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図鑑は虫屋のバイブル!?

先日読んだ『アリの巣をめぐる冒険』で著者の丸山宗利氏は幼少期の頃のことを次のように記している。

幼稚園にあがってからは、図鑑ばかり眺めていた。(P.186)
幼稚園を出る直前に学研の『世界の甲虫』という図鑑が出て、小学館の『昆虫』という子供向け図鑑ともに、ボロボロになって表紙が取れ、頁をつなぐ糸が切れてバラバラになるまで読み込んだ。(P.187)


昆虫図鑑がお気に入りで何度も何度もくり返し眺める──こうした《図鑑への執着度の高さ》が《虫屋気質の特徴の1つ》なのではなかろうか?──と、僕はひそかに思っている。根拠の無い個人的なイメージ。

僕も子どもの頃から昆虫図鑑は持っていたけれど、あまり熱心な読者ではなかった。最初はページをめくりながらカッコイイ虫がでてこないかカタログをながめるように鑑賞し、気に入った虫が載っているページを探す。あとは昆虫のことを調べたくなったときに開くていど。カブト・クワガタのページは何度か見た記憶があるけれど、他のページはあまり覚えていない。今ふり返って考えてみると、カブトムシやクワガタのページもあまりたいしたことが書かれていなかったから、あきてすぐに見なくなってしまったような気がする。

昆虫図鑑をあきることなく何度も読み返す「図鑑好き」と、あまり熱心に読むことが無かった僕とでは昆虫に対する興味の持ち方や図鑑に対する認識に違いがあったように思う。漠然とだが、そんなところにも僕(凡人)と虫屋の境界線があるのではないかという気がしないでもない。

僕は「図鑑」というのは、「その生き物について調べるときに読む本(その生き物の情報が記されている本)」だと思っていた。漢字や言葉の意味を調べる時は国語辞典/昆虫の名前や性質(生態)を調べるには昆虫図鑑──といった認識。しかし本来、図鑑というものは「その生き物の名前(種名)や分類を調べる(同定する)ための本」なのだろう。そのことに気かついたのはだいぶ後である。僕の場合、気になる生き物について知りたくて図鑑を開くのに、知りたいことはほんのわずかしか記されていない……物足りなさを感じて熱心な読者にはなれなかった。

図鑑に関してはこんな思い出がある。小学6年の頃からヘビに興味を持ちはじめ、中学生の頃、本格的な図鑑(?)──保育社の『原色日本両生爬虫類図鑑』という当時の僕としては高価な本を奮発して買ったことがあった。種類の多い昆虫と違って日本の両生類・爬虫類は数が知れている。当然種類ごとに割り振られるページ数は(昆虫図鑑に比べて)多いはずだ。それぞれの種の生態についても詳しく記されているはずだ──てっきりそう思い込んでいた。ところが、手に入れた『原色日本両生爬虫類図鑑』を開くと、僕が期待していたような情報はほとんど記されておらず、ひどくガッカリした記憶がある。しかし、これも爬虫類屋からすれば同定の手がかりなど、必要な情報は記されていたのだろう。僕の図鑑に対する認識・期待が間違っていたのだ。

僕は《【種名(標準和名や学名)】や【分類】》というのは、生物の《【氏名】と【住所】》のようなものだと思っている。その生きものを特定し位置づける基本的な記号。名前と住所がわかれば、これを手がかりにその生き物の情報を探すことができる。図鑑の本来の目的は生き物を特定し、それを表す記号と照合させることにあるのだろう。
標本作りや生物リスト作成などで、同定目的に図鑑を活用する人にとっては、種名と分類がわかればそれで良いのかもしれない。しかし僕のように「本当に知りたいのはその人の氏名や住所ではなく、興味があるのは、その人がどんな人物なのかということだ」という価値観で図鑑をひらく者にとっては、それでは物足りない。
言ってみれば【種名(標準和名や学名)】や【分類】はヒトが付けた記号・ヒトが作ったカテゴリーであって、これは《人工物》だ。すでに存在している生きもの(自然物)を人が理解しやすいように整理するため、後付けの理屈で分け、名前をつけた。後付けの理屈だから研究が進むと実態と合わないことが発覚し、整合性をとるために後付けの理屈やカテゴリーを変更しなくてはならなくなったりする。当該生物そのものは昔も今も何の変わりないのに【種名(標準和名や学名)】や【分類】が変更されることも少なくない。僕が本当に知りたいのは、ちょくちょく変更される《人工物》の部分ではなく、《自然物》としての昆虫そのものについての情報である。僕と同じような感覚で昆虫図鑑を開く人は「名前がわかったところで、その虫のことがわかったわけではない(知りたいことはわからななかった)」と不満を残すのではなかろうか? そういう感想を持つ人は、図鑑の熱心な読者にはなれない。

一方、図鑑を熱心に繰り返し読む(見る)人たち(虫屋気質な人?)も存在する。そうでない僕には、その感覚がよくわからないが、想像するに……自動車や飛行機、列車などに興味を持つ人のように、掲載された昆虫の造形に魅かれるのではなかろうか? きっと細かいディテールまで、しっかり鑑賞しているのだろう。
図鑑で何度も眺めていたお気に入りの昆虫を実際に目にすれば、テレビで見ていた憧れのタレントに遭遇したファンのようなトキメキがあるかもしれない。図鑑に載っている虫をみつけるたびにテンションが上がり、昆虫に対する興味が強化されて、さらに熱心に図鑑を眺めるようになる……。図鑑に出ている昆虫の実物を手にする高揚効果(?)から昆虫を集めるようになり、コレクションが充実してくると図鑑に出ていた昆虫の実物をコンプリートしてみたくなるのではなかろうか? そしてさらには、図鑑に出ていない、誰も見たことがない虫を発見して昆虫図鑑に載せてみたい──と夢が膨らむのかもしれない?

いずれにしても、図鑑好きで図鑑への執着が強かった子が虫屋に育って、より理想に近い図鑑を作るようになるのではなかろうか。そして、その図鑑にハマった子が次世代の虫屋になる……。もし、そうだとすれば、昆虫図鑑を読んで虫屋に入信することになるわけだから、昆虫図鑑は虫屋にとってのバイブルと言えなくもない……丸山宗利氏が昆虫図鑑好きだったというエピソードを読んで、そんなことを思った。



*好蟻性昆虫〜好虫性人間?『アリの巣をめぐる冒険』
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好蟻性昆虫〜好虫性人間?『アリの巣をめぐる冒険』

アリの巣をめぐる冒険

ハリサシガメへの興味から『アリの巣の生きもの図鑑』を借りてきた(*)さいに『アリの巣をめぐる冒険』(丸山宗利/東海大学出版会)という本も借りてきていた。アリと共生関係にある昆虫──好蟻性昆虫の研究を扱った本だ。かなりマニアックな内容だが、一般の人が読んでもわかるように書かれている。ただ、専門家にとってはおもしろい内容でも一般ウケするとは限らない。この本を一般の人はどう読むのだろう?

アリは誰でも知っている身近な存在だが、そのアリの巣の中や周辺にアリに依存する色々な虫が暮らしている──というのは「身近にありながら知らなかった世界」である。「そんな世界があったのか」という意外性から、内容に興味を抱く人もいるだろう。あまり知られていない好蟻性昆虫ってどんな虫?──という興味で手に取る人もいるかもしれない。
しかし、一般の読者の興味は、それだけではないだろう。「小さなアリと共生関係にある《ささやかな存在》」を研究している人がいるなんて……という著者(虫屋)に対する好奇心で読む人も少なくないのではあるまいか? アリに依存する昆虫を好蟻性昆虫と呼ぶなら、好蟻性昆虫と共にアリを追い続け、人生の一部を捧げた著者も、見方によっては好蟻性人間と言えなくもない。そういう意味では、アリとその巣の内外に集まる好蟻性昆虫の生態を紹介しながら、同時にそうした虫に集まる好昆虫性人間=虫屋の生態を記した本であるともいえる。

昆虫の発生時期に発生場所へどこからともなく集まってくる虫屋は、考えてみれば不思議な存在だ。わずか数ミリの虫を得るために何千キロも離れたところからやってくる虫屋を、地球を観察にきた宇宙人が見たらどう思うであろう?
地球の生きものを研究テーマに選んだ宇宙人がいたら、アリの標本の隣に好蟻性昆虫の標本、その隣には丸山宗利氏の標本を並べて展示したくなるのであるまいか?
宇宙人はともかく……一般の人にとっては昆虫の生態のみならず、虫にずっぽりはまった虫屋の生態も興味深く映るのではないかと思う。

僕は虫屋ではないが、今は無きニフティの電子会議室・昆虫フォーラムに出入りするようになって虫見をするようになった。昆虫のおもしろさもさることながら、「虫屋」と呼ばれる人たちのおもしろさにも興味を持った。昆虫に関心を持つ人は少なからずいると思うが、僕のような一般民間人(凡人)と虫屋の「境界線」はどこにあるのか──それを解き明かすことが僕の密かなテーマでもあったりもするわけだが……「虫屋の境界線」のことは、さて置いて……、

僕が好蟻性昆虫の存在をうっすらと知ったのは件の昆虫フォーラム時代だった。当時、狭山丘陵を歩きながら昆虫観察するというオフ会が時々あって、僕もおみそ参加させてもらっていたのだが、ある時、その方面に詳しい方が参加されたことがある。一見ダンディーな紳士が肩掛けからおもむろにフルイを取り出した時は「おおっ!」と驚き(一般民間人の僕は、バッグからフルイを取り出す人なんてそれまで見たこともなかった)、他にも普通の人が持ち歩かないような物を次々ととりだすのを見て、「あんたのバッグはドラえもんの四次元ポケットか──」と思ったものである。必要とあればツルハシやダイナマイトだって取り出す勢いである。そして何の躊躇も無く林床の落葉をつかんではフルイに放り込むようすを見て「このムダのない動き……落葉とともに犬糞をつかんだ経験も1度や2度ではあるまい」と確信したのであった。
紳士はクールに虫探しを続けていたが、オフ会も終盤に差し掛かった頃──アリの巣食った古い切株の皮を剥がしにかかると、突然、「いったぁ〜!」と絶叫した。埋蔵金でも掘り当てたかのような大声に、オフ会参加者は何があったのかと彼のまわりに集まった。
はたして大興奮の彼が見つけたものは……アリに踏んづけられるような小さな虫だった……。好蟻性昆虫のひとつだったのだろうが、今ふり返ってみてもそれが何だったのかは覚えていない。「大きな声のわりに小さな虫だった」ということばかりが印象に残っている。素人の僕には、小さな好蟻性昆虫より、それを見つけて大声をあげた虫屋の方がインパクトが強かったのだ。

『アリの巣をめぐる冒険』も、著者がどれだけ自覚的に書いているかわからないが、一般の読者は好蟻性昆虫への興味ばかりでなく、それを追い続ける虫屋に対する興味で読んでいる部分もあると思う。普通の人なら堪え難い状況での過酷な観察を「夢のように楽しい」と言ってのける虫屋(著者)おそるべしっ! 観察している虫もユニークだが……「ユニークなのは、あんただよ!」と突っ込みたくなってしまう。
好蟻性人間(著者)の昆虫モチベーションの高さは想像を絶する。行動力・集中力・執念が尋常ではない。狙った獲物は必ずモノにしてきた実績に感心しつつ、「アリと好蟻性生物」に関しては「へえ!?」とか「ふ〜ん」と思いながら、読んだ。
ただ、正直な感想を言えば……お目当ての好蟻性昆虫を次々にゲットする著者の興奮は伝わってくるものの、それは自身の研究の成果を手に入れた達成感・仕事の成功を歓喜するもので、昆虫そのものの魅力や面白さに対するトキメキがいまひとつ伝わってこない気がしないでもなかった。好蟻性生物の生態についてはまだ未解明の部分が多い(情報量が少ない)ということもあるのだろうが、この本は「好蟻性生物の魅力」よりも「著者の活動と実績」を描いた印象が強い。著者の昆虫研究への情熱は、はたして純粋に《昆虫への興味・探究心》に由来するものなのか、それとも《新種を次々に発見し、誰もなし得なかった研究をして名を売ること(自己の実績作りや名誉欲)》に由来するものなのだろうか──などと、そんなことを思わないでもなかった。
この本はこれで著者の思いは描かれていると思うが、「アリと好蟻性生物」の関係をもっと面白くドラマチックに(?)プレゼンできていれば、また印象も変わっていたかもしれない。同じ著者の『昆虫はすごい』を読んだときにも色々思うところはあったが、あるいはそのあたりに僕と虫屋を隔てる「境界線」と通底するものがあるのかもしれない。

ところで僕も興味本位で虫見をするが、決して「虫屋」のような立派なものではない。アリより小さい虫を探すために世界中を飛び回る虫屋さんと違って、僕が虫を見て歩くのは基本的に「歩いて行ける範囲」──身近に存在するフシギな世界を見つけるのが面白いという他愛もないものだ。
僕と「虫屋」の間には高い敷居──境界線のようなものがあって、虫屋さんは「あちら側」で僕は「こちら側」という意識を昆虫フォーラム時代からずっと感じてきた(決して対立的な違いではい)。
しかし、虫見をしているためか、僕も虫屋だと勘違いされることがある。確かに、葉の裏の昆虫を撮るため寝そべっているところを「行き倒れ」と思われたことも2度ほどあって、こうしたことは虫屋さんではありがちなことから誤解されやすいのだろうが……しかし、僕は断じて虫屋ではない。「違う違う、全然違う。虫屋と僕とはヘビとアシナシトカゲくらい違う」と説明するのだが、なかなか理解してもらえないようである。



ハリサシガメ@『アリの巣の生きもの図鑑』他
漫画【虫屋な人々】
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作品評・感想など(映画・本)〜目次〜

作品評・感想など(映画・本)〜目次〜

01作品評感想一覧画
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映画『ゼブラーマン』感想
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映画『七人の侍』の巧みさ
映画『生きる』について
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「自然との共生」というウソ(高橋敬一/祥伝社新書)を読んで
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ムダの意義を再発見!?『働かないアリに意義がある』
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作品批評で評価されるもの
総括なき多鑑賞
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七人の侍@黒澤明DVDコレクション
充実していた『カメムシ博士入門』
久しぶりの『文学賞殺人事件 大いなる助走』
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『カメラを止めるな!』感想(ネタバレあり)
好蟻性昆虫〜好虫性人間?『アリの巣をめぐる冒険』
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ファーブル昆虫記の違和感について
『ゼロの焦点』タイトルの意味
《イタチの魔かけ》と《鼬の目陰》※『いたちの手紙』
糞の手紙!?〜イタチの粗相考※『いたちの手紙』と『いたちのてがみ』
『不思議だらけ カブトムシ図鑑』と《角のジレンマ》
ムシヅカサシガメとハリサシガメ ※『虫の虫』DVD付き特装版感想

エッセイ・雑記の目次

充実していた『カメムシ博士入門』

おもしろく充実していた『カメムシ博士入門』



『カメムシ博士入門』(安永智秀・前原諭・石川忠・高井幹夫/全国農村教育協会)という本が9月に出版されていたのを知った。内容は↓のサイトで確認できる。


面白そうだったので、書店(蔵書検索で在庫を確認)へ行って、実際に実物を見て購入するか否かを決めることにした。
書棚で見つけた時の第一印象は「でかい……(B5判)」。ウチは狭いので置き場的には場所をとるやっかいなサイズ……と感じながら手にとって開いてみると、画像満載(オールカラー/※捜査型電子顕微鏡写真はモノトーン)。小さなカメムシの体を大きなサイズで見ることができるので、好ましい印象に変わった。ページをめくっていくと、どのページも面白い。解説内容も興味深いし「目をひく画像」が視覚的にも楽しめる。ということで、迷うことなく購入を決定。

見慣れた種類からまだ出会ったことがない種類まで、いずれも楽しく見る(読む)ことができた。知らなかったことに感心し、知っていたことは判りやすい画像で改めて確認・納得することができた。
生態写真には、野外で虫を見つけた時のようなワクワク感がある。
標本づくりや同定を目的に虫見をしているわけではない僕のような素人には、専門的な図鑑より、こうした入門書があっているようだ。種を特定するための図鑑とはまた違った……カメムシ本来のおもしろさ・魅力を伝えている本だと感じた。
カメムシ本では、以前、『いたずらカメムシはゆかいな友だち』なんてのを読んで、「実際に虫を見ていない人が、にわか知識で書いた」感にフラストレーションがたまったこともあったが、やはり現場でカメムシを見てきた人たちが作った本には訴えるものがある。
久々の「買って良かったと思える本」だった。

ということで内容については充分満足している。ただ……欲を言えば、ということで……。

載っていたらいいな…と期待していたコト

じつは、購入前に「載っていたらいいな」と密かに期待していたことがいくつかあって、それについてはかなわなかった。

カメムシが脱皮や羽化の後で行う《抜け殻落とし》──僕はいくつかの種類で確認して、おもしろい行動だと興味を持っている。おそらく、寄生蜂や寄生蠅、アリなどを呼び寄せる手がかりとなる抜け殻を自分たちの生活圏の外へ隠滅する意味があるのではないかと考えているのだが、こうした行動について専門家がどう理解しているのか気になっていた。「やっぱり専門家もそう考えているのか」というお墨付き(?)を密かに期待していたのだが……「脱皮と羽化」という項目はあったものの《抜け殻(羽化殻・脱皮殻)落とし》↓についての言及は無かった。


※【羽化殻落とし@アカスジキンカメムシ】より↑。これもアカスジキンカメムシ↓。


※【《抜け殻落とし》の瞬間!?】より、アカスジキンカメムシの羽化殻落とし↑と抜け殻落とし↓。





羽化後、まだ翅が茶色になっていない【チャバネアオカメムシの羽化殻落とし】↑。
エサキモンキツノカメムシの羽化殻落とし↓。


※【ハート亀虫羽化 見守るキリスト!?】より↑。

また、個人的に興味があるユニークなハリサシガメについても、人気アップをはかって(?)その魅力がアピールされていることを期待していたのだが……ハリサシガメについては「保護色と擬態」というページに《捕食したアリを背負うハリサシガメ4齢幼虫》というキャプションで、ちょっと判りにくい画像が1枚掲載されていただけ。もう少しスペースを割いて欲しかったという気がしないでもない(個人的希望)……ということで、過去のブログ記事から、僕が撮ったハリサシガメ幼虫の姿を↓。


土粒をまとい、捕食したアリの死骸を背負ったハリサシガメ幼虫。画面右が頭部(触角の付け根に複眼がのぞいている)↑。画面左が頭部↓。


アリの頸に口吻を刺して体液を吸うハリサシガメ幼虫↓(画面右が頭部)。


※【パリコレならぬハリコレ~ハリサシガメ幼虫:擬装の意味】より↑。

ハリサシガメについては(最近気づいたがアカシマサシガメも)、前脚と中脚の脛節には、僕が《脛当》てとか《レガース》と勝手に呼んでいる器官があって、これについても正式な(?)名称や解説を期待していたのだが、触れられていなかった。




※【ハリサシガメのレガース】より↑。


※【台風一過のプチ地蔵】より↑。
『カメムシ博士入門』の「カメムシの脚②」という項目では、グルーミング・コーム(脛節櫛)という器官が紹介されていた。カメムシが口吻を前脚の脛節先端ででしごくようにつくろっている姿はよく見るが、このとき掃除に使われるブラシのようなものらしい。これを読んで僕がレガースと呼んでいるものは、グルーミング・コームが発達したものではないかと考えるようになった。

他にも、ヤニサシガメのベタベタは分泌物なのか松ヤニなのか?──についてなど、カメムシについて知りたいことは色々あったわけだが、そうした個人的個別の疑問に答えを求めるのは虫の良い期待だろう。
『カメムシ博士入門』が充実した面白い本であったことに間違いはない。

『いたずらカメムシはゆかいな友だち』感想


『いたずらカメムシはゆかいな友だち』(谷本雄治・文/つだ かつみ・絵/くもん出版/2006年)という本を図書館でみつけ、借りてきた↑。表紙画像の右の文章は、カバーそでのリード。
ちょうど疑問に思っていたことを確かめるためにヤニサシガメという捕食性カメムシの飼育を始めていたのだが、読んでいくと、そのヤニサシガメに関する話もでてきて、僕の疑問にも言及している。それで僕の疑問がスッキリ解決したわけではないのだが……その部分を含め、この本を読んでの感想を記しておくことにする。例によってあくまでも個人的な感想ということで。

僕も含めてカメムシ好き(?)には共感できる内容だろうと期待して読み始めたわけだが……全体を読み終えての印象を一言でいうなら──この本は「カメムシのことを好きでずっと観察・研究していた人が書いたもの」ではなく、「カメムシのことを書くという企画が先ずあって、にわか仕込みで集めた情報をもとに書かれたもの」……という感じがする。
実際に昆虫を観察していれば感じるだろう疑問や驚き・感心──現場感覚(?)みたいなものがあまり伝わってこない。正しい知識を紹介するはずの本なのに、明らかに間違っていると思われる箇所や怪しい記述などもあって、信頼性にも欠ける気がした。

気になった部分をいくつか引用しながら感じたことを記してみたい。まずは本文の冒頭部分──。


 カメムシはくさい──。
 そう思っている人が多いのではないでしょうか?
 ぼくが生まれてはじめてカメムシを見たのはいつ、どこだったかのか、思い出せません。でもたぶん、くさい虫だということはすぐにわかったと思います。
 たとえば庭の植物に、一ぴきのカメムシがついていたとします。
 見たところ、チョウとはちがいます。バッタでもトンボでもありません。
「なんか、ヘンな虫だなあ」
 せいぜいそう思うくらいで、子どものころのぼくはまよわず手をのばしたことでしょう。
 いけどりに成功し、にぎりこぶしを顔の前に持ってきて、指をそーっと開きます。すると、すきまから少しずつ虫のからだがみえてきて、
「く、くさい……」
 次のしゅんかん。ぼくはしかめっつらをしてその虫を手ばなし、それが「カメムシ」というものだということを二度とわすれません。カメムシの発するにおいは、それほど強烈でくさいものです。(P.6~P.8)


「初めてカメムシを見たときのことは思い出せない」と明言しているのに、記憶に無いことを想像で書いている──そして想像の中でカメムシの悪臭初体験について《それが「カメムシ」というものだということを二度とわすれません》と記している……。「《二度とわすれません》て……実際は覚えていなかったじゃん」とツッコミたくなるのは僕だけだろうか?
おかしな文章だが、著者の意図はわかる。カメムシのことを紹介する本なので、冒頭にはカメムシのよく知られた特徴──悪臭をアピールする内容をもってこようという「計算」があったのだろう。そのさい、《カメムシの発するにおいは、2度と忘れないほど強烈でくさいものです》と言いたかったに違いない。ところが、自分の記憶には残っていない。そこで、「きっとこうだったろう」と都合の良い想像で「頭の中で考えたシナリオ」をでっち上げてしまった……。

本来なら、体験や観察がまずあってそこから考察が生まれるわけだが、この著者は、頭の中で考えたシナリオを描くために体験(現実)を都合よくあわせようとしている……そんな冒頭部分からして、この著者は(いわゆる)「頭で書いている」感じを受けた。
自らの実体験に立脚した知見というより、「知識」として集めた情報を中心に頭の中で再整理してシナリオを組み立てている気がする。
この本の内容は、すべてとはいわないが……主要な部分は「(卓上の)知識」主導で書かれたものだという印象が強い。

自宅のアサガオについたマルカメムシ集団のエピソード(P.24~P.32)など「実体験」を綴った部分もあるが、「それでは、なぜ群れるのか、なぜ悪臭を発するのか?」という「虫に興味がある人なら当然考えるはずの核心的疑問」には触れられないまま展開していく。著者がマルカメムシに翻弄されたという話をおもしろおかしく(?)記しているが、語るべきところは著者の奮闘ではなく、虫の生態だろう。生き物を描く本としては興味の焦点がズレている感じがして、これが僕には違和感として感じられた。
本の終わり近くになって、ようやく(?)《カメムシのにおいは敵を攻撃するだけでなく仲間をよんだり、危険をしらせる道具としても使われていることがわかっています。(P.109)》とあっさり記しているが、これは二次情報(他者情報)的結論であって、カメムシを見ずにカメムシ情報を見て書いている感が否めない。

カメムシの悪臭を紹介したあとには、カメムシ以外のクサい虫のウンチクも展開している。


 もっと強烈で、くさいだけではすまない虫もいます。田畑で見かけるゴミムシの一種、ミイデラゴミムシです。この虫は、百度にもなる高温の毒液をジェット噴射して、敵に立ちむかいます。
 プシューッと吹きつけられたら、野生の生きものはもちろん、人間だってひとたまりもありません。一度ついたにおいはなかなか消えず、いやな気分をしばらく味わうことになります。
『鉄腕アトム』などの作品で有名なマンガ家、手塚治虫さんの名前は、オサムシという昆虫にちなんだものだそうです。オサムシはカブトムシやクワガタムシと同じ甲虫で、「生きた宝石」の名前の通り美しくかがやき、昆虫ファンのあいだではちょっとした人気者です。せなかの下にかくれた後ろばねが退化しているため、空を飛ぶことはできません。
 宝石にたとえられるほどのオサムシですが、ひとつだけ残念なのがくさいことです。地面を歩いてほかの虫やミミズなどをえさにしているせいか、いやなにおいがします。
 オサムシによく似たマイマイカブリも、空を飛ぶことができないくさい虫です。地上をせかせかと歩いてカタツムリをさがし、おそいかかって、えさにします。
 マイマイカブリはカタツムリの殻の中に頭をつっこみ、くちから出す消化液で肉をとかして食べていきます。そのせいでくさくなるようです。「マイマイカブリのにおいは、果肉のついたギンナンそっくりだ」といった人もいます。(P.16~P.17)


ミイデラゴミムシが放つ分泌液を、ここでは《毒液》と称している。僕も実際に浴びたことはないが、これは100℃にもなる爆発的な化学反応なのだから《プシューッ》というスプレーのような表現は適切なのだろうか?──と、ひっかかった。もしかすると、こうした部分も実体験の無いまま「頭で書いている」のではないか……。
ミイデラゴミムシでは噴射される分泌液をとりあげていながら、オサムシやマイマイカブリの悪臭については、食物由来の臭さだとし、防衛用に放たれる酸の分泌液に言及していないのは不十分な気がした。個人的にはオサムシやゴミムシが放つ酸はカメムシにおとらずクサいと思う。
また、この文章では「オサムシは飛べない虫」という認識を読者に与えることになりそうだが、オサムシの仲間にも飛べるものがいるという説明を入れた方が適切ではないかと思った。

カメムシとはどんな昆虫かを紹介する中で、「毒をもつカメムシはいるのか」──という話題では、


 ほんとうはどうでしょう。毒のあるカメムシはいるのでしょうか。
 カメムシ研究をしている人たちに聞くと、くちのするどい肉食のカメムシでは、うっかりすると手を刺されることがあるそうです。運が悪いと、手がはれます。でも、それはきわめて例外的なことで、カメムシのほうからわざわざ、人間をおそうことはありません。
 毒を持ったカメムシもいるのは事実です。熱帯地方には人間も刺してからだの中に病原菌を送りこみ、眠り病の一種である「シャガス病」を引き起こすカメムシがいます。生物の進化を研究した博物学者のチャールズ・ダーウィンも南米でそうしたサシガメに刺されシャガス病にかかったとされていう説があります。
 でも、安心してください。日本にはそうした毒のあるカメムシはいません。(P.22)


著者はシャーガス病の病原体を媒介するサシガメを(媒介者だから)《毒のあるカメムシ》だと認識しているように読めるが、「病原体」と「毒」は違うだろう。著者の理屈でいえば、病原体を媒介する蚊も《毒をもっている》ことになる。致死的な感染症のキャリアは《毒のあるヒト》ということになるのだろうか?
また著者はシャーガス病の病原体を「病原菌」と記しているが、これは細菌ではなく「原虫(寄生虫)」だ。
そして《刺してからだの中に病原菌を送りこみ》と記しているが、媒介サシガメが刺しただけではシャーガス病の感染は起こらない。サシガメが吸血前後にした糞尿から原虫が体内に侵入して感染が起こるとされる(サシガメに血を吸われた人が刺し傷近くの糞尿に触れ、その手で刺し傷や目・口・傷口などをささわることで原虫が体内に入る)。
「サシガメが媒介する病気がある」という知識だけで詳しくは知らぬまま「頭で書いてしまった」ことによる間違いではないかという気がする。

この項目で著者は日本には《毒のあるカメムシはいません》と言い切っているが、やはりカメムシをあつかった『カメムシ観察事典(自然の観察事典25)』(構成:小田英智/文&写真:新開 孝/偕成社/2002年)という本には《サシガメの口吻からだされる唾液には、強力な毒があり、獲物はすぐに体が動かなくなってしまうからです》という文章がある。サシガメに刺されるとかなり痛いらしいが、これは毒があるから(その影響)とみるのが自然な気がする。
「毒」の定義にもよるのかもしれないが……ミイデラゴミムシが放つ分泌液を《毒液》と称しているのに、(日本の)サシガメには毒がないと明言しているのは、ちょっと納得し難い気がする。

カメムシはそのニオイをどこから放つのかという話題では──、


カメムシはあしのつけ根にあるあなから、くさいにおいの元となる液体を出しています。出てくるのはアルデヒドの一種です。
 おどろくことに、あしのつけ根から液体を出すのは成虫だけで、カメムシの幼虫はせなかにあるあなから出すそうです。(P.42)


《カメムシの幼虫はせなかにあるあなから出すそうです》というのは、まだ自分で確かめたことがないということだろう。著者は「プチ生物研究家」を名乗っているようだが、カメムシ幼虫の臭腺開口部を確認したことすらなく、カメムシの本を書いているのか!?──と驚いた。
本書で紹介されている興味深い昆虫うんちくの多くは、こうした伝聞情報で、著者はじっさいに観察したことが無い(よく知らない)まま書いているので「こなれていない」──いささか、底の浅いものになってしまった感じがする。


 松の木で見つかるヤニサシガメは、ヨコヅナサシガメを黒くしたようなカメムシです。その名前の通り、べたべたした松やにをからだにつける習性があります。
 松やにを見つけると前あしでやにをとり、あしを器用にあやつって、あし全体やおなか、せなかとこすりつけます。人間でいえば、コールタールをべたべたとぬりつけるようなおかしな行動です。
 どうしてそんなことをするのかというと、集団で冬越しをするときに体温の低下をふせぐためだとか、乾燥をふせぐため、べたべたしたからだにすることで、うっかりくっついた虫をえさにするため──だとかいわれています。
 ほんとうのところはヤニサシガメにしかわかりませんが、観察の結果を見ると、どれもが正解のように思えます。泥や木の葉、アリの死がいなどをからだにつけて歩くヤニサシガメもいるので、敵から身をかくしたり、すてきなファッションのつもりでいたりするのかもしれません。(P.92~P.93)


この本を読んだとき、ちょうどヤニサシガメの飼育を始めていたのだが、その動機は「ヤニサシガメの体をおおっている粘着物質は【松ヤニ】なのか【分泌物】なのか」が知りたかったからだ。それは別の記事(*)にまとめるつもりでいるのでここではさておき──。
著者はヤニサシガメが松ヤニを体に塗りつける様子を観察したかのように記しているが……「本当なのだろうか?」というのが読んだ時の率直な感想だった。先に記した通り、本書の内容には首を傾げたくなる箇所がいくつかあって、いささか信頼性に欠く印象が否めなかったからだ。

この本ではヤニサシガメが体に松ヤニを塗るのは《集団で冬越しをするときに体温の低下をふせぐためだとか、乾燥をふせぐため》と説明しているが、僕がヤニサシガメ幼虫に触れてみたところ、冬までにまだ脱皮すると思われる小さな個体も、しっかりベタベタしていた。「越冬時の防寒&防乾燥用」ならば、冬が来る前に脱皮で脱ぎ捨ててしまう体表面にわざわざ手間をかけて塗りつける意味がない──脱皮前の「塗りつけ」は全くの無駄ということになってしまう。
《べたべたしたからだにすることで、うっかりくっついた虫をえさにするため》という説も疑問があるが……それは後の記事で記すことにして……。
また、引用した後半の《泥や木の葉、アリの死がいなどをからだにつけて歩くヤニサシガメもいるので》という部分は、おそらくヤニサシガメではなくハリサシガメ(別種)のことではないかと思う。

本書で紹介されていたカメムシうんちくには面白い情報もふくまれているのだが……残念ながら、科学マインド的な深みが感じられない。実体験に根ざした知見ではなく、「知識」として集めた情報を「頭で書いている」感がしてならない。もう少し昆虫に造詣のある人が執筆していれば「こなれた」面白い本になったのではないか……という気がしないでもない。


*ヤニサシガメのベタベタは分泌物なのか松ヤニなのか?

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