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遠いロッカールーム〜夢の話〜

高校生だった頃、ちょっとした崖からダイビングする《飛翔写真》を撮る(撮ってもらう)ことにハマっていたことがある。宙返りをして脚から着地するのだが、着地面はやわらかい土の斜面なので都合が良かった。
八国山ダイブ宙返り
この場所は今では小洒落た住宅街になっており、もう無い。あっても加齢でポンコツになった僕にはもう《飛ぶ》ことはできないだろう。しかし、の中では僕はまだ若く、このパフォーマンスを続ける気満々だった。そんなの話……。
     *     *     *     *
の中で僕は、久しく行っていなかったダイビングができそうな「新たな場所」を発見する。崖の高さや土の感じは、まずまず。ただ、以前飛んでいた場所に比べて、なんとなく寂れた感じが漂っていた。とりあえず、ここでパフォーマンスをすべく、状況をチェックしてまわる。ここを使う際に利用するロッカールームが地下にあるのだが(このあたりが覚めてみるとヘンなの中のよくわからない設定)、崖のすぐ下にあるロッカールームへ行くにはだいぶ遠回りをしなければならない。現場の崖からずいぶん離れた場所に、地下街へ続く階段があって、ここを降りてロッカールームへ向かうのだが……慣れない地下街をロッカールームを探し歩きながら「面倒くさいなぁ!」と思っている……そんなだった。

このは《ブログ引っ越し》にまつわるものだろう──目覚めてすぐに、そう気づいた。かつてパフォーマンスをしていた場所は、やがて消え行く「Yahoo!ブログ」にあたり、《新たな場所》というのは、移行先の「FC2ブログ」だろう。ちょっとさびれた感じがしていたのは──、Yahoo!ブログでは、カテゴリ検索やキーワード検索で知りたい最新記事が読めたり、なじみのブログの活動が目に入っていたのに、FC2ブログでは知りたい最新記事情報がさっぱりつかめず不満に感じていた。そんな印象が「さびれた」感に反映していたのだろう。

そして「遠回りが面倒なロッカールーム」というのは、FC2ブログでは「記事の編集に手間がかかる」ことを意味しているに違いない。
Yahoo!ブログでは関連記事をつなぐために僕はブログ内リンクを多用してきた。しかし、(Yahoo!ブログ終了にともない)記事をFC2ブログに移行したことで、旧(Yahoo!ブログ)記事にリンクしていたURLを移行先(FC2ブログ)記事のものに書き換えなくてはならなくなった。今はこの作業を黙々と進めているわけだが、これが想像していた以上に面倒だったりする。
Yahoo!ブログでは開いた記事に訂正したい箇所があると、その記事(現場)から編集(訂正)画面へワンクリックで移動し、それができたが、FC2ブログでは、記事内に要訂正箇所を見つけたとき、「管理画面」をクリックし、そこから「記事の管理」を開き、記事一覧の中から該当記事を探してその「編集」ボタンを押して、やっと目的の編集画面に到達できる。「記事の管理」では最新の20タイトルの記事が表示されるが、それ以前の記事だと探すのに更に手間がかかる。カテゴリで絞るか投稿年月で絞り込み、タイトルを見つけだしてその「編集」ボタンを押して、ようやく訂正可能な画面が開く。ひらいた画面も(移行記事は改行無しのHTMLタグだらけなので)訂正するのがややこしい。訂正するための編集画面を呼び出すのも面倒だが、訂正する情報──移行先の記事のURLを確認するために移行記事を探すのにまた手間がかかる……。
FC2ブログでは開いている記事(舞台現場)から、その編集画面へ到達するのにやけに手間がかかる──いささかうんざりしていたので、そんな気分が「ロッカールーム(舞台裏)まで遠回りしなければならず面倒」といった夢になったのだろう。

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赤いクモ~夢の前兆~

ショートショート『赤いクモ~夢の前兆~』

同人誌《MON48》第5号(1990年11月)の埋め草用に書いた原稿用紙(20字×20行)換算4枚強のショートショート。










虫見を始めるだいぶ以前の作品だが、当時から虫が出てくる作品はちょくちょく書いていた。この作品ではクモやコガネムシの種類については具体的に想定してはいなかった。媒体の《MON48》は朝日カルチャーセンター「大衆文芸の書き方(講師:光瀬 龍)」の受講生によって1985年3月に創刊された同人誌。筒井康隆原作の邦画『文学賞殺人事件 大いなる助走』(1989年)のエンドロールにも、チラッと映っていたりする。
『赤いクモ~夢の前兆~』を掲載した《MON48》第5号と、『文学賞殺人事件 大いなる助走』のエンドロールで映し出された《MON48》第3号↓。


《MON48》の誌名は「大衆文芸の書き方」の講座が毎週月曜日(MON)に新宿住友ビルの48階の教室で開かれていたことに由来する。表紙の図案は翼を広げたペンが新宿住友ビルから飛び立つところ。

飛翔へのあこがれ!?

博士になって発明したかったのは…

“男の子の将来の夢”──「大人になったらなりたいもの」のアンケートで「学者・博士」というのがトップになったらしい。

■“男の子の将来の夢” 1位は15年ぶりに「学者・博士」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180105/k10011279391000.html

僕も子どもの頃、将来「博士」になりたいと思っていたことがある。といっても「博士」が何なのか、ちゃんと理解していたわけではない。漫画やアニメに登場する「博士」を見て、鉄人28号や鉄腕アトムなどを作る人のことだと考えていた。将来、博士になって、鉄人28号のようなロケットエンジン付きのランドセルを発明するのが夢だった。


同級生たちが通学路を歩いて登校するそのすぐ頭上を、僕だけロケットエンジン搭載のランドセルを背負って(鉄人28号や鉄腕アトムのように)さっそうと飛翔して小学校へ向かう──そんな光景を思い描いて悦に入っていたものだ。将来、博士になっても小学校に通っている前提で考えていたのが、幼稚でおかしい。

飛翔への憧れ

かなうかどうかは別として──スーパーマンのように空を飛ぶことができたら──という憧れは誰もが1度は抱いたことがあるのではあるまいか?
中学生だった頃──友人たちと撮った「とびあがり前転」の写真が、「スーパーマンが飛んでいる」かのように見えて、「飛翔する姿は、やっぱりイイ!」と再認識。そして「飛翔(しているように見える)写真」を撮るのが密かなマイブームとなったこともあった。
最初は芝生の上で「飛んで」いたが、そのうちエスカレートして、プチ崖からの飛翔シーンを撮るに至る。もちろん実際に飛翔することはできないので、空中で1回転して足から着地していたわけだが……こうしたダイビング宙返りが、後のインディーズヒーロー・ミラクル☆スターにもつながっていくことになる。
そして「スーパーマンのように飛ぶ」というと思い出すのが、そのミラクル☆スターの宿敵役のモデルとなった人物──自称・スーパースター某が見たという夢である。これはミラクル☆スターが初めて登場する個人誌《チャンネルF》第9号でも紹介したことがあった。




個人誌《チャンネルF》第9号で紹介した、スーパースター某(こと、ネアンデルタール某)の見た夢とは──、

 某が立っているところは、学校の校舎の中らしい……。
 彼は(夢の中で)スーパーマンだった。
 ──どろぼうだっ!
 ──つかまえろっ!
 どこかで、人々が叫ぶ。
 ──オレの、出番だ!
 某は、さっそうと床を蹴って飛翔する。
 ところが、なかなかうまく飛行できない。
 高度は上がらず、むしろ床を蹴ったときより頭の高さは低くなっている。
 ──へんだな?
 そう思っているうちにも、高度はどんどん下がっていく……。
 ──おかしいぞ!?
 必死に上昇しようとするのだが、高度はさらに落ちて、床の上数センチのところ……腹がすりそうなところを、かろうじて飛んでいる。
 そればかりか、飛行速度もじりじりと落ちていく……。
 ──くそっ、どうしたんだ!?
 床すれすれのところを、のろのろと飛んでいる某を、後ろから、泥棒を追いかける人々の足がドタドタと追い抜いていく……。
 ──こんなはずじゃあ……
 彼のわきを、彼に見向きもせずに次々と追い越していく人たちを見上げながら、某は考える……。
 ──オレはなんで、わざわざ飛んでいるのだろう?


自分ではスゴイ・カッコイイと思っていること(自己評価の高い部分)が、じつは(世間的には)さほど期待も注目されていない?──そんな気分が反映した夢ではなかろうか……という気がしないでもないが、夢の内容は抱腹絶倒だ。

飛翔とは関係ないが、彼には他にこんな夢を聞かされて笑った記憶もある。
某が自動車教習所に通っていた頃──まだ取得していない運転免許証を夢の中では取っていて、大型バスか何かを運転していたらしい。いきなりデカい車を操りたがるところは見栄っぱりな彼らしい。快調に運転していたバスだが、上り坂にさしかかると、パワーダウン。スピードはしだいに落ちていき……気がつくとバスを運転しているのに、なぜか足は一生懸命(自転車のペダルを)漕いでいたそうな……。
そういえば僕も空を飛ぶ夢で──空中を一生懸命平泳ぎでかき進もうとする夢を見たことがあった。どうせ(?)夢の中のことなのだから、さっそうと飛翔できてもよさそうなものだが……意外に思い通りにはいかず、間抜けな夢になってしまうことも少なくないないものである……。

将来の《夢》──「博士」という話題から、漠然とそんな回想が展開した。
そんな、たあいもない回想覚書。

覚めぬ夢・夢の中の夢のハナシ


▲フェレット漫画https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-47.htmlより
※本文とは直接関係ありません。

眠らぬ男・覚めぬ夢・夢の中の夢のハナシ

睡眠や夢というのは、誰もが日常的に経験しているあたりまえの現象だ。しかし、あらためて考えてみると色々と興味深い。面白いテーマなので以前も記した事があるし、夢をモチーフにした掌編を書いたこともある(*)。
今回も気ままに夢の話を記してみる。

以前「眠らぬ男」のハナシを考えたことがある。ヒトは皆、眠る。ヒトのみならず動物は眠りの支配から逃れられない。なのに、その男だけがその支配の外にいて、彼はもう何年も眠っていなかった。いったい、どうして眠らずにいられるのか……それは男がいるのは夢の中だったから──というオチ。男は病気あるいは事故が原因で覚醒せずに眠り続けていた──男はその間、ずっと夢の中にいたので、(すでに眠っているのだから)眠らずにいても平気だったというハナシ。
「眠らぬ男」は「覚めぬ夢の中にいた」というのがオチだったわけだが、こんな着想を得たのは、次のような経験があったからだ。

《絶対に遅刻が許されない状況》というのは誰もが経験したことがあるだろう。万が一にも遅れたりしたら一大事──大きなプレッシャーを抱えつつ、前夜は「決して寝坊をしてはならない」と心して就寝についた。しかし目が覚めて時計を見ると……なんと寝過ごしているではないか! あわてて家を飛び出し目的地へ急ぐ。だが、その途上……何か変だと気づき始める。見たことがないものが目の端をかすめ……「今のは、妖精じゃないか!?」と足が止まる。「ということは、これも夢!?」「(目的地に向かっているつもりで)まだ寝ているのか俺は!?」と激しく動揺し、ハッと眼が覚めた。
「ああ、ビックリした」と改めて準備し出かけるが……なんだか違和感がある。目的地に向かいながら、「もしかして……これも夢なんじゃあるまいか」と疑念にとらわれる。確かめるために自分の頭を叩いてみるが……力が弱いのか、よくわからない。そこで思いっきり殴ってみる……と、全然痛くない! 「やっぱり、まだ夢の中か! 俺はまだ眠り続けているんだ!」と青くなった。「早く目を覚まさなくては!」とアセりまくるが、どうやったら覚醒できるのか、その術がわからない。眠っている自分を蹴飛ばしてでも起こしたいところだが、夢の中からでは、どうにもならない……。夢の中で「これは夢だな」と自覚する事はたまにあったが、夢と自覚しているのに目覚めることができない夢は初めてだった。
夢の出口を探してジタバタ走り回り、「起きろってば! オレ!」と念じてみたりするが、いっこうに夢から脱出することができない。「このままずっと夢の中に閉じ込められてしまったら、どうしよう……」という不安&恐怖がこみ上げて来た……。

結局この時は夢の中で散々あがき続けた結果、ようやく金縛りが融けるように眼を覚ますことができた。寝ぼけながら「急がねば!」とあわてふためき、《絶対に遅刻が許されない状況》自体が夢の中のハナシだったことに気がついて、ようやくホッと安堵したのだった。

考えてみれば「夢の中でそこは夢の中だと自覚しているのに、覚醒できない(現実側の肉体とのリンクが切れている状態)」というのは、「意識は目覚めているのに体は眠ったまま動かす事ができない」いわゆる「金縛り」の延長現象のようなものといえるのかもしれない。

夢を見ている間──意識が夢の中の仮想肉体にあるときは現実側に残して来た肉体(実体)とのリンクは切れている。夢の中での行動が、現実側の体でも再現されてしまったら大変なわけで、この睡眠時のリンクOFFシステムはもっともなことだろう。
「金縛り」は「意識が夢の中から現実側に帰還したのに(まだ)肉体とのリンクが復帰しきっていない状態」のことだろう──そう僕は解釈している。
この「金縛り」以前──意識がまだ夢の中にあるうちに(現実側の肉体とのリンクが切れた状態で)、自分は眠っている事を自覚し、覚醒しようと(現実側の肉体を動かそうと)やきもきした──というのが、この夢だったのではないか。

この「目覚めることができない夢」で感じた「このまま夢の中に閉じ込められていたら……」という思いが、「覚めぬ夢の中にいて(だから)眠らない男」という着想につながったのだろう。
「眠らぬ男」という着想を得た当時、僕は「夢の中では眠らない(眠くならない)」ものだという認識でいた。

ところが、その後、「眠くて眠してしかたがない」という夢を見た。覚醒後、「眠っているのに──夢の中で眠いと感じることもあるのか……」と意外に思った。これは言ってみれば、「食べてる最中に空腹感にみまわれる」ようなものではないか──そう考えるとなんだかヘンな気がする。
そしてつい最近も「眠くて眠してしかたがない」夢を見た。夢の中では疲れ果てていて、壁にもたれかかると、そのまま意識が遠のき眠りに落ちてしまいそうな激しい睡魔に襲われていた。一刻も早く帰宅して横になりたいと思うのだが、それまで持ちこたえられるかどうか……エネルギーを使い果たしたレインボーマンを襲う「ヨガの眠り」あるいはマンガ『おろち』の主人公に訪れる「100年に一度のねむり」を思わせる猛烈な睡魔だった。
夢の中で家まで帰り着けたのかどうかは覚えていない。ただ激しい睡魔におそわれていたことはハッキリ覚えていて、このときも覚醒した後、「眠っているのに、どうして眠くなるのだろう?」と首を傾げた。
夢を見るのが《浅い眠り》のレム睡眠であったとすると、レム睡眠の中にあって更に《深い眠り》のノンレム睡眠を欲していると「夢の中での眠気」になるのだろうか? その後の展開を覚えていないのはノンレム睡眠に移行して夢がそこで途切れたからとも考えられる。

最近の「眠くて眠してしかたがない」夢を見た状況をふり返ってみると……花粉症が強く出ていて、鼻がつまり息苦しく安眠できない時だった。僕はこの時期、花粉症の予防薬を服用しており症状はだいぶ緩和されているが、それでも花粉が多く飛散した日には症状が強く出ることもある。また底の減った靴で歩き回り、足の裏に疲労感が残っていた時でもあった。そうした休息したい(眠りたい)状況で、眠りについたものの、つまった鼻で呼吸するのは疲労感が蓄積する……安眠感が得られないために、夢の中でも安眠を強く欲し、それが「眠気」という形になったのではなかろろうかと解釈している。

さて。夢のエピソードや眠りと覚醒の狭間で起こる金縛りについては自分なりの解釈で思うところを過去にも記しているが(*)……目覚めのエピソードで思い出した事があったので、ついでに記しておくことにする。

僕は目覚めは良い方で、タイマーをセットしておくと大抵そのちょっと前に目が覚めるのだが……以前ベル式の目覚まし時計を使ってたとき、その音で目覚めた事があった。ジリリリリ……とけたたましくベルが鳴り響くやいなや、ガバッと飛び起き、間髪入れず目覚まし時計をむんずと掴んだ(ベルをたたくハンマーをおさえると音もとまる)。瞬時に行動を起こしたところだけみると「目覚めが良い」感じもするが……脳みそはまだ半分眠っていたのだろう。掴んだ目覚まし時計をおもむろに耳元にあてて「はい、もしもし……」。そのあと「はて、自分は何をしているのだろう?」と寝ぼけた頭で考え、目覚まし時計と電話を間違えたことに気づくと自分でも笑ってしまった。

また、てのひらの中で縮れた輪ゴムがほぐれていくような感触を感じて目が覚めたことがある。眠っている間に無意識に布団の中で何かを掴んだらしい。
にぎった掌の中では「輪ゴムの感触」が続いている。はて、何だろうと思い布団から手を出し、握っていたこぶしを開いてみると……クロゴキブリが飛び出し一目散に走り去った! ゴキブリも慌てたろうが、こっちもビックリ──眠気が一気に吹き飛んだなんて事もあった。

夢の最中はもちちろん、夢入り際・目覚め際にも、色んなコトが起こるものだ。
夢はフシギでおもしろい。

*つれづれに夢の話(※夢がもたらすインスピレーションなど)
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-227.html

*金縛り考
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-215.html

*ヒトはどうして眠るのか?~ロボットの反乱&自意識の覚醒
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-465.html

*チョウのみた夢~善意の報酬~(※夢を扱った掌編ファンタジー)
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-82.html

■エッセイ・雑記 ~メニュー~
https://hoshtani.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

つれづれに夢の話

夢はおもしろい。脈絡の無いバカげた(?)ストーリーが展開されることがあったり、その一方、覚醒しているときには気がつかなかった示唆にとんだエピソードが展開される事もある。

最近、虫屋さんたちのつぶやきの中で、ちょっとおもしろい夢が紹介されていた。
《珍しい昆虫を捕まえる夢》という、いかにも虫屋さんにありそうな夢である。しかし、《巨大な新種を捕まえたものの大きすぎて毒瓶に入れられなくて困っているうちに目が覚めてしまう》とか、《毒瓶に入れたものの、眺めているうちに「これはあまりにも不自然だ、絶対に夢だな」と思って目が覚める》とか……そんな残念な幕切れになってしまうらしい。それもなんだか虫屋さんらしい。

僕も虫採りの夢を見ることがあるが、これは虫屋さんとは違って、昆虫自体への関心からそれが出てくるというより「象徴」としての昆虫が登場することがほとんどのようだ。
というのも、何かアイディアをひねり出そうとしているときに虫採りの夢を見ることが多い。「アイディア探し」が「虫探し」のイメージとかぶるのだろう。インスピレーション・モード(?)では無意識が活性化するため(意識の抑制が弱まることで)退行的な部分で(カブト・クワガタ探しをした)子供の頃の記憶(感情)にアクセスしやすくなる──という事もあるのかもしれない。

《カブトやクワガタを求め、山林の深いところまで分け入り散々探しまわったのにいっこうに見つからない……あきらめて引き上げたところ、すぐ身近なところで発見する》という夢も何度か見たが、これなどは「着想が得られないまま思考が深みにはまって迷走している」「そんなところを探し続けても良い結果は期待できない──一旦その場を離れてみるとむしろ(それまであまり重要視していなかった)身近な所に意外な発見があるかもしれない」──という示唆や暗示が含まれているような気がしないでもない。

また、《木のウロの中に立派な虫を見つけたものの、穴が狭くて手が届かない/むりやり引っぱり出そうとすれば、せっかくの虫が壊れてしまいそうで苦労する》という夢は、「面白いアイディアをつかみかけているだけど、それがストーリーとしてうまくまとまらない」──そんな時の苛立ちや焦りの気分を反映しているようにも思われる。
面白いアイディアを得ても、それがすんなりストーリーになることはむしろ珍しい。見つけたアイディアをなんとかものにしようと工夫を重ねることが普通だが、焦って強引にストーリー化しようとすれば、せっかくのアイディア自体を台無しにしてしまう──なんてことにもなりかねない。《強引に虫を引きずり出そうとすれば傷つけてしまう》という心配はこの気分によく似ている。

《見つけたときはカッコイイ!と喜んでいた虫が、持ち帰る間にだんだんヘンな生き物にかわっていってしまう》なんていう夢もある。着想を得た時、「これはいけるゾ」と喜んでいたアイディアが、作品化の段階でなかなかうまく行かず、いじり回している間に変質してしまう事がある……この夢はそんな心境に近いものがある。

このように僕の場合、虫採りの夢はアイディアに窮しているときに見る事が多い。しかし一方、アイディアそのものを夢で得ることもあったりする。
昔、『竜の船』というファンタジーで《第32回毎日児童小説》小学生向の佳作1席に選ばれたことがあったが、このときの作品はほとんど夢の中でストーリーが出来上がっていた。

ときには実在する人物が登場するコント仕立ての夢が展開したことも……!?




この夢↑に登場したコンビは某昆虫フォーラムのメンバーで実在の人物。仮称ムギピョンの方は一時女性を装って書き込みしていた事があり、そっちの気があるんじゃないかとツッコミが入った人物である。
そんなエピソードが夢にも反映していることがうかがえる。
いちおうオチまでついているから、夢の中でアイディアがまとめられた一例といえるだろう。

こうした柔らかいネタばかりではなく……数学の問題を夢の中で解いた事もあった。高校時代に、寝る前に考えたが解けなかった三角関数が、目覚めたときには答えを得ていた。どうやって解いたのか……夢の中の思考プロセスは残念ながら覚えていなかったが、とりあえす目覚めた時に覚えていた答を問題の式に代入してみたところ正解だと確認でき、我ながら感心したものだ。

また夢の中でクイズを解いたこともある。
「ここに12個の箱がある。そのうち1つの箱だけ重さが違う箱を秤を3回だけ使って見つけだす方法を求めよ」というもの。知人に出題され、あれこれ考えてみたのだがその時点では解けなかった。ところが眠っている間に、夢の中で解き方をみつけ、このときは「解けた!」と無理矢理目覚めて(?)、すぐにメモをとった記憶がある。
これはなかなか良い問題だったと思うので、頭の体操でチャレンジしてみたい人は考えてみると面白いかもしれない。
いちおう僕が夢で得た解き方はブログの方にアップした。答えが知りたい人はどうぞ。


夢の中で解いたクイズ

支離滅裂な夢も多いが、ときにはこのように、覚醒時に意識を総動員して考えたのに解けなかった問題が、夢の中で解けることもある。
夢はおもしろい。

いったい夢とは何ぞや?
そんなことを考えるようになったのはだいぶ昔のような気がする。
当初は「夢」というのは「心の全体性を保つための補完的シミュレーション」のような役割を担っているのではないか……などと想像したこともあったが、今ではそのようなハッキリした「理由・目的」をもった働きではないだろうと考えている。

眠っている間、脳の中にはランダムに発生する余剰信号(意味を持たぬ雑信号?)みたいなものがあって、その人が関心を持っている分野やエモーションに関連する回路(コンプレックス等)に触れるとその周辺で興奮がおこり(反応が活性化し)、活性が高まった部分では信号も連鎖反応的に強まるだろうから……そこで目覚めた後も記憶にとどまるような夢が形成されていくのではないか?

無作為に余剰信号(?)が走る回路では意味のない夢のかけらが雑然と発生しているのだけれど、たいていは記憶されずに消えていく……その中でその人の関心の高い部分・エモーションに関わるところで活性化した強い反応が記憶に残るほどに育って夢になるのではないか?
今はそんな風に考えている(学術的に正しいかどうかは知らない。あくまでも個人的想像)。

つまり、夢というのは、最初から意味のあるストーリーを意図して構築されるものではない。
細かい部分で(というか、かなり大きな部分でも)整合性がおかしいのは、元々は意味のないところで発生したからで、一見(整合性は)メチャクチャなのに、何か印象に残る──というのは、エモーションに関わる部分(心理を投影しうる部分)が残ったからだろう。

夢の仕組みがおおよそそんなものだったとすると、覚醒時に解けなかった問題が夢の中で斬新なアプローチで解決することがある──という現象も説明がつく。
覚醒時には我々は明確な意識の下、常識的体系で物事を捉え・考える。しかし、夢の中では意識時の思考体系の拘束は緩まり、通常は結びつかないカテゴリー間でも無作為に信号が飛び回る。体系の垣根を飛び越えてランダム・イレギュラーに信号が走る中で、覚醒時には思いもよらなかった意外性が生まれることだってあるだろう。その人が関心を持つ分野であればその周辺で反応の活性は高まり、斬新な着想につながって記憶にとどまる可能性がでてくる──これが夢のもたらすインスピレーションではないかと思う。

夢については語り始めると、触れたいテーマはあれこれあるので話しは広がり、とりとめが無くなってしまいがちなので、今回はこのくらいで割愛。

冒頭の虫屋さんたちの夢の話題に戻って……彼らのつぶやきの中には「夢から覚める状況」として、こんな例もあげられていた。
《尿意をもよおし、トイレを探しているうちに目が覚める》というもの。これに付随して《夢に出てくるトイレはマトモじゃない》なんて話しも出てきて、これには虫屋でなくても共感を覚える人は多いだろう。

僕も夢の中で《尿意をもようし、トイレを探すのだが、なかなか見つからなかったり、あったとしてもマトモじゃなくて別のトイレを探し続ける》なんて夢をみる。そのうち目が覚めて実際にトイレへ立つわけである。
考えてみれば、夢の中のトイレで安心して用をたしていたら……オネショという事態にもなりかねないから……夢の中ではトイレを欲し、みつけることができても「安心して気持ちよく用を足すこと」を妨げようとする演出が加えられているような気がする。
一見オカシな夢には、なにか理由が隠されているケースも少なからずあるのだと思う。

虫屋さんたちが《珍種の昆虫をみつけたのに毒瓶に入らない》など、最後のツメがままならない夢にも、もしかしたら何らかの理由があるのではないか?
《トイレにたどり着いたのに、用を足せない》という「トイレ覚醒」と《貴重な虫を捕まえたのに毒瓶に入らない/目が覚めてしまう》という「虫採り覚醒」はちょっと似ている気がしないでもない?

夢の中で珍虫を毒瓶に入れたものの、眺めているうちに「これはあまりにも不自然だ、絶対に夢だな」と気がついて目が覚める──というのは、昆虫採集に対する意欲があるからこそ見る夢なのだろうが、その昆虫への関心・洞察の強さが故に、夢の中でも矛盾に気づいてしまって、夢を継続する事ができなくなって目覚める→夢の中でエラー(矛盾の発覚)が起こり夢が強制終了する──ということなのだろうか?

《巨大な新種を捕まえたものの大きすぎて毒瓶に入れられなくて困っているうちに目が覚める》という夢は、もしかしたら虫屋さんの潜在願望の大きさに対してその受け皿が小さすぎて役に立たず困る──「野心的テーマ・素材をみつけても研究予算や設備が不足しがちで、立ち行かずに苦労する」というような現実の気分が反映しているのではあるまいか……などと勝手な想像が浮かんでしまったりする。

これらの解釈が当たっているかどうかは別にして……夢というのはおもしろいものだなぁ……とあらためて感じたしだい。