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《イタチの魔かけ》と《鼬の目陰》

《イタチの魔かけ》とは?@いたちの手紙
01鼬の手紙他
《いたちの魔かけ》というのは佐藤さとるの童話『いたちの手紙』に出てくる言葉で、イタチが後脚で直立し前脚を目の上にかざすしぐさのことだ。作中ではイタチが人に魔法をかけるときのポーズということになっており、この《いたちの魔かけ》がうまくかかる人は、イタチと会話ができる──という設定になっている。
『いたちの手紙』の内容をかなり大ざっぱにまとめて説明すると──開発で数を減らし、1匹になってしまったイタチが、他の地域で同じ状況下のイタチを嫁にとる話である。その橋渡しをするのが《魔かけ》がかかる人間で、タイトルにある手紙は《魔かけ》でイタチと友だちになった少女が代筆したものだった。ポストに投函されるはずだったこの手紙をアキラという少年が拾ったことから物語は始まる。この物語はファンタジーだが、アキラの視点で「奇妙な手紙」の謎から、《魔かけ》の秘密、ことの真相が明らかにされていく展開は、ちょっとミステリー風の味わいもあっておももしろい。僕が好きな作品の1つである。
さて、謎解き役(?)のアキラが初めてイタチに出会い、《魔かけ》をかけられるシーンは、こんなふうに描かれている──、


 その生きものは、アキラと目が合っても、平気だった。それどころか、とても変わったことをした。
 ふいに後足で立つと、右手を、いや右の前足を、目の上に持っていって、遠くからアキラを眺めた。ちょうど、アキラに向かって、「敬礼」をしているようだった。そのとたん、どういうわけか、アキラは思った。こいつはやっぱりいたちだなって。
 そう、やっぱりいたちだった。こんなふうに、いたちが後足で立って、片っぽの前足を目の上にあげて見ることを、「いたちの魔かけ」という。つまり、いたちが人に魔法をかけようとするときは、こういうふうにするんだね。(佐藤さとるファンタジー全集⑫収録版『いたちの手紙』より)


僕が『いたちの手紙』を読んだとき──もうだいぶ昔のことだが、この《いたちの魔かけ》と呼ばれる言い伝えは本当にあって、作者はこれをヒントにイメージを広げ、このストーリーを考えたのだろうと思った。作中には、次のような記述もある。

昔の人は「いたちの魔かけ」を、大変きらった。縁起がわるいと思っていたんだ。いたちにこれをされると、きっとよくないことが起きるなんて、思いこんでいたみたいだね。
 ほんとうは、そんなことないんだ。いたちが、よくないことを起こすのではなくて、よくないことが起こりそうなとき、いたちは「魔かけ」をして、人間に知らせようとすることがあるんだ。(同『いたちの手紙』より)


実際に忌み嫌われるイタチの言い伝えがあって、それは誤解なのだと説いているような文章だ。そんな《いたちの魔かけ》に興味を覚えて、調べてみようと思ったこともあったのだが……当時は、この言葉に関する情報はみつからず、作者の創作なのだろうかと首を傾げていた。佐藤さとるはファンが多いから、『いたちの手紙』を読んで《いたちの魔かけ》という言い伝えが実際にあるのか気になった人もきっと少なからずいたのではないだろうか?
それからだいぶ後になって、《鼬の目陰(まかげ)》という言葉を知って、これが《いたちの魔かけ》の元ネタだったのかと合点がいった。
《目陰(まかげ)》というのは字面から想像がつくように、目の上に手をかざして直射日光をさえぎる──見る時に目に陰を作るしぐさのことだ。イタチが立ち上がってこんなポーズをとるという俗信があるらしい。
『日本史のなかの動物事典』(金子浩昌・小西正泰・佐々木清光・千葉徳爾/東京堂出版/1992年)という本には「飯綱・鼬 いいずな・いたち」という項目があって、《鼬の目陰(まかげ)》についても触れられている。


 イタチはイイズナとはちがって人里近くに棲息し、ネズミ類を捕食して生活する益獣である。しかしながら、その姿が細長で耳が立ち、しばしば後肢と尾を利用して人間のように立ち上がり、短い前肢をかざして相手の様子を観察する。これを「イタチの目陰(まかげ)」といって人間のしぐさによく似ているので、何か魔性のものがのりうつっているかのように感じられて、不吉な予感をもって見られた。『源氏物語』や『源平盛衰記』の中にもすでにこのことが記されており、現在でも山仕事・旅行などの出発時に、イタチが道を横切ることがあると、「イタチの道切り」と呼んで、前途の幸不幸の前兆とみる土地もある。(『日本史のなかの動物事典』P.3)

《いたちの魔かけ》と《鼬の目陰(まかげ)》は響きも似ているし、仕草も似ている。縁起が悪いものとして捉えられていたという部分も合致する。語源は同じと見てよいだろう。
『全国妖怪事典』(千葉幹夫・編/小学館/1995年)では神奈川県(佐藤さとるの地元)のカテゴリーに【イタチ】の項目があり、次のような興味深い記述がある。


イタチ 動物の怪。鼬。イタチはよく後ろ脚で立って振り向いて、人の顔をシゲシゲと見るという。この時眉毛を読まれると騙されるから、鼬に会ったら眉に唾をつけるとよいという(鈴木重光『相州内郷村話』)。(『全国妖怪事典』P.74)

これは《鼬の目陰(まかげ)》のことだろう。このしぐさによってイタチが人の「眉毛を読む」というのが興味深い。「眉毛を見て心を読む」というようなことだろうか? 《鼬の目陰》によってテレパシーが使えるようになるということなら、《いたちの魔かけ》で人とイタチがテレパス状態になるという設定は、まさにピッタリである。
《鼬の目陰(まかげ)》でイタチが眉のあたりに前脚をかざすのには、相手の眉毛を読むことと何か関係があるのかもしれない。
よく怪しげな話を聞かされたとき「眉に唾をつける」とか「眉唾」などと言うが、眉に唾をつけるのは「眉毛を読まれないように」(だまされないように)という言い伝え由来だったとは、この本を読むまで知らなかった。

『いたちの手紙』にでてくる《いたちの魔かけ》が《鼬の目陰(まかげ)》のことだというのは、おそらく間違いないところだろう。これを「イタチが魔法をかけるときの仕草」としてとらえるなら《いたちの魔かけ》という呼び名の方がふさわしい。そう考えた佐藤さとるが《目陰》を《魔かけ》と翻案したのか、あるいは《鼬の目陰》を《いたちの魔かけ》とよぶ地域が実際にあってそれにならったのか……それとも佐藤さとるが《目陰》を《魔かけ》と聞き違えて覚えていたことで、《魔かけ》➡《魔法をかけるしぐさ》という着想につながったのか……そのあたりのことはわからない。
いずれにしても、《鼬の目陰(まかげ)》という言い伝えが『いたちの手紙』の着想もしくはイメージを広げる手がかりになっただろうことは想像できる。


アズキとぎと『霜夜の鼬』
『いたちの手紙』の誕生には、もうひとつ、ある童謡がかかわっているという。作中でイタチが歌う──イタチがアズキをといで赤飯をたくという内容の童謡だ。佐藤さとるが小学2年生の時に1度だけ教わったというウロ覚えの歌詞が作品の中にでてくる。執筆時にはあやふやだった歌詞や失念していたタイトルが、『いたちの手紙』(講談社/1973年)の出版後に判明したことが『佐藤さとるファンタジー全集⑫いたちの手紙』収録の表題作末尾に《付記》として記されている。出版後、作中の歌詞には間違いがあることがわかったが、うろ覚えに覚えていた(間違った)歌詞が、この作品のモチーフであったことから、作品のイメージを大事にしたいという理由で作中の(間違った)歌詞はそのままにしてあるという。
作中のイタチが、勘違いして(?)間違った歌詞で歌っていたとしても、作品としては(整合性に)何ら問題ない。
この《付記》によれば、問題の童謡は野口雨情が作詞した『鼬の小豆磨ぎ』ということになっているのだが……検索してみると『霜夜の鼬』(作詞:野口雨情/作曲:中山晋平)というタイトルでヒットする。


霜夜の鼬
作詞:野口雨情/作曲:中山晋平

霜夜(しもよ)のしのやぶ 霜(しも)でサーラサラ
ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
鼬(いたち)が小豆(あずき)を といだとさ

寒いぞ寒いぞ 霜夜のしのやぶ
ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
鼬が おまんま たくだとさ

小豆を とぎとぎ ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
おまんま たきたき ザツクリ ザツクリシヨ
霜夜のしのやぶ ザツクリ ザツクリシヨ
赤のおまんま 小豆のおまんま
鼬が 小豆を といだとさ


佐藤さとるは歌詞の「イタチがアズキをといで赤飯をたく」という内容から、「赤飯をたく」➡「めでたいことのお祝い」➡「イタチの嫁取り」というストーリーを考えたのだろう。『いたちの手紙』としては合点の行くところだ。
しかし、『いたちの手紙』という作品を離れて『霜夜の鼬』の歌詞を考えると、ちょっと不思議な気もする。捕食性のイタチとアズキ磨ぎにどんな関係があるのだろうか?

実は、人気の無いところでアズキをとぐ音がする──という伝承はよくあり、「アズキトギ(小豆とぎ)」という妖怪のしわざだとされる。これについて『決定版 日本の民話事典』(日本民話の会・編/講談社/2002年)には次のように記されている。


【アズキトギ】
 夜、川べりや橋のたもとなどの水辺の暗いところで、ザクザクとアズキを洗うような音をたてる妖怪です。分布は九州から東北まできわめて広く、その音はほぼきまっています。「アズキとごうか人食おうか、ゴシゴシゴシ」とか、「お米とぎやしょか人とって食いやしょか、ショキショキ」と聞こえると言われています。(P.288)

 アズキトギの正体を、むじなやイタチだとしているところもあります。毛をコシコシこする音だというのです。ガマだという地方もあります。(P.289)

アズキは正月など特定の祝日、神祭りの食べ物として重要視されただけでなく、不祝儀にも用いられました。霊力を持つ食べ物と考えられていたことが、こうした妖怪の背景にあるのかもしれません。(P.289)


アズキトギの正体についてイタチだとする地域がある──野口雨情は、これをヒントに『霜夜の鼬』を書いたのではないか?
この歌詞がどのように生れたのかを想像してみると……《霜柱を踏む音とアズキをとぐ音が似ている》と感じた野口雨情が、《霜夜にアズキをとぐ者がいる》という不思議な状況をイメージし、それではアズキをといでいるのは誰が何のために?(童謡にするには何がふさわしいか)──と想像を膨らませて《(アズキトギの正体とされる)イタチが赤飯をたくため》という解釈を思いついたのではなかろうか──というのが僕の推理するところ。
ちなみに、アズキトギ・アズキアライと呼ばれる妖怪の正体については、イタチやムジナ(アナグマ※これもイタチ科)の他にも、カワウソ(※これもイタチ科)やタヌキ・ガマ(ヒキガエル?)・老婆の妖怪(小豆婆)などの言い伝えがあるようだ。

余談だが……作詞:野口雨情/作曲:中山晋平のコンビといえば、コガネムシを金持ちに見立てた童謡『黄金虫(こがねむし)』も、ちょっと不思議な作品だ。コガネムシが立てた金蔵とはいかなるものか? この作品については描かれているのはコガネムシではなく、チャバネゴキブリだという説がある。ゴキブリ説は色々なメディアで取り上げられいて、ちょっとしたウンチクになっている。しかしこれはヤマトタマムシだという説もあって、僕はタマムシ説を支持している。コガネムシが立てた金蔵(かねぐら)というのは玉虫厨子のことで、野口雨情は玉虫厨子をタマムシ(コガネムシをそう呼ぶ地域がある)の金蔵にみたてて、この作品を書いたのではないかと僕は思っている。「《玉虫厨子》を《タマムシの金蔵》にみたてる」という着想・創作プロセスは「《霜柱を踏む音》を《アズキとぎの音》にみたてる」という着想・創作プロセスと似ている……野口雨情はこうした連想や見立てからイメージをひろげて作品を創作していたのではないか……と思ったりもするのだが……もちろん、これは僕の個人的な想像。作品がどのようにして誕生したのか──何がきっかけ・ヒントになって、どのようなプロセスで作品ができあがっていったのかということには興味があるので、つい、あれこれ想像してしまう。


イタチの目陰(まかげ)帽子!?&いたちマジック
『いたちの手紙』からは離れるが……《目陰(まかげ)》がまぶしい太陽の光をさえぎるためのものだとすれば、帽子のつば(日よけ)が、この役割りを果たしている。つば付き帽子は目陰(まかげ)帽子といってもおかしくはないだろう。とすれば、フェレット(家畜化されたイタチ科の動物)のフィギュアをつばに乗せたフェレット散歩用の帽子は「イタチの目陰(まかげ)帽子」と言えなくもない。
02鼬の目陰帽子
僕が飼っていたフェレットは直立して前脚を額にかざす《魔かけ》こそしなかったが、前脚をかざして僕が握った物を消すというマジックをしていた!?

魔法ではないが……魔法もどき(?)なエピソードは色々あって……イタチ科の動物は迷信が生まれやすかったのではないか……という気がしないでもない。
03鼬漫画迷信編A

04鼬漫画迷信編B


05超魔術鼬C
『ふぇレッツ・ゴー』イタチと迷信!?:編より⬆

『ふぇレッツ・ゴー』超魔術イタチ:編

黄金色のコガネムシ ※童謡『黄金虫』のゴキブリ説&タマムシ説
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マツトビゾウムシのシンデレラ



着想の経緯

昆虫ウォッチングで擬木を見続けていると、脳味噌は設定した昆虫フィルターに反応があったときに注意が呼び覚まされる自動運行モードになりがちだ。(機械的に?)目では擬木を追いながら、脳味噌はあまり働いていないか別のことを考えていたりする。
《悟りの境地》か《妄想の狂地》か──こうした状態では弛緩した脳味噌の片隅・意識の隙間にたあいもない着想がわいたり、荒唐無稽なイメージが展開すことがある。僕はこれを「エアポケット幻想」などと呼んでいるが、今回もそんなハナシ。タイトルをつけるなら──『マツトビゾウムシのシンデレラ』。

今回の着想のきっかけは、ギボッチ(擬木ウォッチ)をしていて目に入った入れ歯だった(冒頭の画像)。昆虫を想定していたので、まさかこんなものがフィルターに引っかかるとは予想もしておらず、違和感たるや大きかった。いったい、どうしてこんなモノが擬木の上に置かれるなどといった状況が発生しうるのか!?──どうでもいいといえばどうでもいい話だが、これはちょっとしたミステリーとして心にひっかかっていた。そして後日、この入れ歯はこつ然と姿を消していたのである。誰が何のために持ち去ったのか!?……謎は深まるばかりであった……。

この「擬木上に残された入れ歯」からふと連想したのが(既に記した)シンデレラの話(*)。「残されたガラスの靴」で持ち主(シンデレラ)を特定する定番のストーリーは説得力に欠ける。持ち主を特定するのであれば、残されたツールは「靴」よりも「入れ歯」の方がふさわしいのではあるまいか? 歯の治療痕は(検死で)被害者特定にも使われたりもする。「残された入れ歯」がピッタリ合った人がシンデレラだというのであれば納得できる……そんなことを考えたわけだ。

さて、ギボッチ(擬木ウォッチ)ではその後、マツトビゾウムシを見るようになる。この虫の新成虫には牙(状突起)がついていて、地上に出てくるとほどなく脱落するらしい(*)。擬木上で片方の牙をなくしてたたずむマツトビゾウムシ(画像)を見ているうちに、ふと閃くものがあった。「マツトビゾウムシの失われた片牙」と「擬木上にとり残されていた入れ歯」が、頭の中でリンクしたのだ。『奇跡の人』で、「手に触れているもの(井戸水)」と「water」が突然結びついたヘレン・ケラーの心境!?
《擬木の上に残されていた謎の「入れ歯」は、片牙のマツトビゾウムシが落としていった「ガラスの靴」的存在ではなかったか?》──頭の中にはにわかに、『マツトビゾウムシのシンデレラ』のストーリーが展開するのであった。



マツトビゾウムシのシンデレラ

あるところに新出(しんで)玲良(れいら)という娘がいた。意地悪な継母とその連れ子である義理の姉に虐げられた生活で、自由な外出もままならない。彼女の友達は虫たちだけであった。その虫たちが擬木のステージで舞踏会を開くという話を知り、玲良はできるなら自分も虫になって参加してみたいと思う。と、そこに現われたお人好しの老婆──実はかつてシンデレラに魔法をかけ、車錠探偵長(@破裏拳ポリマー)にホラメット(転身用ヘルメット)を与えた魔法使いであった。
「虫たちの舞踏会に出たいんだね。願いをかなえてあげよう。一晩だけあんたを虫にしてあげるよ」──魔法使いのおばあさんが杖を一振りすると、玲良の姿ははあっという間にマツトビゾウムシに変わった。「ただし、今回の魔法の効力はは今日限り。夜12時を告げる鐘が鳴り終わる前に戻ってくるんだよ」
魔法使いのお婆さんに見送られて、マツトビゾウムシとなった玲良は飛翔して虫たちの舞踏会場へ向かう。

玲良は擬木の上で行われた虫たちの舞踏会に飛び入り参加。そしてマツトビゾウムシの王子に見初められる。あまりの楽しさに時が経つのを忘れていた玲良だが、ふと気がつけば夜12時が近づいていた。
「しまった。はやく戻らなければ!」あわてて舞踏会場をあとにするが、そのとき、マツトビゾウムシになっていた玲良は、牙(状突起)の片方を擬木の上に落としてしてきてしまう……。
なんとかタイムリミットギリギリで、部屋に帰りつき人間に戻ることができた玲良だったが……鏡を見てビックリ! 彼女の上あごからは歯がごっそり抜け落ちていたのであった。
そのころ、虫たちの舞踏会場となった擬木の上では……マツトビゾウムシの王子が、行方をくらました愛しい相手が落としていった片方の牙を手にしていた。「この牙が、欠け痕と一致する娘をきっと探し出して妃にするのだ」──王子が宣言したまさにそのとき、12時の鐘が鳴り終わった。すると彼が手にしていた牙は巨大化し、人間の入れ歯になった──シンデラレの魔法が解けたタイミングで、マツトビゾウムシの牙もヒトの歯に戻ったのだ。王子はその下敷きになって身動きがとれず、気を失ってしまう。

さて、人間に戻った玲良だが、歯がごっそり抜け落ちていたことに我慢ならず、魔法使いのお婆さんを探しまわって数日後にようやく見つけて談判する。「どうひて、わたひがこんな目にあわなきゃいけないの!? 元の姿に戻ひて!」
魔法使いのお婆さんは早合点して「おやおや、そんなに虫の姿がよかったかい。それじゃ戻してやろう」と玲良に魔法をかけて再びマツトビゾウムシに変えてしまった。
途方に暮れたマツトビゾウムシの玲良は舞踏会場だった擬木に戻る。すると彼女の片牙を抱いた王子が気を失って倒れていた。王子を押さえつけていた入れ歯は、再びかけられた魔法によってマツトビゾウムシの牙に戻っていたのだ。
「王子様、しっかり!」玲良が王子を抱き起こすと王子は覚醒し、かかえていた牙を玲良の顎にあてる。「おお、ピッタリ一致する! 君こそ探していたプリンセスだ!」
玲良は昆虫として生きることを受け入れ、マツトビゾウムシの妃になったのだった。

これが、「《擬木上に突如現われ、数日後にこつ然と消えた入れ歯》の真相」である……。
──という、エアポケット幻想ストーリー。


*シンデレラには嘘がある!?~ガラスの靴よりふさわしいもの

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*片牙ゾウムシ&シロトゲエダシャク
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シンデレラには嘘がある!?~ガラスの靴よりふさわしいもの

シンデレラには嘘がある!?
~ガラスの靴よりふさわしいもの~

「シンデレラ・ストーリー」という言葉がある。無名の一般女性が成功し幸福になること、玉の輿(たまのこし)に乗ることを言うようだ。童話の『シンデレラ』に由来する言葉だろう。それほど『シンデレラ』は知られている。僕もなんとなくストーリーは知っているが、いつどこでこの物語を知ったのかについての記憶は無い。おそらくリライト作品のようなものもたくさん出回っているに違いない。原典(?)と照らしてどうなのか……そのあたりは良くわからないが、世間一般に広く浸透しているバージョンの『シンデレラ』の話とは、おおよそ次のようなものではなかろうか?

意地悪な継母とその連れ子である義理の姉に虐げられていた娘(シンデレラ)が、魔法でドレスアップしてお城で開催された舞踏会にでかけ、王子に見初められるストーリー。
ただし魔法の効力はその日限りで、夜12時の鐘が鳴り終わると効力を失ってしまう。なのでシンデレラは鐘が鳴り出すとあわてて城から逃げ出すが、そのさいにガラスの靴の片方を落としてきてしまう。王子は残されたガラスの靴を手がかりに「ガラスの靴にぴったり合う足の持ち主」すなわちシンデレラを探しだし、結婚する。

つまりこの物語では「ガラスの靴」がシンデレラを特定する「鍵」として使われている。僕には、この話をどんな形で知ったのかの記憶は無いのだが、「ガラスの靴」のエピソードについては漠然とした疑問を感じていたのは覚えている。「その日限定の魔法でドレスアップしたのに、ガラスの靴だけがどうして残ったのか?」ということだ。舞踏会場から逃げ出したシンデレラが元の(みすぼらしい)姿に戻ったのに、ガラスの靴だけ魔法がとけないのはおかしい。夜12時の鐘が鳴り終わると同時に王子の手の中にあったガラスの靴がそまつな靴に変わる──そんなシーンがあってしかるべきではないか?……みたいな疑問を持っていた。

そして、もうひとつ──「国中の娘にガラスの靴をはかせようとしたのにシンデレラ以外の女性の足には合わなかった」という展開も不自然に感じていた。シンデレラの足のサイズは一体いくつだったのだろう? それと同じサイズの靴を履いている女性は国中にたくさんいたはずで、靴から個人を特定するなんて無理だろう……そんな疑問も持っていた。この物語の中では「ガラスの靴」は「シンデレラ」に結びつくファンタジーアイテム的な意味で描かれていたのかもしれないが、普通に考えたら「シンデレラの足って、よっぽどデカいか小さいか、あるいは特殊なのか」という話になる。「大様の耳はロバの耳」ならぬ「シンデレラの足は○○の足」!?──それは、ちょっとおぞましい。

『シンデレラ』では、「落とし物」から持ち主を特定する「鍵の役割り」として「ガラスの靴」が使われていたわけだが、前述のとおり僕は子供心に「靴で個人を特定するのは無理がある」と感じていた。
さて、それでは、どんな「落とし物」だったなら「鍵の役割り」にふさわしい小道具となり得ただろう?──そう考えたとき、最近見たある光景(*)が蘇った。
総入れ歯──これなら「ピッタリ合った人を持ち主と特定する」ツールとして万人が納得できるのではあるまいか。
落とし物が「総入れ歯」バージョンの『シンデレラ』なんてのは、どうであろう?

──なんてコトを考えたのは、最近見た「入れ歯の落とし物」(*)からの連想であった。


◎マツトビゾウムシのシンデレラ

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秘薬・毛生え薬

暖かい陽射しに包まれ、ぼうっとした頭にふと浮かんだエアポケット幻想。弛緩した脳味噌の中で、謎の中国人が作る万能秘薬──毛生え薬のエピソードが展開した。


■秘薬・毛生え薬

市販されているあらゆる発毛・育毛剤を試してみたけれど効果がなかったA氏。ワラにもすがる思いで怪しげな情報を頼りに中国人祈祷師ホイさんをたずねたのだった。
「アナタ、毛ガ欲シイ。ワカリマシタ。毛ガ生エル薬、作ルデゴザイマス」
カタコトの日本語で応対したホイさんに案内され、A氏は調理場とも実験室ともつかない部屋に入る。
ホイさんは部屋のに置かれた瓶のフタを開け、柄杓で中からとろみのある液体をすくって鍋に移しながら、
「コレ、万能秘薬ノ素ネ。効能ハ自由自在、何テモ対応スルノコト」
ホイさんの説明によれば──瓶に入った液体が、すでに調合された万能秘薬のもとで、これに「仕上げ」で、依頼者が望む効能書きを記した薬剤を溶け込ませれば、目的の薬ができるのだという。
「アナタガ欲シイハ、毛ガ生エル薬ネ」
「そうです『毛生え薬』です」
ホイさんはA氏の依頼を確かめると、和紙のようなものに筆で「ケハエクスリ」と書き込んだ。「コレ、間違エルト台無シタカラ……デモ大丈夫。ワタシ、秘薬作リト日本語、自信アリマス」
ホイさんの手元をのぞき込んでちょっと不安を感じたA氏は、「あの……『ケハエグスリ』でお願いします」。
「ハイ、『ケハエクスリ』」
「ええと、『ケハエクスリ』ではなくて『ケハエグスリ』で……」
「ハ? 『ケハエクスリ』テナク『ケハエクスリ』?」
「『クスリ』でなく、『グスリ』──そこ、濁るんです」
「ニゴル?」
「濁点がつくんです……点々」
「ア~、濁音ノ点々ネ、ワタシ、ゴゾンヂデス」
ホイさんは大げさにうなづいて点々を書き足すとその和紙様のものを鍋に投じ、撹拌しながら自信たっぷりに言った。
「コレデ、アナタ、毛ガ、ワンサカ生エルコト、マチガイナシデス」

ホイさんが作った『毛生え薬』をゲップが出るほど飲まされ、鍋に残った汁を禿げた頭に塗り付けられたあと、A氏は帰路で頭に変化が起こっているのに気がついた。なんだか頭皮がむずむずする。ショーウィンドウに映った自分の姿を見て思わず足が止まった。なんと禿げていたはずの頭が黒々しているではないか!
A氏は驚喜してショーウィンドウにかじりついた。
A氏の頭で黒い髪が風を受けて揺れる──かに見えたが、ナゼか風は吹いていない……。
頭でうごめいていた黒いものは──よく見ると双翅目の昆虫・ケバエの群れだった。
「どうなってるんだ!?」A氏の頭の中には「?」で埋め尽くされたが……やがて何があったのかを理解した。
「そうか……あの時、濁点を書き込む位置を間違えやがったんだ!」
『ケハエグスリ』とすべき効能に『ケバエクスリ』と記したために、秘薬を塗ったA氏の頭にはケバエがわんさかたかってしまったのだった……。

     *     *     *     *

ケバエの婚姻飛行が見られるこの時期──「今年もそんな時期になったか」とケバエをながめてふと思い浮かんだ、たあいもないイメージ。
「『ケバエ』と『毛生え(ケハエ)』──濁点があるとないとでは大違い」「『毛生え薬』で毛が生えるのなら、『ケバエ薬』ではケバエがたかるのであろうか?」などと思ったのがきっかけ。

ケバエが集団発生する時期になるとこれをハチだと思って怖がる人をみかけるが、たよりない飛び方はあまり脅威を感じない(じっさい刺したりはしないので怖がることはない)。インパクトがあるのは、むしろ晩秋の幼虫集団であろう(*)。

ちなみに、文章化するにあたって便宜的に設定した「ホイさん」の名前は三谷幸喜・脚本&総合演出のTV番組『HR』の「ホイさんが帰ってきた!」から。生瀬勝久が演じた中国人のホイさんのイメージを借りたもの。


*謎の幼虫大群:ケバエ

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●エアポケット幻想
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