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小動物など~メニュー~

※【昆虫】や【フェレット】を除く小動物のタイトル(クリックで記事へ)をまとめてみた。
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小動物など(昆虫・フェレットを除く)メニュー

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日光浴するニホンヤモリと卵
珍事記事、ハリネズミではなくヤマアラシ
日本テレビ『ZIP!』でハリネズミ
外来種を悪とみなす見方についての違和感
逃亡ヘビ事件

トップーページにも各ジャンルの主なタイトル(記事にリンク)をまとめてある。

外来種を悪とみなす見方についての違和感


《外来種=悪》とみなす見方についての違和感

これは2年前に催された外来生物について啓蒙するイベントで使われたポスターだ。
「外来種が在来種を脅かしている」ということを端的に表現したものだろう──それは判る。しかし、これはどう見ても《外来生物=悪者》だ。外来生物問題を《外来種=悪》という敵対的な短絡構図で捉え・啓蒙しようとしているのか──このポスターを見たときは、違和感と不快感を覚え、ひどくガッカリした。外来生物の問題は、本来なら生物多様性の次元で語られるべきものだろう。それが、どうも私情次元に脱線しているように感じられてならない……。

最初に明記しておくが、僕は生物多様性の重要性は理解しているつもりだ。それぞれの地域に長年かけて構築されて来た生態系は大事にされるべきで、それがにわかに移入された生物によってかく乱されるのは憂慮すべきことだと考えている。
その一方、地域固有の生態系が構築されたのは、生き物たちがフレキシブルに環境に順応し変化してきたからだとも考えている。環境という器にあわせて水が形を変えるように、器(環境)が変われば生態系もそれにふさわしい形に更新される。かつての(《原風景》時代の)生態系もそうして構築されてきたはずだ。
環境の変化に対応する革新的柔軟性が生物多様性の原動力だと僕は考えているが、だとすれば、時代(環境)が変化しているのに一時期(《原風景》時代)の生態系の構成メンバーに固執してそれ以外は排除すべしとする保守的な保全原理主義ともいうべき考え方は生物多様性の本質とは矛盾する解釈ではないかという気もしている。

今回、現行の外来生物対策そのものについてどうこう言うつもりはない。外来生物について語られるとき、しばしば感じる《外来種=悪》という認識について違和感を覚えることが少なくないので、この問題についての捉え方について私見を記しておくことにする。

3年ほど前、アメリカザリガニを《特定外来生物》に指定すべきだという専門家の意見&動きがあることをニュースで知って驚いた(それが2年前のキャンペーン・イベントにつながったのかもしれない?)。
僕が子どもの頃には周囲にはアメリカザリガニは普通にいて、すっかり生態系に組み込まれているものだと思っていた。アメリカザリガニは子どもたちに人気があったし目にする機会も多く、自然や生き物についての興味の扉をひらくうってつけの素材だったという気がする。
それが《特定外来生物》に指定されれば、売買・譲渡は禁止され、持ちかえって飼育観察することも違法となる。かつては(俗っぽい言い方をすれば)「生命の神秘や尊さ」を知る教材の役割りを果たし、自然に親しむ橋渡しをしてきたアメリカザリガニ──それが一転して捕殺対象にされることとなる。
外来種を移入・拡散しないようにすることが大事なことはわかる。しかしすっかり帰化して久しいアメリカザリガニを今さら《特定外来生物》に指定しろという主張には違和感があった。

アメリカザリガニを《特定外来生物》に指定すべきだと訴えているのは希少なゲンゴロウやトンボを愛する保全グループのようだった。一部地域に生息する希少昆虫が減ってきたことに危機感を覚えて環境調査をしたところ、アメリカザリガニが増えていたので、「希少昆虫を減少に追いやった有力容疑者」としてアメリカザリガニが槍玉に挙がったということらしい。

仮にそれが本当であったとしても、一部地域に生息する、一般的にはあまり馴染みのない少数派の昆虫を守るために、これまで全国で親しまれ自然教材として貢献してきたアメリカザリガニを一律に排除し、子ども達から飼育観察の機会を奪ってもかなわないとする主張は、いささか身勝手な気がする。

まだアメリカザリガニが侵入していない地域があった場合、そこでの侵入を防ぐ対策が必要なケースはあるのかもしれない。しかし全国的にすでに帰化し生態系に組み込まれているアメリカザリガニを《特定外来生物》に指定しろというのはずいぶん乱暴な主張のように感じる。アメリカザリガニ殲滅を願う人たちにとっては、「自分たちにとって価値のあるゲンゴロウやトンボなどが大事」で、その脅威となりうるもの憎しという感情が働いているのではないかと勘ぐりたくもなる。

以前、保護しているトキの脅威になるという理由でテンを駆除すべきだと主張している人たちがいたが、その時も「自分にとって愛着がある種を守るため、その脅威となりうる種は殲滅してかまわない」という身勝手さを感じた。アメリカザリガニを特定外来生物にして排除しようとするの動きにも、一部のゲンゴロウ・トンボ愛好家のエゴが垣間見える気がしないでもない。
トキの場合と同様に、特定の生き物を贔屓して保護したいという身勝手な立場から、脅威の排除を正当化するために外来種問題を持ち出したのではないかという疑念も否定できない。

かつて見られた水生昆虫が減少した原因はアメリカザリガニにあるというのが排除(《特定外来生物》指定要望)の根拠のようだが、ならば、アメリカザリガニがいなければ、それら水生昆虫の生息地は保全されていたのだろうか? アメリカザリガニを排除すれば、それら水生昆虫の未来は安泰なのだろうか?

僕は専門家でも何でもないが、水生昆虫の減少の主な原因はヒト活動による環境改変や富栄養化による水質の悪化にあったのではないかと考えている。温暖化などの影響も希少生物の存否と関係があるかもしれない。そうしたことが原因で水質が悪化し、在来種の多くがすめなくなった環境でもアメリカザリガニは生き残ることができたと──いうこともあるだろう。「アメリカザリガニの影響は無い」などというつもりはないが、アメリカザリガニが生息していても里山が機能している場所では水はきれいだったし、アメリカザリガニがいたどぶ川で、(下水処理が進んだためか)きれいになったところもある。「水生昆虫を減少させた《犯人》=《アメリカザリガニ》」という単純な構図で捉えるのは正しいことなのだろうか?

冒頭ポスターのイベントにおけるパネル展示では「アメリカザリガニ侵入前のゲンゴロウがいたきれいな池」と「アメリカザリガニ侵入後のゲンゴロウが姿を消した濁った池」の写真が並べられ「あなたはどちらの池を残したいですか?」というキャプションがそえられていた。これにはあきらかに「誘導」の意図を感じる。答えは明白──「きれいな池」と「濁った池」では前者がいいに決まっている。この選択をさせることで「希少水生昆虫絶滅の原因・水質悪化の元凶はアメリカザリガニの侵入にある」かのように思わしめるミスリード(その因果関係については明言されていないが、その前提で認識させる)が仕組まれている。こうした手法はアンフェアだと思う。
因果関係について科学的な裏付けがあるなら、それを示して訴えるのがフェアというものだ。自分たちの主張に都合の良い方向へイメージをミスリードする手法を使っているのだとすれば問題だ。

こんな展示の仕方が許されるのであれば、たとえば「地味な在来植物とそこに来る地味な在来昆虫の殺風景な画像」と「見映えの良い園芸植物(or外来植物)とそこに集まる見映えのする外来蝶の美しい画像」を並べ、「あなたはどちらにしたいですか?」という問いを行い、美しい画像の票が高ければ、園芸植物(or外来植物)を植え外来種のチョウを放蝶することを良しとするのだろうか?──ということにもなる。
「バス・フィッシングができない湖」と「バス・フィッシングが楽しめる湖」とを比べ、「楽しめる湖」を支持する人が多ければブラックバスを放流して良いというものでもないたろう。

外来生物の問題は「あなたはどちらがいい?」という次元の問題ではない。長い間かかって構築された生態系の中にそこにいなかった種類が持ち込まれることの何が問題かをきちんと科学的に説明すべきで、そのさいの正しいか否かについては個人的な価値観(好嫌感情)・私情でとらえるべきではない。

なのに本質から外れた「あなたはどちらの池を残したいですか?」というイージーなイメージ誘導を使って主催者が意図した方向へミスリードする手法には大いに疑問を感じる。
これは主催側が「意図的に」イメージの不正操作(マインドコントロール)を狙っているか、あるいは主催者自身が「どちらがいいか?」という価値観(好嫌感情)・私情に基づいてこの問題を捉えているかのどちらかでしかない。前者であればアンフェアだし、後者であれば「ゲンゴロウやトンボの方がアメリカザリガニより大事」という個人的な価値観・私情に基づいて生態系に人為的に介入・改変すべきだという主張になる。いずれにしても不適切だ。

生物多様性は大事でそれぞれの地域の生態系・固有種を保全すべきだという考え方は理解できる。外来種は、安易に入れない・広げないというのが適切だとも思う。しかしながら基本的には在来種も外来種も生物としての活動に違いはない。彼らは同じように生命活動をしているわけで、どちらが善でどちらが悪ということはない。本来いるべきでない別の生態系に移入することに外来生物問題の本質がある。
ところが保全活動家の主張には《外来種=悪》という短絡的な前提概念があって「悪しき外来種を撲滅すべし」というニュアンス──「自分たちにとって価値のある希少種、あるいは馴染みのある在来種のみが大事」という個人的な価値観(好嫌感情)に根ざした主張が先行しているような印象を受けることがしばしばある。中には排外的なニュアンスで外来種を捉えている人もいるようだ。冒頭のポスターにもそんな悪意を感じた。これは歪んだ私情であって、科学的な生物多様性の本質とは別次元のものだと思う。「私たちの原風景をとりもどす」というのはエコに見せかけたエゴなのではないか──そんな疑問さえ湧いてくる。

虫屋さんを見ていると希少種・珍品に対する執着・並々ならぬこだわりを感じることがある。珍種と駄物に対するテンションの格差はすこぶる大きい。これには生物学的な価値観・多様性の重要性とはまた別の……コレクター的価値観のようなものが優位に働いているのではないかという気がしないでもない。
「希少価値のあるゲンゴロウやトンボを守るためには、その脅威となりうるアメリカザリガニは殲滅すべし」という主張も、珍品を大事にし駄物をぞんざいに扱う価値観が根底にあってのことではないのか?──そう疑いたくもなる。そうした私情(コレクター感覚)があるから「希少価値のあるゲンゴロウやトンボ」を脅かす「憎っくきアメリカザリガニ→《悪》」という構図が生まれるのではないか?
くり返しになるが、在来種も外来種も生物としての活動に違いはない。彼らは同じように生物として組み込まれたプログラムに従って生命活動をしているにすぎず、《善》も《悪》もない。もし科学的に生物多様性保全の立場からアメリカザリガニを排除することが適切だという判断に至ったのであれば、それは「やむなく」であって「外来種=悪」という捉え方にはならないはずだ。

本来の生物多様性の考え方からこの問題をとらえるなら、(人為的に持ち込まれたものについては)悪いのは本来そこにいなかったはずの(いてはいけない)生物を移入したヒトであって、それによって影響(被害)を受けることになった在来種はもちろん、本来の生息場所ではないところへ移入されたことで加害者扱いされる外来生物も《被害者》ということになる。その《被害者》である外来種を《加害者》《悪者》に仕立て、憎悪や嫌悪の対象とすることで駆除の実効性を高めようという意図があるのであれば、それは「正しい理解」ではないし、本来あるべき自然の見方でもないと思う。

ケースによっては外来種の駆除が必要なこともあるだろう。しかしそれは「やむなく」行わざるを得ないことであって、外来種が《悪》だからではない。
また、「やむなく」駆除が必要なものに外来種・在来種の区別は無い。在来種であっても害があるもの、増えすぎるなどして環境に悪影響があるものは駆除や調整が必要になる。
いずれにしても、ヒトの都合・判断で殺生せざるをえなくなった生き物に対しては(「憎いから殺す」のではなく)「申し訳ないがやむなし」という気持ちを持って駆除にあたるのが問題の本質を理解した者の反応ではないだろうか。
特に子どもに啓蒙するさいには、排外主義的なイメージを持たせてはならないと強く思う。

例えば──野良犬・野良猫は生態系を脅かし、ヒトの生活に悪影響をもたらす危険もある。やむなく殺処分される犬や猫は少なくない。しかし、殺処分に携わる職員はイヌやネコを《憎い》と思って殺しているわけでは決してないだろう。おそらく多くの職員は弔う気持ちを持っているだろうし、その心労は計り知れない。だがもし、そうした職員が《イヌ・ネコ憎し》と思って殺処分を推進していたとしたら、それを良しとできるか?──という話だ。たとえ駆除が必要な措置であったとしても、《憎くて殺す》というのは、問題の本質から外れた筋違いの逆恨みに近い気がするし、不遜だと思う。駆除が必要な特定外来生物に対しても、供養の気持ちはあってしかるべきだろう。それなのに《悪》のレッテルを貼って敵対視し、嫌悪感情をあおって排除を推進しようとする感覚には、大いに違和感があるし、身勝手な私情を感じる。

一応断っておくが、特定の生き物に対して個人的に好き嫌いの感情を抱くことが悪いと言っているわけではない。それは自然なことだし、そうした私的感情を批判するつもりはない。しかし、私情(好きな種を守りたいという思わく)を正当化するために生物多様性を持ち出したり、生物多様性の保全を解くのに私情を持ち込むのはフェアではない──筋違いだと思う。
外来生物問題を、わかりやすい《外来種=悪》の単純敵対構造に置き換えてアピールし、すでに帰化し生態系に組み込まれているものまで《排除》して人為的な生態系の再構築を計ろうというのは、独善的で不遜な気がするのだ。

この問題については色々な意見があるだろう事は予想できるが、ここで議論をするつもりはない。個人的に思うところを記すに止めておく。


■エッセイ・雑記 ~メニュー~

https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

なんちゃってフタオトカゲ!?

第2のしっぽ?なんちゃって双尾トカゲ!?


尾が二股に分かれたトカゲがいた。
猫又ならぬトカゲ又!? 双頭のヘビならぬ双尾トカゲ!?!


これは再生した尾が二股に分かれていたヒガシニホントカゲ。尾が2本あるトカゲは時々みつかるようだ。
トカゲの仲間は敵に襲われた時など自ら尾を落とすことがある(自切)。切り離された尾はピチピチと跳ね回って敵の注意を引きつけ、そのスキに本体は逃げる──捨て身ならぬ捨て尾の陽動作戦というわけだ。切れた尾は再生するが、自切が中途半端で(?)捨てたはずの尾が完全に切れていない状態で新たな尾が再生すると尾が2本のトカゲができあがる。また、自切後、再生した尾が傷つくなどすると尾が2本できることもあるそうだ。
この個体も再生した部分で尾が二股に分かれていた。一つは短めだが、背面に突き出しているのでサメの第2背ビレっぽくて、ちょっとカッコ良かった。

このなんちゃって双尾トカゲがいたのは、雑木林沿いの石垣。最近ハリサシガメを見に行く場所だ。この石垣はトカゲ密度が高い。

ただ、いつでもたくさん見られるわけではなく、いるときには石垣のあちこちで目にするのに、いないときはほとんど見かけない(炎天下で石垣が熱く焼かれているときは少ない)。
この時は曇りがちで(あまり暑くなく)石垣のあちこちでヒガシニホントカゲの姿が見られた。その中に、なんちゃって双尾トカゲを見つけたので撮ってみたしだい。
瑠璃色に輝く尾が美しいヒガシニホントカゲの幼体(*)もでていた。

また獲物を探して活発に動く個体も多く、蛾やイモムシ、ミミズなどを捕食するシーンも見られた。中にはシオヤアブを捕まえた個体もいた。

シオヤアブはスズメバチやオニヤンマも捕食するそうで「最強の暗殺昆虫」なんて呼ぶ向きもあるみたいだが……そんな相手をハンティングするヒガシニホントカゲ、あっぱれ!
ピンチの時には自ら尾を切り離して逃げる──そんな大胆な生存戦略まで取り入れて生きのびてきたヒガシニホントカゲ。つまりそれだけ狩られることが多い小動物なのだろう。しかし、そんなヒガシニホントカゲも立派なハンターであることを見せつけるシーンであった。

ニホンヤモリの瞳孔

眼を開けたまま眠る?ヤモリ

秋めいてきたこの時期、暖を求めて?日光浴に出ているニホンヤモリの姿をしばしば見かけるようになった。
林沿いの遊歩道の擬木でも、接続部の隙間に住んでいる(?)ニホンヤモリがよく姿をのぞかせていたりする。
撮影しようと、そーっと近づくも察知されて逃げられてしまう事が多い。
それもそのはず、ヤモリは眠っている時も眼を見ひらいている──というのもヤモリに可動式のまぶたはない。ニホントカゲやニホンカナヘビには可動式のまぶたがあるので、眼に表情が感じられる(人の受ける印象として)が、ヤモリの眼はヘビと同じ、透明なウロコに被われていて開閉ができない。脱皮のときには眼を覆っていたコンタクトレンズのような透明なウロコもいっしょに剥離する。
つまり構造上、ヤモリは眼を開けたり閉じたりすることができない──それで、眠っている時も眼は全開状態……というワケである。

だから、眠っていても、視界に入る者は「見えている」はずで、そっと近づいたところで逃げられてしまう──というのは、当然と言えば当然だろう。

が…しかし、ときどき近づいても気がつかないで眠っている(と思われる)ことがある。
そんなときに撮った画像がこれ。

大きな眼を見開いているのに──視界にはカメラを向ける僕の姿が当然大きく映っているはずなのに……まったく気づいていない!?
近づきながら何枚か撮っていると、急にあわてて隠れ家(擬木のすきま)に潜り込んだ。




虹彩がまぶたがわり?

僕が近づいたことにすぐに気づかなかったのは、きっと眠っていたからだろう。
ここでふと疑問が浮かんだ。
眼を見開いた状態なのに「すぐに気付かなかった」のは、なぜだろう?
網膜には僕の像が映っていたが、(眠っていたために)脳が覚醒時の情報処理(判断)できなかった──という解釈がまず思い浮かぶ。
そして想像したもう1つの解釈が──「見えていなかった(角膜に像が結ばれていなかった)のではないか?」という可能性。
一見、ヤモリの眼はいつでも全開に見えるが、明るい所では瞳孔がかなり細くなっている。

瞳孔の形と役割りだが──猫のように瞳孔が楕円の動物は夜行性動物に多い。瞳孔は角膜と水晶体の間にある薄い膜──「虹彩(こうさい)」によってコントロールされていて、これによって網膜に入る光の量が調整されている。このため瞳孔は、暗い所では光を多くとらえるために円形に近い形に広がり、明るい所では細長く狭くなって、網膜にとどく光の量をカットしている──カメラの「絞り」のような役割りをしているわけだ。

ニホンヤモリの瞳孔も、昼間は縦長になっているのだが、よく見ると猫の瞳孔のような楕円ではなく、もっと複雑な形をしている。
縦長の瞳孔スリットのフチは複数の弧からなる波形になっているが、これは楕円(単一の弧)の瞳孔だと開いてしまう中央部の隙間をさらに閉じるための重複弧構造(?)のようにも見える。
もしかすると、ニホンヤモリの虹彩は瞳孔をほとんどクローズできるシャッター構造になっているのではないか?
つまり、開閉式のまぶたを持たないヤモリは、まぶたの代わりに虹彩で光を遮断し「眼を閉じた」状態を作っているのではないか?
隠れるのが遅れたヤモリを見て……瞳孔の複雑な形から、そんな可能性を想像してみた。

ニホンヤモリの瞳孔の形がユニークだということは以前から感じていたが、きっとこれには何か意味があるに違いない。夜行性動物にありがちな楕円形の《絞り構造》に対し《まぶたがわりのシャッター構造》にもなっているのだとすれば、納得できそうな気もするが……もちろん素人の単なる思いつきに過ぎず、この解釈が当っているのかどうかはサダカではない……。

うちゅうのモグラ捕獲!?!

うちゅうのモグラ捕獲!?!

先日、天気予報↓で傘マークが無い事を確認して出かけたのに雨が降り出した。

予報では晴れマークもあったし、雨は一時的なものですぐ上がるだろう……上がらねばならぬ……と思っていたのに、やむどころか雨脚は強くなるばかり。やがて土砂降りとなり雷まで鳴りだす始末!
梅雨入り宣言したとたんに晴れが続いたり、晴れるといったのに雷雨になったり──天気予報は、はずし過ぎ! 天文では何十年も先の月食まで正確に予想できるというのに気象の方は1時間先の雨すら予報できないのが情けない。
こんなこともあろうかと、準備の良い僕はバックの中に折りたたみ傘をちゃんと装備しているのだが、例によって、全身ずぶ濡れになっても傘だけは濡らさずに帰宅したのであった!(*)

雨の降り始めにアサギマダラと思われるチョウを見たものの、土砂降りとなりテンションはダウン……虫見はあきらめて帰路についたのだが──。
バシャバシャ歩いていると、前方約20メートル──浅瀬と化した遊歩道の水面を、こぶのようにもりあがった波(?)が不規則な動きで移動して行くのが目にとまった!
「おおっ!? あの動きは──モグラ!?」とピンときた。はたして水をかきわけて現れたのはモクラであって、せわしない動きで遊歩道わきの草むらにもぐりこもうとしているのが見えた。急な雨でトンネルが浸水し地上に出てきてしまったのだろう。
モグラはたま~に死骸をみかけることはあったが、生きている姿を見るのは珍しい。実はつい先日、そんなレアなモグラの姿を見かけたのにカメラをとりだしている間に植え込みの中のネズミ穴(?)に逃げ込まれてしまうという悔しい思いをしていたばかりだった。
それで今回は逃がすまいとダッシュ! 夢中で草の間を右往左往していたモグラを取り押さえたのであった。

雨中のモグラ捕獲!──人生初のモグラ捕獲であった。
雨で下がっていたテンションは一転して急騰。
素手だったので、いちおう噛まれないように注意はしたが、予想していたとおり、モグラはあまり体がやわらかくないようで、持ち方に気をつければつかんだ指に口が届くことはないもよう。後脚でけったり体をよじって抜け出そうとするので何度も持ちかえながら、どうしたものか考える。

モグラは子供の頃に「飼ってみたい動物」の一つだった。ただ調べてみたら大食漢らしく(絶食に弱くすぐ餓死する)エサの確保が大変らしい……。「飼いたくても(一般向けにはなかなか)飼えない動物」という印象を持っていた。
なので飼う気はなく、とりあえず生きてるモグラの画像を何枚かとって逃がすつもりだった。

しかし土砂降りの中、デジカメを出すのははばかられ、とりあえず家へ持ち帰って撮影することに……ところが、持ち帰るための入れ物がない……。一応、昆虫をキープするためのプチ・タッパーは持参していたが、モグラを入れるには小さすぎる……。
ためしに厚めのビニール袋に入れてみたが瞬時に底を破られた。
で、しかたなしにバッグに入れ、チャックを閉めて監視しながら持ち帰ったのであった。

モグラといえば、土にもぐって生活しているにもかかわらず、どろだらけにならないビロードのような毛が不思議で魅力的だが、今回つかまえたモグラは濡れネズミならぬ濡れモグラ……。タオルで拭いてみたが、きれいにならなかった……。

本当は毛が乾いたところで記念撮影をしたかったのだが、野生動物を長時間ストレス下に置くのは心配なので、とりあえず何枚か撮って逃がしてきた。

ファイバースコープの先端のように(?)よく動く鼻先は、かつて同じ食虫目(モグラ目)だったハリネズミにちょっと似ている。

ちなみに現在、モグラはトガリネズミ目モグラ科に、ハリネズミはハリネズミ目に分類されていて、かつての食虫目(モグラ目)はもう無い。

生きたモグラはジタバタあばれてモデルにならないので、以前撮ったモグラの死骸を──、



ついでに昆虫版のモグラともいえる虫を──、

ちなみにケラ属のラテン語名【Gryllotalpa】は【Gryllo】→【コオロギ】/【talpa】→【モグラ】を意味し、英名の【Mole cricket】も【モグラコオロギ】の意味だとか。
昆虫のケラはバッタ目・キリギリス亜目・コオロギ上科・ケラ科という分類。

天気予報が外れ、全身ずぶ濡れになったが、モグラを捕まえる事ができたのはラッキーだった。
モグラを探すなら土砂降りのとき、あるいは河川近くではその後の水かさが増したときが意外にチャンスかも?