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久しぶりの『文学賞殺人事件 大いなる助走』

最近リリースされた30年前の『文学賞殺人事件 大いなる助走』DVD



筒井康隆の小説『大いなる助走』を映画化した『文学賞殺人事件 大いなる助走』のHDニューマスター版DVDが今年の5月にリリースされていた。鈴木則文監督によるこの映画が公開されたのは1989年1月28日(Wikipedia情報)だそうで、DVDジャケットにも「©1989アジャックス」と記されている。しかし、本編では最後の「大いなる助走」と記されるシーンで「©1988 AJAX」とスーパーが入っている──こちらの方は製作された年ということなのだろうか? ジャケットと本編で©の年が違っているのが、ちょっと気になった。

作品の概要は──、
主人公・市谷京二(佐藤浩市)は地方都市の大企業「大徳産業」に勤めるエリートサラリーマン(※DVDジャケットの【ストーリー】やWikipediaの【あらすじ】では「大徳商事」と記述されているが、映画・原作ともに「大徳産業」が正しい)。地元の同人誌「焼畑文芸」を拾ったことがきっかけでこのグループに入り小説を書き始めることになるのだが……初めて「焼畑文芸」に掲載した『大企業の群狼』(※Wikipediaの【あらすじ】では「大企業の群像」と記されているが「大企業の群狼」が正しい)が、中央の文芸誌「文學海」に取り上げられ話題となる。そしてなんと権威ある「直本賞」の候補作品になってしまう。しかし、この作品は大徳産業の内幕を暴露したもので、顧問を務めていた父や大徳産業の後ろ盾で市議会進出を企てていた兄は激怒。会社はクビとなり勘当されてしまう。同人誌仲間には妬まれ、居場所を失った市谷京二は上京。なんとしても「直本賞」をとって文学で身を立てねばならない……追いつめられた市谷京二は直本賞世話人(受賞請負人)多聞伝伍(ポール牧)の助けを借り、全てを投げ打って受賞のために奔走するが、直本賞の選考は二転三転して落選。市谷京二は怒りにまかせて、自分を落選させた直本賞選考委員たちを次々に殺して回るという私怨作品『大いなる助走』を書くが……それまで面倒見がよかった雑誌編集者たちからも冷たく見放されて、書いたことを実行して行く。

原作の『大いなる助走』を書いた筒井康隆氏自身が「直木賞」の候補に3回選ばれながら受賞していない経緯もあって、連載当時は注目され、色々物議をかもしたらしい。編集部に「あの連載をやめさせろ」と怒鳴り込んで来た文壇の長老もいたとか。今回HDニューマスター版DVDでは特典として筒井康隆氏と鈴木則文監督の対談映像(2002年収録)が収録されているのだが、この「怒鳴り込んで来た文壇の長老」のエピソードについても触れられている。実名を伏せて話している最中に、つい筆名を言ってしまうというハプニング(?)もあった。また、筒井氏は映画にもSF作家の役で出演し、文壇バーで暴れるシーンを演じている。

エンドロールの同人誌にビックリ

僕が初めて『文学賞殺人事件 大いなる助走』を観たのは1992年12月25日深夜(正確には26日未明)。TBSテレビで放送されていたものだった。原作の『大いなる助走』は読んでおらず、予備知識なしに視聴していた。僕もいくつかの同人誌活動を経験していたので、同人誌やアマチュア文学家にありがちなエキセントリックな言動・ディテールに「あるある・ありそうだなぁ」と共感しつつ引き込まれていた。権威ある直本賞の選考委員を皆殺しにするというスゴイ展開になってしまうわけだが、僕が一番驚いたのは、最後のエンドロールを眺めていたときだった。エンドロールでは全国から集めたと思われるたくさんの同人誌が次々に映し出されるという演出があって、これには圧倒感があった。今ではブログやSNS、YouTubeなどでアマチュアが不特定多数の人たちに自由に発信できる場があるが、当時はアマチュアが自分の書いたものを世間に発表する場はほとんどなく、時間・労力・お金を費やし、苦労して作った同人誌に載せるくらいしかなかった。しかし読むのは大抵関係者で一般の読者の手に渡ることは少なく、そういった意味では苦労の割に報われることが少ない媒体だった。その1つ1つにアマチュア作家達の夢や執念が込められた同人誌が次から次へ画面に映し出され、「焼畑文芸」のように日の目を見る事が少ないアンダーグラウンドの活動が実際に数知れず存在することを物語っていた。
その同人誌が次々に映し出されていくエンドロールの最初の方で、見覚えがある表紙が……僕が描いた図案が、いきなり目に飛び込んできた。僕も参加していたことがある「MON48」という同人誌の第3号がそれで、知らずに観ていた映画の中に突然親しい友人が登場したかのような驚きを覚えた。


「MON48」について触れておくと──、朝日カルチャーセンターの中の講座のひとつ「大衆文芸の書き方(講師:光瀬 龍)」の受講生による同人誌。受講生の中には既に商業出版している人、プロとして活動している人も何人か含まれていた。受講の成果として(?)受講生たちが書いた作品を集めて同人誌を作ろうということになって誕生したのが「MON48」だった。誌名は、この講座が毎週月曜日(MON)・新宿住友ビルの48階の教室で開かれていたことに由来する。誌名は皆で候補を出し合った中で僕の案が採用された。表紙も僕が描くことになったのだが、翼を広げたペンが新宿住友ビルから飛び立つ──といった図案になっている。

朝日カルチャーセンター由来の同人誌MON48が映画『文学賞殺人事件 大いなる助走』の最後に登場したわけだが、映画本編の中にも「朝日カルチャーセンター」を「朝目カルチャーセンター」ともじってでてきた部分があった。直本賞世話人(受賞請負人)多聞伝伍(ポール牧)が市谷京二のライバル候補者について技術的には稚拙だと評すシーンがある。そこで「朝目カルチャーセンターで小説作法を学んだ程度だからな」なんてセリフがでてくる。



『文学賞殺人事件 大いなる助走』の本編とは別の話になってしまうが……初めてこの映画を観た時は、「MON48」がいったいどういう経緯でエンドロールに登場したのだろうかと不思議に思った。「MON48」のメンバーには同人誌発行に尽力したH女史がいて、彼女の師匠である団鬼六氏がこの映画に地方文壇の名士・萩原隆役で出演している──そのつながりで「MON48」が渡ったのだろうかとも想像したが、エンドロールで映し出された同人誌は文藝春秋社が提供したものだったらしい。
エンドロールで流れた「MON48」を見て(これは第3号だったが)、第4号(1988年)に《H女史が直木賞を辞退しMON48賞に選ばれて驚喜する》という掌篇コントを載せたことを思い出した。これは埋め草として僕が書いたものだが、もちろん当時は「MON48」が「直木賞」をネタにした映画のラストに使われようとは想像もしていなかった。
余談だが、「MON48」創刊号で発表した僕の『ねこにかかったでんわ』は後に単行本として商業出版されている。



『文学賞殺人事件 大いなる助走』本編とは直接関係のない、あるいは他の人からすればどうでもよい個人的な事を長々と記したが、「MON48」ひとつとっても当事者にとっては色々あるわけで……エンドロールで流れる膨大な同人誌──その1つ1つに同じような色々思いを馳せる関係者がいるだろうということだ。そうした同人誌の世界があるということを踏まえて『文学賞殺人事件 大いなる助走』を観ると、また一段と味わい深い気がする……。

この映画を最初に見た時は録画しておらず、それを悔やんだものだが、その後フジテレビの深夜枠で放送されたものをビデオ録画──しかし残念ながらそれはオリジナル(129分)より15分程短いカット版だった。ノーカット版が欲しくてネットで検索してみたこともあったのだが、当時はDVD化されていないかったようだ。そんなわけで、今年になって『文学賞殺人事件 大いなる助走』のHDニューマスター版DVDが出たことを知り、購入して久しぶりに完全版を鑑賞することができた。やはり映画の内容だけでなく、同人誌にまつわる色々なことが思い起こされる……。随所にコミカルな演出がほどこされていて面白かったが、はたから見れば徒労・不毛な努力を続ける人・続けざるを得ない人たち──そうした同人誌作家たちの物語として観ると滑稽さだけでなく、やるせなさも伝わってくる。
久しぶりに鑑賞して、当時の同人誌活動の感覚というのは、インターネット世代にはちょっとわからないのではないか……という気がした。昔はアマチュアが作品を発表する場がほとんどなく、自分が書いたものを他の人たちに読んでもらおうとすれば苦労して同人誌を作るくらいしなかった……そんな時代に比べ、今では誰もが手軽にブログやSNS、YouTubeなどで全世界に向けて情報を発信できる。ブログを始めて「あのときの努力は何だったのか?」と思ったりしたものだ(*)。
もちろん同人誌はインターネット以降も作られ続けるだろうが、その意味合い・実感は昔とはずいぶん違ってきているのではなかろうか……。そうした時代感も含めて『文学賞殺人事件 大いなる助走』は味わいのある作品だと改めて感じた。




七人の侍@黒澤明DVDコレクション


先日、書店で《黒澤明DVDコレクション》なるシリーズが発売されているのを知った。

黒澤明DVDコレクション/朝日新聞出版
https://publications.asahi.com/kad/

没後20年特別企画ということで黒澤監督の作品全30作をマガジンとセットで隔週で発売していくらしい。
店頭で見つけたのは創刊号の『用心棒』だった。手にとってみると次号予告に『七人の侍』とある。これは買わねばと思って、発売日の本日(1/30)、第2号を入手したのであった。

僕は『用心棒』も『七人の侍』も以前NHKBS2で黒澤明特集が放送されたとき録画したDVDを既に持っている。だから創刊号(『用心棒』)を買うつもりはなかったが、最高傑作の『七人の侍』が出るとなるとスルーするわけにはいかない……。
『七人の侍』はそれだけ素晴らしい映画だ。内容については以前くわしく感想を記事にしている(*)ので割愛するが、理屈抜きにおもしろい。理屈をいえば、巧みで完成度の高い構成に感心してしまう。長い映画(207分)なのだが、それを感じさせない──退屈するところがなく、何度観ても引き込まれてしまう。
これまで観た映画の中からベストワンを選べと言われたら『七人の侍』は真っ先に浮かぶ最有力候補の1つといえる。僕に限らずこの作品に惚れ込んだ人は多いはず。件のNHKBS2黒澤明特集のアンコール視聴者投票でも『七人の侍』はダントツで第1位に選ばれていた。

『七人の侍』には侍をガンマンに置き換えた『荒野の七人』というリメイク洋画があって、これもエンターテイメント作品として充分面白かった。しかし、味わい深さ、緻密さなどで『七人の侍』には及んでいなかった。
ちなみにも『用心棒』の方も、クリント・イーストウッド主演で『荒野の用心棒』という超有名マカロニウエスタンのリメイク作品がある。こちらは『用心棒』より『荒野の用心棒』の方が面白かったし良くできていると思っている。
『荒野の用心棒』もテレビ放送を録画したDVDを持っていたが、《マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクション》(*)が創刊された時に、あらためて購入している。

傑作作品は称賛したいし応援したくなる。多くの人が鑑賞する機会が増えて欲しい。そういった意味で《黒澤明DVDコレクション》のリリースは歓迎したい。

隔週刊 黒澤明DVDコレクション 第2号/1657円+税
『七人の侍』1954年/モノクロ/207分
監督:黒澤 明/脚本:黒澤 明・橋本 忍・小国英雄
出演:三船敏郎・志村 喬・津島恵子 他


*映画『七人の侍』の巧みさ

https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-110.html

*G・ジェンマの《空中回転撃ち》@南から来た用心棒
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-553.html


■エッセイ・雑記 ~メニュー~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

G・ジェンマの《空中回転撃ち》@南から来た用心棒

ジュリアーノ・ジェンマの《空中回転撃ち》@南から来た用心棒

僕が中学生だった頃、マカロニウエスタンにハマっていた。といっても映画館へ脚を運んだことはなく、もっぱらテレビ放送で観ていただけだったのだが……。
それまでの僕が描いていたヒーロー像といえば《颯爽とした正義のヒーロー》だったが、正義のためではなく、金のために闘い、ときに悪党達にボロボロにされながらも立ち上がる《不屈のチョイ悪ヒーロー》が新鮮でカッコ良く映った。高校時代の文化祭では仲間内で作った8mmフィルム映画を上映したことがあったが、マカロニウエスタンに影響を受けた要素がいくつか入っていた。
好きな作品はWOWOWなどで放送されたものをDVDに録画していたが、これらはほとんどが日本語字幕スーパー版。初めて見た時の日本語吹替版──クリント・イーストウッドは山田康雄の声で、ジュリアーノ・ジェンマは野沢那智の声で、また観てみたいという思いはずっとあった。
そして今年4月、書店で『マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクション』なるものが創刊されていることを知った。なんと、このシリーズでは山田康雄や野沢那智の声での日本語吹替音声が含まれている。日本語吹替版で観たいと思っていた作品はいくつかあるので、その号は入手しなければと思っている。
先日発売になったシリーズの最新号(第4巻)収録の『南から来た用心棒』も、その1つだった(第4巻には『豹/ジャガー』と2作品が収録されている)。


マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクション

僕がマカロニウエスタンにハマるきっかけとなったのが、この『南から来た用心棒』だった。ジュリアーノ・ジェンマの、ガンアクションはもちろんのこと、アクション・シーン全体を通しての身のこなしのカッコよさにシビレた。
初めてこの作品を観たとき、物語とは別に印象に残ったシーンがある。木の枝に腰掛けたジェンマが、そのまま後方に1回転し着地するとこころだ↓。


この技は僕が小学5年生のときに高鉄棒で修得した得意技の1つだった。おなじみの持ち技を映画の中で主人公が披露したので「えっ!?」と思った。テレビを見ていたら画面にいきなり身近な人の顔が映ってビックリ──といった感じ。
小学生時代、僕の学校では一部の生徒の間でちょっとした鉄棒ブームがあったのだが、誰かがこの技(ジェンマの後方回転降り)を行い「スゴイ!」と注目を集めた。何人かがマネして練習を始めたが、何の支えもなく後方に回転するのはコワイ。技を修得したのは4~5人くらいだったのではないかと思う。当時はこの技の名前も聞いたことがなかったし、どこからこんな技が伝わったのかも知らなかった。それが中学生になって『南から来た用心棒』のテレビ放送を観て、「ああ、これが元だったのか」と合点がいった。それ以降、この技のことを個人的には「ジェンマ降り」と勝手に呼んでいたが、『マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクション(4)』の冊子によると、当時の『南から来た用心棒』のパンフレットに《空中回転撃ち》と名付けられ紹介されていたらしい。小学5年生のときに行っていた技の公式名(?)を半世紀近くたってようやく知ったわけである。

ところでこの技は、25年程前に(実現しなかったが)インディーズヒーロー・ムービー=ミラクル☆スター本編で使うことを考えていた。逃げる戦闘員をミラクル☆スターが追撃するシーンで、高所から飛び降りる戦闘員を宙返りで飛び越し、その行く手に着地するという場面の、宙返り後半から着地までのカット。


このシーン↑の後に、こう↓つなげる予定だった。


※【幻のインディーズヒーロー・アクション】より

ミラクル☆スター本編は、撮影中のケガが原因で頓挫し、急きょミラクル☆キッドに企画変更することとなり、《空中回転撃ち》のシーンは撮影が行われなかった。
久しぶりに『南から来た用心棒』を鑑賞し懐かしい技を見て、これに関して思い出したことを記しておくしだい。
ちなみに、僕が宙返りを行ったのは1993年のGWが最後だったはずた。当時協力参加していたインディーズヒーローもののロケの合間に久々に技のチェックをした映像↓。


ミラクル☆スター~実写版~※ひとりで撮ったスーパーヒーロー・アクション(試作版)
ミラクル☆キッド~実写版~※小学2年のスーパーヒーロー誕生
ミラクル☆シリーズさくっと制作経緯

『タイム・マシン 特別版』感想


 
現行の放送を受信できるテレビを僕は持っていない。テレビ放送が地デジ化へ移行し、アナログ放送が終了したのを機にテレビから離脱している。
あれからどのくらいの時間が経過したのであろうか……。最近のテレビ番組は見ていないのでさっぱりわからない。年末に発表される流行語大賞など、「何それ?」状態で、なんだか浦島太郎にでもなったみたいな気がしないでもない。

今更テレビ復帰したいとは思わないが……昔、テレビで観た映画などで、また観てみたいと思うものはある。その1つが1960年に製作されたアメリカ映画の『The Time Machine』──H・G・ウェルズの古典SF小説を映画化した作品で邦題は『タイム・マシン 80万年後の世界へ』だった。
子どもの頃にテレビで放送された本作を見て、熱中した記憶がある。後に何度か観ているのだが、久しぶりに『タイム・マシン 80万年後の世界へ』を観てみたくなった。検索してみると『タイム・マシン 特別版』というDVD商品が安価で出ていた。ちなみに2002年に『タイムマシン』というタイトルでリメイク映画が製作されているが、こちらはひどい出来だったので、『タイム・マシン 特別版』が1960年版の方であることを確認して購入した。この商品には『タイム・マシン 80万年後の世界へ』本編102分に加え、映像特典で、メイキング・ドキュメンタリーが48分、オリジナル劇場予告編の映像が2分半程収められていた。

『タイム・マシン 80万年後の世界へ』のストーリーをかいつまんで説明すると──、
冒頭、発明家ジョージの招待を受けた友人たちが彼の家に集まる。ところがホストのジョージがいない。客人達は怪訝がりながらも、数日間行方知れずというジョージ抜きで夕食会を始めようとしていた。そこへ突然ボロボロになったジョージが現れる──このただならない導入部でグッと心をつかまれる。
彼はどこから帰還したのか!? 彼の身にいったい何があったのか!?

「タイムマシン」というアイディアもさることながら、この謎めいたドラマチックな導入が良い。ただ単に「タイムマシンを発明して時間旅行に旅立った」という展開では、この面白さはでなかったろう。
疲れ果てたジョージは友人らに、時間軸を自由に移動できる装置──タイムマシンを発明し、時間の旅をしてきたことを話し始め、彼の回想でドラマが展開する。

タイムマシンの試運転で初めてジョージが降り立ったのは17年後の世界だった。そこで彼は成長した友人デビッドの息子に会い、デビッドが戦死したことを聞かされる。その後も人類の戦争の歴史は後を絶たず、ついに核戦争が勃発。それが引き金となり天変地異が起こりタイムマシンは長い間溶岩に閉じ込められてしまう……そして次にジョージがたどり着いた先は80万年後の世界だった。
そこは自然に囲まれた楽園のような世界で、イーロイと呼ばれる未来人がおおらかに暮らしていた。戦争から解放されたユートピアのようにも思われたが……彼らは無関心・無意欲で文明は崩壊していた。人類は長い戦争の末、地下に潜ったモーロックと地上に残ったイーロイの2つの種族に分かれ、イーロイはモーロックの家畜として養われ、食われていたのだ。
溺れかけところをジョージに救われたことからジョージに関心を示すようになったイーロイの娘ウィーナもモーロックに捕われてしまい、ジョージは彼女や捕われたイーロイたちを救出するためにモーロックの巣窟に乗り込む。
モーロックとの壮絶な闘いの後、ウィーナとも生き別れとなりながら、ジョージはタイムマシンで現在の世界に帰還することができた……。

ボロボロになって帰還したジョージから突飛な体験談を聞かされた友人達は、にわかには信じられないといった反応を示す。ジョージはウィーナからもらってポケットに入れておいた花をとりだす──それが未来から持ちかえった唯一の証拠だった。
友人達が帰った後、ジョージは未来再建のため、ウィーナのいる世界へ再び旅立ってしまう。

この作品を初めて見たのは小学生の頃──スリリングな展開に引き込まれ、若き発明家ジョージの活躍を息をのんで見守った。

人類の未来は輝かしいものだ──科学が発達して高度な文明を築いているだろうと漠然と思い描いていたが、『タイム・マシン 80万年後の世界へ』では文明は崩壊し、人類は人食い人種に成り下がっていた──この展開は意外でショッキングだった。「タイムマシン」「未来世界の意外性」というアイディアがこの物語の核になっているが、映画(映像)の魅力として、タイムマシンのデザイン・造型の秀逸さや、「止まったまま、時間の中を移動する」という概念を視覚的に分かりやすく表現した特殊効果の素晴らしさがあったように思う。今でこそタイムマシンはよく使われるSFツールだが、当時はまだ未知の概念だったろう。誰も見たことが無いものを想像力の力で具現化してみせたスタッフの功績は称賛に値する。この作品はアカデミー特殊効果賞を受賞している。

DVD『タイム・マシン 特別版』で久しぶりに『タイム・マシン 80万年後の世界へ』(1960年製作)を堪能することができた。ところで、この商品には映像特典として『Time Machine:The Journy Back』という48分ほどのドキュメンタリーが収録されている。『タイム・マシン 80万年後の世界へ』で若き発明家を演じていたロッド・テイラーが案内役をつとめ、映画製作の裏話などを紹介したものだ。最後には『タイム・マシン 80万年後の世界へ』後日談のショートドラマも含まれている。この『Time Machine:The Journy Back』が製作されたのはなんと1993年──本編『タイム・マシン 80万年後の世界へ』から33年も経ってのことである。本編を観たあと続けて『Time Machine:The Journy Back』を視聴したのだが……「33年後のロッド・テイラー」を見て「時間(の経過)」というものを改めて実感した。
「本編の《80万年後の世界》」はフィクションだが、「ロッド・テイラーの《33年後の姿》」はリアルだ。映画の中では時間を支配する若き発明家だったロッド・テイラーも時間(老化)の支配を免れることはできず……玉手箱をあけてしまった浦島太郎状態!? そしてドキュメンタリーでは、老けたとはいえ元気だったロッド・テイラーも昨年(2015年1月7日)84歳で亡くなっている。
『タイム・マシン 特別版』で、本編と映像特典を続けて見たことで、はからずしも(?)あらためて「時間」について色々感じたのであった……。

●久しぶりに『ジュラシック・パーク』を観て

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●映画『ゼブラーマン』感想
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●映画『七人の侍』の巧みさ
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●映画『生きる』について
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●橋本忍氏の脚本観
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●『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』感想
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■エッセイ・雑記 ~メニュー~
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『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』感想


『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』
Third Edition(1993共同テレビ/フジテレビジョン)

脚本・監督:岩井俊二
CAST:山崎裕太・奥菜 恵・反田孝幸 他

岩井俊二作品で『Love Letter』と並んで好印象の作品。『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』はもともとTVドラマ・シリーズの1本として製作されたものだそうだが(1993年8月26日放送)、高く評価され、テレビドラマとしては異例の日本映画監督協会新人賞を受賞している。その後、劇場用に再編集されたものが公開され、さらに未公開シーンを加えたバージョンが作られたというから、それがこの「Third Edition」(本編50分)なのだろう。
当時WOWOWで放送されたものを観て「こんな瑞々しい作品を撮る監督がいるのか」と感心した。この作品は8mmビデオに録画し、何度も観ていた。
しかし【うつろう記憶媒体~失われし記憶ハ痛イ~】で記したように、今では再生できるビデオデッキがなく鑑賞できない状態が続いていた……ということで、DVDを購入。何度も観て内容は頭に入っているのに、やはり魅入ってしまった。
久しぶりに鑑賞してみて、その感想を記してみることにする(ネタバレ有り)。

少年期の雑然とした日常の中を吹き抜けた一筋の風のきらめき──それを瑞々しく描いた作品という印象がある。
この作品の魅力を文章で説明するのは難しい。映像&音楽の表現・演出によるセンスの良さによるところが大きいからだ。
僕が思うに……岩井俊二監督にとってストーリー(あらすじ)は、描きたいものを盛りつける器のようなもので、ストーリーをいくら詳細に説明したところで、この作品の本質(魅力)は伝わらないだろう。
そのことをふまえて上で、いちおう作品の概要を記してみる。

ストーリーの1つの主軸は「打ち上げ花火を横から見るために灯台を目指す少年たち」の話。夏休み中の登校日──花火大会がある日に小学校に登校した少年グループの間で「打ち上げ花火を横から見ると、平たいか・丸いか」を巡って意見が対立。夏休みの宿題を賭けて真相を確かめるために花火を横から見ることができる灯台へ出かけようということになる。

物語を構成するもう1つの軸が、少年達の中で付き合いの深い典道(山崎裕太)と祐介(反田孝幸)──それぞれが想いを寄せていたクラスメイトなずな(奥菜恵)とのドラマだ。なずなは両親の離婚にともない夏休みの間に転校することになり、彼女はこれに反発して「かけおち」を企てる──独りで「家出」をするのは心もとなかったのだろう、そのあたりが子どもらしい。プール掃除当番になったなずなは、典道・祐介のクロール対決で勝った方を「かけおち」相手に選ぼうと思い立つ。

結果は──本命だった典道がターンで失敗し祐介が勝つ。なずなは計画通り祐介を花火大会に誘う。ませた祐介は以前から典道に「なずなに告白したい」と話していたのだが、逆に告白されると戸惑ってしまう。怖気づいた祐介はなずなとの約束をすっぽかして少年仲間たちと「打ち上げ花火を横から見るために灯台を目指す」ことにする。そのため、なずなの「かけおち」計画は失敗に終わり、少年達の目の前で、彼女は泣きながら母親に強引に連れ去られる。

なずなの「かけおち」計画を知った典道はクロール対決で負けた事を悔やみ、「もし、あの時、俺が勝っていたら」と強く思う──そこでストーリーが巻き戻り、物語は「典道が勝った話」にシフトする。
なずなに誘われた典道は、それが「かけおち」と知らずになずなに連れ出される。だが大きなカバンを持参し、あてのない旅を示唆するなずなに典道も不信を抱く。「家出してきたのか?」と問い詰める典道になずなは「家出じゃないわよ! 駆け落ち」。そこで自分が駆け落ち相手に選ばれたことを初めて知らされた典道は「ふたりで……死ぬの?」──「それは心中でしょ」というなずなの受け答えにウケ、切なさとユーモアの絶妙さに感心してしまった。
この作品で心に響くのはセンチメンタルな部分だが、随所にこうしたユーモアが配されていて相乗効果をあげている。

バスで駅まで乗りつけると、電車が来るまでの間になずなは「歳をごまかして働き、典道を養う」と服を着替え化粧をして変身。しかしいざ電車が来ると怖じ気づいて、結局バスで引き返す。なずなの気まぐれで始まった「かけおち」は、なずなの気まぐれで破棄された。2人は夜の学校に忍び込み、プールに入って遊ぶ。このシーンで使われた『Forever Friends』という曲がとても効果的で印象に残る。
「祐介の勝ち話」の最後では「泣きながら母親に強引に連れ去られる」なずなだったが、「典道の勝ち話」では最後に満面の笑みを浮かべる。ただ、典道はなずなが夏休みの間に転校してしまう事を知らない。そんな典道になずなは「つぎ会えるのは2学期だね。楽しみだね」と言って背を向ける──なずなの最後のシーンが心に残る。
当然なずなは、もう典道と会えないだろうことを知った上で言っている。このセリフに岩井俊二氏の感性を感じ感心した。
なずなは、もう会えないと知っていながらどうして、また会える2学期が楽しみだと言ったのだろう──観ていた人は皆そう考えるだろう。
「転校」という現実を受け入れたくない思いがそう言わせたのか。それとも、典道とすごした最後の楽しい時間(気分)・きらめいた時を壊したくなくて、あえて本当の事を隠しウソを言ったのか。あるいは、なずな本人もよくわからずに口をついてでた言葉だったのか──。
シナリオを書く側から考えれば、「もう会えない」ことを、どこでどう告げるか、あるいは告げずに別れるか──そうした選択で最後のセリフを考えがちだと思うが、ここで、あえてこのセリフを持ってきたのはサスガだと感じた。「たしかに、この子(なずな)なら言いそうだ」と納得できる。このセリフによって(視聴者になずなの真意を想像させることで)このシーンは余韻をより深めた。

なずなと別れた典道は花火が終わった会場にでかけ、そこで予定外に打ち上げられる花火で「打ち上げ花火を横から見ると平たいか丸いか」を下から見ることで確かめることになる──その同じ花火を灯台にたどり着いた(その時にはすでに花火が終了していてガッカリしていた)少年グループ達は横から見る──という結末。

列挙はしないが『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は短い作品(Third Editionで50分)ながら、印象に残るシーンが実に多い。
子ども時代の未分化で混沌とした感情──繊細さと大胆さが入り交じったつかみどころのない感覚をうまく捉え表現した作品だと思う。

ふと思い浮かんだのが洋画の『スタンド・バイ・ミー』(1986年アメリカ)。「打ち上げ花火を横から見るために灯台を目指す少年たち」の話が、ちょっと『スタンド・バイ・ミー』の「死体探しに出かける少年たち」に重なった。冒険の規模こそ違うが、『スタンド・バイ・ミー』も少年達のデリケートな心情を描いた作品で、ちょっと共通するところがあるように感じた。

また、子どもなのに「駆け落ち」を企てるあたりは、長崎源之助の児童文学『東京からきた女の子』(1972年/偕成社)を連想した。ストーリーや味わいは全く別物だが、『東京からきた女の子』では、地方の小学校に通う少年(マサル)が、東京から転校してきた女の子(ユカ)にほんろうされ「新婚旅行」につき合わされることになる。ほんの思いつき・成り行きでの遊びだったのだが……マサルとユカは家から140kmも離れた所で迷子になり、大騒動になってしまう。その騒動の中でユカは初めてマサルに内面を吐露するが、騒動後、急に転校していってしまう。

少年期の当事者にしかわからない──彼ら自身にもそれが何だったのかよくわからない──しかし心に残る出来事。そんなことは誰もが体験し、記憶の奥に埋もれているのではないか? 『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は、視聴者のそんな普段忘れていた少年期の感情を呼び起こし、共感・郷愁をさそう作品ではないかという気がする。

●久しぶりに『ジュラシック・パーク』を観て

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●映画『ゼブラーマン』感想
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●映画『七人の侍』の巧みさ
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●映画『生きる』について
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●橋本忍氏の脚本観
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