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なじめなかったファーブル昆虫記

01昆虫記DVD本

ファーブル昆虫記は小学生の頃に読んだ記憶があるのだが、内容はあまり覚えていない。セミはなぜ鳴くのかについて「セミには音が聞こえていない(もしくは恐ろしく耳が遠い)/セミは生きているよろこびのために歌って(鳴いて)いる」とする結論が納得できなかったのを覚えている。
昆虫に対する興味から手に取ってみたファーブル昆虫記だったが、読み始めてみると、どうもなじめず没頭できなかった。その後、ファーブル昆虫記を称賛する虫屋さんが多いらしいことを知ったが、それでもあらためて読んでみようという気にはなかなかなれずにいた。ところが比較的最近、ちょろっと読む機会があった。ハリサシガメについての情報を探していてファーブル昆虫記の中に同属のセアカクロサシガメの項目があることを知ったからだ。図書館で借りてその章を読んでみたのだが(*)……やっぱり小学生時代に読んだ「なじめなさ」をあらためて感じることとなった。

ちなみに、ハリサシガメの幼虫は全身を土粒でおおい、アリの死骸などをデコレーションするというユニークな特徴を持っている。

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04針刺亀幼虫B1再
ファーブル昆虫記に出てくるセアカクロサシガメの幼虫も、同様に全身に埃をまとうという似た特徴を持っているらしい。ファーブルがこのユニークな生態をどう解釈したのか期待して読んだのだが……、

幼虫は体から、一種のねっとりした液体を出す。それはおそらくは、幼虫の食物である脂肪に由来するものだろう。体から分泌しているこの鳥黐(とりもち)によって、幼虫自身が別に何かしなくても、移動するたびに触った埃が体にくっつく。サシガメが服を着るのではなくて、体がかってに汚れるのである。この幼虫は塵の球になる。つまり、歩く汚れそのものになるのだ。それは幼虫がべとべとした汗をかくからなのである。(『完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上』第6章より)

──と記されていた。汗腺などない昆虫が、どうして汗をかくのかよくわからないが、ファーブルは特有の(?)「妙な擬人化」で、あっさりと片付けている。これには少々がっかりした。

僕は虫屋ではないが、子供のころはカブトムシやクワガタを捕ったり飼ったりしていた。僕の昆虫に対する興味というのは、人工物とは全く異なる仕様の存在感……いってみれば人間の言語(フォーマット)とは違う言語で創造された世界を実感できるところにあったような気がする(*)。昆虫を通して、彼らが帰属する自然界に興味を覚えたわけだが、そんな昆虫たちの世界がファーブル昆虫記ではひどく人間的な視点で捉えられている……自然(非人工)の世界を描いているのに、その描写や比喩がすこぶる人間的であったところがなじめなかった原因だったように思う。
虫の営みを擬人化した例えで説明している箇所が多く、その比喩が適切でないと感じる部分も少なくない(セアカクロサシガメの幼虫のベタベタを「汗」だと片付けるところなど)。観察した現象の理解(解釈)がファーブルの人間的な(?)予断に傾いたもので(セミが生きているよろこびのために歌うとか)、共感や同意するのが難しい……こうしたことが小学生の時にファーブル昆虫記を読んで感じた「なじめなさ」だったのだろうと思う。
「人智の関与しない昆虫の世界を見ようとしているのに、どうしてそんな世俗的な例えをあてはめようとするのか」「そういう見方で虫を見るのはヘンではないか?」という違和感──強い言い方をすれば抵抗感のようなものがついてまわり読書意欲を減退させる。著者(ファーブル)の虫を見る眼(捉え方)に疑問が生じてしまうと読み続けるのは、しんどくなる。それが、読み返そうという意欲がわかなかった原因だったように思う。
とはいえ、客観的にみれば、僕がげんなりした部分──ファーブル昆虫記の《人間臭い視点で描かれている点》が、きっと好きな人には魅力となって伝わりファンが多いのだろうという気もする。ファーブル昆虫記の原題は直訳すると「昆虫学的回想録」になるそうだが、回想録として読めば文学的表現(?)も作者の味として感じられるのかもしれない。

個人的には読みにくいファーブル昆虫記だが、DVDは持っていたりする。『完訳 ファーブル昆虫記』シリーズの翻訳をされたフランス文学者にして虫屋の奥本大三郎氏が案内役をつとめたテレビ番組を収録したものだ。昆虫の映像見たさで入手したものだが、映像は素晴らしかった。ファーブルが進化論に批判的だったことは、このDVDを観て知った。『ファーブル昆虫記 Vol.2 カリバチとヤママユ 本能の命ずるままに』では、ファーブルが進化論に疑問を呈すところがある。強力な毒牙をもつ危険なクモを完成された技術でしとめるカリバチについて、「昆虫記 第2巻12章より」というスーパーとともに、次のようなナレーションが流れる。


はるか大昔に1匹のカリバチがいて偶然に獲物の神経を傷つけた。そしてそれは危険な戦いを回避させてくれ、幼虫のために新鮮な獲物をもたらしてくれた。蜂はこれは素晴らしいと思い、その傾向を子孫に遺伝子によって伝えるようになったと進化論者は言う。ならば、それ以前のカリバチはどうやって生きてきたのであろう。不慣れな暗殺者がいい加減な仕事をすると彼らは最初の世代で滅びてしまうのである。

ファーブルはこのように進化論者を批判しているが、ならばクモ狩りのカリバチはどのように誕生したというのだろう? ある日いきなりクモ狩りの完成した技術をひっさげて出現したというのだろうか?
完璧に見えるその技術がどのように獲得されていったのか──という疑問・発想は無いのだろうか?

ファーブルが示さなかったカリバチのルーツを無知で素人の僕が想像してみると……、
カリバチの祖先は、やはり狩りをしていたが、現在のように特定のターゲットに対する完成度の高い狩り技術を獲得していなかった……そんな時期があったのではないか。スズメバチやアシナガバチも狩りをし、獲物を肉団子にして幼虫に与えるが、ハンティングの対象となる種類は比較的幅広い。同様にカリバチの祖先も狩りの対象を今ほど限定しておらず、捕えやすい相手(獲物)を中心に狩りが行われていたとする。あるいは色々な種類の獲物を狩る中で獲物を麻酔する技術を獲得し高めていったのかもしれない。そして色々な虫を狩る中で、たまたま毒牙を持つ危険なクモに挑んだものがいて、たまたまその蜂が持っていた技術で、狩りが成立することがあったのかもしれない(針を刺す位置が、そのクモの神経節の位置と合致した?)。中にはクモの毒牙に倒されるものもいたろうが、失敗ケースは残らなかった(淘汰された)だけだ。数あるチャレンジの中で成功したケース(カリバチAと、その攻撃パターンが有効に機能したクモA'の組み合わせ)が子孫に受け継がれたと考えることはできないだろうか?
現在のカリバチの仲間は種類によってエサ(宿主)がかなり限定されているようだが、これはそれぞれのカリバチの体格・ハンティング技術に対応する(カリバチの攻撃ポイントと獲物の急所が一致する?)「うってつけの獲物」にしぼった方が狩りの成功率が高められることから限定化に向かったのではないか──僕なら、そう考える。

また、カリバチは獲物を貯蔵する巣の位置をちゃんと覚えていて獲物を運び込む。位置情報なのかあるいはニオイ情報なのか……何を手がかりにしているのかはわからないが、それを「記憶」する能力があるからこそ、ちゃんと巣に戻ることができるのだろう。
カリバチに、そうした優れた「記憶」の能力があるのであれば、幼虫時代に食った獲物のニオイを覚えていて、成虫になって狩りをするときにそのニオイをたよりに獲物を選定するシステムだってあってよさそうな気がする。母蜂の狩猟技術でしとめることができる獲物──それを食べて無事に育つことができた幼虫が成虫(母蜂)になったときに、母蜂と同じ種類の獲物を選択的に狩るのは《成功例を踏襲する》という意味で理にかなっている。

余談だが……宝石蜂セイボウの仲間は、他のカリバチが作った巣(幼虫用の食糧を貯蔵し卵が産みつけられた部屋)にもぐりこんでカッコウのように托卵するという複雑な生活史を持っている。これも《幼虫時代のニオイ記憶が母蜂を誘う》システムで説明できそうな気がする。麻酔の技術を持たないセイボウの祖先は托卵習性を獲得する以前、生きた宿主に直接卵を産みつけていたとする。あるときセイボウが卵を産みつけた獲物を別のカリバチが狩って巣に運び込むというアクシデントが発生……そしてカリバチの巣の中で孵化したセイボウの幼虫はカリバチの子供を殺し(食べ?)カリバチが幼虫のために貯えた獲物を食って育ったとすれば……。カリバチの巣で安全に育つことができたセイボウ幼虫が成虫(母蜂)となったとき、自分が育った獲物&環境のニオイを記憶しており、それをたよりにカリバチの巣を探し当て、侵入して卵を産むようになった──そんなシナリオも成立しそうな気がする。
もちろんこれまで記した想像は根拠の無い素人の脳内シミュレーションにすぎず、実際にどうだったのかはわからない。ただ、昆虫が複雑な習性を進化の中で獲得していくことは充分あり得ることだと思う。少なくともある日突然、完成された技術を持った昆虫がいきなり現れた──という神がかり的な(?)発想よりは、納得しやすいのではないか。

進化論に対してファーブルがどんなふうに考えていたのか知りたくて、DVD『ファーブル昆虫記 Vol.2 カリバチとヤママユ 本能の命ずるままに』に引用されていた「昆虫記 第2巻12章」を読んでみようと図書館へ行って借りてきた。奥本大三郎氏・訳『完訳 ファーブル昆虫記 第2巻 下』の12章は「ベッコウバチ──クモを捕える狩りバチ──」だったが、どうしたことか、ナレーションで紹介されていた上記の文章は、 完訳のはずの第2巻12章に載っていなかった。

調べてみると、『完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上』にも「第9章 アナバチたちの獲物/進化論に対する批判」という項目があって、これにも興味を覚えたが、運悪くその巻は市内の図書館では貸し出し中。ネットで検索してみると、Wikipediaの【ジャン・アンリ・ファーブル】に「進化論への批判」の項目が出ていた。


ファーブルが行った批判のひとつに狩りバチの例がある。例えば「進化論へのお灸」と題した章がある。ここで彼は進化論を現実から乖離させた概念のお遊びであると非難し、具体的な問題提起として、アナバチの例を挙げている。彼の知る何種かが近縁であることは形態等から明らかであるから、進化論的にはそれらに共通祖先があったことが想定される。しかし現実の種はそれぞれに別な固有の獲物(ある種はコオロギ、別の種はキリギリスモドキ、また別の種はカマキリ類)を狩る。では、それらの祖先はいったい何を狩っていたのか、と問い、もし祖先の中から特定の獲物を狩るものが出たのだとすれば、祖先はそれら全部を獲物の選択肢にしていたことになる、とすれば、多様な獲物を狩れる中から、限られたものしか狩れない者が出てくるのでは、明らかに進化しているものの方が不自由であり、変であると論じる。もし、祖先がある1つの獲物を狩っていたとしても、そこから現在のさまざまな種が出る間には、複数種を狩れる段階があったはずであり、同じ問題を生じる。(※Wikipedia【ジャン・アンリ・ファーブル】より)

先に僕の想像(脳内シミュレーション)を記したが、カリバチの祖先が多様な獲物を狩っていて、その中から、それぞれが得意とする狩猟&麻酔技術と対応種(宿主)をみつけていったのだとすれば、獲物を得意相手に絞った方が、狩り〜子育て(うまく麻酔できた獲物を幼虫が食べて育つ過程まで)の成功率は上がるはずだ。多様な種類をターゲットにすれば、獲物の神経節の位置の違いなどから攻撃ポイントを外したり探すのに手間取って狩りに失敗する確率が高まるだろう。危険な相手であれば返り討ちにあわないとも限らない。

ファーブルが記しているようにカリバチの麻酔技術が高い精度を要するものだとするなら、神経節の位置が違う雑多な獲物にフレキシブルに対応するより、成功実績の高い得意相手にしぼって狩りをした方が成功率は上がるだろう。狩りの対象種が限られてきたのは、進化による《不自由》ではなく《最適化》と見るべきではないか。
また母蜂の技術で狩ることができた獲物で育った子供が、食った虫のニオイを記憶し、母蜂になったときに《成功例》を踏襲すれば、狩りの精度は強化されていくだろう。獲物を絞って《最適化》することは、種の生存率に有利に働くはずだ(もちろん最適化した獲物が衰退すれば一蓮托生のリスクははらんでいる)。

ファーブルはカリバチの「獲物を殺さずに麻酔をする巧みな技術」(幼虫が蛹になるまで獲物を殺さず新鮮さを保つ)や「幼虫が獲物を殺さずに喰い進む順序」(最初は内蔵を包む脂肪層、次に皮膚の内側にある筋肉というふうに生存に重要でない部分から食べていく)などが、みごとに理にかなっていることから、昆虫が生理学を熟知しているかのようだと感嘆しているが、カリバチはそれを理解して行動しているとはとても思えない。たまたま結果として理にかなった行動をとるものが生き残り、そうでないものは残らなかった……ただそれだけのことだったのだろう。現存する現象(生態)は、結果として理にかなっていたから残っているのであり、「うまくできている」のは当然・必然とも言える。

たとえば──、
馬券の換金窓口にやってきた人の所持する馬券が全て当たっていたとする。この人が換金に必要な当たり券だけを持って来たのは理にかなっている。不要となったハズレ券は破棄したのだろう。なのに、彼が持参した券がすべて当っていたことから、「この人は、どうしてレース結果を確実に知り得ることができたのだろう」と考えるのは、おかしなものである。カリバチの巧みな生態を見て「どうしてハチが生理学を熟知しているのだろう」と考えるのは、これと同じ気がする。超能力(予知能力)を持たなくても当たりを引く人はいるし、生理学を知らない虫でも理にかなった行動をとるものはいる。

ファーブルは昆虫を観察して、理解を超えた「うまくできたしくみ」に気づき、その複雑さ・完成度の高さに驚嘆し、これは「進化」で獲得できる領域のものではないと考えたのかもしれない。
確かに昆虫の生態は複雑で、とても偶然&自然選択の結果であるとは思えないほど「うまくできている」と感じることがある。しかし、一見複雑きわまりない生態に見えても、実は1つ1つの進化の行程は意外にシンプルだったりするのかも知れない……というのは、複雑な形をしたドラゴンの折り紙を折って感じたことだ。

04折紙ドラゴン
1枚の正方形の紙から折ったとは、にわかに信じがたい複雑な形をしたドラゴン⬆も、折り方をたどってみれば、1つ1つの行程は意外にシンプルでそう難しいものではなかった。
まるで超自然的な意志でも働いているかのように「うまくできている」昆虫の生態も、自然な進化の積み重ねによって獲得されたものではないか。今は解明できないでいる複雑な生態のルーツにも、きっと合理的なプロセスがあるに違いないと僕は思っている。


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カギバラバチ:大量微小卵のナゼ?

キスジセアカカギバラバチの微小卵に思う







前の記事でも記したキスジセアカカギバラバチ──1年前は確認できなかった超極小の卵を今回なんとか確認し、その小ささ(0.12mmほどだそうな)にあらためて驚かされた。そしてふと、寄生蜂でありながら、(寄主に直接産卵するのではなく)大半が無駄になるのを覚悟の上(?)で、大量の微小卵を葉に産みつけていくのはなぜだろう……と疑問に思った。

この疑問をきっかけに、あれこれ考えたことを少し記してみる。ド素人が自分の狭い知識の中で合理的な解釈を模索した──という脳内シミュレーションで、実際の進化がどうだったのかとは別の話。「昆虫を見て不思議に思ったことについて、自分なりの解釈を考えてみた」というハナシである。

さて、カギバラバチの生態をおさらいすると……母蜂は葉に大量の微小卵を産みつけてまわる。卵が、その葉を食草とするイモムシ(チョウや蛾の幼虫)に(葉といっしょに)呑みこまれ、そしてなおかつ、そのイモムシ体内に(たまたま?)寄生していた別の寄生蜂や寄生蠅がいて、これに二次寄生(二重寄生)することができた場合に限って、初めて成長することができるという。《一見、非効率的な生活史を選択した》かに思われがちだが、もちろんそんなことはないだろう。
1つの卵に着目すれば成虫にまで育つことができる確率は確かに低そうだ。しかし、それをおぎなうため、大量の卵を産みつけ、確率の分母をふやすことで採算をとっているのだろう──最初はそう考えた。

しかしよく考えてみると、《成虫達成率が低いスタイルをおぎなうために大量の卵を産むようになった》という泥縄の因果関係は成立し得ない。
大量の卵を産むことができるように進化するには、それなりの時間が必要だったはずで、カギバラバチのようなスタイル(成長過程)のハチが出現したとき、まだ《大量の卵を産む》ことができていなければ、その時点で生存率は維持できなくなり存続し続けることはできなかったはず──《成虫達成率が低いスタイル》を《おぎなうための進化をとげる猶予》などなかったはずだ。
ということは、現在のような寄生スタイルを獲得した時点ではすでに《大量の微小卵を葉に産みつける》ように進化を遂げていた──と考えないとつじつまが合わない。

そもそも、他の虫に寄生するのなら、餌となりうる虫に直接卵を産みつければよさそうな気がしないでもない。実際、蛾の幼虫に寄生するコマユバチなどは母蜂が直接、寄主(宿主)のイモムシに卵を産みつける。これなら、卵が無駄にならず効率的だ。イモムシ体内で孵化し育ったコマユバチ幼虫が寄主の体を破って繭を連ねる──そんな光景が思い浮かぶ↓。


これはカラスヨトウ(蛾)の幼虫に寄生したコマユバチ(の仲間)の蛹だろう。こうしたスタイル──イモムシに直接卵を産みつける寄生蜂がいるのに、カギバラバチはなぜ、わざわざ(?)大半が無駄になることを覚悟で(?)、大量の卵を葉に産みつけるという、一見、非効率のようにも見えるスタイルをとっているのだろう?
進化の中で「わざわざ生存率を下げる(非効率的な)選択肢」が選ばれるわけがない。カギバラバチのスタイルも、進化の途上で合理的な(効率的な)選択がなされた結果でなければおかしい。

寄生蜂誕生の仮想シナリオ

進化の歴史の中で、地上に植物があふれるようになった時代(?)を想像してみる。豊富な植物を資源に使うことができれば繁栄できる──ということで植物食の昆虫たちも多く誕生しただろう。そして植物食の昆虫がどんどん増えていき、その中で生存競争が起こるようになる……。
そこでまず考えられる生存戦略が、他の種類より卵を多く産むことだ。生産する卵の数(の多さ)で資源の支配率を高めようとするスタイル。1匹の♀の体の大きさには限度があるだろうから、生産できる物理的な量にも限度がある。卵の数を増やすには1つの卵の容積を小さくする必要がでてくる。
そうした理由から《卵のサイズを小型化し大量生産する》──この戦略路線が採られたのは自然のことだろうと想像する。

ただ、卵が小さくなると、同じ資源(葉)で競争している大きな種とかちあったときに、食い殺されてしまうというデメリットが発生したに違いない。
小さな卵が大きな種類のイモムシに食われてしまうことが頻繁に起こるようになると、その中から、大きな種のイモムシの体内で孵化し、イモムシが体内に取り込んだ葉(小さな種の食草でもある)を食べて育つものが誕生したとしても、さほど不思議ではあるまい。
そしてイモムシ体内で、より積極的に(?)イモムシを食うことにシフトするものがでてきたのではないだろうか? 植物の葉を分解して自分の体を再構築するよりは、自分に近い構成物である昆虫を分解して再構築する方が効率的なはずだ。

生物の体は資源(餌)を分解し自分の体に再構築する化学プラントみたいなものだろう。植物を資源にするより動物(イモムシ)を資源にした方が効率的で、プラントの設備もシンプル化できそうだ──餌を植物食から動物食にシフトすることで卵のサイズをさらにシンプル化=小型化できるようになったかもしれない。
卵の小型化は、産卵数を増やすという意味でも、大きな寄主に(無事に?)取り込まれやすくなるという意味でも生存率を高める利点になる。こうした理由で、《卵のサイズを小型化し大量生産する》という戦略路線が強化・加速していったのではないだろうか?

元々は葉を食べていたもの(で卵を小型化大量生産したもの)の中から、ホストをイモムシにシフトした寄生蜂が誕生した──こう考えれば、カギバラバチのように大量の微小卵を《葉に産みつける寄生蜂》がいることも説明できる。
《成虫達成率が低いスタイルをおぎなうために大量の卵を産むようになった》のではなく、《卵のサイズを小型化し大量生産する》という生存戦略がまずあって、その先に《他の種に食われることでその幼虫に寄生する》という新たな生存スタイルの道がひらけたのではないだろうか。
「大半の卵が無駄になる(成虫に至る事ができない)」という《一見すると非効率なスタイル》も、「わざわざ生存率を下げる選択肢を選んだ」などという非合理な解釈ではなく、生存率を高める戦略の選択の結果だと考えるのが妥当だろう。

カギバラバチの《一見すると非効率なスタイル》として、イモムシへの単純寄生ではなくイモムシの体内に(たまたま?)いた寄生蜂や寄生蠅に二次寄生(二重寄生)するという複雑なプロセスがあるが、このスタイルがどうして獲得されたのかについての仮想シナリオは前記事【美しき奇蜂キスジセアカカギバラバチ】の後半にも記した(なので、ここでは割愛)。カギバラバチが二次寄生するようになったのにもやはり合理的な理由があってのことだろうと僕は考えている。

卵を葉ではなく直接寄主に産みつけるコマユバチ

キスジセアカカギバラバチは葉から葉へと移動してせわしなく産卵行動をくり返していたが……では、コマユバチのように、寄主に直接産卵する寄生スタイルは、どのように誕生したのだろう。

《葉に卵を産みつける寄生蜂》は寄生スタイルを獲得する以前からの(葉を食べていた時代に食草に産卵していたときの?)先天的なプログラムで、葉に産卵する行動を受け継いでいる──と考えれば納得できる。
《寄主に直接産卵する寄生蜂》のスタイルは、成虫♀が産卵場所を選定するプログラムが、《「幼虫時代に自分が食してきたもの」を選択する》というものでとあったとすれば説明できそうだ。
元々葉を食べていた時代、幼虫は食べていた食草のニオイを記憶し、成虫になるとそのニオイのある葉をみつけて産卵していた──それがあるときイモムシの体内にとりこまれ、イモムシ食にシフトすることになったことで、イモムシのニオイを記憶し、それをたよりにイモムシを探して産卵するようになった……そんな解釈ができなくもない。
「イモムシを探しだす」のは「(そこらにたくさんある)葉に産卵する」よりも労力を要すことになるだろうが、卵が無駄になる可能性を低減できるのだから全体としてみれば効率的なはずた。進化の中で効率的なスタイルが選択されるのは理にかなっている。

セイボウはどうして他蜂の巣に托卵するようになったのか

今回、キスジセアカカギバラバチを見てふと頭に浮かんだのが宝石蜂といわれるセイボウ──これもキレイにしてユニークな寄生蜂だ。セイボウの仲間(の多く)は、他の蜂が(その蜂の子どものために)狩ってきた虫が貯えられた巣に潜入して産卵する。孵化したセイボウ幼虫は他の蜂が貯蔵した資源を横取りする形で育ち、成虫になると同じように托卵しに寄主の狩り蜂の巣にやってくる。


枯れ枝に残されたカミキリの脱出孔を巣にするヤマトフタスジスズバチ↑と、ようすをうかがうムツバセイボウ
ヤマトフタスジスズバチはイモムシ(蛾の幼虫)を狩って巣にたくわえ産卵する。貯蔵したイモムシはもちろんヤマトフタスジスズバチの孵化した幼虫のために集められたものだが、ムツバセイボウはその巣にしのびこんで卵を産みつける。孵化したムツバセイボウ幼虫はヤマトフタスジスズバチが集めたイモムシを食って育つ。


(※↑【ムツバセイボウふたたび】より)
セイボウの仲間が、他の蜂の巣に侵入して卵を産むのも、幼虫時代に自分が育った環境のニオイなどを記憶し、成虫♀になったとき、同様の環境を探して産卵するというプログラムであったとすれば説明がつく。
元々はセイボウもイモムシやクモなどの寄主に直接産卵するスタイルの寄生蜂だったのではないか。セイボウが卵を産みつけたイモムシやクモを他の狩り蜂が狩って巣に運び込むというようなこともあったろう。その巣の中で孵化したセイボウ幼虫は、その狩り蜂が集めた餌を食って育ち、その環境(他種の狩り蜂が集めた餌の貯蔵庫)を幼虫が育つべき適切な場所だと認識(という言葉は正しくないかもしれないが)して、自分が幼虫時代に育った環境を探して産卵するようになった……そんなシナリオが考えられる。

──というのが、ド素人の《頭の体操》。こうした考えは、確かめたり裏付ける検証実験をしたわけでもないし、これが正しいと信じているわけでもない。
今後観察例が増えたり、知識が増えていけば、その時点で新たな仮想シナリオを思いつくかもしれない。
実際のところ、どうなのか──《真相》にはもちろん興味のあるところだが、それよりまず自分が遭遇した《ふしぎ》に対し、自分は《どう解釈するか》──ということに僕は関心がある。
正しい答えは専門家が見つけて、既にどこかにあるかもしれない。が、すでに誰かが見つけた正解を探すより、まずは自分なりに納得しうる解釈を考えてみたい──そんな思いがあって、現段階で考えている解釈を記してみたしだい。


イラガセイボウの輝き再び

イラガセイボウふたたび・エメラルド&サファイアの輝き



先日、久しぶりにイラガセイボウを目にして記事にしたが、出会うときは出会うもので、その後また擬木でイラガセイボウを見つけた。
前回のイラガセイボウは翅を痛めていたが、この個体も翅を痛めている。そういえば過去にも翅を痛めたイラガセイボウを見たことがあった。イラガセイボウが翅を痛める原因についていくつかの可能性を想像してみたが確かなことはわからない。


今回もキラキラと輝く姿で、すぐにそれとわかった。第一印象は「そうそう! このきらめきなんだよな」──前回イラガセイボウを記事にしたときは、この輝きがうまく表現できていなかったが……再びイラガセイボウを目にして、この宝石のような輝きこそ、この昆虫の大きな見どころだ──という思いを強くした。この特徴をなんとか記録できないものか。


とはいっても前回キレイに撮れなかったものが、今回キレイに撮れるという自信はない。《キラキラ輝いている見た目そのもの》を画像に残すのは難しいが、それならばと《キラキラ輝いていることがわかる説明の素材》として画像を撮ってみることにした。
とりあえず日向で直射日光をあびて輝いているイラガセイボウを撮った画像↓。


セイボウの仲間は体全体に光の粒をまぶしたかのような光り方をする──これが美しいのだが、撮影するとエメラルドやサファイアのような緑~青の光の粒は飛んでしまい、画像上ではただの白い点になってしまう。
光沢昆虫は反射光がまぶしいためか露出がアンダーになり画面が暗くなりがちだが……とくに直射日光が当る日向では影とのコントラストがきつくなって、明るい部分は白く飛び、暗い部分は黒くつぶれてしまう。
実物はキラキラ輝いて見えるのに、画像にすると全然キレイではない↑。これでは輝きどころか体の基本色の美しさすら伝わらない。
ということで、体で直射日光を遮り影に入れて撮ってみたのが↓。


直射日光を遮ったことでイラガセイボウの影は消え、光源(太陽光)の直接反射もなくなり──コントラストの差が小さくなったことで基本の体色がよくわかる。これだけでも充分キレイなのだが、実際はこの体色の上に緑~青の輝きがプラスされているわけだ。
他にも条件を変えて撮ってみた画像の1つ↓。


白く飛んでしまいがちな緑~青の輝き(光のつぶ)に露出が合ったのだろうか。体表面にちりばめられた光の粒の色はわかるが、体の本来の色はつぶれて黒くなっている。まるで闇に乱舞するホタルの光のようだ。緑~青の輝きと体色の明るさには格差があって両方を同時にカメラで捉えるのは難しい──光の粒の美しさと体色の美しさは同一画面では表現できないということなのだろう。
カメラがカバーできない格差を生んでいるのが「光の粒」だが、それ自体が発光しているわけではない。これは反射光で、全身がキラキラ輝いて見えるのはセイボウの体の表面構造に関係している。


セイボウの仲間は点刻と呼ばれる小さな凹みが全身に密にほどこされている。この点刻ひとつひとつが、言わば凹面鏡のような役割りを果たし、どの角度から見ても凹みの中のどこかに光源を直接反射する点を有すことで「光の粒」が生み出されているようだ。
ふつう曲面で構成される昆虫の体で直接反射が見えるのは、光の入射角と反射角(見る角度)が一致する限定的なポイントのみだ。しかしセイボウの場合は全身にほどこされた点刻それぞれに(どの角度から見ても)反射面が含まれ、そこに「光の粒」が生まれる。


画像↑には直射日光は当っていないが、点刻ひとつひとつに明るい空(?)が写り込み光を反射しているのがわかる。この点刻内の反射光が「光の粒」となる。


日向では密集した点刻に直射日光が反射し、光の粒となって全身を飾って美しいことこの上ないのだが……実際に画像にすると↓。


生で実物を見たときのきらめきが再現できないのが残念だ……。
擬木の上では虫影が黒くつぶれがちなので、それを緩和するため、影の側にレフ板がわりにアルミシートを置いて撮ってみた画像↓。




撮影中、翅のグルーミングを始めたので、腹の背面がのぞいたシーンも↓。


本当はもっとキレイなのだが……デジカメ画像ではそれがカバーできない……逆にいうとヒトの目(&それを解析する脳)はそれだけ微細なところまで感知できるほど繊細だということでもあるのだろう。




──ということで、《キラキラ輝いている見た目そのもの》を写すことはできないが、実際は《キラキラ輝いていることがわかる》ような説明をしてみたつもり。
想像力でキラキラ感を補正して見ていただけたらと思う。


宝石の輝き!イラガセイボウ

エメラルドかサファイアか!?輝くイラガセイボウ



擬木の支柱のフチに宝石のように美しい虫がとまっていた。グリーン~ブルーのメタリックな輝き──すぐにセイボウと呼ばれる美麗蜂の仲間だとわかった。これまで見たセイボウに比べてずいぶん大きく感じ、オオセイボウかと思ったが、イラガセイボウ(イラガイツツバセイボウ)だった。
セイボウの仲間はとてもキレイなので、見つけると撮りたくなるのだが……たいていはせわしなく動きまわっていて、ろくに撮らせてもらえないことが多い。それが目の前でじっとしている──躍る心をおさえて、そっとカメラを近づけた。




よく見ると左の翅が大きく欠けている。このため飛翔できずに擬木の支柱に足止めされていたのだろう。
欠けた翅は痛々しいが、そのために通常なら翅でおおわれている美しい腹も広い範囲が見える。ふだんじっくり撮ることが難しいハチなだけに、この機会にしっかり撮らせてもらうことにした。






直径20mmの1円玉との比較↑。『月刊むし』472号 2010年6月《日本産セイボウ図鑑》(むし社)によれば、イラガセイボウの体長は9~12mm。イラガセイボウとしては大きめの個体だろう。
独特のキラキラ感をとらえようとシャッターを切り続けたが……パソコン画面で確認すると、やはり本物の輝きとはほど遠い……。光沢昆虫はそのきらめきを記録するのが難しいとわかっていても、やはりちょっと残念だ。毎度のことながら……実物はもっと美しい!




きらめくイラガセイボウにグッと寄ってみた。


緑~青(紫菫色)に輝く体表面には点刻と呼ばれる凹みが密集している。点刻は超小型の凹面鏡のようだ。この凹み1つ1つにどの角度からみても光を反射する点が存在しているのがわかる。
もし体表面が滑らかであったなら(光をよく反射する表面構造であっても)、光源(太陽など)が反射して輝いて見えるポイント(光の入射角と反射角が等しくなる部位)はごくわずかだろう。
セイボウでは体表面に密にほどこされた点刻の1つ1つが凹面鏡のように光を反射することで、体全体がキラキラと輝いて見えるのだろう。
このイラガセイボウは、翅を痛めて飛ぶことがままならないのに──あるいは飛ぶことがままならないからなのか……翅をつくろいはじめた↓。






腹部末端部にノコギリの歯のように尖った部分が見える↑。セイボウの仲間ではこの突起の数や形状が種類を見分ける手がかりのひとつとなる。イラガセイボウ(イラガイツツバセイボウ)は5つ(5歯)。ちなみに最初に間違えそうになった大型のオオセイボウでは4歯。僕が過去に見た種類では、ミドリセイボウが5歯・ツマアカセイボウは4歯・ムツバセイボウでは6歯。
擬木の上ではこの「歯」の部分がわかりにくいので、指にとまらせて「5歯」を確認↓。


セイボウの仲間はその美しさがまず目を引くが、生態も興味深い。《狩り蜂に寄生するハチ》──というのが基本のようだ。
クモや昆虫などを狩って幼虫の餌として貯蔵するカリバチの仲間──その巣に侵入し、カッコウ(鳥)のように托卵方式で卵を残すらしい。孵化したセイボウ幼虫はカリバチが我が子のために貯えておいた獲物やカリバチ幼虫を食べて成長するという。
だが、今回のイラガセイボウは例外的に(ハチではなく)イラガという蛾に寄生する。セイボウの中では珍しくハチではなくイラガに寄生するからイラガセイボウなのだろう。


宿主のイラガだか、幼虫は毒を持つ毛虫の筆頭に上げられることが多く、触れるととても痛いらしい。枝の股などに小鳥の卵のような(?)繭を作るが、この繭にイラガセイボウは卵を産みつける。


イラガセイボウは堅いイラガ(蛾)の繭に孔をあけて産卵する(産卵後、孔はふさがれる)。寄生されずに順調に羽化することができたイラガは繭の上部にきれいな円形の穴をあけて出てくるが、イラガセイボウが寄生し羽化した繭では、雑な脱出孔が残される。



今回みつけたイラガセイボウは、大きくて輝きも極上だったのに……翅が痛んでいたのは残念だった。しかし、それがなければこうしてじっくり撮ることもできなかったろう。
以前であったセイボウの仲間↓。どれも宝石のように美しい。






肩甲骨カミキリ~えぐれた複眼・触角が浸食!?

肩甲骨カミキリことハイイロヤハズカミキリ

先日、擬木のヘリにハイイロヤハズカミキリがとまっていた。僕は密かに(?)「肩甲骨(けんこうこつ)カミキリ」と呼んでいる。タケやササなどがホストだそうで、周囲を見ると、なるほど竹だか笹だかが生えていた。




背中(上翅上部)の特徴的な隆起が肩甲骨に見えてしかたがない。【ハイイロヤハズカミキリ】の標準和名は長いので、愛称で【肩甲骨カミキリ】。標準和名についている「ヤハズ」の由来は「矢筈(矢の末端の弓弦をうけるところ)」──上翅先端の「く」の字型の切れ込みが「矢筈」に似ていることからつけられたらしい。だが、個人的には「ヤハズ」より「肩甲骨」に目がいってしまう……。


こうしてアップで見ると特徴的な複眼にも目がいく──《眼の中から触角が生えている》ようにも見える奇妙な構造。ハイイロヤハズカミキリでは触角の根元で複眼が分断されているのがわかる。
前回ネタにしたキマダラカミキリ(キマダラミヤマカミキリ)でも、触角の根元で複眼が大きくえぐれていたが、キマダラカミキリは複眼が、かろうじてつながっていた。


奇妙なカミキリの複眼──ハイイロヤハズカミキリではギリギリで分断、キマダラカミキリではわずかにつながっていたが、ルリカミキリでは完全に分断していて、背面の複眼は《取り残された三日月湖(河跡湖)》のようだ。




カミキリの《複眼に触角の付け根が食い込むようなデザイン》は子どもの頃から、なんとなく知っていた。たぶん図鑑か何かに載っていたのだろう──シロスジカミキリの複眼(つながっているが、触角の根元付近でえぐれている)の写真を見て、「フシギな形の眼だな」と思った記憶がかすかにある。カミキリの複眼については、ずっと「そういうものだ」という認識でいた。


これ↑は今年1月に撮ったキボシカミキリ(活動期には黄色かったはずの斑紋がすっかり白くなっていた生き残り個体)。このカミキリも大きな複眼が触角の根元で大きくえぐれている。

えぐれた複眼と触角の関係!?

《眼の中から触角が生えている》ように見えるカミキリの《えぐれた複眼》&《複眼に埋もれた触角》──これまで「そういうものだ」と思ってきたが……あらためて考えてみると、どうしてこのような形になったのか、不思議な気がする。
「触角の周囲に複眼が回り込んだ」のか、それとも「複眼の中に触角が入り込んだ」のか──。
ハイイロヤハズカミキリやルリカミキリのような複眼が分離したケースがあることを考えると、「もともと複眼のあったエリアに触角が侵出した」とみるのが自然だろう。本来は一塊だった複眼が触角に浸食され、ついには分断に至った……ということなのだろう。

カミキリの触角はよく発達している。その触角を支えるためには──力学的には体幹軸の中心に近い部分に触角基部を置いた方が頑丈なつくりを実現できる。それで、顔の先端できなく中心に触角基部を置く(移動する?)ことになったのではないか? 太く長い触角を支えるためには頑丈な土台や関節が必要だろうし、大きな触角を動かすためにはそれなりの筋肉の拡充だって必要だったろう。顔の中心──つまり左右の複眼の間で「触角基部」が充実・発達してその容積を拡大させたことで、複眼が浸食され削られていったのではないか……と想像してみた。

また、複眼エリアの縁あるいは内側に触角が入り込めば、その直近の個眼(複眼を構成するひとつひとつの小さな眼)は触角の影になってしまうから、センサーとしての役割りを充分果たせなくなる。それで触角の根元にある個眼は消失し、その結果、複眼エリアの境界線が後退して「えぐれた」形になった──というようなこともあったのではないか。

理屈としては筋が通りそうな気もするが……しかし浸食され、えぐられた複眼だって、もともとは「必要があってその位置に発生・発達した器官」だったはずだ。その大事な器官を浸食させずに触角を発達させることはできなかったのだろうか?──と思わないでもない。

それでは「触角の立派な他の昆虫」ではどうなのだろうか?──と考え、思い浮かんだのが、シリジロヒゲナガゾウムシ。このオスはユニークにして立派な触角をもっている。


シリジロヒゲナガゾウムシ♂は大きな触角が目立つ昆虫だが、複眼も大きい。そしてその複眼は浸食されることなく、ちゃんとキープされている。発達した触角と大きな複眼は両立しうる──という例だろう。
触角の位置を口の方にずらせば、複眼を浸食することなく長い触角を獲得できる──少なくともそういう《処理》をして「両立」させている昆虫がいるということだ。
シリジロヒゲナガゾウムシ♂の立派な触角もカミキリに比べれば、まだ小ぶりだからこの《処理》が可能なのだろうか? しかしカミキリで触角が比較的短い種類でも、ちゃんと(?)複眼はえぐれていたりする。


トラフカミキリはスズメバチやアシナガバチに擬態していると思われるカミキリ。ハチに擬態してのことなのか、触角は(カミキリにしては)短い。だが、やっぱり触角付近で複眼は、しっかりえぐれている。
さて、ここで興味深いのは、このトラフカミキリが擬態したモデルのスズメバチやアシナガバチも《触角付近でえぐれた複眼》を持っているということだ。
カミキリとハチ──まったく別のグループなのに、この奇妙な特徴が共通しているということは、それぞれの生態の共通する部分に《謎解きの鍵》が隠されているのかも知れない。






一方、ハチの仲間であっても複眼がえぐれていない種類もいたりする。






セイボウの仲間では触角の基部が口に近いところにあり、複眼は干渉を受けずに基本的な形(?)をキープしているようだ。触角基部を複眼の間ではなく、口に近い所に置いているというのはシリジロヒゲナガゾウムシの《処理》と似ている。
同じハチの仲間にして複眼がえぐれたスズメバチ・アシナガバチと、複眼がえぐられていないセイボウの違いは何なのだろう?
スズメバチやアシナガバチは木をかじって巣の素材に使う。カミキリも木を齧って産卵したり、幼虫は木を内部から食ったりする。アゴが発達しているという点で似ている。
セイボウの仲間はそれにくらべてアゴは小さい。
大きなアゴをもつカミキリやスズメバチ・アシナガバチではアゴ付近に収納される筋肉の量もそれなりに大きいに違いない。そのため口の近くに触角基部を収納するスペースがとれず、やむなく(?)触角基部は複眼の間へと追いやられた……ということではないだろうか?
「硬い木を齧る→アゴの筋肉が発達→口の近くで触角基部セット収納スペースがない→複眼の間に移行→複眼が浸食」
──という構図を思い描いてみた。
しかし木を齧るということでは、複眼が浸食していないシリジロヒゲナガゾウムシも、複眼がえぐれているカミキリと同じだ。《発達した大きなアゴ&複眼の間へ追いやられた(?)触角》を持つに至った理由は、単に「木などの硬いものをかじる」ためだけではなさそうだ。

カミキリのオス同士を同じ容器に入れておくと触角を切り合ったりするという。
オオスズメバチは、他のハチの巣を襲ったりするが、そのさい大アゴは戦闘用の武器として使われる。他のスズメバチやアシナガバチも襲撃されれば大アゴを使った防衛戦を余儀なくされる。
こうした戦闘のさいに──カミキリやスズメバチ・アシナガバチが戦闘で大アゴをつき合わせて闘うシーンでは、口の近くに触角があったのでは、相手に噛み切られてしまうおそれがある。その危険を回避するために相手の大アゴと交錯する口元から離れたところに触角を後退させたのではないか……そんな可能性に思い至ったりもした。

もちろん、これは単なる素人の脳内シミュレーション。僕はカミキリのこともハチのこともよく知っているわけではないから、ごく限られた知識に中で《えぐれた複眼》の意味・誕生した理由についての《解釈》を探してみたにすぎない。この《解釈》で、疑問のすべてが説明できるとは思っていないし、これが《真相》だと考えているわけでもないが……身近な昆虫に想像力(妄想力?)を刺激されることがある──ということで、思いめぐらせたコトを記してみたしだい。

4月中旬のカミキリ

ハイイロヤハズカミキリの他に、4月中旬になってアトモンサビカミキリ・ゴマフカミキリ・トゲヒゲトラカミキリ・ヒナルリハナカミキリなども確認。カミキリの顔ぶれも増えてきた感じだが、今もっとも多く目にしているのがヨツボシチビヒラタカミキリ。
ということで、ついでに4月中旬のヨツボシチビヒラタカミキリ。ちなみに、ヨツボシチビヒラタカミキリも複眼はえぐれている。