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長生きほど人生は短い!?時間の逆転現象

長生きするほど人生は短くなる!?時間の逆転現象

歳をとるにつれて時間が経つのが早く感じられる……というのは多くの人が経験していることだろう。どうしてそのように感じるのかについては僕なりの考えを以前記している(*)。最近は、時間の加速感を超えて時間の逆転現象!?を感じるようになってきた。

「40日の夏休みがとてつもなく長く感じられた小学生のイメージする60年」と「1年がいつの間にか過ぎてしまう60歳の実感する60年」では主観時間はかなり違うだろう。「小学生にとっての60年」より「60歳にとっての60年」は短く感じられるはずだ。
よく「人生は短い」と言うが、これはあくまでも年配者の感覚で、年少者にはピンとこないのではなかろうか? 歳をとることで人生を短いと感じるようになるのだとすれば、これは「長生きするほど、人生(主観時間)は短くなる」すなわち《時間の逆転現象》と言えなくもない。
時間の加速感については20代の頃から感じていたが、最近は歳をとるほど、「振り返ってみれば人生は短い」感が増すのではないか……と思うようになったしだい。

例えば……10歳のときのことを35歳のときにふり返れば25年前のことである。「ずいぶん経ってしまったなぁ」と子ども時代が遠くになってしまったと感じる。これが60歳になって10歳をふり返ったときは、もう50年も前のことになり「35歳のときにふり返ったときの倍も時間的に遠ざかったことになる」──はずなのだが、じっさいはそれほどの実感が無い。というよりむしろ35歳でふり返ったときより60歳になって振り返った10歳の方が「ついこないだ感」があるような気さえする!? 客観的には遠ざかっているはずの過去が、主観的にはむしろ近づいているように感じる──これも記憶上の《時間の逆転現象》と言えるだろう。

現時点の自分と過去の(10歳の)自分──物理的な時間差は刻々と広がっているわけだが、その時間差を実感するのは、その間に蓄積した記憶層の厚みだろう。時間の経過とともに記憶層には新たな出来事が書き加えられ厚みを増していくわけだが、一方、忘却の侵食によって減っていく部分もある。若いうちは記憶力も確かだし、忘却の侵食を受ける記憶層の厚み自体が少ないので記憶層の厚みは喪失部分より新たに書き加えられるボリュームの方が大きい──総量としての記憶層は厚くなる。しかし歳をとると記憶力が弱まり忘却力(?)が強まるので新たな書き込み量は減少し、長年貯えられてきた膨大な記憶層の中から呼び出せなくなる忘却量の方が勝ってくる。このため、現時点の自分と過去の自分を隔てる記憶層の厚みは減少し、昔のことが以前よりも接近して感じられるようになるのではないか。

若い頃はいつどこでどんな経緯で何があったのか──個々のイベントを時系列で「地続き」に思い返すことができたが、今や過去のイベントの記憶は断片的で、「飛び地」のように分断していがちだ。若い頃の記憶は引き潮のとき海面にあらわれた岩礁のようなもの──ボリュームがたっぷりあって地続きになっていた。これが歳をとってくると忘却の潮が満ちてきて記憶の岩礁は忘却の海面下に没して行く。海面上に残された岩礁はボリュームを失い、飛び地状態の記憶が増えていくことになる……。
飛び地状態になった記憶は「あれは、いつの事だったか……どういう経緯でそうなったのか」記憶が地続きでないので前後の繋がりがハッキリしない。「あれは本当にあったことだったのだろうか? あるいは夢や想像の中の出来事だったのではないか?」などと記憶されたイベント自体が怪しくなっているところもある。

歳をとったことで、知識の総量は増え理解力は深まったように思うが、記憶の総量としては目減りしている……最近とみに忘却の侵食が進んでいる気がしないでもない。若い頃に感じていたより「人生は短い」と実感するようになったのは、そのあたりに起因するものではないか……そんなことを考える今日この頃である。このまま忘却の海面が上昇し続け、記憶の岩礁全て忘却の海に沈むときがきたら……それが「死」なのかもしれない!?


*時間の加速感

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時はどんどん加速する

時はどんどん加速する

気がつけば7月も下旬。ちまたでは小学校など夏休みに入ったようだ。
小学生だった頃、「40日《も》ある」夏休みは長かった。1学期が終わり夏休みに突入した時は開放感でウキウキし、この長い長い休みにやがて終わりがくるなどとは、とても想像できなかった。夏休みの課題(宿題)があったかどうか覚えていないが、学校が再開する2学期のことなど遠い未来の果てことのように思われ、そんな先のことまで心配する気にはなれなかった!? 夏休みが終わる頃になると、夏休み前に課題(宿題)が出されたのかどうか……そんな遠い昔のことなど思い出せるわけもなく……当時の「40日」はそれほど長かったわけである。
ところが昨今の「40日」はあっという間だ。《歳をとると時間の経過が早くなる(ように感じる)》というのは誰もが経験することだろう。この《時間の加速感》については以前記したことがあった(*)。

例えば5歳児にとっての1年はそれまで生きてきた人生の5分の1に相当する。しかし50歳の人にとっては人生の50分の1に過ぎない。歳をとると、それまで生きてきた《人生時間》が増えることで、それに比較して単位時間が短く感じられるようになる──ということはあるだろう。「分子」の単位時間は同じでも、「分母」の《人生時間》が増えることで、値が《目減りする》という構図だ。

さらに言えば、「分子」が【単位時間】ではなく、【余命時間】であると考えると、《目減り》率──《時間の加速感》はぐっと増す。余命時間とそれまで生きてきた人生時間の比率は、読み始めた本の未読ページ数と既読ページ数の割合のようなものだ。
読書をしていると、読み始めは既読部分に対して未読部分が圧倒的に多いのに、半分を過ぎた頃から、残り頁の割合がどんどん加速的に減っていく感じがする。
例えば400ページの本の場合、最初の10ページを読んだ時点で、そこは全体の40分の1。まだ既読部分の39倍が残されている。しかし残すところ10ページまで読み進めば、残りは既読部分のわずか2%半ほど。同じ10ページでも読み始めと読み終わりで既読量との比率には大きな格差が生じる。ヒトの人生もこれと同じように、子どもの時の10年と晩年の10年では人生比率に大きな格差を感じる──そういうことなのだ考えると納得できなくもない。

最近はとみに早く感じられるようになった時間……。「あれっ!? 今年はクリスマスが来るのが去年より1ヶ月半くらい早いんでないか?」とか「今年は去年より2ヶ月くらい短かかった気がする……」などと首をかしげたくなることもしばしば。油断もスキもあったものではない。

物理的には均一に流れているはずの時間だが、歳をとるにつれてその比較から目減りして感じる──そうしたことは、あるだろう。さらこれとは別に、記憶力の低下による《主観的な時間》の加速感もあるに違いない。つまり1年の間に蓄積される記憶総量(覚えているイベントのボリューム)が、歳をとってくると記憶の低下によって目減りしてくる。そして記憶の欠けた分だけ少なく→早く過ぎたと感じるわけである。
また、若い時に比べて新陳代謝が落ちたことで(時間を計る化学反応が緩やかになったことで)《主観的な時間》が短く感じられるようになった──なんてこともあるかもしれない。

さて、この《主観時間》が、こんな調子でどんどん加速していったら、この先いったいどうなるのだろう……。
「去年は一昨年より1ヶ月半くらい短かった」「今年は去年より2ヶ月くらい短い」という感覚がエスカレートして、「《主観時間》が年々削られていって、前の年の半分に感じる」ようになったとする。
1年目に対して、2年目は半年・3年目は3ヶ月・4年目は1ヶ月半……という割合で《主観時間》が目減りしていったとすれば、2年目以降は、どんなに長生きしても──たとえ1億年生きたところで、その累計《主観時間》は「1年」を越えることはない。
もちろん、これは単に数学的なお遊びだが……《主観時間》が年50%になれば、たとえ物理的に(数学的に?)無限に生き続けたとしても《主観的》にはトータルで(2年目以降は)1年を越えられないのである。

ところで、《主観時間》側から見て《客観的(物理的)時間》が加速して感じられるということは、逆に《客観的(物理的)な時間》の側からみれば、《主観時間》の進み方がスローダウンしていることになる。
脳みその処理速度が遅くなり半分になれば、それまで1年かかって処理(実感)してきたものが、その半年分しか処理できなくなる。《主観時間》側からすると「かつての1年が今の半年!」的ボリュームで、時間の経過が倍速化して感じられるが、これは客観的に見れば《主観時間》を計る【時計】が遅れ、針の進み方が半分にスローダウンしたことになるわけだ。

《主観時間》で感じる(客観)時間の加速感は、《主観【時計】》の遅れに他ならない。《主観時間》がどんどん加速を続け、やがて無限に到達すれば……《主観【時計】》は超スローになり、やがて停止する──これが「死」と言えるのかもしれない……。

例えば老衰で死を迎える直前──もうろうとしている状態は客観的には思考速度はかなりスローモーにみえるが、これは《主観【時計】》が超スローモーになった状態で、《主観時間》はかなり加速しているのかも知れない。この《主観時間》のスピードがさらに加速をきわめて無限に到達したとき──すなわち《主観【時計】》が限りなくスローモーになって完全に停止した時──これが「死」だと考えることもできなくはない?
ついでに言えば、ヒトは自分の死の瞬間を《主観的》に知ることは決してできない(死んだ時にはそれを確認する脳は活動していないのだから)。そういった意味では《主観的には、自分の死は存在しない》わけで、《主観的》には時間のスピードが超加速し無限に達すると感じたまま逝くのかもしれない……。
《主観【時計】》が停止した時が「死」だという解釈は、なんとなく納得できる気がしないでもない。

漠然と、そんな想像が展開した。例によって脳内シミュレーション──頭の体操をしてみたしだい。

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時間の加速感

時間の加速感

いつの間にやら背後にしのびよるクリスマス。
ハタと気がつき「あれ!?、もうそんな時期かよ!?」とあたふたしている間に年が明けてしまう。
毎年そんなことのくり返し。
1年経つのが早い! 年々加速している!
それが正直な印象だ。

子供の頃は1日が長かった。夏休みがとてつもなく「たっぷり」な時間に思われた……それが最近ではどうだ! 1年などアッと言う間である。

これは僕に限らず多くの人が実感していることだろう。
この年を負うごとに強く感じる【時間の加速感】──原因として、次のような解釈が考えられる。

(1)単位時間/生存時間──生存時間に対する1年の割合が短くなるため
1年や1日の単位時間そのものが短くなっているハズはないのに、年々それが短く感じられるようになっていくのは、期間を測るその人の生存時間=分母が大きくなっているせいかもしれない。
例えば2歳の子供にとっての1年は人生の半分の長さに匹敵する。しかし40歳の人にとっては1/40でしかない。つまりその人がそれまで生きてきた総時間を基準に(分母にして)単位時間(1年でも1日でも)を測れば、その割合は年齢(分母)が増えるとともに小さくなっていくわけである。

(2)記憶力の劣化
あるいは、記憶のボリューム(?)なども関係しているかもしれない。
若い頃は体験する事がいちいち新鮮で記憶スペース(?)も充分にあるから記憶情報量は大きかった。しかし歳をとってくると細かい事まで覚えていられなくなり、同じ1年でも新たに記憶貯蔵庫に書き込まれる情報量が少なくなっている気がする。つまり記憶の忘却分が目減りして1年が短く(物足りなく?)なったと感じるのではないか。
記憶力の劣化により最近の「記憶情報量」自体が減少している上に、それを人生の「総記憶量」との割合で測れば、さらに「1年分に蓄えられる記憶の割合」は減少して感じられる──といったこともあるのかもしれない。

(3)代謝速度の低下
さらに、歳をとると代謝が低下する。これもいくらかは時間感覚に影響している気がしないでもない。
人が何を基準に時間の長さを測っているかといえば、つまるところ体内のどこかで行なわれている化学変化の速度だろう。
時間感覚を司る器官での化学変化が1進めば時間が1進んだと感じる──まあ、そういった仕組みなのだと思う。

子供の頃インフルエンザで高熱になったとき、時間が進むのがやけに遅く感じられたことがあった。これは代謝が活性化した事で化学変化が早く進み、そのぶん時間が多く経ったと錯覚していたのではないか──しかし実際にはそれほど時間は経っていないので「時間が経つのが遅く」感じられたのだろう。
これとは逆に代謝スピードが遅くなれば、実際の時間は思った以上に進むことになり、「時間が経つのが速く」感じられるはずである。
子供は新陳代謝が活発なため(それにともない時間感覚を司る器官の化学変化のスピードも速く)、相対的に時間が経つのがゆっくり感じる。
それに対し、歳寄りでは代謝は緩慢なため(それにともない時間感覚を司る器官の化学変化のスピードも遅なり)、相対的に時間が経つのが速く感じる。
そんな現象も、もしかすると絡んでいそうな気がする。


そして、ある時ふと思ったのが……これは科学的なハナシではなく、アイディア小説的次元の発想なのだが……。
(1)の「単位時間/生存時間」──「単位時間」は変わらないのに「分母=生存時間」が増大する事で、年々減少しているという解釈──これが実は「分子」の方は「単位時間」ではなく「残り時間」なのではないか?──というインスピレーション。
どんどん短くなる人生の残り時間。分母の増大だけでなく、分子そのものも減っているとすれば、この加速感も納得できる。

思いついたのは本を読んでいたとき。
本の読み始めは「まだまだ残りのページがたっぷりある」と感じるが、後半の「残りページの減り方」は早い。
同じスピードで読み進んでいるのにそう感じるのは「未読ページ/既読ページ」の割合の変化でみるためだろう。最初の頃は既読ページの割合の進み方はゆっくりだが、中盤を過ぎるとどんどん加速する感じがする。
この「未読ページ/既読ページ」の加速感が、昨今の感じている時間の加速感に重なり、「残り時間/生存時間」なのではないかと思い至ったしだい。

【時間の加速感】をことさらに感じるのは【残り時間】を潜在的に意識(?)しているからなのであろうか……。


*時はどんどん加速する

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