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新型コロナ禍のアマビエ・ブーム

新型コロナ禍の新星アマビエは竜宮の使い!?
01アマビエ神社姫
パンデミックに至った新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。その渦中にあって意外なブレイクをみせているのが【アマビエ】──1846年に1例だけ目撃記録が残るマイナーな妖怪だ。僕は妖怪に詳しいわけではないが、ファンタジーの資料になるかも知れないと思って買っていた『【図解】日本妖怪大全』(水木しげる/講談社α文庫/1994年)に載っていたので、そのユニークな姿はうっすら記憶に残っていた。その【アマビエ】を記した冒頭の文章を引用すると──、

 弘化3年(1846)のこと、肥後(熊本県)の懐中に毎夜光るものが出たという。
 役人が行ってみると、それはこの絵のようなものであった。これが出て来て、
「私は海中にすむ〝アマビエ〟というものである」
と名乗ったあと、
「当年から6ヵ年の間諸国豊作である。しかし、病気がはやったら、私の写しを早々人々に見せよ」
 などと予言めいたことをいい残し、ふたたび海中にもぐったという。


──つまり、豊作と疫病の流行を予言し、パンデミック(?)のさいには自分の姿を描いたものを人々に見せるようにとのアドバイスを残した妖怪なのである。
新型コロナによる緊急事態宣言下の閉塞的な自粛生活が続く中にあって《疫病退散にご利益があるというアマビエにあやかろう》という発想で、ネット上に「みんなでアマビエを描こう(作ろう)」という動き(アマビエチャレンジ・アマビエ祭り)が広がったらしい。

謎めいた予言とメッセージを残していったという妖怪・アマビエについて、僕も改めて興味を覚えた。僕は妖怪が実在するとは思っていないし御利益も信じてはいないが、「どうして、このような妖怪が生み出され、伝承されてきのだろう?」と考えると、ちょっと不思議な気がして好奇心がわいてくる。

僕が初めてアマビエを知ったのは前述の『【図解】日本妖怪大全』だったが、当時は記述内容についての印象は薄く、描かれていた〝光り輝く妖怪〟の姿が「水木しげる(のデザインした妖怪画)っぽくないな」という違和感のようなものがあったのを覚えている。これはアマビエについての目撃記録が1例しかなく、容姿情報は瓦版の稚拙なイラストのみ──これをベースに描かざるをえなかったためだろう。
今回、関連情報を検索・閲覧しているうちに、色々なことが判ってきた。アマビエ」の目撃記録は1例にすぎないが、それ以前に同様の予言をした「アマビコ」という妖怪の記録がいくつかあって、「アマビエ」は「アマビコ」の誤表記ではないかという見方もあるらしい。
さらに海から現れて同様の予言をしたという妖怪に「神社姫(じんじゃひめ)」や「姫魚(ひめうお)」というのがあって、これは人の顔に龍のように長い体をもつ魚っぽい姿をしており、全体の印象は「アマビエ」とはずいぶん違うものの、「長い髪」や「体は魚」、尾びれが「三つ又」であるという共通する特徴があったりして興味深い。そして、神社姫の予言内容も──、


我は龍宮よりの使者・神社姫である。向こう7年は豊作だが、その後にコロリという病が流行る。しかし我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、さらに長寿を得るだろう。

──と、アマビエによく似ている。Wikipedia情報では「コロリ」を「コレラ」のこととしているが、『【怪と幽 号外】 厄災を予言!? 疫病を退散!? 話題の「アマビエ」とは? その正体を妖怪博士が解説する』によれば、当時、日本にはまだコレラがなく、赤痢のことだったのではないかと記されている。今であれば「コロリ」は「コロナ」と解釈したくなるところだろう。
今回「神社姫」という妖怪を知って、深海魚のリュウグウノツカイによく似ていると思った。リュウグウノツカイは普段見られない珍魚で、ルックスもユニークなため、たまに見つかるとニュースになったりする。
細長い体をしており、現生する硬骨魚類の中では世界最長種。中には11mになるものもいるという。その姿は伝説の「龍」を彷彿させる。頭頂部にはとさかのような長いヒレがあって、これが龍の角のように見えなくもない。そして神社姫の特徴のひとつ「長い髪」のようにも見える。
今であれば、運良くリュウグウノツカイを見つけた人はスマートフォンなどで簡単に画像や映像を記録できるが、昔は目撃者が他の人に怪魚の姿を伝えるのは難しかったろう。「どんな姿か」を絵にし、それを他の人が見れば……長い髪をはやした人面に龍のような体をもつ魚に見えるのではないだろうか? これが「神社姫」のもとになったのではないかという気がする。
YouTubeにはペアで泳ぐリュウグウノツカイの珍しい動画があるが、伝説のもとになってもちっともおかしくない怪しげな雰囲気を醸している。


リュウグウノツカイが見つかったというニュースの中には、この怪魚出現を地震の前兆とする言い伝えがあることを紹介していたものもあったように記憶している。東日本大震災(2011年3月)が起こる前(2011年1〜2月)にも日本各地でリュウグウノツカイが目撃されるなど、地震の前の目撃例はいくつかあるらしい。
深海魚が浅瀬に現われたり打ち上げられたりすることが地震の予兆現象なのか、ただの偶然なのか……いずれにしても、怪魚の出現をその前後で起こった凶事に結びつける話は出てきて当然という気がする。伝説が生まれるのに充分な存在感をリュウグウノツカイは持っている。
そして、ふだん見たこともない得体の知れないものが現われたとなれば、「いったい、どこから来たのか?」ということになる。海の未知なるところから来た──「きっと竜宮から来たのだろう」という解釈が生まれるのも自然な流れだ。すると、「竜宮から、なにをしにやって来たのか?」という疑問につながっていく──。
そこで「凶事を告げにきた」と考えれば、現象にそれなりの意味付けができる。ただ凶事を告げるだけに来たのか……それを防ぐ手だてを知らせに来たと考えれば、さらに出現の意味付けを強めることができる。
人は未知なるものに遭遇すると、なんとか納得できるストーリーをみつけて安心したがる。こうした心理が働いて、リュウグウノツカイからアマビエや神社姫の伝説が生まれたのではないだろうか?
怪魚出現のめずらしいニュースを伝える瓦版にしても、ただ出現したことを記すより「凶事を告げに現われたのではないか」あるいは「地震の前触れ!?」という解釈(演出)があった方が注目が集まる。その不安を解消するための厄よけの御利益があれば、さらに購読需要は高まるはずで、「その姿を描き写した画にその御利益がある」とすれば瓦版も売れるし、怪魚出現の意味付けも強化できる──こうして「神社姫」や「姫魚」の伝承が誕生したのではないかと想像する。
リュウグウノツカイの目撃情報から神社姫の伝説が生まれ、神社姫が「龍宮よりの使者」を名乗ったという伝承から、リュウグウノツカイにその名──「竜宮の使い」がつけられたのではないだかろうかと思ってしまう。

リュウグウノツカイと「アマビエ」の絵ではプロポーションが大きく異なるが、「長い髪(背びれの一部)」や「体は魚」というところは似ている。絵では体にウロコが描かれているが、実はリュウグウノツカイにはウロコがなく、光を反射して美しく銀色に輝くという特徴があるという。「アマビエ」のウロコは「体は魚」という記号として描かれたもので、〝光り輝く〟という特徴からすると、やはりリュウグウノツカイを示唆しているように思われる。

疫病の流行でレナウンが経営破綻
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックの影響を受けてアパレル大手のレナウンも経営破綻したというニュースが先日報じられていた。そこで一句──、
02レナウン短歌
ところで、「アマビエ」の目撃記録として存在する唯一の絵では、口が飛び出しているのが特徴的だが、リュウグウノツカイも口がせり出すしくみになっている。
03竜宮の使い口
口は閉じている時は顔に収納されているが、開くとせり出す構造で、これは【リュウグウノツカイの謎に迫る】という動画の中で紹介されている。
アマビエの「長い髪(に見える背びれの一部)」「光り輝く魚の体」「せり出した口」はリュウグウノツカイを示唆しているように感じる。
こうした特徴から「アマビエ」と「神社姫」「リュウグウノツカイ」には何らかの繋がりがあるように思われてならない。
とくに全体の印象がよく似ている「神社姫」と「リュウグウノツカイ」には空目関係にあったような気がする。「リュウグウノツカイ」に遭遇した人が、これを想像上の存在である「神社姫」や「龍」と空目してしまう──ということが伝承を補強していったのではないか……。
実在の生物が想像上の存在に空目できてしまうことは、ないではない。

04ウコンカギバ幼虫
葉上のドラゴン:ウコンカギバ幼虫参照⬆

余談だが……レナウンの経営破綻を報じる映像ニュースで、レナウンのロゴデザインを見たとき、タモリ倶楽部の空耳アワーの空耳マークに空目してしまった。
05レナウン空耳


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空目広告と空目昆虫:遠目空目と近目空目

離れると見える…空目を使った岐阜新聞の広告
岐阜新聞(5月6日付け)の全面広告が話題になっている。新型コロナウイルス感染拡大防止対策「ソーシャルディスタンス」(人と人とが一定距離を保つ)をうったえるアイディア広告で、2メートル以上離れるとメッセージが読めるというもの。
01岐阜新聞空目広告改
近くで見ると何が描かれているのか判らないが、2メートル以上離れると(ソーシャルディスタンスを確保すると)、文字として認識され「離れていても心はひとつ」というメッセージが読めるというもの。

2m離れないと読めないメッセージ? ソーシャルディスタンスを表現した新聞広告が話題に

これも《空目》のひとつだろう。離れてながめることで(近くにいるときは見えなかったものが)見えてくる──いってみれば《遠目空目》。

離れると見える…遠目空目/近づいて見える!?近目空目
話題の広告で使われていた《遠目空目》──この現象は虫見をしているときに、しばしば体験していた。卒業式が近づく頃になると古木の幹にこつ然と現れる「卒」の文字──ヒロバフユエダシャクのメスである。
02広翅冬枝尺♀卒1再
03広翅冬枝尺♀卒5再
近くで見れば字には見えないけれど、離れて見ると「卒」の文字に見えてしまう……。これはヒロバフユエダシャクという蛾のメス(オスは普通の蛾だが、メスは翅が退化したユニークな姿をしている)。
虫見をしていると色々な《空目》現象に出会うものである。
こうした《遠目空目》とは反対に、離れて見ているうちは気づかないが、近づいてじっくりながめていると見えてくる《空目》もある──いってみれば《近目空目》。昆虫は小さいので、むしろこのパターンが多い。
05赤縞刺亀空目地蔵
ぷち地蔵に見えるアカシマサシガメ⬆
昆虫を含む虫は《近目空目》の宝庫だ。数多い昆虫空目の中から、もう一例──。
普通に離れて見れば、ただのイモムシなのだが……⬇。
04細翅鯱@葉
アップにしてよ〜く見ていると……幼虫の模様が、ロングヘアをなびかせたスーパーヒロイン&ひとつ目魔人に見えてしまう⬇。
05独眼魔人美少女仮面
ホソバシャチホコという蛾の幼虫は、普通に見れば、緑色のチョッキ(ベスト)を着たイモムシだが、エサである木の葉にとまっていると、緑色の部分が葉に溶け込み、茶色い模様が葉のふちの変色した部分のように見えて、存在自体が意外に目立たない──ボディーラインがかく乱される隠蔽デザインとなっている。
しかし、幼虫の模様をアップで見ると……イラストのように見えてしまう。そして、いちど〝そう見えてしまう〟と(脳味噌に回路ができてしまうと?)、もうそうとしか(妄想としか!?)見えなくなってしまう。
キアイを入れれば確かに見える──空目現象おそるべしっ!?!



《卒》的ヒロバフユエダシャク♀
ぷち地蔵なアカシマサシガメ
スーパーヒロイン模様の虫
キアイを入れれば見える!?空目色々
空耳ならぬ空目アワー
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キアイを入れれば見える!?空目色々

01空目鼬巻き

空目とは…「聞き做(な)し」ならぬ「見做し」
僕は【空目】を「キアイを入れて見れば、見做(みな)せるもの」という意味で使っている。これはタモリ倶楽部(テレビ朝日の番組)の《空耳アワー》というコーナーで使われる「空耳」に対して──聴覚現象を視覚現象に置き換えて「空目」と呼んだもの。造語のつもりで使っていたが、既存の単語らしい。検索してみると【空目】には「①実際にはないものが見えたような気がすること。②ひとみを上にあげて見ること。うわめ。③見ていながら見ないふりをすること。」という意味があるという。
ちなみに【空耳】の方の本来の意味は「①声や音がしないのに、聞こえたような気がすること。②聞いても聞かなかったふりをすること。」──しかし《空耳アワー》の登場以降、新たな概念が加わった気がする。
《空耳アワー》のキャッチフレーズは「言われてみれば確かに聞こえる」。外国語で歌われている曲の中に「日本語に聞こえる」部分がある──これを番組では「空耳」とよび、視聴者から投稿された空耳歌詞をもとに作った映像を原曲に合わせて放送するというコーナーだった。
第1回空耳アワード(1993年)に選ばれた、ジプシー・キングスの『ベン、ベン、マリア (Bem, Bem, Maria)』などは、曲の歌い出しから「あんたがた ほれ見やぁ 車ないか……こりゃ まずいよ」と聞こえ──1度こう聞こえてしまうと、もう日本語の歌詞にしか聞こえないという名作空耳であった。
このように《空耳アワー》では、「外国語の歌詞(本来の言葉・文章)」が「日本語の歌詞(別の言葉・文章)」に聞こえるという──つまり《本来とは別のものに聞こえる》という現象を【空耳】と呼んできた。
当初は意図せぬ「聞き違い」「聞き間違い」をおもしろがるコーナーだったものが、しだいに「空耳」を積極的に探す──外国語のフレーズを別の意味に「聞き做し(ききなし=動物の鳴き声、主に鳥のさえずりを人間の言葉に、時には意味のある言語の言葉やフレーズに当てはめて憶えやすくしたもの)」するという形に変わっていった気もする。
この「空耳」すなわち《別のものに聞こえる》《別のものに聞き做(な)せる》という聴覚的現象を視覚的現象に置き換え、《別のものに見える》《別のものに見做せる》ことを「空目」と(僕は)呼ぶことにした。そういう意味合いで僕は【空目】という言葉を使っている。

擬態:敵の視覚錯誤をさそって生存率を高める空目
天敵の視覚錯誤をさそって「エサではないもの」に誤認されれば生存率が高まる──そんな生存戦略の中で精度を高めてきたのが「擬態」だろう。身近な昆虫のなかにも、あっぱれな擬態を獲得したものがいる。
02ホソヘリカメムシ幼虫
03アカエグリバ
ホソヘリカメムシの幼虫は形も大きさもアリそっくり。アカエグリバの枯葉っぷりも見事としか言いようがない。擬態する昆虫はけっこういて、これはほんの一例。天敵の「空目」が作った(進化させた)姿ということもできるだろう。

顔に見える空目
一方、「本物ではないことは明白ながら、それ風に見える」という空目がある。模様や形が「顔に見える」という空目現象はありがちだ。昆虫でも、いわゆる人面虫は多い。
04松縁亀虫ラミー天牛
マツヘリカメムシは菱形の白縁メガネをかけた顔に見える。ラミーカミキリは、気合いを入れればタキシード姿のキョンシー風に見えるし、アカシマサシガメは合掌したお地蔵さんに見える。
05赤縞刺亀空目地蔵
他にも人面昆虫は多い。昆虫ではないが、クモにも「顔に見える」ものがいる。
06女郎蜘蛛美女鬼蜘蛛
ジョロウグモは腹の腹面が顔に見える。ビジョオニグモは腹の背面がヒゲをはやしたオッサン顔に見える。

文字に見える空目
「顔に見える」というのはありがちな空目だが、その次に見えやすいのが「文字」ではなかろうか?
07東京虎天牛針刺亀
トウキョウトラカミキリの背中には TokyoTora の頭文字の「T」(イカリ模様)がある。頭を下にとまっているハリサシガメの背中のもようは「ハ」に見える。
文字は記号として認識されていて、書体の違いや手書き文字で多少形が崩れていても読み取れることから、空目としても拾いやすいのだろう。

文字がほかのものに見える空目
空目としても拾いやすい文字だが、その文字自体が別のものに見えてしまう空目もある。
08文字空目ゆをぷ。
文字や記号を組み合わせることで「空目」を作ったものが「顔文字」や「orz」(手と膝をついてガックリ頭を垂れた姿を表す)」などのアスキーアートということになるのだろう。本来の記号や文字の意味とはまったく別の視覚上の意味を空目に持たせたものだ。

ダジャレの視覚版としての空目
「聞き做し」(動物の鳴き声、主に鳥のさえずりを人間の言葉に、時には意味のある言語の言葉やフレーズに当てはめて憶えやすくしたもの)を、人の言葉にもあてはめ、意味をかけたものが「ダジャレ」という気もする。聴覚的には韻を踏んだりイントネーションを重ねて意図的に作る──《作意的な空耳》と言えなくもない。
このダジャレの視覚版──《作意的な空目》として、文字や記号をデフォルメして空目できるようにして意味をかけて作った例が⬇。
09空目年賀
年賀ブログで使った画像から(卯<うさぎ>年申<さる>年酉<とり>年戌<いぬ>年亥<いのしし>年)。賀詞や十二支・年号などの文字や数字を使って動物の姿を空目誘導しようと謀ったもの。かなり強引なデフォルメだが……キアイを入れて見れば、「見える」ハズ!? 文字(賀詞)の中に十二支の動物名(文字)を空目サーチャーして見つけたもの(子<ねずみ>年)もある。
10ネズミ@初春
昆虫を見ながら鍛えた空目力のなせる技であろうか!?



フォト怪奇譚『樹に宿る眼』
蟻えないほど似てる虫!? ※ホソヘリカメムシ
アカエグリバ&ヒメエグリバの枯葉擬態
マツヘリカメムシ:卵・幼虫・成虫
ラミーカミキリ@武蔵野
タキシード天牛・虹色葉虫ほか ※ラミーカミキリ
ぷち地蔵なアカシマサシガメ
ヒゲづらの王様!?人面蜘蛛 ※ビジョオニグモ
TokyoToraカミキリの模様
ハリサシガメぷちまとめ2
空耳ならぬ空目アワー
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トイレの花子さんと座敷童子〜便所のモアイ像

トイレの花子さんと座敷童子!?
01遠野の座敷童子表紙
先日の記事(ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子)で触れた『遠野のザシキワラシとオシラサマ』(佐々木喜善/中公文庫)に収録されている「ザシキワラシ」>「ザシキワラシの話 2」に次のような話があった。

(六)同国(陸中)釜石の小学校に、四、五年前に高等科の女教室に十歳程に思われる娘が出現した。髪を桃割に結い、新聞紙で作った手柄をかけていた。ある生徒が便所に行ったらおったと言う。当時子供等が便所に往けなかった云々。(山本鹿州氏書状、大正十一年二月頃)※P.79
※《新聞紙で作った手柄》というのがわからなかったが、調べてみると「手柄」は「手絡(てがら)」のことで、マゲに巻き付ける髪飾りのことらしい。

小学校の便所に現れる娘の座敷童子──この話を読んで、学校の怪談「トイレの花子さん」を連想した。「トイレの花子さん」は都市伝説として有名だが、もしかすると、こんな座敷童子の伝承が源流だった可能性もなきにしもあらず?
もっとも、トイレに関する怖い話・怪奇譚はもっと昔からあったろうし、トイレに「出る」という発想はどの時代にもあっただろうという気はするが。

僕が子どもの頃に行った親戚の家では、便所は母屋から離れていた(外便所)。僕は平気だったが、怖がりの子などは夜ひとりで用を足しに行くのが不安だったろう。心細さから「怪しげなモノがでるんじゃないか……」と想像が展開するのは自然なことで、トイレとお化けのたぐいが結びつくのは納得できる。
また、女子トイレは個室だから「独りっきりになる空間」における形のない不安・恐怖が「花子さん」という具体的なイメージを生み出し、多くの子が同様の不安を投影する受け皿になったのだろうという気もする。

トイレの恐怖体験…
わが家は「外便所」ではなかったが、子どもの頃は水洗式ではなく汲取式だった。僕は幼少の頃からオバケ・幽霊のたぐいを怖いと思ったことがないのでトイレに行くこと自体には全く抵抗はなかったのだが、トイレではとても恐ろしい体験をしたことがある。おまるを卒業した頃──便所で大人用(?)の便器をまたいで用を足していたときのこと、バランスを崩して便器の中に落ちかけたのだ。
いや〜、怖かったのなんの。ふだん生活をしている空間が、とつじょ裂けて、地獄のクレパスが口を広げたのだ!
僕は反射的に金隠しのふちをつかんでぶらさがった。手を離せばそのまま地獄の釜の中に落ちて行く──そんな恐怖に絶叫し、ピンチを知った家人に引き上げられ命拾いをしたのであった。
あの時ばかりは、便所の穴は「あの世」に続いているという感覚があった。
当時の便器はスリッパ型(?)の和式だった。金隠しなど、何の役にもたっていそうもない構造物だが、必死でぶら下がったあのときばかりは、僕の命綱であった。もし金隠しがなかったら、どうなっていたことか……想像するだけでおぞましい。金隠しに命を救われた子が、いったいどれだけいたただろうか? 金隠しの発案者がこの事態を想定していたかどうかサダカではないが、このデザインは称賛に値する。

トイレのモアイ像!?
ところで、僕が恐怖のどん底に突き落とされかけた汲取式時代のスリッパ型便器には、ニオイやハエなどをブロックするためのフタが使われていた。このフタが僕にはイースター島のモアイ像の顔に見えてしかたなかった。
02便所のモアイ
空目は一度そう見えると見るたびにその認識回路が強化されて行く。これまで誰にも打ち明けたことはなかったが、僕はトイレに入るたびにモアイを連想していた。当時トイレに入るたびにモアイをイメージしていた者は少なからずいたのではあるまいか? 今なら「トイレの花子さん」ならぬ「トイレのモアイくん」といったところだろうか?
うちのトイレには「花子さん」はいないが「モアイくん」がいた。「モアイくん」がいる汲取式便所には、「花子さん」ではなく「運子さん」がたくさんいらっしゃったものである。


ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子
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イチモジフユナミシャクのキューティクル

《飛べない空色の翼》をもつ妖精!?



サクラの幹にとまっている可憐な昆虫はイチモジフユナミシャクのメス。冬の一時期にしか見られないフユシャク(冬尺蛾)の1つ。僕の中では、この時期の「主役」的存在なので、ついついホストのサクラを探してしまう。


なんとも不思議な姿をしている。オシャレなミニサイズの翅は退化したもので、メスは飛ぶことができない。《飛べない空色の翼》をもつ妖精──そんな雰囲気もないではない。前翅の淡い水色(空色)は、イチモジフユナミシャク♀がよく見られるサクラの樹皮に散在する地衣類の色あいによく似ている。


イチモジフユナミシャク♀を探してサクラッチ(桜ウォッチ)をしていると、地衣類に反応してしまうこと(地衣類がイチモジフユナミシャク♀に見えてしまうこと)があるが、これは幹上のイチモジフユナミシャク♀が地衣類に見えるということの裏返し──鳥などの捕食者に対して隠蔽擬態の効果もあるのだろうと考えている。


ちなみにイチモジフユナミシャクのオスは形も色もメスとはずいぶん違っており、枯葉色をした普通の蛾といった感じ。


オスも交尾のさいにはメスがとまった木にやってくるようだが(夜行性)、この画像↑のように日中、木の幹にとまっているオスは(メスに比べると)少ない。昼間のオスは落葉の中に隠れているようだ(*)。
イチモジフユナミシャクが見られるのは(僕のフィールドでは)12月後半~1月初め頃──種としての成虫活動期間も短いが、個体としてのメスの見頃期間もめっぽう短い。新鮮なメスはぷっくら張りのある腹をしていてプロポーションも良く、鱗粉も整っていて美しいのだが、産卵後の♀はしおれて体型が変わってしまう。産卵前の比較的新鮮と思われる個体であっても、鱗粉は荒れやすく、強風にさらされたりすると体表面がザラついた感じになってしまう。
イチモジフユナミシャク♀は美しいけれど痛みやすい──そんな印象があるので、見られる時期に美しい姿のメスを見ておきたいという気になる。

イチモジフユナミシャク♀のキューティクル的鱗粉



サクラの古木でみつけたイチモジフユナミシャク♀。ぷっくら張りがあって美しいプロポーションの個体だ。別の角度から──、


アップでも色々撮ってみた。




プロポーション・色・模様とも良い感じのおそらく新鮮なメスだったのだが……この日は風が強く、そのためだろう──鱗粉の状態がじゃっかん荒れていた。


鱗粉がめくれ、痛んだ髪のキューティクルのよう↑。大晦日に見た美麗個体の整った鱗粉↓と比較すると違いがわかる。


鱗粉コンディションの違いは、健康な髪と痛んだ髪(ダメージヘア)のキューティクルの違いのよう。整った鱗粉の♀は「健康な髪」のようなツヤがあり、光のかげんできらめいて見える。この鱗粉コンディションの良い大晦日の美麗個体は──↓。


元日に見た新鮮なイチモジフユナミシャク♀↓。


これが産卵後の個体では、ずいぶん印象が変わってしまう。


今シーズンも産卵後の個体が増えてきた。やがてイチモジフユナミシャクも姿を消すのだろう。発生時期以外では、もちろんサクラの幹をいくら探したところで、その不思議な姿を見ることはできない。いないのがあたりまえの時期になると、本当にここ(桜の幹)に、あの不思議で可憐な生き物はいたのだろうか……と実感が薄れていき「《飛べない空色の翼》をもつ妖精」の幻想感を深めることになる。そして、翌冬、再会したときに「やっぱり、こんな生き物がいたんだなぁ」と実感するのである。