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禍まねく招き猫!?

福を招くはずの招き猫が……。400字詰原稿用紙8枚弱のショートショート。

01禍招き猫A
02禍招き猫B
03禍招き猫C
04禍招き猫D
05禍招き猫E
06禍招き猫F改
07禍招き猫G,JPG
08禍招き猫H


『禍(わざわい)まねく招き猫!?』覚書
先日、店先の招き猫が目にとまり、ふと招き猫の「招く」ポーズは「バイバイ」のしぐさにも見えるなと気がづいた。「招く」と「バイバイ」では意味がまったく逆になる──このギャップ(勘違い)を利用した小話ができないものかと思ったのが着想のきっかけだった。
検索してみると、アメリカにも招き猫はあるらしい。アメリカでは「招く」手(前脚)の向きが日本のものとは逆だという。招き猫を知らないアメリカ人が日本の招き猫を見たら「バイバイ」に見えてもおかしくないということだろう。それで招き猫を「禍(わざわい)を追い払うラッキーアイテム」と解釈したアメリカ人との食い違いから生じるオチ話を考えてみた。
「禍(わざわい)を《追い払う》ラッキーキャット」で「金運を《招く》つもりで《追い払って》しまった」という話──アイディアの構図としては明瞭だが、このシチュエーションを成立させる経緯を文章で説明するのは、ちょっとややこしい。不運に見舞われたアメリカ人がラッキーキャットを自作するに至った背景やそれを譲り受けた日本人が「金運」を祈願し裏目に出る過程、そして真相(しかけ)が発覚するエピソードなど──これらをきちんと描こうとすると話が長くなる。この着想は〝軽妙さ〟で活きるものだろう。リアリティを担保するために長々と描くより、サラッと読めることが望ましい。若干の不自然さは覚悟で簡素化を優先することにした。構成もシンプルに一幕一場でまとめるために「高田」という人物をつくって「俺の部屋での会話(と回想)」で終始する形をとってみた。

じつは当初、「俺」が期待に応えない招き猫に腹を立てて壊すシーンから始まるバージョンも考えた。しかけ(真相)がわかったところで、招き猫が残っていればその後、厄払いの効能で挽回利用できる可能性が残される。「気がついた時には、もう取り返しがつかない」というオチにするには、招き猫を無効化しておく必要があるからだ。
しかしややこしい話がますます煩雑になる懸念もあり、「ちょっとした思いつき」の着想に見合ったサラッとした小話でいくことにして、とりあえずまとめてみたのが今回の小品。
400字詰め原稿用紙換算で8枚弱。簡素化したつもりだったが、まだ説明が長くて、どうもキレが悪い……。もう少しスッキリさせたかったというのが正直なところである。
09バイバイ猫

ネコがらみの小品
イタチmeets猫 ※フォト4コマ劇場
猫婆ちゃんのアルバイト(ショートショート)


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ロアルド・ダール:あなたに似た人❲新訳版❳

01あなたに似た人表1
02新訳版収録作品

ロアルド・ダールで懐かしい虫とり気分!?
ふと、ロアルド・ダールを読んでみたくなった。「短編の名手」というウワサはだいぶ昔から知っていて、いくつかは読んだことがあったような……読んでないかもしれないような……記憶が定かではない。とりあえず覚えていた短編集のタイトル『あなたに似た人』を検索してみた。現在は新訳版のⅠとⅡがハヤカワ文庫(早川書房)で出ているようだ。市内の図書館で蔵書検索してみると1カ所にあったが、あいにく2日続けての休館日。「短編の名手」のよく知られた短編集の文庫版なら好きな時に読めるように手元に置いておいてもいいのではないかと考え、近くの本屋にあれば買いに行くことにした。蔵書検索してみると3駅はなれた書店に在庫があることが判明。Ⅰ&Ⅱともに「在庫僅少」となっていた。残りわずかということになれば、買える時に買っておかないと、あとで悔やむことがある。「在庫僅少」と知ってあわてて買いに行った本が、僕が買った後に「在庫なし」になったことを知ってホッとした経験もある。検索したのが夜(書店の営業時間外)だったので、翌日買いに行くことにした。
インターネット上で購入すれば買いに行かなくても届くわけだが、絶滅危惧職(?)の書店保全活動の一環として、なるべく書店へ足を運んで本を買いたいという思いもある(*)。在庫を確認した書店で、置いてある書棚の位置も確認して翌日買いに出かけた。
さて、お目当ての本を買うために書店へ向かう途中──電車の中で妙な期待と緊張を感じた。前日にネット上で在庫があることを確認してはいるが、予約したわけでもないし、ひょっとして僕が行く前に売れてしまうことだってあり得ないことではない。在庫上は本棚にあることになっているが、万引きにあっていたり何らかの理由で帳簿上の数字と在庫が一致しないなんてことだってあるだろう。とにかく現場に行ってみるまでわからない……そんな不安も去来してひとりドキドキし──この感覚に、ものすごく懐かしいものを感じた。
小学生の頃、早起きをしてカブトムシをとりに雑木林に向かうときのワクワク・ドキドキ感と同じ──。目指す雑木林には樹液を出す木があって、ここにカブトムシが来ることはわかっている。きっと夜の間に来ているだろう。僕がついた時にも、きっと樹液ポイントにかじりついているはず……。しかし、僕がつく前に他の子が来てとってしまう可能性もある。到着したとき、いないことも考えられないではない……そんな期待と不安が交錯する心理。
書店に到着して、該当の書棚の前に立ち、あるはずの位置にお目当ての本が並んでいるのを確認した時は、子供の頃に目指す木でカブトムシが樹液ポイントにかじりついている姿をみつけたときのような高揚感があった。
ものすごく久しぶりにカブトムシをとりに行った時の感覚がよみがえった。
『あなたに似た人〔新訳版〕Ⅰ』『あなたに似た人〔新訳版〕Ⅱ』を買って帰ったあと、思い立ってその店の蔵書検索をしてみると、『あなたに似た人〔新訳版〕Ⅰ』は「在庫僅少」、『あなたに似た人〔新訳版〕Ⅱ』は「在庫なし」になっていた。

あなたに似た人〔新訳版〕の収録作品
1957年10月にハヤカワ・ミステリで、1976年4月にハヤカワ・ミステリ文庫で刊行した『あなたに似た人』(ロアルド・ダール)に「ああ生命の妙なる神秘よ」「廃墟にて」を加え、田口俊樹氏による新たな訳で2分冊としたもの。ハヤカワ文庫(早川書房)・2013年5月15日発行。僕が買ったⅠの方は3刷(2017年7月)だった。新訳版の全収録作品⬇。

『あなたに似た人〔新訳版〕Ⅰ』〈収録作品〉
味/おとなしい凶器/南から来た男/兵士/わが愛しき妻、可愛い人よ/プールでひと泳ぎ/ギャロッピング・フォックスリー/皮膚/毒/願い/首

『あなたに似た人〔新訳版〕Ⅱ』〈収録作品〉
サウンドマシン/満たされた人生に最後の別れを/偉大なる自動文章製造機/クロードの犬/ああ生命の妙なる神秘よ/廃墟にて


※『あなたに似た人』というタイトルの作品は、この短編集『あなたに似た人』には含まれておらず、短編集『飛行士たちの話』に収録されている。

短編集『あなたに似た人』との再会
最初の作品『味』を読み始めて、「ああ、この話だったか!」と筋書きを思い出した。いつ読んだかの記憶は定かではないが、確かに過去に読んでいる。3番目の『南から来た男』も同様に読み進めるうちに筋が見えてきた。
〔新訳版〕はⅠに11編、Ⅱに6編が収録されているが、全作品を読んで、以前に読んだ記憶があるのは『味』と『南から来た男』の2編だけだった。2編とも印象は良く、記憶の中でも「おもしろい」と感じていた。ただ……期待していたほどの傑作集ではなかった……という感覚もあったのが正直なところ。
僕が昔、『あなたに似た人』(田村隆一による旧訳版)を手にとっていたのは、ロアルド・ダールが《奇妙な味》の名手で、この作品集に傑作が含まれているといった情報を得てのことだったように思う。それでお目当ての『南から来た男』をまず読んだのではなかったか……そんな気がする。そのとき冒頭の『味』も読んで、「(そこそこ?)おもしろい」と感じたのではなかったか……。
当時、O・ヘンリーの『最後の一葉』のような、あるいはそれ以上の作品が詰まっていることを期待して読んだので、期待値が高かったわりに(高かったために)満足度が追いつかず、「おもしろい」と感じながらも、作品集としては物足りなさを覚えたような気がする。
おそらく図書館で借りるなどして、2編を読み、他の収録作品も読みかけたか、ざっと目を通したかもしれないが、期待したほどのものではないと感じて、図書館に返してしまったのではなかったか……。
今回あらためて全作品を読んでみて、必ずしも完成度が高い作品ばかりではないということは感じたが、ただ、作品のレベルとは別に《奇妙な味》は漂っていたりするので、この感覚を楽しむことができる作品集という意味では、読む価値があるのではないか……ということも感じた。

ロアルド・ダールは《賭け》が好き!?/印象に残った作品
『あなたに似た人』には、やけに《賭け》の話が多い。

『味』では、晩餐会でホストが厳選したクラレット(ボルドー産赤ワイン)の銘柄と収穫年を当てられるかどうかで賭けが始まる。「当てられるはずがない」というホストと「当てられる」というゲストの意地の張り合いがエスカレートして、二軒の家と娘(との結婚)を賭けるという異常な展開となる。賭けが成立するまでの攻防や、ゲストがワインを味わいながらそのウンチクを駆使して産地を推理し絞り込んで行く過程が、リアルかつスリリングで、見せ場となっている。はたして結果はどうなるのか──と読者の興味を高めておいて、意外なラストが用意されている。仕掛け自体はそれほど凝ったものではないが、読者は賭けの展開に意識を集中して(させられて)いるので、意外性の効果は大きい。ダール作品には「なあんだ」という結末に落ち着くものもあるが、「肩透かし」も「意外性」のうち。『味』はトリック(仕掛け)よりもミスディレクション(読者の興味を仕掛けとは別の所へ誘導する技術)の巧みさが光る好短編だった。

『南から来た男』も《賭け》をテーマとした作品だ。ライターが10回続けて点火できるかどうかで賭けが始まる。賭けを持ちかけた南アメリカ出身の小男は金持ちで大きな賭けを望むが、ライターを自慢したアメリカ水兵の若者は賭けるものがない──そこで、「高級車」と「左手の小指」を賭けるという奇妙な展開になる。若者の左手を固定し切断できる準備を整えると、賭けが始まる。カウントダウンかロシアンルーレットのように、ライターの点火が繰り返されて緊張が高まって行く──そのさなか、小男の妻とおぼしき女が現われ、賭けは中断される。ここで読者の緊張も一度途切れて「なぁんだ、そういうことか」となるが、最後の最後に緊張が走る結末が用意されていた。緊張を徐々に高め、ホッと油断させたところに一撃を打ち込むという《作者のたくらみ》に拍手を送りたくなる。《奇妙な味》が漂う好短編。これは傑作と言っていいだろう。

『わが愛しき妻、可愛い人よ』も賭けブリッジの話で、意外な展開でイカサマが発覚する。

『プールでひと泳ぎ』は、乗っている旅客船の航行距離を当てるオークション・プール(競売形式の賭け)で、大金を賭けてしまった男が、形勢不利と知って突飛な解決策をくわだてる──策謀と破綻の皮肉な話。悪意のない「台無し」感をさらりと演出したラストに味わいを感じる。

『首』の中にも、本筋から離れたところで賭けカードゲームが出てくる箇所があり、『クロードの犬』はドッグレースでイカサマをして大もうけを企てる男たちの話である。

こうしてみると、ロアルド・ダールの作品には「賭け」がよく出てくる。その人の人生の明暗を分ける端的なエピソード・運命の岐路として判りやすく感情移入もしやすいということなのだろうか。
ふり返ってみると、僕も「賭け」をあつかった作品を書いている。小学生を読者対象に想定していたので、掛け金自体は小額だが、カエルの超能力の証明と言う謎めいた要素をからませたショートショートだった。また作品として書いたわけではないが、夢に関する記事の中で、夢にみたエピソードとして、仕掛けのある賭けを書いたこともあった。賭けというのは、勝つか負けるかわからないものだが、「必ず勝てる仕掛け」があれば誰しも関心を示すものではなかろうか……。

話をロアルド・ダールの作品に戻して……『願い』は想像力のたくましい少年が主人公。彼は絨毯を彩る3色の模様を見て思う。赤い模様は真っ赤に燃える石炭で、落ちたら丸焼けになる。黒い模様には毒蛇で、触れれば咬まれて死んでしまう。安全な黄色い模様だけをたどって絨毯を渡りきることができるだろうか?《もし無事に──丸焼けにもならず、咬みつかれもしないで──玄関までたどり着けたら、明日の誕生日にはきっと仔犬をプレゼントしてもらえる》──少年はそう考える。これも「勝ったら願いが叶う」という自分に課した《賭け》のようなものかもしれない。
子供にはありがちな、そして大人には懐かしい、たあいもない空想遊び。退屈な日常の中でスリルのある遊びを発見する──この着想は面白いし共感がもてる。だから少年の気持ちになって読み進むことができた。が、この作品は結末が弱い。空想遊びの着想が面白かっただけに、もうひとひねりしてキレの良いオチが欲しかった……読者としては、そんな気持ちになる。
ロアルド・ダールは「おもしろい着想」を核に作品を構築しているが、この着想が設定であることもあるし、オチ(結末の意外性)であることもある。その両方に工夫が見られる作品は純粋に「おもしろい」と感じるが、そういう高水準の作品ばかりが書けるわけではない。しかし、高水準の作品を読んだ読者は、すべての作品にその水準を求めたくなってしまう……。
『あなたに似た人』では、『顔』や『南から来た男』が面白かっただけに、読者の期待を高め、面白さのハードルを高くしてしまった面もあったのではないか。
そのため「おもしろい着想」が設定だけにあるものは結末が物足りなく感じてしまい、オチだけに工夫があるものは、中盤の面白味が薄く感じられてしまう……。この『願い』も、設定としての着想が面白かっただけに、結末にもう一工夫あったらなぁ……という印象があった。
例えば──この作品を読んで頭に浮かんだ4コマ漫画がある。中川いさみの『クマのプー太郎』の1本なのだが……1コマ目でコンビニ袋を下げた松村くんというキャラクターが路側帯の白線上を歩きながら、こうつぶやく「白線の両わきは海だ!! サメとかうじゃうじゃいて落ちると死ぬ!!」──これは『願い』の絨毯の上を歩く少年と同じ、〝日常の中の空想遊び〟で、やはり着想がおもしろいと感じた。この4コマ作品の傑作なところは、白線の上を慎重に歩いている松村君が、やはり白線上を歩いてきたサラリーマン風のオッサンとかち合うという更なるアイディア──同じ空想遊びをしている人をもうひとり登場させたことにある。松村くんとオッサンが、互いに白線からはみ出ないように絡み合ってすれ違おうとしているこっけいな姿を通りがかったおばさんが冷ややかに眺めている4コマ目には大笑いつつ素晴らしい決着だと感心した。空想遊びという面白い着想をさらに捻って発展させ、おもしろいオチにつなげる──《作者のたくらみ》という点ではこの4コマ作品の方が、工夫を重ねたぶんだけ優れている。
もしかすると、中川いさみはダールの『願い』を読んでいて、やはり「もうひとひねりできなかったか……」と物足りなさを感じていて、この4コマ漫画の着想を得たのかもしれない。

このように『あなたに似た人❲新訳版❳』の収録作は全て完璧な作品だけで構成されているわけではないのだが、「物足りなさ」を感じる作品には、これを補足し充足するものを求める心理がはたらく……不足分が読者の想像力を逆に刺激し高めているともいえる。作品の出来・不出来とはまた別に、読者の「《奇妙な味》に対する感受性を高める」効果──これもダール作品を「読む価値」といえるのではないかという気がしている。

ロアルド・ダールの作品を読む価値
「《奇妙な味》に対する感受性が高まっている」からこそ生まれる「もう少し何とかならなかったものか……」という物足りなさ──そう感じさせること自体にも《読む価値》があったのではないか──と今は考えている。
物足りなさ感じさせる作品が混じっていることで、読者の脳は《奇妙な味》の完成欲求が高まる──いってみれば《奇妙な味》の受容体が活性化(鋭敏化)しているような状態。これは、すでに作品群に魅せられている中毒症状(?)ともいえなくもない。
さらにいえば、この《奇妙な味》に対するの完成欲求が、「それでは、どんな設定だったら/あるいは、どんな結末だったら、満足できたのか」という方向に働き、あらたな着想に引き寄せられる……なんていう作用もありそうな気がする。
というのも、今回僕は「もう少し何とかならなかったものか……」と思いながら収録作品を読んでいる間に、《奇妙な味》の着想を3つ得ている。

小説を書く人なら、作品の着想をどう得るか──というのはもっとも関心のあることの1つだろう。もっともらしいセオリーのようなものもあるようだが、けっきょく「おもしろい着想」を得るための技術というのは「インスピレーションが浮かびやすい心理状態をいかに作るか」だと僕は考えている。ロアルド・ダールの作品を読んでいると、脳味噌が《奇妙な味》を感じやすい状態にシフトする──アイディアが降りて来やすい心理状態を作るという作用──そこにも、ダール作品を《読む価値》があると感じるのである。
『あなたに似た人❲新訳版❳』は、特に創作をしている人には着想刺激剤としての効能(?)もある、ありがたく貴重な作品集ではないだろうか。

ちなみに、僕も《奇妙な味》系の作品──《作者のたくらみ》を核とするアイディア・ストーリーを書いており、一口サイズの読み切り作品をいくつかブログにもあげている。

■星谷 仁の《奇妙な味》系の作品(♣)&着想(♧)
愛しいまぼろし ※死んだ愛猫が見える少女!?
金色の首輪 ※猛獣をも制御できる不思議な首輪
チョウのみた夢〜善意の報酬〜 ※蝶の恩返し!?
人面ガエル ※人面蛙の呪い
カエルの念力 ※カエルの念力をめぐって賭けをすることに
赤いクモ〜夢の前兆〜 ※人にはそれぞれ前兆夢がある!?
地震の予知〜作家の死〜 ※誰も知らない不思議な予兆
不老の理由 ※ある事故以来、若さが保たれている理由とは…
守護霊〜霧に立つ影〜 ※ピンチの時に現れる友の守護霊
暗示効果 ※暗示でダイエット
因果応報 ※愛息子の死は何の因果だったのか…
神への陳情 ※地球の危機を救うのは…
トイレでタバコを吸わないで ※トイレで喫煙すると恐ろしい事が…
フォト怪奇譚『樹に宿る眼』 ※枝痕を見ての着想
巻貝が描く《幻の地図》 ※幻想怪奇的着想
キリギリス幻想 ※キリギリスを見ていて浮かんだ着想
つれづれに夢の話 ※夢の中でできたショートショート
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絶滅危惧!?消えゆく本屋と雑木林
ロアルド・ダール:キス・キス❲新訳版❳収録作品&感想
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人数が増減する騙し絵の簡単な解説

ひとり増える(減る)騙し絵の簡単な解説
01座敷童子騙し絵新A
トリックアート座敷童子は誰だ!?より⬆

これまで何度か《ひとり増える》座敷童子的トリックアートを投稿してきた。画面の一部を入れ替えることで《描き加えていないのに1人増える》という不思議な騙し絵。逆の手順で入れ替えると《1人減る》ことになる。画面を入れ替えることでどうして人数が増減するのか──そのつど説明してきたが、読み返してみると、いささかややこしくて解りにくかったかも知れない……。
そこで《画面の一部を入れ替えることで、どうして人数が変わるのか?》ということをもっとスッキリ、直感的に納得できるようなモデルを考え《1人減るバージョン》で図解してみることにした。
まず、11体の人型を上下少しずつずらしながら左右等間隔に並べる。
02騙し絵解説11番号A
背景の色は分割パーツごとに分けたもの。このとき──、
・分割ラインより上(水色域)の人型は①〜⑩の10体。
・分割ラインより下(黄色域)の人型は❷〜⓫の10体。
画面全体としては11体描かれているが、分割ラインの上部と下部に描かれた人型はそれぞれ10体である。
画面上部の水色域と空色域を左右入れ替えると、画面上部の①〜⑩の人型が右に1つずつズレて画面下部の❷〜⓫の人型と合体。上段の10体が下段の10体の上に重なることで、画面全体で(11体だった人型が)10体となる⬇。
03騙し絵解説11番号B
画面上部の①〜⑩が1人分右にズレたことで、左端に1人分の空きが生じ、消えた1人分のパーツは他の人型に分散して吸収されている(そのため人型は縦長になった)。この図⬆では《画面の一部を入れ替えることで、どうして人数が変わるのか?》をわかりやすく説明するために、人型を斜め1列に配置し、一番端(左)に空きを作る形をとってみたが、これをもう少し複雑な陣形──3人×5列にし、人型の配置を保ちながら右から3番目に1人分だけ空きを作る形で制作したのが冒頭のトリックアートということになる。

02騙し絵新15人色番号
トリックアート座敷童子は誰だ!?より⬆

ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子
トリックアート座敷童子は誰だ!?
福神降臨ざしきわらし召喚アイテム(SS)
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トリックアート座敷童子は誰だ!?

ひとり増える騙し絵・座敷童子は誰だ!?
座敷童子(ざしきわらし・ざしきぼっこ)といえば「子どもたちが遊んでいると、いつの間にか《ひとり増えている》」という現象が思い浮かぶ(宮沢賢治・作『ざしき童子のはなし』の中にでてくるエピソード)。《新たに加わった子はいないのに人数だけが増えている》というふしぎな現象を視覚的に表現したのが《描き加えていないのに人数だけが増える》というトリックアートである⬇。
01座敷童子騙し絵新A
今回のトリックアートは、以前投稿した【1人増える不思議な絵!?座敷童子の紙芝居】と同じタイプのものだが、ちょっと試してみたいことがあって、新たに作成してみたもの。

どうして増えるのか?制作過程とともに解説
座敷童子現象をビジュアルに表現したいう思いから《1人増える》騙し絵にとりくんでみたわけだが、制作手順としては逆に、15人の配置から《1人減らす》方向で調整。3人×5列で描いた画像の上下の接点をずらすことで、人型配置の1つに空きを作るという考え方だ。
02騙し絵新15人色番号
15人の配置で画面の上下を分ける分割線にまたがっていない人型は「黒列の3」(分割線の下側のみ)と「最右列(サーモンピンク)の1」(分割線の上側のみ)の2つで、他の人型13体は分割線にまたがっている。またがっていない2つを融合させて1つにまとめれば人型は1つ減ることになる(分割線をまたぐ人型だけの14体になる)。「黒列3」と「サーモンピンク列1」を直接つなげると人型がくずれるので、それぞれ人型を保つ別の人型と融合させることで、全体として《分割線をまたぐ人型だけ》の14体を作る──という発想。
黒列で分割線をまたぐ「黒①&黒②」の上部を、最右列で分割線をまたぐ「サーモンピンク②&サーモンピンク③」の下部に融合させる。「黒①」の左隣は空いているので、入れ替え後は「最右列(サーモンピンク)1」があった位置に空きができる。もちろん「サーモンピンク1」は消えたわけではなく中央列に移動し、そこにあった人型の下部(足先)と融合。分割線の下に残った「黒3」も他の人型の上部と融合して、全体として《分割線をまたぐ人型だけの14体》になるという仕掛け。
移動しても(上部の左右を入れ替えても)描かれた人型の総面積は変わらないため、消えた1人分のパーツは他の人型に吸収され、その平均身長が伸びている。
形としては【1人増える不思議な絵!?座敷童子の紙芝居】で作ったトリックアートと同じなのだが、《人型の平均身長》の伸び(格差)を少なくするために、消えて他の人型に吸収される「最右列1」の人型を小さくしてみたしだい。

わかりやすく2列のモデルで説明
3人×5列のモデルでは分割した人型の移動&融合が複雑になるので、2列のモデルを作ってみた。
03騙し絵8人版
左の画面では上下に分ける分割線にまたがっている6人+またがっていない2人が、(上部の左右を入れ替えることで)右画面では分割線をまたぐ7人になるというもの。右の画面から左の画面へと展開すれば、7人が8人に増える。《7人だったメンバーが8人になる》という設定を選んだのは、僕がむかし書いた座敷童子の話(病院跡の座敷童子)にちなんでのこと。しかし、人数が少ないと消失させる1人分を吸収するために他の人型が不自然に伸びてしまう……。
そこで大人数に設定し、吸収する消失個体を小さくすれば《不自然な伸び》を緩和できるのではないかと考え、冒頭のトリックアートを作成してみたしだい。



病院跡の座敷童子(創作)
境内の座敷童子(頭の体操)
ひとり多い!?座敷童子2題
ひとり増える!?座敷童子的トリックアート
1人増える!?トリックアート&解説
1人増える不思議な絵!?座敷童子の紙芝居
ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子
トイレの花子さんと座敷童子〜便所のモアイ像
人数が増減する騙し絵の簡単な解説
エアポケット幻想
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ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子

ちょっと怖い話『座敷童子と《かごめかごめ》』
最近、座敷童子(ざしきわらし・ざしきぼっこ)について調べたり考えたりしているが、その過程で「かごめかごめ」という子どもの遊びについて触れることがあり、ちょっと怖い(かもしれない?)話が思い浮かんだ。着想の経緯は後に記すことにして、とりあえず「かごめかごめ」で思い浮かんだ怖い話を──。
    *    *    *    *    *    *

座敷童子と《かごめかごめ》 by 星谷 仁

 旧家の行事で久しぶりに顔を合わせた親戚の子どもたちが奥座敷に5人集まっていた。
「かごめかごめ」をしようということになり、ジャンケンで負けた1人が鬼になって部屋のまん中にしゃがんだ。背を丸め顔を両手でおおった鬼のまわりを残った子どもたちがとり囲む。手をつないで輪になった子供たちは「かごめかごめ」を歌いながらまわり始めた。

「かごめかごめ
 籠の中の鳥は いついつ出やる
 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
 後ろの正面だあれ?」

 歌い終わると同時に、輪になっていた子どもたちはしゃがんで鬼の答を待った。鬼は見ないでうしろにいる子を当てなくてはならない。

「トモコちゃん」鬼が言った。
「はずれ」鬼の横にいたトモコが笑った。すると鬼はうつむいて顔を両手でおおったまま、また言った。「じゃあ、ヒロくん」
「はずしたのに、また答えるなんてずるいぞ」鬼の正面にいたヒロが口をとがらせる。
 しかし、鬼は同じ姿勢で続けざまに「タカシくん」「ケンちゃん」と名をあげる。本人が「違う」「はずれ」と答えると、最後に鬼は「アヤカちゃん」と答え、後ろにいたアヤカが文句を言った。「ずるいよ。5人全員の名前を言えば、当るに決まってるじゃん」
「ちょっと待って!」年長のトモコが気がついた。「5人で遊んでいたのに、囲んでいるのが5人て、どういうこと?」トモコの声は裏返った。「なら、鬼は誰なの!?」
 5人はぎょっとして顔を見合わせた。みんな最初からそこにいたメンバーだった。5人がとり囲んだ中心には……6人目の子の背中があった。

 ……こんなのが、座敷童子(ざしきぼっこ)──かもしれない?


    *    *    *    *    *    *
座敷で遊んでいた親戚どうしの子どもたち。気がつくと人数が1人多い……日常空間に忍び込んでいた異分子に気づく驚き──これはちょっとコワイかもしれない(?)。子どもたちの無邪気な遊び「かごめかごめ」も、見方によっては《異世界の存在を呼び出す儀式&呪文》のような怪しげな雰囲気がなくもない……そう感じるのは僕だけだろうか? 座敷童子が「かごめかごめ」で異世界から召喚された存在だとしたら、その儀式で鬼に当てられたアヤカには、どんな運命が待ちうけているのだろうか!?──などと想像が広がった。

遊んでいる子どもたちが1人増えるという不思議なエピソードは宮沢賢治が1926年に雑誌『月曜』2月号で発表した『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』の中にでてくる。短い作品なのでその部分を引用すると──⬇。


「大道(だいどう)めぐり、大道めぐり」
 一生けん命(めい)、こう叫(さけ)びながら、ちょうど十人の子供らが、両手をつないでまるくなり、ぐるぐるぐるぐる座敷(ざしき)のなかをまわっていました。
 どの子もみんな、そのうちのお振舞(ふるまい)によばれて来たのです。
 ぐるぐるぐるぐる、まわってあそんでおりました。
 そしたらいつか、十一人になりました。
 ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやっぱり、どう数えても十一人だけおりました。
 そのふえた一人がざしきぼっこなのだぞと、大人が出て来て言いました。
 けれどもだれがふえたのか、とにかくみんな、自分だけは、どうしてもざしきぼっこでないと、一生けん命眼(め)を張(は)って、きちんとすわっておりました。
 こんなのがざしきぼっこです。


この賢治が描いた『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』のエピソードを意識してまとめたのが『座敷童子と《かごめかごめ》』ということになる。
僕が『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』を知ったのは比較的最近のことで、初めてこのエピソードを読んだときは、最初にでてくる「大道(だいどう)めぐり、大道めぐり」というのがわからなかった。調べてみると、どうやら「かごめかごめ」のように子どもたちが手をつないで行う遊びらしい。
「かごめかごめ」なら僕も子どもの頃に遊んだことがあり知っている。懐かしい遊びだが……今ふり返って考えてみると、当時気にとめることもなく歌っていた歌詞も、なんだか不思議で謎めいたもののように思われてくる……。


「かごめかごめ」で座敷童子を召喚!?
「かごめかごめ」は鬼ごっこの目隠し鬼のひとつ──とみることもできるのだろうか。手で目を隠した鬼が自分の後ろに位置した者を当てるゲームだ。まずジャンケンで鬼を決め、しゃがんだ鬼をとり囲んで他の者が手をつないで輪になる。そして鬼を中心に回りながら、「かごめかごめ」を歌う。「後ろの正面だあれ?」という歌い終わりで輪になっていた子どもたちもしゃがみ、鬼は自分の後ろにしゃがんた子を当てる。外れた場合は鬼はそのまま継続し、当った場合は、当てられた者が鬼と交代する。
歌詞は地域によって違いがあるようだが、僕らのところでは次のようなものだった。


 かごめかごめ
 籠の中の鳥は いついつ出やる
 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
 後ろの正面だあれ?


当時は意識したこともなかったが、この歌詞にはどんな意味があったのだろう? 検索してみると、話をおもしろくするためのこじつけと思われるようなものも含め、諸説でてきて、けっきょくよくわからない。
そこで僕なりに解釈してみると──、

「かごめかごめ」は鬼を囲むところから「囲め囲め(かこめかこめ)」が訛ったものだろう。カ行は言葉の中に出てくると濁りがち。「川(かわ)」や「柿(かき)」「垣(かき)」など、言葉の頭では清音だが言葉の途中では「○○川(がわ)」や「渋柿(がき)」「石垣(がき)」と濁るし、「頃(ころ)」や「米(こめ)」も前に言葉がつくと「今頃(ごろ)」、「もち米(ごめ)」と濁音に変化する。
「籠の中の鳥は」は、(「かこめ」が訛った)「かごめ」の「かご」と「籠」をかけ、「囲まれた鬼」を「籠の中の鳥」にみたてた歌詞なのだろうと想像する。
「いついつ出やる」は「鳥(に見立てた鬼)が、いつになった籠の中から(後ろの子を言い当てて)出られるのか(鬼が交代できるのか)」と鬼をはやす言葉だろう。

この遊びでは、鬼は自分の前にいる子ではなく後ろにいる子を当てる。前にいる子を当てるのであれば、目をおおっている指の間から覗き見をするなどのズルができてしまうので、それができない背後の子を当てることになったのだろう。このため「後ろの正面だあれ?」という歌詞が生まれた。
この「後ろ」と「正面」は本来、正反対の言葉だ。この「あべこべの組み合わせ」に対応しているのが「夜明けの晩に」という「夜明け」と「晩」の正反対の言葉を組み合わせたフレーズではないかと思う。
「鶴と亀が滑った」という部分はよくわからないが、あるいは、節(メロディー)を埋めるために「あべこべ」的──ナンセンス系の「おかしな表現」として、ありがたいイメージのある鶴と亀の滑稽なシーンとして加えられたものではなかろうか……。
今考えると、そんな強引な解釈もできなくはない気がするが……「夜明けの晩」や「後ろの正面」など、シュールで不可解な歌詞も含まれているので、この遊び自体が超現実の扉を開く謎の儀式&呪文のようにも思えてきたりする。そんなイメージが「かごめかごめ」➡「座敷童子の召喚」という着想につながり、冒頭の『座敷童子と《かごめかごめ》』となったわけである。


座敷童子の《ひとり多い…》は創作なのか?
さて、宮沢賢治が描いた『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』だが、これは、岩手県遠野の民俗学研究家・佐々木喜善が蒐集した民話をまとめた小冊子『奥州のザシキワラシの話』(1920年)に対して、賢治の地方の座敷童子は──という形で書かれたものだったらしい。佐々木喜善は、柳田國男に『遠野物語』を提供した民話・伝説・習俗・口承文学の収集家で、『奥州のザシキワラシの話』も、フィクションではなく彼が地道に取材した座敷童子に関する資料集である。それでは賢治の『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』はどうだったのだろう? 《童話》として全集に収められているが、この作品で語られている4つのエピソードには、モデルとなる伝承があったのだろうか……それとも賢治の創作だったのだろうか?

こんなことが気になるのは、僕が子供の頃から抱いていた《座敷童子》のイメージが、賢治の描いたものに近く、一般の(?)民話とはズレているようだと最近になって気がついたからだ。僕が座敷童子を知ったのは、いつ・どんな経緯だったかは覚えていない。ただ、《遊んでいる子供たちがいつのまにか1人増えていて、誰が増えたのか特定できない》という不思議な現象が強く印象に残っている。おそらく宮沢賢治の童話にあるエピソードかその元となる話(があるなら)を誰かから聞いたのだろう。「メンバーは同じ顔ぶれのままで、どうして人数だけが増えるのだろう?」「数が増えているのに誰が加わったかわからないなどということがあるのだろうか?」と幼い頭で考えた記憶がある。だから、僕にとって座敷童子の一番の特徴は《1人増えるが特定できないという不思議な現象》だった。筒井康隆の作品にもこの現象を扱った『座敷ぼっこ』というSF短編があるし、座敷童子についての似たような認識は何度か聞いてきた……だからこの不思議な現象こそが座敷童子の最大の特徴だと長い間思い込んでいた。
ところがあるとき、民話集のたぐいの本で座敷童子について調べてみたところ、期待していたこの特徴がなかなか見つからず、キツネにつままれたような気がした。そして最近になって宮沢賢治の『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』を読んで、《1人増えるが特定できないという不思議な現象》というのは賢治の創作だったのではないか……と考えるようになっていた。

実際に残っている伝承の中に《1人増えるが特定できないという不思議な現象》にあたる話は存在しているのだろうか……それとも、僕が思い込んでいた座敷童子の特徴は都市伝説のようなものだったのだろうか?
そんなことを考えるようになって、賢治が『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』を書くきっかけとなった『奥州のザシキワラシの話』を読んでみたくなった。調べてみると『奥州のザシキワラシの話』は『遠野のザシキワラシとオシラサマ』という本に収録されているらしい。検索してみると隣の市の図書館にこの文庫版があることがわかり、さっそく借りてきた。
01遠野の座敷童子表紙
『遠野のザシキワラシとオシラサマ』(佐々木喜善/中央公論新社/2007年)⬆に収録されていた『奥州のザシキワラシの話』の中に、喜善自身が聞いた話として、こんな事例が記されていた⬇。


(二三)土淵村字本宿にある村の尋常高等小学校に、一時ザシキワラシが出るという評判があった。諸方からわざわざ見に来たものである。児童が運動場で遊んでおると、見知らぬ一人の子供が交って遊んでいたり、また体操の時など、どうしても一つ余計な番号の声がしたという。それを見た者は、常に尋常一年の小さい子供等の組で、それらがそこにおるここにおるなどといっても、他には見えなかったのである。遠野町の小学校からも見に来たが、見た者はやっぱり一年生の子供等ばかりだったそうである。毎日のように出たということである。明治四十五年頃の話である。同校教員高室という人にこのごろただすと、知らぬと言ったがどうした事であろうか。この人はその当時から本校におった人であるのに。(P.20)

体育の時間に整列した生徒が人数確認の「番号」を言っていくのは僕らも経験がある。そのときに実際にいるはずの人数より1つ余計に声がしたという話は興味深い。いつのまにか子供の数がひとり増えているという座敷童子の《プラス1》伝説(?)のわかりやすい一例かもしれない。

《顔ぶれは同じなのに1人増える》という現象は成立し得るのか?
佐々木喜善・著『奥州のザシキワラシの話』の中に、《体操の時など、どうしても一つ余計な番号の声がした》《それを見た者は、常に尋常一年の小さい子供等の組で、それらがそこにおるここにおるなどといっても、他には見えなかったのである》といった不思議な現象を示す話があったのは興味深いが、僕が認識していた座敷童子の特徴や宮沢賢治が描いた座敷童子のエピソードとは微妙にして大きく異なる点がある。《座敷童子が1年生の子には見えた》ということだ。大人にとっては「声はするけど姿は見えない」だけで、その存在が見える1年生には「増えた子を認識できた」ということになる。これでは顔ぶれと人数の不一致(矛盾)は起こらない。見えない大人が数えれば子どもたちは本来の人数であり、座敷童子が見えている1年生が数えれば、座敷童子を含めた数になるので、それぞれカウントに矛盾(不一致)は起こらない。
大人には見えないというのは不思議な話ではあるけれど、謎のインパクトからすれば《人数だけが増え、顔ぶれは変わらない(だから誰が増えたのかわからない)》という方が断然おもしろい。
顔ぶれと人数の不一致(矛盾)こそが、(僕にとっては?)座敷童子最大の謎であり魅力といえるのかもしれない。

宮沢賢治ばかりでなく、筒井康隆も『座敷ぼっこ』という作品でこの現象を扱っていることは先に記したが、実は僕もこの現象を扱った座敷童子作品を2つ発表している。
1つが1990年12月に朝日小学生新聞に掲載した『ざしきぼっこの写真』という読み切り童話だ。概要は──8人で遊んでいた子どもたちが、いつの間にか9人になっていることに気づく。顔ぶれに変わりはないのに頭数だけが増えていて、誰があとから加わった子なのかわからない──座敷童子がまぎれ込んでいるということになり、子供たちはそれが誰なのかつきとめようとする。1人がカメラを持ち出してきて、そこにいる子を1人1人撮っていく。撮り終えるとカウンターは間違いなく9枚を示していた。ざしきぼっこの撮影に成功し、これはスクープだと喜ぶが……現像に出して出来上がってきた写真は8枚──もとからいた子しか写っていなかった。《8人しかいないのに数えると9人》という現象は《8枚しか撮れてないのにカウンターは9枚》だった──ということを確認しただけに終わる。座敷童子を特定しようとするが失敗する話だった。

これに対し、《顔ぶれは同じなのに1人増える》という現象を解き明かす着想を得て描いたのが、1994年12月に朝日小学生新聞に短期連載した『病院跡のざしきぼっこ』だった(掲載時期に合わせて設定を冬に変更している)。この作品では7人だったはずの子どもたちが8人にカウントされる。《1人増えているのに顔ぶれは変わらない/増えた子が誰だか特定できない》という不可解な現象がどうして成立したのか──について、次のような解釈を考えた。
(その状況下では)数をカウントするときに頭の中から「4」という数字が抜け落ちてしまう──そのため「3」の次は(「4」を飛ばして)「5」とカウントされ、7人の子供たちが8人と認識されてしまった──というもの。
屁理屈のように思われるかもしれないが、実際にこの現象が成立することがテレビのスペシャル番組で証明されたことがあった。
病院跡のざしきぼっこ』は朝日小学生新聞で発表する前に個人誌《チャンネルF》第12号(1994年3月9日)に収録しているのだが、同号の作品覚書コラムでこのテレビ特番についても触れている。その頃、マーティン・セント・ジェームスの催眠術ショーがテレビで放送されていて、その中に催眠術をかけたゲストの頭の中からある数を消すというパフォーマンスがあった。ゲストは自分の手の指を数え、11本になってしまったことに驚きとまどう──そんなシーンがあった。これを目にしたとき、僕が考えた座敷童子現象(N個の物がN+1個にカウントされてしまう)の仕組みと同じだと思った。
ちなみに、『病院跡のざしきぼっこ』は同じアイディアで1983年11月に『分校跡の座敷童子』として書いており、1984年3月に某児童文学グループの合評会で朗読したことがあった。そのときは目玉のアイディアである《プラス1にカウントされてしまう仕組み》が聞いている人にはわかりにくかったようで、評判はあまり良くなかった。
面白いアイディアだと思っていた割に反応が悪かったことを残念に思っていたのだが、その10年ほど後にマーティンの特番で僕の考えたのと同じ現象が披露されウケているのを見て、「やっぱりネタとしては面白いんだ」という肯定感と、テレビでウケていた同じネタだったのに僕の作品では、しょっぱかったことに凹む気持ちもあって、複雑な思いでマーティンのパフォーマンスを見ていた記憶がある。


座敷童子現象のをビジュアルに表現するなら──?
子どもの頃から気になっていた座敷童子現象の謎については『病院跡のざしきぼっこ』で成立しうる合理的な解釈をみつけたことで何となく決着したような気分になっていたが、最近、この現象を別の方法で成立させる(成立したように見せる)トリックを思いついて記事にしてみたのが【境内の座敷童子(頭の体操)】だった。
他にも座敷童子現象を成立させる方法は色々ありそうだ……と考え、昔聞いたことがあるクイズ(?)に座敷童子的解釈を持ち込むことができると思い当たって記事にしたのが【ひとり多い!?座敷童子2題】。このとき、「ひとり多い…」という現象をわかりやすくイメージできるように簡単なだまし絵を描いた⬇。

02騙し絵2_1人
(※➡ひとり多い!?座敷童子2題

この騙し絵を描いたあと、座敷童子現象の不思議を文章による「説明」ではなく、ビジュアルでわかりやすく伝えることはできないかと考え、絵の一部を入れ替えることで描かれていた人の数が増えるというトリックアートを作ってみた。
03座敷童子騙し絵10_1説明
(※➡1人増える!?トリックアート&解説

04座敷童子騙し絵15分割線
(※➡1人増える不思議な絵!?座敷童子の紙芝居

こんなのが、僕のイメージする座敷童子⬆。
他にも、この座敷童子現象を成立させる(もしくは成立したように見せる)方法はあるだろう。僕の中では座敷童子ぷちブーム(?)が再燃しているようだ。

トリックアート座敷童子は誰だ!?
人数が増減する騙し絵の簡単な解説

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