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ひとり多い!?座敷童子2題

01座敷童子騙し絵A
02座敷童子騙し絵B

♣ひとり多い!?──騙し絵のような座敷童子
【座敷童子】(ざしきわらし・ざしきぼっこ)といえば、「遊んでいる子どもたちがいつの間にか1人増えていて、誰が増えたのかわからない」という不思議な現象──いってみれば《座敷童子現象》が(僕の場合)まず思い浮かぶ。子どもの頃にそんな話を聞いたことがあり、とても印象に残った。その後も何度か《座敷童子現象》をネタにした話題を聞いたことがあり、筒井康隆の作品にもこの現象を扱った『座敷ぼっこ』というSF短編がある。だから、このミステリアスな《座敷童子現象》が座敷童子の最もユニークな特徴だと僕はずっと思い込んでいた。ところが、そうでもないらしい。民話などを調べてみると『座敷童子』に《座敷童子現象》のエピソードは出てこない。最も特徴的なのは《座敷童子がいる家は栄え、座敷童子の去った家は衰退する》ということらしい。《座敷童子》は知っているが《座敷童子現象》は聞いたことがないという人もいる。
《座敷童子現象》の起源は、どうやら宮沢賢治が1926年に雑誌『月曜』2月号で発表した『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』という童話だったらしい……と現在、僕は思っている。その童話の中に10人の子が遊んでいると、いつの間にか11人になっていて、《ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやっぱり、どう数えても十一人だけおりました》というエピソードが出てくる。
いずれにしても、「頭数が増えているのにそれが誰なのか特定できない」という《座敷童子現象》は面白い。僕もこの現象をモチーフに童話(病院跡の座敷童子)を書いたことがある。
少し前には、冗談で《座敷童子現象》を成立させるトリック(?)を【境内の座敷童子】で投稿した。ちょっとした着想だったのだが、説明するといささかややこしくなってしまった……。もう少しわかりやすい《座敷童子現象》ネタはないだろうかと考え、昔きいたことがあるパズル(?)で《座敷童子現象》を応用できそうなものを思い立った。
そんな座敷童子噺を2題、続けて記してみることにする。


♣寄宿生にまぎれ込んだ座敷童子
9人と聞いていたのに寄宿舎やってきたは子どもたちは10人だった。
管理人は困った。用意していた空き部屋は個室で9室しかない。
(これは座敷童子が1人まじっているな)──管理人はそう思った。目が合ったA君が、なんとなく怪しい……。
(仮にこの子が座敷童子だとわかったところで、排除はできないだろう……)
《座敷童子がいる家は栄え、座敷童子の去った家は衰退する》と言われている。ここで座敷童子を追い出してしまっては寄宿舎が廃れてしまうのではないかという不安があった。
(ちょっと待てよ……座敷童子まじりの10人なら、もともとは9人。9つの個室におさまるのではないか?)
管理人はそう考えて、とりあえずA君を残し、2人目の子どもから部屋へ案内した。
1号室には2人目の子どもを──、
2号室には3人目の子どもを──、
3号室には4人目の子どもを──、
4号室には5人目の子どもを──、
5号室には6人目の子どもを──、
6号室には7人目の子どもを──、
7号室には8人目の子どもを──、
8号室には9人目の子どもを──、
そして9号室には、残ったA君を案内し、10人全員を入れることができたのだった!
「やっぱり、座敷童子がまぎれこんでいたんだなぁ」
9つの個室に10人の寄宿生を割り振ることができた管理人は興奮ぎみにつぶやいた。



※油断して読むと、騙されてしまうかもしれないが、9つの個室に10人入ることはもちろんできない。「8号室に9人目の子ども」が割当られたとき、《残りは1人》と錯覚してしまいがちだが、この時点で残っているのは「10人目の子ども」と「A君」の2人。A君を「残りの1人」と混同させることで不可思議が成立したかのように思い込ませるトリック。

♣座敷童子の宿!?
古い旅館に3人連れの客が来た。彼らが指定した部屋は「座敷童子がでる」という噂のある通称《座敷童子の間》。3人を部屋に案内した仲居に、彼らは「独自に研究した降霊術ならぬ降座敷童子術を駆使して、きっと座敷童子を呼び出す」と意気込んで話した。3人の宿代は1人1万円──3人で3万円を前払いで収めていた。
仲居は座敷童子の噂は知っていたが、その存在は信じていなかった。でも、おもしろがって宿主に3人の話をした。
すると宿主は、うまくいって《座敷童子がいる家は栄える》といわれる座敷童子を呼び出せたらありがたいことだと喜んで、宿代3万円から5千円を値引きして2万5千円にすることにした。
宿主は仲居に千円札を5枚わたし、3人の客に返すよう命じた。
仲居は《座敷童子の間》に向かいながら、こう考えた「3人で5千円は分けづらい。返すのは1人に千円でいいだろう」──そして3人に千円札を1枚ずつ手渡した。残りの2千円は仲居がネコババした。
《座敷童子の間》を出た仲居はふと考える。
彼らが来たとき支払った金額は3万円──1人あたり1万円だったわけだが、座敷童子割引(?)で1人あたり9千円になった。3人合わせて2万7千円を支払ったことになる。それに仲居がくすねた2千円を足すと……2万9千円だ。はて、差額の千円は、どこに消えたのか!?
仲居はしばらく考えたあと、ポンと手を打った。
「そうか……座敷童子部屋の3人に千円ずつ渡したとき……もう1人座敷童子がいて、ちゃっかり千円受け取っていたのだ」
仲居もそれで座敷童子の存在を信じるようになった。



※客が払った2万7千円に仲居がくすねた2千円を足しても最初に払った3万円にならない……というと不思議に感じるが、これは本来、客が払った2万7千円から仲居がくすねた2千円を「引いて」、宿主の手もとには「2万5千円」が入った──と考えるべきなのだが、「くすねた金を返せば(足せば)もとの金額になる」という錯覚が働くのだろう。仲居がくすねた2千円を宿主に渡せば、「(宿主の手もとに残した)2万5千円+2千円=2万7千円」で客が払った2万7千円が全額、宿主にわたることになるわけだ。


病院跡の座敷童子(童話/400字詰原稿用紙で20枚半ほど)
境内の座敷童子(頭の体操)
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境内の座敷童子(頭の体操)

01境内の座敷童子

座敷童子の謎
子どもたちが遊んでいると、いつの間にか1人増えている。しかし、どの子が新たに加わったのか誰にもわからない……。この《謎の「+1」》が座敷童子である。
「顔ぶれは同じなのに人数だけ増えている/あとから加わったのがどの子なのか誰にもわからない」という現象はミステリアスでおもしろい。この《座敷童子現象》を演出するトリックがあるとすれば、どのようなものだろう……。
脳内シミュレーション(頭の体操)で思いついた着想を、簡略化した図を使って「おはなし」仕立てで記してみることにする。


境内の座敷童子
A君の小学校では「神社で遊んでいると座敷童子が現れる」という噂があった。境内にある木を利用して鬼ごっこ(木鬼)をしていると、いつの間にか人数がひとり増えているというのだ。それも奇妙な話だが、さらに不思議なことに、メンバーはみな最初からいた顔ぶれで、だれが後から加わった子なのか誰にもわからないらしい。神社の裏には墓地があって、死んだ子どもの霊が、神社で遊ぶ子どもたちに加わりたくなって現われるのだろうなどと言われていた……。
この噂を確かめるためにA君は学友たちを引き連れて、問題の神社にやってきた。そして一行は木鬼(木にタッチしている間はオニに捕まらない鬼ごっこ)を再現して境内の木に散らばった……。
説明をわかりやすくするために内容を簡略化して──神社の境内には東西南北にそれぞれ図のように1列に木が植えられているとする。
02境内略図&配置
ここで木鬼遊びをしていると《座敷童子が現れる(人数が1人増える)》というのだが、誰も新顔に気づかないというから、《座敷童子が現れた》ことは人数の変化で確認するしか無い。しかし境内の中心には建物があるためその反対側までは目が届かない。そこでA君たちは手分けをして境内の子どもたちの数を確認し合うことにした。4つの班に別れ、東・西・南・北のどの側で遊ぶかを決めて、各自がカバーするエリアを出ずに、そこにいる人数を確認し合うのだ。
子どもたちはカバー・エリア内で移動できるが、その動きも簡略化して──イチョウ(黄)の木にタッチしていた子が1人、時計回りで隣の木に移動したとする。この移動のプロセスを1つずつ順を追って確認していくと……。
03A北側班図解
04B東側班図解
05C南側班図解
06D西側班図解
07座敷童子準備
08座敷童子出現
──いつのまにかひとり増えている!?
これが、《座敷童子現象》を成立させるトリックとして思いついたもの。
バレバレかもしれないが、「ひとり増えたように見える」のは、重複カウントによるもの。正方形の角にあたる木にいる子は重複してカウントされており、このエリアに移動した子がダブってカウントされることで数が増える──というしかけ。4つの班(正方形の辺上)に「それぞれ10人」というと、なんとなく全体で40人いるような錯覚をしがちだが、今回の配置では子どものは全部で31人しかいない。班(辺)内で移動しても班(辺)内のカウントは変わらないが、一番端(角)に移動すると、そこを共有するとなりの班(辺)内のカウントが加算されるというわけだ。

(配置する子どもの代わりに)碁石などを使って披露するなら──碁石の移動を繰り返し、その動きの中で重複ゾーン(角)に碁石を置くことを行えばバレにくいかもしれない。しかし、図解でそれをやると解説が煩雑になってわかりにくくなってしまうので、今回はこんな形で着想をまとめてみたしだい。


座敷童子の怪!?
僕が座敷童子について知ったのはいつ、どのような状況でだったかは覚えていない。ただ、「子どもたちが遊んでいると、いつのまにか1人増えている/それが誰なのかわからない」という現象が不思議で「増えているのに、どうして特定できないのだろう」と子供心に考えをめぐらせた記憶は残っている。
その後、座敷童子について民話などを調べてみたことがあったのだが……座敷童子の言い伝えはあちこちに残っているものの、最大の特徴であるはずの「いつのまにか1人増えている/それが誰なのかわからない」という《座敷童子現象》については、まったく見つけることができなかった。
《座敷童子現象》というユニークな特徴は、本来の伝承にはない「プラス1」の幻だったのか?──特徴自体が《座敷童子現象》のようで、不思議に感じたものである。

しかし、座敷童子といえば、いつの間にか1人増えているという《座敷童子現象》を思い浮かべる人は多いのではないか? この認識は広く浸透しているように思う。それでは、《座敷童子現象》の由来・起源はどこにあるのだろう?
さらに調べてみたところ……どうやら宮沢賢治が1926年に雑誌『月曜』2月号で発表した『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』という童話がその起源っぽい。この作品には座敷童子にまつわる4つのエピソードが記されているのだが、その中に次のような話がある。


「大道(だいどう)めぐり、大道めぐり」
 一生けん命(めい)、こう叫(さけ)びながら、ちょうど十人の子供らが、両手をつないでまるくなり、ぐるぐるぐるぐる座敷(ざしき)のなかをまわっていました。
 どの子もみんな、そのうちのお振舞(ふるまい)によばれて来たのです。
 ぐるぐるぐるぐる、まわってあそんでおりました。
 そしたらいつか、十一人になりました。
 ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやっぱり、どう数えても十一人だけおりました。
 そのふえた一人がざしきぼっこなのだぞと、大人が出て来て言いました。
 けれどもだれがふえたのか、とにかくみんな、自分だけは、どうしてもざしきぼっこでないと、一生けん命眼(め)を張(は)って、きちんとすわっておりました。
 こんなのがざしきぼっこです。


この作品──宮沢賢治の『ざしき童子のはなし』によって《座敷童子現象》が広く認識されるようになったのではなかろうか?
民話に語り継がれてきた地味なエピソードに比べ、賢治の童話で紹介された《座敷童子現象》は謎めいていて印象深い。もし伝承の中に《座敷童子現象》の要素があったとすれば、民話としてもっと広く伝播していてよかった気がする。ということは、世間に浸透している座敷童子の特徴──《座敷童子現象》は賢治の創作だったのかもしれない。

いずれにしても、「いつのまにか1人増えていて、それが誰なのかわからない」という《座敷童子現象》は不思議で心に残った。どう解釈すればそんな現象が成立しうるのか──そんなアプローチで得た着想から、僕も『病院跡の座敷童子』という作品を書いたことがある(*)。今回の【境内の座敷童子】とはまた別の着想だったが……《座敷童子現象》をどのように成立させるか──というテーマは創作のモチーフとしても魅力的だと考えている。


病院跡の座敷童子
ひとり多い!?座敷童子2題

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《イタチの魔かけ》と《鼬の目陰》

《イタチの魔かけ》とは?@いたちの手紙
01鼬の手紙他
《いたちの魔かけ》というのは佐藤さとるの童話『いたちの手紙』に出てくる言葉で、イタチが後脚で直立し前脚を目の上にかざすしぐさのことだ。作中ではイタチが人に魔法をかけるときのポーズということになっており、この《いたちの魔かけ》がうまくかかる人は、イタチと会話ができる──という設定になっている。
『いたちの手紙』の内容をかなり大ざっぱにまとめて説明すると──開発で数を減らし、1匹になってしまったイタチが、他の地域で同じ状況下のイタチを嫁にとる話である。その橋渡しをするのが《魔かけ》がかかる人間で、タイトルにある手紙は《魔かけ》でイタチと友だちになった少女が代筆したものだった。ポストに投函されるはずだったこの手紙をアキラという少年が拾ったことから物語は始まる。この物語はファンタジーだが、アキラの視点で「奇妙な手紙」の謎から、《魔かけ》の秘密、ことの真相が明らかにされていく展開は、ちょっとミステリー風の味わいもあっておもしろい。僕が好きな作品の1つである。
さて、謎解き役(?)のアキラが初めてイタチに出会い、《魔かけ》をかけられるシーンは、こんなふうに描かれている──、


 その生きものは、アキラと目が合っても、平気だった。それどころか、とても変わったことをした。
 ふいに後足で立つと、右手を、いや右の前足を、目の上に持っていって、遠くからアキラを眺めた。ちょうど、アキラに向かって、「敬礼」をしているようだった。そのとたん、どういうわけか、アキラは思った。こいつはやっぱりいたちだなって。
 そう、やっぱりいたちだった。こんなふうに、いたちが後足で立って、片っぽの前足を目の上にあげて見ることを、「いたちの魔かけ」という。つまり、いたちが人に魔法をかけようとするときは、こういうふうにするんだね。(佐藤さとるファンタジー全集⑫収録版『いたちの手紙』より)


僕が『いたちの手紙』を読んだとき──もうだいぶ昔のことだが、この《いたちの魔かけ》と呼ばれる言い伝えは本当にあって、作者はこれをヒントにイメージを広げ、このストーリーを考えたのだろうと思った。作中には、次のような記述もある。

昔の人は「いたちの魔かけ」を、大変きらった。縁起がわるいと思っていたんだ。いたちにこれをされると、きっとよくないことが起きるなんて、思いこんでいたみたいだね。
 ほんとうは、そんなことないんだ。いたちが、よくないことを起こすのではなくて、よくないことが起こりそうなとき、いたちは「魔かけ」をして、人間に知らせようとすることがあるんだ。(同『いたちの手紙』より)


実際に忌み嫌われるイタチの言い伝えがあって、それは誤解なのだと説いているような文章だ。そんな《いたちの魔かけ》に興味を覚えて、調べてみようと思ったこともあったのだが……当時は、この言葉に関する情報はみつからず、作者の創作なのだろうかと首を傾げていた。佐藤さとるはファンが多いから、『いたちの手紙』を読んで《いたちの魔かけ》という言い伝えが実際にあるのか気になった人もきっと少なからずいたのではないだろうか?
それからだいぶ後になって、《鼬の目陰(まかげ)》という言葉を知って、これが《いたちの魔かけ》の元ネタだったのかと合点がいった。
《目陰(まかげ)》というのは字面から想像がつくように、目の上に手をかざして直射日光をさえぎる──見る時に目に陰を作るしぐさのことだ。イタチが立ち上がってこんなポーズをとるという俗信があるらしい。
『日本史のなかの動物事典』(金子浩昌・小西正泰・佐々木清光・千葉徳爾/東京堂出版/1992年)という本には「飯綱・鼬 いいずな・いたち」という項目があって、《鼬の目陰(まかげ)》についても触れられている。


 イタチはイイズナとはちがって人里近くに棲息し、ネズミ類を捕食して生活する益獣である。しかしながら、その姿が細長で耳が立ち、しばしば後肢と尾を利用して人間のように立ち上がり、短い前肢をかざして相手の様子を観察する。これを「イタチの目陰(まかげ)」といって人間のしぐさによく似ているので、何か魔性のものがのりうつっているかのように感じられて、不吉な予感をもって見られた。『源氏物語』や『源平盛衰記』の中にもすでにこのことが記されており、現在でも山仕事・旅行などの出発時に、イタチが道を横切ることがあると、「イタチの道切り」と呼んで、前途の幸不幸の前兆とみる土地もある。(『日本史のなかの動物事典』P.3)

《いたちの魔かけ》と《鼬の目陰(まかげ)》は響きも似ているし、仕草も似ている。縁起が悪いものとして捉えられていたという部分も合致する。語源は同じと見てよいだろう。
『全国妖怪事典』(千葉幹夫・編/小学館/1995年)では神奈川県(佐藤さとるの地元)のカテゴリーに【イタチ】の項目があり、次のような興味深い記述がある。


イタチ 動物の怪。鼬。イタチはよく後ろ脚で立って振り向いて、人の顔をシゲシゲと見るという。この時眉毛を読まれると騙されるから、鼬に会ったら眉に唾をつけるとよいという(鈴木重光『相州内郷村話』)。(『全国妖怪事典』P.74)

これは《鼬の目陰(まかげ)》のことだろう。このしぐさによってイタチが人の「眉毛を読む」というのが興味深い。「眉毛を見て心を読む」というようなことだろうか? 《鼬の目陰》によってテレパシーが使えるようになるということなら、《いたちの魔かけ》で人とイタチがテレパス状態になるという設定は、まさにピッタリである。
《鼬の目陰(まかげ)》でイタチが眉のあたりに前脚をかざすのには、相手の眉毛を読むことと何か関係があるのかもしれない。
よく怪しげな話を聞かされたとき「眉に唾をつける」とか「眉唾」などと言うが、眉に唾をつけるのは「眉毛を読まれないように」(だまされないように)という言い伝え由来だったとは、この本を読むまで知らなかった。

『いたちの手紙』にでてくる《いたちの魔かけ》が《鼬の目陰(まかげ)》のことだというのは、おそらく間違いないところだろう。これを「イタチが魔法をかけるときの仕草」としてとらえるなら《いたちの魔かけ》という呼び名の方がふさわしい。そう考えた佐藤さとるが《目陰》を《魔かけ》と翻案したのか、あるいは《鼬の目陰》を《いたちの魔かけ》とよぶ地域が実際にあってそれにならったのか……それとも佐藤さとるが《目陰》を《魔かけ》と聞き違えて覚えていたことで、《魔かけ》➡《魔法をかけるしぐさ》という着想につながったのか……そのあたりのことはわからない。
いずれにしても、《鼬の目陰(まかげ)》という言い伝えが『いたちの手紙』の着想もしくはイメージを広げる手がかりになっただろうことは想像できる。


アズキとぎと『霜夜の鼬』
『いたちの手紙』の誕生には、もうひとつ、ある童謡がかかわっているという。作中でイタチが歌う──イタチがアズキをといで赤飯をたくという内容の童謡だ。佐藤さとるが小学2年生の時に1度だけ教わったというウロ覚えの歌詞が作品の中にでてくる。執筆時にはあやふやだった歌詞や失念していたタイトルが、『いたちの手紙』(講談社/1973年)の出版後に判明したことが『佐藤さとるファンタジー全集⑫いたちの手紙』収録の表題作末尾に《付記》として記されている。出版後、作中の歌詞には間違いがあることがわかったが、うろ覚えに覚えていた(間違った)歌詞が、この作品のモチーフであったことから、作品のイメージを大事にしたいという理由で作中の(間違った)歌詞はそのままにしてあるという。
作中のイタチが、勘違いして(?)間違った歌詞で歌っていたとしても、作品としては(整合性に)何ら問題ない。
この《付記》によれば、問題の童謡は野口雨情が作詞した『鼬の小豆磨ぎ』ということになっているのだが……検索してみると『霜夜の鼬』(作詞:野口雨情/作曲:中山晋平)というタイトルでヒットする。


霜夜の鼬
作詞:野口雨情/作曲:中山晋平

霜夜(しもよ)のしのやぶ 霜(しも)でサーラサラ
ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
鼬(いたち)が小豆(あずき)を といだとさ

寒いぞ寒いぞ 霜夜のしのやぶ
ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
鼬が おまんま たくだとさ

小豆を とぎとぎ ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
おまんま たきたき ザツクリ ザツクリシヨ
霜夜のしのやぶ ザツクリ ザツクリシヨ
赤のおまんま 小豆のおまんま
鼬が 小豆を といだとさ


佐藤さとるは歌詞の「イタチがアズキをといで赤飯をたく」という内容から、「赤飯をたく」➡「めでたいことのお祝い」➡「イタチの嫁取り」というストーリーを考えたのだろう。『いたちの手紙』としては合点の行くところだ。
しかし、『いたちの手紙』という作品を離れて『霜夜の鼬』の歌詞を考えると、ちょっと不思議な気もする。捕食性のイタチとアズキ磨ぎにどんな関係があるのだろうか?

実は、人気の無いところでアズキをとぐ音がする──という伝承はよくあり、「アズキトギ(小豆とぎ)」という妖怪のしわざだとされる。これについて『決定版 日本の民話事典』(日本民話の会・編/講談社/2002年)には次のように記されている。


【アズキトギ】
 夜、川べりや橋のたもとなどの水辺の暗いところで、ザクザクとアズキを洗うような音をたてる妖怪です。分布は九州から東北まできわめて広く、その音はほぼきまっています。「アズキとごうか人食おうか、ゴシゴシゴシ」とか、「お米とぎやしょか人とって食いやしょか、ショキショキ」と聞こえると言われています。(P.288)

 アズキトギの正体を、むじなやイタチだとしているところもあります。毛をコシコシこする音だというのです。ガマだという地方もあります。(P.289)

アズキは正月など特定の祝日、神祭りの食べ物として重要視されただけでなく、不祝儀にも用いられました。霊力を持つ食べ物と考えられていたことが、こうした妖怪の背景にあるのかもしれません。(P.289)


アズキトギの正体についてイタチだとする地域がある──野口雨情は、これをヒントに『霜夜の鼬』を書いたのではないか?
この歌詞がどのように生れたのかを想像してみると……《霜柱を踏む音とアズキをとぐ音が似ている》と感じた野口雨情が、《霜夜にアズキをとぐ者がいる》という不思議な状況をイメージし、それではアズキをといでいるのは誰が何のために?(童謡にするには何がふさわしいか)──と想像を膨らませて《(アズキトギの正体とされる)イタチが赤飯をたくため》という解釈を思いついたのではなかろうか──というのが僕の推理するところ。
ちなみに、アズキトギ・アズキアライと呼ばれる妖怪の正体については、イタチやムジナ(アナグマ※これもイタチ科)の他にも、カワウソ(※これもイタチ科)やタヌキ・ガマ(ヒキガエル?)・老婆の妖怪(小豆婆)などの言い伝えがあるようだ。

余談だが……作詞:野口雨情/作曲:中山晋平のコンビといえば、コガネムシを金持ちに見立てた童謡『黄金虫(こがねむし)』も、ちょっと不思議な作品だ。コガネムシが立てた金蔵とはいかなるものか? この作品については描かれているのはコガネムシではなく、チャバネゴキブリだという説がある。ゴキブリ説は色々なメディアで取り上げられいて、ちょっとしたウンチクになっている。しかしこれはヤマトタマムシだという説もあって、僕はタマムシ説を支持している。コガネムシが立てた金蔵(かねぐら)というのは玉虫厨子のことで、野口雨情は玉虫厨子をタマムシ(コガネムシをそう呼ぶ地域がある)の金蔵にみたてて、この作品を書いたのではないかと僕は思っている。「《玉虫厨子》を《タマムシの金蔵》にみたてる」という着想・創作プロセスは「《霜柱を踏む音》を《アズキとぎの音》にみたてる」という着想・創作プロセスと似ている……野口雨情はこうした連想や見立てからイメージをひろげて作品を創作していたのではないか……と思ったりもするのだが……もちろん、これは僕の個人的な想像。作品がどのようにして誕生したのか──何がきっかけ・ヒントになって、どのようなプロセスで作品ができあがっていったのかということには興味があるので、つい、あれこれ想像してしまう。


イタチの目陰(まかげ)帽子!?&いたちマジック
『いたちの手紙』からは離れるが……《目陰(まかげ)》がまぶしい太陽の光をさえぎるためのものだとすれば、帽子のつば(日よけ)が、この役割りを果たしている。つば付き帽子は目陰(まかげ)帽子といってもおかしくはないだろう。とすれば、フェレット(家畜化されたイタチ科の動物)のフィギュアをつばに乗せたフェレット散歩用の帽子は「イタチの目陰(まかげ)帽子」と言えなくもない。
02鼬の目陰帽子
僕が飼っていたフェレットは直立して前脚を額にかざす《魔かけ》こそしなかったが、前脚をかざして僕が握った物を消すというマジックをしていた!?

魔法ではないが……魔法もどき(?)なエピソードは色々あって……イタチ科の動物は迷信が生まれやすかったのではないか……という気がしないでもない。
03鼬漫画迷信編A

04鼬漫画迷信編B


05超魔術鼬C
『ふぇレッツ・ゴー』イタチと迷信!?:編より⬆

『ふぇレッツ・ゴー』超魔術イタチ:編

黄金色のコガネムシ ※童謡『黄金虫』のゴキブリ説&タマムシ説
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マツトビゾウムシのシンデレラ



着想の経緯

昆虫ウォッチングで擬木を見続けていると、脳味噌は設定した昆虫フィルターに反応があったときに注意が呼び覚まされる自動運行モードになりがちだ。(機械的に?)目では擬木を追いながら、脳味噌はあまり働いていないか別のことを考えていたりする。
《悟りの境地》か《妄想の狂地》か──こうした状態では弛緩した脳味噌の片隅・意識の隙間にたあいもない着想がわいたり、荒唐無稽なイメージが展開すことがある。僕はこれを「エアポケット幻想」などと呼んでいるが、今回もそんなハナシ。タイトルをつけるなら──『マツトビゾウムシのシンデレラ』。

今回の着想のきっかけは、ギボッチ(擬木ウォッチ)をしていて目に入った入れ歯だった(冒頭の画像)。昆虫を想定していたので、まさかこんなものがフィルターに引っかかるとは予想もしておらず、違和感たるや大きかった。いったい、どうしてこんなモノが擬木の上に置かれるなどといった状況が発生しうるのか!?──どうでもいいといえばどうでもいい話だが、これはちょっとしたミステリーとして心にひっかかっていた。そして後日、この入れ歯はこつ然と姿を消していたのである。誰が何のために持ち去ったのか!?……謎は深まるばかりであった……。

この「擬木上に残された入れ歯」からふと連想したのが(既に記した)シンデレラの話(*)。「残されたガラスの靴」で持ち主(シンデレラ)を特定する定番のストーリーは説得力に欠ける。持ち主を特定するのであれば、残されたツールは「靴」よりも「入れ歯」の方がふさわしいのではあるまいか? 歯の治療痕は(検死で)被害者特定にも使われたりもする。「残された入れ歯」がピッタリ合った人がシンデレラだというのであれば納得できる……そんなことを考えたわけだ。

さて、ギボッチ(擬木ウォッチ)ではその後、マツトビゾウムシを見るようになる。この虫の新成虫には牙(状突起)がついていて、地上に出てくるとほどなく脱落するらしい(*)。擬木上で片方の牙をなくしてたたずむマツトビゾウムシ(画像)を見ているうちに、ふと閃くものがあった。「マツトビゾウムシの失われた片牙」と「擬木上にとり残されていた入れ歯」が、頭の中でリンクしたのだ。『奇跡の人』で、「手に触れているもの(井戸水)」と「water」が突然結びついたヘレン・ケラーの心境!?
《擬木の上に残されていた謎の「入れ歯」は、片牙のマツトビゾウムシが落としていった「ガラスの靴」的存在ではなかったか?》──頭の中にはにわかに、『マツトビゾウムシのシンデレラ』のストーリーが展開するのであった。



マツトビゾウムシのシンデレラ

あるところに新出(しんで)玲良(れいら)という娘がいた。意地悪な継母とその連れ子である義理の姉に虐げられた生活で、自由な外出もままならない。彼女の友達は虫たちだけであった。その虫たちが擬木のステージで舞踏会を開くという話を知り、玲良はできるなら自分も虫になって参加してみたいと思う。と、そこに現われたお人好しの老婆──実はかつてシンデレラに魔法をかけ、車錠探偵長(@破裏拳ポリマー)にホラメット(転身用ヘルメット)を与えた魔法使いであった。
「虫たちの舞踏会に出たいんだね。願いをかなえてあげよう。一晩だけあんたを虫にしてあげるよ」──魔法使いのおばあさんが杖を一振りすると、玲良の姿ははあっという間にマツトビゾウムシに変わった。「ただし、今回の魔法の効力はは今日限り。夜12時を告げる鐘が鳴り終わる前に戻ってくるんだよ」
魔法使いのお婆さんに見送られて、マツトビゾウムシとなった玲良は飛翔して虫たちの舞踏会場へ向かう。

玲良は擬木の上で行われた虫たちの舞踏会に飛び入り参加。そしてマツトビゾウムシの王子に見初められる。あまりの楽しさに時が経つのを忘れていた玲良だが、ふと気がつけば夜12時が近づいていた。
「しまった。はやく戻らなければ!」あわてて舞踏会場をあとにするが、そのとき、マツトビゾウムシになっていた玲良は、牙(状突起)の片方を擬木の上に落としてしてきてしまう……。
なんとかタイムリミットギリギリで、部屋に帰りつき人間に戻ることができた玲良だったが……鏡を見てビックリ! 彼女の上あごからは歯がごっそり抜け落ちていたのであった。
そのころ、虫たちの舞踏会場となった擬木の上では……マツトビゾウムシの王子が、行方をくらました愛しい相手が落としていった片方の牙を手にしていた。「この牙が、欠け痕と一致する娘をきっと探し出して妃にするのだ」──王子が宣言したまさにそのとき、12時の鐘が鳴り終わった。すると彼が手にしていた牙は巨大化し、人間の入れ歯になった──シンデラレの魔法が解けたタイミングで、マツトビゾウムシの牙もヒトの歯に戻ったのだ。王子はその下敷きになって身動きがとれず、気を失ってしまう。

さて、人間に戻った玲良だが、歯がごっそり抜け落ちていたことに我慢ならず、魔法使いのお婆さんを探しまわって数日後にようやく見つけて談判する。「どうひて、わたひがこんな目にあわなきゃいけないの!? 元の姿に戻ひて!」
魔法使いのお婆さんは早合点して「おやおや、そんなに虫の姿がよかったかい。それじゃ戻してやろう」と玲良に魔法をかけて再びマツトビゾウムシに変えてしまった。
途方に暮れたマツトビゾウムシの玲良は舞踏会場だった擬木に戻る。すると彼女の片牙を抱いた王子が気を失って倒れていた。王子を押さえつけていた入れ歯は、再びかけられた魔法によってマツトビゾウムシの牙に戻っていたのだ。
「王子様、しっかり!」玲良が王子を抱き起こすと王子は覚醒し、かかえていた牙を玲良の顎にあてる。「おお、ピッタリ一致する! 君こそ探していたプリンセスだ!」
玲良は昆虫として生きることを受け入れ、マツトビゾウムシの妃になったのだった。

これが、「《擬木上に突如現われ、数日後にこつ然と消えた入れ歯》の真相」である……。
──という、エアポケット幻想ストーリー。


*シンデレラには嘘がある!?~ガラスの靴よりふさわしいもの

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*片牙ゾウムシ&シロトゲエダシャク
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シンデレラには嘘がある!?~ガラスの靴よりふさわしいもの

シンデレラには嘘がある!?
~ガラスの靴よりふさわしいもの~

「シンデレラ・ストーリー」という言葉がある。無名の一般女性が成功し幸福になること、玉の輿(たまのこし)に乗ることを言うようだ。童話の『シンデレラ』に由来する言葉だろう。それほど『シンデレラ』は知られている。僕もなんとなくストーリーは知っているが、いつどこでこの物語を知ったのかについての記憶は無い。おそらくリライト作品のようなものもたくさん出回っているに違いない。原典(?)と照らしてどうなのか……そのあたりは良くわからないが、世間一般に広く浸透しているバージョンの『シンデレラ』の話とは、おおよそ次のようなものではなかろうか?

意地悪な継母とその連れ子である義理の姉に虐げられていた娘(シンデレラ)が、魔法でドレスアップしてお城で開催された舞踏会にでかけ、王子に見初められるストーリー。
ただし魔法の効力はその日限りで、夜12時の鐘が鳴り終わると効力を失ってしまう。なのでシンデレラは鐘が鳴り出すとあわてて城から逃げ出すが、そのさいにガラスの靴の片方を落としてきてしまう。王子は残されたガラスの靴を手がかりに「ガラスの靴にぴったり合う足の持ち主」すなわちシンデレラを探しだし、結婚する。

つまりこの物語では「ガラスの靴」がシンデレラを特定する「鍵」として使われている。僕には、この話をどんな形で知ったのかの記憶は無いのだが、「ガラスの靴」のエピソードについては漠然とした疑問を感じていたのは覚えている。「その日限定の魔法でドレスアップしたのに、ガラスの靴だけがどうして残ったのか?」ということだ。舞踏会場から逃げ出したシンデレラが元の(みすぼらしい)姿に戻ったのに、ガラスの靴だけ魔法がとけないのはおかしい。夜12時の鐘が鳴り終わると同時に王子の手の中にあったガラスの靴がそまつな靴に変わる──そんなシーンがあってしかるべきではないか?……みたいな疑問を持っていた。

そして、もうひとつ──「国中の娘にガラスの靴をはかせようとしたのにシンデレラ以外の女性の足には合わなかった」という展開も不自然に感じていた。シンデレラの足のサイズは一体いくつだったのだろう? それと同じサイズの靴を履いている女性は国中にたくさんいたはずで、靴から個人を特定するなんて無理だろう……そんな疑問も持っていた。この物語の中では「ガラスの靴」は「シンデレラ」に結びつくファンタジーアイテム的な意味で描かれていたのかもしれないが、普通に考えたら「シンデレラの足って、よっぽどデカいか小さいか、あるいは特殊なのか」という話になる。「大様の耳はロバの耳」ならぬ「シンデレラの足は○○の足」!?──それは、ちょっとおぞましい。

『シンデレラ』では、「落とし物」から持ち主を特定する「鍵の役割り」として「ガラスの靴」が使われていたわけだが、前述のとおり僕は子供心に「靴で個人を特定するのは無理がある」と感じていた。
さて、それでは、どんな「落とし物」だったなら「鍵の役割り」にふさわしい小道具となり得ただろう?──そう考えたとき、最近見たある光景(*)が蘇った。
総入れ歯──これなら「ピッタリ合った人を持ち主と特定する」ツールとして万人が納得できるのではあるまいか。
落とし物が「総入れ歯」バージョンの『シンデレラ』なんてのは、どうであろう?

──なんてコトを考えたのは、最近見た「入れ歯の落とし物」(*)からの連想であった。


◎マツトビゾウムシのシンデレラ

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*擬木上の《!?》~ガヤドリタケなど~
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