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テレビが終わる日


アナログ放送が終了する7月24日は【テレビが終わる日】──僕はそう思ってきた。
僕はテレビで育った世代である。ずいぶん長い間テレビを見てきた。おもしろい番組もたくさんあったし、ためになったり感動した番組もある。投稿ビデオ番組で飼っていたカメレオンの映像が紹介されたこともあったし、僕自身が自作ヒーロービデオ(※1)でテレビ番組に出演したこともあった。思い出深いテレビ番組も決して少なくはないのだが、今のテレビとの決別に特に感慨のようなものはない。

というのも昨今のテレビ番組の制作姿勢には失望や憤りを感じることが多く、テレビ番組を見る事自体にフラストレーションを感じるようになっていたからだ。
そして実際に最近ではテレビを見る機会はめっきり減って、テレビに対する気持ちは冷めきっていたといってよい。
これは決して僕だけが感じてきたことでは無いだろう。僕の周囲にもテレビを見ない人、テレビ自体を持たない人がいる。


●テレビは愛好的支持層を裏切り続けてきた
昨今のTV番組制作の姿勢には疑問を感じる。目先の視聴率を稼ごうとしてのことだろう──本来のファン層の期待に応える質の高い番組作りをしようという意気込みは感じられず、家事等しながら(?)無目的・惰性的にテレビをつけてチラ見いる人達の気を引くような画面作りに走っているような印象が強い。そのジャンルにふさわしいとは思えない人気タレントの起用、バラエティ化、本筋と離れた部分での過剰な演出──それらは、本当にそのジャンルが好きで一生懸命観ていた人達を大いに失望させてきた(※2)。
短期的にはそれで「本来のファン層以外の人達」の視聴率を取り込んだ分、数字は高めることができるかもしれないが、長期的には「本来のファン層」から見限られ、テレビ離れに拍車をかける事にしかならないだろう。それはおそらく制作側にもわかっているハズだが、各局がこうした短期的な視聴率競争から離脱できずに悪循環を続けてきた感じが否めない。

テレビ番組制作側は、本来一番大事にすべき愛好的支持層に背を向け、目先の視聴率稼ぎに躍起になって「粗悪な番組」を作り放送し続けてきた──少なくとも僕にはそう映る。
僕も以前は好きなジャンル・テーマを扱った番組は見ながら録画していたが、昨今は「好きなジャンルの番組をフラストレーションを感じながら見る」ことが、さすが辛くなってきた。そして最近では録画はおろか見る事もしなくなってきていた。

そこへきて、地デジ化への乗り換えが迫られる事態となったわけである。
すんなりと移行する気には、とてもなれない。


●アナログ放送終了後、地デジ放送を受け入れるかどうかは各々の自由意志
「地デジ化」については電波域の整理のため、必要なのかもしれない──それはわからないではない。しかし、これは視聴者の都合ではなく、国や放送局側の一方的な決定である。これによって視聴者は、それまで使っていたテレビや録画機が利用し続けられなくなってしまった。

アナログ放送終了後もテレビを見続けようとすれば、地デジ対応の機器を新たに購入しなくてはならない。
果たして新たな投資をしてまでテレビ番組を見続ける価値はあるのだろうか?──立ち止まってそう考えるのは当然の事である。むしろそう考える方が健全だろう。
アナログ放送視聴層が全てそのまま地デジ視聴層に移行するかのような幻想の上に立った地デジ化計画は傲慢で身勝手と言わざるを得ない。

テレビを視聴し続けるかどうか、地デジに完全移行するまでようすをみながら判断しようと考えた人もいただろうし、アナログ放送終了の後に地デジ導入の採否を決めようと思っていた人もいただろう。
地デジ化が国や放送局にとって必要な措置であったとしても、新方式のテレビ等を購入してまで見続けるかどうかは各々の判断である。

アナログ放送終了を機にテレビとの決別を決断する人だって当然いていいわけだし、こうした人達の意志も尊重されるべきである。
放送局側は、こうしたアナログ放送限定でテレビを視聴している人達に対しても誠意をもって最後の1秒まで、これまで通りベストの放送を心がける──それが最低の責務というものだろう。アナログ放送終了は視聴者の都合を無視して国や放送側の一方的な決定で行われるのだから。

ところが実際はというと……アナログ放送視聴層に対するテレビ局の対応はひどいものだった。地デジ化をうながすスーパーを常時表示させ、画面を見づらくする事で地デジ化へ追い立てよういう露骨な嫌がらせを展開してきた(※3)。まるで立ち退きを迫る地上げ屋のようだ。

地デジ化にする気がない視聴者にとってこの嫌がらせ表示はうっとうしいことこの上ない。
アナログ放送視聴層は受信料を払っていても、テレビ業界にとってもはや「客」ではないということなのか。
こんな扱いを受けて、テレビが好きでいられるだろうか?

地デジ化を迫る、不当で高圧的・傲慢な手法はテレビに対する嫌悪をさらに強め、決定的にした。
僕の環境ではテレビの画質が落ち、7月に入ってからはそれまで使っていたDVDレコーダーでの番組録画ができなくなっている。
実質的にはアナログ放送の終了を待たずに「テレビ」は終わっていた。
こんなテレビを、もう見たいとは思わない。


●アナログ放送終了でNHKの受信契約は一度クリア(解約)されるのが筋
視聴率稼ぎの演出が見苦しい民放に対し、NHKはドキュメンタリー番組などに良い作品があったように思う。しかし番組内容の善し悪しとは別に、理不尽な受信契約を根拠に、高圧的・暴力的な受信料の取り立てをしていることに問題を感じるようになった。こうした組織が許されてよいのだろうかという疑問である。
受信料を払わない個人に対し財産を差し押さえる強制執行に及んで「はぎ取って」いった例もある(強制執行の法的根拠となる放送法自体に問題がある)。
NHKは「やむを得ないと判断した場合は、支払督促制度と強制執行手続きを活用し、受信料の公平負担の徹底を図る」としているが、これは実質的な「脅し」だろう。

本来ならば、受信料を払わない人は閉め出し、「見られないようにする」というのが筋である。一方的に電波を送りつけ、受信できる環境にあったのだから(見る見ないにかかわらず)支払えと強要するのは悪質な「押し売り」と変わりない。財産差し押さえという暴力的な手法で回収しようというのは、まるで暴力団ではないか。

テレビ放送が始まった当初はスクランブル放送等の技術が無かったのかもしれないが、現在はその技術がある。実際にWOWOWなどではすでに使われている。地デジ化へ移行する際にはNHKもスクランブル放送を導入し「受信料を払わない人には見せない」ようにできたはずだ。「受信料」を徴収するのであれば、そうすべきだったろうと思う。
にもかかわらず、NHKはこれまでどおり「電波の押し売り」を続けるつもりなのだろうか?

しかしNHKの番組も、アナログ放送終了によって、地デジ未対応の旧受像機では視聴できなくなる。受信契約の根拠自体が失われることになるわけだから、旧(アナログ放送)受信契約は一度すべてクリア(解約)されるべきだろう(視聴者側からの解約申請ではなくアナログ放送終了を受けての自動的な契約解除)。そうでなければおかしい。
その上で、地デジ化対応機器を導入した利用者とあらたに受信契約を結ぶというのが筋である。

アナログ放送のみを受信していた(地デジ放送は受信できない)旧契約者から、地デジ化完全移行後も受信料を引き落とし続けるなどといった不正受給まがいの詐欺があっては断じてならない。
そして、旧契約者が地デジ化移行後も受信契約を更新するか否かについての確認責任は、被害を受ける視聴者側ではなく、あくまでも一方的にアナログ放送終了を決めた国やNHK側にある──というのが論理的には「正しい」あり方であろう。


※1●ミラクル☆スター~実写版~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-35.html

※2●最近のテレビ番組に思うこと
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-113.html

※3●アナログ放送の空耳?字幕
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-132.html

最後の宙返り

肉体の衰えを感じる今日この頃。
「宙返りを最後に跳んだのはいつのことだったか?」とふり返ってみると……。
それは、たまたま映像に残っていた。

ミラクル☆スター】がきっかけで知り合った某・自主制作映画グループの変身ヒーロー作品に1992年と1993年に参加。そのとき、アクションシーンやトランポリンカットの撮影(演技)を行っている。
1993年のGWロケで、撮影の合間に久々に技のチェックをしておこうと8mmビデオで録画した「崖を駆け上がっての後方宙返り」が、僕の最後の宙返りだった。

同ロケ地で行っていた撮影のワンシーン

撮影場所を確認するスタッフ&役者↓






そして、映像として残っていた最後の宙返り↓


運動のイメージは今でも頭の中に残っているが、衰えた肉体で再現しようとするのはかなり危険──そう思って、ずっと宙返りは封印している。

バケツからの生還


バケツからの生還
※外部ブログから加筆再収録

実写版で自作の変身ヒーローを撮ろうと思い立ったきっかけの一つが、東急ハンズで型取材が手に入ると知ったことである。これを使えば自分がデザインしたオリジナルのヒーロー『ミラクル☆スター』のマスクを実体化できるのではないか……そんな思いがよぎったのが発端だった。

造形に関しては全くの未経験だったが、マスクの作り方は(理屈として)はなんとなく想像できる。

頭部の型をとって石膏で再現。それに粘土を盛ってマスクの原型を作成。その型をとってFRPを塗って固めれば原型通りのマスクができる……ハズである。
そう考えて、型取材や石膏などを買って帰った。

さて、まずは頭部の型をとる作業である。本来ならモデルとなる人と作業をする人の二人が必要だ。しかし、身近に手伝ってくれる人がいなかったので、とりあえず独りで試してみることにした。

で、考えたのが、ポリバケツに型取材を入れ、呼吸用にゴムホースをくわえて頭を突っ込む。そのまま型取材が固まるのを待って頭を抜く──という方式。
深く考えずに実行に移したのだが……。
これが実際にやってみたところ……次第に固まっていく型取材の中に目をつむったまま(当然だが)顔を突っ込んでいるというのはけっこう圧迫感があってコワイのである。
そのことに気がついたのは、もちろん顔をバケツにつっこんでいる最中。
コワイと思うとだんだん息苦しさも増してくるから不思議なものである。

「ホントにこんな方式でうまくいくのかいな?」という疑問が頭をよぎると不安が堰を切ったように脳みその中になだれ込んできた。圧迫感は急加速する。
「は…早く頭を抜きたい」
そろそろ固まってきたかという頃、「もう我慢できん!」とついに頭を引き抜こうとして愕然とした。
「ぬ…抜けない!?!」
型取材が髪の毛やまつげまでもしっかり押さえていて抜けないのである!
不安は一気に臨界点を突破して恐怖に反転。
「げっ! そ…そんな」とアセり、じたばたしてると、なんとくわえていたホースだけが抜けてしまった。
呼吸用のホースはいわば命綱──もし、型取材が固まりきっていなくてホースの抜けた穴が塞がってしまったら……そのまま窒息死である。
ポリバケツに頭を突っ込んだまま死んでいる自分の姿が脳裏をよぎる!
目の前は真っ暗──って、目をつぶって型取材の中に埋まっているのだから当然だが──そんな死に方はいくらなんでも恥ずかしすぎる!
ミラクル☆スターが最初に迎えた最大のピンチ!?

かなりあわてたが、ホースの抜けた穴から空気は通っているようす。とりあえず窒息死の危機は免れているらしいと判り、ちょっぴり平常心を取り戻した。
心理状態を立て直し「なんとかバケツから頭を抜かなければ……」ともがきはじめると、スポッとバケツから抜ける感触があった。
「助かった」と思いきや……相変わらず顔は覆われたまま!?
なんのことはない、頭を埋めたプリン状態で型取材ごとバケツから抜けただけだった。
これではなんの解決にもならない。プリン頭でさらにじたばたしていると、型取材が二つに割れ、ようやく顔を出すことができた。そして固まった型取材からなんとか頭を引き抜くことに成功し、ミラクル☆スターは生還したのである。

独りでロケにのぞんだ『ミラクル☆スター』撮影中には、「ああ、もう一人自分がいたらなぁ」と思う事が何度もあった。しかしこの造型プロセスでもスタッフがもう一人ほしかった──。
もしも、もう一人いたなら、バケツに頭をつっこんだままジタバタしている自分の姿を撮影しておく事ができたではないか! そんな面白い命がけ(?)のシーンがあったのに、映像を撮り逃した事が大いに悔やまれる……。

さて、その造形の続きだが……割れた型をバケツの中に戻して合わせ石膏を流し込むと、なんとか頭部の型がとれた。これに粘土を盛ってマスクの原型をつくったのは冒頭の画像の通り。
この原型から型をとって、初めてFRPなるものを使ってマスクを制作したのだが、液状の樹脂を塗っていく段階で凝固剤を多く入れすぎ、作業中にもくもくと煙が立ち始め、なんと発火! あわてて外へ放り出した──なんて事もあった。

ミラクル☆スターは怪人と闘う以前に、窒息死のピンチや火事の危機とも闘っていたのである。


●ミラクル☆スター~実写版~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-34.html

●ミラクル☆シリーズさくっと制作経緯
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-36.html

子どもはなぜヒーローが好きか

子どもはなぜヒーローが好きか

強くてカッコ良いヒーローやヒロイン。
いつの時代も子どもたちはヒーロー・ヒロインに憧れる。
ではナゼ子どもたちはヒーローが好きなのか?
それは子どもが弱者だからだ──と僕は考えている。社会的にも肉体的にも精神的にも未熟な子どもは、潜在的にいつも様々な不安や怖れを抱えている。
不安や怖れに脅かされやすい弱い存在だからこそ、それらを払拭する強いヒーローに憧れるのだろう。

「怪人」は昔で言う「お化け」や「幽霊」のようなものに似ている。子どもの心に巣食う不安や怖れを投影する存在。
ご存知のように子どもは「お化け」「幽霊」の話が好きである。
怖がる。なのに聞きたがる。
ちょっと矛盾した反応のようにもみえるが、この心理というのはおおよそ次のようなものだろう。

子どもは、(潜在的に抱いている)不安や怖れを「お化け」や「幽霊」というイメージに託し、「お話」を介してそれらと対峙し、乗り越えるべく決着をはかろうとする──「お話」の中でお化けを退治したり・時には仲良くなったりすることで、不安を解消し安心を得ようとするわけだ。
つまり「お化け」「幽霊」のハナシは不安を乗り越える為の疑似体験・代償行為のようなものと言えるかも知れない。

「怪人」も、こうした「お化け」「幽霊」同様、子どもが抱える<不安>や<怖れ>を投影する対象なのだろう。
<不安>や<怖れ>の象徴であるところの「怪人」──これを、子どもに代わってやっつけてくれるのが「ヒーロー」である。
こうした潜在的構図を背景に「ヒーロー」が「怪人」を打ち負かすことで子ども達はカタルシスを得る。
そして、自分がヒーローになったつもりで怪人をやっつける遊びを模倣し、安心感・充足感を得ようとするのである。

ところで、「怪人」の意味するものは「<不安>や<怖れ>の象徴」だけではないだろう。
子どもは怪人を怖れる反面、未分化な自分を投影したり、社会のルールにとらわれず自由奔放にふるまう怪人に、憧れや共感のようなものを感じている部分もあるのではないかと思う。

子どもが住む世界──親や大人によって構築された社会・秩序は子ども達を守り育むものだが、その反面、子どもたちを抑え縛るものでもある。
その中に身をおいていれば安心だと判っていても、ときには規制・管理されることが窮屈になり、自分を縛るものから開放され、勝手気ままに振る舞ってみたくなる──そんな潜在的な願望もあるはずである。

子ども達の力では太刀打ちできない、彼らを縛る社会の秩序──それらを打ち砕く「怪人」の奔放さには、ある種のカタルシスがあるに違いない。「怪人」は安全を脅かす危険な存在・不安の象徴であると同時に、子どもを拘束する秩序を破壊し解放をもたらすあこがれ的存在でもあるともいえる。

「怪人」にもファンが多いのはこうした心理があるためだろう。

「怪人」のように、社会の窮屈なルールに縛られず自由奔放に振る舞ってみたい──そんな潜在的なあこがれを持ちつつ、「怪人」の破壊的な暴走に対しては不安や怖れを抱く──こうした二律背反的な葛藤が子どもの潜在意識の中には存在し、その《葛藤》の構図が「ヒーローと怪人の《闘い》」の中にも投影されている気がする。
だから、ヒーローの活躍に心を揺さぶられる。

「子どもはヒーロー好き」──その理由はこうしたとにあるのだろうと僕は考えている。


※HTMLモードのテストを兼ねて最収録

ミラクル☆シリーズさくっと制作経緯

大手のメジャー・ヒーローに対して地域を拠点に活動しているのがローカルヒーロー。ミラクル☆スターはさらにスケールが小さい──いってみればプライベート・ヒーローといったところか。元々はごく限られた数名の友人に見せるつもりで制作した内輪ウケ狙いのインディーズヒーロー(自主制作ヒーロー)だった。イタズラ半分に作ってみたものだが、その制作プロセスを簡単にまとめておくしだい。
 

高校時代に撮った(撮ってもらった)写真。もちろん合成ではない。当時は時々こんな写真を撮りに(演じに)行っていたのだが、8mm(フィルム)カメラを持っていた友人の提案で、こうしたシーンを含むアクション映画を撮ってみようということになった。その作品は完成こそしなかったが暫定版を文化祭で上映。『燃えよドラゴン!』と『仮面ライダー』を合わせたような内容だった。これが実写版ミラクル☆シリーズの原点(?)だったのかもしれない。
 

いくつかの同人誌(ヒーローものとは無関係の文芸系)を経て、ワープロで簡単な個人誌《チャンネルF》を作る。この9号で初めて【ミラクル☆スター】が登場。同号にはゲスト作品として某氏の内輪ウケ・パロディ・ヒーロー小説【スーパースター】シリーズを掲載。これに対抗する作品として小説版『ミラクル☆スター 激闘篇』を書き下ろしたわけである。10号では小説版『ミラクル☆スター~復活篇~』を収録。
 
プライベード・レベルの小説版ヒーロー・バトルが展開する中、この架空のヒーローを実体化してみようと思い立ちFRPでマスク作りを開始。
色々アクシデントもあったが、下手なりになんとか仕上げる。

バケツからの生還
 
マスクができるとこれを使って実写ビデオが撮れないかと考え始める。コマ単位で編集できるフィルムと違ってダビング編集のビデオではカットの位置を正確に決めるのが難しい。果たして思い通りの映像が作れるものかどうか……やってみないとわからない──ということでボディーを作って試作撮影に着手。
FRPマスクは視界を広くとったデザインだったのだが、すぐに息で曇って視界不良に陥る事が判明。それでもなんとか撮った映像を試験的に編集していたちょうどその時──【三宅裕司のえびぞり巨匠天国】の第1回目放送を偶然目にする。番組で映像作品を募集していると知り、さっそく編集したビデオを応募。するとあっさり採用が決まってテレビ出演ということに。


ミラクル☆スター~実写版~
 
実は【えび天】出演時には肩にワイヤーが入っていた。ミラクル☆スターの続編(本編?)に向けてミニトランポリンの練習をしていたところ、踏み切りに失敗して肩から落下──鎖骨を骨折し手術を受けていたのだ。この時はまだマットが無かった。
療養中【えび天】再登場をもくろんで続編を練る。高校時代に8mmアクション映画を撮った仲間の協力を得てミラクル☆スター2を撮る事に。鎖骨骨折の苦い経験からウレタンマットを用意してのロケだったのだが……撮影開始して間もなく首を折り損なう事故が待っていた。

塀を跳び越え前方2回宙返りで降り立つシーンで、ウレタンマット(簡易合成で隠してある)に首から突っ込み、首・胸・背中に激痛が走る。歩くだけで患部に響いて痛い症状だったが、この日予定していたもう1つのアクションシーンを撮る。

結局、このカットを撮影してロケは中断。

事故の原因だが、FRPマスクの視界不良が大きな要因。このため、もっとよく見える改良型マスクを考案&作成。

新型マスクの作り方は→●自作ヒーロー:型紙マスクの作り方
この型紙マスクの応用でミラクル☆キッドのマスクを作成。急きょ特別番外編を制作することとなる。


ミラクル☆キッド~実写版~
 
【えび天】狙いの『ミラクル☆キッド』だったが、番組は終了してしまい再登場は叶わなかった。
 
実写版ビデオを撮った後に作った個人誌《チャンネルF》──「ミラクル☆スター秘密大百科」と「ミラクル☆シリーズ秘密大百科」の表紙。

「秘密大百科」は個人誌《チャンネルF》の11号・12号に相当。その後「ミラクル☆スター」「ミラクル☆キッド」は季刊『宇宙船』(Vol.63/1993年冬)の自主製作映画投稿欄で紹介してもらうことができた。


ミラクル☆シリーズ実写版は【えび天】終了で頓挫した形になったが、ミラクル☆スターをきっかけに知り合ったアマチュア映像サークルの特撮ヒーローもの『超兵機エクシーザー』シリーズにチラッと参加。

しかし残念ながら、この作品は完成を見なかったようである……。
最後の宙返り
 
今にして思えば、体が動くうちにもう少し撮っておけば良かったという気がするが、その一方、体が完全に錆び付く前にこれだけでも撮っておくことができたのは良かったのかも知れないという思いもある。
「もっとこうしていれば……」と思うところは多々あるが、いずれにしても懐かしい作品である。

ミラクル☆スター~実写版~※ひとりで撮ったスーパーヒーロー・アクション
ミラクル☆キッド~実写版~※小学2年のスーパーヒーロー誕生
自作ヒーロー:型紙マスクの作り方
幻のインディーズヒーロー・アクション※『ミラクル☆スター2』絵コンテ



ヒーロー的宙返り※宙返りワザ覚書