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少年文芸作家クラブのこと

「少年文芸作家クラブ」は1966年〜1992年に存在したエンターテイメント児童文学の作家・画家・翻訳家・演出家の親睦団体。初代『S-Fマガジン』編集長・福島正実と児童文学者・北川幸比古の提案で発足したという。1992年8月27日に「創作集団プロミネンス」と改名して再出発している。
01会報1号&創刊号
僕が少年文芸作家クラブを知ったのは、たしか1979年──日本児童文芸家協会の研究会に参加するようになって少し経った頃だったように思う。児童文芸の研究会で知り合った浜田けい子先生に声をかけていただいて、少年文芸作家クラブの親睦旅行におみそ参加させていただいたのがきっかけだった。本をあまり読まない僕は少年文芸作家クラブについて全く知らなかったのだが、浜田先生からメンバーの名前を聞いて驚いた。僕が中学生の時読んでいたSFベストセラーズ(↓)を書いておられた先生方のグループだったのだ。
02SFベストセラーズA
03SFベストセラーズB
福島正実先生はすでに亡くなっていたが、その名前はSFベストセラーズの解説で知っていた。その後、僕も少年文芸作家クラブに加えていただくことになるのだが、クラブの歴史についてはほとんど知らずにいた。福島先生との対立からSFベストセラーズを執筆していた有名SF作家らの離脱があったことも、のちに知った。
1984年には少年文芸作家クラブと岩崎書店が《福島正実記念SF童話賞》をスタートさせたが、この賞の創設には内田庶(宮田昇)先生が深く関わっていたらしい。通称《福島賞》の創設とともに少年文芸作家クラブの会報も発行(復刊?)されているが、その会報2号(1985年)の座談会(出席者:北川幸比古/久米穣/中尾明/浜田けい子/光瀬龍/誌上参加:内田庶/金森達/木暮正夫)ではクラブ創立の頃についての話題もあがってる。少年文芸作家クラブの創立は1966年とされているが、実は正確な年が分からず、福島先生の年譜を作るときに内田先生と中尾先生が相談して1966年としたそうだ。なんでも、新東京ホテルで創立発会式をやっているのだが、それが何年だったかハッキリしないらしい。その時に行われた役員選挙の用紙が残っていて〝9月23日〟と日付は記されているものの、年号が入っていなかったそうで、1966年頃だったろうと推理・判断したらしい。
ちなみに「少年文芸作家クラブ」から改名して新たな団体として生まれ変わった「創作集団プロミネンス」の方は創立が1992年8月27日とハッキリしている。こちらはプロミネンスの会報創刊号(1995年)にも明記されている。

クラブ創立の中心的存在だった福島先生は、僕が入会した時には既におらず、クラブ創立の提案者だった北川先生ものちに除名、これに関連して福島賞(福島正実記念SF童話賞)創設に尽力した内田先生も退会することなった。そして「少年文芸作家クラブ」は「創作集団プロミネンス」と改名して再出発することになったわけだが……どうしてそうなったのか──クラブ終焉の背景について、僕は子細を知らない。関心がなかったわけではないが、抜けた先生方の存命中は、この問題を蒸し返すのもどうかという気持ちもあって、あまり考えないようにしていた。しかし、最近になって「あれはどういうことだったのだろう?」と思うようになった。

少年文芸作家クラブの設立や、それに関わりの深かった北川先生の除名と内田先生の退会について、内田先生がご自身の著書(宮田昇・名義)『戦後「翻訳」風雲録』(本の雜誌社)の中で触れているらしいことを知って図書館へ借りに行った。
ちなみに『戦後「翻訳」風雲録』(本の雜誌社/2000年3月発行)には、みすず書房から〝増補改訂版〟として『新編 戦後翻訳風雲録』(2007年6月発行)が出ていて、その裏表紙(カバー)に次のように記されている。


 戦後の混乱のなか,早川書房の「ポケミス」刊行開始は,エンターテイメント出版界の画期的な出来事だった.著者はその仕掛け人のひとりで,現在は翻訳権・著作権の第一人者.
 友情に厚く,酒の強かった著者が,濃密につきあい,渉りあった翻訳者や出版人たちは,奇人や破格の傑物にあふれていた.葬式の日に近親者の知らない「夫人」が名乗り出てきたり、花嫁未定のまま式場だけ押さえて招待状を配ったり.本書は,今となっては誰も語れない彼らの列伝・鎮魂歌であり,翻訳出版界の裏面史である.『戦後「翻訳」風雲録──翻訳者が神々だった時代』(本の雑誌社)の増補改訂版.


図書館で〝増補改訂版〟が出ていることを知って、〝増補〟のあるみすず書房版の方を借りることにした。ところが図書館を出たところでパラパラとページをめくってみると、確認したかった箇所が見当たらない……。そこですぐに図書館に引き返して本の雜誌社版も借りてきた。
本の雜誌社・刊『戦後「翻訳」風雲録』(2000年3月発行)では福島正実の項目が4つあり、その4番目に少年文芸作家クラブ関連の話が出てくる。みすず書房・刊『新編 戦後翻訳風雲録』(2007年6月発行)では福島正実の項目は3つに減らされ、4番目が削除されていたのだ。全体しとては加筆部分も多いのだろうが削除されている箇所もあるので、買ったり借りるときには注意が必要だ。

04戦後翻訳風雲録2冊

宮田昇(内田庶)著『戦後「翻訳」風雲録』本の雜誌社
「オニ 福島正実(四)」より


 少年文芸作家クラブは、福島正実と児童文学者の北川幸比古がまず提案し、亀山龍樹を巻き込み、それらの呼びかけで三十余年前設立された。当時市民権が確立されていなかった日本のSFを、なんとか定着させようと努力を重ねていた福島の、ジュブナイル読み物での一つの試みでもあった。
 日本SF作家クラブは、それより三年ほど前、おなじく福島の肝煎りで創設され、活発に活動していた。その関係で少年文芸作家クラブに集まったのは、亀山龍樹、北川幸比古、中尾明、それに挿絵画家、小松崎茂、中山正美(一九一四〜一九七九)、武部本一郎(一九一三〜一九八〇)、依光隆、金森達、そして顧問の白木茂を除いて、児童向け小説、読み物も併せて書いていた日本SF作家クラブのメンバーでほとんど占められていた。日本SF作家クラブのジュブナイル部といったほうがわかりやすい構成であった。挿絵画家の多くは、SFを手がけ、得意にしていた。
 私など、福島を支えればという軽い気持ちで加わったのだが、SFを科学読み物とする偏見の影があれば、たとえ「近代文学」の論客、荒正人であろうと反論していった福島にとっては、そこも主要な砦であったのであろう。(P.144〜P.145)

 だがその「オニ」ゆえ福島は、先にいきさつを書いたが、SFマガジンの「匿名座談会」で厳しい批判をして、日本SF作家クラブの主流と対立した。その結果、少年文芸作家クラブから、多くのSF作家が自然退会した。もっとも福島の死後、豊田有恒は、福島を弔う意味か、少年文芸作家クラブの企画に積極的に参加した。だが多くは、退会したままである。
 なぜか光瀬龍は、眉村卓、大伴昌司(一九三六〜一九七三)とともに残った。友情や義理もあったと思う。少なくともSFだけでなく、毎年の時代小説傑作選に選ばれた歴史、捕物小説まで書き、漫画家のクラブ入会をはかった光瀬は、福島とは違い、児童物エンターテイメントを幅広く闊達に考えていたと思う。(P.147)

 福島の死後、少年文芸作家クラブは、旅行を主とするサロンと化した。私はそれが福島の遺志に反すると考え、児童読み物の新しい書き手を発掘する、福島の名を冠する賞を設立しようと、絶えず提案し続けた。死んだ亀山や光瀬が反対したにもかかわらず、クラブの事務所移転料を基金とし、北川と岩崎書店の協力を得て、やっと実現した。福島正実記念SF童話賞である。
 光瀬が反対した理由は、後に彼が名前を冠した賞はもう時代遅れだといったことに尽きる。「名前」は福島を特定していたのだと思う。その死後、福島の目指したSFの市民権確立は達成したものの、ほどなくボーダレスのエンターテイメントの波に呑み込まれ始めた。それを予測してのことであろう。
 その考えの違いが衝突したのは、平成三年の第八回福島賞に幼稚園児の作品『天才えりちゃん金魚を食べた』が選ばれた時である。北川幸比古は、「六歳児の作品はエンターテイメントにはなりえても、児童文学では絶対にありえ」ないとし、選考委員の解任を求めた。クラブは、その手紙を公開した北川を除名し、やはりクラブに除名は馴染まないとして反対した私は退会した。
 私が辞めた後、光瀬の提案で、クラブは「創作集団プロミネンス」と改名した。私の福島賞へのこだわりが、福島が創り名づけた「少年文芸作家クラブ」の名を失わせた。(P.148〜P.149)


僕が知りたかったことについて触れられている箇所を抜粋(引用↑)すると、こんなところ。
福島正実と日本SF作家クラブ主流の対立を生んだ「匿名座談会」は「覆面座談会事件」としてネット上には色々な情報が挙げられている。

北川先生が除名となった件については、第8回福島賞での選考結果に対する北川先生の不満に起因するものだという認識はあったが、その批判内容・正当性についてはやはりよくわからない。
「6歳児の作品はエンターテイメントにはなりえても、児童文学では絶対にありえない」という主張は、これだけ聞いても何がどう問題なのかわからない。一般的に考えて「児童が読んで理解できる作品は児童文学」と言っても差し障りはないだろう。エンターテイメントになりえているのならそれで良さそうな気もするが、なぜダメなのだろう。「児童文学では絶対にありえない」と断言し、それがけしからんという批判のようだが……これは北川先生の考える児童文学観に当てはめての判断なのだろう。それぞれの信条に基いて作品を評価するのは悪いことではないが、自分の文学観に添わない評価を下したからといって選考委員に解任を求めるというのは乱暴な話だ。当時のことはあまりよく覚えていないのだが……批判の内容の問題というより、批判の仕方がフェアではなかったというような印象が残っている。しかし、詳しい経緯がわからないので、正確なところは判断ができない。
北川先生はユーモアがあって話も面白く、一見気さくな感じを受けるのだが、時として気難しい一面がのぞくことがあって「ややこしい」ところがある──僕はそう感じていた。この気難しさを僕は《文学青年気質》(僕が抱いている勝手な概念)に由来するものだろうと考えている。自分の持つ文学論と相容れないものは敵対視して徹底的に戦うことが正義──という感覚なのかもしれない。おそらく福島正実先生とも共通する気質だったのではないか。
福島先生とSF作家たちの間に生まれた確執も、少年文芸作家クラブの終焉のきっかけを作った騒動も、背景には《文学青年気質》が引き起こした摩擦があったのではないか……現場にいなかったところから、なんとなくそんな気がしている。

今回の記事で名前が出てくる少年文芸作家クラブの先生方は、現在ほとんどが故人となっている。色々な歴史を作ってきた──現場にいた当事者たちがどんどんいなくなって、「あれって、どういうことだったんだろう?」と思いながら、確かめることができなくなっていく事案は今後も増えていくのだろう……。



福島正実(ふくしま まさみ、1929年2月18日 - 1976年4月9日)
内田庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - 2019年3月14日)
中尾明(なかお あきら、1930年9月23日 - 2012年9月26日)
北川幸比古(きたがわ さちひこ、1930年10月10日 - 2004年12月25日)
光瀬龍(みつせ りゅう、1928年3月18日 - 1999年7月7日)
浜田けい子(本名:濱田 慶子、1928年2月27日 - 2010年2月23日)
木暮正夫(こぐれ まさお、1939年1月12日 - 2007年1月10日)
眉村卓(まゆむら たく、1934年10月20日 - 2019年11月3日)
大伴昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 1973年1月27日)
久米穣(くめ みのる、1931年 - 2006年1月)
亀山龍樹(かめやまたつき、1922年6月10日 - 1980年3月23日)
小松崎茂(こまつざき しげる、1915年2月14日 - 2001年12月7日)
中山正美(なかやま まさみ、1914年 - 1979年)
武部本一郎(たけべ もといちろう、1914年4月24日 - 1980年7月17日)
依光隆(よりみつ たかし、1926年5月1日 - 2012年12月18日)


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公募ガイドの座談会

月刊公募ガイド1999年4月号に〝誌上添削 ここを直せば入賞できる/実践的な童話の書き方をズバリ教えます〟という特集があった。公募での受賞歴があり、公募の下読み審査(一次選考)を行っている童話作家3人が《春》をテーマに読者から寄せられた掌篇の問題点を指摘するという座談会形式の特集企画──これに僭越ながら僕も参加していた。
01公募ガイド1999A
同誌の企画に応募した作品の中から3編をピックアップし、応募作品にありがちな問題点などについて洗い出して話し合う形で座談会は進行。特集には〝誌上添削〟と記されているが、作品に対して筆を入れる添削は行っていない(僕は他者が作品に筆を入れることには懐疑的)。
02公募ガイド1999B
コンテスト入選経験がありデビュー後に、一次選考に携わっている者の意見──というところに着目した企画だったのだろう。公募では多くの作品が集まるため、最終選考以前に別スタッフによってふるいにかけられ、数が絞られることになる。僕が関わったコンテストの中では3桁の応募作が集まる中、最終選考に残るのはたった数編というものもあった。つまり応募要項などで記されている(最終)選考委員の俎上に載る以前に大半の作品は振り落とされているわけだ。最終選考委員は、落選作のほとんどを読んでおらず、落選組に共通する傾向については一次選考で応募作全体を扱っている一次選考委員の方が実感としてよくわかっているところがある。落選組にはどういう失敗が多いのか、その傾向を知った上で作品を考えることは応募者にとって有益なはずだ──そうした観点から企画された特集だったように思う。

当時の日記を掘り起こしてみたところ、すっかり忘れていた記憶が蘇ってきた。この特集への参加依頼があったのは1998年12月24日(木曜)。当時僕は《海洋文学大賞 童話部門》の下読みをしていたのだが、その最終選考委員である木暮正夫先生からの紹介ということだった。僕は下読みの際に選出した作品の評価だけでなく、応募作品全体の傾向などについても総評のようなものもまとめて提出していたので、あるいはそうした経緯を踏まえてこの企画にふさわしいと考え推してくださったのかもしれない。座談会の収録があったのは1999年1月22日(金曜)/場所は渋谷の公募ガイド社だった。

さて、どうでもいい余談だが……座談会に参加するにあたって、僕は第11回福島正実記念SF童話賞の発表冊子に書いた『一次選考にかかわって』という一文を事前に担当編集者に送っていた。これはSF童話賞応募者に向けた総評&アドバイスのようなもので、パネラー(?)がどういう考えを持っているのか知っておいていただいた方が座談会の進行もしやすいだろうと考えてのことだった。ところがこれにからんだプチ珍事(?)があった。
公募ガイドの座談会に同席していたKさんもSF童話賞の一次選考をしていて、この一文を読んでいる──Kさんには賛同する言葉をいただいたことがあった。僕は『第一次選考にかかわって』で書いた内容を公募ガイドの座談会でも適時話すつもりでいたのだが……座談会が始まると、ほどなくKさんが先回りするような形で『第一次選考にかかわって』に記していた内容を語り始めたので驚いた。僕が記した内容は何も特別なものではなく、ある意味当たり前のことだから、同じ趣旨のことを他の人が語ったとしても全然おかしくはないのだが……文脈や言い回しまで〝まんま〟だったことに驚いた。その文章を書いた本人を目の前にして、どうしてあからさまなパクリ発言をしたのか──Kさんの意図がわからずその時は困惑した。後になって思い当たったことなのだが──Kさんは某童話教室の講師をしており「どんなことを教えているの?」と尋ねたところ「星谷さんが(『第一次選考にかかわって』に)書いていたようなことよ」と答えていたことを思い出した。もしかすると、僕が書いた文章をそのまま講義で使っていたのかもしれない。それが公募ガイドの座談会で同じ文脈や言い回しで僕の口から出たのではお弟子さん(受講者)の手前、格好がつかない(講義内容のパクリが発覚する?)。そこで講義内容との整合性を保つために、Kさん自身の発言として誌上に記載させようと考えたのではないか?
しかし座談会を仕切る編集者には事前に『一次選考にかかわって』が渡っている──Kさんの発言が僕の一文からのパクリであることはすぐに分かったことだろう。掲載された記事を見ると、Kさんが発言したパクリ部分は、司会進行が一般論としてまとめる形で調整されていた。言い回しを変えたことで若干曖昧になってはいたが、編集部も戸惑っての対応だったのだろう。
ふり返ってみれば、こんな企画にも参加していて、こんなこともあったなぁという覚書。



一次選考にかかわって
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幽霊の話

400字詰原稿用紙:3枚半のショートショート。個人誌チャンネルF12号の掲載誌面をスキャンした画像で紹介。

01幽霊の話A

02幽霊の話B

03幽霊の話C

04幽霊の話D


たわいも無い作品でブログで公開するつもりはなかったのだが……【奇妙な味のイラスト】でチャンネルF12号(1994年3月発行)の見開き誌面(割付)を紹介する際に縮小画像を紹介していたので↓、今回読める形であらためて投稿してみた。
05チャンネルF12号誌面再
個人誌《チャンネルF》はワープロ(日本語ワードプロセッサ)で出力したプリント(イラストを貼り付けることもあった)を版下にコピーして綴じただけの粗末な冊子。12号の縦書き2段組の誌面は、罫線囲みの横書きコラムも含めて当時のワープロ(富士通 OASYS 30-AX301)で編集&出力したもの。
ちなみに、これまで本ブログで紹介してきた他の縦組み(縦書き)作品は、ぶら下がりで出力したテキストをコピーした画像を手作業で編集して禁足処理を施している。
プレ・パソコン時代のワープロでの編集&プリントのクオリティーを記録しておくサンプルの意味を兼ねて、ここでは当時使っていたワープロ(富士通 OASYS 30-AX301)で作成したプリント(版下)をスキャンした画像で投稿しておくことにした。

コラムで触れていた<ふしぎな話・こわい話>の企画は『恐怖のおくりもの』というアンソロジー・シリーズで出版されている。1巻目が出たのは1994年12月……夏向けの企画だったのに、ちょっと寒い発行時期となってしまった……。

06恐怖のおくりものCF12


人面ガエル
同人誌回顧録
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12年前の記事をリニューアル

ブログのとらえ方は人によって様々だろう。このツールを使って、どんなことができるのか──僕は感じたり考えたこと・興味があることなどの記録&整理に使っている。気ままな個人誌感覚と言ったところだ。
〝記録&整理に使っている〟ということは、後に利用する(読み返す)ことを前提に記事を作成・投稿しているということだ。
実際、時々読み返しているのだが、自分の関心があることを記しているので自分記事は面白い。
ただ、いつの間にか記事の数が増えすぎて(?)、じゃっかん煩雑になってきたカンも否めない。最近は新規の記事を更新するより、これまでに蓄積してきた記事をもう少し見やすくまとめられないか……という方に関心が向きがちだ。
記事数を増やすよりも過去記事の充実化を図りたいという思いがある。

これまでに、気軽に読める短編サイズの創作もちょこちょこ投稿してきたが、これは投稿時期によって、使っていたパソコンやソフトが何度か変わり、ブログ自体もYahoo!ブログからFC2ブログへと変遷があったりして、不統一であったり、ちょっと見づらく感じるものもある。
また初期に投稿したものは縦組み画像の試行的な意味合いもあって、(ほぼ)作品のみで、ちょっと味気ないと感じる記事もある。作品本編とセットで、もう少し創作周辺の付随情報のようなものがあっても、備忘録的な意味でよかったのではないか……などと思ってしまう。

ということで、12年前(Yahoo!ブログ時代)に投稿していた『愛しいまぼろし』の記事をリニューアルしてみた。長らく行方不明だった掲載誌──《児童文芸》1988年7月号を最近発掘したのもきっかけとなった。
01児童文芸家の光
このとき同時に発掘された《家の光》1988年7月号には『カミキリとはっぱのきっぷ』が掲載されていた。この二つの作品を同時期に発表していたとは思わなかった(忘れていた)。時系列の記憶感覚はかなり崩壊が進んでいる……。また『カミキリとはっぱのきっぷ』では挿絵もカラーで描かせてもらっていたが、どんな絵を描いたのかもすっかり忘れており、「へぇ! こんな絵を描いていたのか……」と自分の絵ながら初めてみるような奇妙な気持ちになった。この原画はどうなったのかも、さっぱり覚えていない。どこからか発掘されるようなことがあれば、『カミキリと葉っぱの切符』(ブログでは漢字混じり表記)の記事に加えるかもしれない。
自分が書いた作品でも忘れていることが多い。備忘録的な付属情報も必要だと感じる昨今である。

ほかに比較的最近リニューアルした過去記事では『地球のタネ』がある。こちらは作品本編中の不備を加筆訂正して、縦組み画像を作り直している。



●短篇小説『愛しいまぼろし
カミキリと葉っぱの切符(読み切り童話)
●SFメルヘン『地球のタネ
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逃げ水のカワウソ

400字詰原稿用紙換算17枚の読み切りファンタジー

01逃げ水のカワウソA
02逃げ水のカワウソB
03逃げ水のカワウソC
04逃げ水のカワウソD
05逃げ水のカワウソE
06逃げ水のカワウソF
07逃げ水のカワウソG
08逃げ水のカワウソH
09逃げ水のカワウソI
10逃げ水のカワウソJ
11逃げ水のカワウソK
12逃げ水のカワウソL
13逃げ水のカワウソM
14逃げ水のカワウソN
015逃げ水のカワウソ改
16逃げ水のカワウソP
17逃げ水のカワウソQ

逃げ水の中から出現するカワウソの着想はだいぶ以前からあったものだ。カワウソ・バージョンとカッパ・バージョンの2つでそれぞれファンタジー部分を拡大した中編を考えていた。主人公の少年は、逃げ水から現れた不思議なカワウソ(もしくはカッパ)と出会い、仲良く(?)なるが、逃げ水が消えるとその姿も消えてしまう──カワウソ(もしくはカッパ)は母体となる(?)逃げ水が出現している間だけ存在できるという設定の物語である。
当初、主人公は幻と思われていた存在を確保することに成功するが、逃げ水が消える頃に姿を消してしまうことで存在の証明ができず、他者に信じてもらえないといった展開があったりする。
実際に書いたこともあったはずだが、内容はあまり覚えていない。できは今ひとつだったのだろう。今回は着想の固定化(記録)を意図して、着想部分のエッセンスをまとめて作品化してみたしだい。

余談だが……子どもの頃、カワウソが出てくる実写ドラマ(テレビ番組『ディズニーランド』で放送されたものだったような気がする)を見て、カワウソを飼ってみたいと憧れたことがあった。ストーリーは覚えていないのだが……少年と楽しそうに遊ぶカワウソが実に愛らしかったからだ。
カワウソの遊び好きな特徴をとらえた動画がYouTubeには色々と上がっている。石ころを使って使って遊ぶカワウソ動画がおもしろい。
見ていて笑ってしまうカワウソのジャグリング⬇️。


熟練のジャグリング⬇️。


猫に小銭(猫にコイン) ※猫のおもしろ動画

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