと、皮肉を込め、からかい、話の落ちとしているのです。第2連の、その部分は、「子どもに水飴、なめさせた。」と言ってバカにしているのです。
黄金虫は光沢の濃い金色で、名前も立派ですが、人間にとっては作物の葉や根を害する昆虫です。害虫です。カナブンともブンブンともいわれます。そして、何よりも、動物の糞や葉肉を食べるのです。
さらにここにいう「黄金虫」は、ゴキブリであるとも見られます。この詩のテーマは、風刺とひやかしとにあったのです。(P.101~P.102)》

この本でも[ゴキブリ説]が紹介されているが、作品解釈が『童謡の風景2』の《親の切ない気持ち》とは全く違い、《風刺とひやかし》と断じている所がおもしろい。
本来なら「わかりやすい」はずの「童謡」で、これだけ作品解釈に差がでるということは、それだけ(金持ちであることを歌った歌なのに、突然登場する安価な)「水飴」のパートが(一見)ミスマッチだからであろう。

また、本書では「コガネムシ」について《作物の葉や根を害する昆虫です。害虫です。カナブンともブンブンともいわれます。そして、何よりも、動物の糞や葉肉を食べるのです》と混乱気味の説明をしており(種類や生態がゴチャ混ぜ?)昆虫への理解度の低さを露呈している感が否めない。さらに「ゴキブリである」とも言っているわけで……「いったい、[黄金虫]とは、どの昆虫のことを言っているのか」とツッコミたくなってしまう。


ちょっと入手してみた本でもこれだけ様々なことが書かれているのをみると、いろんな解釈がでまわっているのだなぁ……と改めて感じる。

僕の解釈としては、野口雨情の童謡『黄金虫(こがねむし)』については、現在は枝氏の[タマムシ説]を支持。
ただ、歌詞の内容については──水飴のくだりについては「謎」のままだ。
「作品として筋が通る」解釈を前の日記(童謡『黄金虫』の謎)で記したが、これも想像シミュレーションの1つに過ぎない。
もっとピッタリ収まりの良い解釈がないものかと考えている次第である。


●宝石昆虫タマムシ/玉虫の金蔵とは!?
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-135.html

童謡『黄金虫』の謎


誰もが知っている童謡『黄金虫(こがねむし)』

 黄金虫は 金持ちだ
 金蔵建てた 蔵建てた
 飴屋で水飴 買ってきた

 黄金虫は 金持ちだ
 金蔵建てた 蔵建てた
 子供に水飴 なめさせた

野口雨情・作詞/中山晋平・作曲の作品である。

この作品に登場する「黄金虫(こがねむし)」は実は「チャバネゴキブリ」だという説がある。

《野口雨情が生まれ育った【北関東】では「チャバネゴキブリ」を「コガネムシ」と呼び、この虫が増えると財産家になると言われていた》

というのがその根拠とされており、そのイメージのギャプ・意外性にインパクトがあるためか、この説は書籍でも紹介されたりし、ネット上でもけっこう広まっているようだ。

《ゴキブリが持つ卵の入ったカプセルが、ちょうど「小判」や「がま口財布」に見えることも「金持ち」を思わせる》

というゴキブリ説を後押しする意見もある。

ところが、これに対して「黄金虫」は「ゴキブリ」ではなく、「タマムシ」だという説が、『月刊むし』2010年6月号(472号)に紹介されていた。
【童謡"黄金蟲"はタマムシだ!?】という記事で、著者の枝 重夫氏は次のような主張をしている。

《ゴキブリ説の根拠とされる文献によると「チャバネゴキブリ」を「黄金虫」と呼ぶのは【群馬県高崎地方】であり、野口雨情が生まれ育ったのは【茨城県磯原町】。二つの離れた地域を【北関東】と同一にくくるのは無理がある》
《枝氏の生まれ育った茨城県真壁郡真壁町では(ゴキブリではなく)「タマムシ」のことを「コガネムシ」と呼んでいた(枝氏も子供の頃、童謡『黄金虫』を聞いてタマムシのことだろうと考えたという)》

枝氏は野口雨情が生まれ育った茨城県磯原町(正確には茨城県多賀郡北中郷村磯原=現在の北茨城市/筑波山より水戸市に近い)周辺の方言に関する著書を調べ──、

《タマムシは色彩が美しいので、一般にコガネムシと呼ばれています(筑波山麓の動植物の方言/動物編)》
《タマムシは一般にカネムシまたはコガネムシといわれ、緑色を種に、いわゆる玉虫色で美しいところから、昔は貴重品のように扱われ、財布の中に入れておくとお金が貯まるとか、箪笥の中に入れておくと虫がつかないなどと言われていました(水戸市の動植物方言/動物編)》

という記述があることを確かめたとしている。また同書にはゴキブリをコガネムシと呼ぶという記述は無かったという。

枝氏は他にもいくつかの例をあげて「黄金虫」を「ゴキブリ」とするには無理があると論じ、野口雨情の詞に書かれているのは「タマムシ」であるとしている。


童謡『黄金虫』で「金持ち」と歌われたのが「タマムシ」であるなら、イメージは納得できる。
きらびやかで豪華な姿は「金持ち」にふさわしい。「玉虫」の「玉」には宝石の意味もあるし、実際にインドや中国では実際に宝石商が取り扱ったりもしているという。
僕も枝氏のタマムシ説に「なるほどな」と合点がいった。

ただ、童謡『黄金虫』について、まだよくわからないところがある。

「金持ち」なのだから「金蔵建てた」という部分は理解できるのだが……そのあとに「飴屋で水飴 買ってきた」とか「子供に水飴 なめさせた」という妙に庶民的な──金持ちの歌にはふさわしくないパートに引き継がれるのが唐突感があって、どうも馴染まない気がするのだ。

某所でこの童謡『黄金虫』のことを話題にした時、
「子どもの頃から、(黄金虫を)玉虫のことだと勝手に思い込んでいた」という人が現れた。やはりタマムシをイメージさせる詞なのかもしれない。そして彼はこうも述べた。
「社会の時間で玉虫厨子(たまむしのずし)の写真を見た自分は、これこそ黄金虫の金蔵だと思った」

そう言われてみれば「玉虫厨子」と「黄金虫の金蔵」のイメージは、うまく重なる気がする。
「玉虫厨子」は人間の金蔵にしては小さいけれど、「黄金虫の金蔵」としてはぴったりではないか!?

もしかすると、野口雨情は「玉虫厨子」をヒントに「黄金虫の金蔵」という発想をしたのではないか!?

創作をする者の立場からいうと、「黄金虫(玉虫)を見て、そこから虫が金蔵を建てるというストーリーを思いついく」というのはあまりピンとこない。しかし「玉虫厨子をモチーフに、これを黄金虫(玉虫)の金蔵に見立てるというアイディアを得た」ならば作品の着想としては「あり」だと思う。

そこで(金蔵に見立てた?)「玉虫厨子」と、謎だった「水飴」に何らかの関係性がないか検索してみた。
すると、ビミ~なところでヒットがあった。
玉虫厨子は現存する最古の漆絵で、装飾画の部分(レプリカではタマムシの翅を2mm四方に切ったものが使われた)は、蒔絵と呼ばれる手法で作られたらしいのだが、その蒔絵技法の中に水飴を用いる技法があるという。消粉蒔絵(けしふんまきえ)といい、金箔を水飴で練って作る消粉を用いた蒔絵だそうである。

じっさいに玉虫厨子に水飴が使われたかどうかはわからないが、野口雨情が漆絵に金銀・螺鈿(アワビ貝などの真珠光を放つ部分を薄片とし漆面にはめ込んだもの)を装飾する蒔絵で水飴が用いられる事を知っていたなら──それを詞にしていたのだとすれば、童謡「黄金虫」の筋は通る。

 黄金虫は 金持ちだ
 金蔵建てた 蔵建てた
 飴屋で水飴 買ってきた

 黄金虫は 金持ちだ
 金蔵建てた 蔵建てた
 子供に水飴 なめさせた

「飴屋で水飴 買ってきた」はその前の「金蔵」にかかっている──「金蔵(玉虫厨子)」に装飾をほどこすために水飴を買ってきた──そう考えれば、詩の流れも理解できる。
また、1番で「金蔵を建てるために買ってきた水飴」を2番では「子供になめさせた」とすれば、「Aのために用立てたものをBに(も)使った」とする作品としてのひねり・オチの形が見て取れ、作者の創作意図がハッキリする。

いささか突飛な思いつきかもしれないし、この解釈が正しいという自信はないのだが……少なくとも「作品」としてみた場合、このように解釈すれば不可解だった詞の流れに説明がつき、筋が通る気はする……。