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ユーザータグ : 座敷童子の記事 (1/2)

人数が増減する騙し絵の簡単な解説

ひとり増える(減る)騙し絵の簡単な解説
01座敷童子騙し絵新A
トリックアート座敷童子は誰だ!?より⬆

これまで何度か《ひとり増える》座敷童子的トリックアートを投稿してきた。画面の一部を入れ替えることで《描き加えていないのに1人増える》という不思議な騙し絵。逆の手順で入れ替えると《1人減る》ことになる。画面を入れ替えることでどうして人数が増減するのか──そのつど説明してきたが、読み返してみると、いささかややこしくて解りにくかったかも知れない……。
そこで《画面の一部を入れ替えることで、どうして人数が変わるのか?》ということをもっとスッキリ、直感的に納得できるようなモデルを考え《1人減るバージョン》で図解してみることにした。
まず、11体の人型を上下少しずつずらしながら左右等間隔に並べる。
02騙し絵解説11番号A
背景の色は分割パーツごとに分けたもの。このとき──、
・分割ラインより上(水色域)の人型は①〜⑩の10体。
・分割ラインより下(黄色域)の人型は❷〜⓫の10体。
画面全体としては11体描かれているが、分割ラインの上部と下部に描かれた人型はそれぞれ10体である。
画面上部の水色域と空色域を左右入れ替えると、画面上部の①〜⑩の人型が右に1つずつズレて画面下部の❷〜⓫の人型と合体。上段の10体が下段の10体の上に重なることで、画面全体で(11体だった人型が)10体となる⬇。
03騙し絵解説11番号B
画面上部の①〜⑩が1人分右にズレたことで、左端に1人分の空きが生じ、消えた1人分のパーツは他の人型に分散して吸収されている(そのため人型は縦長になった)。この図⬆では《画面の一部を入れ替えることで、どうして人数が変わるのか?》をわかりやすく説明するために、人型を斜め1列に配置し、一番端(左)に空きを作る形をとってみたが、これをもう少し複雑な陣形──3人×5列にし、人型の配置を保ちながら右から3番目に1人分だけ空きを作る形で制作したのが冒頭のトリックアートということになる。

02騙し絵新15人色番号
トリックアート座敷童子は誰だ!?より⬆

ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子
トリックアート座敷童子は誰だ!?
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トリックアート座敷童子は誰だ!?

ひとり増える騙し絵・座敷童子は誰だ!?
座敷童子(ざしきわらし・ざしきぼっこ)といえば「子どもたちが遊んでいると、いつの間にか《ひとり増えている》」という現象が思い浮かぶ(宮沢賢治・作『ざしき童子のはなし』の中にでてくるエピソード)。《新たに加わった子はいないのに人数だけが増えている》というふしぎな現象を視覚的に表現したのが《描き加えていないのに人数だけが増える》というトリックアートである⬇。
01座敷童子騙し絵新A
今回のトリックアートは、以前投稿した【1人増える不思議な絵!?座敷童子の紙芝居】と同じタイプのものだが、ちょっと試してみたいことがあって、新たに作成してみたもの。

どうして増えるのか?制作過程とともに解説
座敷童子現象をビジュアルに表現したいう思いから《1人増える》騙し絵にとりくんでみたわけだが、制作手順としては逆に、15人の配置から《1人減らす》方向で調整。3人×5列で描いた画像の上下の接点をずらすことで、人型配置の1つに空きを作るという考え方だ。
02騙し絵新15人色番号
15人の配置で画面の上下を分ける分割線にまたがっていない人型は「黒列の3」(分割線の下側のみ)と「最右列(サーモンピンク)の1」(分割線の上側のみ)の2つで、他の人型13体は分割線にまたがっている。またがっていない2つを融合させて1つにまとめれば人型は1つ減ることになる(分割線をまたぐ人型だけの14体になる)。「黒列3」と「サーモンピンク列1」を直接つなげると人型がくずれるので、それぞれ人型を保つ別の人型と融合させることで、全体として《分割線をまたぐ人型だけ》の14体を作る──という発想。
黒列で分割線をまたぐ「黒①&黒②」の上部を、最右列で分割線をまたぐ「サーモンピンク②&サーモンピンク③」の下部に融合させる。「黒①」の左隣は空いているので、入れ替え後は「最右列(サーモンピンク)1」があった位置に空きができる。もちろん「サーモンピンク1」は消えたわけではなく中央列に移動し、そこにあった人型の下部(足先)と融合。分割線の下に残った「黒3」も他の人型の上部と融合して、全体として《分割線をまたぐ人型だけの14体》になるという仕掛け。
移動しても(上部の左右を入れ替えても)描かれた人型の総面積は変わらないため、消えた1人分のパーツは他の人型に吸収され、その平均身長が伸びている。
形としては【1人増える不思議な絵!?座敷童子の紙芝居】で作ったトリックアートと同じなのだが、《人型の平均身長》の伸び(格差)を少なくするために、消えて他の人型に吸収される「最右列1」の人型を小さくしてみたしだい。

わかりやすく2列のモデルで説明
3人×5列のモデルでは分割した人型の移動&融合が複雑になるので、2列のモデルを作ってみた。
03騙し絵8人版
左の画面では上下に分ける分割線にまたがっている6人+またがっていない2人が、(上部の左右を入れ替えることで)右画面では分割線をまたぐ7人になるというもの。右の画面から左の画面へと展開すれば、7人が8人に増える。《7人だったメンバーが8人になる》という設定を選んだのは、僕がむかし書いた座敷童子の話(病院跡の座敷童子)にちなんでのこと。しかし、人数が少ないと消失させる1人分を吸収するために他の人型が不自然に伸びてしまう……。
そこで大人数に設定し、吸収する消失個体を小さくすれば《不自然な伸び》を緩和できるのではないかと考え、冒頭のトリックアートを作成してみたしだい。



病院跡の座敷童子(創作)
境内の座敷童子(頭の体操)
ひとり多い!?座敷童子2題
ひとり増える!?座敷童子的トリックアート
1人増える!?トリックアート&解説
1人増える不思議な絵!?座敷童子の紙芝居
ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子
トイレの花子さんと座敷童子〜便所のモアイ像
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トイレの花子さんと座敷童子〜便所のモアイ像

トイレの花子さんと座敷童子!?
01遠野の座敷童子表紙
先日の記事(ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子)で触れた『遠野のザシキワラシとオシラサマ』(佐々木喜善/中公文庫)に収録されている「ザシキワラシ」>「ザシキワラシの話 2」に次のような話があった。

(六)同国(陸中)釜石の小学校に、四、五年前に高等科の女教室に十歳程に思われる娘が出現した。髪を桃割に結い、新聞紙で作った手柄をかけていた。ある生徒が便所に行ったらおったと言う。当時子供等が便所に往けなかった云々。(山本鹿州氏書状、大正十一年二月頃)※P.79
※《新聞紙で作った手柄》というのがわからなかったが、調べてみると「手柄」は「手絡(てがら)」のことで、マゲに巻き付ける髪飾りのことらしい。

小学校の便所に現れる娘の座敷童子──この話を読んで、学校の怪談「トイレの花子さん」を連想した。「トイレの花子さん」は都市伝説として有名だが、もしかすると、こんな座敷童子の伝承が源流だった可能性もなきにしもあらず?
もっとも、トイレに関する怖い話・怪奇譚はもっと昔からあったろうし、トイレに「出る」という発想はどの時代にもあっただろうという気はするが。

僕が子どもの頃に行った親戚の家では、便所は母屋から離れていた(外便所)。僕は平気だったが、怖がりの子などは夜ひとりで用を足しに行くのが不安だったろう。心細さから「怪しげなモノがでるんじゃないか……」と想像が展開するのは自然なことで、トイレとお化けのたぐいが結びつくのは納得できる。
また、女子トイレは個室だから「独りっきりになる空間」における形のない不安・恐怖が「花子さん」という具体的なイメージを生み出し、多くの子が同様の不安を投影する受け皿になったのだろうという気もする。

トイレの恐怖体験…
わが家は「外便所」ではなかったが、子どもの頃は水洗式ではなく汲取式だった。僕は幼少の頃からオバケ・幽霊のたぐいを怖いと思ったことがないのでトイレに行くこと自体には全く抵抗はなかったのだが、トイレではとても恐ろしい体験をしたことがある。おまるを卒業した頃──便所で大人用(?)の便器をまたいで用を足していたときのこと、バランスを崩して便器の中に落ちかけたのだ。
いや〜、怖かったのなんの。ふだん生活をしている空間が、とつじょ裂けて、地獄のクレパスが口を広げたのだ!
僕は反射的に金隠しのふちをつかんでぶらさがった。手を離せばそのまま地獄の釜の中に落ちて行く──そんな恐怖に絶叫し、ピンチを知った家人に引き上げられ命拾いをしたのであった。
あの時ばかりは、便所の穴は「あの世」に続いているという感覚があった。
当時の便器はスリッパ型(?)の和式だった。金隠しなど、何の役にもたっていそうもない構造物だが、必死でぶら下がったあのときばかりは、僕の命綱であった。もし金隠しがなかったら、どうなっていたことか……想像するだけでおぞましい。金隠しに命を救われた子が、いったいどれだけいたただろうか? 金隠しの発案者がこの事態を想定していたかどうかサダカではないが、このデザインは称賛に値する。

トイレのモアイ像!?
ところで、僕が恐怖のどん底に突き落とされかけた汲取式時代のスリッパ型便器には、ニオイやハエなどをブロックするためのフタが使われていた。このフタが僕にはイースター島のモアイ像の顔に見えてしかたなかった。
02便所のモアイ
空目は一度そう見えると見るたびにその認識回路が強化されて行く。これまで誰にも打ち明けたことはなかったが、僕はトイレに入るたびにモアイを連想していた。当時トイレに入るたびにモアイをイメージしていた者は少なからずいたのではあるまいか? 今なら「トイレの花子さん」ならぬ「トイレのモアイくん」といったところだろうか?
うちのトイレには「花子さん」はいないが「モアイくん」がいた。「モアイくん」がいる汲取式便所には、「花子さん」ではなく「運子さん」がたくさんいらっしゃったものである。


ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子
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ちょっと怖い話!?かごめかごめ〜座敷童子

ちょっと怖い話『座敷童子と《かごめかごめ》』
最近、座敷童子(ざしきわらし・ざしきぼっこ)について調べたり考えたりしているが、その過程で「かごめかごめ」という子どもの遊びについて触れることがあり、ちょっと怖い(かもしれない?)話が思い浮かんだ。着想の経緯は後に記すことにして、とりあえず「かごめかごめ」で思い浮かんだ怖い話を──。
    *    *    *    *    *    *

座敷童子と《かごめかごめ》 by 星谷 仁

 旧家の行事で久しぶりに顔を合わせた親戚の子どもたちが奥座敷に5人集まっていた。
「かごめかごめ」をしようということになり、ジャンケンで負けた1人が鬼になって部屋のまん中にしゃがんだ。背を丸め顔を両手でおおった鬼のまわりを残った子どもたちがとり囲む。手をつないで輪になった子供たちは「かごめかごめ」を歌いながらまわり始めた。

「かごめかごめ
 籠の中の鳥は いついつ出やる
 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
 後ろの正面だあれ?」

 歌い終わると同時に、輪になっていた子どもたちはしゃがんで鬼の答を待った。鬼は見ないでうしろにいる子を当てなくてはならない。

「トモコちゃん」鬼が言った。
「はずれ」鬼の横にいたトモコが笑った。すると鬼はうつむいて顔を両手でおおったまま、また言った。「じゃあ、ヒロくん」
「はずしたのに、また答えるなんてずるいぞ」鬼の正面にいたヒロが口をとがらせる。
 しかし、鬼は同じ姿勢で続けざまに「タカシくん」「ケンちゃん」と名をあげる。本人が「違う」「はずれ」と答えると、最後に鬼は「アヤカちゃん」と答え、後ろにいたアヤカが文句を言った。「ずるいよ。5人全員の名前を言えば、当るに決まってるじゃん」
「ちょっと待って!」年長のトモコが気がついた。「5人で遊んでいたのに、囲んでいるのが5人て、どういうこと?」トモコの声は裏返った。「なら、鬼は誰なの!?」
 5人はぎょっとして顔を見合わせた。みんな最初からそこにいたメンバーだった。5人がとり囲んだ中心には……6人目の子の背中があった。

 ……こんなのが、座敷童子(ざしきぼっこ)──かもしれない?


    *    *    *    *    *    *
座敷で遊んでいた親戚どうしの子どもたち。気がつくと人数が1人多い……日常空間に忍び込んでいた異分子に気づく驚き──これはちょっとコワイかもしれない(?)。子どもたちの無邪気な遊び「かごめかごめ」も、見方によっては《異世界の存在を呼び出す儀式&呪文》のような怪しげな雰囲気がなくもない……そう感じるのは僕だけだろうか? 座敷童子が「かごめかごめ」で異世界から召喚された存在だとしたら、その儀式で鬼に当てられたアヤカには、どんな運命が待ちうけているのだろうか!?──などと想像が広がった。

遊んでいる子どもたちが1人増えるという不思議なエピソードは宮沢賢治が1926年に雑誌『月曜』2月号で発表した『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』の中にでてくる。短い作品なのでその部分を引用すると──⬇。


「大道(だいどう)めぐり、大道めぐり」
 一生けん命(めい)、こう叫(さけ)びながら、ちょうど十人の子供らが、両手をつないでまるくなり、ぐるぐるぐるぐる座敷(ざしき)のなかをまわっていました。
 どの子もみんな、そのうちのお振舞(ふるまい)によばれて来たのです。
 ぐるぐるぐるぐる、まわってあそんでおりました。
 そしたらいつか、十一人になりました。
 ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやっぱり、どう数えても十一人だけおりました。
 そのふえた一人がざしきぼっこなのだぞと、大人が出て来て言いました。
 けれどもだれがふえたのか、とにかくみんな、自分だけは、どうしてもざしきぼっこでないと、一生けん命眼(め)を張(は)って、きちんとすわっておりました。
 こんなのがざしきぼっこです。


この賢治が描いた『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』のエピソードを意識してまとめたのが『座敷童子と《かごめかごめ》』ということになる。
僕が『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』を知ったのは比較的最近のことで、初めてこのエピソードを読んだときは、最初にでてくる「大道(だいどう)めぐり、大道めぐり」というのがわからなかった。調べてみると、どうやら「かごめかごめ」のように子どもたちが手をつないで行う遊びらしい。
「かごめかごめ」なら僕も子どもの頃に遊んだことがあり知っている。懐かしい遊びだが……今ふり返って考えてみると、当時気にとめることもなく歌っていた歌詞も、なんだか不思議で謎めいたもののように思われてくる……。


「かごめかごめ」で座敷童子を召喚!?
「かごめかごめ」は鬼ごっこの目隠し鬼のひとつ──とみることもできるのだろうか。手で目を隠した鬼が自分の後ろに位置した者を当てるゲームだ。まずジャンケンで鬼を決め、しゃがんだ鬼をとり囲んで他の者が手をつないで輪になる。そして鬼を中心に回りながら、「かごめかごめ」を歌う。「後ろの正面だあれ?」という歌い終わりで輪になっていた子どもたちもしゃがみ、鬼は自分の後ろにしゃがんた子を当てる。外れた場合は鬼はそのまま継続し、当った場合は、当てられた者が鬼と交代する。
歌詞は地域によって違いがあるようだが、僕らのところでは次のようなものだった。


 かごめかごめ
 籠の中の鳥は いついつ出やる
 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
 後ろの正面だあれ?


当時は意識したこともなかったが、この歌詞にはどんな意味があったのだろう? 検索してみると、話をおもしろくするためのこじつけと思われるようなものも含め、諸説でてきて、けっきょくよくわからない。
そこで僕なりに解釈してみると──、

「かごめかごめ」は鬼を囲むところから「囲め囲め(かこめかこめ)」が訛ったものだろう。カ行は言葉の中に出てくると濁りがち。「川(かわ)」や「柿(かき)」「垣(かき)」など、言葉の頭では清音だが言葉の途中では「○○川(がわ)」や「渋柿(がき)」「石垣(がき)」と濁るし、「頃(ころ)」や「米(こめ)」も前に言葉がつくと「今頃(ごろ)」、「もち米(ごめ)」と濁音に変化する。
「籠の中の鳥は」は、(「かこめ」が訛った)「かごめ」の「かご」と「籠」をかけ、「囲まれた鬼」を「籠の中の鳥」にみたてた歌詞なのだろうと想像する。
「いついつ出やる」は「鳥(に見立てた鬼)が、いつになった籠の中から(後ろの子を言い当てて)出られるのか(鬼が交代できるのか)」と鬼をはやす言葉だろう。

この遊びでは、鬼は自分の前にいる子ではなく後ろにいる子を当てる。前にいる子を当てるのであれば、目をおおっている指の間から覗き見をするなどのズルができてしまうので、それができない背後の子を当てることになったのだろう。このため「後ろの正面だあれ?」という歌詞が生まれた。
この「後ろ」と「正面」は本来、正反対の言葉だ。この「あべこべの組み合わせ」に対応しているのが「夜明けの晩に」という「夜明け」と「晩」の正反対の言葉を組み合わせたフレーズではないかと思う。
「鶴と亀が滑った」という部分はよくわからないが、あるいは、節(メロディー)を埋めるために「あべこべ」的──ナンセンス系の「おかしな表現」として、ありがたいイメージのある鶴と亀の滑稽なシーンとして加えられたものではなかろうか……。
今考えると、そんな強引な解釈もできなくはない気がするが……「夜明けの晩」や「後ろの正面」など、シュールで不可解な歌詞も含まれているので、この遊び自体が超現実の扉を開く謎の儀式&呪文のようにも思えてきたりする。そんなイメージが「かごめかごめ」➡「座敷童子の召喚」という着想につながり、冒頭の『座敷童子と《かごめかごめ》』となったわけである。


座敷童子の《ひとり多い…》は創作なのか?
さて、宮沢賢治が描いた『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』だが、これは、岩手県遠野の民俗学研究家・佐々木喜善が蒐集した民話をまとめた小冊子『奥州のザシキワラシの話』(1920年)に対して、賢治の地方の座敷童子は──という形で書かれたものだったらしい。佐々木喜善は、柳田國男に『遠野物語』を提供した民話・伝説・習俗・口承文学の収集家で、『奥州のザシキワラシの話』も、フィクションではなく彼が地道に取材した座敷童子に関する資料集である。それでは賢治の『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』はどうだったのだろう? 《童話》として全集に収められているが、この作品で語られている4つのエピソードには、モデルとなる伝承があったのだろうか……それとも賢治の創作だったのだろうか?

こんなことが気になるのは、僕が子供の頃から抱いていた《座敷童子》のイメージが、賢治の描いたものに近く、一般の(?)民話とはズレているようだと最近になって気がついたからだ。僕が座敷童子を知ったのは、いつ・どんな経緯だったかは覚えていない。ただ、《遊んでいる子供たちがいつのまにか1人増えていて、誰が増えたのか特定できない》という不思議な現象が強く印象に残っている。おそらく宮沢賢治の童話にあるエピソードかその元となる話(があるなら)を誰かから聞いたのだろう。「メンバーは同じ顔ぶれのままで、どうして人数だけが増えるのだろう?」「数が増えているのに誰が加わったかわからないなどということがあるのだろうか?」と幼い頭で考えた記憶がある。だから、僕にとって座敷童子の一番の特徴は《1人増えるが特定できないという不思議な現象》だった。筒井康隆の作品にもこの現象を扱った『座敷ぼっこ』というSF短編があるし、座敷童子についての似たような認識は何度か聞いてきた……だからこの不思議な現象こそが座敷童子の最大の特徴だと長い間思い込んでいた。
ところがあるとき、民話集のたぐいの本で座敷童子について調べてみたところ、期待していたこの特徴がなかなか見つからず、キツネにつままれたような気がした。そして最近になって宮沢賢治の『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』を読んで、《1人増えるが特定できないという不思議な現象》というのは賢治の創作だったのではないか……と考えるようになっていた。

実際に残っている伝承の中に《1人増えるが特定できないという不思議な現象》にあたる話は存在しているのだろうか……それとも、僕が思い込んでいた座敷童子の特徴は都市伝説のようなものだったのだろうか?
そんなことを考えるようになって、賢治が『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』を書くきっかけとなった『奥州のザシキワラシの話』を読んでみたくなった。調べてみると『奥州のザシキワラシの話』は『遠野のザシキワラシとオシラサマ』という本に収録されているらしい。検索してみると隣の市の図書館にこの文庫版があることがわかり、さっそく借りてきた。
01遠野の座敷童子表紙
『遠野のザシキワラシとオシラサマ』(佐々木喜善/中央公論新社/2007年)⬆に収録されていた『奥州のザシキワラシの話』の中に、喜善自身が聞いた話として、こんな事例が記されていた⬇。


(二三)土淵村字本宿にある村の尋常高等小学校に、一時ザシキワラシが出るという評判があった。諸方からわざわざ見に来たものである。児童が運動場で遊んでおると、見知らぬ一人の子供が交って遊んでいたり、また体操の時など、どうしても一つ余計な番号の声がしたという。それを見た者は、常に尋常一年の小さい子供等の組で、それらがそこにおるここにおるなどといっても、他には見えなかったのである。遠野町の小学校からも見に来たが、見た者はやっぱり一年生の子供等ばかりだったそうである。毎日のように出たということである。明治四十五年頃の話である。同校教員高室という人にこのごろただすと、知らぬと言ったがどうした事であろうか。この人はその当時から本校におった人であるのに。(P.20)

体育の時間に整列した生徒が人数確認の「番号」を言っていくのは僕らも経験がある。そのときに実際にいるはずの人数より1つ余計に声がしたという話は興味深い。いつのまにか子供の数がひとり増えているという座敷童子の《プラス1》伝説(?)のわかりやすい一例かもしれない。

《顔ぶれは同じなのに1人増える》という現象は成立し得るのか?
佐々木喜善・著『奥州のザシキワラシの話』の中に、《体操の時など、どうしても一つ余計な番号の声がした》《それを見た者は、常に尋常一年の小さい子供等の組で、それらがそこにおるここにおるなどといっても、他には見えなかったのである》といった不思議な現象を示す話があったのは興味深いが、僕が認識していた座敷童子の特徴や宮沢賢治が描いた座敷童子のエピソードとは微妙にして大きく異なる点がある。《座敷童子が1年生の子には見えた》ということだ。大人にとっては「声はするけど姿は見えない」だけで、その存在が見える1年生には「増えた子を認識できた」ということになる。これでは顔ぶれと人数の不一致(矛盾)は起こらない。見えない大人が数えれば子どもたちは本来の人数であり、座敷童子が見えている1年生が数えれば、座敷童子を含めた数になるので、それぞれカウントに矛盾(不一致)は起こらない。
大人には見えないというのは不思議な話ではあるけれど、謎のインパクトからすれば《人数だけが増え、顔ぶれは変わらない(だから誰が増えたのかわからない)》という方が断然おもしろい。
顔ぶれと人数の不一致(矛盾)こそが、(僕にとっては?)座敷童子最大の謎であり魅力といえるのかもしれない。

宮沢賢治ばかりでなく、筒井康隆も『座敷ぼっこ』という作品でこの現象を扱っていることは先に記したが、実は僕もこの現象を扱った座敷童子作品を2つ発表している。
1つが1990年12月に朝日小学生新聞に掲載した『ざしきぼっこの写真』という読み切り童話だ。概要は──8人で遊んでいた子どもたちが、いつの間にか9人になっていることに気づく。顔ぶれに変わりはないのに頭数だけが増えていて、誰があとから加わった子なのかわからない──座敷童子がまぎれ込んでいるということになり、子供たちはそれが誰なのかつきとめようとする。1人がカメラを持ち出してきて、そこにいる子を1人1人撮っていく。撮り終えるとカウンターは間違いなく9枚を示していた。ざしきぼっこの撮影に成功し、これはスクープだと喜ぶが……現像に出して出来上がってきた写真は8枚──もとからいた子しか写っていなかった。《8人しかいないのに数えると9人》という現象は《8枚しか撮れてないのにカウンターは9枚》だった──ということを確認しただけに終わる。座敷童子を特定しようとするが失敗する話だった。

これに対し、《顔ぶれは同じなのに1人増える》という現象を解き明かす着想を得て描いたのが、1994年12月に朝日小学生新聞に短期連載した『病院跡のざしきぼっこ』だった(掲載時期に合わせて設定を冬に変更している)。この作品では7人だったはずの子どもたちが8人にカウントされる。《1人増えているのに顔ぶれは変わらない/増えた子が誰だか特定できない》という不可解な現象がどうして成立したのか──について、次のような解釈を考えた。
(その状況下では)数をカウントするときに頭の中から「4」という数字が抜け落ちてしまう──そのため「3」の次は(「4」を飛ばして)「5」とカウントされ、7人の子供たちが8人と認識されてしまった──というもの。
屁理屈のように思われるかもしれないが、実際にこの現象が成立することがテレビのスペシャル番組で証明されたことがあった。
病院跡のざしきぼっこ』は朝日小学生新聞で発表する前に個人誌《チャンネルF》第12号(1994年3月9日)に収録しているのだが、同号の作品覚書コラムでこのテレビ特番についても触れている。その頃、マーティン・セント・ジェームスの催眠術ショーがテレビで放送されていて、その中に催眠術をかけたゲストの頭の中からある数を消すというパフォーマンスがあった。ゲストは自分の手の指を数え、11本になってしまったことに驚きとまどう──そんなシーンがあった。これを目にしたとき、僕が考えた座敷童子現象(N個の物がN+1個にカウントされてしまう)の仕組みと同じだと思った。
ちなみに、『病院跡のざしきぼっこ』は同じアイディアで1983年11月に『分校跡の座敷童子』として書いており、1984年3月に某児童文学グループの合評会で朗読したことがあった。そのときは目玉のアイディアである《プラス1にカウントされてしまう仕組み》が聞いている人にはわかりにくかったようで、評判はあまり良くなかった。
面白いアイディアだと思っていた割に反応が悪かったことを残念に思っていたのだが、その10年ほど後にマーティンの特番で僕の考えたのと同じ現象が披露されウケているのを見て、「やっぱりネタとしては面白いんだ」という肯定感と、テレビでウケていた同じネタだったのに僕の作品では、しょっぱかったことに凹む気持ちもあって、複雑な思いでマーティンのパフォーマンスを見ていた記憶がある。


座敷童子現象のをビジュアルに表現するなら──?
子どもの頃から気になっていた座敷童子現象の謎については『病院跡のざしきぼっこ』で成立しうる合理的な解釈をみつけたことで何となく決着したような気分になっていたが、最近、この現象を別の方法で成立させる(成立したように見せる)トリックを思いついて記事にしてみたのが【境内の座敷童子(頭の体操)】だった。
他にも座敷童子現象を成立させる方法は色々ありそうだ……と考え、昔聞いたことがあるクイズ(?)に座敷童子的解釈を持ち込むことができると思い当たって記事にしたのが【ひとり多い!?座敷童子2題】。このとき、「ひとり多い…」という現象をわかりやすくイメージできるように簡単なだまし絵を描いた⬇。

02騙し絵2_1人
(※➡ひとり多い!?座敷童子2題

この騙し絵を描いたあと、座敷童子現象の不思議を文章による「説明」ではなく、ビジュアルでわかりやすく伝えることはできないかと考え、絵の一部を入れ替えることで描かれていた人の数が増えるというトリックアートを作ってみた。
03座敷童子騙し絵10_1説明
(※➡1人増える!?トリックアート&解説

04座敷童子騙し絵15分割線
(※➡1人増える不思議な絵!?座敷童子の紙芝居

こんなのが、僕のイメージする座敷童子⬆。
他にも、この座敷童子現象を成立させる(もしくは成立したように見せる)方法はあるだろう。僕の中では座敷童子ぷちブーム(?)が再燃しているようだ。

トリックアート座敷童子は誰だ!?
人数が増減する騙し絵の簡単な解説

◎怖い話系の記事
愛しいまぼろし(短篇小説)
チョウのみた夢〜善意の報酬〜(読み切り童話)
人面ガエル(童話/怖い話)
不老の理由(ショートショート)
因果応報(ショートショート)
守護霊〜霧に立つ影〜(ショートショート)
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フォト怪奇譚『樹に宿る眼』
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1人増える不思議な絵!?座敷童子の紙芝居

01騙し絵15人版A

ひとり増える!?座敷童子を描いた不思議な絵!?
《子どもたちが遊んでいると、いつのまにかひとり増えている!? 数えてみると確かに1人多いのだが、その顔ぶれに新たに加わった者はいない。いったいどの子が増えたのか、だれにもわからない……そんなときは、座敷童子(ざしきわらし・ざしきぼっこ)がまぎれているのだという》──こんな不思議な座敷童子現象を《おはなし》ではなく、ビジュアルに成立させることはできまいか……ということで、取り組んでみたトリックアート(騙し絵)シリーズ。今回はより錯覚の強いものを作ってみた。

トリックアート(だまし絵)による座敷童子の紙芝居!?
今回は趣向を変えて、1枚の絵(トリックアート)を使った紙芝居風な演出で──『ひとり増える座敷童子の絵』として子どもたちに見せる想定で説明してみたい。わかりやすいように絵の分割パーツは色分けしたものを記す(水色とグレーの部分を左右入れ替えるというもの)。
まずは、子どもたちに14人描かれた絵を示す⬇。
02騙し絵15人版B
「子どもたちが集まっています。何人いますか?」──と、見ている子どもと一緒に数えて14人であることを確認する。「このメンバーで遊んでいました」──といって、水色とグレーの部分を取り出して〈描かれた子どもたちが遊び回っている〉ような演出をしたあと、左右を入れ替えて戻す。
03騙し絵15人版C
「『あれ!? 1人多いぞ!?』だれかが、言いました」と、ここで見ている子どもたちと絵の人型をカウントし直すと……たしかに1人多い。15人に増えている。
「描かれているのは、皆さいしょから、ここ(絵の中)にいたメンバーです。なのに、いつのまにか1人増えています……」「だれが増えたのか、誰にもわかりません」と不思議さ・謎をあおって「これが座敷童子です」とまとめる。
──こんな《1枚のトリックアート(騙し絵)による紙芝居》なんていう演出もおもしろいのではないかと思ったしだい。
「そこにいるメンバーは変わらないのに、いつのまにか1人増えている/それが誰なのか特定できない」という座敷童子の不思議さは、「描かれている内容は変わらないのに1人増える/だれ(どれ)が増えたのかわからない」というトリックアートの不思議さと同じといってもいいだろう。

なぜ増えるのか!?トリックアート(騙し絵)の解説
絵の一部を入れ替える(置き換える)ことでパーツの配置は変わったが、描かれている内容自体が変わったわけではない。黒い人型の「数」は増えたが、その「総面積」は変わりようがない。人型の「数」が増えたことで、そのぶん1つあたりの「面積」は(平均すれば)小さくなっている。
基本的には以前記した【1人増える!?トリックアート&解説】と同じだが、前回は人型を1つ増やす上で不足していた〈靴〉や〈顔の下半分〉を隠すアイテムを描き込んでいた。今回は、その手法(苦肉の策?)を用いずに座敷童子現象を成立させることができた。
04騙し絵前回と比較
今回のトリックアートの解説を制作過程にそって説明してみることにする。
座敷童子アプローチで「ひとり増える」仕掛けを考えたわけだが、作り方としては、その結果をどうやって作るか──想定しうる結果から逆に「ひとり減らす」仕組みを考えた。
05騙し絵15人版制作
まず、3人ずつの5列の隊形を想定。位置をずらした時に人型が重なり合うような(そして一部ズレるような)規則的配置である。パーツの左右を入れ替えることでこの隊形の一部に「空き」を作ることを考えた。わかりやすく列ごとに色を分け、配列番号をつけて説明していくことにする。
06騙し絵15人版番号
グレー部分と水色部分を入れ替えた後の人型の配置⬇。
07騙し絵15人版改矢印
入れ替えで緑色の列の①と②を最右列(サーモンピンク列)へ移動するのだが、このとき最右列の①と②ではなく、②と③に対応(融合)させるのがミソ。緑①の左側は空いているので、移動すると最右列①があった部分が欠けた(消えた)ように見える。緑列の①と②を最右列の②と③と錯覚させることで、最右列①が消えたように思わせる──という狙いである。もちろん最右列①は中央へ移動しただけで絵の中から消えたわけではない。移動しただけなのに絵の中では1人分欠けた(減った)スペースが出現し──いわば、《逆・座敷童子現象》が生じる。

左右入れ替え後の人型は別の列(色)の人型と融合して再構築される。
さて、描かれている人型が増えたり減ったりするためには、人型のトップ(上底)とボトム(下底)が同じ数ずつ増えたり減ったりしなくてはならない。これを色分けした人型と同じ色の矢印で確認してみると──それぞれ元の数は3つだが、入れ替え後は緑色のトップ(上底)は2つだけになっており、サーモンピンクのボトム(下底)も2つになっている。カウントされなかった緑色のトップとサーモンピンクのボトムは消えたわけではなく、描かれてはいるのだが、融合した別色の人型に吸収されてしまった形だ。カウントされる人型のトップ(上底)とボトム(下底)が1つずつ減ったことで、絵の中で1人分の人型が減ったことになる。
トップ(上底)とボトム(下底)の増減が同じ人型で起こるのであれば、どれが増えたのか減ったのか判断できるが、別の人型に分散しているために、どこでカウントの差が生じたのかわかりにくくなっている。こうして《描かれているパーツは同じなのに、人型の「数」だけが変化する》という不思議な現象が成立する。
3人×5列の15人から1人分を減らす手順の逆を行うことで、14人から15人に増えたという《座敷童子現象(そこにいるメンバーは同じなのに1人増える)》を演出してみたしだい。



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